web上で拾ったテキストをこそっと見られるようにする俺得Wiki

12 174 ◆TNwhNl8TZY sage 2010/04/02(金) 10:12:17 ID:Jq8pCbqU




「×××ドラ! ─── ×××ドラ! × n-h-k ───」




暮れなずむ街を行き交う人々の多くはこれからの自由な時間を持て余した学生だった。
やりたいことは適当に決め、やらなきゃマズイけどしたくないことはそこそこに。
学校という縛りから開放されたそいつらの、その締りのない顔といったら現在過去未来代わり映えしないものなんだろうなって、なんとなくわかる。
まぁ未来なんて先の事なんか神のみぞ知ることで、言うまでもなく俺は神様なんて崇高なものじゃなく一般的な成人男子だからこれからどうなるか知りようもないけどさ。
少なくとも弛んだ顔したそいつらが身に着けている制服だって、昔、といっても、まだそう何年も経ってないんだけど、
自宅の押入れでダニ共の住処になって眠っている、俺が着ていたそれと少しも変わっちゃいなかった。
自分も高校時代はああやって締りのない顔を晒して闊歩していたかと思うと少し痛い。
今通り過ぎて行ったヤツが過去の俺だったらぶん殴ってでも矯正させるね。
貴重な高校時代。そうやって油売ってないでもっとやることがあるだろ。
早い話彼女の一人でも作っておけよ、だからお前はせっかく大学まで行ったのに、卒業間近になってもつまんねぇ合コンに明け暮れてんだこのバカ野郎。
なんて魂の叫びつきで。
本気でやり直したいよ。それが叶っていたらまだ面白みっていうか、張りや潤いや色気のある大学生活だったんだ、きっと。
いやもういっそ大学なんか辞めてたかもしれない。ほら、学生結婚なんてムリな話だし。
リアリティの欠片もない妄想は、耽るにはあまりにもチープすぎて、虚しさでいっぱいのため息が知らず知らずこぼれていた。
取り戻せないいつかに思いを馳せることほど無駄なことはない。無駄だと知りつつやっちまうんだから手に負えない。
こんな時あいつがいればと、またも後ろ向きな考え。俺って案外根暗なのかもしれないな。
んなこと言われたって今さらすぎだっつーのなんて誰ともなしにツッコミ入れつつ時間を確認。
ああ、もうこんな時間か。
パーカーのポケットをまさぐり、行きがけにコンビニで購入した物を取り出す。
一つは一個100円もしないライター。ちなみに俺はタバコは吸わない。だからさっき買ったんだ。
もう一つは、これもありふれた線香の束。どこの家の仏壇にだって普通にあげてある代物。
俺は紙でできた包装を破いて丸め、ライターで火を点けて燃やし、線香の先端を満遍なく火に翳す。
思ったほど上手くはいかないな。一回で全部やろうとしないで小分けにしてからの方がよかったか。
結局ライターの火で直に炙ったが、ま、こんなもんでいいだろ。不恰好だろうと最後は勝手に灰になってなくなるんだから。
ゆらゆらと煙を上らせる線香をおもむろに今まで立っていた場所に供える。
風が吹いてはかき消され、しかしすぐにまた薄白い煙が浮かぶ。
こんなことをして何の意味があるのか。そう問われれば、答えに詰まる。
こんな行為に何の意味もないというのはわかりきってるんだ。
道行く母校の生徒が訝しげな顔をしているのが見えた。
そうか、もう彼らには話すら耳に入ってこないほど前の出来事になっているのか。
それも仕方がないかという思いもあれば、あんな大事件だったのにもうかよという思いもある。
時間の流れは一定だっていうのにどうしてこうも早いんだろうな。
お前もそう思うだろ、なぁ、春田。
上る煙が小さく揺らめいた。
───俺がまだそこいらを歩く学生達と同じ制服を着ていた時分、ある事件が起きたんだ。
それを説明するには、当時学校で有名だった、ある男女のことから話さないとならないかな。
黙ってりゃ文句なしの美少女にもかかわらず、虎のような獰猛さと低い身長、そして一風変わった名前から手乗りタイガーと恐れられた、逢坂大河。
手乗りタイガーを唯一抑えることができると、これまた生徒間では恐れられ、触れてはならない人物ランク一位を防衛し続けたヤンキー高須こと、高須竜児。
なにを隠そう俺はその二人と同級生というだけでなく、同じ教室内に席を置いていたんだ。
他にも、元気と明るさだけなら校内一なちょっと天然入ったソフト部部長とか、現役モデルの超絶美少女転校生とか。
その超絶美少女と並べても遜色なく、佇む姿は大和撫子、しかしやることなすこと益荒男と讃えてもまだ足りない、兄貴と呼ばれた生徒会長に、
会長の後任となるも、その折に失恋大明神という肩書きまで得てしまった元男子ソフト部部長。
婚活に命を燃やす担任のアラサー。
上級生だった会長は当然違うが、櫛枝、亜美ちゃん、北村、独身と書いてゆりちゃんと、当時の在校生なら誰もが名前を知っている有名人と、
俺は一緒に高校生活を送っていたんだ。
思い起こせば中々に濃ゆい面々に囲まれていたと思う。


