帝国の竜神様 異伝 ゼラニウムの物語 その五

「♪誰が私を知っているの? 誰が私を愛しているの?
  私はずっとここにいるのに 誰一人として私を知ろうともしない・・・・・・」

 窓からさしてきた朝日が裸の辰馬の目を開けさせ、辰馬の寝顔を見て笑っていた裸のアニスが不意に歌い出す。
 魔術協会からの帰り、そのままアニスに引っ張られこうして褥を共にしている。
 まぁ、ちょっと修羅場が発生してベルに豪快に引っかかれたのだが、アニスの魔法で傷は綺麗に治っている。
 歌を寝ぼけたままの顔で聞いている辰馬に向かって、アニスはいたずらをした子供のように微笑む。
「酒場で歌った歌よ。
 覚えてる?」
「ああ」
 頭が覚醒していないのだろう。そのままアニスの胸に顔を埋める形になる。
 さながら、乳を求める赤子のように。 
「この歌はね、永遠に近い寿命を持つ精霊の女と人間の男の恋歌の話なの」
 辰馬の頭をなでながらアニスは優しく歌う。
「この歌の本当の伝説を知っている?」
「知らない」
「けっこう有名な話なのに……
 とういえば辰馬って西方世界の人じゃないのね」
 アニスの胸の温かさが気持ちよくて辰馬はまた眠たくなる。
「元の話は人間の男女の普通の恋愛話。
 二人は婚約していたの」
「婚約?」
 アニスの視線は遥か昔を見ていたのに胸に抱かれる辰馬はその視線を見ていない。
「男は魔術師でね、中央世界にある魔術師学園での修行が終わったら結婚するつもりだったそうよ。
 だけど、あの当時の中央世界は戦乱がひどくて、3年の約束までに彼は戻ってこなかったのよ」
 辰馬は何も言わなかった。アニスの邪魔をしたくなかったから。
「一年経ち、二年経ち、少女が女となっても彼は帰ってこなかった」
「その少女はどうしたんだ?」
「彼女は恐怖したわ。心の中で彼を愛していたから。
 変わって行く、年を取る自分に恐怖したわ。
 彼が帰ってきたときに私のことを気づかないのを恐れたの」
 アニスの過去の話とうっすらと感じてはいたが、辰馬は確信した。
 その確信をアニスも知っていたから、決定的な一言をついに言葉に出した。

「だから、精霊に頼んで時を止めたの」

「ゼラ……
 いや、ゼラニウムは私の恋人だった」
 愛称で彼女の名を呼ぶエルミタージュの声には愛を感じざるをえなかった。
 ゼラは街の娼婦だったけど、その愛は本気だったし、戻ったら約束どおり結婚するつもりだった。
 だが、中央世界の戦乱の為に魔術師学園に留まらざるを得ず、それなりに年を取った彼が30年ぶりにこの街に戻った時、別れた時のままのゼラを見て全てを悟った。
 誰も近づかないほどの背後に見えるどす黒いオーラと、エルミタージュをはるかに超える甚大な魔力と共に。
 その時エルミタージュがゼラに名乗り出る事ができれば歴史は変わっていただろう。
 だが、エルミタージュはゼラの魔力が、ゼラにそこまでさせた狂気が怖かった。
 姿と名前を変えてエルミタージュは魔術協会に入り、そこから先はゼラの研究を調べた結果だ。
 魔法で老いを止める技術は完成している。
 だが、常時維持の魔法をかけ続ける為に必然的にマナ汚染に感染しやすくなる。
 ならばとある魔術師が考案したのは、最初から汚染させた常態でなお精神が正常なら問題がないのではないかと。
 その理論に先天的にできる勇者以外の対竜兵器を研究していた魔術師が着目する。
 その被験者に選ばれたのが、エルミタージュを待つ為に志願したゼラだった。
 失ってもいいモルモットの一人として選ばれたゼラは、多くの被験者が狂い死んでゆく中で生き残り、彼女はその狂気と共に恐れられる存在になっていった。
 彼女にある種の洗脳――エルミタージュを待つ為に全てを犠牲にする――をかけ負の感情で精神を固定化させた結果、マナ汚染下でも攻撃魔法が撃ち続けられる兵器になっていた。
 更に、都市内部の結界魔法を使い人々から少しずつ魔力を供給する体制を構築。
 膨大な魔力の元で各種の強化、対物・対魔防御魔法をゼラにかけ続け、ゼラを化け物にしていったのだった。
 二人目の勇者を出せなかった理由はこれにある。
 都市防衛線限定の決戦兵器、だがその力は下手すれば竜を落とせる。
 それは十分勇者の称号をえるに相応しい兵器だった。
「だからゼラを連れてイッソスに行ったのだ」
 話がかみ合わないので首をかしげたボルマナに、内海はいち早く己の間違いに気づいた。
「そういう事ですか。
 だから、トローイア全ての人間を根絶やしにする必要があったのですね」
 その一言で、十万の命を贄にゼラを助けた男は重荷を下ろしたような顔で笑った。
「ええ。
 私はトローイアの人間です。
 そして、ゼラは、トローイア二人目の勇者です」

