帝国の竜神様01

 もし、天佑というのがあるのなら、これこそ天佑なのだろう。
 もっとも、それは俺自身にとっては不幸以外の何者でもなかったのだが。
 こうして、俺の日記の12月1日は始まっていた。

 この日、俺--真田博之海軍大尉--は霞ヶ浦で受領した零戦を受け取りその試験飛行に空を飛んでいた。
 気持ちのいい冬晴れの日だった。
 こいつ--零戦--も心地よいリズムでそのプロペラを回しており、この空に今こいつに敵う者はいないと信じていた。
 そういう事を思いながら、顔が暗くなる。
 今、帝国は大陸の戦争の泥沼を尻目にこういう物を大量に作ろうとしている。
 更なる大陸の戦火の拡大か、それとも噂されている対米英戦に向けての準備か、どっちにしろ碌な事にはならないだろう。
 さて、俺が配属されるのは何処だろう?
 空母か?台湾か?しばらくは本土の空を飛ぶ事もないだろう。
 そんな事を考えていた時、東の空に黒点を見つけた。
 飛行計画では、今飛んでいるのは俺だけのはずだが?
 確認したくても、ついている無線では霞ヶ浦の基地まで届かない。
 今度、無駄だと思うが無線の向上について何か上に言っておこう。
 つらつらと考えていたが、体は未確認飛行物体に鋭敏に反応した。
 計器で状況を確認、燃料と武器を確認。
 フルスロットルでその黒点の方向に近づいてゆく。
 あとで考えてみれば、こいつを見つけなければ俺については幸せだったのかもしれん。
 だが、帝国本土に何かあった時には俺の首だけでなく海軍上層部も腹を切らねばならぬ。
 そんな事を考えていたような気がしたが、覚えていないのはその黒点をはっきり見てしまったからである。
 なんだこれは?
 いや、見たことがあるといえば見たことがある。
 たしか、母や姉が俺に寝る前に語った昔話にあったような気がする。
 というか、いたのか?
 錯乱したままそれとある程度の距離を置いてすれ違った。
「なんだあれは!?」
 誰に聞かれるわけでもないのにエンジン音に負けないぐらい大声で叫んでいた。
 いや、いい加減そいつの正体は分かってはいる。
 本好きだった俺はそいつが出てくる話だって読んでいる。
 認めたくないだけだ。
 慌てて機首を翻してそいつを追いかける。
 蒼穹の海をどうやって浮いているのか知らんがくねくね泳ぐ蛇。
 昔話が本当ならば、そいつは竜と呼ばれている。
「まずいっ!」
 やつは、俺の来た方向に向かっていた。
 つまり霞ヶ浦、日本本土に。

 霞ヶ浦の基地でも確認できたのだろう、慌てて飛行機を飛ばそうとしている。
 しかし、間に合いそうに無い。
 空襲警報のサイレンがけたたましく鳴っていたのだろう霞ヶ浦の基地をそいつは軽々しく飛び越えていった。
 そりゃそうだろう。
 いくら大陸で戦争しているからといって、本土が、ましてや帝都東京が太平洋側から脅かされるとは誰も思ってはいなかったのだから。
「この先は帝都じゃないか!!」
 こんな物が帝都に侵入しようものなら、どんな大混乱になるか分かったものではなかった。
 霞ヶ浦からの通報で帝都周辺の基地群に空襲警報が出ているだろう。
「竜が飛んできた」
 と報告しても「馬鹿か」で終わりだろう。
 とはいえ、この姿を多くの人間が見ている以上いずれ陸軍も動き出す。
 陸軍にだけはこの竜を渡したくは無い。
 今の位置から20ミリを叩き込む事もできた。
 だが、考えてみてくれ。
 仮にも羽が無くて、100メートルの巨体で空を泳ぐように飛んでいるこいつにそんなものが効くかというより、こいつを殺して祟りなんぞあった日には目も当てられぬ。
「ええい、ままよ」
 フルスロットルで一気に加速して竜の前に出ようとする。
 帝都中枢の皇居まであと数分しか無い。
 幸いかな、竜の前まで零戦はすんなりと出られた。
 竜の顔面まで零戦を近づけてバンクさせてみる。
(頼むから火なんて噴くなよ…竜神様よ……)
 せめて鳥並みの知能がこの竜に事を期待して、冷や汗をかきながら竜の反応を見た。
(失礼な!!わらわを鳥なんぞと同と思うか!!)
 妙につんつんとした女性の怒った声が何処からか聞こえた。
「だ、誰だ?無線か??」
 あまり聞こえたためしの無い無線に叫んでみたが、無線以上に透明な声が怒っていた。
(お主の後ろで竜神様と呼ばれたわらわが話しているに決まっているだろう。人間よ)
「しゃべりやがった!!」
(失礼なっ!!!お主、わらわを鳥か何かと思っているのか!!!)
 いや、どっちかと言えばトカゲか蛇と考えていた時に更に怒声が頭に響いた。
(なお悪いわっ!!!!!)
 視界に帝都が見えて来た。
 街中にある緑の宮城すら視野に入ってきている、
「どっちでもいいっ!!
 とにかく、あんたがこのまま飛んでいかれると、多くの人間が困るんだっ!
 進路を変えてくれ!!」
 後ろの竜は実にあっけらかんとした声で、
(だから?
 わらわは別に困らんが?)
 と、返してきやがった。
「馬鹿野郎!
 空襲警報はもう出ているんだぞっ!
 迎撃機も出てくるし、高射砲も狙ってくるんだぞ!!」
(そんなものでわらわが落とされると?)
 挑発の言葉にこちらもカチンときた。
「いいだろう!!
 じゃあ、試しに俺から落として見せろっ!!」

