帝国の竜神様閑話07

 どんがらがっしゃん!
 銀座のおしゃれなカレー屋でその音は豪快に鳴り響いた。
「何だ貴様!反攻するのかっ!!」
「お黙りなさい!
 仮にも帝国の国防を担う軍の将校が権力をかさにきるなど言語道断!
 恥を知りなさい!!」
 両方とも偉そうに声を張り上げるが着ている制服と性別が違っていた。
 片や女でナース服、片や男で陸軍参謀だった。
 そして女の隣には怒鳴られた子供が泣いていた。

 きっかけは子供が食事中にカレーを飛ばし、隣の陸軍参謀の服にカレーをつけてしまったという些細なことである。
 この銀座にあるカレー屋は大陸戦争終結の開放感の空気に乗って少しずつ店の営業を広げていった。
 国家統制色が薄まって、女性参政権が認められた事による女性の地位の向上が彼女たちの消費を引き出した。
 国家総動員法を無視するかのように、ドイツ占領下のフランスやイタリアから輸入された衣服に始まり、鞄、靴、香水、宝石、化粧品などの消費拡大が景気牽引の一翼を担うようになると、今までの恨みとばかり女性達が表に次々と出てきた。
 その主体となったのは既に社会的に認められていたナース達だった。
 彼女達はそのまま神祇院に組み込まれ、神祇院看護局としてその政治的地位を確立した。
 街を威風堂々と闊歩するナース達は社会の最先端となり、その権利拡大は政府から軍に至るまで急速に広がっていった。
 これに面白くないのが軍、特に今まで我がの世の春を謳歌していた陸軍参謀本部主流派である。
 別に彼らの権力が落ちたわけではないのだが、大陸の戦争終結で相対的に軍の影響力が衰えつつある現在、この勢いある新興勢力を叩いてしまわないとという危機意識は末端にまでいきわたっていた。
 もちろん。事件の当事者の一人であるこの参謀殿にも。
 で、もう片方の当事者であるこのナース女子もまた資本家を父に持ち、看護学校を卒業して帝都の病院で働くだけあって頭も切れ、そして現場なれしていた。
「この餓鬼っ!」
 カレーをつけておびえる子供を殴ろうとした参謀の拳を払って子供を守った彼女の最初の言葉が冒頭の光景である。
 双方十分に敵意あり。
 かくて、陸軍参謀本部と神祇院看護局という官僚の戦いはこうして始まった。

「貴様ら女にはわからんだろうが天皇陛下より与えられし軍服に無礼を働くという事は本来万死に値するのだ。
 その事をその餓鬼に教育する行為を邪魔するというのは、天皇陛下に逆らうことになるのだぞ!」
「ほほう。その事を天皇陛下がご許可なされたというのなら、その法律・条項・条例、何でもよろしいですわ。
 どうかこの学の無い私にお教え願いませんか?」
 今まで、全てこの一言で押し通してきた彼にとって、その行為の正当性を真っ向から提示しろと言ってきた事自体が衝撃だったので参謀は声に詰まった。
「な、こ、根拠など……」
「どうしたのですか?
 貴方は、天皇陛下の名の下に子供を殴るという事をしようとするのでしょう?
 ですから、どういう根拠でその行為を正当化するのかおっしゃってくださいませ」
 挑発的に返されて、参謀も怒鳴り返す。
「やまかしい!
 統帥権によるものに決まっているだろうが!」
 この時、参謀は勝利を確信していた。
 ここ数年は戦争により軍の影響力は極限化しており、どのような事も統帥権で押し通してきたのだった。
「統帥権ですか?
 つまり、陛下に聞けと?」
 にこやかな笑みを浮かべる彼女に対して参謀はやせ我慢でしかないと勘違いしていた。
「そうだ。きさまら女には国政の崇高な所は分からんだろう。
 おとなしく、家で裁縫でもしているのだな」
 あからさまな侮蔑の笑みをナースに投げつけるが彼女の笑みも崩れる事はなかった。
「分かりました。
 では、陛下に聞いてみます」
「は?」
 ナースが発した言葉を最初参謀は理解できなかった。
 そして、その言葉が理解した瞬間に参謀は豪快に笑い出した。 
「わはははははは……
 何を言っている?
 貴様ごときが陛下に尋ねるだと?
 思い上がりも大概にしろ!」
 怒鳴りつけながらも、参謀の頭の中に不安感がよぎった。
 怒鳴っても、脅しても、嘲笑しても彼女は微笑んでいる。
 その不気味さに参謀も引いた。
「ふん。
 貴様の大言壮語に免じて今日は引いてやる。
 だが、忘れるな!
 我々皇軍将兵は天皇陛下の命によって動いており、その行動を阻害する者は誰もいないとな!!」
 虚勢を張ってカレー屋から出てゆく参謀などもう見ていないナースは子供の頭をなでながらぽつりと呟いた。
「だから尋ねると言っているのにね」
 参謀は知らなかった。
 女とは、敵に対して上下関係など気にせずに容赦なく敵を殲滅する生き物である事を。

