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79 きすして7(下) sage 2010/03/17(水) 23:47:57 ID:VIfzVF5c





 志望校に無事に合格した竜児と大河は数ヶ月ぶりに訪れたのんびりと流れる時間を味わ
うように日々を送っている。

 竜児は特待生に選考され、無論それを受けた。これで学費の負担はぐっと減る。在学中
に資格剥奪なんてことにならないようにしなければならないが、高校二年の頃のワイルド
な日々が再現される様な事は無いだろう。
 大河も無事合格。二人そろって同じ大学で学ぶことになった。もっとも、大河は自分が
大学に行くのは竜児をサポートするためよ、と端から言い切っていて、竜児が税理士試験
の勉強を優先できるように支援することに専念するつもりでいる。

 友人達の進路もほぼ定まった。能登は前期試験で失敗し後期試験の結果を待っていると
ころだ。なので、『ほぼ』である。
 実乃梨は志望していた体育大学に合格し、大学の女子寮で暮らすことになった。受験で
なまった身体を鍛え直す! と自主トレに励んでいる。
 奈々子は亜美と同じ大学に合格し亜美を喜ばせた。奈々子は亜美と同じ大学を受けるこ
とを隠していたからそれは結構なサプライズだったのだ。都内に部屋を借りて二人で住ん
じゃおうか、なんて言って盛り上がっている。
 祐作も第一志望にしっかりと合格を決めた。無論、超ハイレベル校である。
 麻耶は祐作と同じ大学を受験すら出来なかったが、そんなことでへこたれるハズもなく
祐作の通う大学近くの専門学校に進むことになった。そこを卒業したら働いて部屋を借り
て祐作と同棲して、二人のめくるめく愛の日々が…、というのが麻耶の野望。
 春田は家業を継ぐための職人修行で父親に罵倒される日々を過ごしている。

 皆、それぞれに選んで進んでいく。出会って、別れる。幾度も幾度も。
 その中で、出会うのだろう。

「ねぇ! 何、ぼけーっとしてんのよ?」

 一緒に生きていく相棒に。

「ん? ああ、ちょっと考え事。先生に言われたことを反芻してた」
 そう言って、竜児は傍らを歩く大河を見下ろした。

 二人は小さな教会から最寄りの駅へと歩いている。来週の土曜日に行われる卒業式のさ
らに一週間後、二人はその教会で結婚式を挙げる予定で、そのための勉強会をつい先ほど
終えたところだった。

 教会での式を望んだのは大河だった。
 彼女にもたらされた一つの出会いは、彼女にとっての奇跡だった。だから大河はそれを
もたらしたであろう存在にその奇跡のお礼として一つの誓いを届けたかった。中学までカ
トリック系の女子校に通っていた大河にとって、もっとも身近なそういう存在というのは
『天に在す我らの父』だった。だから結婚式を挙げる場所は結婚式場ではなく教会でなけ
ればならなかったのだ。
 とは言え、教会というのは本来信者同士の式以外は挙げないのである。竜児は信者では
ないし、大河も通っていた学校がカトリック系というだけでクリスチャンでは無いのだ。
そこで大河は自分達の式を挙げてくれる教会をコーディネーターに探して貰い、紹介され
たのがその教会だった。プロテスタント系の教会には勉強会への参加を条件に式を挙げて
くれるところがあるのだ。



 竜児は結婚式に関しては大河の希望を可能な限り叶えたいと思っていたし、彼女が語っ
た彼女自身の思いに竜児も共感する部分もあって、だから本物の教会で式を挙げることに
は賛成だった。
 しかしである。竜児はクリスマスにケーキを食べて、その翌週に神社で初詣をするよう
な典型的な日本人である。去年、『生まれて初めて』墓参りに行ったときはお経を聞きな
がら墓石の前で南無南無などとやっていた典型的な日本人なのである。プロテスタント=
宗教改革=マルティン・ルター、ぐらいの知識しかないのである。
 そんな具合だったから竜児は『勉強会』と言われて身構えるような気分だった。けれど、
いざ牧師先生の話を聞いてみれば、それはいたって常識的で道徳的な話であり、普通にい
い話だなぁ、などと感心することも多かったのである。

