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きすして4 2009/10/17(土) 23:33:37 ID:yinlcwCQ



 今日、娘の恋人が来ました。今日、というのも変ですね。彼は殆ど毎日来るのです。
そして私達はまるで家族の様に一緒に食事をしています。ほとんど毎日そうです。そう
してみんなで彼の作った料理や、私の作った料理、そして最近は娘の作った料理を食べ
るのです。娘の料理はまだまだへたくそで見た目も味もまったく冴えない物なのですが、
それでも子供が一生懸命作ってくれたお料理を頂けると言うのは本当に嬉しいものなの
ですね。恥ずかしい事ですが、私は本当に最近までそれを知らなかったのです。

 いつもの様に楽しい食事を終えて、そしていつもの様に私達はお茶を楽しみました。
一杯目のお茶を飲み終えるころに彼は言いました。

「大河と結婚したいんです」

 ついにこの日が来たのです。私が断罪される日が訪れたのだと思いました。

「あなた、まだ十八でしょ。早すぎるわ」と私は彼に言いました。

「ええ。俺はまだ十八で、学生で、収入もなくて、けど大河が大好きで。だから一緒に
いたいんです」

「就職してからでいいでしょう。それからでも遅くはないわ」

 彼は私を睨みつけました。理由は簡単です。彼は知っているのです。もうすぐ私が娘を
『また』棄てると言う事を知っているのです。

 ―――

 一度目は随分前のことです。私は大河の父親と離婚しました。大河を彼の下に残して
私は家を出ました。その後、彼は再婚し、私も再婚しました。主人との間に子供も出来
ました。とても幸せで、私は娘のことをさほど気にしていなかったのです。

 冬の事です。大河の学校から連絡があって、修学旅行先で怪我をしたから迎えに来て
欲しいとのことでした。どうにも保護者と連絡が取れないと言うのです。勿論、私も知
る限りの連絡先を当たってみましたが全てダメでした。その時、すでに彼は隠遁してい
ましたから連絡などつく筈がなかったのです。そして私は彼が手ひどく失敗して破産し
たこと、娘を家から放り出して一人暮らしをさせていた事、そして娘が暮している家も
すでに人手に渡ってしまっている事を知ったのです。

 私は娘を迎えにいきました。そして手ひどく拒絶されたのです。私は娘がなぜそこま
で頑に私を拒絶するのか最初は分りませんでした。ですが、数日後、娘は私の前に姿を
現し、一緒に暮す、と言いました。それから二週間程の時間をかけて娘は自分がどんな
風に生きてきたのかを語ったのです。それは正直言って聞くに堪えない内容でした。

 前夫の再婚後、娘を待っていたのは愛されず顧みられない日々でした。と言うと多少
文芸的な言い回しですが、実際はただの放棄だったのです。娘は後妻と衝突し、それを
疎ましく思った夫婦はよりによって娘を本当に放り出してしまったのです。考えてみれ
ば、最初に彼女を棄てたのは私でした。そこから娘の悲劇は始まりました。娘から酷く
拒絶されたのも道理だったのです。

 なのに、大河は私に言ったのです。

『それは竜児と出会うために必要な事だったから、今はもう全部許せる』

『彼の傍らで生きる為に、自分に誇りを持つ為に、私はママを許さなきゃならない』

『自分の親を憎んだままで、
 自分で自分の存在を汚したままでは竜児の傍に立てないから』

 彼女は私に言ったのです。

 その時、私は真剣に彼女と向き合おうと、そうしなければ、生まれてくる命にきちん
と向き合う事ができないと、そう思ったのです。そうして、やっと私達は母と娘らしい
関係になっていったのです。
 けれど、やはり無理だったのです。既に私には新しい家族があり、そこに大河が収ま
るべき場所はありませんでした。そして、私はそれを作る事もできなかったのです。夫
は優しい人です。大河の事も理解してくれて、一緒に暮すことも受け入れてくれたので
す。けれど、主人の実家はそれを良しとはしませんでした。旧家の長男というのは不自
由なものです。私がバツイチであることも快くは思われていないのですが、それでも結
婚を許されたのは連れ子がいなかったからなのです。なのに、いない筈の子供が現れて
しまったのです。