 数日後、参謀本部に激震が走った。
 神祇院看護局の正規スポンサーである日本赤十字社から届いた抗議文の名前に、赤十字社総裁である皇后陛下の名前が書かれていたのだから。
 もちろん、皇后陛下は政治的主張についてはまったくと言っていいほど言質を与えなかった。
 銀座のカレー屋で起こった最初のきっかけ、陸軍参謀が子供がつけたカレーを天皇の名前を出して殴ろうとしたについては「皇軍将兵としていかがなものか」という懸念を文章で伝えたに過ぎない。
 だが、効果は絶大だった。
 神祇院は統帥権唯一の弱点である天皇決済という行為ができるというのを陸軍にむざむざと見せ付けたのだから。
 この抗議文に参謀総長が真っ青になり、参内して陳謝する始末。
 これに対抗しようがない参謀本部が取れる選択肢は敗北しかなかった。
 かくして、面前で乱基地騒ぎの果てに統帥権まで持ち出したこの参謀はその総帥権によって千島最北端に飛ばされる事となった。
 で、官僚的には丸く収まったはずなのに、これを新聞社が嗅ぎつけて大々的に取材しだして事態は思わぬ方向に向う羽目になる。
 仕掛けたのは親独系の多い陸軍主流派を失脚させたいイギリス情報部。
 彼らは、ナース達の情報提供と女性参政権がらみで手に入れた大漁のヴィクトリアンメイド達によってこの騒動の一部始終を掴み、それを同じ女性参政権運動で動いていた主流派の女学生達に垂れこんだのだった。
 こういう時の女の団結力は怖い。
 彼女達が騒ぎ、それを新聞社が掴み、さも被害者顔をしてナース達が陸軍の非道を訴える展開に統帥権を封じられた陸軍は何もできなかった。
 そしてこの騒ぎは当事者達の遥かに想像以上の影響力を持つ事になる。
 統帥権で我が世を謳歌していた陸軍主流派が新興勢力たる神祇院にその統帥権で敗北する。
 陸軍は大陸、撫子とメイヴ保護とことごとく海軍に得点された矢先でこの大失点に主流派の怒りが爆発したが対ソ戦準備でそれでころではなく、散々振りかざしてきた統帥権が神祇院にまったくきかない事実を無視せざるをえなかった。
 そして、それをみて陸軍に煮え湯を飲まされてきた内務省を中心とした勢力が次々と神祇院に協力しだしたのだ。
 次々と神祇院付きの女性職員が各省庁に対軍交渉用に登用されていった。
 軍が省庁に文句を言っても、彼女達の「では、聞いてみましょうか?」の一言に沈黙せざるをえなかった。
 軍は「陛下をそんな世事に関わらせるな!」というロジックで神祇院を封じ込めようとしたが、再三再四陛下を持ち出して暴走していた軍が言った所で「お前が言うな」と周りから笑われる始末。
 結果、内務省対軍の主導権争いと対外路線対立から来たクーデター未遂において、軍が決定的な敗北を行うきっかけとなるこの事件の事を「銀座カリー事件」と呼ぶ事となる。
 なお、千島最北端に飛ばされたくだんの参謀氏はその後の復讐を誓い内地に戻るたびにそのナースにちょっかいを出し続ける事になるのだが、その後彼からのプロポーズでそのナースと結婚するという予想外の結末を持って彼女達への復讐は完結する。
 「彼の何処が良かったんですか?」という部下達の質問に、看護局局長まで駆け上がったそのナース女子は「杓子定規なまでに真面目な所と、人前で虚勢を張るけど二人だけだと甘えてくる所かな」と笑って答えたという。

 帝国の竜神様 閑話07
2007年03月24日(土) 18:47:03 Modified by nadesikononakanohito




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