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◆9VH6xuHQDo







 駅の構内から出ると、櫛枝実乃梨は軽い目眩を感じ、瞳を閉じる。
 それは不意に飛び込んできた太陽の光と、一時間後に迫った決戦に、実乃梨の肉体
が過度にナーバスになった為なのかもしれない。
 この駅から試合が行われるグラウンドまでは徒歩五分。そのグラウンドで大型連休
初日の今日から二日間、関東高等学校女子ソフトボール大会予選会、通称、春季大会
が開催される。

「うおおっ、燃え上がれ、俺の小宇宙(コスモ)……」
 たかぶる鼓動と、はやる気持ちに、覚醒するセブンセンシズ。その鋭敏な嗅覚は、
いやに温かく、しかし絶え間なく吹き続ける南風の中に、数キロ先のグラウンドの土
の上に転がる、まっ白いボールの匂いを、ハッキリと感じ取る事ができるのだった。

 再び瞳を開き、実乃梨は天空を見上げる。試合当日の朝は、天高く突き抜けるよう
な青空が広がり、文句なしの快晴。視界を天空から正面に戻し、見渡した大型連休初
日の駅前広場は、人通りも疎らで、実乃梨にはなんとなくそれが、これから始まる、
熱戦前の静けさを暗示しているように思えてしまうのだった。

「さあっ櫛枝! 今日は私たちにとって初の公式戦よね? 胸を借りるつもりで、も
 っと力抜いて気楽にやりましょ?」

 ポンッ、と左肩を叩かれ、鼓膜を揺らすハスキーボイスに振り返ると、漆黒の髪を
ベリーショートにしたキャチャー、奥菜里恵が小麦色に日焼けした凛々しい顔に、ニ
ッコリ白い歯を光らせ、実乃梨の隣に並んできた。
 少し斜め上にある、背の高い里恵の爽やか過ぎる笑顔に、実乃梨も自然と硬直して
いた口角が緩んでくる。
「そうだねオッキーナ。ちょっち気合入れ過ぎたわ。……っふー! リラックス、リ
 ラーックス!」
 と、実乃梨は肩をぐるんと一回転させ、首をコキコキと鳴らす。それを見て里恵は
安心したように目を細め、実乃梨にウインクしてくれるのだが、里恵の背後から、蚊
の鳴くような、か細い声をキャッチした。
「リラックス……そっ、そうですよね……そうなんでしょうけど……春季大会はノッ
 クアウト方式のトーナメント制ですし……私は、どうしても緊張してしまいますう
 うっ!」
 小柄な身体と、可憐に結んだポニーテールを揺らして、ライトのメガネっ娘、栗野
ちはやが、わかりやすく緊張しまくっているのだった。そんな小動物のようなちはや
に実乃梨と里恵は一瞬、互いの顔を見合わせ、思わず微笑みを交わす。そして里恵は、
ちはやの前にしゃがみ込み、自分のバッグに手をやる。
「栗野、ガムあるよ? 一枚食べたら?」
 すっと差し出されたガムを、ちはやは白い指先で一枚抜き取る。
「ありがとうございます、奥菜さん。頂きます」
 小さなピンク色の唇にガムを挿んだちはや。実乃梨も里恵に差し出されたガムを、
手刀を切りながら一枚貰った。そこへ、
「あたしにもガムくれ。二枚」
 強い陽射しで影になっている駅の構内から、サラサラなロングヘアーを纏うエー
ス、木ノ下達代が大股で闊歩してきた。達代は、腰まである翠色に煌く髪を耳まで
掻き上げながら、里枝から受け取ったガムを、大きく開けた口へ放り込んだ。 
「んー、うめ……つか栗野、情けねえ事言ってんじゃねえよ。自信持て、自信。今
 までお前は、誰よりも練習頑張って来たじゃねえか。だいたい、あたしが投げる
 んだから、不沈艦にでも乗った気分になれっての!」
 バンッ! と達代は、ちはやの背中に太鼓判を押す。そんなエナメルのスポーツ
バッグを斜め掛けにして、形のよいバストを無自覚に主張する逹代は、分厚いM字
の前髪の下、影になっている両眼を爛々と輝かせていた。



