GD1942 〜1936年

1936年8月 国家情報局 - ベルリン本部
その日、ヴァルター・シェレンベルク国家情報局補佐官は、
陸軍と空軍の司令部からまわされてきた書類 - スペインへ送られる義勇軍の編成表 - を面白くなさそうに見ていた。
実働段階に入った時点で、情報局の仕事は大半が完了しているからだ。
その書類は、国家戦略諮問機関(世間での通称は「総統本営」だが、実態は全く異なる)の会議で、既に見たものだったからだ。
そうではあるが、何か詳細に変化が無いか?と念のため目を通すしかない。
それで無くとも普段から彼にはストレスがたまっていた。
そもそも、国家情報局補佐官という立場がいけなかった。
だが、あの会議室での決意は今でも思い出せる。いや、今もその決意に変化はない。


始まりは親衛隊への入隊だった。
1933年5月、彼がNSDAPの親衛隊に入隊すると、妙に好意的なラインハルト・ハイドリヒが待ち構えていたのだ。
彼は入隊以前から目をつけられていたのだ。(基本的には良い意味で、だったが。)
親衛隊の空気になじむ間もなくハイドリヒと共に親衛隊を離脱させられると、すぐに国家情報局に入局させられた。
1年間、国家情報局で諜報・防諜の任務を行ったが、時折不気味なほど正確で機密度の高い情報に触れることがあった。
それらの情報は、国家戦略諮問機関から流れてきており、
「諮問機関内には独自の諜報網が用意されているのか?」
「そもそも、俺がこれほどの機密情報へのアクセスが許可されているのはなぜなんだ?」
というある種の不安と好奇心を抱かせた。
1934年1月26日にドイツ・ポーランドが不可侵条約締結すると、イギリスとソビエトが主な工作対象となった。
彼は不安に抵抗しながら職務を遂行し続けた。
1934年8月、ヒトラーが総統となった時に初めて国家戦略諮問機関へ招かれ、全てが氷解した。

諮問機関は、陸軍の兵士によって建物の周囲を固められ、屋内はそのころ100名程にまで削減され、
ヒトラーの演説以外では殆どお目にかからなくなった親衛隊員によって警備されていた。
2回の身分照会と3重の防音ドアをくぐり、"掃除"された会議室に通されると、
そこには
 軍需大臣 フリッツ・トート
 軍需大臣補佐官 アルベルト・シュペーア
 国防大臣 ヴェルナー・フォン・ブロンベルク
 国家情報局長官 カール・ハンケ
 国家情報局国内課課長 ラインハルト・ハイドリヒ
 国家情報局国外課課長 ヴィルヘルム・カナリス
 外務大臣 アルフレート・ローゼンベルク
と、各省庁の補佐官らというそうそうたるメンバーが集まっていた。

軍部からは実務級の人間として、
 陸軍総司令官 ヴェルナー・フォン・フリッチュ
 東部方面軍司令官 ゲルト・フォン・ルントシュテット
 海軍総司令官 エーリヒ・レーダー
 航空艦隊司令 カール・デーニッツ
 空軍総司令官 ヴァルター・ヴェーファー
 戦術航空軍司令 アルベルト・ケッセルリング
 戦略航空軍司令 エルンスト・ウーデット
らと、軍人とは思えない事務員のような雰囲気の3人の男 -後で分かったことだが国防軍兵站司令部の連中だった- が席についていた。

そして、議長にあたる席にはアドルフ・ヒトラーその人が居た。
演説で見る彼は、依然同様にエネルギッシュだったが、この場ではひどく落ち込んでいるような様子だった。
「国家情報局所属ヴァルター・シェレンベルク書記官であります。」
ヒトラーが切り出した。
「君がシェレンベルク君か。」
「はい、総統。」
その眼光は鋭く、冷めていた。
(以前のような熱気はなくないが、落ち込んでいるというわけではないのだな。
 むしろ、以前より理知的な雰囲気が備わったと言うべきか。)
彼は瞬時にそう判断した。
ヒトラーは、うむ。と目線を落とすと、手元の書類に目を走らせながら話し出した。
「我々は…我々と言うのは、NSDAPで私に従う事を選んでいたグループの事だが、1930年にある重大情報を入手した。
 以来、この情報についての調査・分析・研究に打ち込んできた。」
(1930年からこれまでというと、まだ大統領の候補と目されるだけだったルーズベルトをヒトラーが表敬訪問したり、
 ヒトラーの対ユダヤ政策に関しての演説が徐々に少なくなった頃だな。
 ナチズムのバイブルと言われていた『我が闘争』の回収騒ぎと、
 ナチ式敬礼がハイル・ヒトラーからハイル・ドイッチュラントに戻されるなんてこともあったな。)