「ふーん。まあ、確かにいい話だったよね」
「思い当たるところも多かったしな」

 ふふっ、と大河は小さく笑う。

「なんだよ?」
「そりゃ、あんたが苦労しすぎだからよ」
「お前だってそうだろ」
「かもね」
 そう言って大河は半歩前に出て振り返り、

「でも、しあわせだよ」

 くすっと、そして竜児を眇める。
 その可憐さに竜児の足がぴたりと止まる。

 なんてね。寒いんだから、ほら、行くわよ。と大河は竜児の手を引いていく。

 その幸せを守っていけるだろうか。竜児は不安になることがある。
 何かで躓いたり、間違ったりもするだろう。
 圧倒的に経験が足りていないのだ。たかだか十八年しか生きていないのだから。でも、
経験の不足分を知識で補強することぐらいはできるのだ。牧師先生の話はそんな事に気付
かせてもくれたのだった。
 生きることは誰にとっても試行錯誤なのだと牧師先生は言った。ずっと昔から人は幸せ
でありたいと願い、そのためにはどう生きたらいいのかを追求し探求してきた。思想や文
学といった形で蓄積されてきた試行錯誤の成果には、自分達が上手くやっていくためのヒン
トもたくさん含まれていてるハズなのだ。無論、知っていたからと言って聖人君子のごと
く生きられるはずもないのだが、でも知っていて損はない。知らないよりはずっと良い。

 そして、竜児が抱えている一つの問題のヒントもその中にあるはずなのだ。

 ―― 父親を知らない自分が、果たして良き父になれるのか ――

 父親がどういうものなのかすらも竜児には分からない。お手本どころか反面教師もいな
いのだ。とにかく身近に大人の男が居たことが無い。祖父、清児から仕事以外にも多くの
事を学ぶことになるだろう。そのための同居でもあるのだ。



「ねぇ、竜児。ゴハンどうする?」
「こんな時間だしな。食ってくか。何がいい?」
「お好み焼き! やっちゃんのところで」
「おぅ、いいんじゃねぇか」

 昼間の日差しは春のそれだけれど、夜の冷え込みはまだ冬の名残を感じさせる。
 二人はコートのポケットの中で抱き合うように手をつなぎ、青白い街灯に照らされた路
地を歩いて行く。

***

 三月中旬の土曜日。大橋高校の卒業式は無事に終了した。
 卒業生代表、北村祐作の答辞は見事なぐらいにその場のニーズにがっちりと嵌っていて、
巣立っていく若者のすがすがしさに満ちあふれている感じだった。さすがに元生徒会長、
大勢の前で話すのも手慣れたものだった。

 すでに全てのクラスが最後のホームルームを終えて、春の麗らかな日差しが照らす校庭
はいくつもの語り合う姿や別れを惜しむ姿で埋め尽くされている。

 祐作は昇降口を降りたところで下級生の女子数人に囲まれているところだった。その様
子を麻耶は少し離れたところから少しだけ不機嫌そうに眺めていて、その傍らには奈々子
が立っている。
 亜美は男女問わず十数名の下級生に取り囲まれて、プレゼントだの花束だのを渡されて
は笑顔を振りまいている。
 同じ規模の取り巻きを作っていたのは実乃梨。ソフト部の後輩たちから花束と寄せ書き
されたバットを渡されて目を潤ませている。

 竜児は人気のない教室の窓からその様子を見下ろしている。
「竜児。お待たせ」
 教室の出入り口から大河が声をかけた。
「おぅ。行くか」
 二人は教室を出て廊下を歩く。
「卒業しちゃったね」
「だな。無事に卒業できて良かったよ。卒業証書、どうだった?」
「うん、ちゃんと出来てた。高須になってる」
 卒業証書授与で担任教師・恋ヶ窪ゆりが呼んだ名前は『逢坂大河』だった。隠蔽は最後
の最後まで徹底して行われたのだ。
「今日、みんなに、言うんだよね」
 微かに不安を感じさせる声で大河は言った。
「ああ、みんなにきっちり報告する」竜児は静かに言った。
 きっちりと報告して四ヶ月も抱え続けた秘密を終わりにするのだ。

 二人は昇降口から校庭へと出て行った。気付いた奈々子が二人に駆け寄り声をかける。
「高須君、大河」
「おぅ、香椎」
「とうとう卒業しちゃったわね」
「だな」


「二人ともお疲れ様。無事に隠し通せたわね」
 奈々子は二人に微笑んだ。
「奈々子もね。ホント、助かったわよ」
 大河は小さくため息をついて微笑んだ。二人は結婚していることを隠し通し、ついに今
日までそれは露見しなかったのだ。亜美と奈々子には知られてしまったが、その二人も秘
密を守り通した。

「たーいがー」
 後輩に囲まれている実乃梨がぴょんぴょんと飛び跳ねながら手を振っている。
「みのりーん」
 応えて大河も手を振る。

 下級生達に取り囲まれていた祐作も竜児達に気付いて駆け寄っていく。
「高須。逢坂」
「よ、北村。大人気だな」竜児は片手を挙げて挨拶。
「冷やかすなよ」
「北村君。答辞、かっこよかったよ」
「ありがとう。逢坂」祐作は爽やかに微笑んだ。

