旧安保条約
 ‘米安全保障条約 1952
 旧安保条約は、日本が米国の集団的自衛権に基く米軍の駐留を望むという形であり、米軍は日本の防衛義務は負わなかった。日本は米軍に基地使用の排他的権利を与え駐留費を負担するにも拘らず、米国には日本防衛義務がなかったため片務的であった。従って、旧安保条約は共同防衛条約ではなく一種の「基地貸与条約」の色彩が強かった。日本で発生した内乱を米軍が鎮圧できるという「内乱条項」や、日米地位協定における米軍の特権など、旧安保条約の不平等性が批判され、基地反対闘争や日本防衛義務を明記した安保改訂の声が高まっていった。

   ★旧安保条約1952発効 全5条
 ・日本は米軍を配備する権利を合衆国に与える。米軍は極東の平和維持に寄与し、日本の安全のために使用することが出来る(第1条)。
 ・外国によって引き起こされた内乱を鎮圧するため、要請に応じて米軍を使用できる(第1条、内乱条項)。
 ・日本は米国の同意なくして第三国に軍事支援を提供してはならない(第2条)。

◆‘米地位協定

 相互防衛援助(MSA)協定 1954
 日米双方の軍事支援を定める。日本は戦後初めて軍事力増強(再軍備)の法的義務を負い、1954年に自衛隊を組織した。
新安保条約
 「日米相互協力及び安全保障条約」は、旧安保条約の改訂ではなく新しい共同防衛条約であった。新安保条約では、日本の基地提供義務(第6条)の代わりに、米国に共同防衛義務(第5条)が明文化された。日米両国の防衛力を増強し相互に援助するという軍事同盟を示す条項(第3条)や第6条について、米国の戦争に日本が巻き込まれるとして安保闘争が起こった。
 第5条は「日本の施政下にある領域」に対する武力攻撃に対し、日米が共同対処することを定めた。施政下の領域には、日本が統治する領土であり尖閣諸島を含むが北方領土、竹島を含まない。NATO加盟国いずれかに対する武力攻撃に対して共同防衛を行うNATO条約とは異なり、日本は米国への武力攻撃に対して共同防衛する条項はない。日本は集団的自衛権を保有するが行使できないためにこのようになっているが、米国に不利な「片務的」であるとの指摘もある。その一方で、日本の基地提供と米国の共同防衛は、両国に質の異なる義務を貸すものとして「非対称双務性(佐瀬昌盛氏)」とする見方もある。
 第6条は日本の基地提供義務のほか、「極東における国際の平和及び安全に寄与するため」に米軍を使用することを定め(極東条項)、米国の世界戦略・前方展開に位置づけられる。「極東」とは、岸内閣の政府見解では、フィリピン以北から日本の周辺とし、台湾、朝鮮半島も含むとしている。ただし、米軍の行動範囲は限定されるものでないとした。
 岸首相が求めた事前協議については、第6条の実施に関する交換公文に明記された。しかし米軍の行動にとって障害であるため、現在まで一度も事前協議がされたことはない。また、自衛隊が組織されたため「内乱条項」は削除された。

   ★新安保条約 1960発効 全10条
 ・民主主義、個人の自由、法の支配という共通の価値観を擁護する(前文)。
 ・国際経済政策を同じくし、経済的協力を促進する(第2条)。
 ・相互援助により、武力攻撃に抵抗する能力を憲法の規定に従って発展させる(第3条)
 ・日米は、日本国の施政下にある領域における、どちらかに対する武力攻撃に対し、共同対処する(第5条)。
 ・米軍は極東の平和維持に寄与し、日本での施設や領域の使用が許される(第6条、極東条項)。