 私は選択を迫られました。
 娘をとるか、主人と息子をとるか、その二者択一を迫られたのです。

 そして、私は愛した男との暮らしと、その男との間に出来た無垢な命を選びました。
結局、私は娘をもう一度棄てる事を自分で選びました。

 ひどい話しです。
 でも、そんな酷い事を、仕方の無い事だと、そう片付けてしまえる自分もいるのです。

 ―――

「いいえ。それじゃダメなんです。大河はお母さんのところから俺のところに来なきゃ
いけないんです」
「どういうことかしら?」
「大河から聞きました。もうすぐ、あなたと暮せなくなるって」
「そう。知ってたのね」
「ええ」
「それで、結婚したい、と? 大河が独りぼっちになってしまうから」

「いいえ。俺は…」
 竜児君は私を射る様に見ながら話します。

「ただ、大河のことが好きなんです。ずっと一緒にいたい。それはずっと前から思って
いた事だし、もう、半年も前に大河と約束した事でもあるんです。それに…」

 彼はふっと隣に座っている大河に視線を送りました。

「あなたが居なくなっても大河はもうひとりぼっちになりませんし、させません。それ
はそれ、これはこれです」

 大河の手は彼の膝に乗っています。彼を本当に信頼しているのです。

「なら、慌てる必要はないんじゃない?」

 無責任な発言です。私には罰が必要でした。それを彼に期待しました。断罪して欲し
かったのです。あなたはまた娘を棄てるのだろう、と、罵ってもらいたかったのです。

「先延ばしにする必要もないとおもいます」
「あるわ。世間体が悪いもの。高校生が結婚なんて」
「未婚の高校生が同棲してる方が世間体は悪いと思いますけど」
「同棲するの? ここで」
「生活のペースを変えるつもりはないですけど、今までだって見ようによっては半分同
棲みたいなもんですよ」

 苦笑しました。上手い事を言ってくれます。
「たしかにそうね」

 竜児君は、もういいでしょう。結論を出しましょう。そういう顔をしています。良い
顔つきです。闘う男の顔です。

「では、大河を俺にください」

「二十歳になったら好きにできるでしょ」
「それじゃだめなんです」

「ママ…」
 血の気の失せた、青白い顔で娘が私を見ています。酷く緊張しているのでしょう。

「ママ、あたし、竜児のところに行きたい」
「寂しいから?」
「ううん」
 娘は首を左右に小さく振りました。
「竜児が好きだから。一緒にいたいから。だから、結婚したい」
「まだ、結婚は早いわ」
「わかってる。でもね、ママ。あたしはママの娘として竜児のお嫁さんになりたいの」
 胸が詰まって言葉が出てきません。
「ママに見送ってもらいたいの。お願い。あたし達が自分たちだけじゃ暮していけない
のはわかってるけど、でも、あたしはママに見届けてもらいたいの」

「それから、ママを…見送りたいの」

「我侭だけど、許して。お願い…。ママ…。お願い」

 もう十分でした。私は竜児君が憐憫で娘と結婚するなんて言っていないことを、大河
が寂しさから逃れるために結婚するなんて考えていないことを確かめられればそれで良
かったのです。もう、何ヶ月も、ほとんど毎日彼と話しをして時には一緒に台所に立ち、
食事をして家族の様に暮して来たのです。二人がどれほどの覚悟で付き合っているのか
はとっくに分っていた事です。

「わかったわ。あなた達の結婚を認めます。細かいことはまた今度にしましょう」

「ありがとうございます」
 竜児君は静かに頭を下げました。
「ありがとう。ママ」
 娘は、泣いていました。
 この子は口では強がりばかり言うくせに本当に泣き虫なんです。
 きっと、私に似たのです。

「一人にしてくれる?」
 私は二人にお願いしました。

「うん」
 寂しそうに言って、大河は立ち上がりました。竜児君も立ち上がりました。

「竜児君」
「はい」
「朝まで、大河と一緒にいてあげて。お願い」 それはもう彼の役割です。
「わかりました」
「泰子さんには私から電話しておくから」
「はい」と静かに返事をして彼はリビングから出て行きました。

 私は立ち上がりベビーベッドを覗き込みました。息子は何も知らずに安らかに眠って
います。視界が滲んでゆきます。娘に一緒に暮らせなくなったことを告げたときのこと
が思い出されます。

