朝日放送のネットチェンジ

テレビの腸捻転ネット
1959年6月1日朝日放送は大阪テレビ放送を合併。中波・テレビジョン兼営となる。
8月1日テレビニュースのネットワークとしてKRTをキー局とするJNNに加盟。
1960年2月1日KRT・CBC・RKBと「四社連盟」を発足。
3月1日HBCも加わり「五社連盟」に。以降、ABCテレビの主要時間帯はすべてKRT系の番組となった。(1966年から1967年にTBSテレビ系で放映されたウルトラマンの第27話では、朝日放送本社構内の大阪タワーが登場する。)
1963年1月朝日新聞の役員会で、日本教育テレビ(NET。現・テレビ朝日)をキー局とした全国朝日新聞系テレビネットワークの構築が決定。
1964年1月朝日新聞の広岡知男代表取締役が朝日放送を訪れ、キー局をNETに切り替えるよう要請。しかし、朝日放送側は反対理由(下記)を挙げて拒絶。NETは教育専門局に過ぎず、一般局より営業面で不利である NETは朝日新聞の他に日本経済新聞の資本が入っており、TBSもまた毎日新聞や読売新聞の他に朝日新聞の資本も入っているので、この資本構成のままではネット変更の理由にならない。NETの経営状態が悪いので、まず同社の再建が先決である。朝日放送と毎日放送との間の営業成績にも格差がある。(これはNETをキー局とすれば、必ず営業成績が落ちる事を意味する。) KBCテレビはフジテレビとの、名古屋テレビは日本テレビとのそれぞれクロスネットである。テレビネットワークは最低「東名阪九」が完全に繋がらないと商売にならない。「NETニュース」は朝日テレビニュース社が製作する外注番組であるが、テレビニュースはJNNの様にテレビ局が主体的に製作すべき物である。従って外注を止めて欲しい。
1974年4月25日朝日新聞の広岡は、先に朝日放送が挙げた反対理由の内、毎日放送の業績以外の項目を悉く潰し、正式にテレビネットワークをNETのANN系列に切り替えるよう要請。
11月18日この動きを察知したTBSの諏訪博社長が朝日放送に対しテレビネットワークの打ち切りを通告。ネットチェンジが決定。
1975年3月31日ネットチェンジが行われ、テレビネットワークは現在に至る。(TBS系列時代のニュースは排他協定の影響もあり、自主製作の「JNN全国ニュース」を放送。朝日新聞製作のテレビニュースは僅かに夕方の3社ニュース枠での朝日新聞ニュース(NETの裏送り)が放送された程度で、肝心の「NETニュース」はABCでは放送されず、しかもそれを毎日放送が「MBSニュース」と題名を差し替えて放送していた。)
2005年09月25日(日) 00:47:42 Modified by taroteacher




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