 イッソスとトローイアの勇者の相打ちはトローイアから外れた戦場で行われた為にゼラを出す事はできなかった。
 そして、相打ちの情報が流れた時トローイアは勝利を確信する。
 トローイアの街にはゼラがいる。
 イッソス軍にはもう勇者がいない。
 彼らはいずれこの街から去る事になるだろうとお祭り騒ぎに浮かれていた。
 だが、エルミタージュはこの相打ちを聞いた瞬間、ゼラが勇者として祭り上げられる事に恐怖した。
 これから先、ゼラはエルミタージュを待つという狂気の元にひたすら人を殺し続けるのだろう。
 愛していた女が自分の為と信じさせられて、無関係の人間を殺す。
 それがエルミタージュには耐えられなかった。
 だから、その浮かれた隙をついてエルミタージュは寝返りを決意する。
 イッソス軍に匿名で「勇者はいない。街はイッソス軍が去ると信じて油断している」と連絡し、イッソス軍は偽装の撤退をし夜半から総攻撃をかけた。
 この時、悲劇が起こる。
 トローイアは戦場だった為に負の感情で汚染されたマナで溢れており、ゼラはそのイッソス軍迎撃の為に大量の負のマナを吸い取っていた。
 そんな時、彼女を連れ去る為にエルミタージュがゼラの記憶の姿で現れてしまった。
 ゼラの記憶にあるエルミタージュを見つけたゼラは己の姿と罪の意識で自我を崩壊させて暴走。
 更にゼラが溜め込んでいた汚染されたマナが魔力供給の結界魔法を逆流してトローイア全住民に逆流。
 かくしてトローイアの住民はその負の感情に狂って住民同士で殺しあい、そこを進入してきたイッソス軍に攻め込まれて滅んだ。
 暴走後に消えたゼラを探してエルミタージュが王宮に踏み込んだ時、死体の中、兵士達に輪姦されていた王妃と王女に混じって犯されているゼラを見つけたのだった。
 一月に及ぶトローイア滞在も攻め込んだイッソス軍にも汚染者が出たからであり、同時にゼラの復讐としてエルミタージュはトローイア住民を完全に消し去るつもりだった。
 ゼラが狂った以外は全てエルミタージュの思惑通りに進んだ。
 ゼラの存在はトローイア殲滅という悲劇の中に消え、真実を知っている者はエルミタージュを除いて死んだか狂っていた。
 トローイア陥落の大功でその後正体を明かしたエルミタージュは、イッソスの魔術協会の重鎮となり現在の地位の足がかりを作った。
 そして、その殲滅戦とわざとずらす様に狂艶の公女ゼラの伝説をばらまき、彼女の存在は嘘で塗り固められたのだった。
 そこまで手を打って、エルミタージュは自らの魔法でゼラの記憶を消す。

「それからどうしたんだ?」
 もう暖かい季節なのに辰馬の体は震えていた。裸だから寒かったのだと思いたかった。
 優しく辰馬を抱きしめながらアニスはまた過去へ旅立つ。
「それから十年待ったけど、彼は最期まで帰ってこなかったの。
 彼女の中で彼が死んだと信じるのに更に十年かかったわ」
「それからは?」
「自分の時を止めても時間は流れて行くわ。
 彼女は魔女として恐れられ、近寄る人すらいなかった」
 アニスは辰馬の頭を撫でて微笑み決定的な言葉を繰り返す。
 もう、後戻り出来ないように。
「自分の体を不老にした私にとっては禁忌なんて関係がなかったわ。
 あの戦乱の時代。彼らの研究に力を貸したと代償に・・・・・・私は・・・・・・」
辰馬はアニスの言葉を聞きたくなかった。
 アニスの傷を触りたくなかった。
 だけど、体は動かない。
 何も言えない辰馬を前にアニスの告白は続く。
 アニスが話す度、秘密を教える度に辰馬にはアニスの声が艶やかに、そしてはかなく聞こえた。

