NPO法人日本茶インストラクター協会南九州会員による活動情報および日本茶情報サイト

 日本茶インストラクター協会機関誌『茶論』23号に掲載しました。


 熊本県宇城市小川町は、五家荘(八代市泉町)や四浦(球磨郡相良村)の茶の集散地として栄えてきた(註1)。ここに、江戸末期から明治の初め頃に栄えた商家の一つに「新麹屋」がある。金融業・反物・茶商・木蝋製造・製糸業等幅広く商売をしていたが、そこで珍しい茶を発見、それは「磚茶」であった。


(写真1)消えた「磚茶」

 磚茶とは一体どんなお茶か。かつて、茶の輸出が盛んであった時代に磚茶という茶があったことに注目し、その歴史について述べる。

 日本に最初に伝わった茶が「団茶」と考えられているが、「団茶」と「磚茶」の違いは何か、「磚茶」とはどのような茶だろうか。
 『緑茶の事典』には、団茶は、「茶葉のにかわ膠質を利用して作るが、葉をよく蒸し木製の臼でよくつ搗き、型に入れて形を整え、押し物(らくがん落雁)のように種々の形に干し固める」とある。一方、磚茶は、「緑茶、紅茶、黒茶などの粉茶、または比較的下級茶の細かく砕いたものを蒸圧し機械で成形する量産の固形茶」とある。団茶は茶葉から製品まで一貫して製造するのに対して、磚茶は一次加工品として、原料になる緑茶や紅茶、あるいはプアール茶のような荒茶をまず造り、これらの荒茶を原料として二次加工品として造る(註2)のである。
 中国において団茶から磚茶にいつごろ変わったのか明らかでないが、宋代から明代にかけて近隣諸国への茶の移出が拡大し、量産化の中で自然発生的に工夫、改良されてきたものと考えられる(註3)。団茶が手作りであるのに対して、磚茶は大量生産が可能なように機械で作り(註4)、「固く締まっていて、長く貯蔵しても変質しないので、遠方への輸送にも便利であるため、辺境遊牧民族の需要によく適している。」(註5)


(写真2)駱駝輸送

 『茶業叢書』では、茶の分類は図1のとおりで、緑茶の蒸し製の一つとして緑磚茶があり、紅茶の一つとして紅磚茶がある。


(図1)茶の分類

「緑茶を原料にしたのが緑磚茶、紅茶を原料にしたのが紅磚茶である。緑磚茶は主として蒙古人、紅磚茶はソ連のトルキスタン地方で愛用されている」(註6)とある。


(図2)磚茶の需要 赤:トルキスタン地方 緑:モンゴル

 茶種別年生産高(農林省調査)では、1883年(明治16年)から現在まで磚茶の生産について記録されていないが、『日本における茶の貿易統計集』によると、磚茶の輸出は1877年(明治10年)に始まり、1906年(明治39年)の804tをピークに1950年(昭和25年)の167kgを最後に途絶えている。


(図3)磚茶の輸出量の推移

 明治9年、多田元吉が中国湖北省咸寧県および漢口から各種磚茶を持ち帰った(註7)のが日本の磚茶の始まりである。明治15年には、東京及び熊本の磚茶会社から購入した磚茶が北京へ送られ、販路調査が行われている(註8)。
 「我が国の磚茶は紅緑磚茶とも、その発祥地として、熊本に指を屈せねばならぬ。人吉地方は畑茶・山茶とも豊富なので、同地方へ磚茶製造の一石を下された」(註9)と、興味深い記述もある。熊本では明治26年から34年の9ヶ年間に紅茶と磚茶の生産が奨励され、年間二千円から四千六百円、合計二万五千六百円を補助した(註10)とある。明治31年には肥後製茶合資会社を設置し、紅茶・磚茶の製造を行ってシベリアに輸出した(註11)。また明治41年には磚茶会社が設立され、長崎から蒙古・支那方面に輸出されている(註1)。
 しかし、磚茶は製造技術の未熟なこともあってか、蒙古や旧満州に着くころには磚茶の内部にかびが繁殖し、商品に成り得なかったこと(註12)や、ロシアとの商習慣とのギャップという問題があり、日本茶のロシアへの進出は不成功に終わっている(註13)。

 さて、宇城市で発見された磚茶は板面が滑らかで質が緻密だったことから、紅茶の粉を原料にして造られる「紅磚茶」である。新麹屋の柏原武利氏は、「かつてはスリランカと取引していたのであろう、スリランカからの手紙があった」と言う。また元熊本県茶業試験場の井藤英夫氏によると、磚茶にプレスされている文字はロシア語のキリル文字の「К」「О」「Т」であるという。このことから、スリランカから原料の紅茶を輸入し、それを加工してロシアへ輸出していた頃の磚茶と考えられる。
 茶の輸出が積極的に行われていた明治から昭和初期にかけては、磚茶という固形茶の生産もなされていた。それは国内での需要が全く無いことから、輸出が沙汰やみになると生産もなくなり、現在ではその存在すらもが忘れられている。


(写真3)緑磚茶(熊本県茶業県研究所蔵)