「き、北村先輩。高須先輩」
 眼鏡をかけた一年の女子生徒が二人に駆け寄って声をかけた。眼差しは真剣そのもの。
「ん?」「へ?」
「竜児になんか用?」大河は後輩女子を睨み付ける。
「あ、あ、逢坂先輩。そ、そ、そ、その…」
「大河、何やってんだよ。無駄にビビらせてんじゃねぇよ」
「ふーんだ」ぶん、と音がしそうな勢いでそっぽを向く。
「あ、あの。お二人と写真を撮らせてもらっていいですか?」
「俺たちと?」
「ああ、かまわないぞ。なあ、高須」
 やっぱり祐作はさわやかだった。にこやかに勝手に快諾してしまう。
「まあ、写真ぐらいならいいわよ」
 口を尖らせてぶつぶつと大河は言った。
「なんでお前が答える」
「いいじゃない。ちゃっちゃとリクエストに応えてあげなさい」
「あ、ありがとうございます。逢坂先輩」と言って大きくお辞儀。
 眼鏡っ子は友人に携帯電話を渡して祐作と竜児の間に立った。祐作はにこやかに、竜児
はちょっと力の抜けた表情で頬を染めた後輩と一緒に写真に収まった。

「ふふっ、優しいのね。逢坂先輩」
 奈々子は冷やかし気味に言った。
「ふん。それにしても竜児と写真が撮りたいなんて変わった趣味ね」
「あんたに言われたくないんじゃね?」
 両腕にたくさんの花束を抱えた亜美が言った。
「だよね。彼女にそんなこと言われたら高須君傷つくよ〜」
 亜美の隣には亜美が抱えきれなくなった花束を抱えている麻耶がいた。
「ねぇねぇ、自分のダンナがモテちゃうとヒヤヒヤする? それとも嬉しい?」
 意地悪そうに亜美が言う。
「う、うっさいわねっ」
 そう言ってまたそっぽを向いた大河の頬はちょっと赤い。



 二回、三回と一年生が握りしめた携帯電話から電子音が響いた。眼鏡女子は同級生から
携帯電話を受け取って撮影された写真を眺めると満足した様子で祐作と竜児に礼を言って
深々とお辞儀をして去っていった。

「さてと、いつものメンツになったね」と亜美。
 竜児の隣には大河。祐作の隣には麻耶。亜美と奈々子。そして、
「櫛枝みのりーぬ、ただいま見参ッ!」
 取り巻きの後輩に荷物を預けて実乃梨は大河に駆け寄りガシッと抱き合う。
「いたいた。高っちゃ〜ん」
「待てよ、春田」
 春田と能登もドタバタと駆けつける。

「よっしゃぁ、記念撮影だぁ」実乃梨が叫ぶ。
「だあね」と亜美。
「みのりん、あたしカメラ持ってきたんだ」
 大河はポケットから薄型のコンパクトデジカメを取り出した。
「おおっとぉ、ナイスだよ大河。うぉーい、部長」
「はいっ!」
 ソフト部の現部長が実乃梨に駆け寄った。
「撮影よろしく!」
 実乃梨は大河から受け取ったデジカメを後輩に渡した。
「了解しましたぁ」
 
「はいはい、整列整列」
 当たり前の様に亜美はセンターポジションを確保。
 亜美の右に麻耶、祐作、春田、能登が並び、亜美の左には奈々子、竜児、大河、実乃梨
が並んだ。後輩部長はカメラを構えて液晶画面をにらみながら前後に小刻みに移動しなが
ら構図を決めた。
「は〜い。撮りますよ〜。イチ、ニー、サン…」
 一同、それぞれにいい顔を作ったのだが、
「ダーッ!」
 実乃梨だけ拳を振り上げてダーのポーズ。実乃梨以外は全員吹き出してしまい、
『カシャッ』
 変顔で写った。
「みのりん、なんなのよ。今のかけ声」
「えー。ソフト部じゃこれがフツーなんだけど」
「全然、普通じゃないって」
「とにかく、『ダー』は無しでもう一回だ」
 竜児がそう言うと一同はもう一度ポーズと表情を整えた。
「じゃあ、しょうがないから『ダー』無しでもっかい頼むよ」
「了解です! 先輩。 撮りますよ。イチ、ニー、サン…」