「・・・・・・記憶を消したの」

 ぽたり。
 辰馬の頭に暖かい水滴がたれた。
「全ての記憶を消して、新しい人生をやり直そうとしたの。
 だって、死ねないから。
 あの人の居ない世界で生きるのが辛かったから。
 だけど、忘れ去られるのはいやだった。
 何のために生きているのか、自分の存在を世間に残したかったの」
 そのまま辰馬は眠気に襲われる。
 眠りの魔法をかけられたと気づいても体が動かずに意識が遠くなる。
「アニスの花言葉を知っている?
 『人を騙す力』って言うのよ」
 その言葉を最後に辰馬は眠りに落ちた。

「ゼラニウムの花言葉を知っていますかな?
 『愛情・信頼』の他に『偽り』というのがあるのですよ。
 ゼラは、愛を信頼して、偽りの姿で世界に立たねばならなかった。
 狂ったゼラを奴隷として隠してイッソスに入り、彼女の記録を私は消した」
 それは、ゼラの中にある彼自身の記憶も消す事だった。
 恋人同士でもなく、魔術師と勇者でもない、主人と奴隷の関係からのやり直し。
 けど、それは二人が多くの命を生贄に捧げて得た幸せだった。
「ゼラは記憶を失ってもゼラの体は覚えています。
 肉の快楽と血の快楽を。
 だから、娼婦として客を取らせ、マナ汚染で壊れる前にマナを自分で操れるよう魔術を私が教えたのです」 
 それは今までうまくいっていたのだ。
「私は新しく彼女に名前を与えました。
 アニスと。
 花言葉の『活力』は私にはぴったりでした。
 アニスは、私の生きる力だったのですから。
 私は、アニスの為に生きています」
 エルミタージュ自身も狂っていると内海は思ったが口に出さなかった。
 10万の同胞を死と狂気に至らしめ、なお一人の女性を愛し続ける彼の思いを狂っているで片付けたくなかったのだった。
 内海の沈黙で察したエルミタージュは心からの笑みを浮かべる。
「実はアニスも、己の過去は知っているのです。
 昔、私が罪に耐え切れずに彼女に贖罪を求めた事がありました」
 エルミタージュの告白にボルマナが違和感を覚える。
 記憶を消した魔法の解除では無く、ただエルミタージュの贖罪ならば、アニス自身の記憶は戻っていない。
 おそらく自分の記憶と自信が持てず、人事のように聞いていたのではないか。
 顔に出ていたのだろうボルマナの方を見て、エルミタージュは首を縦に振った。
「貴方の考えている通りです。
 呪いの域にまで達してかけた忘却の呪文は、愛していた男の告白ぐらいでは解けません。
 けど、その時彼女は何て言ったと思います?
 『おかえりなさい』。
 その一言が、どれだけ私を救ったことか」
 涙を流してエルミタージュは話を続ける。
 多分、そんなに考えずにアニスは言ったのだろう。
 優しく微笑んでエルミタージュを抱きしめて『おかえりなさい』と言った時、己の幸せが全て叶えられた事をエルミタージュは知った。
 だから、今度はアニスの幸せをエルミタージュが叶えないといけない。
「私も年です。
 既に150年以上生きている。
 いつ死んでもおかしくないが、私が亡き後、アニスは勇者として確実にどこかに取り込まれるでしょう」
 内海の方を向いてエルミタージュは頭を下げた。