 大河は言いました。
『ありがとう。ママ』と。
 
 私は何度も謝りました。何度も、何度も、許されることなどないと分っていて、それ
でも何度も謝ったのです。

『もう、いいんだよ』
  
『あたしがママだったら、やっぱりママと同じ選択をすると思うから』

『弟には、あたしみたいな思いをさせないで。そんなことになったら本当に許さない』

 その時も私は、今と同じ様に泣き崩れていたのです。

 恥の多い生涯を送って来たものです。
 人間失格ならぬ母親失格です。
 
 少しも母親らしいことを出来ないまま、私はもう一度、娘を棄てます。

 でも、娘は、棄てられるのではなく自らの幸せのために私の下を去るのだと、そう
言ってくれたのです。
 そして娘の恋人は、俺のために貰うのだ、俺がお前の娘を奪うのだと、そう言ってく
れているのです。

 優しさに切なくなります。
 嬉しさもあるのです。喜びもあるのです。けれど、どうにも切ないのです。
 ただただ、ひたすらに、本当にひたすらに、せつないのです。
 切なくて、切なくて、私は泣くばかりです。
 
 私は二人の優しさに甘えようと思います。

 大河を嫁がせます。娘を棄てます。
 竜児君に嫁がせます。娘を押し付けます。

 そして、妻として、母として生きてゆこうと思います。
 それまでは、もう少しだけ彼女の母親らしいことをするつもりです。

 もう、八月も終わりです。
 冬が来る前に、私はここを出て行くのです。
 娘を置いて、出て行くのです。

***

 やっぱり竜ちゃんは帰ってきていなかった。竜ちゃんに泊まっていってもらうから、
と大河ちゃんのお母さんから電話があったから、それは驚く様な事ではなかったけれど。
ただ、その時の彼女の声は普通じゃなくて、それで私は竜ちゃんが大河ちゃんのお母さん
に大事なお願いをしたのだということが分った。

 ―――

 お盆に私達はお墓参りに行ってきた。それは私にとっては二十年ぶりのお墓参りで、
竜ちゃんにとっては生まれて初めてのお墓参りだった。大河ちゃんも一緒に来てくれて、
それは賑やかでお父さんもお母さんも喜んでくれた。お父さんは嫁入り前の大河ちゃん
を泊まりがけで連れ回すのは感心しない、なんて言ってたけど、そう言いながらお父さん
だって竜ちゃんと大河ちゃんを見て目を細めてたんだから、本当は嬉しかったんだろう。

 その日の夜、皆で晩ご飯を食べた後、竜ちゃんはお父さんに凄い事をお願いした。

「高校を卒業したら、大河と一緒にここに住まわせて欲しい」

 お父さんもお母さんも私も驚いた。竜ちゃんはお父さんと同じ仕事、税理士になるん
だと言った。だから、大学に通いながらお父さんの仕事を手伝って、税理士試験の勉強
もして、できれば大学を卒業するまでに資格を取りたいと言った。
 大河ちゃんは竜ちゃんと一緒に大学に通って竜ちゃんの勉強を手伝いながら家事を
お母さんに教えてもらいたいと言った。

 竜ちゃんは五月の連休に実家に行った時に、お父さんの事務所を見せてもらって、仕
事について教えてもらって、それからずっと考えていたんだと、私達に言った。

 お父さんは嫁入り前の女の子を一緒に住まわせるなんて出来ない、と言った。
 竜ちゃんが居候する事も、仕事を手伝うのも良いけれど、大河ちゃんと一緒に暮すの
はダメだと言った。竜ちゃんはそう言われるのが最初から分っていた様だった。

 竜ちゃんは…
「大河と結婚する。俺はこいつと一緒じゃないとやっていけないから」と言った。

 お父さんは怒った。怒鳴る様な事はなかったけれど、あれは怒っていたんだと思う。
とにかく、早すぎるだろうと、竜ちゃんを諭した。でも、竜ちゃんは引かなかった。頑
として譲らなかった。すっかり頑固者同士の押し問答の様になって、本当に喧嘩になり
そうだった。それは三十分近く続いて、私もお母さんもオロオロするばかりだった。

 お父さんは「急ぐ必要は無いだろう」と竜ちゃんに言った。でも、竜ちゃんは「時間
が無いんだ」とお父さんに言った。そして、竜ちゃんは思い詰めた様に、
「もうすぐ、大河と一緒にいられるのは俺だけになるから、だからその時までに俺は大
河を貰わなきゃならないんだ」と、言った。