俺なんかは全然目立たなかったから知らなくてもムリはないけど、この中からなら、今も高校に行けば知ってるヤツの一人か二人はいるんじゃないか?
ていうか、俺がいる時から既に会長なんて伝説化してたし。
そんなメジャーどころに囲まれた高校生活は、そりゃあいろんなことがあったよ。
進級直後にタイガーが高須と一悶着起こすわ、プールでは私のだ発言とか、あと文化祭だってそうだしタイガーと会長のタイマンだって。
とにかく話題には事欠かないね。一々大騒ぎで、あの頃のことは忘れたくても忘れられるものじゃない。
走馬灯でも見ることがあるならきっと懐かしみながら大爆笑してるよ、俺。
今際の際だろうと関係なく、むしろそっちの方を忘れてそうだ。
そうして、傍観してる側としてもそれなりに楽しく過ぎていった日々に突然巻き起こったのがあの事件。
いつだって話の中心にいた高須とタイガーはやっぱりその事件でも中心人物で、いや、あれは当事者達からすれば全員が中心人物足りえるのかもしれない。
その日は朝から様子がおかしかったんだ。俺のじゃなくて高須の方が、って意味で。
まだ人の疎らな教室の中、窓からたまたま外を見ていた俺は我が目を疑った。
腕組んで登校してきたんだよ、高須が、恋人みたいにタイガーと。
これがまぁタイガーとだけだったらとうとうお縄についたか的な勘ぐりで終わったんだろうけど、何故か高須は櫛枝とも手を繋いでいるように見えた。
実際には、櫛枝は高須の袖を摘んでいただけだそうだが、この際そんなのは些細なことだ。
高須が女子二人となにやら訳ありな感じでやってきた、そこが重要なポイント。
俺の知る限り高須はわりと奥手で大人しく、常識もしっかり持ち合わせてて、とてもそんな人目を集めることを進んでするようなヤツじゃなかった。
見た目の凶悪さと内面の普通さの不一致ぶりは、2-Cに限ればもう誰も気にしなくなってたし、一年の頃から付き合いがある俺もそうだ。
なのに、現に高須は人の波を真っ二つに割ってタイガーと櫛枝を伴い歩いている。
瞬く間にこの話は衝撃となって広まり、しかし憶測が囁かれる前には高須は教室に入ってきた。
唖然としたよ。だって横に立つタイガーは上機嫌にニコニコしてて、櫛枝は照れ交じりだけど微笑を浮かべていた。
挟まれた高須だけが真っ青な顔していて、ともすれば今にも倒れそうだったんだ。
聞こうとしたんだけど、とてもじゃないけど何があったのかなんて聞けなかった。
高須も詮索されるのは嫌だったようで、俺は何に対してかもわからずにただがんばれと、そう励ますことしかできなかった。
今になって思う。あの時の励ましはその後の高須が歩む人生に対してのものだった、と。
席に着いた高須とその左右に当然の如く陣取るタイガー、櫛枝。
二人は何か口論を始めたが、それを亜美ちゃんの乱入が加速させた。
一応はブレーキになっていた高須を、連れ出してっちゃったんだよ、亜美ちゃん。
探しに行っても見つからず、渋々教室に帰ってきたタイガーと櫛枝の責任のなすりつけあいというか、いや悪いのは亜美ちゃんなんだよ。
ただそれが引き金になったのは確かで、あの二人は二人で元から燻ってた火種があったみたいだし。
そういう時まず真っ先に手を出すのはタイガーなんだが、その時は櫛枝が先に堪忍袋の緒を切った。ていうか、爆発。
狭い教室内。発達した前線みたいに膨れ上がって頂点に達した二人の怒りは、ついには周囲を巻き込む暴風雨となって辺りの机を吹き飛ばした。
ケガ人が出なかったのが奇跡的だ。春田? あいつはあれだよ、あの程度じゃケガした内に入んないから。
タイガーを唯一止めることができるのが高須なら、唯一なんの気負いもなく友達やれてたのが櫛枝で、傍から見てても二人の仲の良さはよくわかった。
そんな二人のマジゲンカ。お互い直接は一発も貰わず、だけども言葉と言葉、視線と視線の応酬は苛烈を極めていたのは語るまでもない。
それがその事件かって? 違うんだ、こんなの序の口もいいところだよ。まだ始まったばかりなんだ。
この二人の乙女な、それでいて甘酸っぱさの代わりに半固形物みたいにドロドロとしたものを含んだ言い争いが幕開けで、その幕を開けたのが亜美ちゃんなら、
場面を変えたのもまた亜美ちゃんだった。
高須を連れてった亜美ちゃんが戻ってきたと同時、タイガーの咆哮、『赤ちゃんだってできたんだから!』。効果は石化。


あれには参ったよ、マジでさ。どこのファンタジーの呪文だろうってちょっと現実逃避してみたり。
それを許さなかったのが櫛枝の『赤ちゃんなら私だって!!』返し。そして亜美ちゃんの『そんなのあたしとだけだよね?』返し返し。
結局石化に戻ってるじゃねーかとか、じゃあ実際目の前でそんなやりとり繰り広げられてみろよ、固まる前にこう思うに違いないから。
あ、これ高須終わったなって。
非現実的な展開とか、自分がどうこうじゃないんだ。
おそらく原因なんだろう高須の心配を先にしちゃうくらい、それくらい三人の放つ雰囲気はヤバかった。
高須は本気で泣き出しそうな顔で、まるで時代劇に出てくる犯罪者みたいに教室の真ん中で正座。
その高須の前に並び立つお奉行ならぬ閻魔大王が三人。
いずれも舌を引っこ抜くだけで勘弁してくれるとは到底思わせない目を高須に向けていた。
しばしの沈黙のあと、タイガーのある一言が高須を更なる窮地に追い込む。
自分が一番だろう、と。よくわかんないけど、高須にとっての一番って意味じゃないか。
一番は自分だという絶対の自信をもって、しかしそれは櫛枝も亜美ちゃんも一緒。
誰を選んでも地獄行き、選ばなくっても当然の完璧に地獄行き。途中に降りられる駅はない特急直通弾丸列車。
下車できるのは本物の閻魔の御前に着いたときのみ。
そこへ救いの手を差し伸べたのは誰あろう失恋大明神。
遅刻してきた北村が高須には天から垂れた救いの糸そのものに見えたに違いない。俺にだってそう見えたんだ。
無情にもすぐにその糸は断ち切られたけどな。
北村が連れてきた、留学してるはずの会長によって。
驚いたなんてもんじゃないよ、いやその後の方がよっぽど驚いたんだけどさ。
だって会長がさ、高須のこと下の名前で呼ぶんだよ、竜児って。北村でさえ苗字だっていうのに。
そんなのタイガー達が見過ごすはずないじゃん。
しかも高須のこと、なんか自宅までしょっ引いていく気満々だったし。
もちろんタイガーの制止が入った。でも、挑発に挑発で返されて逆上し、すぐさま拳を振り上げるタイガーと、タイガーに抱きつく高須。
うろたえる会長。
ある意味これが一番衝撃的だったよ。
だって会長って言ったら辺りが一瞬で荒涼とした大地になるような天変地異が起きようと平気でそこに突っ立ってるだろうって、それくらい男らしいんだ。
それがあんな、涙まで浮かべちゃって。アメリカでショッカーに改造されて乙女回路を付けられたって説明されたら俺は素直に信じるね。
一体高須のヤツはいつどこで、どんな魔法を使ったんだか。
ガラッとそれまでとのイメージを塗り変えた会長を目にしてそう思わない奴はいないところに、一斉に勃発した大暴露大会。
あれには言葉がないよ。人前だっていうのに、みんなして大胆なことをする。
あそこまで行ったらもう引くに引けないんだろうし、元より引く気なんてものもさらさら無いのもわかってるけど。
そうして三つ巴は四つ巴へと、余計に複雑なものへ発展。
無謀にもそこへ割って入った北村は、無残なことに高須より先に地獄を見る羽目になった。
容赦なんてこれっぽっちもない、完膚なきまでにぶちのめされ、天に還る寸前までいった拳王もとい失恋大明神。
何でああいう時は打ち合わせもなしに、それも仮にもクラスメートをあんな目に遭わせられるんだろう、あいつら。
女って恐い。
北村じゃなかったらマジでどうなっていたかわからない。
瀕死になりながらも辛うじて生きてた北村だったけど、だけど止めを刺したのはよりにもよって会長だった。
惨い、惨過ぎる。あれで浮かばれるヤツがいたら見てみたいよ、逆に。
本当に女って恐い。


