web上で拾ったテキストをこそっと見られるようにする俺得Wiki

 土曜日の昼過ぎ、蒸し風呂のような教室から開放された竜児は、亜美との待ち合わせの場所であるJRお茶の水駅
へ、早足で急いでいた。
 つい二週間ほど前までは、亜美が竜児の居る理学部旧館まで迎えに来ていたのだが、弁理士試験対策のサークル
を乗っ取った瀬川たち上級生に待ち伏せされ、あわや暴行を受ける寸前という事件があったため、今はこうして、学外
で落ち合うようにしている。
 落ち合う場所も一定ではなく、毎回変更している。更には、何やら不穏な気配があるようなら、携帯電話で随時連絡
を取り合って、安全な場所に変更するという念の入れようだ。面倒ではあるが、尋常でないほど悪辣な上級生に竜児
も亜美も目を付けられているのだから、身の安全を第一に考えるのに越したことはない。
 新入生が上級生から目の敵にされるというのは、実に剣呑ではあるのだが、竜児も亜美もさほどの恐怖感は感じて
いない。油断はできないが、慎重に行動していれば厄介ごとは避けられそうに思えるからだ。
 例えば、学内では単独行動を避け、他の不特定多数の学生が周囲に居るような状況に常に身を置いているのであ
れば、いくら瀬川たちが悪辣で大胆であっても、不用意に手出しはできない。
 又、瀬川たちに怪しい動きがあるようなら、携帯電話で連絡を取り合い、連中の裏をかくことだってできるのだ。小型
通信機は、スパイ映画でのマストアイテムだったが、今や万人がそれを所持し、使用している。まさに、テクノロジーの進
歩様々だ。

 大学からJRお茶の水駅へは、普通なら地下鉄で行くべき所なのだろう。だが、地下鉄のお茶の水駅は、JRお茶の
水駅とは神田川を挟んだ対岸にあり、あまり利便性には優れない。地下鉄には付き物である階段の上り下りの労力を
考慮すると、距離は長くても、平らな道を行く方が賢明であるだろう。何より、ダイヤ通りにやって来ているとは思えない
ほど、時折、運転間隔が異常に間延びすることがある地下鉄は、待ち合わせ時間まで切羽詰まった状況では、あまりあ
り難くない。
 医大の前を通り過ぎ、アーチが美しい聖橋を横目で見ながら、ちょっとドブ臭い神田川をお茶の水橋で渡ると、そこ
は、もうお茶の水駅前にある石畳の広場だ。
 竜児は、きょろきょろと辺りを見回し、亜美の姿を求めた。竜児の面相を特徴づける三白眼で睨みを利かせるその様
は、獲物を求めて、周囲を見渡す狼のそれのようでもあっただろう。
 しかし、幸いなことに、その三白眼は、以前、亜美から手渡された黒眼鏡で封印されていた。竜児の親友であり、亜
美の幼なじみでもある北村祐作には、「揃いも揃って、溶接工みたいな眼鏡かけやがって」と揶揄された、ちょっと流行
からは外れた丸眼鏡だが、多少は滑稽なように見えた方が、危険人物と見做されるよりも遥にましである。
 天気は、梅雨の晴れ間というか、薄曇りだった。それでも、六月は一年中で一番紫外線の照射が厳しい季節である。
この曇り空であっても、紫外線は容赦なく降り注いでいることだろう。そうした点でも、紫外線を含む有害な光線をほぼ
完璧にカットしてくれるミラーグラスは重宝する。

「高須くぅ〜〜ん!」

 黒に近いチャコールグレーの長袖ブラウスと黒いコットンパンツ、ダークブラウンのモカシンを履き、鍔の広い帽子を
かぶった亜美の方が先に竜児の姿を認めて、手を振ってきた。こちらも、目元は竜児とお揃いの黒眼鏡で覆い隠して
いる。それにしても、初夏らしく明るい配色の服装で闊歩している群集の中で、黒い服装は墨汁を垂らしたかのように
よく目立つ。
 黒は紫外線対策に最適ということもあってか、亜美は黒っぽい落ち着いた雰囲気の服を好んで着用する。そうした
地味な配色の方が艶やかな長い髪との相性がいいし、膨張して見える明色よりも、引き締まって見える暗色の方が、
スレンダーな体型や美貌が強調されることは確かである。
 それに今日の竜児の服装も、半袖の黒いポロにチャコールグレーのデニムなのだからお互い様なのだろう。精悍な
雰囲気の竜児にも、黒っぽい重厚な配色は、よく似合う。
 竜児は腕時計で時刻を確認した。丁度、午後一時。待ち合わせの時間にはギリギリだがセーフだ。

「おう、川嶋、すまねぇ、講義が長引いちまって、ちょっと遅くなった。まぁ、勘弁してくれ」

 スケジュール通りであったとしても、相方が先に来ていたら、相対的には遅刻だ。だから、こうした場合は、先に待って
いた亜美に形式的とはいえ謝罪をするのが、竜児なりの気遣いではあった。

「ううん、あたしもさっき来たばっか。だから気にしなくていいのよ」

 『さっき来たばっか』だとは言うものの、本当のところは、かなり早くここに来ていたのかもしれない。だが、その真偽
を確かめる術は竜児にはない。確実に言えることは、黒眼鏡越しでもはっきりと分かる亜美の屈託のない明るさだ。

「嬉しそうだな、川嶋」

 亜美は、口元を歪めて、にやりとした。サングラスで目元は分からないが、おそらくは、目を細めたお得意の性悪笑顔
を浮かべているに違いない。

「まあね、高須くんとのデートなんだから、本当はつまんなくっても高須くんのために一応は嬉しそうな顔をしておかな
くちゃ…。ね、これがあたしなりの気遣いなのよ」

「相変わらず、こういった減らず口は遠慮がねぇな…」

「うふふ、遠慮がないってのは、信頼しているってことの現れなんじゃない? あたしがこんなにずけずけものを言うの
は高須くんが相手だからなんだよ。祐作には決して言わないし、麻耶や奈々子にもこんなことは言わない。
あたしとは密接不可分な存在である高須くんだからこそ、敢えて言うんだからね」

 「密接不可分か…」と、竜児は呟いた。弁理士試験がらみの判例に時折見受けられる表現で、一般には聞き慣れな
い文言ではある。しかし、二週間前に、実乃梨との確執に終止符が打たれ、竜児と亜美との絆が確定的になったこと
を思うと、これほど的確な表現は他に見あたらない。当の実乃梨には気の毒だが、亜美にとっては大きな懸念が払拭
されたのだから、機嫌が悪かろうはずがないのだ。

「ほんじゃ、密接不可分な我らが同志としては、どこへ行く? 
俺としては、神田から日本橋を経て、久しぶりに銀座まで足を伸ばそうと思っているんだが…」

「銀座まで行くの?」

 ちょっと驚いたような顔をしている。

「遠いかな? であれば日本橋辺りで撤退するけどな」

 その竜児のコメントに、亜美は頭を左右に振った。

「ううん、遠いからじゃなくて、高須くんの方から銀座に行こうって言い出すのが珍しくって。
高須くんは、銀座みたいに気取った場所はあんまり好きじゃないみたいだから、ちょっと意外に思っただけ」

「まぁ、どっちかって言うと、セレブ向きの街だからな、あそこは…。そうした点では貧乏学生の俺には不似合いかも知
れねぇ。でも、日本橋から銀座にかけては、裏通りに業務用の食材を売っている店とか、輸入食料品店とかが点在して
いるらしい。そいつをちょっと確かめたくてな…」

 亜美は、その生活臭丸出しの竜児のコメントに、にやりとした。

「なぁんだぁ、そうかぁ。あんたって、ほんと、おばさん臭い。まぁ、それがあんたの個性なんだから仕方ないわね」

 そうして、あはは、と笑いながら、頷いた。

「おばさんくさい、には傷付くなぁ…。でも、その様子じゃ、銀座まで歩いて行っても大丈夫だな?」

「もち大丈夫! それぐらい歩かないとエクササイズにならないじゃない。
それに、あたしも久しぶりに銀座や日本橋を歩いてみたいしぃ」

「よっしゃ、ほんじゃ行くとするか」

「うん」

 竜児は、亜美の二つ返事を聞きながら、改めて空を見上げた。薄曇りは相変わらずだ。バッグに入れた折り畳みの
傘は使わずに済むかも知れない。

「おっと、その前に、川嶋、昼飯はどうする? 何か軽く食べてから出掛けるか?」

 その言葉で、亜美は空腹であることを思い出したのか、腹の辺りを押さえた。

「そうね…、食べるっていっても、時間を考えたらファストフードくらいしかないから…」

 大学であれば竜児手製の弁当を広げることもできるのだが、町中ではそうもいくまい。だが、できれば竜児の手料理
を食べたいという気持ちが捨てきれないのだろう。

「まぁ、この近辺じゃ期待はできそうもねぇから、ホットドッグとかで小腹を満たしておく程度だな…」

「そうね…」

 駅前には軽自動車を改造したホットドッグの屋台が止まっていたので、その屋台で竜児と亜美は、ホットドッグとアイ
スコーヒーを買うことにした。行儀は宜しくないが、食べながら歩いた方が、午後の時間を有意義に過ごせる。ファスト
フードであっても店に入り込んで座ってしまうと、ついついそれだけで時間が無為に過ぎてしまうからだ。
 二人とも味わいにアクセントを付けるつもりで、ホットドッグのトッピングにはハラペーニョのピクルスを選択した。
ハラペーニョのピクルスとは、メキシコ料理でよく使われる青唐辛子の辛い酢漬けである。
 ホットドッグの包みと、アイスコーヒーのカップを捧げ持ち、神田方面に向かって歩く。聖橋へつながる道路を横断す
るための信号が赤なのを見計らって、竜児と亜美はホットドッグにかぶりついた。信号待ちの暇を利用して、手早く腹
ごしらえというわけだ。

「うっへぇ〜、ちょっと辛かったかな?」

 屋台の店主が二人にサービスするつもりだったのか、通常よりも多めにハラペーニョのピクルスを入れていたらし
い。辛味と酸味が絶妙に均衡した味わいは捨て難いが、それも過ぎたるは何とやらである。

「大丈夫か? 川嶋」

 亜美はアイスコーヒーを口に含み、それで口中を洗い流すかのように頬を膨らませて二、三度循環させ、飲み下した。

「うっひゃ、きっつぅ〜。こんなに辛いのは、高二の夏休みに食べた高須くん特製のカレー以来だわ…」

 そう言って、一口だけかじったホットドッグを、ちょっと惜しそうに、それでいて忌々しそうに睨みつけた。

「そんなに無理して食わなくたっていいんだぞ。やせ我慢てのは、あんまりよくねぇだろう。
何なら、ハラペーニョを抜き出して食べてもいいんだし…」

 そのホットドッグは男の竜児にとっても相当に辛い代物だった。何とか一本食べ終えたが、ぴりりと舌を刺す辛みが
後を引く。

「ううん、せっかく屋台のおじさんがサービスしてくれたんだもの、全部食べなきゃバチが当たるわ。
それに、辛いけれども、おいしいのも事実。せっかくだから、全部食べちゃう」

 亜美は残りのホットドッグに再びかぶりついた。

「うっひゃぁ! やっぱ辛いや。でも、おいしい。こんなにおいしいもの、捨てたりしたらMOTTAINAI!」 

 『おいしい』というその言葉には偽りはなかったのか、それとも単なる意地なのか、信号が青に変わっても、亜美は
夢中でホットドッグを食べ続けている。
 束の間、青だった歩行者用信号が点滅し、再び赤に変わった頃、亜美は、「ひぇ〜、辛かったぁ!」と悲鳴のような声
を上げて、激辛のホットドッグを平らげた。発汗作用があるカプサイシンの効果か、亜美の額と鼻筋には、玉のような汗
が吹き出ている。

「お、おい、川嶋、結局、全部食っちまったのか…」

 ちょっと呆気にとられているような竜児に、強がって見せたのか、亜美はにっこりと笑った。

「あたし、辛いものは結構好きだから、平気だよ」

 しかし、そうは言っても、口の中がひりひりするのだろう。亜美は、アイスコーヒーを一気飲みして一息ついた。
 それでも、口中には未だ火照るような辛さが残っているのか、ぺろん、と舌を出し、それを外気に触れさせて、火照り
を鎮めようとしている。

「よかったら、これでも飲んで落ち着いてくれ」

 竜児が自分のアイスコーヒーのカップを亜美に差し出した。
 亜美は、差し出されたカップをすぐには受け取らず、例の目を細めた性悪笑顔で竜児の双眸を覗き込んでいる。

「それって、間接だよね…」

 その一言に、竜児は一瞬固まり、次いで呆れたように亜美を見た。

「何をバカなこと言ってんだ。間接どころかディープキスを飽きるほどやってるじゃねぇか。
それを今さら、間接だっていちいち騒ぐ方がどうかしてやがる」

「へぇ、その割には何だか手が震えているみたいなんですけどぉ〜。
ねぇ、高須くん、そう言えば、ここ数日、あたしたちキスしてないわよね。だから間接程度でうろたえるんだわ」

「べ、別にうろたえてなんかいねぇよ」

「あら、そうかしら? 高須くんって、嘘をついたり、誤魔化したりする時は、決まって顔を赤くして変な汗をかいているか
ら、亜美ちゃんお見通しなんですけどぉ〜。間接キスくらいで顔を赤くする高須くんって、おもしろ〜い」

 竜児だって、間接キス程度では動じやしない。だが、問題はそうしたことをネタに、亜美が色仕掛けをかまして来る
ことだ。それも単にからかっているのではなく、隙あらば本気モードで迫ってくるのだからたまらない。

「だから何だよ。ほら、信号が変わったぞ。
ここの信号は待ち時間はえらく長いくせに、歩行者が横断できる時間はほんの短時間だからな。さっさと渡っちまおう」

 信号が青に変わったのは、竜児にとって助け船である。その一方で、追及をはぐらかされた亜美は、忌々しそうに舌打ち
したが、すぐに目を細めた性悪笑顔を浮かべた。

「まぁ、いいわ…。今日のデートは始まったばっかなんだしぃ。お楽しみはこれからなので、よろしくぅ〜」

 点滅していた青信号が赤に変わる刹那に車道を渡り終えた亜美は、竜児に対し何かを企んでいるかのような不可
解な笑みを向けてくる。竜児はそんな亜美を一瞥し、うんざりするように深く大きく嘆息した。
 そして、結局は亜美が受け取らなかったカップから残りのコーヒーをすすり、本日は要注意だな…、と気を引き締めた。
 実乃梨との問題が決着して、すっかり元の勢いを取り戻した亜美は、竜児の言質のみならず、その一挙手一投足を
あげつらい、それをネタに竜児を追及して関係を今以上に深める魂胆なのだろう。
 性愛について竜児が保守的ということもあるが、亜美が不意に仕掛けてくる誘惑には、毎度のことながら翻弄させら
れる。
 竜児も亜美のことを愛しているし、既に結婚を約束した間柄だ。本心ではその華奢な身体を抱きしめて、互いに一つ
になりたいとは思っている。しかし、未婚の母である実母の泰子を見ていると、衝動的に身体を重ねることには抵抗が
あった。

「ほらぁ、高須くん、何ボケッとしてるのさ、置いてっちゃうよぉ!」

 亜美の甲高い声で竜児ははっとした。いつの間にか亜美が竜児の先を歩いている。亜美の口調は咎めるようなも
のだったが、それとは裏腹に、その整った面相には涼やかな笑みが浮かんでいる。その笑顔は掛け値なしに美しい。

「おっとすまねぇ、ちょっと、午前中の講義でバテていたんだろ。ぼんやりして済まなかった」

 竜児は迂闊な自身を内心で叱罵しながら亜美の後を早足で追った。


 神田方面から日本橋を経て銀座をぶらつくというのであれば、常識的には神田、日本橋、銀座の順に巡っていく
ものだろう。しかし、日本橋近辺では荷物になるであろう輸入食材の数々を購入するということを考えると、先に銀座
をぶらついた方がいいだろうということになった。これは、亜美の提案であったが、竜児にとっても異存はない。

「ノンストップで長距離を歩いた方がエクササイズとしても効果があるのよね」

 そう言いながら、亜美は長いストライドで足早に闊歩する。現役モデルであった時にジムで鍛えていたというのは
伊達ではないようで、男の竜児にも引けを取らない早足で颯爽と歩く。
 二人は神田から八重洲を経て、そこからは山手線の線路の下に設けてある近道を通って有楽町駅に向かった。
 線路下に設けられた暗い通路は、古い煉瓦が所々むき出しになっており、大正期か昭和期か、とにかく戦前の代物
であることを示していた。

「東京の裏の顔というか、礎となる骨のようなものと言うべきか…、だな」

 近代的なビルの陰に、今もこうして遺構のような痕跡が残っている。古い建造物は取り壊されて新しいビルが建つ
のが都市の新陳代謝だが、その基礎となるものは簡単には滅しないのだろう。

「ものすごく古い感じだけど、山手線が開通した時にしっかりと基礎を作っておいたから、今もこうして生き残っている
のね。何でもそうだけど、基礎や基本が大事ってことなのかしら」

「ああ、そうだな…。基礎がなければ、その後の発展もないってことなんだろうな」

 トンネルを思わせる暗い通路は、有楽町駅前にまで通じていた。その駅前から道を左にとり、銀座一丁目へ向かう。
 雑居ビルに挟まれた道路を通り抜けると、そこは老舗や一流ブランドの直営店が軒を連ねる銀座通りだ。

「せっかくだから、高須くんも何か買い物をしようよ」

 亜美は一軒の店を指差した。その店は、老舗の帽子店だ。

「つぅたって、貧乏学生の俺に買えるようなものがあるのか? 銀座だろ、ここは…」

「大丈夫だって。銀座イコール高価っていうのは、短絡的すぎるわよ。同じ品で単に値段が高いだけだったら、とっくの
昔に顧客の信用をなくして、銀座全体が衰退していたでしょうね。でも、そうはなっていない…」

「だから、どういうことだよ?」

「銀座のお店にあるような高価な品は、他の地域のお店よりも高品質なものだということ…。単に高価なだけでなく、
その値段に見合った高品質な商品を供給してきたからこそ、銀座という存在が今も健在なんだわ」

「やっぱり高価な品しかなさそうじゃねぇか…」

「う〜ん、そうとも限らないんじゃないかしら。とにかくお店に入ってみなければ分からないわね」

 それでも難色を示す竜児を、亜美は「まぁまぁ」となだめながら、その手を引いて、焦げ茶色のニス塗りが印象的な
店の入り口をくぐった。

「いらっしゃいませ…」

 若いが、礼儀正しい店員が、お辞儀をして出迎えた。
 店の内部は思ったよりも狭かったが、左右の壁にしつらえてある商品棚には、様々な帽子が整然と並べられていた。

「どのような、御帽子をお探しでしょうか?」

「ええ、実は、この人に似合いそうな帽子を探しているんです」

 そう言って、亜美は竜児をその店員に引き合わせた。

「お、おい、川嶋、俺は別段帽子なんてかぶる趣味はねぇんだが…」

「いいから、あんたは黙ってなさい。保証するけど、帽子一つであんたの印象は、ガラッと変わるはずよ」

 そんな竜児と亜美のやりとりを、若い店員は落ち着いた風情で静黙している。流石に銀座の老舗なのだろう。客の
プライバシーを目の当たりにするようなことがあっても、それに反応するような下世話なことはしないのだ。

「具体的にはどのような御帽子が宜しいでしょうか?」

 竜児と亜美のコントのようなやりとりが一段落したと見たのか、店員が亜美により具体的な指示を求めてきた。

「えーとですね、ちょっと古風で、柔和な感じがするような帽子があればお願い致します。
あたしとしては、ハンチング、それも、八ピースの丸いハンチングなんかが似合いそうな気がするんですが」

 亜美の申し出に店員は、軽く頷き、「かしこまりました」と言って、店の奥へと入っていった。
 陳列してある商品以外のものを引き出してくるのだろう。

「お、おい、川嶋、商品棚にない奴を持ってくるみたいだぞ、とんでもなく高価なものだったらどうすんだよ」

 落ち着きをなくしている竜児とは対照的に、いわゆる高級品を買い慣れている亜美は泰然としたものだ。

「大丈夫だって、たかが帽子よ。それも、今、あんたが着ているポロとかの普段着に合わせる帽子じゃない。
高くたって知れているわよ。それに、高須くんの所持金で足りなさそうなら、あたしが援助するけど、どう?」

「お、おう…」

 肯定的な返事をしたつもりだったが、本心が顔に現れていたのだろう。泰然としていた亜美の表情が、一瞬、曇った。
 亜美は、竜児が理由なく施しを受けるつもりがないことを、その表情の変化から鋭く見抜いていた。

「お待たせ致しました…」

 そう言って、若い店員は、黒やグレーの丸っこいハンチングをいくつか手にして店内に戻ってきた。
 どのハンチングも、街中でよく見かける前後に長い一枚はぎのものではなく、八枚の布地を縫い合わせた丸いシル
エットをしている。亜美が『八ピースの丸いハンチング』と言った意味はこれだったのか、と竜児も合点がいった。
 丸い、ふっくらとしたシルエットには、ゆったりとしたカジュアルな雰囲気がある。八枚の布地が合わさる頂点という
か頭頂部に相当する部分に取り付けられている碁石のような形をしたポッチも、柔和な雰囲気を醸し出すことに一役
買っているようだ。

「昔は、好んでかぶられる方がいらっしゃったようですが、最近は、普通のハンチングばかりで、この種の帽子を
かぶられる方は少なくなりました…」

 そう言いながら、若い店員は、手にした帽子をカウンターの上に丁寧に並べていった。竜児も、古い外国映画では
見たことがあるが、この手の丸いハンチングを実際にかぶっている者、特に若者を見たことがない。

「どう、高須くん、結構いい感じでしょ?」

 亜美が竜児の肩越しにカウンターの上に並べられた帽子を指差した。確かに、街中でかぶっている人が少ないと
いうか皆無に近いのは気になるが、帽子の格好自体は悪くない。それどころか粋な感じがする。

「この辺りがお勧めです。当店が特別に作らせたものでございます」

 店員は、黒い帽子を竜児に手渡した。ざっくりとしたいかにも通気性が良さそうな布地で出来ている。聞けば、リネン、
つまり麻だという。であれば、夏場でも大丈夫だろう。

「ねぇ、ねぇ、かぶってごらんよ!」

 傍らでは亜美が我が事のようにはしゃいでいる。竜児は、手にした帽子が自分に似合うのかが不安だったが、おも
むろにかぶってみた。そうして、店員が竜児の方に向きを変えてくれたカウンターの上の鏡を覗き込んだ。
 古い外国映画さながらのキャラクタがそこにあった。滑稽な感じは微塵もなく、竜児のいくぶんはワイルドにささくれ
ている頭髪をすっぽりと被うことで、全体の雰囲気が無帽の時よりも格段に柔和となっている。

「悪くないじゃない! 似合う、似合うよ!」

 竜児と一緒に鏡を覗き込んでいた亜美が、感嘆するように声を上げた。ここまで嵌るとは、ファッションに聡い亜美に
とっても予想外だったのかも知れない。
 実際、長身の竜児には、欧米人に専ら似合うようなアイテムが似つかわしいようだ。

「そうだな…、気に入ったよ。何よりも川嶋が似合うと言ってくれるんだ。そうであれば、どっから見たって恥ずかしくは
なさそうだし…」

 問題は、値段だが、それも七千円ほどだった。帽子としては安くはないだろうが、日本国内で責任を持って縫製され
ていることを考えると、むしろリーズナブルと言ってよい。

「どう? 何なら、あたしが出資してやろうか?」

 亜美の好意は有難かったが、遠慮した。この程度であれば、竜児のポケットマネーでも十分に支払える。

「お包みしましょうか?」

 その問いに竜児は頷きかけたが、かぶって帰ることにした。手荷物を増やしたくなかったし、気恥ずかしいところは
あるが、早々にかぶってみて着こなせるようにしておきたいという気持ちもあったからだ。

「ありがとうございます」

 たかが七千円程度の買い物をした者にも深々とお辞儀をする店員に戸惑いながら、竜児は亜美に伴われて、
帽子店を後にした。
 あくまでも客は客ということなのであろう。銀座における老舗のプロ意識、その一端を見せられたようだ。