 大河ちゃんは、何が起きているのかを私達に教えてくれた。
 優しくて切ない決断を私達に聞かせてくれた。
 せっかく繋いだお母さんとの絆が切れない様に、そのためにお母さんと家族になるこ
とを諦めるの、と大河ちゃんは言った。だから、近い将来、一緒になることを約束した
竜ちゃんと、早すぎる事は分っているけどすぐに結婚したいと、竜ちゃんのことが大好
きだからずっと一緒にいさせて欲しいと、大河ちゃんは言った。

 私も、お母さんも、お父さんも、竜ちゃんと大河ちゃんの真剣さに何も言えなかった。
 二人は、二人の現実に立ち向かっていく為に一緒に生きるんだと、そのために結婚す
るんだと、私達に言った。

 結局、お父さんは、大河ちゃんのお母さんに結婚を許してもらえたなら、竜ちゃんの
望む通りにしても良い、と言ってくれた。ちゃんと夫婦になって、竜児が稼げる様にな
るまでここで暮せばいい。そう言ってくれた。

 ―――
 
 携帯電話が鳴った。大河ちゃんのお母さんから。
 一度、深く呼吸して、私は電話を開いて着信ボタンを押した。

「高須です」
『泰子さん。夜分遅くすみません』
「いいえ。今、丁度帰ってきたところですから」
『そうですか…。泰子さん』
「はい」
『竜児君が…大河と結婚したいって…』
「許していただけますか?」
『…はい、お願いします』
「はい」
 こちらこそ、とは言えなかった。
『ごめんなさい。こんな事になってしまって』
「そんな風に言わないで…。私は嬉しいんですよ。大河ちゃんが竜ちゃんのお嫁さんに
来てくれて、本当に嬉しいんです」
『…ありがとう、泰子さん』
「今度、ご挨拶に伺いますね」
『いえ、私の方から』
「いいえ、こういうのは貰う方が行かないとダメですよ」
『そうですね。では、細かい事はその時にでも』
「ええ、お願いします」
『…失礼します』
「おやすみなさい」

 細かい傷が沢山ついている卓袱台に携帯電話を置いた。

 すごく、格好いいよ。男前だよ。竜ちゃん…

 これで、竜ちゃんはお父さんの出した条件をクリアした。
 竜ちゃんは大河ちゃんと結婚する。
 春が来たらこの街を出る。

 竜ちゃん…
 もう、やっちゃんの竜ちゃんじゃないんだよね…

 いつかはそうなると思っていたし、そうなればいいなと思っていた。でも、こんなに
早くそうなるとは思ってなかった。

 もうすぐ終わるんだね…

 もうすぐ終わる。竜ちゃんが結婚して、大河ちゃんがお嫁さんになって、それで三人
で暮すんだって勝手に思ってた。でも…

『竜児がね、言ってたの。やっちゃんも、普通に恋して結婚して欲しいって』
 
 ごめんね、竜ちゃん。心配ばっかりさせて。
 やっちゃんはあんまり良いお母さんじゃなかったよ。
 もっと上手にやりたかったのに、出来なかったよ。

 ごめんね…
 竜ちゃんが幸せだったと思ってくれていたのか分らないけど…

 でもね、竜ちゃん…

 やっちゃんは最高に幸せだったよ
 竜ちゃんと、一緒にいられて、本当に、最高に幸せだったよ

 ありがと、ありがとう、竜ちゃん…
 ほんとに… ほんとに… いっぱい ありがとう…

 二人で過ごした日々が刻まれた卓袱台に温い雫がこぼれ落ちていく。
 ぱたぱたと、降り始めの雨の様な音をたてて。

***

「ぷはぁ〜っ。やーっぱ、これよ、これっ」
 恋ヶ窪ゆりはアルミ缶をあおってビールを胃袋に流し込んだ。九月中旬。夜になれば
過ごしやすくなるとはいえ、それでもまだまだビールの美味い季節である。喉を撫でて
いく炭酸の感触とホップの苦みがたまらない。それに明日は日曜日。多少飲み過ぎたっ
て構いはしない。どうせ予定なんかないのだし、こんな酷い気分なのだから、飲み過ぎ
たって二日酔いになったって構わない。なんなら、明日の朝、迎え酒に発泡酒でも飲ん
でやろうってぐらいの勢いだ。
 ゆりはコンビニで買って来た焼き鳥をつまんで、そしてまたビールを飲む。あっとい
う間に三五〇ミリリットル缶を飲み干して、もう一本をコンビニ袋から取り出す。片手
でプルタブを開けて、ぐっと一口あおり、

