第6話「」

軍神山本

第6話「」

1936年 11月14日
ドイツ第三帝國 ベルリン テンペルホーフ空港

「ふう、寒いな」

 大日本帝國海軍中将、統合戦略指揮本部副本部長の馬渕慎司はため息を吐いた。呼気が白く煙り、風によって押し流される。
 馬渕がベルリンに至った訳は史実ならば十一月二五日に行なわれる日独防共協定調印式に出席するためだった。其処において、ヒトラー総統と会見を持つ事が最重要目的だった。さて、既に第三帝國には戦本指揮下の諜報部員達が入国し、様々な新兵器の予備調査を行なっている。そしてそこに於ける最重要目的は、ハインケルが開発しているジェット戦闘機だった。
 ハインケルが持つジェット戦闘機に関する資料、それを手に入れることが目的だった。史実ではこの戦闘機は一九三九年八月二七日に完成している。
 さて、ここで疑問に思ったのではないだろうか?何故、戦本は一九三九年に開発される機体の資料を、三年も前に手に入れようとしていたのだろうか?
 答えは簡単である。ジェットエンジン開発の契機が欲しかったのだ。彼らにはターボジェットエンジン装備の戦闘機や攻撃機があるが、それらを整備するためにも日本にジェットエンジンの生産能力を欲していた。それに、如何に馬渕といっても、初期型ジェットエンジンの設計図などは持っていなかった。そして、何事をはじめるにも、端緒というものがある。そしてそれは全く最新の技術においては、指標のある無しが明暗を分ける事は間違い無い。日本は、ハインケルが持った『指標』を欲していたのである。また、他にも欲しているものがあった。例えばFw200コンドル哨戒・爆撃機(この当時は旅客機)に使用されている航空機のプレハブ工法とも言える方法、第二次大戦劈頭、ベルギーのエバン=エマール要塞を空挺部隊を乗せて奇襲攻撃したDFS230グライダー、ドルニエ・ワール(鯨)シリーズ飛行艇など、挙げればきりが無い。それらの技術を日本に持ち帰る事で、太平洋戦線劈頭における、長期持久戦にも耐えられる体制を早期確立する事が目的だった。

「日本軍代表、馬渕中将閣下でありますか?」

「そうだ」

 いきなりの声に、馬渕は柔らかく応対した。コートをかき寄せ、パイプを取り出して火をつけようとしていた。振り向いた彼の目に飛び込んできたのはドイツ空軍大尉、それも、馬渕も写真で御目にかかった事もあるほどの有名人だった。口元に笑みを浮かべる。応対した空軍大尉はその馬渕の笑みを、東洋人特有のアルカイック・スマイルとでも思ったのだろうか、ぎこちなく笑った。どうも、こういった役は苦手であるらしい。

「大尉、君と会えて嬉しい」

「は……?自分とでありますか?」

「ああそうだ。アドルフ=ガーラント空軍大尉」

 空港のロビーへと向った馬渕は、ガーランドに一人の大佐を紹介された。今回の馬渕のオブザーバー役を務めるらしい。馬渕は内心で嘆息する。おいおい、ドイツ空軍はこんなにも良くしてくれるのか?何か思惑があるわけじゃあるまいな。
 馬渕、いや、日本軍の軍人がこのようにドイツ空軍の将校に良くされる理由は、彼等が開発し、そしてその技術を供与した『落下増槽』に関する技術のためだった。奇異に思われるかもしれないが、ドイツ空軍は『落下増槽』を持っていなかったのである!(日本軍のみが開戦直後保有。その後、戦訓から連合国でも開発された)もちろんこの技術供与を行なったのは戦本であり、それは特にドイツ空軍の戦闘機乗りに大きな影響を与えた。ドイツ空軍の最新鋭戦闘機Bf109は、高性能で防御力・攻撃力が強いが故に、航続距離の面で劣っていたのである。これが、『落下増槽』の採用によって大きく変った。Bf109は平均で航続能力が400kmほども向上し、十分な戦闘を余裕を持って行なえるようになったのだ。馬渕が優遇されて当然と言えるだろう。