 店を出た竜児と亜美は、その帽子店に隣接する店のショーウィンドウに映った自分たちの姿を確認した。二人とも黒
を基調としたカジュアルながらもシックな雰囲気で、買ったばかりの竜児の帽子も悪くない。

「つがいの鴉だな…」

「鴉って、どういう意味よ!」

 竜児の言葉尻を掴まえて亜美がむくれている。揃いも揃って黒っぽい服装なのだから、自嘲気味に『鴉』と言ったの
だが、それは亜美のお気には召さなかったようだ。

「まぁ、黒ずくめだから、ちょっと鴉みたいだなって思っただけさ。でもよ…」

 サングラス越しにちょっと不機嫌そうな亜美の顔を凝視する。

「な、何よ…。い、いきなり顔を近づけてくるなんて、どういうことぉ?」

 相手の顔を覗き込むように凝視し、顔を近づけるというのは、亜美が竜児に対して行う常套手段なのだが、
いざ逆の立場になると、亜美であっても狼狽するものらしい。

「鴉は鴉でも『つがい』なんだがな…、川嶋は、その辺のことはどう思う?」

 そう言って、口元をにやりと歪めてみせた。

「べ、別に、そ、そんなこと、どうだっていいじゃない!」

 『どうだっていいじゃない』という文言は、『つがい』と言われたことへ驚きと照れがあってのことだろうが、
状況からは、まったく別の意味に解されるだろう。
 実際、亜美はそのことに思い至ったのか、「しまった…」と小さく呟き、唇を噛んだ。
 逆に竜児にとっては、亜美を凹ます好機到来である。

「そうか、どうでもいいんなら、やっぱ、間接程度で十分だな。俺とペアであることを川嶋はさほど気にかけていないらしい」

「バカ! そんなことあるわけないじゃない。あたしたちは結婚するんでしょ? 弁理士になれたら…」

 亜美が食ってかかるように竜児に詰め寄った。竜児は、そんな亜美の慌てぶりが可笑しくてたまらない。

「まぁ、約束しちまった以上、俺たちは結婚するだろうが、せいぜいが間接キス止まりのセックスレスな夫婦生活という

わけだ。まぁ、そういうのもプラトニックでおつなものかも知れねぇな」

 そう言って、竜児は笑いをこらえながら、亜美の反応を窺った。
 その亜美は、怒りからか、顔全体を紅潮させ、頬をぷるぷると引きつらせている。

「ひ、卑怯よ。あ、あたしの何気ない一言で、そ、そんな風に決めつけるなんてぇ…。汚い、汚いわ!」

「卑怯ったって、お前は、俺の言質をとって、俺を追い詰めるなんてのを、しょっちゅうやってるじゃねぇか。
お互い様ってもんだ」

「何がお互い様よ!」

 サングラスの下は、鬼か般若のような形相になっているのだろう。
 これで、白昼、銀座のど真ん中での痴話喧嘩になったら、赤っ恥もいいところだ。

「なぁ、川嶋、むくれていると美人が台無しだぞ。プラトニックでもいいじゃねぇか。俺は、今こうして川嶋と一緒に居られ
るだけで十分満足している。せっかくの銀座散策なんだ。機嫌直して、他の店を見て回ろうじゃねぇか」

 なだめながらも、『プラトニック』で、ちょっと牽制。

 対する亜美は、『美人が台無し』という文言にむっとしたのか、『プラトニック』という文言に不満なのか、頬をぷぅと
膨らませたが、無言だった。
 そうして、しばらくはサングラス越しに竜児を睨み付けていたが、観念したように、「分かったわよ…」と、呟いた。
 やさぐれている、というほどではないが、竜児の傍らに立つ亜美からは、どんよりとした負の感情が込められた
オーラが漂ってくる。軽い牽制のつもりが、却って亜美の不興を買っただけだったようだ。

「じゃぁ、後は適当にウィンドウショッピングをして、あんたが言う輸入食料品店とかに行きましょ…」

「お、おう…」

 だが、気のせいだろうか? 不満げに頬を膨らませていた亜美が、ほんの一瞬だけ、にやりとしたように竜児には思
えた。
 だとしたら、竜児に一杯食わされた亜美は、何らかの形で竜児に報復するつもりなのだろう。
 亜美が悪意ありげに笑うのは、大体が、竜児に仕掛ける罠を思いついた時だ。そして、何より不気味なのは、亜美が
どのような形で竜児を罠に嵌めるのか、当の竜児には毎度皆目見当がつかないということである。


 竜児にとってお目当ての輸入食料品店は、銀座から日本橋方面へほんの少し戻ったところにあった。
 店自体は、どこにでもありそうな食料品店の構えだが、この種の店としては日本でも有数の歴史を誇り、創業は
明治時代に遡るらしい。そのせいか、思いがけない物が入手できそうな期待感が竜児にはあった。
 石造りの古びたビルの一階にあるその店は、内部は思ったよりも広く、店の一番奥は壁一面が冷蔵の棚になってい
て、空輸されてきたトロピカルフルーツ等の生鮮食料品が並べられていた。
 店の右奥ではワインや洋酒を扱っていて、近年のワインの人気を反映してか、フロアの五分の一ほどが、空調完備の
ワインセラーになっている。そのワインセラーの入り口付近はワイン以外の酒類が並べられており、シングルモルトウイ
スキーやブランデー、グラッパ、カルバドス等の蒸留酒、それに各種のリキュール類が充実してた品揃えを誇っていた。

「ねぇ、高須くん、何かお酒買っていこうよ」

 下戸のくせに飲み助な亜美が竜児の袖を引いたが、これだけは却下だ。未成年が大っぴらに酒を飲んでいいという
文言は、少なくとも竜児の辞書にはない。それに…、

「酒はダイエットの大敵なんじゃねぇのか? 川嶋が少しばかり太っても、俺はいっこうに構わねぇが、それはモデル
だった自分の矜持にかかわるから、お前としてはまずいだろ?」

 竜児のもっともな指摘を受けて、亜美は「ぐっ!」と、言葉を飲み込んだ。どうも、先ほどの『つがいの鴉』発言以来、
竜児には一方的にやられている。

「うっさいわねぇ…、本当におばさん臭いったらありゃしない」

 それだけ言うと、亜美は、ぷいっ、とそっぽを向いた。そんな亜美を、竜児は横目で一瞥する。亜美のことだ、このまま
素直に引き下がっているはずがない。何か竜児を嵌める罠を、この瞬間にも考えているに相違ないのだ。

 竜児の傍らに付き従っている亜美が何を思うのか気がかりではあったが、今はとにかく買い物である。竜児は意外
に広い店内をカゴを片手にまずはざっと巡ってみた。奥の生鮮食料品の冷蔵棚や酒類売場を除くと、商品の陳列棚は
四列あり、一列目はビスケットやチョコレート等の菓子類、二列目はピクルスなどの瓶詰や缶詰め、三列目はシリアル
や紅茶、コーヒー等、そして四列目は小麦粉や米、豆等の穀類や、各種の香辛料、それにドライトマトやポルチーニ茸
等の乾物だった。

「さっき食ったばっかだが、大橋では、かのう屋でも売ってないから、一瓶買ってくか…」

 竜児はカゴにハラペーニョのピクルスの瓶を放り込んだ。くすんだ緑色で、所々が微かに赤くなっている輪切りの
ピクルスは、先刻、あまりの辛さに亜美が悲鳴を上げた代物だ。

「あー、やっぱ買うんだ…」

「おぅ、さっきのホットドッグは明らかにこいつを入れすぎていたが、適量なら結構うまいピクルスだからな。ホットドッグ
だけじゃなくて、サンドイッチにも使えそうだし、サラダやパスタのトッピングにしても面白いかもしれねぇ」

 それから竜児は、ビターチョコレートを何種類かカゴに放り込み、更には、全粒粉で作られたビスケットも買うことに
した。

「あら、甘い物こそダイエットの大敵なんじゃなかったのぉ?」

「確かにな、砂糖は血糖値を急激に上げるから、その分だけ過剰にインスリンが分泌され、血中の糖分が中性脂肪に
転換されやすい。しかし、俺がカゴに放り込んだのは、砂糖をあまり使っていないビターチョコレートだし、ビスケットは
砂糖ではなく還元麦芽糖を使った奴だ。こいつなら、急激に血糖値は上がらないから、太りにくいはずだ」

「そ、そう…」

 甘い物をならよくて、アルコールはダメという竜児を凹ますつもりが、逆に論破されたことが面白くないらしく、亜美
は、口をへの字に曲げて、仏頂面をしている。
 そんな亜美を一瞥して、竜児は、ちょっと首をすくめた。亜美の不満がふつふつと増大しつつあることが、鈍い竜児に
も察せられた。何とか、だましだましガス抜き宜しく亜美の不満を減殺しなければなるまい。
 ちょっと気まずい雰囲気のまま、二人は香辛料を扱う棚で立ち止まった。棚には粉末になった香辛料のみならず、
粉砕せずに粒のままの、いわゆる『ホール』と呼ばれる状態のものも販売されていた。

「クミンシードの粒のままの奴は…、あった、これだ。それとコリアンダーも粒のまま買っとこう」

 香辛料と言えば、胡椒や唐辛子、山椒程度しか知らない調理初心者の亜美には、竜児がカゴに放り込んでいる
香辛料がどういったもので、どういった用途に適しているのか分からないらしく、褐色の瞳を物憂げに半開きにして、
ぼんやりと竜児の姿を追っている。食材を見ただけで色々と料理についてのインスピレーションが湧く竜児と違って、
何に使われるのか理解できない食材に囲まれていることに、そろそろ飽いてきたのだろう。

 その亜美が、いかにもだるそうに宣った。

「ねぇ、どうして粒のままの奴を買うの? やっぱり、使う寸前に砕かないと香りが出ないからなの?」

「そうだな、それが第一の理由なんだが、理由は他にもあるのさ」

「他の理由って何なのよぅ…」

 どうもこうも、さっきから竜児には会話の主導権を握られっぱなしだ。
 大体が、食料品店である。竜児にとってはホームゲームだが、亜美にとってはアウェイもいいところだ。

「カレーなんかでさ、香辛料を油で炒めるレシピがあるんだが、粒のままのクミンシードを真っ先に炒めて、それから
カレー粉の成分に相当するターメリックやレッドペパーなんかを入れていくんだ。その正確な理由は不明だが、クミン
の香りを生かすというよりも、粒のままのクミンシードの食感を残すのが狙いかも知れねぇ」

 亜美は、「ふーん」と興味なさげに呟くと、未だ香辛料をあれこれ物色している竜児には背を向けて、豆類を扱ってい
る棚に目を向けた。棚には、薄茶色や緑色、それに鮮やかなオレンジ色をした数々の豆類が袋詰めにされて並べられ
ている。
 そのうちの一つ、緑がかった薄茶色の豆が詰まった袋を手に取ってみた。遠目には何てことのない普通の豆に見え
たが、よくよく見ると、豆自体が妙に薄べったい。袋には『レンズ豆』と記してあった。名前だけなら海外の料理番組で
聞いたことがあったが、実物を見るのは、亜美にとってはこれが初めてだったかもしれない。

「ねぇ〜、高須く〜ん、このレンズ豆って、何に使うのぉ?」

 ハバネロ唐辛子の粉末が入った瓶をカゴに入れようとしていた竜児が、「うん?」と言った感じで亜美の方を向いた。

「おぅ、それか、それだったら、こないだの土曜日にインド料理屋のバイキングで川嶋も食べたはずだぞ」

「あたし、記憶にないけどぉ…」

「そうか? あの時に食べた何種類かのカレーの中で、薄べったい豆が入ったカレーがあっただろ。俺も川嶋も、他の
チキンカレーとかマトンのカレーとかよりも、その豆のカレーが気に入って、そればっか食べたじゃねぇか。
そのカレーの中身がそのレンズ豆さ」

「そうなんだ…」

「よく見ると、豆の形が凸レンズみたいだろ? それでレンズ豆っていうんだ。いや、レンズ豆に似た形のガラス玉を
レンズと呼ぶようになったというのが正解だな。この豆は『レンズ』という名称自体の語源なんだよ。
これは、嘘みたいな話だが本当だ」

 竜児の説明に感じ入ったのか、亜美は目を丸くして改めて豆の袋を見た。

「そうね、言われみればレンズそっくりの形よね…。さすがにあんたは博識だわ」

 臍を曲げていても、知的好奇心は失わず、竜児の博学ぶりには素直に感嘆する。こうしたところも亜美の美点の
一つだろう。
 だが、次の瞬間、亜美は目を細め、口元をにやりと歪ませた。何かよからぬことを思いついたらしい。

「ど、どうした? 川嶋…」

 亜美の様子がおかしいことに竜児も気付き、ちょっと身構えた。

「ねぇ、今晩のご飯は、このレンズ豆のカレーにしない? 亜美ちゃん、久しぶりに高須くん特製のカレーが食べたいなぁ〜」

「お、おう、別に構わねぇけど…。だけどよ、川嶋の伯父さんや伯母さんはどうなんだ? 
こうも立て続けに俺の家で晩飯じゃ問題あるだろ?」

「その点ならご心配なく。伯父や伯母には麻耶や奈々子の家に遊びに行っていることにするから。
それに泰子さんだって、亜美ちゃんと晩ご飯食べるのを楽しみにしてるじゃない。ぜ〜んぜん問題ないわよ」

 竜児は、呆れ返って大きなため息をついた。

「お前、それって、伯父さんや伯母さんに対してあからさまに嘘ついているってことじゃねぇか…。感心できねぇぞ」

「別にぃ〜、大した嘘じゃないわよ、この程度。だって、麻耶や奈々子と一緒に高須くんの家に泊まり込んでお弁当を作っ
たことがあったじゃない。あの時だってあたしは麻耶の家に泊まっているっていう嘘をついているんだしぃ、今さらどうこ
う言っても始まらないわよ」

 亜美は鼻筋に小じわをたてて笑っている。目元はサングラスで隠されているが、その目が意地悪そうに半開きになっ
ているであろうことを、竜児は誰よりもよく知っている。

「お前って、何か、そういった企み事をする時、本当に生き生きとするなぁ…」

「あら、ご挨拶ねぇ。こんなの企み事のうちに入らないんですけどぉ」

「いや、正直者の俺にはできねぇ芸当だよ。感服するわ、マジで…」

 その瞬間、亜美がチャンス到来とばかりにほくそ笑んだように見え、竜児は、はっと身構えた。

「あんたが正直者ぉ? 閻魔様に舌を抜かれるわよ。この前だって、卒業アルバムに実乃梨ちゃんからの手紙を隠し
持っていたんじゃない。叩けば埃が出るようなあんたのどこが正直者だっていうのぉ?」

「お前、あのことを未だ根に持っているのかよ…。もう、櫛枝との一件は落着。それを蒸し返すなよ」

「そうね、あの件は一応の決着がついたとしても、あんたは未だあたしに嘘をついているんじゃないかしら?」

「何じゃそりゃ? 根拠もなくいい加減なことは言わねぇでもらいたいな。櫛枝との一件が終わった今、俺は名実共に
清廉潔白だ。お前に詰られるようなことは何もねぇよ」

 言いがかりにも等しい亜美の追及に、さすがの竜児もカチンときた。サングラス越しに、眉をひそめて亜美の顔を睨
み付ける。
 しかし、亜美がひるむ様子はない。温厚な竜児が本気で怒ることはないと思い込んでいるのだろう。

「あら、そうかしら? 実乃梨ちゃんとの一件とは別に、高須くんはやましいことを抱えているんじゃなぁい? 例えば、
高須くんのパソコンの中にぃ、ネットサーフィンで手に入れたエロ動画が保存されているのはどういうことかしら?」

 竜児は、ぎょっとして亜美を見た。確かに亜美の言うように、デスクトップのパソコンには秘密のディレクトリを設け、
そこに無修正のエロ動画を溜め込んでいる。しかし、そのパソコンのOSはFreeBSDで、ユーザ名とパスワードを入力
しないとログインすらできない代物だし、秘密のディレクトリもその名称の頭に「.」を付けて、通常の操作では見えない
ようにしてあった。それなのに…。

「エロ動画? な、何のことやら…」

 なぜ、亜美が竜児のパソコンにアクセスできたのか不可解だが、そんなことをあれこれ考えるよりも、とにかく、しら
ばっくれるしかない。しかし、生理的に嘘がつけない体質なのだろうか、再三亜美に指摘されているように、嘘をつく時
の竜児は、顔色があからさまに変わり、脂汗が滲んでくるのが常である。そして、この時も例外ではなかった。

「ねぇ、高須くん、汗びっしょりだよ。どっか具合でも悪いのぉ?」

 亜美が意地悪そうにニヤニヤしている。エロ画像を隠し持っていないということが、真っ赤な嘘であることがバレてし
まっているらしい。だとしたら、万事休すだ。しかし、むざむざ嘘だと認めるのも癪ではある。

「ああ、ちょっと空調の効きが悪いんじゃないかな? そ、それで、汗が吹き出てきちまったようだ…」

「ふぅ〜ん、このお店、冷房がかなりきつく効いてるよ。あたしなんか長袖のブラウスでも肌寒いくらいなんですけどぉ〜。
それを半袖の高須くんが暑がっているなんてのは、おかしいじゃない?」

「そ、そんなこたぁねぇよ…」

「言ってるそばから、汗が吹き出ているじゃない。もう、いい加減に白状なさい。
パソコンにエロ動画を溜め込んでいましたって、正直に認めなさいよ。本当に、往生際が悪いんだからぁ」

 亜美がサングラスをデコに押しやって、裸眼で竜児の顔を凝視している。その瞳には、竜児が敗北を認める瞬間を
心待ちにしているのか、悪意のこもった輝きが浮かんでいる。

「うう…」

 もう、亜美に負けを認めるべき潮時なのだろう。
 それでも、決定的な敗北と、その後の亜美の追及を何とか回避す方法はないかと、竜児は思い巡らせた。
 その竜児の顎を、亜美は掴んで揺さぶった。

「この期に及んで、白状しないのは正直者を自認するあんたらしくもないじゃない。
いいこと? もう、あんたがいかがわしい動画を後生大事に溜め込んでいるっていうのは、バレバレなの! 
もう、どんなにしらを切っても、この亜美ちゃんの目は誤魔化せないからねっ!!」

 そう言って、更に激しく竜児の顎を揺さぶった。

「い、いててて…、わ、分かった、川嶋。頼むから暴力はやめてくれ!」

「分かったって言うからには、パソコンの中にエロ動画を保存しているっていうのを認めるのね?」

 顎を揺さぶるのはひとまずやめたものの、亜美は竜児の顎を掴んだまま、キス寸前の状態まで白磁のような面相を
竜児の眼前に近づけた。
 その瞳には、怒りとも、嫌悪ともつかない、何とも言えない迫力がみなぎっている。もうダメだ。逃れようがない。

「お、おぅ…。か、川嶋の言う通りだ。ちょ、ちょっとばっかしエロい動画をコ、コレクションしてた…。す、すまねぇ…」

 まるで風船が萎むように、かすれがちな語尾で、弱々しく白状した。
 一方の亜美は、してやったり、とばかりに微笑する。

「なぁんだ、やっぱり隠し持っていたのねぇ。そうじゃないかと思ってカマをかけたら大当たりぃ。
あんたって本当に分かりやすいのよねぇ」

 そう言うなり、あははは! と哄笑した。
 哀れなのは竜児である。サングラスに隠されている三白眼をぱちくりさせ、一瞬呆気にとられたが、亜美にまんまと
一杯食わされたことに遅ればせながら気づき、歯噛みした。

「か、川嶋、き、きったねぇぞ! 騙しやがったなぁ!!」

 一方の亜美は笑みさえ浮かべて、憤慨する竜児を眺めている。

「あらあら、大人げないこと。ここは、高級な食料品店でしょ? あんまり喚き散らすと格好悪いわよ」

「く、くそ…」

 亜美のもっともな指摘に、竜児は言葉を詰まらせた。

「あんたが言いたいことは分かっているわ。このあたしが卑怯だとか、騙し討ちだとかって思っているんでしょうね。でも
お生憎様。口から出まかせを言っても、それが嘘から出たまことの場合は、違法性は問われないの。虚偽事実の流布
告知を不正競争と規定した不正競争防止法二条一項十四号なんかも、こういう場合は適用されないのよ。知ってた?」

 確か、そんな話を弁理士試験がらみで聞いたことが竜児にもあった。何しろ不正競争防止法も弁理士試験の出題
範囲であるし…。

「しかし、感覚的にはフェアじゃねぇ…」

「そうね…。民事訴訟法上は、強迫によって違法に収集された証拠とみなされ、証拠力がないと判断される可能性も
あるから、高須くんが不快に思うのはもっともね。でも…」

「な、何なんだ、もったいをつけて…」

 一瞬のタメの後、亜美は、双眸を、くわっ! とばかりに見開いて、竜児を睨み付けた。

「あたしだって不快なのよ、あんたがエロ動画を溜め込んでいたっていうのが…。このあたしという存在がありながら、
エロ動画を鑑賞していたってのはどういうこと? いつもいつも、エッチの時は尻込みするくせに、エロ動画って何なの?
あたしをコケにするにも程があるわ」

 場所柄をわきまえて、亜美の声は低く押し殺したものだったが、それが却って亜美の怒りを端的に表現していた。

「だから、それは…」

 衝動的なセックスで亜美が妊娠するようなことを避けたかったから、と続けるつもりだったが、亜美の一睨みで、
あえなく中断させられた。

「とにかく、この償いはしてもらうからね。今晩、あたしはあんたの家に泊まる。そして、あたしたちは一つになるの。
いいこと? もう尻込みは許さないから!」

「バカ言え、泰子が居るってのに、どうすんだよ」

 亜美は、ふん、と鼻を鳴らし、冷笑するように口元を歪めた。

「泰子さんなら、非常勤でスナックに出勤することがあるじゃなぁい? で、今日がその非常勤の出勤日。そうでしょ?」

「何で、そんなことを知ってるんだよ」

「先日、あんたが台所に立った隙に、泰子さんに聞いたのよ。簡単なことじゃないのぉ?」

 亜美は、してやったり、のつもりなのか、冷笑しながら得意げに整った鼻先を上に向けた。

「お前なぁ…」

 女同士というものは油断がならない。特に男抜きでひそひそ話をしている時は要注意であることを、竜児は改めて
思い知らされた。

「あたしって、泰子さんとも結構、気が合うからねぇ。
で、今後の非常勤のスケジュールも教えてもらったから、その日はいくらでも高須くんの家でエッチできるって寸法よ」

「エッチとかって、軽く言うなよ。第一、妊娠したらどうすんだ」

 亜美は、企み事がありそうに、にやりとした。

「それだったら手は打ってあっから、気にすんなって!」

「ど、どんな手なんだ…」

 亜美は、不安気な竜児に肩を組むように縋り付き、妖艶に微笑んだ。

「先々週から低用量ピル飲んでっからね。だから、安心して、どーんと中出し! 分かった?」

「ふは…」

 竜児は、あまりの展開に思考がついていけず、現実感が喪失したかのように、茫然としている。

「ほらぁ、もうちょっと喜びなよ。液晶ディスプレイに映った、どこの誰だかわかんない女の二次元映像でオナニーする
よか、あたしという生身の女とのセックスの方が比較にならないくらい気持ちいいってことを教えたげるんだからさぁ」

「お、おう…」

「それに、身体は正直だねぇ、あんたのここ、もう、こんなに固くなっている…」

 妖艶な笑みを浮かべながら、大胆にも竜児の股間を撫で回した。

「か、川嶋、い、いきなり何しやがる! 第一、人目があるだろうが、自重しろ!」

「ここをこんなにおっきくして、何偉そうに言ってんだか。それに人目が何だってえの。
今、この列には人はいないし、ぱっと見、あたしの身体が盾になって、何してるのか分かりゃしないわよ」

 言い終わらないうちに、亀頭の辺りを強く握り、竜児に「うっ!」という呻き声を出させると、亜美は満足気に、にっこりと
微笑んでサングラスを掛け直した。
 その妖しい笑みをたたえたまま、竜児を置き去りにして、レジの方へと去っていく。
 竜児はというと、亜美の唐突な愛撫に驚悸し、魂を抜かれたかのように香辛料売り場の棚に力なく寄りかかった。

「か、川嶋、い、急ぎすぎだ…。ど、どうして、そんなにセックスにこだわるんだ…」

 そのうわ言のような呟きとは裏腹に、竜児とて亜美と結ばれるのは本望だった。しかし、あまりに性急な結びつきは、
無理がある。竜児は童貞だし、亜美だって本人の言動から察するに処女のはずだ。童貞と処女の交わりが初回で上手
くいくとは思えなかった。