 そして「はぁああああああ」と、それはそれは深いため息をついた。

 ―――
 
 水曜日の放課後、職員室で日誌をつけていた時のことだ。逢坂さんが職員室に来て、
私に手紙を渡していった。それは彼女の母親からのもので、封筒の表には万年筆で書い
たであろう奇麗な字で「恋ヶ窪ゆり様」と書かれていた。私は帰宅後にその手紙を読ん
だ。内容は娘の事で内密の相談があるので自宅に来て欲しいというものだった。手紙に
は住所と電話番号、簡単な地図も添えられていた。日時は私に任せると書かれていたが、
土曜日の夕方が最も都合が良いということも書かれていた。

 逢坂大河。去年、やたらと問題を起こしてくれたこの生徒は、しかし今年は一転、実
に素直な優等生に化けたのだった。授業態度も真面目で成績優秀。それはもう、言って
は悪いが気持ち悪いぐらいの変貌ぶりだった。

 そして、今日、私は彼女、逢坂大河の母親からの内密の相談を受けて来た。そのせい
で、こんなにもグダグダな気分になっている。

 学校での仕事を終えた私は、手紙に添えられた地図を片手に彼女の家を目指した。た
どり着いたのはかなり豪勢なマンションだった。エントランスの造りからしてちょっと
モノが違うって感じだった。エントランスのインターホンのボタンを押してしばらく待
つと、ちょっと高圧的な感じのするあの声がエントランスに響いた。

「恋ヶ窪です」
 インターホンに告げると「お待ちしていました」という声がして、自動ドアが開いた。
 私はエレベータを降りて目的の部屋の前に立った。身なりを確かめて玄関横のインター
ホンのボタンを押すとドアの向こう側で鍵が外れる音がしてドアが開いた。
 私達は「お久しぶりです」「その節はどうも」などと、ちょっとぎこちなく挨拶を交
わした。私は広いリビングに通されて、彼女に勧められるままにソファーに腰掛けた。

「紅茶で良いかしら?」
「あの、おかまいなく」
「まあ、そう仰らず」と言われて、私は「では紅茶を」と言った。
 
 以前会ったときとは随分と印象が違っていた。大きかったお腹はすっかり平になって
いた。それに以前はもっと攻撃的な印象だったのに、今はとても穏やかな人に見えた。

 そう、彼女は…
 前に会ったときは、その頃の逢坂さんの様であり、
 そして今は、今の逢坂さんの様だった。

 彼女は私の前にティーカップを置いて「どうぞ」と言った。カップにはミルクティー
が注がれていて、とても良い香りをたてていた。

「いただきます」
 カップに口をつけるとふわりとした香りが鼻をぬけていった。こんなに香りのいい紅
茶は初めてだった。彼女もカップに口をつけて一口のみ「やっぱり、竜児君の方が上手
に入れるわね」と、とんでもなく気になる言葉をさらっと言った。

「大河さんは?」
 生徒本人がいないなんてちょっと変だった。
「いないわ。今日は高須君の部屋に泊まるように言っておいたから」
「高須君の部屋に泊まる?」
 一瞬、耳を疑った。そんなことを告白されても困る。
「私も、高須君のお母さんもそれを認めてるのよ。高須竜児君、先生も良くご存知で
しょ」
「え、ええ。二年の時は私が受け持っていましたから」
 私にはこの人の意図がさっぱり分からなかった。
「…あの、今日はいったいどういうご用件なのでしょう?」

「娘を高須君と結婚させます」
 今度こそ、本当に耳を疑った。

「あ、あの。まさか、妊娠した…とか」
 彼女は私の反応を確かめる様に私の顔を眺めた。
「いいえ。それは無いわ」
 私は溜息をついた。
「彼がそんなバカな子じゃないことは知ってるでしょ」
「え、ええ」
 私は胸を撫で下ろしながら、じゃあなぜ? と思わずにはいられなかった。子供がで
きちゃいました、とか言うならともかく、そうでないのなら慌てて結婚する必要なんか
無い。

「では、すぐに、という事ではないんですね? 卒業後であれば私どもがどうこう言う
事も無いと思いますが」
「いいえ。在学中に結婚させるから、そのために先生に来ていただいたんです」
「在学中って、三年のこの時期に? そんな無茶な」
「そうね。無茶だわ。だから、わざわざ来ていただいたんです。こんな話、誰かに聞か
れてしまったらややこしい事になるだけだから」