「だ、ね! タッちゃん期待してるぜぃ! 私も四番バッターに抜擢してもらった
 からには、MK砲ガンガン撃ちまくって、タッちゃんの援護射撃すっからよっ!
 ちなみに解説するとMK砲ってのは松井・清原ではなく俺のイニシャルだ!」
 そう言い放ち、実乃梨は逹代にサムズアップして、貰ったガムを噛み締める。す
ると達代は実乃梨の突き上げた親指をむんずと掴み、キスでもするくらいの勢いで
顔を寄せて来た。
「あたしも期待してるぜ実乃梨。もし三振なんかしやがったら、もうお前のことを
 四番と呼ばん……おっと駄洒落じゃねえからな。勘違いすんなよ」
 そんな至近距離でおどける逹代を実乃梨は「はいはい」と振り払い、
「さ、て、とっ! タッちゃんがスベった所で、皆の衆、行くっぺや! 張り切っ
 て行こー!」
「ちょ、待て実乃梨、ふざけんなよ! あたしスベってねえだろ! 訂正しろ!」
「はっはー、やなこった! つかタッちゃんグラウンドまでランニングだ! 奔る
 よ!」 
 降り注ぐ日射しを貫くように、太陽に向けてコブシを突き上げ、実乃梨は奔り出
した。実乃梨のショートボブの髪を爽快にすり抜ける風。流れる視界。溶けていく
街並。実乃梨の心臓が飛び跳ねるのは奔っているから……だけではない。

「櫛枝ちょっと待ってっ! 栗野が遅れてるよ!」

 ……楽しい。彼女たちは私に元気をくれる。私はどんどん無敵になっていく。
「はあ、櫛枝様っ、大丈夫ですっ。んああっ、でもちょっとゆっくりぃ!」

 ……嬉しい。彼女たちと出逢えた事で、私の『夢』が『現実』になっていく。
「実乃梨! ペース速えーな! ハイエナじゃねえんだからよ! ……おっと駄洒
 落じゃねえ……って、実乃梨待てって、マジ速えーよ!」

 ……愛しい。奔る私に追いついた両脇の三人の瑞々しい素敵な笑顔。きっと彼女
たちが今までで……否、これからもひっくるめて私的にベストメンバー……私達の
スポーツバッグの中の荷物がガシャガシャ音を立てる。
「すえ〜ご〜ずえ〜! どぅら! うぉぃっ!」」

 ……いつもの掛け声が、突っ切る駅前広場に響き渡る。今日は栄光への第一歩。
大地を蹴りとばす私の双脚に、無限のパワーが宿る。肩を並べて奔る彼女たちも、
己の肉体に漲る未曾有の力を感じているであろう……間違いない。

 そう。実乃梨の覚醒したセブンセンシズは、そんな事も判ってしまうのだ。

 ***

「瞬着! 覚悟完了ーっ!!」
「また謎のワードを……お前の台詞はマニアック過ぎてわかんねえんだよっ!」
 ……てな感じで、慌しくグラウンドに到着した実乃梨たちは、集合場所の一塁側の
ゲートに辿り着く。
 球場構内のロビーは見渡す限り人、人、人。それもそのはず、この地区の出場校は
二十四校。実乃梨たち、大橋高校同様、メンバーがギリギリの九人だったとしても、
ここにいるの選手は総勢二百十六名。さらに当然女子ばかりなので、やたらと賑やか
で、華やかで、周囲はすっごいオンナ臭い。

「おはよう新入部員カルテット! じゃあこれで全員だね。みんな時間通りじゃん!
 優秀優秀!」
 そんな臭気漂う構内で、実乃梨たち四人を見つけるなり、陽気な顔をひけらかせ、
軽く手をかざすのは女子ソフト部部長。サードを守る彼女はステレオタイプの熱血漢
で、良い意味でわかりやすい性格である。隣には、彼氏……と思われる男子ソフト部
部長も、ぶんぶん残像ができるくらいに首を縦に振っていた。なんでもソフト部は、
部活内恋愛禁止であり、細マッチョな男子部長との交際を女子部長は頑なに否定をし
続けているのだが、ぶっちゃけバレバレでもういいじゃん的な空気になっているのだ
が、カミングアウトするタイミングを逃して現在に至る……と、実乃梨は他の先輩か
ら聞いていた。
 その口の軽い噂好きの先輩を含め、他の先輩たちは実乃梨たちより早く、顔を揃え
ていた。