 竜児は、傍らに亜美が立つ中、自宅の台所で夕餉の支度に取りかかっていた。
 メニューは亜美の所望で、結局、レンズ豆のカレーである。それと、豆と御飯だけでは動物性タンパク質が足りない
ので、タンドリーチキンを初めて作ってみることにした。鶏腿肉をターメリック、クミン、コリアンダー、唐辛子等の香辛料
を加えたヨーグルトでマリネした後、オーブンで焼くのだが、何しろインターネットのレシピを参考に初めて作るのだか
ら、竜児にとっても不安は拭えない。

「タンドリーチキンは期待しないでくれ…。俺にとっても初体験だ。川嶋の期待通りにはいかねぇかも…」

「あんたの、その慎重なところは嫌いじゃないけど、馴染みのないレシピ程度でそのビビリようは何なのさ…。
あたしたちは、もっと大変なことを今夜は初体験するんだよ…。それも、一生に一度しか体験できない…。
それを思えば何だって平気じゃない」

 『それを思うから、気が重いんだ』と、言いたいところを竜児はこらえた。食後、泰子が仕事でいなくなったら、竜児と
交わることしか念頭にないらしい今の亜美には、言ったところで逆効果にしかならないだろう。
 その竜児の傍らに控えている亜美は、一見、竜児の台所仕事を見学し、手伝っているかのようだが、その実、臆病な
竜児が逃げ出さないように監視しているように見えなくもない。

「鶏肉の下ごしらえはこんなところだろうか…。次はカレーだな。味の決め手は十分に炒めた玉ねぎだから、この工程
は手が抜けねぇ」

 そう呟いて、竜児は、中くらいのサイズの玉ねぎを二つ取り出し、芽が出る方の先端を切り落とした。そのまま茶色い
皮をめくるように剥き、根の部分だけで貼り付いている状態にした後、その皮ごと、根の部分の先端を薄く切り落とした。
 更に、その玉ねぎを縦に二つ割りにし、半分になった玉ねぎに、芽が出る方の部分から五ミリ程度の間隔で縦に切
れ込みを入れた。切れ込みは根の部分までは届いていない。

「何んだか思わせぶりな切り方ね。玉ねぎはみじん切りにするんでしょ? 
だったら、もっと手っ取り早く包丁で滅多切りにすればいいじゃない」

 亜美が竜児の手元を見ながら物憂げに言った。たかが玉ねぎを切るのに何をもったいつけているのか、というところ
なのだろう。
 一方の竜児は、退屈そうに目を半開きにしている亜美を一瞥すると、軽く嘆息した。

「何でもそうだが、闇雲ってのは大概がうまくねぇのさ。物事には理というものがある。
その理に従うのが賢明というものだろう?」

「何よ、その言い方は、まるで亜美ちゃんのことを思慮に欠けたバカ女って言ってるみたいじゃない! 感じ悪いわよぉ」

「そういうつもりじゃねぇんだけどな…」

 『闇雲』という文言が、亜美が『とにかくエッチ』とテンパっていることへの当てこすりと聞こえたのかも知れない。
 竜児は、「やれやれ…」と首をすくめた。亜美との交わりには正直興奮するが、不安材料もある。それを忘れるべく、
竜児は調理に専念することにした。手を動かしていれば、その間だけは、厄介なことを思い悩む余裕はなくなる。

「まぁ、見てろって。こうして根の部分まで切れ込みを入れない玉ねぎを小口切りにすると…」

 言い終わらないうちに、竜児は包丁をリズミカルに動かした。玉ねぎが紙のように薄くスライスされ、スライスされた

次の瞬間には、その玉ねぎがみじん切りとなっていた。

「あ…」

 手品でも見せられたかのように亜美が呆気にとられている。

「思わせぶりな切り方にも理があるのさ。もう、川嶋も気付いているだろうが、玉ねぎの幾何学的な特徴を利用したん
だ。玉ねぎは層状に組織が重なっている。であれば、その層状の組織に対して垂直に小口切りにすれば、それだけで
ポロポロと細かい線状に切ることができる。更に、もう一工夫して、事前に芽の部分から縦に切れ込みを入れておくと、
小口切りにしただけで、みじん切りができるというわけだ」

 亜美は無言で竜児の説明に聞き入っているが、その表情は決して穏やかとは言い難い。どこまでも慎重で冷静な
竜児に苛立っている感じだ。今の亜美が竜児に求めているのは、彼女を無理矢理にでも犯すぐらいの勢いなのだろう。
 竜児は、そんな亜美から放射される苛立ちを感じながらも、みじん切りにした玉ねぎをボウルに入れ、ラップで覆い、
電子レンジにセットした。そして出力『強』で七分間加熱する。

「炒めるんじゃなかったの?」

「本来はそうだが、この方が時間と手間を削減できる。玉ねぎを一から炒めると、焦げないように注意しながら
つきっきりでいなきゃならねぇが、電子レンジならほったらかしでいいからな。で、電子レンジでの加熱が終わったら、
最後にガスで炒めておけば十分だ」

 玉ねぎを電子レンジで加熱している間に、竜児はレンズ豆の処置に取りかかった。まずは、よく洗う。海外で栽培され
たものだから、万事が日本の農産物と同様とはいかない。念には念を入れて洗うに越したことはない。
 洗った豆は下茹でする。それも二回ほど茹でこぼした。豆のあくであるサポニンを含んだ微かに茶色を帯びた泡が
茹でているとぶくぶくと湧き出てくる。
 豆の下ごしらえと並行して、電子レンジで加熱していた玉ねぎを、厚手のアルミ鍋に移して、オリーブオイルでじっく
りと炒める。既に電子レンジで完全に柔らかくなるまで加熱されているので、鍋で飴色になるまで炒めるのにもさほど
の時間はかからない。
 その一方で、下茹でした豆を笊にあけ、一粒つまんで茹で具合を確認した。薄べったい豆なので、簡単に茹だるよう
だ。下手に長時間煮てしまうと、簡単に煮崩れてしまうだろう。

「豆はこれで下準備はオーケイだな。後は玉ねぎのみじん切りが飴色になるまで炒めれば、この豆と合わせて、トマトと
一緒に軽く煮て、ベースはでき上がりだ」

 竜児は、鍋の中の玉ねぎを手早くかき混ぜた。玉ねぎは徐々にであるが、ベージュから飴色に変わりつつある。
 こうなると、非常に焦げやすい。竜児は火を更に弱めて、慎重に炒めることにした。

「ねぇ、未だなのぉ?」

 竜児の慎重な態度に業を煮やしたのか、亜美がうんざりしたように言った。

「もうちょっとだ。よし、こんなものか…」

 頃合いを見て、竜児は炒めた玉ねぎに下茹でしてあくを抜いたレンズ豆を入れ、これに缶詰のトマトの水煮を一缶
分と固形スープの素を一つ加え、ひたひたになるまでお湯を入れて、弱火で煮始めた。

「これにカレー粉とかの香辛料を入れるの?」

 亜美の質問に竜児は首を左右に振った。

「いや、これには入れねぇ。これに入れて長時間煮ると、香辛料の香りが飛んでしまう。
だから、ある方法で香辛料を扱うことにする」

「また、思わせぶりね…」

 十分な説明をしてくれない竜児に不満なのか、亜美は鬱陶しそうに口をへの字に曲げた。
 竜児は、亜美には何も言わずに、下ごしらえした鶏肉を天板に並べ、二百十℃に予熱しておいたオーブンに入れた。

「このまま三十分ほど焼く。うまくいったらおなぐさみだ…」

 タンドリーチキンをオーブンで焼いている間に豆の煮え具合を確認し、亜美と一緒にそれを味見した。

「固形スープの素が入っているからかしら。微かな旨味が感じられるわね」

「実際には、ただのお湯で煮るんだろうけど、何らかの出汁を入れておいた方がいいかな、って思ってな。
であれば、ちゃんと鶏ガラからスープストックを作るべきなんだろうが、ちょと手抜きだな…」

 竜児は、豆の入った鍋を火から下ろした。
 煮え具合はもう十分だった。これ以上煮ると、マッシュポテトのようにドロドロになってしまうだろう。
 竜児は、オーブンでのタンドリーチキンの焼け具合を横目で確認すると、酢とオリーブオイルと塩と胡椒を混ぜ合わ
せてドレッシングを作った。

「味は、こんなものかな? 何せ、カレーもタンドリーチキンも、香辛料たっぷりの個性的な味わいだから、サラダぐらい
はあっさりしたドレッシングで食べた方がよさそうだ」

 肝心のサラダは、サニーレタスと、千切りキャベツと、オニオンスライスと、細切りのパプリカと、マッシュルームのスラ
イスで、これらを混ぜ合わせたものを、大きめのサラダボウルに移した。

「ねぇ、タンドリーチキンはそろそろでき上がりじゃないの?」

 オーブンを覗き込んでいた亜美が竜児の袖を引っ張った。

「そうだな…、あと五分という感じかな? であれば、カレーの仕上げをしよう」

「未だ香辛料を全然入れてないじゃない。ちゃんとできるの?」

 亜美が何やら疑わしげだ。エロ動画の一件は、生身の女である彼女の自尊心をいたく傷つけたらしい。少なくとも、
料理に関して竜児に疑いの目を向けたのは、これが初めてだ。

「まぁ、見ていてくれ…」

 百聞は一見にしかず。言葉よりも実演である。
 竜児は厚手のアルミ鍋にオリーブオイルを入れ、少し暖まったところで、今日買ってきたばかりの粒のままのクミン
シードを放り込み、焦げないように鍋を揺すって炒め始めた。台所にクミン独特の香りが漂ってくる。

「あら、インド料理店みたいな匂いがするわね…」

 クミンシードから十分に香りが出たようなので、竜児はその鍋にカレー粉を大さじ二杯ほど入れ、焦げないように鍋
を火から下ろしてかき混ぜた。カレー粉がクミンの香り付けがされた油と馴染み、香辛料の香りが際立ってくる。

「これにさっきの煮豆を入れて、味を整えればいいだろう」

 竜児は煮えた豆を香辛料を炒めていた鍋に加えた。豆は高温になっていた鍋に触れると、じゅっ…、という微かな音
をたてた。
 竜児はそれを手早くかき混ぜて、香辛料と煮豆とを馴染ませると、薄口醤油を大さじ二杯加え、これに本日買ってき
たばかりのハバネロ唐辛子の粉末を一振りした。

「醤油を入れるの?」

「醤油よりも魚醤とかの方が面白い味になりそうだが、ちょっとあれはくせがありすぎるから醤油で代用することにした
んだ」

 そう言いながら、竜児はカレーを小皿に取って最後の味見をした。

「食べる寸前に香辛料を入れるようにしたのは正解だったな。香りが生きている。
それに単なるチリパウダーじゃなくて、香りがいいハバネロ唐辛子にしたのもよかったようだ…」

 亜美にも小皿を渡し、味見をしてもらう。

「そうね、さすがに高須くんだわ。思わせぶりで説明不十分なのは、正直面白くなかったけど、まぁ、結果よければ、
それでよし、かしらね…」

 豆のカレーの出来栄えには満足しているようだが、それでも、亜美の態度には、竜児へのあからさまな不信感が滲
んでいる。目を細め、ちょっと口をへの字にしたその顔は、臆病な新兵を背後から監視し、敵前逃亡を図る輩は容赦な
く射殺する督戦隊といった雰囲気だ。

別に逃亡するようなつもりは、ねぇんだけどな…。

 竜児だって、亜美とは結ばれたい。しかし、今回のような強迫でせがまれるのは、正直萎える。相思相愛だからこそ、
初めての体験は、両性の同意に基づくべきなのだ。
 亜美が、竜児との性交に固執するのは、愛というよりも、独占欲の顕れという感じがしてならなかった。

「高須くん、何ぼんやりしてるのさ…」

 亜美が督戦隊の将校よろしく竜児を睨んでいる。人の心を読むことに長けた亜美のことだ、竜児が今、何を思ってい
るかもお見通しなのだろう。

「おお、すまねぇ、ちょっと考え事をしてたようだ…」

「あんたの頭脳は亜美ちゃんのよりも優秀だけど、無駄なことを考えすぎるのよ。たまには思考よりも感情、理性よりも
本能を優先させた方がいいみたいね」

 亜美の言うことにも一理あるのかもしれない。竜児は、母子家庭という自己の境遇と、ヤクザな父親から受け継いで
しまった三白眼を気にして、ことさら自分を律して生きてきた。それが傍目には煩わしく映るのだろう。

「そうかも知れねぇな…」

 竜児は、亜美に対して曖昧な賛意を示すと、オーブンの扉を開けて、タンドリーチキンを天板ごと引き出した。先ほど
から漂っていたスパイシーな香りが、より濃密なまま台所に広がった。
 竜児が何事にも禁欲的であるのは、会ったこともない自分の父親に対する反動でもあるのだろう。酒や暴力そして
色欲に溺れていたであろう忌むべきあの男と同列に堕することは、死ぬより辛い恥辱だった。
 だから亜美には済まないが、内罰的に自己を律する生き方は、変えられない。

「よく焼けているじゃない。初めてのレシピだったけど、案ずるより産むが易しよね」

 亜美がことさら『産む』の文言を強調した。それは竜児にとって、亜美が未婚の母になりかねないことを連想させ、
反射的にその眉をひそめさせた。
 ピルを服用しているという亜美の言い分が正しければ、妊娠の危険性はかなり低くなる。にもかかわらず、『産む』と
言う亜美に対し、竜児は不安になった。

「ほらぁ、シケたツラしてないで、さっさと盛り合わせましょうよ。下らないことをあれこれ考えるよりも、手を動かす。
その方が生産的よ」

 覇気のない竜児に業を煮やしたのか、亜美が戸棚からタンドリーチキンを盛り付けるための大皿を取り出してきた。
そして、皿の周辺部にサラダ菜を敷き詰め、皿の中央部に焼きたてのタンドリーチキンを並べた。

「チキンはこんな感じでいいかしら? それと、サラダはどうするの?」

「お、おう…、も、もうサラダボウルに入れてあるから、後は食べる直前にドレッシングを和えればいいだけだ」

 そのサラダボウルを覗き込んだ亜美が、「う〜〜ん」と呟きながら、小首を傾げている。

「サラダがどうかしたのか?」

「ねぇ、これだと普通過ぎるから、あれ入れない? ハラペーニョのピクルス」

 今日の昼、ホットドッグに入っていたあれだ。舌がしびれるほどの目に遭ったのだが、その強烈な味が病みつきになっ
たらしい。竜児は、「そうか…」とだけ呟くと、今日買ったばかりの瓶を開け、くすんだ緑色をした輪切りの唐辛子を五、
六片つまみ出すと、それをみじん切りにしてサラダの上にふりかけた。

「漬物だから彩りはぱっとしねぇが、味は強烈だからな。ちょっと細かく切ってみた」

 いつもの説明口調に食傷気味だとばかりに、亜美は苦笑しながら嘆息し、ピクルスが散らされたサラダと、
ドレッシングの入ったボウルをちゃぶ台へと運んで行った。
 竜児も亜美が盛り付けたタンドリーチキンをちゃぶ台へ運ぶ。残るは、カレーだ。
 本来ならナンも用意すべきだったが、イーストで発酵させるナン等のパンに類するものを作るのは、竜児にとっても
未知の領域だ。従って、今回は、小豆や黒豆、アマランサス等の雑穀を一緒に炊き込んだ御飯でカレーを食べることに
した。
 亜美には『思い切ってやってみればいいのに』と詰られたが、これは次回の課題ということで勘弁してもらう。
 その亜美が、竜児が盛り付けたカレーを二皿運んで行った。竜児ももう一皿に御飯とカレーを盛ると、それを持って
ちゃぶ台に向かう。
 竜児のお下がりのジャージを着た泰子が、ちゃぶ台を前にして、あぐらをかいていた。

「竜ちゃ〜ん、今日のカレーは何かいつものと感じが違うね〜。やっちゃん、こんなに香ばしいの初めてだよ〜」

 出来上がる直前に香辛料を炒めて加えたことは、思った以上に効果的であったようだ。

「匂いだけじゃないんですよぉ、そのカレー。肉も人参もジャガイモも入っていない豆のカレーですけど、すごく美味しい
です。これは味見した亜美ちゃんが保証しますからぁ」

 薄ぼんやりしていた竜児の機先を制するように、亜美が泰子に答えていた。

「そうなの? 亜美ちゃんも竜ちゃんと一緒にカレー作ってたんだ〜、うん、うん、いいねぇ、何だか、亜美ちゃん、

もう竜ちゃんのお嫁さんって感じなんだよね〜」

 泰子のコメントに亜美はカワイコぶって頬を赤らめている。

「いやぁ、そう見えますかぁ? だとしたら、嬉しいですけど、ちょ、ちょっと、恥ずかしいです」

 そこには、詰るような目つきで竜児の背後を監視していた督戦隊将校の趣きはない。竜児とは相思相愛で、
かわいらしい女子大生の亜美ちゃんがそこに居た。
 竜児は瞑目して嘆息した。竜児以外の前では、あくまでも素の自分を封印しておくつもりなのだろう。

「ベタなこと言ってねぇで、さっさと食っちまおう」

 実際、亜美がやったことと言えば、料理の盛り付けと料理を入れた器を運んだだけなのだが、場の雰囲気を悪くす
ると思い、それについては触れないことにした。竜児なりの気遣いというわけだが、その実は、長らく内罰的に自己を律
してきたことで、感情を素直に吐露することが苦手なだけなのかも知れない。

「竜ちゃぁ〜ん、どうしたの〜? 自分から食べようって言いながら、さっきからぼぅっとして…。御飯を全然食べてない
じゃない…。具合でも悪いの〜?」

 泰子の指摘で竜児は我に返り、ようやく、自身が手がけたタンドリーチキンを食べてみた。香辛料の配合は的確なよ
うだ。クミンやコリアンダーの香りが鼻腔をくすぐり、赤唐辛子の辛味が食欲を刺激する。

「意外にうまくいったみたいだな…」

 竜児のコメントに、亜美も頷いている。

「ヨーグルトでマリネするって聞いた時は、正直、あたしもびっくりしたけど、そのせいかしら。
結構固いはずの腿肉が柔らかくなってるし、鶏特有の臭みもなくなってる。初めてなのに、大成功じゃない」

「お、おぅ、あ、ありがとう…」

 竜児は、亜美の言葉の最後が、『初めてなのに、大性交じゃない』と聞こえたように一瞬錯覚し、動揺した。
 『意識しすぎだ』と、竜児は自己を叱罵する。
 この後に控える亜美との初体験。本来なら、胸躍る一大イベントであるはずなのに、意識すればするほど、気が重く
なってくるのだ。

「あれれれれぇ〜、竜ちゃん、何だか、おかしいよぉ。さっきから全然元気ないし、それに亜美ちゃんの方を
あまり見ないし、どうしちゃったの〜。亜美ちゃんと喧嘩でもしたの〜?」

「あ、い、いやぁ、な、何でもねぇ。ちょっと、疲れている、それだけなんだ。そ、それに川嶋とも喧嘩なんかしてねぇよ…」

 まさか、『あなたの息子さんは、目の前に居る川嶋亜美と将来を誓い合った仲であり、今夜、その川嶋亜美と大人の
階段を上ってしまうのです』なんて、言えるわけがない。

「ふぅ〜ん、そうなの〜? まぁ、やっちゃんは頭悪くて、よく分かんないから、竜ちゃんが何でもないって言うんなら、
大丈夫なんだよね〜」

 そう言って、実年齢とはギャップがあり過ぎる、まるで幼児のように無邪気な笑顔を竜児に向けた。
 しかし、多少、頭のネジは緩くても、女を長年、しかも水商売をやってきたのは伊達ではなかったようだ。

「そういえば、亜美ちゃんも様子がおかしいよ〜。

一応は笑顔っぽいけど〜、何だか思い詰めたような感じがしちゃってさ〜。ねぇ、やっぱり竜ちゃんと何かあったの〜?」

 今度は亜美が、泰子の一言に虚を突かれたのか、「うっ!」と声を詰まらせ、次いで、「ごほごほ…」と、思いっきりむせ
た。しかし、竜児よりも世間ずれしている亜美は、なかなかにしたたかだ。

「やっだぁ、泰子さんったらぁ〜。あたしと高須くんは喧嘩なんかしませんよぅ。ただ、今日は、大学から遠く離れた銀座
まで歩いて行ったから、あたしも高須くんも、ちょっと疲れているだけなんですよぅ」

 そう言うなり、モデル時代にならした、とっておきの営業スマイルで、その場を取り繕った。これなら、泰子の追及も
振り切れるだろう。だが…。

「そうなの〜? それだったらいいけど〜。でも、竜ちゃんも、亜美ちゃんも、特に亜美ちゃんが
何だか焦っているみたいな気がして〜、やっちゃん、ちょっと心配なんだよね〜。
まぁ、竜ちゃんも、亜美ちゃんも、賢い子だから、多分、やっちゃんの若い時よりも、上手にやれると思うよ〜」

『『バレてる!!』』

 竜児と亜美は思わず顔を見合わせた。非常勤とはいえ、さすがはホステス、多少はおつむのネジが緩くても、男女の
機微には人一倍敏感だ。


「…どうする? 止めといた方がよくないか?」

 食後、台所で並んで洗い物をしながら、竜児は亜美に耳打ちした。
 一方の亜美は、その一言にムッとして、竜児を睨み付けた。

「泰子さんにバレているからって、それを口実に、あたしとの初エッチから逃げようなんて許さないからね。結婚する
あたしたちがセックスして何がいけないのよ。もう、後には退けないの、あんたも男なら覚悟を決めなさい」

 小声ながら、きっぱりと言い切ると、亜美は、視線を洗っている皿に戻し、洗剤を含ませたスポンジで、油で汚れた皿
を拭った。その瞬間、油と洗剤が干渉する、ぬるっ、という音がしたように竜児は感じ、それがいつぞや触れた亜美の陰
部のヌメリを連想させた。竜児の股間が思わず怒張する。
 潮時なのかもしれない。高校時代から受験勉強仲間としてだらだらと継続してきた、ぬるま湯のような関係を正す
べき時が来たのだ。
 そんなことを思いながら、竜児も又、カレーがこびりついた皿を、洗剤が付いたスポンジで拭った。


 食器洗い等の後片付けが終わり、三人で食後のお茶を堪能した後、泰子は、メイクを整え、出勤の準備をする。

「じゃあね〜、亜美ちゃん。竜ちゃんは、“こういうこと”は気が利かないから大変だろうけど、亜美ちゃんが頑張って、
竜ちゃんとうまくいくようにしてあげてね〜」

 手鏡片手に自身のメイクをチェックしながら、泰子は亜美に自分の息子をお願いするように言った。

「は、はい…」

 これらか竜児と亜美のすることが、泰子に完全にバレているので、竜児はもちろん、亜美も冷汗三斗だが、そこは
元モデルの意地で、何とか笑顔を取り繕った。

「あたしが頑張るも何も、これからあたしたちがやるのは勉強ですから、あたしだけが頑張ってどうこうというものじゃ
ないんですけどぉ、泰子さんがそう言うなら、とにかく高須くんと一緒に頑張ります」

 泰子は、そんな亜美に、幼女のような頑是なさと、男女の機微を知り尽くした年増女の妖艶さとが相半ばする笑み
を投げかけた。

「亜美ちゃん、もう、そんなに意地張って隠さなくたっていいんだよ〜。やっちゃん、亜美ちゃんと違って頭は悪いけど、
商売柄、こういうことはすぐ分かっちゃう。でも、安心して、やっちゃんは〜、いつだって亜美ちゃんと竜ちゃんの味方だか
らね〜」

「は、はい…」

「それとぉ…」

 泰子は、無邪気とも妖艶とも判じがたい笑みを、ほんの少しだけ引き締めた。

「亜美ちゃんにとっても、竜ちゃんにとっても、初めての経験だろうから、最初っから何もかも上手くやろうと思わない方
がいいよ〜。今夜、上手くいかなくても、自分や相手を責めないこと。これだけは約束してちょうだいね〜」