 疑似シャッター音が響き画像がメモリーに書き込まれる。

「もう一枚、お願い。今度は『ダー』有りで」と実乃梨。
「アイアイ。 もう一枚いきま〜す。イチ、ニー、サン…」
 全員で拳を振り上げて、「ダーッ!」

『カシャッ』



「ねえ、女子だけで撮らない?」
「ナイス、あーみん。じゃあさ、卒業証書広げて撮ろうよ」
 いいねいいね、と言いながら筒から証書を出して各々広げる。
「大河、どうしたの?」実乃梨が聞いた。
「え、うん…」
 大河の手だけが止まっていた。じっと竜児の顔を見る。
 竜児が小さく頷くと大河は紙筒から証書を取り出して広げた。
「部長、カメラバック。高須君、撮影よろしく」
 実乃梨は部長からカメラを受け取り竜児に渡した。

「じゃあ、撮るぞ」
 竜児はデジカメのディスプレイを見ながら構図を決めた。
「はい、ポーズ、と」 
『カシャ』
 竜児は撮影された写真を表示して、
「うん、いいんじゃねぇか」
「どれどれ」言いながら実乃梨は竜児が手にしているデジカメの画面をのぞき込む。
「いいねいいね。そうだ。高須君も撮ってあげるYO」
 そう言うなり実乃梨はデジカメをひょいと取り上げて竜児の背中を押した。
「大河とツーショットね」
「ありがとよ」
 竜児は肩にかけたバッグから筒を取り出して祐作にバッグを預けた。
 筒から卒業証書を取り出して広げて大河の隣に立った。

「撮るよー。イッチ…」
「ダーはいらねぇよ」
「あ、そうだったね。撮るよー。せーの」
 シャッター音がして並んで立つ二人の姿がメモリーに書き込まれた。
「ん?」、とカメラを下ろした実乃梨が声を上げる。
「んんんん?」
 実乃梨は大河の持っている証書を凝視する。引き寄せられるように大河の近くへ。
「みのりん…」
「な、な、なんじゃああ。こりゃああ」
 実乃梨はいきなり大声を上げて卒業証書と大河の顔を交互に見た。
「た、た、た、たか…ふ…ぃが」
 亜美は背後から実乃梨の口を塞いで、
「実乃梨ちゃん。ここじゃちょっとマズイのよね」と耳元で囁いた。
 実乃梨は素早く身をよじって振り返り亜美を睨み付けた。
「あーみんっ!」
「だーかーらー、待ってって言ってるでしょ。ちゃんと高須君が説明してくれるだろうか
らさ。そうなんでしょ?」
 亜美にそう言われた実乃梨は振り返って竜児を見た。竜児は落ち着いた表情で小さく頷
き、「ああ、川嶋の言う通りだ。けど、場所を変えていいか」と静かに言った。

***



 一行がやってきたのは駅前の喫茶店だった。そこは竜児と大河が陸郎と対峙した場所で
あり、亜美と奈々子が二人の結婚を知ってしまった場所でもある。一同が陣取った店の奥
にある大きなテーブルにはすでに人数分の水とブレンドコーヒーが置かれている。話の腰
を折られるを嫌った実乃梨が全員分のコーヒーを有無を言わさずオーダーしてしまったの
だ。

「大河。卒業証書、もう一回見せて」実乃梨が言った。
「うん」
 大河は紙筒から証書を取り出してテーブルの上に広げた。
 卒業証書に書かれている名前は『高須大河』だった。

「どういうこと?」実乃梨が言った。
「まんま、そういうことだよ。結婚したんだ」
 竜児は静かに言った。竜児の横で大河が小さく頷いた。
「高須、いつの間に…」
 祐作がそう聞くと、
「去年の十一月」
 竜児は落ち着いた声で答えた。
「十一月って、もう四ヶ月も前じゃん。二人とも、どうしてこんな大事なこと、言ってく
れなかったんだよ」
 実乃梨は泣きそうな顔で大河に言った。大河は俯いて静かに「ごめんね」と呟いた。
「櫛枝。すまない。こればっかりは仕方なかったんだ。騒ぎにならないように完璧に隠し
とかなきゃならなかった」
 竜児は実乃梨の目を見ながら言った。
「だよね」と亜美は静かに言った。 
「だってさ、考えてみなよ。高校生だよ。結婚したなんて知れたら大騒ぎになるって」
「そりゃそうだけどさ。あーみんはなんで知ってるのさ?」
 実乃梨は不満げに亜美の顔を見る。
「事故だよ。川嶋と香椎にはばれちまった。俺が黙っといてくれるように頼んだんだよ」
 竜児は言った。そのまま言葉を続ける。
「俺たちだけならともかく、先生にまで迷惑がかかっちまうからな。とにかく、騒動にな
ることだけは避けなきゃならなかった」
「なるほどな」と祐作は頷いた。
「そりゃ、理屈はわかるよ。わかるけどさ…」
 実乃梨は絞り出すように言った。
「ごめんね。みのりん」
「すまねぇな。大事な時期だったから気を遣わせたくなかったんだ。それに本当にバレち
まったときに、やっぱり気まずくなるだろ。それもイヤだったんだ」
「水くさいよ。二人とも」
「実乃梨ちゃん。気持ちはわかるけどさ、二人だってみんなの事も考えて秘密にしてたん
だからさ。それに、あたしだってみんなには言わなかったんだから」
 亜美に言われて、実乃梨はため息をついた。
「櫛枝。もういいじゃないか」
 祐作は実乃梨にそう言ってから竜児と大河に、
「今更かもしれないけど、おめでとう」と言って微笑んだ。