当然のことながら、製法についても知識や技術の伝承がなされておらず、文献からのみ知ることが出来るだけとなっている。

【参考】
1 磚茶の製法(註14)
 紅磚茶の原料は、紅茶を仕上げる際に生じる粉末や紅茶を粉末にしたものを用いた。また、下級なものは剪枝で落とした古葉の類を発酵させて、乾燥・粉砕したものを用いた。緑磚茶の原料は、剪枝や更新等で刈り落とす古葉を茎混じりのまま原料として用いた。また、ヤマチャを利用する場合もあった。
 緑磚茶の原料茶の製法は集めた茎葉を藁切り等で裁断する。裁断した生葉を高温に熱した釜で炒り、焦がさないように攪拌する。揉捻機で3〜5分間揉捻し、揉捻したものは熱気のあるうちに堆積してむしろ莚等で保温、茶葉が茶褐色に変色し、青臭さが無くなるまで発酵させる。発酵が終われば日干乾燥を行う。乾燥が均質になるよう時々撹拌することが必要であるが、火力による乾燥は品質のよいものができる。
 製造方法は紅磚茶も緑磚茶も同じで、蒸熱→圧搾→乾燥である。
 蒸し釜に入れて強い蒸気で3〜4分蒸すが、過度に蒸した場合は水分含量が多くなり、圧搾の際に液が出て茶の香味を悪くするばかりか、乾燥を難しくしたりカビの原因となる。蒸しが不足する場合は、圧搾の際に締まりが悪くなり、崩れやすくなって外観を損なう。
 木製や鉄製の型に茶温が高いうちに蒸した茶を隅々まで詰め、蓋をする。圧搾は圧搾機で行う。


(写真4)磚茶工場[『蒙古貿易と日本磚茶』より]

 乾燥は40℃前後に保てる乾燥室で、一昼夜以上乾燥する。



(写真5)磚茶乾燥室[『蒙古貿易と日本磚茶』より]

温度が低く風通しが悪い場合は容易に乾燥しないが、温度が高く風通しがよすぎる場合は表面だけが急激に乾燥し、亀裂を生じて品質を悪くする。

2 緑磚茶の原料茶の製法(註15)
 剪枝叉は台刈の刈落を茎混じりのまま原料とし、藁切りで裁断する。裁断した生葉は高温に熱した炒り釜に適当な量を入れて攪拌し、焦がさないように炒る。釜炒り後に揉捻する。揉捻機使用の場合は時間3〜5分間とする。
 揉捻したものは直ちに(熱気のあるうち)莚を押圧して二、三日位堆積して醗酵させる。茶葉が茶褐色を呈し、青臭がなくなって甘い香りに変化したら日干乾燥する。乾燥が不完全なものは品質を損ない、甚しい時は腐敗する。火力を用いて乾燥すれば品質が一層優良くなる。

 以上が磚茶の製法であるが、緑磚茶については『茶業叢書』と異なる点を指摘しておく。
[倔茶の原料茶は、蒸し製でなく釜炒り製である。
⇔倔茶の原料茶は、釜炒りという殺青の後に堆積という発酵がなされていることから後発酵茶である。

3 磚茶の用法
 昭和11年に海外における茶の市場調査が行われており、その報告(註16)に次のようにある。
 磚茶は蒙古人の生活必需品である。磚茶は彼等の主食物であり、磚茶だけを飲むということは稀で、磚茶にソーミ(粟のようなもの)、牛乳、塩を入れて飲む。
 具体的には、磚茶を小刀で剥ぐように細かく砕き、これを鉄鍋に入れて充分に煮立て、茶糟を取り除いて他の容器(主として銅器)に移す。鍋でソーミを煎ると外皮が割れてくるので、その中味を茶液に入れて温め、これに牛乳と塩を入れてスープのようなものができあがる。
 また、新彊ウイグル自治区における磚茶の喫茶法17)は次のとおりである。
 「固い磚茶をナイフで削りとる。だいたい手のひら一杯ほどの量の磚茶を大きなやかんの沸騰した湯に入れ、塩をひとつまみ加えた。茶に塩、意外な取り合わせである。」「茶に角砂糖を入れる。その他ミルクやバター、チーズなどを入れ、三角形のパンでかき混ぜて飲むこともある。これが最も本格的な飲み方だ。」「砂糖とミルク、そしてバターを入れて飲んでみる。乳製品の強い香りで茶の香りはあまりしない。砂糖と塩とバターが渾然となった、不思議な味である。茶というよりもスープに近いかも知れない。それに塩のせいでかなり辛かった。」


【引用文献】
1)小川町史編纂委員会『小川町史』小川町 1979年 527頁
2)松下智『中国茶 その種類と特性』河原書店 1986年 118頁
3)松下智 前掲 191-120頁
4)松下智 前掲 119頁
5)窪川雄介・福島敬一『茶の大事典』 蟷田製作所 1993年 236頁
6)『茶業叢書』 静岡県茶生産農業協同組合連合会 1963年 222頁
7)川口國昭・多田節子『茶業開花 明治発展史と多田元吉』山童社 1989年 284頁
8)『明治前期 勸農事蹟輯録』農林省農務局 1975年 1279頁
9)細谷清『蒙古貿易と日本磚茶』滿蒙社 1937年 282頁
10)『日本茶業史』茶業組合中央會議所 1914年 514-515頁
11)『くまもとの茶業』 第9回九州茶業大会事務局 1972年 4頁
12)松下智『製茶の民族 〜製茶文化の源流〜』雄山閣出版株式会社 1998年 153頁
13)松崎芳郎「ロシア人の茶習慣と茶栽培」『日本のお茶 気茶と生産』 蠅ょうせい 1988年 71頁
14)澤村眞『製茶論』西ヶ原叢書刊行会 1909年 82-86頁
15)『宮崎県茶業史』宮崎県茶業協會 1958年 179頁
16)『茶業彙報 第三十二輯 海外製茶市場調査諸報告』茶業組合中央会議所 1936年 59-60頁
17)NHK取材班・奥村彪生・西山喜一・松下智『人間は何を食べてきたか「アジア・太平洋編」(上)麺、イモ、茶』 1990年 208-209頁
18)『蒙古貿易と日本磚茶』

written by お茶の虫

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