「は、はい、や、約束します…」

「な、何だか分からねぇが、俺も、や、約束する…」

 亜美と竜児は、口々にそう言って、思わず泰子に向かって頭を下げていた。
 頭を垂れながら、亜美は泰子に感服していた。やはり、女としての大先輩は侮れない。

「うん、なら、やっちゃんも安心! 男と女はねぇ、互いに赦すってことが大事なんだよ〜。そして、自分のことも責めたり
しない。亜美ちゃんの辛いことや苦しいことは、竜ちゃんが癒してあげればいいし〜、竜ちゃんの悩みは亜美ちゃんが癒
してあげればいいんだよ〜。男と女ってのはそういうふうにできているのさ〜」

 それだけ言うと、泰子は満足したような表情で、シャネルのバッグを片手にいそいそと出勤していった。

 泰子が居なくなると、急に室内が静かになる。
 竜児と亜美の二人きりだと、狭いはずの木造借家が妙に広く感じられ、二人の間に緊張した気まずさが漂ってきた。

「な、なぁ、夜は長いんだ。取り敢えず、いつも通りに弁理士試験の勉強を始めようぜ」

「そうね…」

 いつもであれば楽しいはずの二人きりの時間が、こんなにも息苦しいのは、竜児にとっても、亜美にとっても初めて
だった。
 その息苦しさから逃れたくて、二人はことさら勉学に集中しようとした。それも、一次試験とはいえ、本試験の問題を、
初めて実際に解いてみることにした。
 ただし、条文集だけは随時参照する。一次試験は一小問が五つの枝からなっており、各枝の正誤を○×で示すもの
だから、条文の知識が不十分だと、いい加減な勘やゲーム感覚で○×を付けてしまいがちだ。これではいつまで経って
も実力は身に付かない。であれば、条文の知識があやふやな段階では、遠慮なく条文集を見て、その問題の意味を正
確に把握して解いた方が合理的である。
 弁理士試験関連の受験雑誌やインターネットで公開されている合格体験記でも、多くの合格者が、『最初は見栄を
張らずに条文集を見ながら問題を解くべきだ』と主張している。なので、竜児も亜美も先達に倣えである。
 もっとも、本試験のうち、一次試験で条文集を参照することは許されないが、それは本試験までに条文の知識を確
かなものにしておけばいい。多くの合格者も、実際にそのような手順を踏んで、最終合格を果たしている。

「しかし、それでもキツイぜ…」

 弁理士試験の問題は、条文を参照しても、初学者である竜児には厳しかった。一次試験は条文の知識を問うのが
趣旨なので、理屈の上では、条文を参照すれば正解に至るはずである。だが、その条文が難解過ぎる。例えば、特許法
第二十九条の二は、以下のように難解な規定だ。

『特許出願に係る発明が当該特許出願の日前の他の特許出願又は実用新案登録出願であつて当該特許出願後に
第六十六条第三項の規定により同項各号に掲げる事項を掲載した特許公報(以下「特許掲載公報」という。)の発行
若しくは出願公開又は実用新案法(昭和三十四年法律第百二十三号)第十四条第三項の規定により同項各号に掲
げる事項を掲載した実用新案公報(以下「実用新案掲載公報」という。)の発行がされたものの願書に最初に添付し
た明細書、特許請求の範囲若しくは実用新案登録請求の範囲又は図面(第三十六条の二第二項の外国語書面出
願にあつては、同条第一項の外国語書面)に記載された発明又は考案(その発明又は考案をした者が当該特許出願
に係る発明の発明者と同一の者である場合におけるその発明又は考案を除く。)と同一であるときは、その発明につ
いては、前条第一項の規定にかかわらず、特許を受けることができない。ただし、当該特許出願の時にその出願人と
当該他の特許出願又は実用新案登録出願の出願人とが同一の者であるときは、この限りでない。』

 条文がやたらと長いだけでなく、括弧で括られた『かっこ書』がやたらと挟まっており、頭から条文を読んでも、その
意味を素直に把握することが難しい。加えて、『ただし、』以下の『ただし書』と呼ばれる部分が、その解釈を余計に妨
げている。

「何を言ってるかさっぱりだ。条文集を見ても、これじゃあ…」

 苦しみながらも十問ほど、それも十分な時間をかけて解いてみた。しかし、自己採点する前に、竜児にも結果は分かっ
ていた。必死に考えたものの、条文の意味するところを理解できず、それがために、正解は十問中三問だった。
 弁理士試験の一次試験突破のボーダーラインは、年によって違うが、概ね六割正解だとされている。しかも、条文集
を参照しないで、三時間半という制限時間内に六十問もの小問全てに解答しなければならない。一次試験突破だけ
でも並大抵の努力ではなし得ないということを思い知らされる。

「なぁ、川嶋はどんな塩梅だった?」

 法学部生の亜美ならば、自分よりも格段に高得点であろうと思い、竜児は彼女に他意なしに尋ねた。
 だが、その亜美の表情も冴えない。

「あたしもまるでダメ…。四問しか正解しなかった…」

 そう呟くように力なく言うと、自己採点をした答案を竜児の前に差し出した。

「特許法が難解すぎる、というか、可読性が悪すぎるのね。
本文にかっこ書がいくつも挟まっていて、読みにくいったらありゃしない」

「川嶋ほどの奴でも苦戦するのか? 
法学部生なら、弁理士試験のマークシート方式の試験問題なんか楽勝かと思ったんだが…」

 その竜児の一言を、亜美は皮肉や悪意と受け取ったのか、頬を膨らませて、むっとした。

「条文がすっきりしている民法や刑法、民事訴訟法に比べたら。複雑難解な特許法や実用新案法、意匠法、商標法は、
悪魔の条文だわ。こんな訳の分からない条文は、法学部生だってお手上げよ」

「か、川嶋、怒るなって…。弁理士試験の勉強では、俺は川嶋に全然敵わない。だから、さっきの発言は、そんな川嶋が
不出来だったっていうのが、俺自身納得がいかなかったからなんだよ。気を悪くしたんなら済まねぇ…」

 亜美は、ちょっと動揺している竜児を一瞥した。

「確かに、あんたの発言にはカチンと来た…。でも、それ以上に、自分の不甲斐なさに腹が立ち、試験問題の難しさに
愕然としていたの。弁理士試験は、司法試験とは別次元の困難さがあるって、合格体験記に誰かが書いていたけど、
本当にそうかもしれない…」

「そうなのか…、済まなかった。『楽勝』と言ったのは、俺が軽率だった…。許してくれ」

 亜美は、毎度、竜児が示す自責的な態度を、鬱陶しそうまぶたを半開きにして冷やかに見ていたが、大きくため息を
ついて、苦笑した。

「あんたのその内罰的な態度、少しは改めた方がいいよ。よくよく考えれば、さっきのあんたの発言に悪意なんかありゃ
しないんだし、試験問題の出来が悪かったのは、結局は、あたしの不甲斐なさが原因なんだし…」

「でもよ、川嶋が気分を害したのは事実じゃねぇか。さっき、お前も言ったように…」

 亜美は、相変わらず自責的な竜児に苛立ったのか、再び、その表情を曇らせた。

「そんなこと、いちいち気にしない! 他者と対立した時、決まってあんたは引き下がるけど、それは時と場合によるの。
理性的に引き下がるよりも、欲望むき出しで積極的にならないといけない場合だってあるんじゃない? その辺をわき
まえて欲しいわね」

「ああ、で、出来るだけ心がけるよ…」

 亜美の剣幕に晒されて、竜児は不承不承頷いた。
 これからが、まさに亜美が言う『欲望むき出しで積極的にならないといけない場合』に他ならなかった。

 しかし、先ほどの問題の出来があまりに悪かったためか、どうにも覇気が上がらない。
 大学受験を主としたこれまでの勉強では、難解な概念や問題であっても、考えているうちに、理解の糸口が見えてき
たものだった。しかし、弁理士試験の受験勉強は、今までの勉強とは勝手が違った。
 概念や問題というものは、細分化して理解把握するものだが、特許法をはじめとする弁理士試験で出題される法域
は、とにかく捉えどころがない。理解するには条文を読むのがその第一歩なのだが、亜美が『悪魔の条文』と表現した
ように、可読性が最悪なのだから始末が悪い。

「最初から上手くいくとは思っていなかったけどよ、さすがに、これはまずいよな…」

 敗北感は亜美も同様だ。だから余計に意地になる。

「もう、気持ちを切り替えましょ。嫌なことを忘れるためにも、あたしたちは一つになるの。あたしはあんたに抱かれるこ
とで癒されるし、あんただって、たかが二次元の動画で抜くよりも、生身の女の方が、比較にならないくらい気持ちいいっ
てことを分からせてあげるんだから」

「そうだな…。今までのままごとみたいな温い関係にはピリオドだ…」

「そう…。今夜、あたしたちは本当に結ばれるんだわ」

 亜美は畳の上に座っている竜児に、いざるように寄った。

「まずは、いつものようにキスよ…。今まで以上に、官能的で濃厚なやつをしましょ…」

 言い終わるや否や、竜児の口唇に自身の口唇を重ね、舌先を竜児の口腔に滑り込ませる。
 竜児も亜美に促されるまま、自身の舌を亜美のそれに絡ませた。

 仄暗い竜児の部屋の中で、二人は抱き合い、貪るように互いの唇を求め合った。互いの舌が怪しく絡み、もつれ合っ
て、艶めかしく躍動する。
 亜美の滑らかな舌が、竜児の歯茎や頬の内側をすべっこく撫で回し、竜児の気持ちを昂ぶらせる。それは竜児の舌
も同様であるらしい。竜児の舌が亜美の口蓋や頬の粘膜と干渉するたびに、竜児の背中に絡みつく亜美の両腕に力
がこもり、その爪が竜児の背中に立てられる。

「う、う〜ん…」

 亜美が呻き声にも似た官能的な呟きを漏らした。
 竜児は、最後の仕上げのつもりで亜美の口腔内を嘗め取るように自身の舌を這わせた後、口唇を引き離して亜美
との接吻を終えた。
 亜美の口唇からは唾液が一筋、蜘蛛の糸のように白く輝きながら垂れ落ちた。その唾液を拭おうともせず、亜美は
とろんとした目つきで、所在なく竜児に目線を合わせている。その無垢な居住まいは、普段のちょっと性悪で、したたか
な姿とは別の、今の竜児だけが知る愛しき姿。

「川嶋、好きだ…」

「う、うん、あたしも高須くんが大好きぃ…」

 竜児は、座ったままで亜美の上体を抱き留めた。ほっそりとした贅肉のない肢体は、そっと抱き締めてやりたくなる
ほどに、脆く繊細で儚なげだった。
 竜児は、亜美の口唇に再び軽く接吻し、それから、亜美の頬から耳たぶ、首筋へと口唇を這わせ、舌先で、亜美の滑
らかな肌を愛撫する。

「た、高須くん、そ、そこ、き、気持ちいい…」

 ブラウスの襟元から露わになった鎖骨の辺りを吸引し、舌先でなぞると、亜美がそう言って、歓喜からか身を
震わせた。
 亜美が愛用している花のように香るトワレとは別の、甘酸っぱく切ない亜美の体臭が竜児の鼻腔を刺激する。
 愛しき異性の汗の匂い。それは性愛に対して消極的な竜児をも虜にする妖しき芳しさ。

「川嶋…、川嶋の身体って、あったかくって、柔らかくって、いい匂いがする…」

 亜美は竜児に抱かれ、しばし呆けたようになっていたが、『匂い』と言われた瞬間だけ、はっとしたように硬直した。

「ね、ねぇ、あたしの身体って汗臭いでしょ? 汚いでしょ? そう言えば、シャワー浴びないで始めちゃったね…」

 竜児は、亜美の心配をよそに、ブラウス越しに亜美の胸の谷間に顔を埋め、その芳しい体臭を堪能した。

「いや、どんな高級な香水よりも、今の川嶋の匂いの方が芳しい。それに汚いだなんて…、惚れた女に汚いところなん
てあるわけがねぇよ」

「高須くん…」

 竜児は本心からそう思う。シャワーを浴びていなくても、亜美ならば全身くまなく接吻してやることだってできるだろう。
 だが…、

「逆に、俺はどうだ? 俺も、今日一日、歩き回って汗だくなんだ。そんな俺こそ臭いだろ?」

 亜美はとろんとした表情のまま、首を左右に振った。

「ううん、高須くんが亜美ちゃんの匂いを愛おしく思うように、あたしも高須くんの匂いが愛おしいんだよ。
だから、シャワーなんか浴びなくたっていい…。このまま、あたしたちは一つになろうよ…」

「そうか…」

「思考や理性よりも、感情と本能の赴くままに、あたしは高須くんと一つになりたい。高須くんも、そうしてよ…」

「川嶋…」

 竜児は、再び、亜美の胸の谷間に顔を埋めた。マシュマロのように柔らかく、それでいて何かの高分子素材まがいの
弾力を帯びた乳房がぶるぶると震え、その乳房越しに激しく脈打っている亜美の心臓がはっきりと感じ取れた。

「川嶋の鼓動が聞こえる…」

「う、うん…」

 亜美の鼓動を聞きながら、竜児は懐かしいような、安らぐような気持ちになった。こうして、女の胸元に頬を擦り付け、
その心音を耳にしたのは、先日の亜美の乳房を啜った時が初めてのはずだった。
 だが、その時とは別の、もっと以前に、こうしたことがあったことを思い出す。

「泰子…」

「え?」

 陶然としていた亜美が、ちょっと驚いて竜児を見つめている。

「ど、どうしたのぉ、いきなり泰子さんの名前なんか呼んで…」

 最愛の女性を抱いている最中に、他の女、それも母親の名前を呟いた迂闊さを竜児は悔いた。

「すまねぇ、ガキの頃を思い出したんだ。恥ずかしい話さ。離乳しても、俺は、今、川嶋にしてもらっているように、泰子の
胸に顔を埋めていた。その時を、つい思い出しちまった」

 母親と比べられるのは、女としてはどんな気分なんだろうか、とは思ったが、嘘がつけない竜児は、思っている通りの
ことを亜美に伝えた。

「うふふ…」

 亜美が、嬉しそうに微笑んでいる。

「川嶋…?」

「ありがとう、あたしにとっては誉め言葉だよ。女はねぇ、みんな母になるのが夢なのさ。
その母っていうのは、実際に好きな人の子供を産むっていうのもあるけれど、その好きな人のことも、
母親のようにやさしく包み込んであげたいってことなんだよ」

「お、おう…」

「だから、高須くんが、あたしを抱いて母親である泰子さんを思い出したっていうのは、女冥利に尽きるのさ。
あたし、本当に幸せだよ…」

 言い終えた亜美の双眸に涙が光っていた。
 竜児は、そんな健気な亜美がたまらなく愛おしく、そのまぶたに口づけし、亜美の涙を嘗め取った。

「高須くん…。そ、そうよ、あたしを好きにしていいの。あたしは高須くんの女、そして、高須くんの妻となり、母となる女…」

「か、川嶋、ブラウスを脱がすぞ…」

 亜美は、その言葉に頬を赤らめて頷いた。

「う、うん、で、でも、恥ずかしいから、明かりは消して…」

「お、おぅ、そ、そうしよう…」

 竜児は、ちょっと立ち上がって、部屋の蛍光灯から下がっている紐を三回程引いて消灯した。
 畳の上に膝を崩して座っている亜美の姿が、窓から差し込む月明かり、それに街灯らしき青白い光で、うっすらと浮
かび上がっている。

「じゃあ、川嶋、ボタンを外すぞ…」

 竜児は、亜美のブラウスの前立てに手を副え、一つ一つボタンを外していく。指先は微かに震えていたが、亜美の服
を脱がすのはこれで二度目なだけに、以前ほどの動揺はない。
 ボタンが全て外され、ブラウスの前立て越しに亜美のブラジャーが覗いた。

「黒、黒いレースのブラなんか着けてたのか…」

 亜美が、微笑んだ。

「いわゆる勝負下着よ。今宵、あたしは高須くんと何としても結ばれたかったの…。ちょうどピルの効き目が確かになる
最初の週末なんですもの。だから、エロ動画なんて卑怯な言いがかりを付けてでも、高須くんと一つになりたかった…」

「川嶋…」

「これって、本当に卑怯よね…。でも、あたしの思いに偽りはない。それだけは信じて…」

「ああ、信じているとも。だからこそ、川嶋のためなら、俺はピエロだって、何だって構わねぇさ」

 竜児は、亜美のブラウスの前立てを左右に広げ、次いで、左右の袖を引くようにして、両袖から亜美の腕を抜き取り、
ブラウスを亜美の身体から完全に取り去った。
 真珠のように艶やかな柔肌が、月光で青白く輝いている。

「川嶋だけが半裸なのは不公平だよな。俺も脱ぐよ」

 竜児も、身に着けていた黒いポロシャツを脱ぎ捨てる。
 その半裸の竜児に、亜美が抱き付いてきた。

「ああ、高須くんの身体、高須くんの匂いがする…」

 勉学に家事に、万事に全力で取り組んでいるせいか、贅肉が全くなく、筋肉質な竜児の胸板に、亜美は頬を擦り付
ける。
 そして、その乳首に、口づけし、赤子のように吸い付いた。

「か、川嶋、何しやがる! 男の乳なんか吸っても意味ねぇだろうが」

 月光に照らされた亜美が悪戯っぽく笑っている。

「女にとって乳首は性感帯だけど、男の人はどうなのかなぁ、って思って…。ねぇ、どうなの? やっぱり吸われると気持
ちいいでしょ?」

 竜児は首を左右に降った。

「いや、ぞくぞくとくすぐったくはあるけど、気持ちいいかどうかは微妙だな。ギリギリ、川嶋に吸ってもらってるから、何と
か耐えられる程度かも知れねぇ」

「そっか、それじゃぁ、このぐらいにしとく。まぁ、悪く思わないでね。これは、あたしが男の人って、乳首吸われたらどうな
るかってのに興味があったからだけど、この前、高須くんに亜美ちゃんのおっぱいを吸って貰ったことへのお礼でもある
んだからね」

 それだけ言うと、亜美は再び竜児の胸板に頬ずりし、その匂いを確かめるように小さく鼻を鳴らして、竜児の身体か
ら離れた。

「ベタなこと言ってねぇで、続きをしようぜ。次は、コットンパンツだ」

「うん、でも、これはぴっちりしてて脱がしづらいから、自分で脱ぐよ…」

 そう言うなり、亜美は立ち上がって、コットンパンツをずり下げた。白い下腹部が露になり、次いで黒いレースの勝負
パンツが見えてきた。亜美はそのままコットンパンツを膝下まで下ろし、右足、左足の順でコットンパンツを脚から抜き
取った。
 竜児も自身が身に着けているデニムを脱ぐ。これで、竜児も亜美も、下着姿だ。

「高須くん…」

 その姿のままで、二人は向かい合って立ち、互いに見つめ合った。深山の湖水のように静謐な亜美の瞳に、窓辺か
ら差し込む月光の青白い輝きが宿っている。華奢と呼べるほどにスリムな肢体に、意外な程の量感を誇る乳房、括れ
た腰、胸と同等の量感を備え、俗に言う安産型とも表現出来そうな腰部、そして竜児と並んでの早足も苦にしない走
力を備えた長い脚部が竜児の眼前にあった。

「川嶋…、綺麗だ…」

 我ながら陳腐な台詞だ、と竜児は思ったが、実際にそうとしか表現できないのだから致し方ない。
 高校時代に亜美のビキニ姿はしっかり見させてもらった竜児だが、改めて差しで向き合うと、その美しさ、妖艶さに
眩暈がするほどだ。亜美は変わった。明らかに以前よりも美しく魅力的になっている。

「う、うん…。ちょ、ちょっとだけだけど、おっぱいがおっきくなったから…」

 そう言って、両手で捧げ持つようにして、自身の乳房を軽く揺すった。特殊な高分子素材さながらの弾力性を秘めた
乳房がぶるんと震え、黒い陰となっている胸の谷間がその形を妖しく変える。
 美少女から美女へと、亜美は成長しつつあるのだ。
 乳房が以前よりも大きくなったことに加えて、何よりも内面から匂う女の色香が悩ましい。

「妖艶っていうか…、色っぽくなったな、川嶋…」

 その言葉が嬉しかったのか、亜美が、微笑んでいる。

「女はねぇ、人を愛することで変わっていくんだと思う…。高須くんを愛したからこそ、あたしは変わったんだ。
あたし、高須くんと出会えて、そして今こうして一緒に居られることが、すっごく幸せだよ…」

「俺もだ…。横浜で、川嶋に、俺が変わったって言われたが、それは俺も川嶋と出会い、川嶋を愛することで変わったん
だと思う…」

「う、うん…。高須くんにもそう思って貰えると嬉しいよ」

 竜児は亜美を抱き寄せると、その口唇に接吻した。再び、互いの舌が妖しくもつれ合い、気持ちが昂ってくる。

「ブ、ブラ、外してちょうだい…」

 ディープキスの余韻からか、呆けたようになっている亜美が、息も絶え絶えな状態で訴えた。
 竜児は、亜美の背後に回していた両手の指先でブラジャーのホックをまさぐり、それを外した。亜美も竜児の背中に
回していた腕を解き、竜児がブラジャーを抜き取ることに協力する。
 ブラジャーがなくても無様に垂れ下がらない、ティーンエイジャーらしい乳房が竜児の眼前に晒された。
 むっちりと勃起した乳首に、充血して腫れ上がったように盛り上がっている乳輪が艶かしい。

「綺麗だ、本当に綺麗だよ…」

「う、うん…」

 竜児は、吸い寄せられるように、亜美の乳房に顔を近づけた。乳首や乳輪の辺りから湧き出てくる甘く切ない匂いに
竜児は陶然とする。
 『女はみんな母になるのが夢』だと亜美は言った。その匂いは媚薬のように妖しいが、同時に、母となり、子を慈しむ
ためのものでもあるのだろう。

「ねぇ、この前みたいに、あ、亜美ちゃんのおっぱい吸ってよぉ…」

 竜児は、軽く頷いて、大きく膨れ上がっている左の乳首に吸い付き、右の乳首を左手の指先で摘み上げ、掌で乳房
全体を捏ねるように揉んだ。

「き、気持ちいいよぅ…」

 亜美が背中を弓なりに反らせて、その身を震わせた。竜児は右腕を亜美の括れた腰に回して、その上体を支えてやる。

「ちょっと噛むぞ」

 亜美が頬を紅潮させて頷いたのを上目遣いで確認して、竜児は、右の乳輪に前歯を当て、ちょっとじらすようにして
から、右の乳首を軽く噛み、そのまま軽く引っ張った。
 亜美は、噛まれた瞬間、「うっ!」と呻いたが、すぐにうっとりとしたように、切なげな吐息を漏らした。

「あ、亜美ちゃん、高須くんにおっぱい吸われていると、すごく嬉しい。だって、き、気持ちいいんだもん。それに…」

 快楽にあてられて、乱れた呼吸を整えるためなのか、亜美は、深呼吸するように大きく息を吸って、吐き出した。

「こうして高須くんにおっぱいあげていると、母親の気持ちになれる…。未だ男も知らないのにね…。
でも、高須くんを母親のように慈しんで包み込んでいるような気がするの。そ、それが…、たまらなく嬉しい…」

「川嶋…」

 竜児は咥えていた乳首を、束の間、離した。

「あ、止めないで…、もうちょっと、もうちょっとだけ、亜美ちゃんのおっぱいを啜ってちょうだい…」

 竜児は、陶然として切なげに呟く亜美に頷くと、今度は両の乳房の先端を、交互に嘗め、啜り、甘噛みした。
それも、さっきよりも強く。

「ああ、いい、いいよぉ! 吸って、吸って、もっと強く吸ってよぉ!!」

 そう叫ぶと、快楽に耐えきれなくなったのか、亜美が足下をふらつかせた。

「川嶋、もう、立ち続けるのは無理だ。ちょっと座ろう」

 竜児は、呆けている亜美を膝立ちにさせ、左腕でその上体を支えた。そして、再び、乳房に顔を埋め、固く尖った乳首
を啜った。

「う、ううう、あ、亜美ちゃん、おかしくなっちゃうよぉ〜」

 亜美が今にも泣きそうな表情で、小指の爪を噛んでいる。快楽を求め、その快楽に必死に耐えている姿には、少女
のような愛くるしさと、成熟した女の色香が同居していた。

 竜児は、なおも亜美の乳房を吸いながら、右手を亜美の鳩尾の部分から臍を経て、下腹部へとそろそろと伸ばして
いった。

「う、うう〜ん…」

 竜児の指が亜美のショーツの縁に届いた刹那、亜美は身をよじらせながら、閉じていた脚部を心持ち広げた。
 それは、竜児の愛撫を受け入れたいという亜美の無言のサインだ。
 その下着の上から、竜児は亜美の陰部を人差し指でトレースした。陰裂の形がはっきり分かるほど貼り付いている
下着は、粗相をしたように、ぐっしょりと濡れている。