なにが恐いって、その手の平の返しぶりだよ。
女の友情を頭ごなしに否定するわけじゃないけど、こと男が絡んだ場合の女の友情は成立しないって話は嘘や都市伝説なんかじゃないんだ。
だって目の当たりにしたんだぞ、その友情が音を立てて砕け散る瞬間を。
みんながタイガー達に気を取られてる時、静かに高須に擦り寄って行った奈々子様。
大方連れ出す絶好の機会と行動を起こしたんだろうけど、そこに木原が待ったをかける。
なんでって、そんなの言わなくてもわかるだろ? だったら言わせないでくれ。
俺が言えるのはこれだけだよ。女の友情なんてまやかしなんだ、ってこと。
あんなに仲良かった木原と奈々子様だっていうのにな。
深まっていくばかりの混乱。挙句、あのゆりちゃんまでおめでたとか言っちゃうし。
これまた高須が相手とか。一応はまだ体裁を気にする余裕があったのか、隠そうとはしてたんだよ、バレバレだったけど。
最終的には三つ巴や四つ巴なんて否じゃない、言うなれば卍巴戦の様相に。
けれどもそれを打ち壊したのは、やっぱりっていうかタイガーで。
とんでもない方法で高須と一緒に教室から脱出することに成功したんだ。
その方法は、具体的に言えばけっこうベターな方法なんだ。カーテンを縒ってロープを作り、それを伝って窓から降りる。
けど、言うは易し、行うは難し。想像するほど簡単じゃないんだよ。
実際即席のロープはタイガーを背負った高須が降りてる最中に容易に破けたし、そのロープを作るにしろいくらか時間を要する。
だからなのかもしれない、タイガーが北村を窓からぶん投げたのは。
おかげで誰もせっせとカーテンを引き裂いては結ぶタイガーを止められなかった。二の舞になるのはごめんだろ。
落下した高須も、北村を下敷きにすることでタイガー共々無事みたいだったし。意識を失くしていたのか身動ぎ一つしなかったが。
そしてタイガーは、まるで宣戦布告でもするかのように、窓から乗り出す櫛枝達と、それに俺達全員に対して高らかにこう叫んだんだ。
『私たちは赤ちゃんもいるしもうすぐ結婚するの、だからほっといて!!』
高須をその胸に抱きしめながら。
カカシよろしく突っ立ってることしかできなかった俺や春田が大変だったのはあの後、タイガーが高須を拉致ったっていうか、
わき目もふらずに学校から出てって、櫛枝達も一目散にそれを追いかけて行ってからだった。
今話したようなことを一日中目を吊り上げた校長はじめ先生方にしなくちゃならなかったんだから、かなり骨が折れた。
そりゃあ授業中にいきなり窓ガラスが派手に割れるわ、空から生徒が三人も降ってくるわ、
おまけにその中の一人が生徒会長でしかも生死の境を彷徨っていて即救急車で運ばれていくわ、原因は揃って姿を眩ますわ。
混乱しない方がムリって話だろうし、ほとんど一部始終を見ていた俺らから事情を聞くのが一番手っ取り早いのもわかる。
当然学年の垣根を越えて他クラスからも野次馬根性丸出しのヤツらがわんさか押しかけてきたんだ。
学校中が大騒ぎ。その日の昼休みには知らない者はいないくらいだったよ。
会長が残した伝説は数あれど、それを超える伝説を高須はその日打ち立てたんだ。
同級生は元より先輩、後輩、担任の教師と、計10人の女性をいっぺんに妊娠させて、その責任を一気に取ってくれと詰め寄られた日。
あと、これは在校生でも教師でもなかったからあまり知られちゃいないが、後で聞いた話じゃ身篭っていたのはもう一人いたんだ。
高須との関係が関係だから俺の口から直接っていうのはちょっと勘弁してくれ。察してくれるとありがたい。
───これがあの日、大橋高校に起こった事件のあらましだよ。
通称「高須最後の日」。誰が言い始めたのか、いつしかこう呼ばれるようになっていた。
高須もみんなもその後だって学校に来てはいたんだけど、あんまりハマってるもんだからさ。年貢の納め時的な意味で、そのまま定着したんだ。
本当に最後の日は、ある意味壮観だったよ。
赤ん坊抱いた生徒が、それも複数出席した卒業式なんて、後にも先にもあれだけなんじゃないのかな、きっと。


作り話だって? 信じる信じないは勝手だけど、事実は小説より奇なり、なんて言葉があったっけ。あれだよ、正に。
ま、荒唐無稽だって思われるのもしょうがないとは思うよ、俺も。
だから眉唾だって一蹴されて、いつの間にか誰も口にしなくなって、今現在大橋高校に通ってるヤツらもこの話を知らないのかもしれない。
でもこの話は本当なんだ。
誓ってもいい、俺は嘘は言っていないし、誇張してるわけでもない。
ここを訪れたのも、それが関係してるんだ。
一見何の変哲もないただの歩道。けれども俺にとってはただの歩道じゃない。
実はあの日、そう、俗に言う高須最後の日に、俺はここで高須と会っていたんだ。
春田と一緒に。
その時はまだ知る由もなかったんだ、高須が追われてる真っ最中だったってことも、すぐ後ろからタイガー達が追いかけてきてることも。
それにタイガー達が、どこで強奪したんだかタクシーなんてもんで迫ってきていることも。
俺は辛うじて避けることに成功した。
たまたまなんだ、本当に偶然で、立ち位置が春田と逆だったらって考えるだけで今でも背筋に震えが走る。
気が付いたときには真横を何かが駆け抜けていって、立っていたはずの春田はそこにいなかった。
白煙を上げ続ける線香。燃え尽きた灰が自重に耐え切れずに崩れる。
路面に途切れ途切れに落ちたそれが、沈みかけた夕日と相まってこの上なく情緒をかき立て、哀愁を誘う。
そういえば、あの日もこんな夕焼けだった。
そんな気がするのは、柄にもなくセンチメンタルな気分に浸ってるせいなのかな。
お前もこんな俺を見たら笑うよな、春田。