「これからいかがなさいますか?」

「出来うるならば、空軍を少し視察したい。世界に名にしおう、ドイツ空軍を見てみたいのだ」

「ヤー、そういうと思っていました」

 空港の前にはハイヤーが既に用意されていた。馬渕は空軍大佐と後部座席に座り、ガーランドが助手席に座った。

「ドイツ空軍の『状況』はどうなのかね?いや、答えられる範囲でいい」

 馬渕は開口一番、核心を突く質問を行なった。この二人の男ならば、という思いがあったのかもしれない。

「それは、なにをさしておられるのですかな?」

「既に我が国はスペインの兄弟喧嘩についての意見を確立した、ということだ」

 空軍大佐とガーランドが向かい合った。運転手はなにも聞こえていない振りをしている。察するに、この男もドイツ空軍の関係者なのだろう。

「中将閣下……」

「聞き流してくれていい。我が日本は、スペイン正統政府に対し、多数の武器輸出の用意がある」

 二人はその直後、絶句した。日本がこれから行なおうとしている事が、一体何を指すのかに気がついたのだった。

「中将閣下、それでは」

 空軍大佐は説明し始めた。 

「4500名、爆撃機大隊、戦闘機大隊、偵察中隊、装甲大隊」

「ありがとう」

 馬渕はパイプを取りだし、口にくわえた。マッチで火をつけ、紫煙を吸いこんだ。

「九六式陸攻、九六艦戦、八九式戦車、九五式戦車、九七式司偵」

「ありがとうございます」

 空軍大佐はゲルベゾルテを取り出した。口にくわえ、火を探す。馬渕はマッチを取り出し、勧めた。大佐はそれを会釈して受け取り、火をつけた。

「閣下、今日は良い日ですな。東洋の友人が来れば、赤い小熊など」

「大佐、いや、男爵。そういえば君も赤かったのではないかね?」

 ガーランドの口が開いた。馬渕はこのジョークが通じるかと一瞬顔を顰めた。しかし、当の空軍大佐は腹を抱えて笑っていた。

「上手いジョークですな、閣下」

「ありがとう。通じるとは思わなかったのだが、ウォルフラム=フライヘア=フォン=リヒトホーフェン空軍大佐。いや、二代目『赤い男爵』」




 1936年11月21日
 大日本帝國 帝都東京
 市ヶ谷 統合戦略指揮本部

「駄目です。この戦車案は認められません」

 佐藤純海軍少将は提出された書類を机の上に放り出した。既にそこには技術本部から提出された、九七式中戦車に関しての案が三つ並べられていた。

「発展が見られない」

「それはどう言う意味でしょうか?」

 戦本陸軍課技術科長の原乙未夫少将が言った。陸軍における戦車開発の雄であり、日本における戦車開発の創始者でもある。

「既にクリスティー式懸架装置を採用し、この戦車は格段に機動力をアップさせています」

「問題は採用する戦車砲だ」

 佐藤は言った。

「九七式57mm砲。初速は知っていますか?こんなものでは、ソ連の戦車は貫けない」

 そう言うと佐藤はソ連が現在使用している、そしてこれから採用するBT-7、T-34/76戦車のカタログ・データを取り出した。

「これは……長砲身42mm、75mm!?」

「そうです」

 佐藤は九七式の戦車案を取り出した。

「これでは、とても………」

「とても、太刀打ちできない」

 原は頷いた。

「しかし、国防省陸軍部の要求事案では……、一五トンの車体と!」

「発想を変えれば良いのでは?」

「発想を……変える?」

 佐藤は設計図案を撫でた。

「この戦車を強化するとして、何処が重量問題ではネックです?」

「砲塔と装甲ですね」

 原は言った。佐藤も頷く。

「そしてクレーンの限界は一五トン。既に実用化されている戦車回収車のクレーンは五トン」

「はい」

「ならば、砲塔と装甲を別に輸送すれば良いことになるのでは?」

「へっ!?」

 佐藤は笑った。

「クレーンに関しては、第二次日本改造計画で変更される。四〇トンクレーンが標準となり、これで戦車は四〇トンまでになる。しかし、問題は今。ならば、砲塔、もしくは装甲を別に輸送し、戦場で取りつければ良い、というのはどうでしょう?」

「なるほど!」

 佐藤が言ったのは十式戦車でも使用されている装甲のモジュール化だった。つまり、砲塔と装甲を別に作ってしまうと言う方法だった。確かに、この方法ならば一五トンクレーンでも可能だ。

