帝国の竜神様閑話11

 あらかじめお断りしておかなければなりませんが、私がこれから語る物語は紛れも無い事実であり、決して公文書に記載されてはおりません。
 あらゆる巨大な組織、分けてもその無謬(むびゅう)性とそれによって立つ集団の存続そのものを最大の主題とする官僚組織においては、驚くべき事に現実なるものはしばしば存在せず、しかもたえず現実に備えねばならぬ事を宿命付けられた軍事組織においてその組織の論理がどのようにその末端に連なる人々を翻弄するか。
 組織に身を置き、組織に連なる事においてのみ、自己の理念を追求しえた一群の人間たち。
 相容れぬことの無い論理の狭間に引き裂かれながら、ただ知恵と勇気のみを武器に危うい平和を実現しえた者達。
 けれども、こうして物語を綴りながら、私の胸に重くわだかまるものは消えず、私の筆跡も乱れ誤りを犯しそうになるのです。
 海上護衛総隊の歴史の中にあっても、決して語る事を許されなかったある事実。
 今、私が語らなければ、歴史の闇の奥に消えてしまい決して日の目を見ることの無かったであろう物語。
 海上護衛総隊の最重要機密事項であり、幹部はおろか関係国は皆知っていながら、見ぬふりをしていた公然の秘密。
 それを語る事で、あの愛すべき人々を裏切る事になろうとも、私は語らなければならないのでしょう。
 この命が終幕を迎えようとする今こそ。

 元来、米海軍と行われるマリアナ沖での一大決戦に向けて艦隊を整備している海軍の中でも、油槽船や海防艦等の兵給活動に必要な船舶を扱う部門は昭和17年4月にやっと連合艦隊指揮下で第一・第二海上護衛隊が設立されたにすぎず、その所属艦艇も旧式艦で揃えられたにも関わらず、太平洋という広大な海での作戦行動を考えると平時においてはその装備や維持運用に桁違いの予算措置を必要とする特殊な集団であると言えるでしょう。
 何ならそれを軍令部の某幹部の言葉を借りて『金食い虫』と呼んでも差し支えないかもしれません。
 正直なところ、海上護衛総隊幹部の仕事と言えば「いかにしてこの大所帯の維持・運用を賄うに足る予算を獲得するか?」その一点にあったといっても言い過ぎではありません。
 艦艇の整備については、その部品調達から整備に至るまで海軍の工廠があるものの、常に連合艦隊優先の為その合間をぬって利用をするしかなく、訓練や人件費で海軍に計上された予備費はただちに底をつき、新艦艇に関する予算は常に先送りせざるをえませんでした。
 同じ海軍とは言いながら、菊の御門をつけ花形と持ち上げられる連合艦隊と比べ、小艦艇で常に後方を走り回り戦艦や空母ほ羨ましそうに見つめる水兵達と旧式艦の整備を限りなく強いられる整備兵達。
 使い古された旧式艦で活動する彼らにとっては、新型艦の獲得こそが指揮向上の中心的命題とならざるを得ず、そして皮肉な事にまさにその課題こそが海上護衛隊の政治的・経済的破綻を救う事になるのです。