「川嶋、もう、びちゃびちゃだよ…」

 亜美は、快楽で呆けたのか、もう、竜児の言葉にはまともに反応できず、ただただ、無垢と色香が共存した表情で、
竜児のなすがままに身を委ねている。

「川嶋、下着を脱がすぞ。もう、これじゃ穿いている意味がねぇ…」

 亜美が、とろんとした表情で頷いたのを確かめて、竜児は、亜美の黒いショーツに手をかけた。そのまま右手だけで
その下着を左右交互に引っ張り、膝の上までずり下ろす。黒いショーツは、粘液の糸を引きながら、亜美の膝のすぐ上
で、所在無げに留まった。
 そして、むっとするほどに芳しい亜美の陰部が竜児の目に飛び込んできた。エロ動画では飽きるほど見た女性器。
しかし、今、目にしているのは生身の女、それも生涯を賭けて愛していくと誓った女のそれだった。
 竜児は、その陰裂を指先でなぞり、じくじくと滲み出てくる愛液を絡ませる。その愛液で潤った指先で、陰毛の叢から
大きく勃起したクリトリスを擦るようにして愛撫した。

「あ…」

 亜美の背中が、電撃を受けたようにびくんと反り返る。更に、竜児は、クリトリスの包皮を手探りで剥き、そのむき出し
のクリトリスに愛液を擦り付けた。

「あ、あ、あ、いい、いい、気持ちいいよぉ〜〜!!」

 亜美は、背中を弓なりに反らせたまま首を左右に激しく振った。目には涙が溢れ、バラ色の口唇からは涎が垂れ落
ちてくる。

「指、入れるぞ…」

「う、うん、い、入れていいよぉ」

 涙と涎を垂れ流しながら、亜美は、竜児に頷いた。竜児は、人差し指をクリトリスから尿道口、膣口に這わせ、
その膣口へ慎重に人差し指を差し入れる。瞬間、亜美が、「うっ!」と呻いて眉をひそめた。

「だ、大丈夫か、川嶋? 痛くねぇか?」

 亜美は、しかめた顔を、笑顔に戻すと首を左右に振った。

「大丈夫だよ、高須くんの指遣いがとっても上手だから気持ちよくって…。それで、思わず声が出ちゃっただけ…。
それに、あたしも自分の指を入れてオナニーしたことがあるから、大丈夫だよ…」

「お、おぅ…」

 亜美が膣に自分の指を入れて自慰に耽っている姿を想像して、竜児は股間が更に怒張してくるように感じた。
 それが、亜美にも分かるのだろう。

「おかずは、もち、高須くん…。高須くんに、今されていることや、これからされることを想像しながら、おっぱいを揉んで、
あそこをいじってばっかだった…」

 その気持ちは竜児にも理解できる。

「俺もそうだよ…」

 エロ動画を見ながらも、夢想するのは亜美の姿態だ。
 竜児は、また、亜美の乳首を強く吸った。指ぐらいは平気、と本人が言うものの、竜児と亜美では指の太さがかなり
違う。痛みを覚える虞がなくはない。その痛みを紛らわせるつもりで、亜美の敏感な乳首を啜って、快楽を入力してやる。

「うひゃう、た、高須くん、おっぱい気持ちいいよぉ〜〜」

 亜美が乳首から全身に走る快楽に酔い痴れているその時に、竜児は、人差し指を、膣の内部に差し込んだ。
 結構な弾力のある粘膜というか、肉質の襞が指先に感じられた。亜美の純潔の証、処女膜だ。その処女膜の中央に
あるはずの開口部を指先で探る。
 その開口部は、竜児の指よりも細いようだ。そのため、ちょっと引っかかるような感じがしたが、止めどなく滲み出て
くる愛液のおかげで、最後は、ずるん、という勢いで竜児の指は、亜美の膣内に収まった。
 指が挿入された瞬間、亜美は、苦しげな呻き声とともに身を強張らせたが、その後、大きく一息つくと、落ち着いた。

「い、痛くなかったか?」

「うん、平気…。亜美ちゃんのお腹の中に高須くんの指が入っている…。これって、ちょっとすごいよね…」

 亜美の膣内はうねうねと柔らかく、挿入された竜児の指を熱い粘液とともに包み込んでいる。

「今まで、何度となく妄想してきたけど、ここに俺のペニスを突っ込むのか…。あまりにリアル過ぎて、却って現実味が
ないな…」

 亜美が、切なげな吐息を漏らしながら、微笑んでいる。

「あたしなんか、もっと、大変なんだから。高須くんのおちんちんが、突っ込まれるんだよ…」

「そうだよな、女にとっての初体験は一生に一度だから…。それも、処女膜の喪失という傷を負う…」

 亜美が、頷いた。

「ほんと言うとね、ちょっと、こわいんだ。インターネットとかの体験談読むと、全然痛くなかったっていうのもあるけど、
結構痛いとか、出血がひどかったとか、って話があったから…」

 その手の話は竜児も見聞きしたことがある。それらの多くは、前戯が不十分なまま挿入を試みた結果、潤滑不足で
膣内の粘膜を損傷して、女の子にかなり痛い思いをさせたというものだった。

「なぁ、川嶋…」

「な、なぁに? ど、どうでもいいけど、高須くん、指を入れただけじゃ、あんまり気持ちよくないよぉ。ゆ、指、う、動かして
いいから…」

 膣内はクリトリスや尿道口、膣口付近に比べれば、感度は鈍いらしい、ということは竜児も何かで聞いたことがある。
だとしたら、指を膣に挿入しただけでは、亜美の陰部に十分な快感を与えることが難しい。
 何よりも、ペニスの挿入に備え、亜美の膣を十分に広げておいてやりたいが、この体勢では、もう一本指を入れて、
亜美の膣を広げるのはちょっとやりづらい。

「川嶋を抱いたままじゃ、川嶋のあそこを十分に愛撫するのが難しいんだ…」

「う、うん…、そ、そうなの?」

「だから、川嶋をベッドに座らせる。そこで、改めて、川嶋のあそこを丁寧に愛撫してやりたい…」

 その一言に亜美はちょっと驚いたように顔を強張らせたが、目をつぶって、微かに頷いた。

「う、うん…。やって、高須くん。亜美ちゃん、高須くんにいじられることばっか妄想してきた。だから、お願い…」

「ああ、喜んでそうさせてもらうよ」

 竜児は、亜美の膣内に挿入していた指をゆっくりと抜き取ると、亜美の膝と背中を抱えて、ベッドに運んだ。

「こういうの、お姫様抱っこっていうんだよね」

「そうだな…。川嶋は、俺にとっての姫であり、妃となる女なんだ…」

「くっさい台詞…。だけど、嬉しい…」

 竜児は抱えていた亜美をベッドの縁に座らせると、膝の辺りに絡まっていた黒いショーツを脚から取り去った。

「川嶋、そのまま仰向けに寝てくれ」

「う、うん、分かった…」

 亜美はベッドを横切るようにして、その身を横たえた。狭いベッドだが、ベッドの縁から心持ち尻を突き出せば、胴長
ではない亜美は、頭を壁にぶつけることなく、横になることができた。

「じゃ、脚を広げるぞ…」

 亜美は、羞恥からか、頬を赤らめ、身を震わせたが、頷いた。

「恥ずかしいけど、お願い。高須くんに、あたしのあそこ、あたしが女である部分を見て欲しい…」

 竜児は、亜美に向かって頷くと、亜美の膝を左右に広げていった。愛液を滴らせた亜美の陰裂が見えてくる。
その陰裂からは、竜児を誘う匂いが漂ってくるのだ。
 匂い自体は異臭と表現すべきものだが、それには雄である竜児を性的に興奮させる媚薬のような効き目があるらし
い。シャワーを浴びていないせいもあって、その匂いはきつかったが、竜児は、顔を陰裂に近づけた。

「あ、た、高須くん、顔近いよぉ!」

 亜美の抗議にも似た訴えには構わず、竜児は、陰裂の頂点に突き出したクリトリスに接吻し、舌先で包皮を剥ぎ取
るようにして愛撫した。

「あぅっ! そ、そんなとこ、汚い!!」

「川嶋の身体に汚いところなんてあるもんか。それに、川嶋のここは、喜んでいるのか、さっきよりも濡れてきているぞ」

 竜児は、亜美の大陰唇を指で広げた。露になった膣口からは、とろとろと粘液が垂れ流れている。

「川嶋、このまま指を入れるぞ」

 そう言いながら、竜児は、むき出しになったクリトリスを啜った。刹那、亜美の身体が痙攣したように震える。

「あああ、らめぇ! 気持ちよしゅぐるよぅ!」

 それに呼応するかのように、膣口からは、じくじくと愛液が滴り落ちてくる。その愛液を絡ませた人差し指を、膣に
差し込んだ。
 今度は、処女膜と干渉することなく、竜児の指はすっぽりと亜美の胎内に飲み込まれた。その指をゆっくりと動かし
ながら、竜児は亜美のクリトリスを啜り、クリトリスから尿道口、膣にかけて、舌を這わせて愛撫した。

「あーっ! あーっ! あーっ!」

 ベッドの上では、亜美が自ら乳房を揉みながら、意味不明なことを叫び、快楽に酔っていた。
 あとちょっとで、クライマックスに達してしまうだろう。竜児は、最後の仕上げのつもりで、クリトリスを啜り、一旦、
挿入していた人差し指を引き抜いた。

「あ、ゆ、指、抜かないでぇ!」

 亜美の切なげな訴えに応えるように、竜児は、今度は人差し指に中指を添えて、それを亜美の膣に挿入した。

「あ、ああ、指、は、入ってくるぅ」

 さすがに指が二本だと処女膜の抵抗が大きかったが、十分に濡れていたことと、慎重に開口部を探って、

そこをやさしく広げるようにして挿入したため、出血はなかった。

「どうだ、川嶋、痛くねぇか? 今、指が二本入っているんだが…」

「う、うう、平気、ちょ、ちょっとじんじんするけど、それが気持ちいい…」

「そうか、じゃ、指を動かすぞ」

 竜児は、挿入した二本の指を捻りながら亜美の膣内を往復させた。ねっとりと熱い肉の襞が、竜児の指を咥え込ん
で、艶かしく蠢いている。

「あうううう…。もう、らめぇ…」

 亜美は息も絶え絶えの状態で、朦朧としている。自慰では経験したことがない強烈な快楽に酔い痴れているのだろ
う。あとちょっとでオルガスムスに達するに違いない。
 竜児は、亜美をいかせるつもりで、クリトリスを甘噛みし、滴る愛液を啜りながら、二本の指を膣内で広げたり、その
先端を曲げてみた。

「あ、あああああああああぅー!」

 ついに達したのか、亜美は大きく絶叫すると、涎を垂らしながら全身を痙攣させた。天井に向いて見開かれた双眸
からは涙が溢れ、瞳孔が大きく開いている。

「か、川嶋! 大丈夫か?」

 激しそうな痙攣は束の間だった。その発作のような痙攣が治まると、亜美は、呼吸を整えてから、満足したように呟
いた。

「いっちゃった…。こんな感覚初めてぇ…。好きな人にいじってもらえるだけで、こんなに気持ちいいなんて…」

「そうか、痛くはなかったようで、何よりさ」

 竜児は、亜美の膣から指を引き抜こうとしたが、それは亜美に止められた。

「川嶋?」

「女の快楽はねぇ、余韻のように長く尾を引くの…。この瞬間も、あたし、気持ちいい…。だから、もうちょっと、もうちょっ
とだけ、指を入れたままにしておいて…」

 そう言いながら、未だ快楽の余韻に耽っていることを竜児に示すように、亜美は自身で乳首を摘み、指先で捏ね回し、
はぁ、はぁと切なげな吐息を漏らす。
 やがて、快楽の余韻が引いたのか、亜美のクリトリスが萎んできた。その頃合いを見て、竜児は、指を引き抜いた。
 抜く瞬間、亜美は顔をしかめたが、それは痛みというよりも、指が膣内を擦過する新たな刺激に身悶えたというべき
なのだろう。
 その亜美は、精も魂も尽き果てたと言う感じで、ぐったりとしている。

「川嶋、ちょっと、休もう。夜は未だ長い。続きは川嶋が元気になってからにしよう…」

 マグロのように横たわり、汗と涙と涎と愛液にまみれた亜美の身体をタオルで拭う。そうしている時も、亜美の身体
から漂う甘く切ない体臭が、媚薬のように竜児を翻弄し、股間を痛々しいほどに怒張させるのだ。

「ううん、平気…。それに、あたしばっか気持ちよくなって、高須くんは全然気持ちよくなってないじゃない。今度は、高須
くんが気持ちよくなる番だよ」

「それは、いいよ…」

 亜美は、ちょっと不満げに眉をひそめた。

「よくないよぉ、そういうの。あたしたちは対等なのぉ。だったら、今度は、あたしが高須くんを気持ちよくしてあげなきゃ
いけない…」

「お、おう…」

 竜児の返事を了解と受け取ったのか、亜美は悪戯っぽく笑った。

「それにぃ、あたしも高須くんのおちんちん、しゃぶりたいしぃ」


 結局、竜児は部屋の中央に立ち、亜美がその竜児の前に膝立ちして、竜児のペニスをしゃぶることになった。
 その体勢で、亜美は竜児の下着をずり下げた。カチカチに勃起したペニスが、亜美の目に飛び込んでくる。

「え、え〜と…」

 以前、手探りで触れたことはあるけれど、見るのは初めての竜児のペニス。それは想像以上に太くて長い。
 特に、ここまで太いとは予想外だ。自分の指の何本分の太さがあるんだろう、と亜美は不安になった。

「ど、どうしたんだ、川嶋?」

「う、ううん、な、何でもない。ただ、ものすごくおっきいなぁ、って見とれていただけ…」

「よせやい、普通サイズだと思うけど、他の奴らと比べたことがないから正直分かんねぇや」

 これが普通サイズのはずがない、と亜美は思った。長さは十八センチ以上ありそうだし、亜美の小さな口で咥え込む
のが辛そうなくらい太い。そして、何よりも、こんなに太いものが、指二本を挿入できるのが精々の亜美の膣に突っ込ま
れるのだ。快楽への期待感よりも、流血必至の恐怖が湧き上がる。

「ううん、本とかで読んだのよりも、すっと大きいよ…。立派過ぎて、亜美ちゃんなんかにもったいないかも」

 そっと、竜児のペニスに触れてみる。熱く弾力があるそれは、硬質な合成ゴムか何かで出来た、アグレッシブな固さ
を備えていた。高射砲のように仰角をもって屹立するそれは、亜美の純潔の証を突き破り、吹き出す精液で亜美を孕ま
せる攻撃的な器官なのだ。

 亜美は、恐る恐る、竜児のペニスに指を絡ませ、しごいてみた。包皮に弛みはなく、包茎とは無縁であることがそれで
分かった。

「皮、剥けちゃってるんだぁ…」

「お、おぅ、中学校の時、保健体育で、包茎は不衛生って教わって、それから、風呂とかトイレで意識して皮を剥くように
していたら、こうなった。何もしていなかったら、皮かぶりだったかもしれねぇ」

 亜美は、竜児がペニスの皮を剥いている姿を想像し、可笑しくなった。

「わ、笑うなよ…」

「だって、高須くんって、そうしたエッチなこととかにすごく疎いから、ちょっと意外すぎて…」

「エッチ、とかっていうよりも、包茎は不衛生だから、どうにかしたかったんだよ…。これなら意外でも何でもねぇだろ?」

 亜美は、納得した。思春期の頃の性への興味もあるのだろうが、包茎は不衛生だということも理由とする竜児は、
どこまでも潔癖症なんだなと理解した。
 亜美はそのまま、ドキドキしながら竜児の亀頭から棹の部分、そして陰嚢を撫でさすっていたが、意を決したように、
バラ色の口唇を竜児の亀頭に近づけた。

「高須くん、おちんちん、しゃぶるからね」

 竜児の頷きを上目遣いで確認して、亜美は、亀頭に口づけした。その先端からは、透明な液が滲み出ている。
その液は、ちょっと苦い、むせ返るような雄の味と匂いがした。
 その亀頭の先端をおちょぼ口で吸い、次いで、舌先をペニスの付け根まで、唾液の痕を残しながら、トレースした。

「川嶋、もうちょっと、強く吸ってくれると、う、嬉しいよ。そ、それに、軽くなら歯を当てても大丈夫だ…」

 恐る恐る、壊れ物を扱うようにしていたが、そのひと言で、思い切って強く吸い、歯を立ててみることにした。
 更には、亀頭全体を咥え込み、歯を軽く当てながら、ソフトクリームを嘗め回すようなつもりで、亀頭の周囲を舌先で探った。

「か、川嶋、すごい、すご過ぎる。どこで、こんなテク覚えたんだよ」

 竜児が、亜美のフェラチオを心地よく感じているらしいことが、亜美には嬉しい。
 竜児の亀頭は見た目相応に大きく、亜美は顎が痛くなりそうだった。でも、もっと、もっと、奉仕してあげようと思う。
さっき気持ちよくしてくれたそのお礼も込めて、竜児のペニスを慈しむように愛撫してやりたくなる。

「きもひ、ひい?」

 竜児のペニスをしゃぶりながら、亜美は上目遣いで竜児を見た。その顔は、眉をひそめているが、頬の紅潮具合から
すると、竜児も又、先ほどの亜美と同様に、かつて経験したことのない快楽に打ち震えているのだろう。

「ああ、川嶋の舌が、おれのペニスにまとわりついて、最高だ、こんなに気持ちいいのは、初めてさ…」

「う、うれひぃよぅ」

 内緒だが、亜美も竜児同様に、エロ動画をインターネットで鑑賞したことがある。いわゆる、『抜く』ためであるが、
女として為すべきことを学ぶためでもあった。
 その動画では、フェラチオの時、ペニスを咥えた白人女性が男性の陰嚢を軽く掴んでマッサージしていた。亜美は、
それを真似てみることにした。はっきり言って、やらせの映像だから、本当に竜児が気持ちよくなるかどうかは怪しかっ
たが、試す価値はありそうだった。
 竜児の陰嚢は、射精に備えてか、睾丸が、きゅっと縮こまり、それを包む陰嚢も又、固く締まったかのように硬直して
いる。その陰嚢を揉みほぐすつもりで、亜美はマッサージした。

「やばい、か、川嶋、やばすぎる!」

 その台詞に危険なものを感じ、亜美は陰嚢への愛撫を中断した。

「い、いふぁかっふぁ?」

 だが、竜児は首を左右に振っている。

「いや、痛む寸前のギリギリの快感がやば過ぎる。そのくせ、何だか射精するのか妨げられるような感じがするんだ。そ
こをいじられながらペニスを吸われていると、永遠に川嶋にフェラされていくような気さえしてくる。こいつは、本当だ…」

「ふぇ〜、そふなんらぁ〜」

 亜美は、竜児のペニスを自身の乳房で挟み込んで、亀頭を啜ることにした。いわゆる『パイズリ』である。美乳を誇る
亜美だが、それでも竜児の大きなペニスを包み込むのは少々苦しかった。それでもどうにか、エロ動画のパイズリらし
い体勢に持ち込むことができた。

「ど、どふぉ? きもひ、ひぃ?」

 これなら、陰嚢もペニスの棹の部分もひっくるめて愛撫することができる。エロ動画も侮れないな、と亜美は思った。

「ああ、最高だ。ただ、お、俺も、限界が近い。我慢してるけど、ちょ、ちょっとやばそうだ。なぁ、川嶋、そろそろ離してくれ。
でないと、お前の口の中に出しちまう」

「いひよぉ、亜美ちゃんのぉ、おくひに、だひちゃってぇ」

 亜美は竜児の射精を促すべく、陰嚢への圧迫を弱め、ペニスの棹の部分を中心に、乳房を擦り付けた。
 同時に、舌先で、亀頭の粘膜を、隅々まで嘗め回し、口をすぼめて強く吸った。

「うわ! 川嶋、本当にやばいって」

 竜児の亀頭がピクピクと震え、先端から滲み出るカウパー氏腺液の分泌が顕著になった。その苦味を今や堪能しな
がら、亜美は竜児の亀頭をしゃぶり続けた。

「ダメだ、で、出る!!」

 そう叫んで、竜児は自身のペニスを亜美の口から引き抜こうと、亜美の頭部を両手で支えた。だが、亜美は、自身の
乳房を押さえていた手を素早く竜児の臀部に回し、それを阻止した。

「うっ!!」

 その瞬間、竜児は苦悶にも似た表情で、射精していた。
 竜児のペニスは、まるで別個の生き物のように、ドクドクと脈動しながら白い精液を亜美の口に吐き出した。
 亜美は、噴射される精液の想像を超えた勢いに一瞬息を詰まらせたが、健気にもそれを受け止め、喉を鳴らして飲
み下した。更には、射精の済んだ竜児の亀頭を綺麗にするつもりで、舌全体を使って嘗め回す。

「川嶋、無茶しやがって…。そんなもん、美味くないだろ…」

 竜児が、心配そうに亜美を見下ろしている。
 亜美は、咥えていた竜児のペニスを、ゆっくりと離した。口元からは、咀嚼し損ねた竜児の精液が垂れてくる。それを
手の甲で拭って啜り、微笑した。

「あんただって、あたしの汚いあそこを嘗めて綺麗にしてくれたじゃない。あたしたちは対等なの。だから、あんたがやっ
てくれたことを、あたしもあんたにしてあげなきゃいけない。それに、高須くんの精液なら、平気…。高須くんの精液なら
美味しい…」

 義務ではない。竜児の精液だから、何も気にせずに、その最後の一滴までも吸い、味わい尽くすことが出来るのだ。
 竜児は、そんな健気な亜美の手を取った。

「ちょっと、休もう。川嶋は疲れているし、俺も、射精したばっかりだ。続きは、体力が回復してからだ…」

「そうね、だったら、ベッドに一緒に横になりましょうよ」

「そうだな…」

 一人用の狭いベッドの上で、竜児と亜美は並んで横たわった。

「ねぇ、腕枕してくれる?」

 亜美が、甘えた鼻声で訴える。その訴えに竜児は、「おぅ」と応えて、右腕を伸ばした。

「いよいよね…。あたしたちは本当に結ばれるんだわ」

「おぅ、いよいよだ…」

 竜児の腕に頭を預けながら、出会いって本当に不思議、と亜美は思った。竜児に出会う前の亜美は、自分に言い
寄って来る者は男であろうと女であろうと、対等の存在とは見做していなかった。
 特に男は、幼馴染の北村祐作を除けば、すべからく、彼女の美貌目当てであり、彼女の内面は一顧だにしない愚か
者ばかりだった。
 だが、北村の親友である竜児だけは、亜美の内面を知り、最初はそれを嫌悪しながらも、亜美と向き合い、互いに理
解し合い、愛し合うようになった。亜美の本質を理解してくれる竜児と出会っていなかったら、亜美は今でも鼻持ちなら
ない嫌な女のままだったことだろう。

「なぁ、川嶋…」

「なぁに?」

「俺なんかで本当によかったのか? 川嶋にはもっとふさわしい相手がいるんじゃないかって、今でもちょっと思うんだ…」

 亜美は、ふっ、と瞑目すると、微笑した。この男は、自分のポテンシャルのすごさが一番分かっていないらしい。
亜美は、傍らの竜児に、その淡い笑みを向けた。

「ウソのツラで他人を欺いて、相手を内心では見下していた性悪な亜美ちゃんを、まっとうな人間にしてくれたのは、
高須くん、あんたなんだよ。そして、人を真剣に愛することを教えてくれたのもあんたなんだ…。
だから、あたしは何があってもあんたについていく。そう決めたんだよ…」

 亜美は、二人の身体を覆うタオルケットの下をまさぐって、竜児のペニスを撫で擦った。

「お、おい、川嶋…」

 咎めにも似た竜児の声にもかかわらず、亜美は竜児の亀頭を摘み、その固さを確かめた。それは、戦車砲か高射砲
のような攻撃性を取り戻しつつあるようだった。

「出会いって、本当に不思議だし、あたしが高須くんと結ばれるのは、運命なんだと思う。あたしは、今から高須くんに
貫かれて、高須くんの女になるの。それは、もう止められない…。あたしたちに与えられた運命なんだわ…」