「おぅ。ありがとな」
「ありがとう、北村君」
 二人は照れくさそうに礼を言った。



「そうだね。ごめん、大河。先に『おめでとう』だったね」
 実乃梨はそう言って微笑んだ。
「ありがと、みのりん」
「でも、ホントにビックリしたよ。卒業証書、高須大河、だもん。そりゃ驚くって」
 実乃梨はテーブルの上の卒業証書を眺めながら言った。
「卒業証書に本当の名前が入ってるってことは学校には届け出てはいたんだな」
 祐作は竜児の顔を見て言った。
「ああ、けど知らない先生の方が多いんじゃねぇかな。そこは恋ヶ窪先生がすごく上手く
やってくれてさ。これ、もういいよな?」
 竜児は大河の卒業証書を丁寧に丸めて紙筒にしまった。
「ひょっとして学生証も?」
 麻耶が聞くと大河は小さく頷き、ポケットから生徒手帳を出して開いて見せた。
「新品じゃん。ホントに名前変わってるし」
「そりゃそうよ」
 言いながら手帳をポケットにしまい込んだ。
「しっかし、すげーな。結婚してたなんて」
 能登は呆気にとられた様な表情で言った。
「でもさ〜、高っちゃん、なんで急に結婚しちゃったの〜。ひょっとして、にんし…」

「バルス!!」

 実乃梨の目つぶしがぶっすりと春田に炸裂。春田は目を押さえて「目が〜、目が〜」と
もがき苦しむ。そんな春田を一同放置。
「そんなんじゃないわよ」
「じゃあ、どうして?」
 実乃梨が尋ねた。
「まあ、ちょっといろいろあってだな…」
 竜児は口ごもる。亜美や奈々子の時は洗いざらい言ってしまった方が良いと思ったのだ。
だからこそ全てを話した。秘密を共有するためにはそれがフェアだと思ったから。でも、
今は違う。結婚している事実だけを明かせばそれでいい。なぜ、そうしなければならなかっ
たのかを語る必要も、それを大河に聞かせてしまう必要も無い。
「高須君、それじゃ全然わかんないよ。いろいろって何?」
 実乃梨は不満そうに言う。
「いいでしょ。高須君が言いたくないんだから詮索するべきじゃないわ」
 奈々子は実乃梨を睨み付けるように言った。そういう詮索が不愉快だということを奈々
子は知っている。そんな奈々子の様子を見て、亜美も口を開く。
「実乃梨ちゃん、あたしも奈々子に賛成。高須君と大河は結婚するっていう結論を出したん
だからそれでいいじゃん」
「けどさ〜」
 実乃梨は納得できない。
「みのりん。私さ、ずっと竜児と一緒にいたいんだ。だからだよ。それだけ」
 大河は囁くように言った。
「大河……」
 実乃梨は照れくさそうに俯いて竜児に寄り添う大河の、親友の姿を見た。
 ずっと彼と一緒にいたい。結婚にそれ以上の理由なんて存在しない。そして、そうすべ
きだったから二人はそうしただけなのだろう。そこに彼が語りたがらない状況があったの
だろうけど、それを自分が知る必要なんて無い。実乃梨はそう思った。



「…そうだね、うん、ごめんごめん。また櫛枝暴走特急が発車オーライするとこだったよ」
「みのりん。内緒にしててごめんね」
「いいって事よ。それにしても、『ずっと竜児と一緒にいたいんだ』か〜。く〜、惚気て
くれるねぇ。こいつぅ〜」
「み、み、…もうっ! からかわないでよ」
 ぼっと頬を染めて大河は俯いた。

