日本茶インストラクター協会、南風サロン - 国産紅茶のあらまし
8月20日に紅茶試飲会を行います。
試飲会を少しでも有意義なものにしたいと、国産紅茶についてまとめてみました。
はじまりはじまり・・・

消費者ニーズの多様化から県内でも発酵したお茶、特に紅茶の生産に取り組まれる農家が増えている。
それは全国的な傾向で、例えば『dancyu』、昨年の10月号には国産紅茶を「和紅茶」と紹介して特集を組んでいるし、静岡県茶業会議所の『茶』には「国産紅茶を考える」という特集が昨年10月から組まれている。

昨年は全国規模の紅茶のイベントがいくつか開催されている。
3月には静岡県掛川市で「国産紅茶シンポジウム」、6月には静岡市で「全国地紅茶サミット」、10月の世界お茶まつりでは「紅茶セミナー 世界へ羽ばたく国産紅茶」というイベントが開催された。
このように紅茶への関心の高まりは全国的な傾向にある。






平成21年における府県別紅茶生産農家数については熊本は20戸、岐阜、宮崎、兵庫、静岡に次ぐ順番で、全国で309戸の農家が紅茶を造っている。



また、21年における府県別紅茶生産量については熊本は6.3t、鹿児島、静岡、佐賀に次いで全国4位、全国で80tが生産されている。



22年の県内における紅茶販売農家数は約30戸、うち山都町・水俣市では4戸以上の農家が紅茶を販売している。



ここで国産紅茶の歴史について紹介する。




明治7年(1874)紅茶製法書を編集し、各府県に紅茶の製造を奨励したのが国産紅茶の始まりである。
翌年には中国から技術者を招き、熊本県山鹿などで中国式紅茶の製造に着手した。
明治9年、アッサム地方に多田元吉ら3名を視察員として派遣し、栽培法や製造法の調査の他、種子の収集も行っている。
翌年にインド式紅茶を試作、11年には全国各地でインド式紅茶の導入が始まった。

国産紅茶はまだヤマチャで作られていたこともあり、品質が良いとは言えず、世界市場ではインドやスリランカの影響を強く受けざるを得なかった。

転機は昭和4年(1929)の世界大恐慌である。
ロンドンでの紅茶取引価格が暴落し、インド、スリランカなどが輸出制限を行ったので国産紅茶の需要が急増し、昭和12年(1937)には空前の輸出量を記録した。
昭和20年(1945)、第2次世界大戦によって紅茶生産は落ち込んだが戦後復興とともに茶産業は急速に盛り返した。
昭和34年(1959)に紅茶用の品種茶園10,000ヘクタールの造成計画(紅茶産業化計画)をたてて紅茶の100%自給を目指したが日本経済の高度成長に伴い価格競争力を失い、インドやスリランカなどとの国際競争において価格面で不利が拡大した。
昭和46年(1971)に紅茶の輸入自由化が行われ、以降国産紅茶は地場消費用にごく少量が生産されるだけとなった。




熊本については最も古い紅茶生産の歴史を持つが、生産量は終始低迷していた。
唯一紅茶の生産量が伸びたのは1900年頃であるが、これは県の紅茶製造奨励費によるものである。

written by お茶の虫