「笑わねーよ」

背後からかけられた声には聞き覚えがあった。

「けどな、これだけは言わせてくれ」

振り返った先、相も変わらない長髪を靡かせ、見慣れたアホ面に似合わない青筋と縦線を貼り付けたそいつは、これも似合わない低い声で言う。

「そうやってこれ見よがしなことして人のトラウマほじくり返すの、いい加減やめてくんねーかな」

一際大きく揺らめいた煙が虚空に溶けて消えた。


「×××ドラ! ─── ×××ドラ! × n-h-k ───」


寒風吹きすさぶ往来から場所は変わって、俺と春田は駅前にあるファミレスに来ていた。
飲み屋でもべつによかったんだ。
残りわずかな学生生活。
やることはそれなりにあって、それなりに慌しく過ごしてて、でもなんだかんだ気楽な感じでやってる俺と違って、春田はもう一端の社会人だからさ。
実家の手伝いだってあいつは言うけども、それでも働いて稼いでるってのは本当の事で、今日だって仕事を終えてから待ち合わせしてたんだ。
それに最近はこうしてゆっくり話す機会もなかったから、労いついでに酒でもやって、近況報告でもと思って。
ただ、春田は明日も仕事があるらしくって、飲み過ぎて仕事に支障が出たら今度こそ減給を余儀なくされているそうで、あえなく断念。
後から合流するはずのあいつのこともあるしな。メールを入れたところ、今こちらへ向かう電車に乗ってるんだと。
だったら、ダラダラ時間を潰せるところで、駅から近くて、金のかからないのはやっぱりこういう所で。
卒業してから随分経ったというのに、俺達ってあんま変わらねーなと、ぼやいて笑う春田を連れて入店したのがつい三十分くらい前のこと。
ドリンクバーでもたせつつ取り留めのない話題で盛り上がっているところに、そいつは姿を現した。

「遅れて悪かった。久しぶりだな、二人とも」

しばらく会わない間に幼さが消え、精悍さが増したように思える顔を綻ばせた北村が俺達のテーブルに着く。
まともに顔を合わせるのは卒業して以来だ。
多少の遅刻なんて気にならなかった。

「こっちこそ悪い、帰ってきたばっかで呼びつけて」

「いいんだ。それより今度はけっこう長く居ることになりそうだから、今日はとことん付き合うぞ」


北村は卒業と同時にアメリカへと渡った。
ごくたまにこっちへ帰ってきているのは知ってたけど、今日まで会うことはなく、メールで連絡しあうのがここ何年かの俺と北村の関係だった。
やってきたウェイトレスにドリンクバーとつまみを追加で頼み、なにはともあれまずは乾杯。
再会を祝して、とは恥ずかしくて口に出さずとも、合わせた杯の立てた音がそう代弁してくれていた。
中身がアルコールだったらもうちょい気分も出るんだろうけど、今の俺達にはこれで十分かな。
今さら背伸びするような歳でもないし、格好を気にするよりも、今はただ、久々に会った友達との会話を楽しみたい。

「なーなー北村、俺の話聞いてくれよ〜」

早速春田が絡み始める。それにビシッと俺を指差した。

「能登がよ、またあそこで悪質なイタズラしてたんだよ、たく、何度目だっつの」

「あれって、あれのことか? なんだ、まだやってたのか、あの供養のマネみたいなこと」

北村が苦笑をもらす。
釣られて俺も苦笑いを浮かべ、面白くなさそうに見やる春田に、

「ちょっとした演出だろ、楽しい高校時代を思い出させてやろうっていうさ」

手なんか広げてみせて冗談めかす。

「いやあれ演出もクソも陰湿なイジメ以外のなにものでもねーから」

不機嫌さを露にする春田。俺は広げた手を合わせ、ごめんと謝っておく。
悪ふざけが過ぎたか、さすがに。高校時代も散々やったしな。
あれをやると「ああ、高須最後の日の犠牲者の人だ」って春田に注目が集まったんだが、本人が居ないとはいえ今日はからきしだった。
単にペットかなんかを弔っていたようにしか見られてないんだろうな、もう。

「ただでさえ俺あそこ通る度に後ろとか気にしちゃうんだから、ホントいい加減にしろよ」

「わかったわかった。もうしないって、たぶん」

一瞬忘れた頃にしてみようかと考えたが、さてどうしようか。
いつになく沈み込んでいる春田に、そんな気が失せていく。
あれしきでここまでテンション下げるようなヤツでもなかったんだけど、久しぶりだから思いの外応えたのか。
春田が大きくため息をする。ぐでーっと背中を曲げ、テーブルに顎を乗せてぶちぶちと口を動かす。

「そりゃ能登はなんともなかったからいいけど、俺、入院までしたんだぜ」

知ってるよそんなの。
お前が乗ってった救急車を呼んだのは他でもないこの俺だし、そのまま入院先になった病院まで付き添ったのも俺じゃないか。
その後だってちょくちょく見舞いにだって行ってただろ。

「あの時は驚いたな。隣のベッドにミイラみたいに包帯だらけの春田が寝かされてるんだから」

「驚いたってそれ俺の方だって。気が付いたら北村が同じ病室にいるんだもんなー、しかも俺よかズタボロで」

「おまけに北村、自分だけとっとと退院したしな」

春田のケガは擦り傷と打撲程度と、特に命に関わるようなものではなく、しかし車に撥ねられたということから短期の検査入院をすることに。
キレイにボンネットの上を転がっていったんじゃないかと、春田を診た医者がそう見解を述べていた。
運のいいヤツだ。心配して損した。
そして話に出ている通り、あてがわれた病室には既に先客として北村と、あと富家という北村の後輩がいたんだ。
聞けばトラックと正面衝突したという。
なんでそんなことになったのか尋ねたところ、最初に搬送された病院を抜け出して高須を探し、見つけて追いかけていた時、ハンドル操作を誤って、と。
ツッコミを入れたい部分が多々あったが、俺はそれ以上聞くのをやめておいた。
真相を知って誰が得をするでもなし。この世には知らなくていいことなんて山ほどある。
それに本音を言わせてもらえば、北村のあまりのいたたまれない雰囲気に呑まれ、躊躇ったというのも事実だ。

聞けば聞くほど余計に塞ぎこんでいきそうでさ、北村。
そのわりには順調に、というか異常に早く回復し、一番にベッドを空けたのも北村なんだ。
検査が主な春田よりも先にだぞ。驚かないわけがない。