 亜美の目に涙が浮かんだ。少女から女へ…、そう思うと、切なさは隠せない。

「川嶋、泣いているのか…」

 亜美は、微笑みながら、涙を手の甲で拭った。

「う、うん、ちょっと感極まっちゃって…。正直言うと、ちょっと怖いんだ。さっき初めて見た高須くんのおちんちん…。
ものすごくおっきくて、正直、あたしのあそこが耐えられるか、ちょっと不安…」

 竜児は、亜美のふくよかな胸に手を当てて、乳首を摘んだ。亜美が、小さく歓喜の声を上げる。

「不安だったら、今日はこれまでにして、本番は後日に回してもいいんじゃねぇか? 今日、俺たちは、ペッティングを
やって、互いの性器を嘗め合った。これだけでも、十分性行為と言える。俺たちが一つになるのは、今日みたいに、お互
いの身体を好きにいじくって、不安や抵抗感がなくなってからやってもいいような気がする…」

 亜美は、竜児の愛撫を受けながら、亜美は、ちょっと頷きかけたが、それを否定するように首を左右に振った。

「でも、最初は不安が付き物なんだわ。その不安から消極的になっていては、いつまで経っても、あたしたちは一つにな
れない…。だから、無理を承知で、セックスしましょう」

「川嶋…」

「多分、高須くんに貫かれる時、あたしはものすごく痛いと思う。でも、高須くん、それでも止めないで。高須くんは自分
のおちんちんを亜美ちゃんのあそこに突っ込むことだけを考えてね。あたしは、どんな痛みに耐えてでも、高須くんの
おちんちんに貫かれたい…」

 そう言うと、亜美はタオルケットを除けて、上体を起こした。

「高須くんも触って分かったように、亜美ちゃんのおっぱいは、高須くんに啜ってもらいたくて、張ってきている。
亜美ちゃんのあそこもそう…。高須くんに貫かれるために、涎を垂らしているわ」

 亜美は、股間から垂れてくる粘液を手に取り、それを勃起したクリトリスに擦り付けた。そして、切なげな吐息を漏らす。

「川嶋…」

 竜児は、亜美の傍らに寄り添い、その口唇に自らの口唇を重ねた。亜美の口唇は、先刻よりも生臭かった。それは、
竜児の口唇も同様であるはずだ。互いの陰部にむしゃぶりついた雄と雌、その時に啜った互いの体液の余韻。
 その生々しさが、劣情をいやが上にも亢進させる。

「ねぇ、もう一回、おっぱいとあそこを啜ってよぉ…」

 亜美も又、竜児との口づけで乳首や陰部をはじめとする全身の性感帯が火照るように疼いてくるのを感じた。
 乳首を吸って、陰部を嘗めてもらいたい。それは理屈抜きの雌としての衝動だった。

「お、おぅ…」

 竜児の唇が亜美の乳房に吸い付いた。左右の乳首が、先刻よりも荒々しく、大胆に吸引される。
 亜美は、乳首から電撃のように全身に走る快感に身悶えし、髪を振り乱して仰け反った。

「ああ、気持ちいいようぅ!! た、高須くん、お、おっぱいだけじゃなくて、あ、あそこも、亜美ちゃんのお豆も…」

 竜児は、亜美の願いに軽く頷くと、口唇を乳首から胸の谷間、鳩尾、臍を経て、陰毛の叢から屹立するクリトリスに

まで唾液の痕を残しながらトレースした。そのクリトリスを口唇で甘噛みする。

「ああああ、いいいよぉ!!!」

 あまりの快感に亜美は絶叫し、自ら乳房を揉みしだき、固く尖った乳首を摘んで悶絶した。
 膣口からは、竜児を惑わす媚薬のような愛液がじくじくと滲み出している。
 その膣口を竜児の舌が這い、分泌された愛液が嘗め取られる。

「か、川嶋、美味しい、川嶋のここ、すごく美味しいよ…」

 本当は愛液なんか美味しいわけがない。ちょっと酸っぱくて、小便臭くて生臭いだけの粘液だ。
 だが、亜美を愛しく思ってくれる竜児だからこそ、そんなものでも美味しいと言って啜ってくれるのだろう。

「か、川嶋、そろそろ…」

 竜児が極太のペニスを握りしめている。亜美はベッドに横たわり、頬を紅潮させて竜児に、軽く頷いた。

「いくよ…」

 ベッドの上で亜美の両膝が押し広げられ、更に、竜児の指で大陰唇が広げられた。愛液でじくじくと潤んだ亜美の
陰部が晒される。

「き、来て、早く来て。高須くんの、その太いおちんちんで、亜美ちゃんを女にしてぇ!」

 竜児の熱く固い亀頭で、クリトリスが突っつかれた。粘膜と粘膜の干渉という、未経験の刺激が亜美を悶えさせる。
 その竜児の亀頭は、クリトリスから尿道口、膣口を撫で回している。
 亜美の愛液で竜児の亀頭をコーティングするという、挿入へのプレリュード。

「あ、じ、焦らさないでよぅ!」

 亜美は、思わず腰を振っておねだりする。それでも竜児は、亜美の陰裂を自身の亀頭で撫で続けた。十分に濡らして
おかないと、亜美に無用な痛みを与えてしまう。そのため、念には念を入れているのだろう。
 そのおかげで、亜美は竜児の亀頭の大きさを小陰唇で、尿道口で、膣口で感じた。

??大きい…。

 固くて、熱くて、大きくて、それは、膣に打ち込まれ、亜美の純血の証を破壊する最終兵器さながらだ。
 その猛々しさに、亜美は一瞬身震いした。

??あ、あれ?

 不意に、亜美は、陰部から鼠蹊部に麻痺するような違和感を憶えた。何だか分からないが、あれほど潤い、震えてい
た膣が、差し込みでも起こったように、きりきりと緊張して収縮している。

??あ、あたし、どうしちゃったんだろう?

 変化は陰部だけではなかった。挿入されることへの期待から上気し、火照っていた身体が、急速に冷えていくような
気がした。
 寒い、ぞくぞくとした悪寒すら感じられる。

「ど、どうした? 川嶋…」

 竜児も亜美の様子がおかしいことに気付き、心配そうに亜美の顔を覗き込んでいる。

「だ、大丈夫、ちょっと、こ、興奮しすぎて、呼吸が苦しくなっただけだわ…」

 だが、竜児は納得のいかない表情で、亜美を見ている。

「そうか? どう見ても、今の川嶋は様子が普通じゃねぇよ。何だか、寒気がして震えているような感じもする。悪いこと
は言わねぇ。体調が思わしくないようなら、挿入するのは、後日にしよう…」

 亜美は首を左右に振った。

「ここまで来て中断なんて出来ないわ。あたしは初めてなんだから、痛がったり、体調不良になっても、それは当然のこ
となのよ。高須くんは、あたしのことなんか気にせず、自分の欲望を満たすことを優先してちょうだい」

「お、おぅ…」

 そして、なおも不審と不安が渾然となった表情を浮かべる竜児には構わず、自ら股を思い切り広げた。

「さぁ、その高須くんのおちんちんで、亜美ちゃんのあそこを貫いて! あたしが血塗れになって泣き叫んでも、突いて! 
突いて! 突きまくってちょうだい!!」

「わ、分かった…」

 再び、竜児の亀頭が亜美の陰裂を這い、亜美の愛液がその亀頭に塗りたくられる。

「い、入れるよ…」

「う、うん…。ちょ、ちょっと待って…」

 亜美は、陰部に押し当てられている竜児のペニスを握り、それを自らの膣口へと誘った。

「こ、ここよ…」

 膣口は、これまで分泌された愛液で一応は潤っていた。しかし、先ほど亜美が感じた緊張感は解消せず、むしろます
ますひどくなっているような気がした。
 正直なところ、竜児のペニスを挿入するには無理がありそうだったが、もう後には引けなかった。

「そのまま、突いてぇ! 思いっきり、亜美ちゃんのお腹を突き刺してぇ!」

 不安を払拭するためか、亜美は叫ぶように竜児に訴えた。竜児は、そんな亜美に軽く頷き、腰を前に突き出して、固く
勃起したペニスを亜美の陰部へと送り込んだ。
 だが…、

「「!!」」

 竜児も亜美も、挿入を阻む途方もない抵抗感に茫然とした。体重を掛けて突き出された竜児のペニスは、固い壁の
ようなものに阻まれて、膣口からちょっと入ったところ、処女膜に触れた辺りまでしか挿入できなかった。
 処女膜が強靱というわけではなさそうだった。現に、竜児の亀頭の先端は、襞のように柔軟な処女膜の弾力を感じ
取っていた。問題は、処女膜から奥の膣内だ。

「か、川嶋、まるで歯が立たねぇ。俺の先っぽも結構痛い…。お前は大丈夫なのか? この分じゃ、お前だって相当に
痛いだろ?」

 だが、亜美は、顔をしかめ、歯を食いしばりながらも気丈だった。

「さっきも言ったでしょ! あたしが痛がっても、高須くんは、あたしにかまわず突きまくれって。高須くん、も、もう一回、
今度は、もっと力を入れて、おちんちんを突っ込んでよぉ!」

「お、おぅ…」

 再び、挿入が試みられた。それも、先ほどよりもいっそう力強く。しかし、亜美の膣は、処女膜から先が、まるで岩か何
かで閉ざされているかのように、びくともしない。
 竜児のペニスが軟弱というわけじゃない。それどころか、竜児がペニスを突き出す度に、ハンマーで殴打されるよう
な痛みが亜美の陰部に走るのだ。
 おかしい、こんなに痛いなんて、どうみても異常だ、そう思った次の瞬間、

「う、うううう…」

 あまりの痛みに耐えられなくなって、亜美は泣いた。

「か、川嶋、だ、大丈夫か?!」

 竜児は、挿入を中断して、亜美を抱き起こす。
 亜美はその竜児に、先ほどの決意も何もかなぐり捨てて、泣きじゃくりながら訴えた。

「痛い、痛いよぉ!! 亜美ちゃんのあそこ、痛いよぉ!」

 亜美は陰部を掌で押さえて、身をよじった。竜児がペニスを突き出したことによる痛みが引き金になったのか、陰部
のみならず下腹部全体がキリキリと痛んでくる。

「か、川嶋、ちょ、ちょっと、落ち着け! 血が出ているかどうか見てやる。だから、ちょっと、手をどけてくれ」

 亜美は泣きながら頷き、陰部を竜児の前に晒した。
 出血はない。しかし、竜児のペニスで突かれたせいなのか、膣口周辺が少し赤く腫れている。

「川嶋、あそこが赤くなってるぞ。痛いのはここか?」

 亜美は首を振った。

「ううん、もっと奥の方。奥の方やお腹がじんじん痛いのぉ〜」

「か、川嶋、ちょ、ちょっと、触ってみるけどいいか?」

「う、うん…」

 本当は痛くて嫌だったが、竜児を信じて、身を預けるtことにした。
 竜児の指が膣口をなぞり、ゆっくりと侵入してくる。だが…。

「川嶋、ダメだ! 小指一本すら入らねぇ。中が完全に収縮しちまって、岩みてぇに固い。こりゃ、尋常じゃねぇぞ!」

「ええっ?!」

 亜美も恐る恐る自分の陰部を指でなぞった。愛液を滴らせ、柔らかく竜児の指を受け入れたはずの膣は固く締まっ
ており、亜美の細い指一本ですら挿入を許しそうになかった。その膣を構成する筋肉が小刻みに痙攣し、亜美に経験
したことがない痛みと悪寒をもたらしているのだ。

「か、川嶋、きゅ、救急車を呼ぼう!!」

 動揺しながらも、竜児は最善と思える措置を提案した。
 だが、これには、亜美は必死になって首を左右に振った。

「そ、それは、絶対だめぇ! あ、あたしが高須くんとこんなことをしていたのが、伯父や伯母、そしてパパやママにバレ
ちゃう。そうなったら、あたしたち、お終いだわ!」

 救急車で病院に運び込まれたら、亜美が同居している伯父や伯母へまず連絡が行くだろう。そして、亜美の異常が、
竜児との性交によるものだということも、その伯父や伯母は知ることになる。
 当然に、そのことは、亜美の両親にも知らされて…。

「じゃ、どうすりゃいいんだよ? お前の今の容態じゃ、医者に行かないと危なそうな感じだぞ」

 竜児は、自分に非があると思っているのだろう。
 初体験で挿入を試みたら、相手である亜美が激痛を訴えて苦しんでいるのだ。自責的な竜児であれば無理もない。

「だ、大丈夫。何が起きたのか、正直、あたしにも分からないけど、少し休めば、い、痛みも治まるわ、きっと…」

 亜美は、痛みに耐えながら、竜児のために笑ってみせた。しかし、溢れてくる大粒の涙は隠せない。

「治まらなかったらどうする?」

「そ、その時は、に、日曜日でも開業している産院にでも行けばいいのよ…」

「無茶だ、とにかく早く医者に行かないと、何だかヤバそうな感じだぞ」

 亜美の身体は、おこりのようにぶるぶると震えてきた。竜児は、その亜美を、そっと抱き寄せて、背中をさすってやる。
そして、亜美のやせ我慢も限界だった。

「高須くん、何だか寒い…」

 下腹部の痙攣に関係してか、悪寒がひどくなった。夏だというのに、身体がぞくそくと震えてくる。

「い、今、毛布を持ってきてやるから、ちょっとだけ我慢してくれ」

「う、うん…」

 竜児は、畳の上に脱ぎ捨てていた下着とデニムとポロを手早く身に着けると、来客用の毛布を仕舞ってあるはずの
泰子の部屋へ向かった。
 泰子の部屋の押入れから来客用の毛布を引き出して、自室に戻る途中、竜児は帰宅してきた泰子と出くわした。

「竜ちゃん…」

 いつもなら、へべれけで帰宅するのが普通なのに、今日に限って、ほろ酔い程度。何よりも、明け方五時ぐらいの
帰宅が日常であるはずなのに、今は午前一時過ぎだ。

「随分と早いじゃねぇか…」

 その泰子が、心配そうに表情を強張らせている。泰子は玄関の土間に目をやってから、竜児に向き直った。
 土間には亜美の靴が履き揃えてあった。

「竜ちゃんたちが心配になって…。それで、お店は若い子達に任せて、早引けしてきたの。ねぇ、どうなったの〜? 
亜美ちゃんは、どしたの〜?」

「どう、って言われてもよぉ…」

 竜児は正直に状況を説明すべきか否か躊躇した。泰子は、今夜、竜児と亜美との間に何があったのかを勘づいてい
る。だが、それでも、実際に起こったことを打ち明けるには抵抗があった。

「亜美ちゃん…、具合が悪いんでしょ?」

 竜児は、不承不承頷いた。

「血がいっぱい出ちゃったの?」

「いや…、それなら、未だ分かるけど、違うんだ…。あいつは、今、下腹部の痛みを訴えているけど、全然出血していない。
正直、何が起こっているのか、俺も川嶋もさっぱり分からない…」

「竜ちゃん…、落ち着いて。竜ちゃんと亜美ちゃんがやったことを、やっちゃんに話してちょうだいよ〜」

 そこにあるのは、いつものだらしなく泥酔した泰子ではなく、息子とその彼女を気遣う母親のそれだった。
 竜児は、一瞬驚き、泰子の顔を凝視したが、手短に話をまとめた。

「あいつの求めるままに俺は挿入しようとした。だが、あいつのあそこは岩みたいに固くって、おれのなんか全然受け付
けなかった。それでもあいつは、『入れてくれ』ってせがむんだ。俺は、俺は、その言葉通りにもう一回入れようとした。
その時は、全体重をかけてだ。だが、それでも全然ダメだった…」

「そうしたら、亜美ちゃんが、お腹痛い、って苦しみだしたのね…」

 竜児は再び頷いた。

「そうなんだ…。そのうち、あいつは悪寒を訴え始めて…、それで、今は毛布を探し出してきたところなんだ。
本当なら救急車を呼びたいんだが、川嶋は両親にバレることを恐れているから、それはできねぇ…」

 毛布を手にしたまま、竜児は手の甲で目頭を拭った。

「竜ちゃん…」

「も、もう、医者でもない俺にはどうしようもないんだ…。
今の俺には、寒気を訴えるあいつのために毛布を用意してやる、これぐらいしかできないんだよ…」

 泰子は、そんな息子の肩と背を優しく撫でた。

「竜ちゃぁん、竜ちゃんが、そうやって亜美ちゃんのことを気遣ってあげているだけで亜美ちゃんは嬉しいはずだよ〜。
それに、亜美ちゃんが痛がっているのは〜、やっちゃんなら治してあげられる。だから、竜ちゃんは心配いらないよ〜」

「泰子…」

「だから、後はやっちゃんに任せて。亜美ちゃんの症状なら、やっちゃんにも心当たりがあるから…。
それに、こっから先は男の子は立入禁止。女の子にとって恥ずかしいことをしなくちゃいけないからね〜」

「お、おう…」

 いつになく自信たっぷりな泰子に、竜児は気圧された。根拠のない自信なら、泰子には珍しくないが、今回だけは、
ちょっとばかり雰囲気が違う。

「じゃ、その毛布はやっちゃんが亜美ちゃんに掛けてあげるよ〜」

 そう言って、竜児から毛布を受け取った。そして、代わりという訳ではないだろうが、財布から五千円札を取り出して、
竜児に手渡した。

「こ、これは?」

 泰子は、例の無邪気とも妖艶とも判じがたい笑みを竜児に向けた。

「やっちゃん早めにお店を出て来ちゃったから、ちょっと飲み足りなくって〜。
竜ちゃんには悪いけど〜、お酒を買って来て欲しいの〜」

「で、でも、五千円って、ビールとかなら千円札一枚で十分だろ?」

 泰子が、うふふ、と笑っている。

「ビールだなんて、そんなんじゃなくって〜、シャンパよ〜。
ただのスパークリングワインじゃなくって、ちゃんとした本物のシャンパン。それを買って来て欲しいのよ〜」

「そ、そんなもん、どこで売ってるんだよ。こんな真夜中に…」

 あるとすればコンビニだが、この近所のコンビニには、酒類もあるにはあるが、シャンパンとは別の
カバと呼ばれるスペイン産のスパークリングワインが精々だ。

「竜ちゃん、大橋駅前で二十四時間営業している食料品店があるでしょ? 結構大きなお店が…。
あそこなら、売ってるよ〜」

 その店は竜児も知っていた。ただ、かのう屋とかの通常のスーパーで買い物を済ませてしまう竜児は、未だ利用した
ことがない。

「本当に手に入るのか? 何せ、ここからは遠いから、買い物の時間も考えると、往復で三十分以上かかる。
その挙げ句に売っていなかったりしたら、かなり悲惨だぜ」

 しかし、泰子は自信たっぷりだ。

「大丈夫〜、だって、やっちゃんのお店でも、高いお酒を切らしちゃった時、そのお店まで若い子にひとっ走りして貰って
買ったことがあるんだよ〜。で、シャンパンとかも買ったことがあるから、その点は確かだって〜」

「でもよ、シャンパンの銘柄はどうすんだ? 泰子は何が飲みたい?」

「それも、竜ちゃんが予算内で好きなものを買ってきていいんだよ〜。竜ちゃんが選んだのなら、何だってオッケイさ〜」

「お、おう?」

 泰子は、五千円札を握り締めたまま、未だに事態を完全に飲み込めていない自分の息子の背中を押した。

「亜美ちゃんは、やっちゃんが、ちゃんと看てあげるから、竜ちゃんは安心して、慌てずに、ゆっくり、のんびり、お買い物を
して来ていいんだよ〜。というか、さっきも言ったように、こっから先は男子禁制。やっちゃんと、亜美ちゃんの用事が終
わるまで、竜ちゃんは戻ってきちゃいけないんだよ〜」

「お、おう。分かった…」

 竜児は手にした五千円札をデニムの尻ポケットにねじ込むと、スニーカーを突っかけて外にでた。体よく追い出され
た訳だが、実際、男の竜児では対処の仕様がなさそうなのだから仕方がない。あの泰子に任せるのはいささか不安だ
が、泰子とて無駄に三十年以上生きてきた訳ではない。それに、言葉は悪いが、長年水商売をやって来ている。
 色がらみのトラブルへの対処の仕方は、並の母親よりも長けているのは確かだろう。

「はぁ…」

 竜児は、大きくため息をつき、突っかけていただけのスニーカーに踵を入れて正しく履き直すと、
大橋駅へ向かう夜道を歩き出した。


「亜美ちゃん、入るよ〜」

 泰子の声に、亜美は悪寒で震える身体を強張らせた。襖越しに竜児と泰子の会話は聞こえたから、覚悟はしたが、
いざ、竜児の母親である泰子に自分の身を預けることには、ためらいがあった。
 それに、今の亜美は、全裸のままだ。その状態で、タオルケットにくるまって、臆病なチワワのように震えている。

「とにかく、暖かくしなくちゃね〜、タオルケットの上に、この毛布を掛けるからね〜」

 部屋に入ってきた泰子は、背中を丸めて震えている亜美に毛布を掛けた。そして、タオルケットの中に隠れている
亜美の顔を覗き込む。

「恥ずかしがらなくっていいんだよ〜。竜ちゃんのお嫁さんになってくれそうな人は、やっちゃんにとっても娘みたいな
もんなんだからさ〜」

 いや、それは嫁と姑の関係だろ、と突っ込みを入れたくなったが、顔を近づけてきた泰子と目が合ってしまい、亜美は
頬を赤らめた。

「具合は、どぉう?」

 タオルケットの中に泰子の手が差し伸べられ、亜美の額に当てられた。柔らかくひんやりとした感触が心地よい。

「あ、あの…」

 痛む場所が場所だけに、恥ずかしい。それは泰子も承知の上なのだろう。

「うん、うん、女の子にとって大切なところが痛いんだから、やっぱり恥ずかしいよね。じゃぁ、やっちゃんが、亜美ちゃん
がどんな風に痛いのか、言うね」

「え? そ、そんなぁ…」

「血は出てないけど、あそこの奥の方からお腹全体が絞られるように痛いんでしょ?」

「は、はい…」

 その言葉に泰子が軽く頷いた。

「亜美ちゃんの病気は、膣痙攣だね〜。亜美ちゃんの大事なところが、痙攣しちゃってる。それで、お腹も痛いし、寒気も
するんだよ〜」

「え、ち、膣痙攣って?」

 名前だけなら亜美も知っている。ただし、知ったのは漫画でだ。
 その漫画は、落城寸前の城で殿様とその奥方が末期のセックスをしたはいいが、奥方が膣痙攣を起こして、二人は
つながったままになり、そのまま敵方に捕まり、つながったままで処刑されたというバカバカしい話だった。
 だから、漫画のネタにしかならない、ある種の都市伝説のようなものだと思い込んでいた。

「いやぁ、若い子にはたまにあるんだよ〜。やっちゃんが毎日スナックで働いていた時は〜、お店の若い子が早引けして
エッチした時とか、やっちゃんのところに携帯で、助けて〜、っていうのが何回かあったんだよ〜」

「え? そ、そうなんですか」

「うん、で、ホテルとかに行ってみると〜、たいがいは女の子だけが取り残されてしくしく泣いていて、相手は逃げちゃっ
てたりすんだよね〜」

「ひどい…」

「その子たちの症状も、今の亜美ちゃんと同じ。おちんちんを入れた入れないとか、場合場合で違うけど〜、
みんな女の子の大事な部分がひどく痙攣してるんだよ〜」

 泰子が、亜美の背中を優しく撫でてきた。

「で、どうして女の子の大事な部分が痛むのかって言うと〜、大抵はぁ、大きなおちんちんを見て怖くなっちゃったから
なんだよね〜。いきなりおちんちんとか見ちゃうと、あれって、結構おっかない感じだから〜、それで、女の子の大事な
部分が、おちんちんが入ってこないように勝手に痙攣して縮こまっちゃうんだよ〜」

 亜美は、はっとした。そう言えば、挿入される直前に、陰部に竜児のペニスが撫で付けられた時、
その大きさを思い出し、途端に膣が痙攣したのだ。

「亜美ちゃんは、エッチ寸前になって〜、竜ちゃんのおちんちんが怖くなっちゃったんだね〜。やっちゃんは頭は良くない
けど〜、こうした女の子の大切なところについては、亜美ちゃんよりもよく知ってるからね〜。
だから、気を楽にしてやっちゃんに亜美ちゃんの大切なところを見せて欲しいんだよ〜」