「アニスを、いや、ゼラニウムを開放してやってください」

 長い長い贖罪の果てに聞いたこの場での本当の話に、内海は今までの感情を捨てて、帝国の利益を考えながら口を開いた。
「一つ質問したいのですが、具体的に何をしろと?」
 内海の言葉にエルミタージュは笑って口を開いた。 
「彼女を帝国に亡命されてあけでくだされ」
 突拍子の無い言葉が出てきてさすがに内海も面食らうがそれを抑えたまま尋ねる。
「私どもにそれを受けるだけの価値はありますか?」
 内海はわざと突き放す。
 いままでの感情に流されずに利害計算だけを考えたいからだ。
「竜が暴走した時の押さえとして勇者が使えますぞ」
 エルミタージュもそれをわかってアニスを亡命させるメリットを強調する。
「貴方は、彼女を勇者として使うのを嫌がるからこの国から彼女を逃がすのでは?」
「ええ。
 アニスは帝国に行けば彼女は勇者の仕事はしなくて済むでしょうからな」
 エルミタージュの矛盾した物言いに内海は即座にその矛盾を尋ねた。
「理由はお聞かせ願えるのでしょうな?」
「竜に『ナデシコ』と名前をつけて彼女の眷属を助ける為に、この奴隷市場でダークエルフを買いあさっている貴方方が、竜を暴走させる事はできないでしょうからな」
 確信を持ったエルミタージュの言い方に内海が皮肉をこめて答える。
「暴走の仕方を知らないだけかもしれませんよ」
 内海の皮肉に今まで浮かべたどの顔より真剣な表情を持ってエルミタージュは口を開く。
「我々は貴方方より長く竜と付き合っているし、竜を知っているつもりです。
 取引の前報酬に教えておきましょう。
 竜とその眷属をあまり信用しない方がいい」
 目の前にその眷属であるボルマナがいるというのに、エルミタージュはあっさりと言ってのける。
「竜が害を与えるという事ではなく、もっと本質的な事で貴方方は竜によって害されるでしょう。
 そして、気づいた時には何も出来なくなっている。
 我らのように」
 はっきりとした自嘲をこめてエルミタージュは内海に告げた。
「肝に銘じておきましょう」
 ひとまず内海はその忠告を受け入れるが、受け入れたところで内海には何も出来ないからである。
 内海は竜関連の話を先送りして、自身の手で片付けないといけない話を切り出す。
「それから、ガースルの一件なのですが」
 その一言でエルミタージュも分かった。
「ガースルを殺したのは太守家の者でしょう。
 ガースルがアニスの秘密を知り、彼が脅していたのは知っていました。
 ゆえに、私の方で手をだせなかった。
 太守家がアニスの秘密を知ったのならば、必ずアニスを太守家に取り込もうとするでしょう」
「何故そんなに急いでいるのです?」
 内海の言葉にエルミタージュは分かっていないのかという顔で口を開いた。
「貴方方のせいですよ。
 貴方方が竜を引き連れてこの港に入ってきた。
 はっきりとこの国に勇者が必要な状況を作ってしまったからです」
 勇者を持つという事は、それだけの魔法を消費しマナを汚染する。
 それは生活に魔法が組み込まれているこの世界の住民にとって、確実に生活の圧迫要員になる。
 最初はトローイア戦で傷ついたイッソスの国力の建て直しと、諸外国の恫喝の為に行われた「ゼラニウムの魔道書」の嘘は間違いなく効果があった。
 ゆえに次の勇者の育成を疎かにし、カッパドキアは勇者に対して使う魔力まで生活に組み込むことで西方世界の玄関と呼ばれるほどの繁栄を迎える。
 だが、現実の脅威として竜を従えた帝国がこの地にやってきた。
 今は交易で両国がうまく互いの益を出している。
 だが、それを見ている他国、特に慢性的マナ汚染と魔力不足を抱えている中央世界の人類諸国家連合は間違いなく介入する。
 かの国にとって清らかなマナを作れ、無尽蔵の魔力を誇る竜というのは是が非でも手に入れねばならず、しかも五匹いた竜のうち四匹は未だ行方不明である。
 勇者を投入してでも帝国から竜を奪うだろう。
 その時、玄関口にあたるカッパドキアは間違いなく巻き込まれる。
 急いでカッパドキアは勇者を作らねばならなかった。
 そして、そんな場所にゼラはいる。
 間違いなくまた勇者として矢面に立たされるだろう。
 それはエルミタージュの望みではなかった。
 そして、内海はゆっくりと答えを口に出した。


帝国の竜神様 異伝 ゼラニウムの物語 その六
2010年10月07日(木) 19:03:46 Modified by nadesikononakanohito




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