「だからさぁ、あん時のこととか思い出すから、もうあーいうのやめてくれって」

春田はけっこうマジだった。
俺は軽く息を吐き出し、比較的真面目な顔を作る。

「わかったよ、もうしない。お詫びにここゴチるから、それで許してくれないか」

「かーっ、お前結局金で解決すんのかよ。しょうがねーな、たく」

言いつつメニューに手を伸ばす春田は、口で言うほど怒ってはいなかった。
こういうとこのドライさは見習いたいね。
注文を取るウェイトレスに高い品を上から順に五つとか、あとお姉さんも一緒にーとか言えちゃう厚かましさもついでにな。

「それで、最近なにか変わった事はあったか?」

俺と春田のやりとりを、なにがそんなに面白いのか上機嫌に眺めていた北村がそう切り出す。
とはいえそんなに大した事がそういくつもあるわけがない。
そのいくつかある大した事も今教えるのはなんだか気が進まない。久々に会って早々出すような話題じゃないんだ。
無難に、俺はなんとか卒業できそうなことを伝えた。北村は良かったじゃないかと、いささか大げさに喜んだ。
その笑みも、春田の言葉でヒビが入る。

「俺はこれといってねぇなー。てかさ、そう言う北村はどうなんだよ? まだやってんの、会長の子供のベビーシッター」

静まり返る店内。誰が聞いてるわけでもないのに流しっ放しにされていた音楽も止んだようだ。
北村が卒業してすぐに渡米したのはそれが理由なんだ。
追いかけていったんだよ、会長のことを。
子供がいるからってことで夢を諦めるような会長じゃない。二兎を追って四兎でも五兎でも得る。
あの人からしたら高須もそんな兎の一羽だったんだろう。
あれを手に入れたと解釈するには俺の中の常識じゃちょっと理解できないけどな。
だって普通は誰か一人のものになるってことを手に入れるって言うだろう。
なのに高須はタイガーとか櫛枝とか亜美ちゃんとか、日替わりで誰かの家を訪ねてるんだ。
曰く、帰宅しているらしい。
常識外れにも程があるけど、そんな実も蓋もないことを言ったら始まらない。
世間一般の常識をあの家庭に照らし合わせるのがそもそもズレてるんだと、俺は自分にそう言い聞かせている。
それに本人達が納得してやっていて、とりあえずは丸く収まってるんだから、高須からしてみたらこれ以上なく喜ばしいことだろう。
角だらけでギスギスされるよりはよっぽどマシなはずだ。
だけど会長だけはさすがにみんなと同じというわけにはいかない。
半端じゃなく遠い距離、海さえ挟んだその向こうにいるんだ。
まだ幼い子供と二人で。
いやまぁ高須も引き止めはしたらしいし、会長も会長で出発当日になっても高須を無理やりにでも連れてこうとしてたらしいんだよ。
結局は今みたいに月一単位で高須の方が会長のところに出向いて、最低でも三日は滞在するという形で強引に落ち着いたんだ。
まるで単身赴任中の夫の下へ甲斐甲斐しく通う妻みたいだろ。
それをやらせる夫役である会長も、欠かすことなくやってのける妻役の高須もすごいよ、ほんと。
マネできる以前にマネしようという気すら起きない。
ただ、それでも問題がないわけじゃなかったんだ。


定期的に顔を出しているとはいえ、さすがに高須がいない生活の方が遥かに長く、その間何かがあったらっていう心配は尽きることがなかったそうだ。
あちらを立てればこちらが立たず。高須が血の滲む思いであっちもこっちも何とか立たせていても、手の届く範囲は限られている。
そんな折に卒業を迎え、普段は傍に居られない高須の代わりに会長の下へ馳せ参じたのが北村だった。
複雑な思いがあっただろうことは想像に難くないし、それを周囲の制止毎振り切って進む北村が、俺には少し眩しかった。
以降、北村は会長のとこでベビーシッターを買って出ている。ほとんど家政婦同然の扱いらしい。
会長がどう思ってるのかは俺にはわかりようがないけど、北村的にはそんなに不満はなく、それどころかわりかし満足しているとすら言っていた。
一途過ぎてこっちが何も言えないくらいだ。
だが、それもいつまで続くかわからない。あれから月日は流れ、子供もそれなりに大きくなったはずだ。
もしかしたらお役ごめんを仰せつかる日が来るかもしれないし、ひょっとしたら、そうなったから帰ってきたのかもしれないだろ。
それを考えなしに不用意に尋ねやがって、あのドアホ。
どう空気を変えたもんかと思案してる内、咳払いがひとつ。

「それなんだが」

そこで一呼吸置いた北村。グラスを煽り、一息に中身を飲み干す。

「今回は会長達も帰ってきてるんだ」

今頃はもう実家に着いてる頃なんじゃないかと北村が続けるが、正直俺も、たぶん春田もそんなこと気にしちゃいなかった。
北村はなんて言った? 会長まで帰国してるって、そう言ったのか?
少なくとも俺の知ってる限り今までそんなことはなかった。
なんだってまた急に帰ってきたんだろう。何か重要な用でもできたのか。
ふと、嫌な予感が脳裏を掠める。
なんとなく、あの時の再現が始まってるような気はしてた。
近頃多分に感じていた既視感。
そして何故か言い難そうにしている北村に、ある確信を感じた。

「北村、ちょっといいかな」

他人の俺の口からというのが少々心苦しいが、たぶん、北村が告げようとしてることもあまり変わらないだろう。
どの道知ることにもなるんだ。遅いか早いかの違いだけ。
ならば、黙っていないでもう言ってしまおう。
そう開き直った俺は猛烈に込み上げてきた疲労感を隠し、努めて抑揚を抑えた声で言った。

「言い忘れてたけど、こないだタイガーに二人目ができたんだ」

ビクっと肩が大きく跳ねる。額にはじんわりと浮かんだ汗。挙動不審に揺れる瞳。小刻みに震える手。
怪しい反応を返す北村はそうかと言ったきり口を噤む。
なにか言葉は探してるんだろうが、上手く見つからないといった感じだ。
構わず俺は続ける。

「櫛枝と亜美ちゃんにもな」

押し黙る北村とは対照的に、春田が度肝を抜かれたという勢いで身を乗り出す。

「それってマジで? 俺、木原と奈々子様だって聞いたんだけど」

「そっちもらしいな。ああ、あとゆりちゃんもだって」

俺の耳に入ってくるのは元2-Cの面々ばかりとはいえ、ここまで続け様にとなるとそれ以外もありえるかもって思ってた。
それに合わせて帰ってきた会長。
もはや確認を取るまでもないだろう。
さっき北村自身が今度は長く留まることになるって言ってたしな。
観念したのか、どっと疲れた雰囲気を纏わりつかせた北村が、その重い口を開く。