「おはようございます部長ー! 新入部員の分際で一番遅くなって、すいませんでし
 た! ここはひとつ謝罪を兼ねて、私の剛力で、全員分の荷物、ベンチに運びます
 わ!」
 大橋高校の初戦は開会式直後の第一試合ということもあり、取り急ぎ実乃梨は、試
合が行なわれるベンチに全員分のバッグを置きにいこうと志願する。
「ああ櫛枝、私も運ぶよ。バッグ貸して」
 里恵が素早く、バッグを集めようと手を差し伸べるのだが、実乃梨は首を横に振る。
「オッキーナ平気平気! これくれえ、準備体操がわりに私にやらしてちょんまげ!」
 と言うなり実乃梨はしゃがみ込んで、両脇に九人分の荷物を抱え込んだ。
「ん? む? どっ、どおおりゃああああっっ!」
 重量挙げよろしく、実乃梨は太ももの筋肉を奮い立たさせ、なんとか胸元まで持ち
上げるのだが……そりゃあもう、思いっきり重い。
「とぉわあっ! どわあっ! やべえ、落ちるうううっ!! ……って、あれ?」
 実乃梨がフラついて、バッグを地面に落としそうになったその時、落下するバッグ
を受け取める、筋肉質な男子の腕が伸びてきた。
「おはよう櫛枝! 朝からパワー全開で、すこぶる元気だな! しかし九人分の荷物
 を一人で運ぶというのは、いくらなんでも無謀極まりないぞ! どれ、俺も手伝お
 うじゃないか!」
 キラリ☆と、トレードマークの銀縁眼鏡を光らせ、軽々と複数のバッグを担ぎ上
げ、実乃梨をナイスアシストするは、大橋高校男子ソフトボール部、北村祐作。
 北村は優等生な顔つきと裏腹、意外にガッシリした体型で、隆起した北村の上腕筋
に、思わず実乃梨の眼が止まる。

「WOW! どこの親切さんかと思ったら、北村くんではあーりませんかっ! おっ
 はー! そんでもってサンキュー! いやー、かたじけのうござる。そんじゃまあ、
 北村くんっ。お言葉に甘えて手伝ってもらおっかな。ベンチは、すぐそこだからよ。
 一緒に運んでおくれやす」 
 実乃梨も負けじとビルドアップした、しなやかな剛腕に血管を浮かべ、荷物を胸ま
で抱え上げ、揚々と歩き出す。本当は全然平気なんかじゃなかったけど、ベンチまで
の距離は数メートル。その間実乃梨は北村と肩を並べ、プルッた腕を悟られないよう
に、ポーカーフェイスを保ちつつ、北村と会話を続けた。

「でも北村くんたち、男子の試合は明日からだよねえ? わざわざ応援に来てくれる
 なんて、嬉しいじゃねえのよ?」
 素直に喜ぶ実乃梨だったが、北村は、くっきりとした二重目蓋の眼を大きく見開き、
驚きの表情を見せた。
「何を言うか、櫛枝! ……いや、お前たちは練習で忙しかったから、知らないんだ
 な。今年の女子ソフト部は、校内でかなり注目視されてるんだぞ? 実際、俺たち
 男子ソフト部員以外にも、一般生徒のフォロワーたちが、何人か応援に来てくれて
 いるんだ! ほらそこっ!」
 バッグを抱えて両手が塞がってる北村は、アゴで一塁側の観客席を示した。実乃梨
はアゴの先に視線を送ると、休日にも拘らず、大橋高校の制服を来た生徒たちを何人
か発見出来たのだ。放課後の練習で見かけた里恵の私設応援団も数人いた。
「オーディエーンスッ! すっげーマジだ? そいつぁー知らなかったよ! うーむ
 ……するってーと、今日の試合で、みっともねえとこ晒してらんねえって寸法だな?
 絶対に負けられない闘いが、そこにはある!」
 そんなやり取りをしている内に、なんとかベンチに辿り着いた実乃梨は、ドサッと
バッグを盛大に落とし、北村の顔面の前にコブシを突き出し豪語する。
「おお櫛枝、ズバリ頼もしいぞ! 流石、中学時代にキャプテンだった事はあるな!
 男子と違って、女子は出場校多いから大変だが、櫛枝、頑張ってくれ! 健闘を祈
 る!」
 北村は、ベンチに荷物を丁寧に置き、スチャッと額に手をやり、戦地へ見送る将校
のように実乃梨に敬礼する。しかし実乃梨は、北村にそんな事言われなくても、全力
で頑張るつもりだし、あまつさえ、負けるつもりなど全くもってなかった。