「うっ、なんか、すっげータイガー可愛いんだけど。なに、このフィーリング。ひょっと
してこれが萌えってやつなのか?」
 能登が本音をついポロリ。
「能登君よ。そーいう事は思っても言わないもんだよ」と実乃梨。
「そーそー、何よ、萌って? おたくってオタク?」
 麻耶はジトッとした視線で能登をぷすぷすと突き刺しながら言った。
「うるせー。どーせ、俺はひとりぼっちのミスターロンリネスだよ。進路未定で先行き不
透明だよ」
「なんでそうなる」と竜児が突っ込む。確かにメンズでフリーで先行き不透明なのは能登
だけなのだが、そこはさらっと否定するのが友情ってものである。
「大丈夫だよ〜。ちゃんと合格してるって」春田がフォロー。
「そう言えば明後日だったよな。合格発表」祐作が言った。
「ああ。これでダメだったら…」
「心配するこたぁねぇよ。出来も良かったって言ってたじゃねぇか」
「そ、そうだよな」
「ま、合格してもロンリネスだけどね」
 麻耶に言われて能登はがくりと頭を垂れた。
「大丈夫よ、能登君。亜美ちゃんだってロンリネスなのよ」
「な、奈々子、あんた何言ってくれちゃってんのよ」
「そーだよ、あーみんもこの櫛枝めもロンリネス! そして奈々子様もロンリネス!」
「ちょ、実乃梨ちゃん」
「ハッ!」と実乃梨は閃いた。カッと目を見開き立ち上がる。
「女三人よればクラブ・ロンリネス。またの名を高須竜児被害者の会」
「ちょっと待ってよ。どうして私まで高須君の被害者になってるのよ!」
 奈々子は頬は赤く染めて身を乗り出す。
「まあまあ、奈々子。この際だから一緒にどう?」
 亜美はそう言ってにやぁっと笑った。
「こ、この際って、意味分かんないわよ!」
 ロングヘアからわずかにのぞく奈々子の耳は真っ赤だった。
「おい、コラ。勝手に盛り上がってんじゃねぇよ。大体、被害者の会ってなんだよ?」
 竜児は腕組みをして頬をひくつかせながら実乃梨を睨む。 
 大河も腕組みをして頬をひくつかせながら実乃梨を睨む。 
「お、おおっとぉ、またやっちまいましたよ」
 いかん、いかんと額を叩きながら実乃梨はおずおずと腰を下ろした。

「ったく、脱線しすぎだろーが。肝心な事を忘れちまうとこだったぞ」
 そう言って竜児は軽く咳払い。
「えー、去年の十一月一日に大河と結婚しました。報告するのが遅くなっちまってホント
すまなかった」
「ずっと隠しててごめんなさい。入籍して竜児のお嫁さんに、高須大河になりました」
 大河は顔を赤く染めて小声で言った。



 そして一同小さく拍手。大河は照れくさそうに顔をほころばせた。

「それと、もう一つ報告があって…」
 竜児は鞄から二つ折りにしたカードの束を取り出して配った。
「結婚式を挙げるんだ。なんにももてなすことは出来ないけど、できたらみんなには来て
欲しい。それとカードにも書いといたけど、ご祝儀とかそう言うのは禁止な」

「普通の教会?」
 カードを見た亜美は不思議そうに言った。
「あら、結婚式場とかじゃないのね」
「うん。普通の教会なんだ」と大河は答えた。
「ひょっとしてジミ婚ってやつ?」と能登。 
「質素と言え、質素と」
「え〜、せっかくなんだからさ〜パァーッと…」
 脳天気に言いかけた春田に、
「いくらかかると思ってるんだよ」と竜児。

「北村。俺、結婚式って行ったこと無いんだけど、何着てけばいいんだ?」
 能登は不安げな表情で祐作に話しかけた。
「普通は礼服かスーツだな」祐作は平然と答えた。
「そんなのもってねーよ」
「俺ももってね〜よ」
「俺も自分じゃ持ってないけどな。兄貴のスーツを借りようかな」と祐作。
「いや、着るもんなんて拘んなくて良いぞ。来てくれるだけで大歓迎だ」
「そうは言ってもなぁ」
 能登はさえない表情で言った。
 