 そこまで言われて、私はやっとここに呼び出された理由が分ってきた。
 彼女はティーカップを手に取って口を付けた。私も少しだけ冷めてきた紅茶を飲んだ。
 これは、まだ今日の話しの序の口、プロローグに過ぎないのだろう。

「なぜ、この時期に?」
「大河の保護者が私に変わった理由はご存知ですか?」
「あの、経済的な理由としか…」
「実はね、私の前の夫、逢坂陸郎は破産してあの子を置いて逃げてしまったの。あの子
にはなにも知らせずにね」
「破産…。それで、貴方が」
「最終的にはそうなったわ。けどね、私も知らなかったのよ。なにも、知らなかった…。
修学旅行の時、私の連絡先を先生に教えたのは大河でしょ」
「はい」
 確かに、嫌がる逢坂さんを説き伏せて、半ば無理矢理、母親の連絡先を聞き出したの
は私だった。そうするしか無かった。あの時、逢坂家にはまるで連絡がつかなかったか
ら、私は彼女に連絡して病院まで迎えにきてもらったのだった。
「私もね、あの時まで何がどうなっているのか知らなかったのよ。母親なのにね」
 彼女は微かに笑った。それは自虐の表情だった。

「まさかね、あの子が家を追い出されて、一人暮らししてるなんて思いもしなかったし、
偶々隣に住んでいた同級生に養ってもらってたなんて信じられなかったわ」
 私は知っていた。気付いていた。逢坂さんが高須君に依存した生活を送っていること
に気付いていた。

「陸郎は知ってたのね。だから、大河をほったらかしにして逃げたのよ。いざとなれば、
隣のお人好し親子が助けるだろうって、そう思ったんでしょうね」
「そんな…」
「酷い話しよね。でも、あなた、気付いてたでしょ。あれはネグレクトよね?」
 胸を抉られるようだった。
 ネグレクト:neglect。無視する事。保護者が果たすべき義務と責任を放棄すること。
 つまり…、虐待。

 それに気付きながら見て見ぬ振りをしていたんでしょ? 担任の恋ヶ窪先生。
 そう言われている様な気がした。

「高校生の一人暮らしも、無いわけじゃ無いですから」
 無様な言い訳だった。
「いいのよ。別に責めちゃいないわ」
「え?」
 拍子抜けだった。私はその事で糾弾されるものだと思っていたから。

「私も似た様なものだし」
 とても冷たい口調で彼女はそう言った。

「あと二月もしたら、私はあの子の養育を放棄するわ。あの子をほっぽり出すの」
「放棄って、そんな勝手な事!」
「そんなことわかってるわ。でもね、私も再婚して主人も子供もいるのよ。大河を引き
取って籍を入れる事も考えたけど、主人の実家に猛反対されて諦めたわ。勝手なのはわ
かってる。けどね、今の私にはどうにもならないの。はっきり言ってあの子が…」


 邪魔なのよ…


「邪魔ですって」
 私は彼女を睨みつけた。そうせずにはいられなかった。

「そうよ。私の家族に大河の居場所はないの。もう、あの子の居場所は高須君のところ
しかないのよ。だから、結婚させるの」
「あなた達の都合で二人を結婚させると?」
「いいえ。結婚は本人達の意思よ。でもタイミングは私の都合ね。元々、高校を卒業し
たら結婚するつもりだったみたいだから」
「なんとかならないんですか?」
「なるならしてるわ。もし大河を選んだら…、私はその子を棄てる事になるのよ」
 彼女はリビングの端に置かれているベビーベッドを見た。そこにはまだ一歳にもなら
ない彼女の子供が寝ていた。
「せめて、卒業まで待てないんですか?」
「待てないのよ。私は十一月になったら、ここを出て主人のところに戻らなきゃならな
い。それに…」
 彼女はそれを言うのをちょっと躊躇っているようだった。
「いつまでも大河を逢坂の籍に入れておくわけにもいかないのよ。危険ですらあるわ。
さっきも言ったけど逢坂はもう破産してるのに逃げているのよ。どういう事かわからな
いわけじゃないでしょう」