「がってんでい北村くん! アタリキシャリキのコンコンチキだっての! さーって、
 荷物も片付いたし、北村くん。みんなんとこに戻るとしやすかねえ? おや? あ
 のべらぼーにでっけえ人……なんぞ?」
 ゲート方面へ戻ろうとした実乃梨は、大橋高校のメンバーの人集りの中央に、学ラ
ンに身を包む、二メートルはありそうな巨大人間を見つける。その正面では、逹代が
こちらに背中を向け仁王立ち。頭二個分は高い巨大人間を見上げ、対峙していた。
「だーはっはっはっは! すみれ、こいつか! てめえのお気に入りの木ノ下達代っ
 て奴は! 話しだけ聞いてたから、もっとイカつい奴かと思ってたら、フツーに、
 めんこい娘っコじゃねえか!」
 ここまで聞こえる豪快な笑い声に、実乃梨の近くにいた北村の顔色が急変する。
「おお! あそこにいらっしゃるは、会長! それに副会長ではないか! 櫛枝!
 俺は先に戻る!」 
 と言うなり北村は、巨大人間目掛けて全速力でダッシュ。実乃梨もセンシティブ
な雰囲気漂うその場所に危機感を覚え、駆け寄るのだがその先、逹代が生徒会長に
噛みついた。
「なんだてめえ! 図体がでけえと思ったら、態度もでけえじゃねえか!」
 すると会長の側近、生徒会副会長、狩野すみれが切れ長の眉を吊り上げ激しく指
弾。
「バッカヤロー! 会長に向かって、なんて無礼な口の利き方しやがる! 口を慎
 め! 今日会長が視察にこられたのは、てめえら女子ソフト部を全校あげて応援
 して、今後盛り上げていこうって事をだなっ……」
 鼻息も荒く、捲し立てるすみれを生徒会長は手で制す。
「ぶあーっはっはっはっは! かまわねえよ、すみれ。元気あっていいじゃねえか!
 ていうか、応援するってのはお前の提案だろ? まあそんなこたあどうでもいい
 か。木ノ下! ま、そういう訳だ! 俺の自慢の一眼レフでバッチリ撮ってやる
 から、カッコイイとこ見してくれよ! ほれすみれっ、観客席に行くぞ!」
 バカ笑いもそこそこに、会長は漢らしく颯爽と踵を返し、観客席へ消えて行く。
すみれはすぐ後を追って、小走りになるが、一度、逹代に振り返る。
「……寛大な会長の処置に感謝しろよ木ノ下。じゃあまた後でな」 
 と、艶やかな長い黒髪を翻し、すみれも構内へと消えていった。それを目を点に
して傍観していた実乃梨は、我に返り、突っ立ったまま生徒会トップ2を見送る、
達代に背後から抱きついた。
「ねえねえタッちゃん、すっげーね、あの生徒会長さんってば! あの勝ち気な狩
 野先輩をアゴで使うなんてさ! まるでジャイアン……ジャイアンじゃ、いやん
 ……うっはー、俺つまんねー! スランプかもしんねえっ! タッちゃんお助け!」
 と、実乃梨は達代に泣きつくが、バックを取る実乃梨を逹代は振り払い、真正面
で向き合う。
「なんだよ実乃梨! てか、いきなりあたしに助け求めんなよ! 知らねえよ!
 スランプなんか、すらんぷりだっての……っ! ぐわああっ、不覚! 実乃梨の
 つまんねーのが伝染った! てか、駄洒落じゃねえからな! 勘違いすんなよ!」
 達代は顔を真っ赤にして懸命に釈明。それに実乃梨は自分の駄洒落を棚に上げて
「零点!」と辛口評価。すると逹代は「マイナス十点!」と実乃梨を報復評価。
 そのまま二人は顔を突きつけあい、頬を膨らましながら低レベルな口撃を繰り広
げるのだが、その間にパンッと、手を打ちながら、里恵が割って入る。
「はい、お喋りはおしまい! 二人ともそろそろ開会式だよ? 冗談ばっかり言っ
 てないで、早く列に並んでっ」
 呆れ顔の里恵に咎められ、実乃梨と達代は「お前がお前が」「YOUがYOUが」
と押し問答。さらにエルボーの応酬で小競り合いながら、騒がしくもベタベタと仲
良く、開会式の入場行進の列に吸い込まれていった。

***

 入場行進やら選手宣誓やらと、壮快な開会式が終わり、続いて行われた第一試合
出場校、大橋高校の守備練習も時間いっぱいとなる。
「ボールバック! 集合!」
 この試合で後攻となる大橋ナインは一塁ベンチ前で部長を取り囲み、円陣を組ん
だ。守備練習で、ほどよく汗ばむ九人の熱気は、実乃梨の隣で肩を組むちはやの眼
鏡を微かに曇らせていたが、部長の指示で、全員目を瞑り、気持ちを一つにする。




「よしみんな! 開会式の直後の試合で観客の数も多いよ! やつらに新生大橋の
 強力なとこ観せつけようじゃないの! 相手は一回戦敗退の常連だけど、手加減
 なしで行くよ! 大〜橋〜っ……ファイッッ!!」