「砲塔の装甲を無視できるとするならば大きい」

「これはドイツ軍が採用している方法だが……対戦車砲は高角砲を持ってする。ちょうど、海軍は改装で大正まで使っていた八八年式四〇口径75mmがあまっているからそれを使い……」

 この談義が元になり、九七式中戦車は二五トン、75mm砲装備の戦車として完成した。そして先行量産の名の下、独立戦車連隊二個に配備され、それらの連隊は関東軍満蒙国境に『試験配備』される事となった。関東軍はこれより陸軍新型装備の実験を行なう軍へと変化して行く事となる。これは大陸を重視する思考からいまだ抜け出せない陸軍の支持をも受けることとなった。もちろん、戦本はソ連との国境紛争、特にノモンハン事変を重視していた。
 ちなみに、既にドイツ大使館滞在のフランクフルト・ツァイツンク紙記者リヒャルト=ゾルゲ、朝日新聞社記者、近衛文麿私設顧問の尾崎秀美に戦本諜報部部員が張り付いている。もちろん、彼等がコミンテルンのスパイに他ならないからである。




 11月25日
 ドイツ第三帝国 ベルリン
 国会議事堂

「ここに、我等ドイツ第三帝国と大日本帝国との間に、共産主義の嵐から互いの身を守るため、神聖なる約定が取り交わされた!」

 ちょび髭の小男、アドルフ・ヒトラー第三帝国総統兼宰相はそう叫んだ。馬渕は今、自分がはじめて歴史的場面に、厭、本当の歴史的人物に会っている事を実感していた。
 何と言う威圧感。何と言う迫力か。目の前にいるのはただのちょび髭の小男に過ぎないはず、だった。しかし、そこから受ける迫力は並大抵のものではない。第一次世界大戦では、何時か必ず死ぬ兵種、と呼ばれる伝令兵に自ら志願し、砲煙弾雨のなかを駆けずり回り、一人で小隊規模の部隊を捕虜とし、一級鉄十字章を下士官であるにもかかわらず授与された男がそこには居た。
 馬渕は目をそらした。なるほど、この男なら、何をやっても不思議じゃない。ドイツの復興も、ユダヤ人の虐殺も。調印祝賀式典は滞りなく終了を向えようとしていた。そのときである。一人の陸軍少佐が彼のほうに歩み寄った。隙のないプロイセン式の敬礼を行う。

「馬渕海軍中将閣下でありますか?」

「貴官は?」

「ヤー。私は国防軍総統付き副官、アントン・フォン=タンネンベルク少佐であります」

「案内してくれ」

 馬渕は国防軍の少佐、タンネンベルグと共に国会議事堂を出た。既に式典は終わり、参列者が国会議事堂から続々と出る。その中をハイヤーに乗った馬渕は、前を装甲車、横と後ろをオートバイに固められながら、総統官邸へといざなわれて行った。まるで連行だ、と思いつつ、馬渕はパイプを吸い始めた。
 馬渕達の隊列は総統官邸の門前へと停車した。周囲は黒い制服を着用した武装親衛隊の隊員たちが固めている。親衛隊長官、ハインリヒ=ヒムラーの騎士達。黒服の聖堂騎士達に囲まれながら、馬渕とタンネンベルグ少佐は総統官邸の回廊を歩いていた。曲がり角、窓の脇ごとに黒服が立っているという光景は、どう見ても気持ちのいいものではない。馬渕は嫌そうに眉を歪めた。あくまで表情には出ないようにしている。

「総統閣下!日本帝国海軍中将、馬渕閣下を御連れ致しました!」

「はいれ」

 静かな声だった。威厳はない。しかし、聞くものに畏怖と圧力を感じさせる声。馬渕は自分がこの声の『魔力』を無視できるとわかり、内心で安堵のため息をついた。
 なるほど、ドイツ軍人達が書き残した、ヒトラーの声の魔力とはこの様なものだったのか。馬渕は今、自分が実際にその声の魔力に曝されている事を確認した。まさか、こんな事になろうとは思いもしなかったな。