「まぁ、そういうことだな、会長も」

手にしたままのグラスを口元へ持っていき、うっかり中身がないことを忘れて傾けた北村が一旦席を立つ。


「いつわかったんだ?」

「かれこれ2〜3週間ほど前だったか」

戻ってきた北村。滲んでいた汗だのは引っ込んじゃいるけど、どことなく顔色が悪い。
気を遣ってやりたいのはやまやまだが、あからさまな同情もどうかと、あえて普通にしていることにした。
それにしても、2〜3週間前ね。
わざとやってんじゃないのか、高須のヤツ。

「俺の仕事もまだまだ終わりそうにはないな」

誰かに話せたことで幾分胸のつかえが取れたようだ。
顔色はともかく、憑き物が落ちたような、いっそ晴れやかな顔をしている北村に少し安心する。
男子三日会わざれば刮目して見よ、とはよく言ったものだ。
帰ってきた北村が以前より一回りも二回りも大きく、逞しく、強くなったように感じられるよ。
今度のことで落ち込んでやしないかと心配だったが、杞憂に終わってよかった。

「それに将来俺が父親になるときの、いわば準備期間だと考えれば、それほど大変でもないしな」

それは冗談で言ってるんだよな。そうだろ、北村。
そりゃこの先会長が北村に靡く可能性が絶対にないとは言い切れないし、子供の方にしろ生みの親より育ての親をとってくれるはず、
なんて考えもあるんだろうけど、あれで中々高須は愛されている。話しに聞く限り子供も異様に懐いている。
はたしてそう上手い具合に事が運ぶとは俺には思えない。それを口にするのは希望を奪うようで憚られたが。

「北村も冗談言うようになったんだな〜」

「なにを言う。俺はいつだって大真面目だぞ、春田」

大きな笑い声を上げる二人、特に北村から、さっきとは別の意味で、それも余計に心配させられるのは俺の気のせいだろうか。
あまり深く突くなと、誰かが耳元で囁くから俺からはもう何も言うまい。
せめて心の片隅では応援しておこう。がんばれ、北村。きっと良い人が見つかるさ。

「しっかし高っちゃんもよくやるよなー、ただでさえ今も、えっと」

「13人だな、今のところ」

嫁さんに比べて子供が2人多くないかって? 甘いよ、双子がいるんだ。それも二組も。
やっぱ一人よりも負担が段違いなんだろう、もうお産はいいわって言ってたんだけどな、木原と奈々子様。
今度はどうなんだろう。会う機会があったらぶっちゃけたとこ聞いてみよう。

「そうそう、しかも全員女の子なんだろ」

「ああ、偶然にもな」

「ひょっとすると高須の方に問題があるのかもしれないぞ」

やめろよ北村。お前がそういうこと言うとなんかマジくさくなるだろ。
この場はいいけど高須の前じゃこの手の話はタブーにしよう。ぽろっと口走ったりしたらあいつ傷つくから、絶対。

「みんな高っちゃん似なのかな? ほら、あのこえー目つきとか」

「いや、高須の面影は薄いな。そろって母親似だったよ」

前に一度写メを見せてもらったことがあるが、どの子も似てるなんてレベルじゃない、まるで母親に生き写しだった。
別々の子供の画像を嬉し恥ずかし照れながら見せられるなんて滅多にない体験だったから鮮明に覚えてる。
それを差し引いても素直に可愛いって思えたけどな。
高須が撮ってあげたのか、またいい笑顔してるんだよ、みんな。
見てるだけで、こう、父性愛っていうか、保護欲をチクチク刺激される。写真越しだっていうのに。
特に亜美ちゃんとこの子なんて目立ってた。

あの歳でどの角度から見られたら一番自分を可愛く見せられるのか知り尽くしているようだったし、ポーズもバッチリ決まってたし。
そういうのを抜きにしたってどの子も可愛いもんだから、ついつい自慢したくなる気持ちもわかるよ。
成長したらさぞかし美人に育つだろうという親ばかな楽しみもあるに違いない。
だからだろうか、みんながみんないつかは嫁に行くのかと思うと、他人事だっていうのにこっちまで寂しくなる気さえしてくる。
似たようなこと考えて邪なこと思いついたヤツもいるみたいだけど。

「あ、ちょっと俺いーこと考えた」

「よせよ、高須のことお父さんって呼びたいのか、お前」

「その前に亜美達にどうにかされるだろうな」

ヘラヘラしていた顔を瞬時に真っ青にして目を剥く春田。
まさか本気でそんな恥知らずな上に命知らずなことを考えてたのかよ。

「じょ、冗談だって、おおお俺だってそこまでバカじゃねーし」

たしかにお前はバカじゃないよ。アホだ。しかも真性の。
北村みたいに赤ん坊の頃から面倒でもみてない限り、万に一つの可能性だってないだろ。
そんな不順な動機で近づく輩をあのタイガー達が見過ごすわけもない。
せいぜい変質者は近づくなと、野良犬みたいに追っ払われるのがオチだ。

「ほ、本当だからな。信じてくれるだろ、友達だろ」

「どうだか」

「頼むから早まらないでくれよ」

「チクショー! お前らなんて友達じゃねぇー!」

どんよりとした厚い暗雲を頭上に浮かべた春田が、頼んだまま手付かずでいた料理を凄い勢いで貪りだす。
うおお〜とかわざとらしく騒ぐんじゃねぇよ、周りの目が痛いからやめろ恥ずかしい。

「ホント、変わんねぇな、ぜんぜん」

お前も、俺も。そう口の中で呟く。
こうしていると高校生だった頃に戻ったように感じられて、それはすごく楽しいんだ。
ただ、あの頃の自分と今の自分があまり変わってないように思えてならない部分も少なからずあって。
正直取り残されたようで、このままでいいのかどうかっていう悩みが浮かんでは消えていく。
高須なんて生活が激変したし、北村だってそうだ。
バカやって笑っている春田だって小さなところは変わってるかもしれないっていうのに。

「いいじゃないか」

頬杖をついたまま視線だけ巡らすと、北村はやけに穏やかな顔をしていた。

「会長のお子さんの世話をしていてつくづく思ったんだが、子供の成長は驚くほど早い。
 本当にあっという間だ。でも、それは外見というわかりやすい部分にもよるって思うんだ」

手振りまで交えだす北村に、まぁなと相槌を入れる。

「俺達の見た目なんてもう老けていくだけであまり変わらん。内面というか、考えてる事なんてそれ以上に変わりようがない。
 これまでの人生で培ってきた、パターンみたいなものができているからな」

それで何が言いたいかというと、と。そこで北村が一拍空ける。

「変わるっていうのはそれまでとは違うものになるってことだろう」

そういうことになるのはぼんやりと理解できる。
感覚的に捉えていただけだから、違う言葉で言われるとなんだか違和感があるな。



「でも、そういった目に見えなくて、かつ変え辛い部分なんて、やっぱり簡単には違うものにはできないし、わかるものでもない。
 能登の気にしてるのはそういったことに対してなんじゃないのか」