   ★第6条実施に関する交換公文(事前協議が行われる場合)
 ・米軍の配置における重要な変更。陸軍1個師団、海軍1機動部隊程度の変更。
 ・米軍の装備における重要な変更。核弾頭、中・長距離ミサイルの持込、基地建設。
 ・日本から行われる戦闘作戦行動(第5条を除く)のための基地として、米軍が施設を使用すること。
旧ガイドライン
 ・旧ガイドラインでは、自衛隊と米軍の共同作戦・演習、情報交換、施設の共同使用を決めた。
 ・シーレーン防衛、兵器規格の統一による相互運用、合同演習を行うとした。80年には、自衛隊がリムパック(環太平洋合同演習)に初参加した。
 ・ニクソンドクトリンに対する日本側の不信、米国経済力の低下(石油危機、円高)で、福利厚生などの在日米軍駐留負担費(「思いやり」予算、福田内閣・金丸信防衛庁長官)を78年度から日本が負担。
 ・中曽根内閣では日本を「米軍の不沈空母」とし、自衛隊の増強と対米武器技術の輸出を許可した。

   ★日米防衛協力のための指針 1978
 ・日本は適切な規模の防衛力を保持し、米国は核抑止力を保持し即応部隊を前方展開させる。
 ・武力攻撃に際し自衛隊は憲法9条の下行動し、米軍は自衛隊の能力の及ばない部分を補完する。
 ・極東有事の際の米軍の行動に自衛隊がどのように協力するか明記されず。
日米安保共同宣言
 ・ソ連の崩壊で同盟は目標を失い、「漂流」した。朝鮮半島危機、台湾海峡危機、沖縄少女暴行事件が発生し、共同宣言は日米安保の意義を確認した。
 ・「米国が引き続き軍事的プレゼンスを維持することは、アジア太平洋地域の平和と安定の維持のためにも不可欠」とし、安保体制は「極東」から「アジア・太平洋地域」の安定へと拡大、「再定義」した。
 ・米国は核抑止力、前方展開兵力10万人を維持し、日本はホストネーションサポートを行う。
 ・自衛隊・米軍が燃料を融通しあう「日米物品役務相互協定ACSA」が結ばれた。
新ガイドライン
 ・平素からの協力、日本に対する武力事態の協力、周辺事態での協力の3つの分野。
 ・旧ガイドラインでは日本に対する限定小規模攻撃を自衛隊が「独力排除」するとされていたが、これが削除され「米軍が適切に協力する」とされた。またゲリラ攻撃、弾道ミサイル攻撃への対処協力をする。
 ・自衛隊の「後方地域支援」とは難民救援、機雷除去、米軍の補給・輸送・衛生等を行うが、武力攻撃と一体化せず、集団的自衛権の行使に当たらないとしている。
 ・周辺事態法、改正自衛隊法、ACSA改正。

   ★日米防衛協力の指針 1997
 ・平素からの協力として、情報交換、政策協議、ACSAに基く相互支援。
 ・日本に対する武力攻撃事態に際し、予め「共同作戦計画」を検討する。
 ・陸海空作戦を別々にするのではなく、統合運用作戦をすることを基本とする。
 ・朝鮮問題、台湾問題など、周辺事態1に際し、日本は米軍の「後方地域支援」を行う。
米軍再編


朝鮮半島危機、南沙群島問題、米空母2隻を派遣した台湾海峡危機など、脅威
95年には、海兵隊米兵による沖縄少女暴行事件が発生し、在日米軍基地への批判が爆発した。安保共同宣言には、これらを総括する意味で重要な意味を持っていた。
1996年、橋本首相とクリントン大統領の間で日米安全保障共同宣言が出され、安保体制は日本防衛と共にアジア・太平洋地域の安定と繁栄を維持する基礎であると再定義された。米軍は日本の安保のよりどころであり、米軍前方展開兵力10万人を維持、安保再定義と同時に日米物品役務相互協定ACSAが締結された。
 これにより、地域の安定を目指し極東の有事に対処するため、日米間の協力の分野を拡大し、新ガイドライン(日米防衛協力のための指針)が確認されたのである。自衛隊の防衛任務は日本だけでなく周辺地域に拡大し、安保体制は「極東」から「アジア・太平洋地域」へと拡大した。

 1998年から、BMD(弾道ミサイル防衛)への共同技術研究が開始され、武器輸出三原則等の例外とされた。
 また、1995年に起きた米兵による少女暴行事件によって、沖縄では基地縮小問題がおこった。

Wikiをはじめる

マイページ