 オ─────ッ!! と気合満点の掛け声一発、円陣を解き、大橋ナインはホー
ムベース前に整列する。そんな中、実乃梨は自分のケツポケットからタオル地のハ
ンカチを取り出し、右横で気をつけっ! する、ちはやに差し出した。
「クリリン眼鏡曇ってんよ? 私のハンカチ貸してあげるぜよ!」
「わあ、私、バッグに忘れちゃって……櫛枝様ありがとうございますっ! お借り
 します!」
 ホームベース上で、部長同士が握手を交わす。呟いていた球審が号令をかける。
「礼!」
「ぁ──しゃ───っす!」
 そして大橋ナインは各ポシションに一斉に散らばるのだが、センターへ向う途中、
ピッチャーズサークル付近で実乃梨は逹代にグローブで肩を叩かれ、呼び止められ
る。
「なあ実乃梨。一球目の球種、お前が決めてくれ」
「私が決めていいのけ? むむっ……ではでは、タッちゃん自慢の直球ストレート
 をば、お願えしやす」
「やっぱそっか。そうだよな。お前ならそういうと思ったわ。確認しただけ。もう
 行っていいや」
「〜〜っ!! なんでいタッちゃん! 人に聞いといて随分冷てーじゃんかよっ!
 ……あのさー最近なんとなーく、タッちゃん、いぢわるだよねえ?」
「そうか? そうかもな。でもまあ、実乃梨。あたしの事見守っててくれよな……
 いつもみてえに」
 さっきまでイタズラっぽい表情を魅せる逹代だったのだが、今の逹代はいつにな
くシリアスな表情を浮かべていた。
「ヘイヘイタッちゃん、わかりやんした。いつもみてえに、ね……えへっ。そだね」

 バイザーのツバをクイッと撥ね、ポジションのセンターへ辿り着いた実乃梨は、
ホームベース側へ向き直り、グローブを低くして構えた。ここからはダイヤモンド
の全景が一望でき、その中央。ピッチャーズサークル内の達代は、腰に手をやり、
突き抜けるような紺碧の空を見上げていた。グラウンドを横切る風は、バイザーか
ら零れる、彼女の翠色の長髪を緩やかに靡かせて続けている。
 彼女にとって、約一年半ぶりの公式戦……いったい逹代は今、どんな胸中なのだ
ろうか……ドキドキ、ワクワク……否、そんなキャラじゃない。
 コイツらを、どうやって料理してやろう。

 ……そんな感じだろう。

 その向こう。相手チームのトップバッターが背を反らし、バットをぐるりと身体
の周りを一回転させながら、バッターボックスに歩んでくる。さらにその奥。一番
遠くにいるキャッチャー、里恵がすっくと立ち上がり、ここからでも目立つ長身を
伸ばし、マスクをグイと上げ、大きく両手を掲げる。
「しまっていこー!」
 オ──ッ!
 実乃梨も他のチームメイトと共に、天に両手を突き出す。チラリと見たライトの
ちはやだけは、何故か左足までクイッと宙に浮かせていた。

「プレイ!」
 真っ直ぐに天に向け、手をかざす球審。逹代は白いボールに、まるでキスするか
のようにボールを口元に寄せ、その匂いを嗅ぐ。そしてボールをバスッとグローブ
に投げ込み、逹代はゆっくりセットアップポジションに入った。

 同時に風が止み、緩やかに靡いていた達代の翠色の髪が落ちつき、ぴたりと動き
を止める。その髪がかかる突き出した逹代の尻は、丸い。




 1回表、相手高校の攻撃。注目の第一球。観客席から聞こえる雑音を完全に黙殺
し、逹代は集中している。緊張の一瞬。ゴクリ……実乃梨の喉が鳴る。バッターが
眼を据え、グリップを絞り、深く構える。里恵はサインを出さず、ただド真ん中に
ミットを構える。球審は球筋を見極めようと微動だにしない。
 ピクッ。逹代が動いた。と思った矢先、ヒュッ! 風斬音。動作が疾い。そして、

 バシッイィィィィィィッ!!!

 豪快な補球音が、グラウンドに響き渡る。白い弾丸が里恵のミットの中央に着弾。
挨拶がわりの逹代、渾身のストレート。目撃した満員の観客席が一斉に沈黙し、セ
ンターにいる実乃梨にまで、微かな声音を届けてしまう。

 「え? 今投げたの?」訳わからず尻込む先頭バッター。
 「はあ? 何キロ出てんだ、あれ……」驚きを隠せない相手ベンチの並んだ顔。
 「……っ! 見えっ」眼を擦り、息を飲む球審。
 「ド真ん中……櫛枝の注文通りね」里恵は真っ直ぐ構えたまま不動。数秒経過。
 