 そう。バンコク商会です。

 当時、竜の襲来という奇想天外な事態で対英米戦を回避した帝国は、竜によって政治的機能不全に陥った米国に変わり、大西洋で危機に喘いでいる英国からの提案に乗り中立国であったタイのバンコクに商会を設立。
 その商会に護衛隊の首脳部と艦艇をそのまま転籍させて、インド洋を中立国扱いで物資を運ぶという考えを誰が考え出したのかは今となっては定かではありませんが、その商会に所属する事になった海防艦や商船達が、護衛隊自立への踏み出した第一歩だったのです。
 当時の帝国の海上護衛能力は脆弱で、海軍中央においても船団護衛の必要性は考えられておらず、本気で独逸潜水艦が攻撃を仕掛けてきた場合その対処は不可能であると護衛隊首脳部は考えていました。
 しかし、英国がマダガスカルを攻略した後のインド洋にて、インド洋での拠点を持たぬ独逸潜水艦が活動をするには難しく、そして、ここからが重要なのですが、商会所属艦が独逸同盟国および占領地に隣接する中立国トルコへ向けてゴムや錫、挙句に帝国で作られた零式輸送機を輸出しだすと、独逸潜水艦のインド洋での活動の終焉までたいした歳月を要しませんでした。
 大陸での10年に渡る戦争によって疲弊しきっていた帝国は、この商会の交易なして生きる事は難しく、戦局によってインド洋や地中海で暗雲が漂い取引量が落ちるやいなや帝国の国力回復の動きは乱れ、統制経済の立て直しと参戦を目指し外交上のフリーハンドを得たい帝国上層部は冗談ではなく商会解散令を出そうとしたその時、まさにそこに着目したのが北崎さんだったのです。
 彼の参入は、事態を思わぬ方向に向かわせる事になりました。
 そう。それまで一部の帝国海軍艦艇と帝国商戦団のみで行っていたバンコク商会の交易の更なる拡大への移行がそれでした。
 彼はその眠れる脳髄をレイプし、豊富な人脈を動員して、断固としてインド洋の交易拡大を目指したのでした。
 大戦続く大西洋と地中海に隣接するインド洋での交易拡大に向けて、主力艦を除く連合艦隊はむろんの事、帝国の手すきの艦艇に根こそぎ動員がかけられましたが、大戦による各国の船舶喪失と戦争という需要増に追いつかず、何より帝国一国の船舶生産量では拡大はおろか、現状のインド洋交易を賄いきれない大きな要因となりました。
 帝国における船舶生産という要員に左右される事無く、安定した船舶の確保に向け、彼は最後の境界を踏み越えます。
 そう。合衆国から船舶を買い付け、合衆国東海岸から喜望峰を通りインド洋に入るルートへの進出です。
 一体どうやって、あのような船の購入を帝国および合衆国政府に認めさせたのかそれは今に至るも不明のままですが、ともかく船は完成し、合衆国の生産力を結集し日の丸を掲げたリバティ船団とコルベット艦の群れは、ロイズの保障の元でイラン向け対ソレンドリースを満載に積んで、英国および独逸さらには合衆国海軍の勢力が錯綜する大西洋に向けて、制海権を完璧に無視したまま、満艦飾を施して出航していったのです。

 はじめはそれとなく、そしてやがては急速に事態をエスカレートさせ、気がつけば関わる人々に本来の在りようを大きく踏み越えさせる北崎望なる複雑怪奇なる人物は商人でなければ間違いなく天才的な詐欺師として名を馳せたに違いないでしょう。
 その後北崎さんは交易ルートの開発にも熱心で、中国大陸向け国民党支援ルートにも一枚噛み、昭和18年に海上護衛総隊が正式に設立されて海軍将兵が引き上げた後にバンコク商会は北崎通商に改名。
 北崎通商は北崎財閥の中枢を成しながら、できたての海上護衛総隊に人・物・金を支援し続け、海上護衛総隊は連合艦隊からの独立性を掌中にしたのです。

 存在が意識を規定するのだとするなら、開戦直前の海軍後方支援という官僚組織上の辺境にあって、その地形効果を最大限に生かし、交易品を武器に中央と渡り合ってこれに勝利した北崎社長の機略は「意識によって存在を再規定してみせた快挙である」というべきなのかもしれません。
 ただ、私はこうして語り終えた今も一抹の不安を打ち消す事ができずにいるのです。
 北崎さんは日本海軍海上護衛総隊を何処に連れて行こうとしているのか?
 その先に、私達をどんな運命が待ち受けているのか?
 その新たな物語を語る機会は、おそらく、やってくる事は無いのでしょう。


 大井篤 海上護衛総隊闇史(民明書房刊)より

 帝国の竜神様 閑話12
2007年09月16日(日) 02:54:05 Modified by hrykkbr028




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