 一気に零戦の機首を下げて降下しつつ東京湾方向に出ようとする。
(面白い!!
 その自信へし折ってくれるわっ!!)
 竜も俺に釣られて降下してきた時に、少しだけ安堵した。
 これで、皇居を竜が通過するという大失態だけは無くなった。
 一気に高度を落としてそのまま低高度で東京湾に突き抜ける。
 その後を、必死に竜が追いかけてきた。
 こいつとやり合うのに格闘戦なんぞできるわけないし、何よりこいつを東京から離さないと火でも噴かれたらなんて考えたくも無い。
 早くもちらほらと上空に陸軍機と海軍機が出張ってきている。
 こっちを見つけて援護のつもりだろう。降下して射線を竜に向けようとする機に、聞こえもしない無線に怒鳴っていた。
「手を出すなっ!!これは、俺とあいつの勝負だっ!!!」
(そうじゃ。手を出すでない!
 お主等の相手はこいつを屈服させてから十分やってやるわ!!)
(!!!)
 俺のでも竜のでも無い、第三者の驚きが俺にも伝わってくる。
「おい、後ろの竜」
(なんじゃ?人間)
「連中への説明感謝する。
 見ろ。この先に海が広がっているだろう。
 あそこまで、どっちが先に出るかで勝負だ」
(よかろう人間。
 わらわが勝ったら、わらわの邪魔をするでないぞっ!!)
「勝ってから言えっ!!」
 一気に加速して浦賀水道まで突っ走る。
(小癪なっ!!)
 竜も全力を出してきたのだろう。
 今までと違う速度でこちらに、近づいてきている。
 大量の船が行きかう東京湾内で竜と零戦の低空速度レース。
 低高度を更に海面ぎりぎりまで下げて、わざと船を避けるように浦賀水道まで突っ走る零戦。
(障害のつもりだろうが甘いわっ!!)
 さすがに竜というべきか、こちら以上の速度で、零戦以上の速度で零戦と同じように障害物たる艦船をすり抜けて、零戦の真後ろまで近づいてゆく。
 速度差から、零戦を捕らえられた事を確信した竜は勝利の雄叫びをあけた。
(この勝負わらわの勝ちじゃ!!!)
「どうかな?」
 この瞬間を俺は待っていた。
(うわっっっ!!!)
 ぽろりと落ちた燃料タンクが派手な水しぶきをあげその中に突っ込んでしまった竜はそのままバランスを崩して水面に突っ込んだ。
 魚雷が爆発するような轟音がして派手な水しぶきが浦賀水道手前であがる中、俺の零戦はそのまま浦賀水道を抜けた。
「ふん。所詮竜とてバランスを崩せば物理法則に負けるという事か……」
 誰に聞こえる訳でもなく勝利の余韻に浸っていた俺の後ろから、ひときわでかい水柱が吹き上がったと思ったらさっきの竜が怒り心頭で追いかけてくる。