「我々の目的はドイツの生存だった。ドイツ人の生命と財産、文化、国家としての独立だ。
 政権獲得に前後してナチス、軍部、経済産業界は密接な連携ととりつつ景気のテコ入れを行い、証券界に極秘裏に情報を提供しつづけた。」
シェレンベルクの頭が高速で回転し始める。
(ドイツの生存?ヴェルサイユ体制と賠償、絶望的なほどの不況を打破することか?
 確かに、昨年の首相就任と同時に国家戦略諮問機関が設立され、
 大胆な経済再建策とドイツ証券界の証券取引で、ドイツの経済は好転を始めた。
 オペル社がドイツ政府からの援助(軍用トラックの大量指名発注)を受けたのも1931年だったはずだ。
 しかし、ヴェルサイユ体制だけでドイツが消滅するなんてことは考えられない。)
シェレンベルクはヒトラーが何を言い出そうとしているのか、必死に推測しようとしたがまだ何かを判断するには至らない。

「そして再軍備と、新技術を研究する戦略技術研究機関を諮問機関の直属として設けた。
 これは、ペーネミュンデ研究所とカイザー・ヴィルヘルムB(ベー)研究所からなるもので、
 産業と軍事に利用できる先端技術を研究する組織だ。」
「閣下の総統就任と同時に発表されたヴェルサイユ条約の破棄と、
 来年以降予定されている国防軍の拡張整備計画ですね。B(ベー)研究所の方は存じませんでしたが…」
目が合った。
「今まで君にはアクセス権が無かったからな。
 さらに、ドイツ=NSDAP=反ユダヤ全体主義=暴力というイメージを払拭し、アメリカとの関係構築に努めた。」
(6月30日の「長いナイフの夜」の事か。
 危険な方向へ進もうとした突撃隊や党内の反ヒトラー派を粛清したことで政体が安定したことは確かだな。
 粛清の完了と同時に、SSも縮小されたんだったな。
 「もはや暴力に頼るべきではない。ドイツに住まう者はユダヤ人であろうとドイツ人だ。」っていう演説は直接ラジオで聞いたぞ。
 情報局が得ている情報では、アメリカ国内の反応はかなり好意的だったな。
 それにしても、どうやら俺は昇進するようだな。)
「ユダヤ人に対する方針変更については、自分が知る限り成功であったと判断します。」
そう相槌を打つと、総統の表情が少しやわらかいものになったような気がした。
「そして、先日私は無能者を政治の中央から追いやった。全く心が痛まなかったわけではない。
 これまでの権力支配基盤を支えてくれたものや、軍の再建に尽力する事を誓うものも居たからな。
 だが、感情を挟む余地などないのだ。ドイツを破滅から救うためには。」
(ゲーリング、ミルヒ、ヒムラー、ヘス、ボルマンらが実の無い名誉職へ転任させられた件だな。
 国内の権力基盤が弱くなってでも能力優先で配置すると言うことは…外敵か。英仏とソビエトのどちらかだ。)
「ドイツは再び戦火に巻き込まれるのですか?」
「そうだ。」
(なんということだ!…いや、こちらからの攻勢は考えていないようだ。少なくとも現時点では無謀すぎる。)
「閣下は戦争をお望みで無いのに、なぜそこまで確信を?」
「われわれは未来を知ったのだ。そこから先はハイドリヒに聞きたまえ。」