「我が東洋の同盟国からいらした馬渕海軍中将、貴方に会えて嬉しい。ああ、私の名前は知っているね?」

 ちょび髭の小男は眼に面白がるような笑みを浮かべていった。

「ええ、アドルフ・ヒトラー閣下。私も閣下に会えた事を欣快に思っております」

 ヒトラーは馬渕を総統執務室の隣にある地図室へと導いた。そこの机には大判の欧州の地図が広げられている。

「スペイン内戦の状況については御存知か?」

「ええ、混沌としている事については存じております」

「我々は、スペインを共産主義者の手に渡してはならない」

「それはこちらとしても同じ事です。中国において我々も共産主義と戦っていますから」

 ヒトラーは頷いた。地図の色がライトによって変る。部屋に暗幕がかけられ、スペインは北部とモロッコ、そして中央部とカタロニア地方に色分けされた。

「既にフランコ将軍の軍を、我々は対岸のカディスへと輸送した。これについては知っているね。それではその後は?」

「その後の攻勢は頓挫し、現在両軍共に物資弾薬、そして装備の集積を行っているようですな」

「確かに。安心した。やはりタンネンベルグ少佐の言は正しかったようだね。我々はエブロ河の源流に近いレオンと言う地方に現在、コンドル軍団を展開中だ。概要についてはリヒトホーフェンから聞いているかね?」

「ええ、それも確かに」

「ついては、日本義勇軍には、この南部カディスからの攻撃をになって欲しい」

「閣下、我々は武器の供与は決定しましたが、軍の派遣については如何とも」

 ヒトラーはタンネンベルグに言った。扉が開き、駐独大使の大島中将と陸軍第101軍司令官の山下奉文少将が入室する。陸軍第101軍とは、新開発された装備の実験部隊として設立された部隊で、その規模は一個師団に幾つかの独立大隊が付属した編成になっている。

「山下少将に大島大使……」

「申し訳ありません、閣下。状況が変りました」

 山下は巨体を少し申し訳なさそうにちぢこめさせた。

「戦本の佐藤少将からの電文です。今朝、大使館の方に届きました」

 馬渕はそれを奪い取るように取った。すぐに文面に目を走らせる。

「何という事だ……」

 電文には、ソ連の派遣した『義勇軍』が史実よりも強化されている事。そして、それを指揮する将軍達が全て、第一級の人材で編成されている事を示していた。確かにこれは日本が義勇軍を派遣する必要があった。スペインの共産化は、欧州で起こるだろう戦争において、必ずやこちらに不利になる方向に働くだろうからだ。

「わかった」

「それでは……『大将閣下』」

「大将?」

「ええ、そうです」

 山下と大島は笑った。馬渕には、山下の方が笑いに何か影を含んでいる事に気がついた。

「二・二六事件の判決、刑の執行と共に、鎮圧に功績のあった戦本の指揮官全てに、特進が陛下から申し渡されました。これはもちろん閣下達が固辞する事も考えて、陛下により、固辞しても特進を行なう、という強い御指示がありました。これにより戦本長官の山本二十一大将閣下は海軍大将・元帥に。閣下は大将へと昇進が命令されました。また、佐藤少将も中将に昇進だそうです」

 馬渕はため息を吐いた。普通ならば昇進も嬉しいが、その昇進の引き金が同朋の血によるものとは。いや、陛下がこれを強く御決断なされたと言う事は、我々が帝國軍の範とならねばならない、と言う事なのだろう。ならば、私はそれを為さねばならない。そういうことになる。

「了解した」

 馬渕は息を吸いこんだ。

「まず、派遣される部隊は?」

「我が第101軍が。一応九七式を持ってゆきます。航空機の方は九七式戦、九六式陸攻を。新型機の投入も考えましたが、技術的にこなれていないものに遠出をさせるのは……」

「妥当だな」

 馬渕はヒトラーの方を向いた。

「閣下、我等日本帝國軍、スペインの共産化を必ずや防ぐでしょう」

「君等のような東洋の友人と手を携える事ができ、私としても嬉しい限りだ」



 総統官邸から辞去し、宿舎とされている大使館に向うハイヤーの中で、馬渕はやはりと言う思いを抱いていた。

(やはり、歴史は変りつつある。ジューコフにティモシェンコ、ヴァシレフスキー、コーネフにロトミストロフか、まさか、独ソ戦の名将が揃いも揃って参加しているとは……)
 しかし、とも思う。ここで我が日本軍の強さを敵に見せると、後で困った事になりはしないか。
(……ソ連との戦いに集中すれば良いな。出来るだけ、国際旅団やジャーナリスト達と接触しないようにしなければ……。それにはスペイン内戦の流れを早急に研究する必要性がある)
2008年02月08日(金) 23:56:23 Modified by prussia




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