「……」

 亜美は、羞恥で全身が火照り、先ほどまでの悪寒を忘れるほどだった。
 結婚を約束した竜児の母親に痙攣している陰部を看てもらうとは、前代未聞のシュールさだ。

「膣痙攣は〜、このまま放っておいても治ることは治るけど、それまでに、い〜っぱい、いっぱい痛い思いをしなきゃいけ
ない。やっちゃんはぁ、亜美ちゃんにそんな思いをして欲しくないから、亜美ちゃんのあそこを看てあげたいんだよ〜。
だから、恥ずかしいだろうけど、我慢してね〜」

 泰子が微笑んでいる。その笑顔は、見るものを優しく包み込むような暖かさがあった。その慈愛に満ちた表情を前に、
亜美は思わず呟いた。

「ママ…」

 泰子がにっこりと頷いた。

「うん、うん、竜ちゃんのお母さんであるやっちゃんは、亜美ちゃんのお母さんでもあるんだよ〜。だから、安心してね〜」

「は、はい…」

 亜美は羞恥で肌を赤く染めながらも、ほっとするような懐かしい気持ちになった。この気持ちは、幼稚園に上がる前、
熱を出した亜美を母親の川嶋安奈が付きっきりで看病してくれた時と同じだ。
 『女はみんな母になるのが夢なのさ』、と亜美は竜児に告げた。母とは、相手を優しく包み込むものだとも亜美は言っ
た。慈愛に満ち、亜美を思いやってくれている今の泰子は、亜美にとっても『母』そのものだ。

「じゃ、やっちゃんが亜美ちゃんの大事なところを看るっていうので、いいかな〜? それだったら、悪いけど〜、ちょっと
だけ待ってね〜、消毒用のお薬を持って来るから〜」

「は、はい、よ、よろしく御願いします…」

 一旦自室に引っ込んだ泰子は、救急箱を片手に戻ってきた。
 泰子は、その救急箱を開けると、ガーゼと消毒用エタノールの瓶を取り出した。

「じゃぁ、亜美ちゃん、恥ずかしいだろうけど、放って置けないから〜、まずは、あそこを綺麗に消毒しようよ〜。
そのためには〜、亜美ちゃんが身体の向きを変えなきゃ。ベッドの縁にお尻を乗せるようにして、やっちゃんの方に足を
向けてね〜」

「は、はい…」

 先刻、竜児に陰部を嘗めて貰った時と同じ姿勢だ。顔から火が出るほど恥ずかしかったが、消毒のためならば致し
方ない。
 亜美は観念して身体の向きを変え、そろそろと股を開いた。未だに痙攣し、きりきりと痛む陰部が泰子の目に晒される。

「じゃぁ、ちょぉ〜っと、ひやっとするかも〜」

 と言うや否や、消毒用エタノールを含ませたガーゼが陰部にあてがわれた。しみるような刺激はなく、エタノールの
揮発で患部の熱が下がり、ほんの少しだけ楽になったような気がする。

「じゃ、ちょっと、拭き拭きするね〜」

 消毒用エタノールを含ませたガーゼで、亜美の大陰唇、小陰唇、クリトリス、尿道口それに膣口が、くまなく拭われる。
それは単なる消毒なのだが、優しく繊細に亜美の陰部を這う泰子の指は、痙攣している亜美の陰部にも快楽という
刺激を与えてくる。

「どう? 少しは落ち着いた〜?」

「は、はい…。き、気持ちいいです…」

 その言葉には、『陰部が消毒されてさっぱりした』とは別の意味も含まれていた。

「で、どう? あそこの痙攣は治まりそう?」

 亜美は首を左右に振った。

「いえ、さっぱりはしたけどぉ、あそこは、かちかちに縮こまっちゃったままです…」

 泰子はそれに頷きながら、ふふん、とため息をついた。

「それじゃあ、亜美ちゃん、今から、やっちゃんが亜美ちゃんの大事なところに指を入れるから。
亜美ちゃんは、リラックスっていうのかな〜、身体の力を抜いて、らく〜にしていてね〜」

「ええっ?!」

 覚悟はしていたが、泣きたい気分だった。何が悲しゅうて、惚れた男の母親に性器を弄られるというのだろう。
それも、処女だというのに、膣に指を突っ込まれるのだ。
 だが、べそをかいている亜美に対して、泰子は大まじめだ。

「大事なところに指を入れられるのは女の子にとってものすごく辛いことだけど、こうしないと、亜美ちゃんの症状は
治まらないから〜。だから、やっちゃんを信じて我慢してね〜」

「は、はい…」

 涙目ながらも亜美が頷いたのを確認して、泰子は、人差し指に潤滑用のワセリンを塗った。

「やっちゃん、お好み焼き屋さん始めてから、爪は切ってるけど、それでも痛かったらごめんね〜」

 亜美は、その泰子の言葉に、涙を流しながら事務的に頷いた。もう、どうにでもなれ、といった捨て鉢な気分だった。
 泰子は、そんな亜美の表情を一瞥し、ワセリンを塗った指を、そろそろと亜美の膣に差し込んでいく。
 その泰子の指は、ほんの二、三センチ進んだだけで、岩のように固まった肉の壁に阻まれた。
 その瞬間、亜美は継続している痛みとは別の刺激を陰部に感じ、呻き声を上げる。

「ごめぇん、痛かった〜?」

「は、はい、ほんの少しだけ…」

 一方で、泰子は、ちょっと困ったように眉をひそめている。

「亜美ちゃん…、言いにくいんだけど〜、亜美ちゃんの症状は結構大変みたい…」

「た、大変って…、じゅ、重症なんですか?」

「う〜ん、もっと大変な症状の子も居たから、亜美ちゃんが特別ひどいって訳じゃないけど〜、亜美ちゃんを治すには、
そうした重症の子にもやったげたことをしないと、ダメみたい…」

 亜美はいよいよ不安になった。相当の荒療治ということなのだろう。

「そ、それって、痛いんですか?」

「そんなに痛くはないけど〜、ちょっと、女の子にとっては恥ずかしいことをされるから、亜美ちゃんが嫌だったら、
無理にはできないわね〜」

 泰子の思わせぶりな言い方が、気になって仕方がない。

「ど、どんなことを、されるんですか?」

「う〜んとねぇ、亜美ちゃんは、あそこが緊張して、痛いんだよね〜?」

「は、はい…」

「だから、その緊張をほぐすの〜。やっちゃんが〜、亜美ちゃんのあそこをマッサージしたり、嘗めたりして、亜美ちゃんの
あそこからお汁が出てくるようにして、それから、また、指を入れて、中を広げていくのよ〜。
どお? これなら割とすぐに亜美ちゃんの痛みが引くと思うんだけど〜」

 亜美は絶句した。勘弁してよぉ、と叫びたい気分だった。

「これが嫌だとすると、症状が治まるまでじっとしているか、救急車を呼ぶしかないけど〜、どっちも嫌でしょ〜? それ
にお医者さんでも〜、嘗められはしないけど〜、亜美ちゃんの大事なところを弄られるんだよ〜。それも嫌だよね〜?」

 亜美はぞっとした。確かに、医者が脂ぎった中年親爺だったりしたら最悪だ。
 そんな奴に、生娘である自分の身体が弄ばれるなんて…。想像しただけで鳥肌が立ってくる。

「や、泰子さんにお願いします。マッサージでも何でもして下さい。必要なら、な、嘗めてもいいです。
と、とにかく、よ、宜しくお願いします!」

 それだけ叫ぶように言うと、亜美は、羞恥で真っ赤になった顔を両手で覆った。

「じゃ、いくよ〜」

 泰子の柔らかな指でクリトリスが摘まれた。膣が痙攣しているというのに、電気のように痺れる感じが全身に走る。

「弄っているのが竜ちゃんの指だと思って〜、身体の力を抜いて〜、ただ、気持ちよ〜くなっていくことだけ考えていて
ね〜」

「は、はい…」

 その泰子は、亜美のクリトリスを転がすようにマッサージしながら、別の指で亜美の大陰唇を広げ、
露わになった陰裂の内側をトレースした。

「あ…」

 下腹部の痛みは相変わらずだったが、亜美の陰部に、ほのかな暖かさのような快感が、一本の灯火のように浮かび
上がった。

「亜美ちゃん、気持ちよくなってきたら、構わないから、声を出していいのよ〜。それと、よかったら、自分でおっぱいを
揉んでね〜。そうした方が、早く気持ちよくなって、亜美ちゃんのあそこからもお汁がいっぱい出るようになるからね〜」

 クリトリスの包皮が剥かれ、その敏感な部分にヌルッとしたものが塗られた。

「ちょっと痛くないようにワセリンを塗っといたからね〜」

 その滑らかになったクリトリスが泰子の指で弄ばれる。

「あ、ああ…、き、気持ちいいです…」

 そう訴えながら、亜美は自ら乳房を揉み、乳首を摘んでいた。萎んでいたはずの乳首は、ぷっくりと膨れて、こりこりと
した弾力を亜美の指先に伝えてくる。そして、何よりも、乳首の刺激が泰子のマッサージと相まって、亜美に痺れるよう
な快楽をもたらすのだ。

「亜美ちゃん、少しずつだけど、お汁が出てきたよ〜。ワセリンの代わりに、出てきたお汁で、亜美ちゃんのお豆さんを
撫で撫でしてあげるね〜」

 泰子の指が、じっとりと湿ってきた亜美の膣口付近をまさぐり、滴る粘液を受け止めた。その粘液が、剥き出しになっ
たクリトリスと、尿道口と、小陰唇の内側に、丹念に塗り付けられる。

「あ、あう、いい、いいですぅ…」

 下腹部の痛みが帳消しになるくらいの、陰部から突き上げるような快感が亜美の全身を駆け巡る。それに呼応して、
全てを拒絶するかのように固くしまっていた亜美の膣にも変化が現れた。

「亜美ちゃん、亜美ちゃんのお汁、さっきよりも出がよくなってきているよ〜。この調子で、頑張ってね〜」

 頑張るも何もない。亜美は快感に身悶え、快楽に身を委ねているだけだった。全裸であるにもかかわらず、もう、寒気
は感じなかった。それどころか、全身の性感帯がざわめき、熱を帯びたようになっている。

「う〜ん、あと一息って感じなんだよね〜」

 そう呟くと、泰子は、亜美の陰部に顔を近づけた。そして、勃起して膨れ上がったクリトリスに接吻した。

「あああ、や、泰子さぁ〜ん!!」

 充血して敏感になっている突起が強く吸われ、甘噛みされた。その瞬間、途方もない快感が、亜美の股間から脳天
へと貫通するように走り抜けた。

「う〜ん、いい感じかも〜」

 泰子はなおも亜美のクリトリスを啜る。舌先で突起を弄び、時には軽く噛むことで、亜美を快楽へと誘おうとしていた。
その亜美は、涙と涎を垂れ流しながら、全身を走る快感に身悶えていた。

「や、泰子さん…、き、気持ちよすぎます。あ、亜美ちゃん、どうにかなっちゃいそう…」

 息も絶え絶えに呟くように訴えた。それにつれて、下腹部を襲っていた差し込むような痛みが和らいでくる。

「ああ、亜美ちゃんのあそこが、なんか動いたみたい〜」

 その実感は亜美にもあった。巌のようにあらゆるものの挿入を拒絶していた亜美の膣が、先ほどから滴ってきた
愛液で潤い、きりきりとした緊張が随分と緩和されてきたようだ。
 泰子も頃合いと思ったのだろう。

「亜美ちゃん、そろそろ、亜美ちゃんのあそこに、やっちゃんの指が入りそうだから入れるね。やっちゃん、気を付けて入れ
るけど〜、もし痛かったら、正直に言ってね〜」

「は、はい…」

 いよいよだ、と亜美は思った。そう言えば、先ほどから泰子に対して、『はい』ばかりを繰り返している。もう、完全に
泰子に身を委ねているのだ。その泰子の指が、亜美の膣口に擦り付けられた。

「いくよぉ〜」

 ぬるっ、という粘っこい抵抗とともに、泰子の細い指が亜美の膣に侵入してきた。
 泰子の指は、処女膜の開口部を通過し、そのままズブズブと亜美の胎内へと飲み込まれて行った。

「入っちゃたぁ〜。どう、亜美ちゃん、痛くない?」

「は、はい大丈夫です。全然痛くありません」

 むしろ、泰子の指が気持ちいい。

「そう、よかった〜。じゃぁ、ちょっと亜美ちゃんのお腹の中が大丈夫かどうか、指でぐるっと触ってみるね〜」

 言うや否や、泰子は人差し指の腹で、膣の粘膜を丹念に探った。時には、挿入した指を軽く曲げて、筋肉が不自然に
緊張していないかをチェックする。その泰子の指が膣の内部をまさぐる度に、ぞくぞくするような快感が亜美を襲う。

「う〜ん、だいぶよくなってきたみたいね〜」

「そ、そうですかぁ…」

 泰子の呟きに、亜美はちょっと安堵した。実際、今は下腹部の痛みよりも、泰子から与えられる快感が卓越している。

「でも〜、未だ、ちょっと、亜美ちゃんのあそこが緊張しているみたいだから、最後の仕上げが必要なんだよ〜」

「さ、最後の仕上げって?!」

 泰子はそれには応えず、亜美のクリトリスを強く吸った。

「あああああ、や、泰子さぁん! い、いきなりは、ダ、ダメですぅ〜」

 クリトリスが風船のように膨れて、破裂するんじゃないかと思うほどの快感が炸裂し、亜美は絶叫して身をよじった。
 しかし、泰子は泰然としている。

「うん、うん、だいぶよくなってきた〜。でも、こっからが最後の仕上げの肝心なとこなんだよ〜。
亜美ちゃん、もう、完全に力を抜いちゃって、とくにあそこの部分には、なぁ〜んにも力を入れないでいてね〜」

「は、はひぃ…」

 快楽で朦朧としてきた亜美には、泰子が何をしようとしているのか見当もつかなかった。
 こうなると、酸欠状態で口をパクパクさせている俎板の鯉も同然だ。

「じゃ、いくよ〜」

 また、亜美のクリトリスが泰子に吸われ、甘噛みされた。その快楽に打ち震えている最中に、泰子の指が亜美の膣に
挿入される。それも、右の人差し指と、左の人差し指の二本同時だ。

「あ、や、泰子さぁん、ゆ、ゆ、指、二ふぉんはヤ、ヤバイでふぅ!!」

「大丈夫だよ〜。亜美ちゃんくらいの歳の子の処女膜って、けっこう柔軟だから〜、ちょっとぐらいじゃ破けないから〜」

「あ、い、いぇ、そ、そふりゃなくってぇ、き、き、気持ちが、よ、よ、よふってぇ…」

 先ほど竜児の指が二本入った時と同様の違和感は感じたが、痛む寸前の違和感が、ある種、途方もないほどの
快感に転換されていく。
 亜美が痛がらずに、むしろ快楽を覚えていることを泰子はほっとしたのか、先ほどの慈愛に満ちた笑顔を亜美に
向けている。

「今から、亜美ちゃんのお腹の中に入っているやっちゃんの指を左右に広げて、強張った亜美ちゃんの
あそこをマッサージするけど、痛かったら、すぐに言ってね〜」

 快楽に溺れ、虚ろな目をした亜美が、物憂げに頷いたのを見届けてから、泰子は、ゆっくりと膣を構成する筋肉を
揉みほぐすように二本の指を膣の内部で広げていった。

「あ、あああああ!!」

 腓返りしたふくらはぎをマッサージした時のような、強張った筋肉がほぐれる時に特有の激しい痛みに、亜美は悶絶
した。しかし、その痛みは束の間で、クリトリスへの刺激とも膣口周辺の刺激とも違う、じわっとした、暖かさを伴った
快感が膣の内部から全身へと、じんわりと広がっていった。

「気持ちいいのね〜?」

「ふぁ、ふぁぃ…」

 その持続性がある暖かな快感は、どんどんと昂ぶっていった。
 その快感に突き動かされるように、亜美は、乳首を摘み、乳房を揉み続ける。更には…、

「や、泰子ひゃん、あ、亜美ちゅわんの、お、お豆、す、啜ってくだひゃい。
あ、亜美ちゅわん、もっと、もっときもひよくなりひゃいでひゅう…」

 怪しい呂律で泰子に訴えた。泰子は、笑顔を浮かべて、亜美のクリトリスを嘗めてやる。

「いひ、いひよふぉ、あ、亜美ちゅわん、きもひいいよふぉ」

 目がかすみ、泰子の声が、どこか遠くから聞こえるような気がしてくる。
 思考や理性は完全に喪失し、快楽を貪る本能だけが健在だった。
 そして、その瞬間は、不意に訪れた。

「亜美ちゃん? 亜美ちゃぁ〜ん!!」

 泰子が自分を呼ぶ声を微かに聞きながら、亜美は、無上の快楽と幸福感に包まれたまま意識を失った。


 大橋駅前にある二十四時間営業の食料品店でシャンパンを買った竜児は、ゆっくりと家路についていた。
 泰子に『男子禁制』と念押しされたので、本来なら三十分ちょっとで往復できるところを、たっぷり一時間ほど掛けて
きた。時間を潰すのも訳はなかった。シャンパンを買った二十四時間営業の店には、チーズ等の様々な欧州産の食品
が並べられており、竜児にとっては飽きない場所だったからだ。
 ぼこぼこと大きなガス孔が開いたスイスのエメンタールチーズもあったから、冬場には、チーズフォンデュを作って、
亜美や北村、麻耶や奈々子たちに振る舞ってやりたいと竜児は思った。

 竜児が手にした袋には、その店で買ったシャンパンと、そのシャンパンを冷やす氷が詰まったビニール袋が入れられ
ていた。氷はレジの店員が気を利かして入れてくれた。真夜中に酒を買いに来るのだから、当然にすぐ飲むと思ったの
だろう。
 買ったのは、『Moet & Chandon Brut Imperial』。ありきたりの銘柄だが、予算内で何とかなるのはこれしかなかっ
た。とにかく、一般のワインに比べてスパークリングワイン、それもシャンパンはべらぼうに高いのだ。
 そのシャンパンが入った袋を片手に、自宅の階段を上って、玄関を開ける。
 土間に亜美の靴が出掛ける前と変わらずに履き揃えられていることを認め、竜児は、スニーカーを脱いだ。
 家の中は静まり返っていた。亜美の容態はどうなったのか、泰子は何をしているのか、と竜児は不安になる。
 耳を澄ますと、泰子の部屋から聞き覚えのある寝息が聞こえてきた。泰子は、どうやら寝入ってしまったらしい。

「やれ、やれ…」

 竜児は、大きくため息をついて苦笑した。『男子禁制』と言い出した張本人が寝てしまっている。
 何とも無責任な話だ。

「それに、どうすんだ、これ…」

 竜児は、結露したシャンパンのボトルを袋から取り出してみた。
 元々冷えていたのと、保冷用の氷のおかげで、ちょうど飲み頃という塩梅が保たれている。

「しょうがねぇなぁ…」

 泰子がさっさと寝てしまったのは業腹だが、それも亜美に適切な処置を施したので、安心して寝たのだ、と思うこと
にした。であれば、『男子禁制』の戒めも何もない。
 竜児はシャンパンのボトルが入った袋を持ったまま自室の前に立った。

「川嶋、入るぞ…」

 返事はなかった。亜美も寝入ってしまったらしい。それとも、泰子の部屋で寝ているのかも知れなかった。
 竜児は襖を開けた。

「川嶋…。お、お前、起きていたのかよ…」

 照明を消し、窓辺からの月光に照らされた部屋の中では、ジャージ姿の亜美がちゃぶ台に向かって座っていた。
 そのちゃぶ台にはシャンパン用のフルートグラスが二つ並べられている。

「電気も点けねぇで…。それよりも具合はどうなんだ?」

 そう言いながら、蛍光灯のスイッチに手を伸ばしかけた竜児に反応するように、シルエットになっている亜美の姿が
微かに揺れた。

「あ、明かりは点けないで…。暗い方が落ち着くし、それに今日は、月の光がとっても綺麗…」

 そう言って、窓辺から射し込む月光の方を向く。その月光で、亜美の端正な横顔が浮かび上がった。
 竜児は、「しょうがねぇなぁ…」とぼやきながら、その亜美と差し向かいで座った。

「川嶋がそう言うなら、いいけどよ…、肝心の具合はどうなんだ? 寝てなくて大丈夫なのか? それとそのジャージ、
泰子のだよな?」

 間近で見た限り、亜美の居住まいは落ち着いている。それを認めて、竜児は、ちょっと安堵した。
 しかし、万事がちゃらんぽらんな泰子が処置しただけに不安は拭えない。

 一方の亜美は、静謐な瞳を竜児に向け、顎を軽く動かして頷いた。

「泰子さんの処置が的確だったから、もう大丈夫。痛くないわ…。だから、寝ないで高須くんを待っていた。
それとジャージは泰子さんが貸してくれたの。これって、高須くんが中学生の頃に着てた奴だよね…」

「ジャージは、確かに俺のお古だ。それと…、症状が治まったようで一安心だが、結局、あの症状は何だったんだ? 
男の俺にはさっぱりだ。それに泰子が的確な処置って、想像もできねぇな…」

 亜美は、優美な口元をほんの少しだけ歪めて微笑した。

「膣痙攣ですって、あたしの症状は…」

「膣痙攣? エッチな漫画のネタじゃねぇのか? それ」

 露骨に『何じゃ、そりゃ?』という顔をしていたのだろう、亜美が一瞬、くすり、と笑った。

「冗談みたいだけど、本当に膣痙攣だったの…。泰子さんが言うには、精神的なものなんだって。
高須くんのおちんちんがとっても大きいから、それで貫かれることが本当は怖かったのね…。
それで、不随意的に膣が痙攣して、高須くんのおちんちんが挿入されるのを亜美ちゃんの身体が拒んだんだわ…」

「何だか、結局、俺が悪いような…。なぁ、俺のペニスってそんなに大きいのか?」

「う、うん…。フェラした時だって、顎が痛くなったもん。あたし、高須くん以外の人のを知らないけど、絶対におっきいよ」

「お、おう…」

 その時の興奮を思い出したのか、亜美は微かに頬を朱に染めている。それは、竜児も同様だ。

「でも、高須くんは悪くないから…。悪いのは、膣痙攣を起こしかけていたのにエッチを強行したあたし…。
やっぱり、高須くんが言ったように、体調が悪い時は無理しちゃいけなかったんだわ」

「でもよ、泰子にも言われたよな? 自分や相手を責めないこと、って。男と女は、互いに赦すってことが大事なんだ、
とも言っていたな。だから、川嶋は悪くねぇ、そして、俺も免責される。これでいいじゃねぇか」

 亜美が、ふっ、と嘆息した。

「そうね…。お互い自分が悪かったって、言い合っても不毛よね。あんたのことを内罰的だって言ったけど、
あたしも似たようなもんだわ…」

「俺たちは気が合うんだろ? だから、いろんなところが似ている。そういうことさ」

「うん…」

 竜児の目が暗い部屋に慣れてきた。窓辺から差し込む青白い月光が美しい。竜児は、亜美が電灯も点けずに暗い
部屋で竜児を待っていた理由が分かるような気がした。
 心待ちにしていた竜児との初体験、その無惨な失敗、そして膣痙攣による痛み。
 我が身に起こったことを反芻し、気持ちに整理をつけるには、刺々しく輝く蛍光灯下ではそぐわない。竜児が亜美の
立場だったとしても、同じように月明かりの下で相手を待ったことだろう。

「泰子さんにも言われちゃった…。いきなり、おちんちんを入れないで、二人して互いの身体を十分に弄くって、
セックスに対する恐怖感がなくなってからにしなさいって」

「お、おい! いきなり何を言い出すんだ」

 亜美は悪戯っぽく笑っている。竜児は、亜美の淫乱ぶりが再発したのかと思い、ちょっと身構えた。

「基礎や基本を、まずは習得しなさい、ってことじゃないかしら? 泰子さんが言いたかったことって…。受験勉強時代
にあんたが散々言っていたこととも符合する。だから、泰子さんの言うような練習をして、挿入ってことでどうかしら?」