たしかに、そう言われてみれば。
簡単には変わらない。変わったのかさえわからない。だからこそ変わることに思い悩んで、悶々としていたのかもしれない。
それに思い出してみれば、何をもってして変わっているのか、その線引きすら曖昧だった気がする。
漠然とただ他人と自分、今と過去を比較したって、何が変わってるかハッキリしているものなんてたかが知れてるのに。
変わることだけに拘って、肝心の何がどう変わったかについて、そこが空っぽだった。

「少し大げさかもしれないが、違う人間になんてなれないだろ? 俺達みたいにある程度大人になると、なおさらだ。
 ただ、こんな風に言うと、子供だったら毎日違う人間になっているようにも聞こえてしまうんだが、そう思わせるくらい成長が早いというか」

それはそうだろう、北村が見てるのは会長の子供だ。
ちょっとくらい人より早く成長しててもあんまり不思議に思わないけどな、俺は。
むしろそのくらい当然と言っていい。なぜなら会長の子供だから、根拠はそれだけで十分だ。

「そういうんじゃないんだが、俺にも上手く説明できん。まぁ、ムリに変わる必要はないんじゃないかっていうことだ」

心配する必要はないさと、背中をバシっと叩かれた。
それで何もかも吹き飛んだわけじゃないけど、少なくとも気合は貰ったように感じる。

「北村が言うんなら、そうなのかもな」

「ああ、そうだとも」

こういったところは相変わらずで安心した。
変わらなくていいんだと自分に言い聞かせるにはこれ以上ない手本だと思う。

「───すまない、ちょっと」

黙々と食事を続ける春田の愚痴をBGMに、そんな話題に花を咲かせていると、北村が立ち上がり、携帯電話片手にトイレの方へと歩いていった。
電話か。そういえばけっこう話し込んでいて気付かなかったが、随分と時計の針が進んでしまっている。
北村はとことん付き合うぞと言ってくれていたが、久方ぶりに帰ってきたんだ、会いたい奴は他にもいるだろう。
あっという間に感じられて少々物足りなさもあるが、今度は長居するらしいし、地元にいるんだから都合さえ合えばまたいつだって会える。
今日はそろそろお開きにするか。

「能登、お前ケータイ鳴ってね」

「え?」

ちょいちょいと行儀悪くナイフでテーブル上のある一点を差す春田。
その先にはマナーモードにしていた俺のケータイが振動し、着信を知らせている。
誰だろう、こんな時間に。
今日は元々空けておいた日だから、俺が約束をすっぽかしたということはないはず。
急な用事だろうか。
しかし手に取った瞬間に振動をやめる携帯電話。
慌てて掛け直すべく着信先を見ると、俺は途端硬直した。

「なんだよ、まさか女とかじゃねーよな」

だったらどんなに良かったか。
恨みがましく睨む春田の茶化しで金縛りが解ける。
様子のおかしい俺にさすがに不信感を抱いたらしいが、説明する間ももどかしく、履歴の中、不在マークを光らせる名前に掛け直した。
数回のパルス音に続き呼び出し音が一回。
向こうは携帯を握り締めていたんだろうか、すぐに通話状態になった。
挨拶もそこそこに何があったのか聞こうとするも、その前に回線が切られてしまう。
もう一度掛けてみたが今度は電源が入っていないというアナウンスに切り替わる。二度、三度と繰り返しても同じだった。
何があったのか知らないがただ事じゃない空気だけはビシビシ伝ってくる。


「どうかしたのか?」

「いや、それが」

「すまん、俺はもう帰る。しばらく会えそうにもなくなった」

言いかけるも、ちょうどそこへ北村が。
だけどさっきとは別人のように血相を変えていて、荷物を掴み、それだけ言い残し去ろうとする。
きっと何か関係がある。直感的にそう思った俺は北村を引きとめ、

「高須になにかあったのか」

探りを入れるように言う。効果はてき面だった。
反射で振り返った北村の顔は引き攣っていて、事態の深刻さを臭わせる。

「今しがた高須から電話が掛かってきたんだよ、北村もなんじゃないか」

「そ、そうだったのか。こっちは会長からなんだが、何て言ってた、高須」

「それがすぐに切れて、掛け直しても繋がらないんだ。会長は?」

どうしたものか逡巡してるんだろう、北村がそこで言いよどむ。
大方の事情は知っているようだ。
俺は一度落ち着いて整理しようと、今しばしこの場に留まってくれるように頼む。
時間を気にしてはいるが、北村は頷き、イスに腰を下ろした。

「俺の、というよりも、会長の帰国の理由はさっき話したよな」

「そりゃあ、なぁ」

春田が目線だけこちらに寄越す。
俺は北村へ向けて首を振る。

「それで、俺もここで逢坂や亜美達のことを知ったわけなんだが」

「つまり会長もなにも知らないで帰ってきてたのか」

「ああ、そういうことになる」

付け加えれば、会長はビックリさせるつもりで内緒で帰ってきたんだ、と。
掠れた声で北村が言う。
なるほど、とびっきりのサプライズをしようとしたつもりが、逆にとびっきりのサプライズで迎えられたという。
高須も自業自得とはいえ、なんとまあ間の悪い。

「なぁ、それでなんで高っちゃんがヤベーんだよ」

こいつの頭を割ったら卵みたいにつるんとした脳みそが出てくるんじゃないか。
少しはその足りないお頭にシワ作って考えろよ。

「要するに会長が怒ったんだよ。自分だけだと思ってたら高須がまた他の女とも子作りしてて、しかもできちゃってたから」

「ちょ、お、おい能登、もう少し言い方ってもんがあるんじゃね。ほら、あれ」

どんなに言い繕ったって結局はそういうことになるだろ。
キャベツ畑からとってきたとかコウノトリが運んできたとか今時子供だって信じちゃいないぞ。
シたからできる、できたんだからシたのは自明の理なんだ。
それをなにを今さらへこんでるんだよ、北村。いい歳なんだからそんなのわかってるだろ、しっかりしろ。

「悪い、ちょっと取り乱した」


ちょっとと言いつつ目元を拭う北村にキツく言い過ぎたかもしれないと少しばかり罪悪感が芽生える。
だが、今は慰めている場合じゃない。北村もそんなことを望んでいるわけじゃない。
数瞬の間を空け、頭を切り替えた北村が口を開く。