 恐ろしくて、何も言えなかった。具体的ではない漠然とした恐ろしさ。
 真綿で首を絞めるという言葉があるけれど、本当にそんな感じだった。

「それで、私にどうしろと?」
「二人の結婚に余計な詮索をしないで速やかに事務的に手続きを進めてくれたら言う事
はないわ。騒ぎにならない様に、こっそりとね」
 
 私はすっかり冷めてしまったミルクティーを眺めながら「わかりました」と小声で呟
くのが精一杯だった。

 ―――

 私は彼女の、逢坂さんの家を後にしてコンビニで買い物をして逃げ帰って来た。
 そして、酒にたよって気分を回復中…

「回復なんてしねーって」
 一人暮らしの部屋にむなしく響く独り言。

 打開策は無い物かと思索した物の無駄だった。
 確かに、高須君と逢坂さんを結婚させてしまうのは次善の策なのかもしれないけれど、
それを認めて、それに乗っかってしまっていいのだろうか。他に、彼女を、逢坂さんを
救う方法はないのだろうか…

 けれど、出るのは溜息とゲップだけだった。

 結局、三十路の女教師にできることは無いのかもしれない。実際のところ、生徒の経
済的な問題について教師がどうこうできる事は殆どない。借金にすぎない貸与奨学金を
紹介するのが関の山だ。家族の事もそう。あくまでも外野からアドバイスというか、お
願いをするぐらいしかできないのが現実だ。もっとも、逢坂さんの場合、経済面だけは
責任を持つと母親が言ってくれているからそれは問題にはならないのだろうし、問題は
逢坂さんの心と失踪したままの父親だろう。法的には逢坂さんに債務は無いけれど、だ
からといって何も起きないなんて私には保証できない。そして心は…やはり高須君にし
か支えられないのだろう。

 仕方ない。そう思うしかない。
 仕方の無い物は、やっぱり仕方ないのだと、そう思うより仕方ない。

 そうやって生徒の家庭の問題を諦めるのも初めての事じゃない。受け持った子が経済
的な問題で学校を去っていくのも何度か見てきた。受け持った子の両親が離婚したこと
だってある。その事を教職の先輩や同僚と話す事もあるけれど、けれどいつだって結論
は、仕方が無い。それだけだった。

 月曜日なんか来なきゃ良いのに。
 小学生みたいなことを考えている自分がおかしくて、それでちょっとだけ笑えた。

 三本目のビールを開けて一口飲んだ。
 今日のビールはいつもより苦かった。

***

「りゅーじ…きす、して」
 キスを強請る。唇を塞がれる。

 竜児に貫かれて、身体の内側に彼を感じながら、そのまま抱かれている。
 ベッドの上に座っている彼の腰に跨がって、一番深い部分まで繋がって、そこから湧
き上がってくる悦びに身体を震わせている。竜児が動く度に、強い刺激が背中を駆け上
がってきて快感に変わっていく。灼ける様な熱さを身体の中に感じながら、溺れる様に
あたしは喘ぐ。

 あたしの口から漏れるのは、あたしが悦んでいることを彼に伝えるための音だけ。
 あたしはそれを耳で聞いて、ああ、あたしはこんなに悦んでいるんだって知る。
 竜児を受け入れている部分がとろとろと溶けているのが分る。
 そういう音が聞こえてくる。
 そういう匂いがする。

 そんな自分が恥ずかしくて、こわくて、でも、この時間がとても愛おしい。

「だいて…りゅーじ」
 竜児はいつもの様に応えてあたしを抱き締める。
「もっと、つよく。ぎゅって、して」
 竜児の腕に力がこもってあたしの身体を抱き竦める。息が苦しくなるぐらい抱き締め
ても貰うのが好き。彼が力を込める度に、あたしの中の彼もひくひくと動く。こうやっ
て、動かないで彼を感じるのも好き。ふつふつと湧き上がってくる気持ち良さがピーク
に達すると、痙攣するみたいにあたしの身体はひくんと震える。その時に竜児も小さく
呻いたりするから、きっとあたしの中も震えているんだろう。竜児のが急に大きくなる
のかと思ったけど、そうじゃなくてあたしの中が『きゅんっ』とするんだって竜児は言
う。