「ス……トライッーク!」
 
 球審がやっと宣告。逹代、復活の狼煙。それは凄絶すぎて、球場に無音の状態を
継続させてしまう。

 逹代は、たった一球で、球場にいる全ての人間を飲み込んでしまったのだ。

***

 試合は二回裏。
「えっと……お願いしますっ!」
 一回裏に四点先取した大橋高校の攻撃。八番バッターのちはやが、ヘルメットか
ら零れるポニーテールをフリフリさせながら、バッターボックスに入っていく。
「クーリリーン! 気円斬、気円斬!」
 サウスポーのちはやは、実乃梨のいる一塁側のベンチに振り返る。
「ええ? 櫛枝様なんです? きえ?」
 丸い眼鏡の奥に、困惑した瞳を浮かべるちはや。すると実乃梨は逹代に遠慮ない
パワーで引っ叩かれる。
「おい実乃梨のアホ! 真面目な栗野に余計な事言うんじゃねえ! 栗野ーっ!
 なんでもねえぞ、気にすんな! いつも通りに頑張れ!」
 達代は口に手をやり、大声でちはやに檄を飛ばす。
「はい! 私、頑張ります!」
 背景に花が咲いたような、可憐な笑顔を作って、ちはやは踵を返し、バッターボ
ックス手前で一礼。ピッチャーと向き直い、バットを構える。
 ちはやのお人形さんのような観た目と裏腹、短く握るバットを構える後ろ姿は、
何故だか頼もしく、初心者と思えないほど、堂にいるのだった。

「……栗野さ、ライトで八番だけど、あの娘コツ掴んでから、シャープなスイング
 するようになったわよね。センスあるわ。この調子なら、アベレージヒッターと
 して開花する日も、時間の問題かも」
 前傾姿勢でベンチに座る里恵は、親指の爪を噛みながら、ちはやを見据える。そ
んな里恵のコメントに達代が反応。
「初心者のハンデを取り戻そうと、栗野はすっげえ努力してるし、なにより勉強し
 てるからな……知ってるか? あいつ、そのノートに対戦相手の全データを網羅
 して分析してあるんだぜ? あたしたちの中学時代の戦績までも分析してある。
 セイバーメトリクスってのか? メジャーリーグのプロ解説者並みのデータ収集
 と解析能力だ」
 そう言って達代は、ベンチ奥の、ちはやのグラブの傍にあるノートをチラ見した。
実乃梨は腰を浮かせて、その可愛らしい柄のノートに手を伸ばした。ペラペラとペ
ージを捲る度、やわらかい香りがする。
「このノート? へえ……うわ、凄……。えっと……てことは、クリリンが狙うのは
 初球……。守りの穴、一二塁間?」
 と、その時歴史が動いた。



 キン!
 快音が響き、実乃梨は顔を上げ、ちはやのノートからグラウンドに目を向ける。低
く高速でバウンドする、ちはやの打球は、ノートの分析通り、一二塁間を抜け、ライ
ト前に転がっていく。そして深く守っていたライトが補球する時には、既に一塁ベー
スをちはやは、駆け抜けていた。
 一塁側の大橋ベンチは、一気に歓声に湧く。
「うおおっ、すっげークリリン! 狙い通りのクリーンヒット! まさにクリリーン
 ヒットじゃんよコレ! もうこのノートってば、予言書に近いものがあんねえ?」
 気付けば実乃梨はスタンディングオベーション。大手を振ってちはやを激励してい
た。同じく傍らで立ち上がりガッツポーズをする達代は、実乃梨に肩をぶつけてきた。 
「予言書ってなんだよ実乃梨。そんじゃあ栗野はまじない師かよ? まじない師とか、
 マジないし……おっと、駄洒落じゃねえからな。勘違いすんなよ」
 と、彼女なりに場を盛り上げようと試みる逹代。一塁ベース上のちはやは、実乃梨
のハンカチで汗を拭い、恥ずかしそうにベンチに向けて手を振ると、そのチャーミン
グな仕草に観客席からも歓声が上がるのだが、とりあえず実乃梨的には達代の駄洒落
がスルーできない。
「タッちゃん、さっきの駄洒落。零点!」
「零っ! ひでえ、またかよ! 今回は明らかにお前のクリリーンとかいう駄洒落の
 方がダメだろ!」
 互いに口を尖らせ、開会式前の小競り合いを再開する実乃梨と達代。じゃれつく二
人に里恵がまた仲介に入る。
「貴女たちったら、また……ほら、栗野に続くよ! 打線を繋げて、この回で一気に
 勝負決めようじゃない? ですよね部長!」
 里恵は凛々しい瞳を部長に向け、同意を求める。視線をぶつけられた部長は、力強
く縦に首を振る。
「そうだね奥菜! テッペンを目指す私たちが、一回戦なんかでグズグズしてられな
 いわよね? っいよーっし! 栗野のガンバリを無駄にするんじゃないよ! みん
 なガンガン打ちまくって、この回は、打順一周させるつもりで行くからねっ!」
 ハイッ!! と、ボルテージがあがり一丸になるベンチ。公式戦のルールでは、
次の三回裏の時点で、十点以上、点差が広がればコールドゲームとなる。この試合の
流れは完全に、既に四点リードしている大橋のペースなのだが、スポーツと言うのは、
筋書きのないドラマ……などと言う、誰かの有名な言葉を思い出す実乃梨。
 だが同時に実乃梨は、ちはやの予言書にしたためてある、ある数値を思い出すのだ。