(卑怯者っ!!!)
 怒りからか口から炎がちらちら見える竜に俺はいけしゃあしゃあと言ってのけた。
「引っかかる方が悪い
 それに、思い出してみろ。
『あそこまで、どっちが先に出るかで勝負』と言ったよな。
 何で俺を追いかけてきた?
 そのままの高度で俺を追い抜いて先に行けば良かったじゃないか?」
(……)
 競争そのものはどうでもよかったのだ。
 ぶっちゃけ、東京湾から出して竜を迎撃できる地点まで誘導できるのならば。
 まぁ、乗ってくれたこの竜の単細胞に感謝という所か。
(やかましいわぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!
 再戦じゃ!再戦を希望するぞっ!!!!)
「どうした?
 負け犬ならぬ負け竜」
(ぬぉぉぉぉぉっっっ!!!
 屈辱じゃ!!わらわの生涯最大の屈辱じゃっっ!!!!)
「でだ。負け竜」
(やかましいわっ!!!
 その名でわらわを呼ぶでないっ!!!!)
 俺は怒り心頭で激昂しているであろう竜に冷酷かつ致命的な一言を投げつけた。
「俺が勝った場合、偉大なる竜様は何をしていただけるのでしょうか?」
(……)
 長い長い沈黙が帰ってきた。
「おーい。負け竜」
(その名前でわらわを呼ぶなっ!!!!)
「聞こえているじゃないか。
 で、何・を・し・て・く・れ・る・の・か・な?」
(……)
 長い長い沈黙の果てに屈辱に屈した竜様はぽつりと、
(……お主の好きなようにすればよいだろう)
 プライドと闘争本能がせめぎ合った結果、プライドが勝ったらしい。
 これでとりあえず、少年漫画の特集になりかねない『東京湾大空中戦!零戦対竜』なんて事態だけは回避できた訳だ。
 既に、俺達の上空には陸海軍の航空機数十機が、事の次第をじっと注視しており、海上では慌てて出てきた横須賀鎮守府の船がこっちに向かってきている。
「とりあえず、霞ヶ浦基地に帰るぞ。
 ついてこい」
(ふん。ついていけばいいのだろう)
「ついでに、上の連中と横須賀の船にも連絡頼む」
(何で、わらわがそこまで……)
「負け……」
(分かったから、わらわをその名前で呼ぶなっ!!)
 竜が伝えているのだろう、上で注視していた編隊が帰ったり、霞ヶ浦方面に機首を向けて行く。
「おい、竜」
(何じゃ。人間)
「あいにく、俺には真田博之という名前がある。
 で、お前の名前を教えろ」
(あるわけないだろう。真田博之とやら。
 我らは生物の絶対者として君臨しているのに識別の名前なんぞ必要ない)
「博之でいい。
 じゃあ、負け……」
(その名前で呼ぶなっ!!)
 苦笑したまま俺は竜に名前をつけてやる。
「『なでしこ』
 どうだ?とりあえずのお前の名前だ」
 女声だったので思いついた名前をそのまま与えてやる。
 今になって思う。
 ただの気まぐれで名前なんてつけると、相手も情が移るという事をこの時は失念していた。
(『なでしこ』か。
 博之。わらわの名前は『なでしこ』か!!!)
 既に俺は、妙にうれしそうな声をあげるこの竜の事など考えておらず、霞ヶ浦の司令にどう言い訳するかを考えていた。
 戒厳令でも敷かれたかと思わんばかりの霞ヶ浦基地に零戦を下ろす。
 ご丁寧に竜も後ろについてきた。
 基地全員が改めてこいつの姿を見て度肝を抜かれているのが分かって苦笑する。
 たしかに、全長100メートルを超える蛇が宙に浮いていれば普通の人間ならばおびえるか。
「さて、その目立つ体をどうするか……」
 頭をかきながら俺がつぶやくと、
(わらわが人の姿に合わせよう)
 後ろで声が聞こえ、まぶしい光があたりを包むと蛇の姿が消え、そこに裸の女が立っていた。
 美しい黒髪が足元まで届き、男を魅了するであろう豊満な胸は重力に負けずたわわに振るえ、美しい白い肌は先ほどまで空を飛んでいた時についた水滴をはじいて滑走路に落としてゆく。
「どうじゃ?
 とりあえず、お主の心から体を作り出してみた」
 既に亡くなった姉の顔でなでしこは笑みを浮かべて見せた。
 思い出が俺の心の中で嵐のように吹き抜けてゆくが、言葉が出たのは怒声だった。
「とりあえず服を着ろっ!!!!
 この馬鹿竜!!!!!」



 帝国の竜神様  エピソード01

                                                                         次   帝国の竜神様02
2008年10月16日(木) 07:52:38 Modified by nadesikononakanohito




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