「それで会長なんだが、今からとんぼ返りでアメリカに戻るって言い出してて」

「一人でか」

北村が力なく首を横に振る。

「無論、お子さんと高須を連れてだそうだ」

だろうな。向こうに行ったらしばらくは日本の土を踏めないと覚悟した方がいい。下手したら二度と、かもしれない。
さっき高須の携帯から電話が掛かってきたのは助けを求めてたのか。
なら、もうあの携帯はお釈迦にされてることだろう。いくら掛けても繋がらないのはそのためだ。
腑に落ちないのはなんで俺に掛けてきたんだろう。
そんな疑問もすぐに解けた。

「それにもう亜美達に追われているらしい。かなり緊迫した様子だった」

どうやら高須は会長だけでなく、追っかけてくるタイガー達にもビビったようだ。
もしくは、タイガー達の誰かに連絡を入れたら事態が余計に拗れると思ったのかもしれない。
どちらにしろ助けとか、そんなの頼まれたって困るよ。高須で収められないものを誰が収められるっていうんだ。
自分でどうにかしてくれ、巻き込まれるのはごめんだ、俺はそう考えている。
が、北村はそういうわけにいかないみたいだ。

「俺はこれから会長の手伝いに行くが、二人はどうする」

「どうするもなにも、手伝いって、大丈夫なのかよ北村」

タイガー達に露見した時点で高飛びなんて実現不可能だろ。
仮にできたとして、愛しの高須を獲り返すまでは地の果てだって追いかけてくるに決まってるじゃないか。
障害になるものは何であれぶち破る。それがわからない北村じゃない。

「大丈夫じゃないだろうけど、お願いされたからなぁ、会長に」

「だからってお前、そんな無茶な」

「何事もやるだけやってからだ。じゃないと言い訳もさせてくれないからな、あの人は」

それでも北村は行くと言ってきかない。とてつもないも強制力の、もはやお願いとは呼べないようなお願いのためだけとは思えない。
死地に臨む悲壮さにも通じるその面差しから、もしタイガー達と遭遇したら壁にでもなって時間稼ぎに徹するだろうことは簡単に予想がついた。
北村の性格からして、間違っても暴力に訴えるマネもしないだろう。相手が相手とはいえ一応は女の子だし、なにより一人の体でもない。
何の抵抗もせず、ただ殴られに行くだけだ。それがわかっていて見て見ぬフリもできないよなぁ、もう。んなことしたら後味悪すぎだし。

「能登?」

伝票を摘み上げた俺は席を立った。数歩歩き振り返る。
けっこうな時間俺達が使っていたテーブルには不思議そうにしている北村に、ポカンと口を開けた間抜けなアホ面を晒す春田。

「なにしてんだよ北村、早くしないと会長にどやされるんじゃないか」

「ああ、そうだな」

ハッとした北村が荷物を手に立ち上がる。

「春田もいつまでそうしてんだ、もう行くぞ」

「高っちゃんとこにか?」


意外だった。当ててみせたこともそうだけど、わりと乗り気な感じだから。
てっきり嫌がるだろうと思って春田とはここで別れるつもりだったんだが。

「ムリにとは言わないけど。お前明日も仕事あるんだし、正直めんどいだろ」

「うんにゃ、ゴチってもらったし、なーんか面白そうだから俺も一緒に行くわ」

暢気だな、まったく。また撥ねられるような目に遭うかもしれないとか考えないのかね、こいつは。
でも、それもなんか春田らしいって言えばそうか。俺は思わず噴出していた。
やっぱりアホだ、それも大アホ。いてくれるだけで頼りになるよ、このアホは。

「いいのか、二人とも」

別に北村みたく会長のためじゃない。巻き込まれるのは勘弁してほしいっていう本音は、今だって変わらない。
ただ、電話もらっちゃったし、きっとあれでもう巻き込まれてるんだ、俺も。
だったらこのまま高須を見捨てるのもあれじゃん、忍びないっていうか、寝覚めが悪いっていうか。
タイガー達にこてんぱんにされるだろう北村を、そのままにしておくわけにもいかないしな。

「付き合うよ、友達だろ」

「まー、俺は修羅場が見れればそれでいいけどなー」

硬くなっていた北村の表情が緩む。

「見物料が入院費じゃ割に合わないんじゃないか」

「うぇ〜、それぜんぜん笑えねーって」

軽口を叩いて笑いあう北村と春田。
実際に入院までした二人にとってはあまり笑える話でもないだろうに、それでも。
そしてひとしきり笑い、無言が訪れるのを見計らって俺は言う。

「そろそろ行くか」

「おう、高っちゃんがやられちゃってたら高みの見物どこじゃねーもんな」

「それは俺も困る。機嫌を損ねた会長の相手を誰がするんだ、電話越しでさえ相当お冠だったんだぞ」

「じゃあ急がないとな、高須が息の根止められない内に。場所は?」

「大まかならわかる。ここからそう遠く離れてないはずだ」

「おっしゃ、待ってろよ高っちゃ〜ん。俺らが行くまで修羅場やっててくれよなー」

鬼だな、お前。
高須にとってはシャレにならないことを平気で喚きながら先陣を切って飛び出していった春田。

「どこ行くんだ、そっちじゃないぞ春田」

しかも当たりをつけた行き先とは間逆の方向に行ってしまったらしい。のっけからやってくれるよ、心強くて頭が痛い。
そんな春田を北村が慌てて追いかけていく。レジで痛いものを見る目を向けていた店員を急かし、手早く会計を済ませ、俺も店外へ。
冷え込んだ空気が肌を刺す。今まで温い場所にいたおかげで尚更その寒さが身に染みる。
煌く星々、踊る月。点々と浮かぶ雲の隙間から差し込むそれらの淡い光に照らされ、色づく吐息が夜空に映えた。
こんな寒い中、お前一人のために駆けずり回ってるヤツが大勢いるぞ。それも身内だけじゃなくて俺達まで面倒なことに巻き込みやがって。
目の前で恨み言の一つでも言ってやらないと気がすまないよ。だから、今から言いに行くからな。
それまでぶっ倒れたりしないでちゃんと待ってろよ、高須。
街灯が灯す明かりの下、もう大分小さくなった春田と北村の背を目指し、全速力で駆け出した。

                              〜おわり〜



27 174 ◆TNwhNl8TZY sage 2010/04/02(金) 10:41:19 ID:Jq8pCbqU
おしまい

コメントをかく


ユーザーIDでかく場合はこちら

画像に記載されている文字を下のフォームに入力してください。

「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

×

この広告は60日間更新がないwikiに表示されております。

Menu

竹宮ゆゆこスレ18皿目以降

■タグ一覧

亜美

複数、他

フリーエリア

管理人のみ編集できます