「ど、同意を求められても、こ、困るけどよ…」

 本当は、竜児だって亜美との抱擁は心が踊る。亜美の口唇のみならず乳房や陰部を愛撫し、啜ったことを思い出す
だけで、股間が熱く怒張してくるのだ。それを、ポーカーフェースを心がけて、押し殺した。
 しかし、顔色の変化は誤魔化せない。

「あ〜っ! あんた顔真っ赤。本当は亜美ちゃんを抱きたいんでしょ? 根はスケベなんだからぁ!」

「バ、バカ言え! そ、そんなこたぁねぇよ…」

 竜児は、半ば反射的に否定の言葉を口にしたことを後悔したが遅かった。
 亜美の双眸が、すぅ〜っ、と細められた。お馴染みの性悪笑顔。竜児を『嘘つき』と追求するつもりなのかも知れない。
 だが、亜美による攻めの一手は、斜め上を行っていた。

「ふ〜ん、そうなんだぁ〜。高須くんは、亜美ちゃんとのエッチなエチュードがつまんないのねぇ。
それならしょうがないなぁ〜」

「何がしょうがねぇんだよ」

「う〜んとねぇ、高須くんにやる気がないんなら、泰子さんにしてもらおっかなぁ〜ってね」

「な、何で、いきなり泰子の名前が出てくるんだよ!」

 目の前で性悪そうにニヤニヤじている亜美の狙いが掴めず、竜児は狼狽した。ただ、確かなのは、間もなく亜美が、
とんでもないことを言い出すに違いない、ということだ。これは、彼女との密な付き合いで、竜児は嫌というほど思い知
らされている。

「そういえば、泰子さんがあたしに施した、『適切な処置』について説明していなかったわよねぇ」

「お、おぅ…」

 鈍い竜児にも展開が何となく見えてきた。

「膣痙攣で苦しむあたしを、泰子さんは、献身的なマッサージで癒してくれてぇ…。その時のマッサージが本当に気持ち
よくてぇ…。もう、別段、高須くんに何かをしてもらわなくたっていい感じなのよねぇ」

「け、献身的なマッサージって、な、何なんだよ」

「高須くんて、バカ? 膣痙攣の患部ってどこ? そんだけ言えば分かるでしょ? 普通…」

 亜美が頬杖を突き、目を輝かせて、竜児を見ている。
 きわどい話で竜児を翻弄するというのも、彼女にとっては、心を躍らせる一時なのだろう。

「や、泰子に、お前は、あ、あそこを、マ、マッサージしてもらったんだな?」

 亜美が、うふふ、と妖艶に笑いながら頷いた。

「そうよぉ〜、もう、泰子さんの指やお口が気持ちよくってぇ。もう、百合の道に走っちゃいそう…。特にぃ、お豆を啜って
貰いながら、あそこに指を入れられて、広げられた時は、亜美ちゃん昇天しちゃうかと思ったくらい。
これって、マジだからね」

 ほんの一瞬だが、亜美の表情が、自分の話に嘘や誇張がないことを示すが如く、キリッと引き締まったような気が
した。実際に泰子は、亜美の陰部を愛撫して、その結果、亜美は快楽のあまり失神したのだ、と竜児は察した。

「お、おい! お前ら、女同士で何やってるんだよ!1」

 竜児にもその光景が目に浮かぶ。何のことはない。先刻、竜児が亜美に対してやったことを、もうちょっと過激にした
だけなのだから。それにしても、治癒目的とはいえ、泰子もとんでもないことをする、と思わざるを得ない。

「泰子さんの行為が、もんの凄くエロくて、もんの凄く気持ちよくってさぁ〜。もう、男はいらねって感じぃ? 
まぁ、高須くんが亜美ちゃんとのエッチなエチュードを忌避するようなら、あたしは泰子さんに開発して貰ってぇ、
高須くんとはプラトニックな関係でいくけどぉ?」

「シュール過ぎて、正直、俺にはついていけねぇよ…」

 脂汗が吹き出ている竜児に亜美はにじり寄り、その耳元で囁いた。

「どう? 嫁と姑の禁断の愛と肉欲。萌えるでしょ?」

「萌えねーよ!」

「あ、それとも妬けた? 自分の嫁になるはずの女が、自分の母親と同衾する。これって、何て、みじめって」

「妬けねぇーよ! それに何だ、『同衾』ってのは、男女の間柄を表現する時しか使わない言葉だぞ」

 亜美は、そんな竜児を、鬱陶しそうに半開きにした双眸で一瞥し、唾棄するかのように、舌打ちした。

「ほーんと、あんたって、衒学的で細かい男よねぇ。まぁ、それがあんたの魅力の一つでもあるんだろうけどさぁ」

 そう言って、更に竜児との間合いを詰めていく。亜美の妖艶な笑みが竜児の目と鼻の先に迫る。

「な、何だよ、キスでもするつもりか? きゅ、急に、顔を近づけてきやがって」

 竜児の注意が、キス寸前にまで迫った亜美のバラ色の口唇に逸らされている隙に、亜美の繊細な指先は、勃起した
竜児のペニス、その敏感な亀頭部分を布地越しに摘み上げていた。それも、結構な力を込めて。
 その愛撫というよりも加虐と呼ぶべき蛮行に、竜児はたまらず苦悶の表情で呻いた。

「ほぉ〜ら、何だかんだ言っても、あんたも所詮は男なの。エロい話に興奮して、おちんちんをおっ立てる雄なんだからさぁ」

「今のは、マジで痛かったぞ…。役に立たなくなったら、ど、どうすんだ…」

「あたしとのセックスを嫌がるようじゃ、いっそ役に立たない方がいいわね…」 

「お前なぁ…」

 亀頭は未だにズキズキと疼いている。今しがた亜美につねられたせいもあるが、膣痙攣を起こしている亜美の膣口
に体重を掛けて無理に挿入しようとしたのが、今も祟っているようだ。
 こんな状態でエッチの予行演習なんか冗談じゃない。
 しかし、亜美は、竜児に、いくぶん冷たさを湛えた妖艶な笑みを向けている。

「あたしたちは、『つがいの鴉』なんでしょ? 『つがい』ならそれにふさわしく、雄は雌を抱き、雌も雄に抱かれるものじゃ
ない。お分かり?」

「お、おう…」

「だから、あたしたちは、互いに時間さえ許せば、抱き合って、愛し合って、互いが潜在的に持っているセックスへの
ためらいを解消すべきなんだわ。キスして、ペッティングして、フェラして、あたしはクンニをしてもらって、それを十分に
やって、エッチの基本を習得してから、あたしたちは結ばれるの」

「キスはともかく、ペッティングとか、フェラとか、クンニとか、何げに凄いこと言ってるな…。
お前、そんな過激なことが、今すぐにでも、できるのか?」

 竜児の指摘に、遅まきながら羞恥したのだろうか、亜美は、一瞬、目を伏せた。
 だが、それも束の間、今度は逆に開き直ったのか、睨み付けるように双眸を大きく見開いた。

「でもぉ、実際にそうとしか言いようがないんだから、しょうがないでしょ!」

 吐き捨てるように叫んだが、はしたない言動を悔いているのか、亜美は、唇を噛んで心持ちうつむいた。
 それは、一見、少女らしい恥じらいのようだった。だが、頬にあるべき朱の色はなく、翳りのある心持ち青白い面相が、
何かに怯えるように小刻みに震えていた。
 竜児は、なるほど…、と得心する。

「お前は、互いに時間さえ許せば、抱き合って、愛し合う、と言ったな? なら、今、ここでやるのか? どうなんだ? 
ちなみに、俺だったら、望むところだ。何なら、遠慮なく、お前の膣にぶち込んで、たっぷりと精液を注いでやるぜ…」

 竜児なりのブラフだった。実際は、巌のように堅固だった亜美の膣口に何度も突撃したことで、竜児の亀頭は腫れ
上がり、勃起しただけで疼くように痛む。
 この状態で、亜美が性行為に応じたら、竜児としては、ちょっとまずい。
 だが…、

「えっ…? ちょ、ちょっと、た、高須くん!」

 亜美は、月光で青白く浮かび上がった面相を歪め、狼狽した。
 褐色の瞳が色を失い、その眉が苦しげにひそめられている。
 亜美は、竜児とは比較にならないほどのダメージを受けている。その身体が、たとえ予行演習であっても、性行為の
類に耐えられるはずがないと竜児は踏んだ。

「どうなんだ? 何なら、今すぐ、さっきの続きをするんだが…」

 畳み掛ける竜児に、亜美は思わずうつむいた。その反動で、艶やかな髪が揺れ、窓辺からの月光で煌めいている。
 時間にして、ほんの五、六秒。しかし、気詰まりな沈黙の後に、亜美は、ぶるぶると悪寒のように両肩を震わせた。

「う、うん…、た、高須くんが望むなら、い、いいよ。言い出しっぺは、あたしだから…」

 うつむいていた亜美が、そう言って、ためらいがちに顔を上げた。

 病み上がり特有の儚げな雰囲気が、いつにない妖しい色気を醸し出している。そんな風情も掛け値なしに美しい。

「川嶋…」

 竜児は、その亜美の頬を両の掌で優しく包み込んだ。

「俺も、川嶋の気持ちがよく分かったよ…。川嶋の言う通りなんだ。本当のセックスをするまでに、いろいろと二人で
練習しなきゃいけねぇ。これは確かなんだ…」

「う、うん…」

「なぁに、俺はもう、逃げも隠れも尻込みもしねぇ。お前がエッチなことをしたい、って言うなら、その要求には応える
つもりだ。ただし、お前の体調が優れねぇ場合は別だ。そんな状態で、お前が無理したら、泰子が言ったような互いが
相手を癒すようなことにはならねぇ」

「で、でも…」

 亜美が、安堵とも竜児への非難とも判じ難い趣きで、双眸を真ん丸に見開いた。
 竜児は、そんな亜美をなだめるつもりで、その頬を優しく撫でてあげた。

「なぁに、俺みたいな鈍い奴でも、分かったのさ。お前は、性行為に乗り気でない俺を、その気にさせるために無理して
いたんだって…。お前も俺も、今日という日は本当にいろいろな経験をして疲れている。疲れた身体で、義務的に交わ
ることもねぇだろう。明日があるさ…。お前の言う練習は、明日でもいいじゃねぇか…」

「う、うん…。ありがとう、高須くん…」

 亜美は再びうつむいて鼻を啜った。暗がりではっきりしなかったが、涙ぐんでいたのだろう。
 竜児は、そんな亜美を抱き寄せ、その背中をさすってやる。

「もう、ゆっくり休もう。ベッドが狭いけど、二人並んで寝られるなら、俺は嬉しいよ」

「う、うん…。で、でも…」

 亜美は、ちゃぶ台の上に並べられた二つのグラスを指さした。

「そういえば、シャンパン用のグラスじゃねぇか…。こんなもの家にはなかったはずだが…」

「泰子さんが、あたしたちのためにお店から持ってきたんだって」

「泰子が? なぜ? 何のために?」

 亜美はうつむいたまま手の甲で目頭を拭うと、大きくため息をついた。

「あんたって、本当に察しが悪いのねぇ…。
これは泰子さんなりの気遣い。まだ完全じゃないけど、苦しみながらも結ばれた、あたしたちへの祝福なのよ」

「じゃ、こ、これもか?」

 竜児は袋からシャンパンのボトルを取り出した。保冷用の氷はほとんど解けてしまっていたが、ボトルは触れた指が
かじかむほどに冷えていた。

「それ以外にないでしょ? 泰子さんが、あたしたちを祝って、奢ってくれたんだわ」

 そう言って、ちょっと納得がいかずに、憮然としている竜児の手からボトルを取り、ちゃぶ台の上に置いた。

「Moetかぁ…。定番よね」

「予算内ではこれしか買えなかった。シャンパンって本当に高いよな…」

 亜美は、物憂げにため息をつくと、分不相応の買い物を悔いている竜児の鼻先を突っついた。

「祝い酒だから、少々高いくらいの方が有難みがあるってものよ。それに、今は高いと感じるけど、弁理士になって、
それなりの評価を受ければ、違ってくるわ」

「そうだな…。だが、俺がそうなれるだろうか? 前途は多難だぜ…」

「大丈夫だってぇ! あんたは内罰的で、自己を過小評価しすぎ。あんたぐらいポテンシャルの高い男はそうはいないよ」

 竜児は苦笑した。成果に比して正当な評価がされ難かった竜児だが、ここに一人、その竜児を信じ、評価してくれる
女性がいる。それが、何だかこそばゆかった。

「何よ、ニヤニヤして気味悪いわねぇ。それよか、せっかくの泰子さんの好意なんだから、有難く頂戴しましょう。
あ、未成年だからダメ、っていうような無粋な突っ込みはなしね。今回は保護者の公認なんですもの」

「いや、そうは言わねぇけどよ…。ただ、川嶋の体調を考えると、アルコールはまずくないか?」

 亜美は、あくまでも慎重な竜児に、笑顔を向けながらも嘆息した。

「出血していたらアルコールはよくないけど、そうじゃないからねぇ。むしろ、酔った方がぐっすり眠れるってもんだわ」

「そういうもんかねぇ…」

「そういうもんなのぉ! グダグダ言わない」

 理屈が合っているんだか、いないんだか、よく分からなかったが、ここで祝い酒に反対して、亜美の機嫌を損ねても
後味が悪い。

「なら、川嶋が開けてくれ。こうした華やかなもんは、お前の方がふさわしい」

 だが、亜美は笑顔で首を左右に振り、ちゃぶ台の上にあるボトルを竜児に手渡した。

「あんたが抜きなよ。こういう儀式めいたものは、女房じゃなくて、亭主の専権事項なんだからさぁ」

「お、おう…、ってまだ、そう呼べるのは、先の話だぞ」

「もう、あたしたちの行く末は決まっているの。後は、それを実現するために努力する。それだけのことなんだわ…」

「そうだな…。俺は、川嶋にふさわしい男になるために、川嶋は、川嶋を局アナにしようとしているお袋さんの思惑を
粉砕するために、それぞれ弁理士になる。そういうことなんだ…」

 竜児は、ボトルの先端を覆う金属箔を破り、コルクを固定している針金を指先で捻って外した。

「川嶋、ちょっとティッシュを二、三枚ほどくれ」

 亜美は、手近にあったティッシュボックスからティッシュペーパーを引っ張り出すと、それを竜児に手渡した。

「ティシュなんか、どうすんのさ?」

「コルクがすっ飛ばないように覆うのさ。
コルクを景気よく飛ばすのは下品だし、何より、シャンパンの風味が落ちるからな」

 そう言いながら、竜児は、そのティッシュペーパーでボトルの先端を覆った。

「酒は飲まないくせに、こうしたことは抜かりなく理解しているのね」

 その亜美の賛辞とも皮肉とも受け取れそうな一言に、竜児は三白眼を細めて、にやりとしながら、ボトルの首の部分
を順手に持ち、親指で押し出すようにして、ティッシュペーパーで覆ったコルクに慎重に力を加えた。
 コルクが少し動いたのを見計らい、今度は、そのコルクをもう一方の手で慎重に抜き取っていく。コルクは、ぽこん、
と軽やかな音を残して、ティッシュペーパーに包まれたまま抜き取られた。
 その刹那、ボトルの内部に、きめ細やかな泡が、ぽつぽつと湧き上がる。

「綺麗ね…」

「ああ、無数の星のようだな…」

 竜児はシャンパンを二つのグラスに注ぎ分けた。薄黄色の液体とグラスの界面が穏やかに泡立ち、虚空のように
静寂な室内で、その泡が弾ける音だけが微かに聞こえてくる。

「我らが同志に乾杯だ…」

 グラスを軽く合わせた後、二人はグラスの中身に口をつけた。ぴりっ、とした炭酸の刺激と、強い酸味に相まって、
葡萄本来の新鮮な香りと、発酵で生じたエステルのような優美な香りが口腔と鼻腔をくすぐる。

「美味しいわ…。ちょっと不本意だったけど、あたしたちの門出、それを祝福する味わいなのね…」

 竜児は頷きながら、ちゃぶ台の上にノートパソコンを置いた。

「どうしたの? パソコンなんか持ち出して…」

「唐突だけど、飲みながらでいいから、ちょっと見て欲しいものがあってな…」

 スイッチを入れると、ハードディスクにアクセルする、カリカリという何かを引っ掻くような音がして、ユーザ名を入力
する画面が表示された。ユーザ名を入力すると、パスワードを入力する画面に変わる。
 パスワードを入力してエンターキーを叩くと、Windowsとも、MacOSXとも異なる、OpenSolarisのGnomeデスク
トップが表示された。竜児は、その画面でブラウザを立ち上げ、特許庁のホームページにアクセスし、そこからリンクを
辿って、法令が公開されているサイトにアクセスした。
 そのサイトから、特許法を選択する。

「条文集があるのに、そんなサイト見ても意味ないでしょ?」

 訝るような亜美の反応を、「まぁ、見てろって」とあしらいながら、竜児は特許法第二十九条の二を表示し、その条文
をコピー。それを、別途立ち上げたOpenOffice.orgの新規ファイルに貼り付けた。

「多くの受験生を悩ませている『ニクのニ』じゃない…」

 早くもほろ酔いになったのか、目を気だるそうにトロンとさせた亜美が、物憂げに宣った。

「そう、さっきも川嶋が、可読性が悪すぎる、って文句言ってたあれだよ。その可読性の悪さは、かっこ書がいくつも
挟まっているからなんだよな?」

「そうね、頭でっかちの構文自体もいただけないけど、一番どうしようもないのは、そのかっこ書の存在よね」

 竜児は頷きながら、そのかっこ書の部分をドラッグし、フォントの色を黒から薄いグレーに変えた。

「こうすればどうだろう? 可読性を妨げていたかっこ書が目立たなくなって、読みやすくなる。そうなると、この条文が
意味するところは、結構単純だよな。要は、出願後に公報等で公開されてしまった発明と同じ発明は、『前条第1項の
規定にかかわらず』、つまり新規性を有していても、『特許は受けられない』ってことになる」

「本当だ…。すごく分かりやすくなる。これなら、条文の本文を読みやすいし憶えやすいよねぇ…。
それに、色を薄くした方が、かっこ書はかっこ書で、まとめて読めるようになる。あんた、やっぱりただ者じゃないよ!」

 亜美は、肘で竜児の脇腹を軽く小突いて、微笑した。

「それとだ、こうやってフォントの色を変えた条文だが、これを条文毎にカードか何かにプリントしたらどうかと思うんだ」

「英単語みたいにカードにするの?」

 竜児は軽く頷いて、OpenOffice.orgの用紙設定を葉書サイズに切り替えた。

「条文集を読んでいて思ったんだが、条文集はすぐ隣の条文が無意識に視野に入ってくるから、条文単位で憶えにく
い。どうしても隣の条文が見えちまうんだな。それも一つの条文を一つのカードにプリントしておけば、他の条文は気に
せずに、その条文だけをじっくり読んで理解することができるだろう」

「ほんとだ、こうして、かっこ書をグレーで薄く表示して、それをカードにすると、気軽に持ち運びもできるし…。あれ? 
でも、葉書サイズって、ちょっと大きくない?」

「俺のプリンタで確実に印刷できる最小のサイズが葉書サイズなんだよ。これよりも小さいサイズのカードも使えるかも
知れねぇが、ちょっと、怪しいな…。それに特許法とかは一つの条文が長いから、小さなカードじゃ収まりきらない。
この二十九条の二だって、フォントを十ポイントにして何とか葉書サイズに収まる程度だ」

 亜美は、ふぅ〜ん、と呟き、画面に見入っていたが、何かを思い出したように竜児に向き直った。

「ねぇ、明日っていうか、今日は高須くんは何か予定あるの?」

「いや、特にねぇけど…。強いて言えば、この条文のカード化をやろうか、とは思ってる」

「だったらさぁ、あたしも手伝うから、明日は手分けして、特許法、実用新案法、意匠法それに商標法の条文をカードに
しようよ。条文はものすごくたくさんあるから、一人よりも二人で作業した方がいいって」

「そうだな、パソコンは、このノートと、デスクトップがあるから、俺と川嶋が同時に作業できるし…」

 亜美は、「え〜っ、あれぇ?」といって、笑いながらもちょっと眉をひそめた。

「このノートも、あのデスクトップもUNIXじゃん。亜美ちゃん、そんなヲタ向けのOS使えねぇし…。

だから、一旦自宅に戻って、自分のMacBook持って来るわよ」

 竜児は、苦笑した。

「川嶋、お前のMacBookのOSだって、UNIX系OSだってのを忘れてるぞ。MacOSXは、俺のデスクトップパソコン
にインストールされているFreeBSDによく似たDarwinがベースなんだからな」

 竜児のもっともな指摘に、亜美はむっとして頬を膨らませた。

「こういうことには聡いのね。そのくせ、女心の機微には疎い。ほ〜んと、どうしようもない…」

「まぁ、むくれるなって。どっちにしろ、仮眠をとったら、川嶋は一旦自宅に戻った方がいい。
その方が、伯父さんたちも安心するだろう。作業は、川嶋が自前のパソコンをここに持ってきてからだな」

「うん…」

 二人は頷き合って、グラスの中身を飲み干した。
 竜児が二杯目のシャンパンをそれぞれのグラスに注ぐ。窓辺からの月光でグラスに生じた泡が、白く輝いた。

「ねぇ、せっかくの月夜だから、ちょっとベランダに出てみない?」

「そうだな…。俺もちょっと夜風に当たりたくなった」

 グラスを持って立ち上がった亜美を、竜児は、グラスとシャンパンのボトルを持って後を追う。
 外に出てみると、満月よりも歪な月が、壁のように立ちはだかるマンションに遮られることなく、西寄りの虚空に煌々
と輝いていた。

「こんなことは珍しいな…。大概はこのマンションで遮られてしまうんだが」

「そうなんだ…。明け方近くになって、月の位置が西寄りになったのに加えて、このマンション、西側がちょっと低くなって
いるのかも知れないわね…」

「そうかも知れねぇな…」

 二人は、西の彼方に見える月に向かってグラスを捧げ、二度目の乾杯をした。

「満月じゃなさそうなのが残念ね…」

「多分、いざよい、だろうな」

「いざよい、って?」

「十六夜って書いて、いざよいと読む。いざよいの元の意味は、『ためらい』なんだが、月の出が十五夜よりやや遅く
なるのを、月がためらっていると見立てて、十六夜に、いざよいの読みが当てられたそうだ」

「あんたって、本当にいろんなこと知ってるのね…」

 説明する竜児の傍らで、亜美が笑っている。

「お、おぅ…。ちと、余計な一言だったか?」

 亜美は首を左右に振って、微笑んだ。

「あんたのその理屈っぽいところ、あたしは嫌いじゃないよ。話していて飽きないし、何より、あたしも勉強しなくっちゃ、
て気にさせてくれるし…」

「そんな…、俺如き大したもんじゃねぇ…。でも、川嶋にそう言って貰えると、正直嬉しいよ」

 ほろ酔いで、ほんのり桜色に染まった頬を竜児の肩に擦り付け、亜美は、うふふと笑った。

「それにしても、いざよいかぁ…」

「それがどうかしたのか?」

「うん…。何だか、あたしのことみたいで、ちょっとね…。
高須くんと結ばれたかったけど、いざとなると、ためらいがあった…。それで、あんなことになっちゃったんだわ…」

「だがよ、ためらいがあるから、立ち止まって考え直すこともできる。
ためらいがあるからこそ、それを振り切って決断する価値がある。そんな風にも考えられねぇか?」

 竜児は、ボトルに残ったシャンパンを亜美のグラスと自分のグラスに注ぎ分け、
空になったボトルをベランダの床に置いた。

「そうね…。ためらいながらも、あたしたちは前に進む。そういうことなのね…」

 竜児と亜美はグラスを合わせて、残りのシャンパンを飲み干した。
 空を見れば、十六夜の月は地平近くに傾き、東の空が暁を迎えようとしていた。

「見ろよ、十六夜の月に代わって日が昇る。俺たちもそうさ。今は、いろいろと迷いながら進んでいるが、いつかは日の
目を見る。それを信じるしかねぇ…」

「高須くん…」

「明日があるんだ。俺はそれを信じて頑張るよ」

「う、うん…。頑張ろう…」

 グラスを手にしたまま、竜児と亜美は抱き合い、瞑目して口唇を重ねた。
 快楽に酔い、陶然となった亜美の手からグラスが滑り、床に当たって砕け散った。
 それでも二人は、薄闇が茜色に染まりゆく中、忘我の境で互いを求め合うのだった。

(終わり)

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