「奈々子はどうするの?」と麻耶は言った。
「え? 私だってよく分からないわよ。お母さんに聞いてみたら? 礼服も借りられるん
じゃない」
「そっか。その手があったね」
「私も麻耶のお母さんに相談に乗ってもらおうかしら。お父さんに聞いてもイマイチ参考
にならないだろうし。亜美ちゃんはどうするの?」
「あたし? うーん、みんなとあんまり違っても困るし。黒のワンピにボレロとか、そん
な感じかな」
 亜美は上目遣いでクローゼットの中身を思い出しながら頭の中でコーディネートを検討
する。アクセサリーや靴、バッグも脳内でシミュレーション。
「ねぇ、大河。あんたは当然ウェディングドレスだよね?」
「うん」と頷いて亜美に答える。
「じゃあ問題なし。何を着ていってもあんたより目立っちゃう事は無いもんね」
「ウェディングドレスかぁ。ねぇ、どんな感じなの?」
 身を乗り出して麻耶は言った。
「どんなって言ってもねぇ…。一言で言えば…」
「うんうん」
「ゴージャス!」ほぼ平らな胸をぐんと反らして大河は言った。
「…」←麻耶。「…」←奈々子。「…」←亜美。
「あんた、それじゃ全然わかんないって」
「まあ、いいでしょ。当日のお楽しみって事で」
「ふふっ、それもそうね」奈々子は微笑み、亜美と麻耶は肩をすくめた。


 盛り上がる三人組とは対照的に、
「ふふっ…ふっふっふっ…」実乃梨は引き攣った笑いを浮かべている。
「み、みのりん?」
「あたしなんざ、着ていけそーな服をひとっつも持ってねーっすよ」
 実乃梨は能登以上にさえない表情で言った。
「実乃梨ちゃん、どうせ必要になるんだから一着ぐらい買っておきなよ」
 亜美は呆れ気味に言った。
「あーみんっ! いやっ、川嶋大先生!」
 いきなり呼ばれて亜美の肩がビクッとはねた。
「な、何よ? いきなり」
 実乃梨は縋るような目で亜美を見た。
「買い物付き合って。何をどうすりゃいいのかあたしにゃ見当もつかないよ」
「わかったわかった。明日でも良い? だったら付き合えるけど」
「あー、私も行く」と麻耶。
「亜美ちゃんに見立ててもらえるなんて贅沢の極みだもん」
「そうね、私も一緒に行こうかしら」と奈々子。
「はいはい、もう、まとめて面倒見ちゃうから」
 ヤケ気味に亜美は言った。

 それからあれこれと話は盛り上がり、一同が解散したのは一時間半も後の事だった。
 翌々日、能登は無事に合格し、『行き先未定のロンリネス』から『唯のロンリネス』に
クラスチェンジした。 

***

 三月下旬の日曜日。
 住宅街にひっそりと佇む小さな協会は春の柔らかな日差しに照らされていた。敷地には
協会と幼稚園、それに牧師先生の住居が建てられていて、残りのスペースは二十メートル
四方ほどの小さな運動場になっている。
 協会の建物はまったく質素なもので、外観に装飾の類はほとんど無く、こげ茶の屋根の
上に控えめに掲げられた白い十字架と、両開きの大きな扉の上に設けられた小さな丸窓に
はめ込まれたステンドグラスだけがこの建物の協会らしい部分だった。
 その建物のあまりの平凡さ加減に、祐作をはじめ式に参列するためにやってきた友人達
は思い切り拍子抜けさせられてしまったのだが、そんな外観に似合わず、八十人ほどが入
れる礼拝堂の内部は質素でありながらも厳かなのだった。
 高い天井と飴色にしっとりと光る木張りの床、ずっしりとした重さを感じさせる長いす、
簡素な祭壇の奥に掲げられた十字架、そういった全てが、此処が敬虔なる学びと祈りと反
省のための場であることを参列者達に無言で告げ、これから行われるのが賑やかなパーティ
などではなく、静かで清らかな祈りの儀式であることを彼らに認識させた。

 開始時刻の五分前。式次第の最終確認を済ませたモーニングコート姿の竜児は牧師先生
と共に礼拝堂に入り祭壇の前に立った。その表情は硬かったが強ばるほどでない。礼拝堂
にいるのはほんの十人ほどの友人たちと数人の親族ぐらいのものである。緊張はするけれ
どテンパるほどの状況ではない。

「竜ちゃん」新郎側の最前列に座っている泰子が小声で話しかけた。
「ん? おぅ」
「リラックス、リラックス」と、顔を強ばらせて泰子は言った。強ばっているのに笑おう
とするものだから顔面がちょっと妙なことになっている。
「くっ…、お、おぅ」吹き出しそうになりながら竜児は応えた。おかげで緊張はどこかに
飛んでいった。



「竜児君」今度は新婦側の最前列に座っている大河の母が声をかけた。
「はい?」
「大河の様子はどう?」
「大河は、まあ、緊張してましたけど大丈夫だと思います」
「あの人は?」
「ガッチガチでした…」
「やっぱりね。まあ、でも大丈夫でしょう。彼、本番には強いのよね」
 そう言って微笑んだ。