 その予言書では、冷徹にこう、記してある。

 相手打線が、日本代表レベルのエースを打ち砕す確率は、『零』である。と。

 ***

「ゲーム! 礼!」
 あっざーっしたぁ! ホームベース前に集合し、ゲームセットの挨拶をする選手た
ち。結局、大橋高校の一回戦は試合時間わずか五十分。三回表が終わった時点で零対
十二の大差となり、球審が試合を打ち切り、コールドゲームとなった。いくら格下の
相手だったとはいえ、大橋高校の圧倒的なワンサイドゲームに終わる。
 駆け足でベンチに戻る大橋ナインの顔面は皆、強い日差しと勝利の高揚で熱くなり、
汗粒と、おまけに満点スマイルを輝かせていた。
「おつかれっクリリン! 暑かったねえ!」
 試合の緊張が解けた実乃梨は、ちょい斜め下にある丸いおデコを晒して歩を進める
ちはやを覗き込み、努めて明るく声を掛けた。

「お疲れさまです櫛枝様! 暑かったですし、緊張しましたし、私、いっぱい汗かい
 てしまいました。お借りしたハンカチ、すっごい役立ちました! 洗ってからお返
 ししますねっ、ありがとうございます」
 上気した頬に掛かる、汗に濡れた柔らかそうな髪先もそのままに、ちはやは小さな
二つの手で二つのグーを作る。その健気な仕草に実乃梨はニヤけしてしまう。



「うん! まだ試合あるから、クリリン! 思う存分ハンカチ使っておくれよ!」
 そして、二人の足の向かう先には、少し前にベンチに戻っていた里恵が、バッグか
ら冷やしタオルを取り出し、首に当てて白い歯を覗かしていた。
「櫛枝と栗野、お疲れさま。二人とも良く頑張ったわね? 櫛枝のホームランもスゴ
 かったけど、栗野のノートに纏めてあるセイバーメトリクスは、効果抜群だったわ
 ね! 感動するほど、よく的中したわ!」
「DAYONE! クリリンの予言書、OPSはいいとして、レンジファクターとか普通、
 算出しね〜よ〜。素人レベルじゃねえって!」
 賞賛する実乃梨と里恵。間に挟まれたちはやは困ったようにモジモジしてしまう。
「ありがとうございますっ、でもどんなに解析しても、策を練っても、私、体力がな
 いから単打が精一杯で……それに引き替え、櫛枝様のスラッガーぶりに感動しちゃ
 いまいたっ! さっきのホームランも格好良かったですっ!!」
「……また、つまらぬモノを斬ってしまった。えへへへ、そう? 私リトルリーグ出
 身だし、硬球上がりは、フルスイングすっからジャストミートすっと飛ぶんだよね。
 あんがと。でもクリリンが活躍した時の方が観客ウケ良かったよね? クリリン可
 愛いからなー」
 と、実乃梨は本心からちはやのキュートな容姿を褒め、ポニーテールをナデナデし
てみた。すると、はにかむちはやのピンクのほっぺたが、超真っ赤に染まる。
「ほえ? ふああっ! えええ、えっとおっ……わっ、わっ、私、部長に頼まれて、
 レモンスライス作ってきたんですっ! どうぞ召し上がって下さい!」
 無茶苦茶照れるちはやは、震える指先で、バッグから黄色いタッパーを取り出した。
蓋を開けると、キレイな色のレモンスライスがお目見えする。柑橘系の清涼感ある薫
りが鼻先を刺激した。
「なんとクリリン、グッジョブ! ほれMVPのタッちゃん! クリリンから配給でー
 っす。受け取れい!」
 腰に手をやり、ボカリをガブ飲みしていた達代がこちらに視線を向ける。キュッと
ポカリのキャップを閉めながら「なんだ喰いもんか?」と、近づいてきた。
「栗野が作ったのかコレ? 美味そうだな。一つ貰うぜ。……んんっ? なんだこの
 レモン、甘えな?」
「ハチミツ漬けだよね、栗野。キレイな色。上手に出来てるわ。私にも頂戴」
 里恵もレモンスライスを一片摘み、薄い紅の唇に挟んだ。たちまち里恵のヴァルキ
リーのように精悍な顔が、ヴィーナスのように華麗に変わった。
「うふ、本当ですか? 良かったです。レモンは、疲労回復にも良いんですよね?
 今日はまだ試合ありますし、いっぱい作ってきましたので、たくさん召し上がって
 ください」
 ちはやは眩しい笑顔を振舞いつつ、レモンスライスもメンバーに振舞うのだった。
「あはは、クリリン嬉しそう。なんかこっちまで嬉しくなっちゃうよ。次の試合、午
後からだけど、うおおっ、超待ち遠しいぜ! オッキーナ見て! 私ウズウズしちま
って、鳥肌立っちまったよ!」
 アンダーシャツを捲り、理恵の目の前に泡立つ腕をグイッと晒す実乃梨。里恵は片
眉を上げ、
「うふふ。そうね? 次の試合がこんなに愉しみなのって、私も初めてかも」
 するとグローブを頭に乗せたまま、レモンスライスをもぐもぐさせている達代は、
「そうそう。このレモンスライス美味過ぎだろ? 栗野からもーいっこ貰おっと」
 と、マジ呆けする達代に苦笑する実乃梨と里恵は、突然、巨人の影に包まれる。