一旦別室に下がると、遅れてハイドリヒが1冊の本を持って現れた。
「『ナチスドイツの興亡』…この本は?」
「これは私が直接関与した事態ではないことを先に断っておく。
 ああ、時間が惜しいから適当に飛ばして読みながら聞きたまえ。」
「1930年、ライプツィヒに見慣れぬ建物が突然現れた。
 それは"ドイツ図書館ライプツィヒ"なるもので、第1発見者は熱心なナチ党員だったと言われる。
 その人物はもうこの世に居ないそうだから確認は出来ない。」
(ナチスドイツの拡張、オーストリア、チェコを併合…)
「彼は好奇心から"図書館"に入った。館内は電気がついて居ないために薄暗く無人だった。
 そして、そこで大量の書籍を発見した。現在でもその正確な総数は把握されていないが、
 おそらく1000万冊はくだらないだろう。」
(ポーランド侵攻、第2次世界大戦の勃発…不可侵条約を結んだばかりなのに?)
「この書籍は架空小説か何かの類ですか?」
「違う。待ち受ける未来だ。
 ただ単に蔵書数と突然現れたと言うだけの図書館なら我々はすぐに興味を失っただろうが、
 我々が興味を持ったのは書籍の内容だ。"図書館"の蔵書は未来から送られてきた物だった。
 確認されている書籍の内、最も新しい出版日は2010年付けだったよ。」
「…冗談ですか?…これは何かの試験ですか?」
「前者の質問はノー、後者の質問はイエス…といってもまぁ念のためだ。…手と目を休めるな。」
あわてて目線を本に戻し、ペラペラと斜め読みを再開する。
(強制収容所、ユダヤ人の虐殺、フランス占領、バトルオブブリテンの失敗…)
「そして我々は、知りえた未来から権力闘争をしている場合ではないと判断し、まずは軍と手を組んだ。」
(ソ連侵攻と挫折…わざわざ2正面で?軍は反対しなかったのか?)
「ナチス及び総統が後世の歴史に残した罪は計り知れないものだ。 私のやる行為…いや、やるはずだった行為もな。
 だが、ナチス・ヒトラー総統体制でなければ、そもそもドイツはヴェルサイユ体制下で荒廃するしかない。
 また、総統は世界大戦や世界征服など望んではいない。よって、ナチスと総統は存在し続けなければならない。
 総統の神格化は極力避けねばならないが。」
(敗戦、ソ連兵による暴行と略奪、分断…)
「無能な高官は更迭・粛清して有能なテクノクラートを重用し、
 国政・経済・軍事を史実以上に効率化する。史実で反ヒトラー派だったとしてもだ。
 "図書館"によれば、諮問機関のメンバーでも敵対関係にあったり、足を引っ張り合ったりしていたようだ。
 しかしそんな余裕はドイツには無いことがわかった。それが我々共通の決意だ。」
(東ドイツの受難、統一…)
「総統は1950年までに総統を辞任する。パーキンソン病の発症もあるしな。
 冷戦の結果、崩壊したソ連の二の舞を避ける為にも、
 総統の辞任後は議会を再召集し、首相を廃止した直接大統領制を敷く予定だ。…生き残れればだが。
 そのまましばらく読んでいたまえ。あと、もう1冊こっちもな。」
「『東部戦線 1941〜1945』…これらが本物だと信用するに値する根拠はなんですか?」
「主に気象データだ。ドイツ各地の天候、気温や湿度は"図書館"から見つかったデータと合致し、今も的中し続けている。
 それにヒンデンブルク大統領の病死もだ。少なくとも我々は大統領の死にはかかわっていない。
 2時間後に呼びに来るから、それまでに目を通しておけ。」
「…はい。」

2時間後、親衛隊員に連れられて、再び防諜会議室に入る。

机の上には大量の書類が散乱していた。
「読んだかね?シェレンベルク君。」
「はい」
「信じるかね?」
「はい、総統。」
「ソビエトには侵略の意図があると思うか?」
「十分にあると思います。赤軍の体制が整うのと、ドイツが隙を見せるのを待っているだけでしょう。」
「ソビエトが侵略してくるとすれば、時期はいつ頃だと思う?」
「自信はありませんが…独ソ開戦までの赤軍の軍備計画を見るに、42年の夏が有力だと思います。」
「うむ。では、ソビエトに対抗するためにはどうすればよい?」
「難しい問題です。
 が、まずは外交ですね…アメリカを味方にするか最低でも中立にさせなければ、開戦から3年目以降は劣勢にならざるを得ないでしょう。
 その為には反ユダヤ的な政策は今後も控えるべきです。」
会議の列席者からは満足げな表情が伺える。
「…合格だ。君を今日から諮問機関の一員とする。同時に国家情報局補佐官へ昇進する。」

ヒトラーだけは少し悲しそうな顔をしていたが、
それが何故なのか、シェレンベルクには理解できなかった。
(誘いを断ったらどうなるのか、は考えない事にした。)

その日、諮問機関は燃料の備蓄と、石炭原料の合成石油施設の建設、
広軌用機関車・貨車の生産施設の建設を行うべきだと言う結論に達した。
ヒトラーはその場で承認した。
翌年、イタリアがエチオピアに侵攻した。

今のシェレンベルクは"図書館"の蔵書から重要な書籍だけを選択し、
不利益な情報(ヒトラーとナチスドイツの行く末が主だった)を削除した上で、
民間企業や一般軍人にリークする作業に追われている。
そして資料に触れるにつれ、自分がハイドリヒとカナリスの緩衝材として期待されている事を理解した。


現在、彼のストレスはそういった事から生じていた。
リストの中で、ある装甲戦闘車両の項目が目に留まる。
(ん?この装甲車両は何だ?送る数も10台に満たない。
 送られるのはルクスとヘッツァーだけだと思っていたが…)
部下を呼んで確認させるとすぐに回答が得られた。
対ソ戦初期の主力となる戦車の試作型だということだった。陸空軍はスペインで新兵器のテストをするつもりのようだ。
その装甲戦闘車両の名目にはパンター戦車と記載されていた。
2007年02月26日(月) 07:41:18 Modified by ID:1H4dmfbzzw




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