 あたしはこんなふうにしてもらうのが大好きなんだけど、竜児には物足りないみたい。
「りゅーじ…きて」
 竜児はあたしをベッドに仰向けに寝かせて、あたしの中に入ってくる。浅いところを
かき回されて焦らされる。焦れったくて、でも気持ち良くて、でもやっぱり焦れったい。
「もっと…」
 喘ぎながらお願いすると、竜児は私の奥に入ってくる。一番奥を叩かれるたびに意識
が飛びそうになる。意識がいってしまわない様に、滲んだ視界で竜児を眺める。けれど、
一秒にも満たない瞬間だけれど、何度も何度も意識が途切れる。
 狭い部屋はベッドの軋む音とあたしの喘ぎ声、竜児の荒い息、繋がっている部分から
漏れる淫らな音と匂い、そんなもので満たされている。竜児の固いモノで貫かれる度に
あたしの中身はとろとろと蕩け出して、あたし達の肌を湿らせていく。

 身体の全ての感覚で、彼を感じていたい。
 彼の全部を独り占めにしていることを感じていたい。

「いいよ…きて…」
 竜児の動きが激しくなっていく。熱く蕩けたあたしの中身は竜児にぐずぐずにかき混
ぜられて、溢れ出したぬるい液体がおしりを伝っていく。
 竜児が更に深くまで入ってきて、私の中で弾ける様に震える。ああ、だめ…

 いくっ…いっ…ちゃう… … … … … … …


 そこから戻ってくるといつもあたしは竜児に抱き竦められている。
 やさしくキスしてくれる。
 やさしく丁寧に恥ずかしいところを拭いてくれる。
 優しい肌触りの布で私の身体を包んでくれる。
 優しく抱いてくれる。

 彼の胸を枕にする。微かに鼓動が聞こえる。
 
「りゅーじ」
「おぅ」いつもの声で応えてくれる。

 もうすぐ、あたし達は結婚する。
 もの凄く重い約束だと思う。その約束を守りぬきたい。
 今は竜児に手を引かれるみたいに生きてるけど…
 大変だと思うけど、重たい女だと思うけど、絶対に並んで歩ける様になるから…

「りゅーじ。大丈夫?」
「ん? ああ、どうして?」
「うん… いろいろあって大変かなって」
「そうだな。ちょっとだけ疲れてるのかもな」
「だよね…」
「でもよ、こうしてりゃ、すぐ良くなる」
 竜児はあたしの頭を撫でながらそう言った。
「そう」
 嬉しかった。あたしも同じだから。
「お前はどうなんだよ?」
「同じよ。竜児が抱いててくれれば、良くなるから。だから…」

 きすして…

***

 恋ヶ窪先生には悪い事をしました。半ば脅しのような事まで言ってしまいましたが
ビジネスの世界では良く有ることですから大目に見ていただきたいところです。きっと
恋ヶ窪先生は上手にやってくれるでしょう。二人は私の都合でこのタイミングで結婚し
なければならない、となればあれこれ言う人もいないでしょう。逢坂の隠遁の件でも脅
しを入れておきましたから首を突っ込みたいなんて物好きな教師もいないでしょう。

 それにしても、聞くに堪えない話しです。自分の子供が邪魔だなんて聞いていて反吐
が出ます。でも、それは本当の事です。私は大河を愛していますが邪魔なのです。そん
な私に「仕方ないよ」と、そう言えるくらいにあの子はもう大人です。

 私は大河と約束しました。息子にはあなたの様な思いはさせないと。

 息子の顔を見ていると安らぎます。思えば大河が赤ん坊の頃、私と陸郎は蕩ける様な
顔をして大河の寝顔を飽きもしないで眺めていたのです。それなのに、私達は大河をお
互いを傷つけるための道具にして、大河の心を深く傷つけてしまったのです。その傷の
深さが、陸郎の後妻との確執を生んだのかもしれません。
 
 随分と夜も更けてきました。

 大河は今頃、竜児君に抱かれているのでしょう。
 まだ、可愛がってもらっている最中なのかもしれません。

 軋むベッドの上で…

 ふと、若い頃、よく聞いていたラブソングを思い出しました。
 尾崎豊の I LOVE YOU …

 でも、この歌は今の二人を思うと切なすぎます。
 だから、今夜、口ずさむのは OH MY LITTLE GIRL …
 肩を寄せ合う二人の為に、
 いつまでも、離れないと誓った二人の為に。

 すっかり忘れていた歌なのにスラスラと歌詞が出てきます。

 優しい歌です。
 胸の奥がくすぐったくなる様な、そんな甘い恋の歌です。

(きすして4 おわり)

***

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