「だぁーっはっは! やるじゃねえか木ノ下! 聞きしに勝る実力だな? 俺の愛機、
D40で、てめえの活躍はバッチリ撮らしてもらったからな! 次の生徒会の会報楽
しみにしてろ!」
 背後から生徒会長に突然大声を浴びせられた達代は、咥えていたレモンスライスを
「ブーッ!」と、噴射してしまう。ライナーで宙を舞ったレモンスライスは見事、実
乃梨のおデコにペットリ張り付いた。とりあえず「チャクラが閃いた……」と、合掌
してアドリブを利かす実乃梨だったのだが、達代はそれをスルー。
その代わりに、身長二メートルを誇る生徒会長の真正面で臆する事無く、直立不動。
アゴを開いて、ジロリと逹代は下からガンを飛ばす。そして口調だけは上から目線で、
「声でっけえんだよ、てめーはっ! タダでさえ、そのでっけえ図体がビックリなん
 だから、ビックリさせて実乃梨にチャクラ閃かせるんじゃねえよ! それに試合に
 勝ったのは、あたしだけの手柄じゃねえ。みんなの援護射撃のおかげだからよ!」
 と、逹代はバサリとキレイな長髪を振り払い、親指を勃て、背後にいるチームメイ
トたちに向かってクイクイを指し示した。それを一本取られたとばかりに、鼻下を擦
る生徒会長。
 そこへ生徒会のメンバー、すみれと北村が出没する。
「その通りです会長。確かに今の試合、素人の私から観ても木ノ下の独壇場でしたが、
 ソフトボールは団体競技ですし、僭越ながら、あまり木ノ下だけを煽てるのはどう
 かと」
 と、会長を呈するすみれ。すると横で白い歯を魅せる北村は、
「しかし狩野先輩。木ノ下の豪速球は、ズバリ凄かったです! 凄すぎて俺の魂は、
 もはやレッドゾーンです!」
 生徒会三人衆が、それぞれ勝手に感想を漏らすのだが、達代はそれをどう受け取っ
たのか、頭に乗せていたグローブで、その桃色に染まる、可憐な顔面を隠した。
「へっ……だからあたしは、たった二十七球投げただけなんだって。十二点も奪取し
 てくれた、みんなのお陰なんだってば……」

 そう呟き、突然、達代はこの場から逃げ出した。この場に居合わせた生徒会三人衆
は呆気にとられる。しかし実乃梨は達代を追わずに、おデコに引っ付いたレモンスラ
イスを口にして、ゆっくりと瞳を閉じた。
 何故なら、追って、達代に問わずとも、セブンセンシズとチャクラが覚醒した実乃
梨には、達代の胸中など、まるっとお見通しだったからだ。
 ……だって、私でさえ、泣きだしたいほど、嬉しいのだ。
 たった一回戦勝っただけだけど、一度夢を諦めた達代にとって、この一勝は、なに
よりも嬉しかったのであろう。
 午後に控える残り二試合に勝てば、実乃梨たち、大橋ナインは明日の準決勝にコマ
を進める。

 ……しかし仔細なく、今日の夕方に大橋ナインは、出場校中、逸早く、ベスト4に
名乗りを上げるのだった。



── to be continued…….

このページへのコメント

9VH氏、ACです。
まだ執筆活動はなさってますか?
氏が再び顔を覗かせる日が来るといいなと、密かに思っております。思えば、私は氏の作品に感動を与えられてSSを書き出したようなものです。できることならまた氏の作品に心温められたり、私も書いて読者の皆様に読んで頂いたりしたいですね…
ただこのサイトに以前のような活気が無いので(笑)

では。

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Posted by ◆AC.wkvKQE. 2010年11月01日(月) 00:53:43 返信

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