NPO法人日本茶インストラクター協会南九州会員による活動情報および日本茶情報サイト

旧小川町(宇城市小川町)は、県茶業史を語るうえでも重要なポイント。
『小川町史』(昭和54年)には、「小川町は五家荘(八代市泉村)、四浦(球磨郡相良村)の茶の集散地として栄えてきました。」とある。
現在、”来なっせ観なっせ遊びなっせ”と銘打って新しい取り組みが始まっている。
その中心が「風の館 塩屋」であるが、詳細は・・・
http://www.geocities.jp/kazenoyakata_408/
その向かいに「新麹屋」がある。



江戸末期から明治の初め頃に栄えた商家の一つで、金融業・反物・茶商・木蝋製造・製糸業等幅広く商売をしていたという。
そこで某氏が珍しいお茶を発見、”土の子”と称してたが、それは「磚茶」であった。



その板面が滑らかで、質が緻密だったことから判断して、磚茶の中でも紅茶の粉を原料にして造られる「紅磚茶」と思った。
塩屋の主人は、「かつてはスリランカと取引していたのであろう、スリランカからの手紙があった」というが、恐らくスリランカから原料の紅茶の粉を輸入していたのではないだろうか、それを加工してロシアへ輸出していたものと考えられる。

昭和初期、磚茶の事業に尽力した人物に細谷清がいる。
彼は『蒙古貿易と日本磚茶』(昭和12年)を著しているが、それには「熊本紅磚茶」という興味深い項目がある。
その書き出しは「我が國の磚茶は紅緑磚茶とも、その發鎮呂箸靴董熊本に指を屈せねばならぬ」、とますますもって興味をそそられる。
人吉・球磨地方に豊富にあったヤマチャを原料に活用しようと、”同地方へ磚茶製造の一石を下された”ということであり、製造は上熊本で行われたというのである。
『農務顛末』(昭和29年)によると、明治15年に磚茶輸出の可能性を探ろうと北京へサンプルが送られているが、そのサンプルが「熊本県産」であった。

『小川町史』には、「明治41年小川町にも磚茶会社(出来町)が設立され、長崎から貿易品として蒙古・支那方面に輸出されました。」とある。
今日では忘れ去られた”県茶業史”の1頁がそこにあったのだ。

written by sakataka

このページへのコメント

なるほど〜 非常におもしろい発見だったのですね。坂本さんにリークした甲斐がありましたよお。ここまで調査を進められたこともビックリです。そして、長崎出身の私としては長崎が関わっていることにも縁を感じます。塩の館の素敵なおばちゃまたちは元気でしたか?また、何か新たな発見をしたら坂本さんにリークしますね。

Posted by moriyama 2006年04月24日(月) 21:54:47

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