日本茶インストラクター協会、南風サロン - 奈良茶粥
インストラクター講座の『茶の他用途利用』で最初に紹介されている「奈良茶」つまり『奈良茶粥』はどんなものか、”百聞は一見にしかず”ということで食べに行ってきました。
「奈良茶粥」とは江戸時代に流行ったようで、これは栗や芋、大豆などをお米と一緒にお茶で炊くものだったとか。
まず訪れたのは奈良公園内にある○の茶屋、3150円の茶粥弁当を食べました。


手前右が茶粥

出てきた茶粥に使ってある茶は煎茶、しかもよ〜く被せの効いたものでした。
茶粥とは庶民の食べ物、だったら煎茶が使われるはずがない。
煎茶は今でこそ一般的であるが明治の頃は重要な輸出品、輸出が奮わなくなって国内需要に振り替えられたことで普及してきたという経緯から考えると、茶粥に煎茶が使われるはずがない。
「この茶粥はゼッタイ違う。これは庶民の食べ物ではない。」とブツクサ独り言を言っていたら、隣に座っていた60歳代の老人が「茶粥にはほうじ茶や番茶を使うのが一般的。昔の茶粥はご飯粒が碗の底に沈んでいるくらいサラサラしていた。」と教えてくれた。
「貧しかった頃の食べ物ですネ。」と相づちを打ったところである。
お店の方に「昔ながらの茶粥はほうじ茶や番茶を使うのでは・・・」と尋ねたら、「うちは大和茶の煎茶を使っています。」と、昔ながらの茶粥を再現しているのではないと言わんばかりであった。

次に茶粥を食べたのはホテルでの朝食、メニューの一つに茶粥があった。
ここの茶粥はほうじ茶、本来の茶粥に近いものと思われた。
三回目に茶粥を食べたのは法隆寺近くのレストラン、ここでは茶粥の上にはったい粉とあられがトッピングされていた。


左側が茶粥

茶粥は寛永20年(1643年)の『料理物語』に紹介されるのが初めてである。
当時は煎茶も作られていなかったし、正史としては釜炒り茶の伝来もまだの時代である。
その頃の茶粥に使われていたのはどんな茶か、考えられるのは晩茶、また可能性として釜炒り茶も否定できない(隠元禅師による鍋煎茶の伝来以前に釜炒り茶が伝わっていた可能性が大きいから)。
また、奈良で茶粥という食べ物が食べ継がれてきている背景には何があるのか、興味は尽きないのである。

written by sakataka