NPO法人日本茶インストラクター協会南九州会員による活動情報および日本茶情報サイト

可徳乾三(かとくけんぞう)

乾三は日本における紅茶製造の第一人者であり、九州茶業界の大恩人と称せられた。

可徳家は庄屋や郷士ではないが苗字帯刀を許された近郷での旧家である。
乾三は、現在の合志市竹迫の可徳庄吾と須賀の三男として安政元年(1854)12月12日に生まれた。
父の庄吾は養蚕と製茶は日本繁栄の二大産業と考え、この振興に対する使命感を持ち長男には農業を継がせ、二男には養蚕、三男の乾三には茶業、四男には呉服屋と決め、それぞれ15、6歳の頃から見習い奉公に出していた。

庄吾は自らも茶の改良発達を志し、明治7年(1874)に農務省勧業寮(後に勧業局)政府がつくった山鹿茶業講習所(後に中国風紅茶伝習所)に自ら講習生として入所した。
しかし、庄吾が病に倒れたことから、乾三が自費生として講習所に入り、清国(中国)人の凌長富、姚秋桂の2名について紅茶の製造法を学んだ。
時に乾三が21歳の頃であった。
乾三は明治9年には球磨郡人吉町の勧業寮製茶伝習所の官費生として、10年には高知の伝習所で修業を重ねて紅茶の製法を学び、また本県の伝習所の講師となったり、11年には横浜の外国商館の雇人となって紅茶の再製法や荷造り法の技術を習得した。

九州を南北に貫く九州山脈の山嶺には自生の茶樹「ヤマチャ」が叢生していることから、この山脈を全部焼いてヤマチャを採り、紅茶磚茶の原料として海外へ輸出しようというのが乾三の持論であった。
当時の政府もヤマチャに注目して紅茶の振興を図り、紅茶伝習所の設置を進めていた。

12年には同志と不知火社(合資組織)を創立して実業界に乗り出した。
14年には横浜の日本紅茶直輸会社の設立に係わり国内の主要産地に製茶場20余を設立したが、時期が悪くインドセイロンの茶との競争に敗れ資産の大部分を失った。

明治17年に茶業組合準則が発布されたが、乾三は茶の品質向上と製品の統一が必要ということを強調し、県下を奔走して茶業組合を組織した。
組合設立後は伝習所や試験所の所長あるいは教師として、県内はいうに及ばず九州各県や大阪、静岡に招かれて後進の指導にあたり、教えを受けたものは2600名にも及んだという。

特筆すべきことは明治20年、紅茶製造の技術習得のために中国の湖北や江西地方を調査研究した。
乾三は製造技術を習得し、自ら「袋踏法」を考案し(袋踏法の詳細は不明)、紅茶製造の一大革命をもたらした。
この袋踏法は乾三の名を知らない者がいないという程、九州のみならず全国の紅茶製造業者に採用され、紅茶製造に新風をもたらすことになった。

明治29年、42歳の乾三は九州茶業会の委嘱を受けてシベリアでの販路調査のために渡航し、ウラジオストック、ハバロフスク、ニコライエフスク、ブラゴエチエンスク、イルクーツクなどの各都市を視察した。
半年後の30年に帰国したが、31年には再度自費でロシアに渡り、チタやハイラルを中心としてシベリアからモンゴル地帯を巡り、紅茶や磚茶の試売で好評を博している。
秤苞の調査をしてウラジオストックまで帰ると、茶業組合中央会議所からウラジオストック出張所常務員として嘱託されて出張所を開設し、二年半にわたってセイロン茶を相手に国産紅茶の販路拡大に努めた。
また、ハバロフスクには独力で可徳商店を開き、語学や貿易の実務研修のために渡航していた4名の本県出身の青年に経営を任せ、紅茶や磚茶の輸出を行った。

明治32年、乾三はウラジオストック出張所常務員を解かれて帰国し、これまでの経験を活かして以前より関係していた肥後製茶合資会社を株式会社に変更し、茶の生産と販路拡大などの事業の拡大を計画した。
一方では、九州や四国の茶業者でつくる九州製茶輸出株式会社の取締役となって専ら紅茶や緑茶、磚茶の製造を行い東部シベリアへの販売に尽力した。
長年の夢であった日露貿易が順調な滑り出しを見せたかと思う間もなく、日露戦争が勃発したことやその後のシベリアに駐屯していた数万の軍隊の解散に伴う受注の激減で行き詰まり、乾三は多大な打撃を受けるに至った。

明治40年には茶業組合の派遣員として東部シベリア各地の販路調査のため、酷寒の中をモンゴルの奥地まで足を運んでいる。
42年には清国漢口北方における茶の情勢を踏査するなど、輸出事業の回復に奔走したが多大の債務に為す術もなく、関係した会社は不振或いは破産の憂き目に遭った。

その後は台湾に渡り、日本台湾茶株式会社の技師として6年間勤務し、退社後は桃園庁安平鎮駅前で梅花園茶舗を経営して緑茶や烏龍茶、紅茶を製造したが、特に紅茶については高い評価を得た。
大正15年7月、病のため同地で客死した。
享年73歳であった。

【参考文献】
熊本県立商業高等学校/編『肥後商工先達伝』1956年
荒木精之/著『熊本県人物誌』1959年
合志町史編纂協議会/編『合志町史』1988年

written by sakataka

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