 礼拝堂の扉が小さく開いて黒いスーツ姿の女性が姿を見せた。彼女は大河の母が竜児に
紹介したブライダルコーディネーターで、この式の仕切りも全て彼女が担当してくれる事
になっている。彼女は牧師先生にお辞儀をして再び礼拝堂の外に出た。それは花嫁の準備
が整った合図だった。

「では、始めましょう」
 牧師先生は小さな声で竜児に言った。竜児は小さく頷き、それに応える。

 牧師先生は参列者の方を向いて、
「只今より、高須竜児、逢坂大河、両名の結婚式を執り行います」
 朗々とした声を礼拝堂に響かせた。

「まず最初に、この婚姻に異議のある者はこの場で申し立てなさい」

 沈黙が流れる。
 この場に二人の婚姻に異議を唱える者など存在しない。

「意義無きものと認めます。では、ご起立ください」

 牧師の声が礼拝堂に響き、それに続いて礼拝堂の両開きの扉が開かれた。参列者全員が
立ち上がるのを待ち、牧師先生はオルガンの前に座っている礼服姿の女性に目で合図した。
 年季の入ったオルガンの素朴で優しい音色で行進曲が奏でられる中、礼拝堂に差し込む
春の日差しに二つのシルエットが浮かぶ。小柄なドレス姿は大河。その隣に立つ男性は大
河の母親の再婚相手だ。叶わなかったけれど、彼は大河の家族になろうと本気で考えてく
れたのだ。だから大河は彼に父親役をお願いし、彼もそれを快諾したのだ。

 二人は静かに礼拝堂の中央通路に造られた純白の道をゆっくりと歩く。

 シルクオーガンジーで仕立てられた純白のドレス。
 繊細なレースで飾られた上身頃。
 柔らかに透ける生地を幾重にも重ねて仕立てられたふわっとしたスカート。
 華奢な肩と細い腕を包むのは気品を漂わせるオーガンジーとレースのボレロ。
 綺麗に整えられた粟栗色の髪とそれを飾る白い花のコサージュ。 
 長い睫。伏目がちに足元に落とした視線。
 滑らかなミルク色の肌と桜色に染まる頬。
 濡れているかのように輝くローズピンクの唇。
 それらを優しく包み込むロング丈のフェイスアップベール。



 その美しすぎる姿に誰もが瞬きを忘れ息をのむ。
 
 モーニングコート姿の義父にエスコートされ、大河は一歩一歩、純白の道を進んでゆく。

 二人は祭壇の近くで待つ竜児の前で立ち止まり、竜児は義父から大河の手を受け取った。
竜児と大河は並んで進み祭壇の前に立つ。オルガンの演奏が終わり、ドアが閉じられると
礼拝堂は再び静寂に包まれた。 

「お手元の冊子をお開きください。賛美歌三百十二番 いつくしみ深き」

 オルガンが奏でられる。讃美歌三百十二番は賛美歌の中でも特に有名なものだ。それこ
そ教会に一度も行ったことがない人でも一度や二度は耳にしたことがあるだろう。それぐ
らいポピュラーな歌である。

 オルガンの傍に立つ礼服姿の三人の女性が歌をリードする。

『いつくしみ深き 友なるイェスは
 つみとが憂いを とりさりたもう…』

 祐作を筆頭とする男子チームは表情を堅くしていたが最初のフレーズを聞いて『ああ、
これか』という表情に変わり戸惑いながらも歌い出す。事前に情報をチェックしていた亜
美、麻耶、奈々子は綺麗な歌声を響かせている。実乃梨の歌は微妙にコブシがまわって演
歌調になっているがそれも味だ。

『…祈りにこたえて 労りたまわん』

 歌が終わり、オルガンの伴奏も終わった。

「ご着席ください」
 牧師先生の良く通る声が礼拝堂に響き、参列者達は長椅子に腰を下ろした。
 牧師先生は聖書を開き、その中の一節を朗読する。

「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。
 愛はたかぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、
 いらだたない、恨みを抱かない。
 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
 そして、全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てを耐える。
 愛はいつまでも絶えることがない…

 …このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。
 このうちで最も大いなるものは、愛である」

「祈りなさい」

 竜児は目を閉じ、静かに祈った。
 大河は目を閉じ、静かに祈った。
 皆、目を閉じ二人のために祈った。



「夫たる者よ。あなた方も同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、知識
に従って妻と共に住み、いのちの恵みを共々に受け継ぐ者として尊びなさい…」

 牧師先生は聖書の言葉を引用しながら竜児に夫としての生き方を説く。妻が自分よりも
繊細な存在であることを忘れずに思いやりの心を持ち続けなさいと。物理的な力では無く、
知の力をもって家族を導いて行きなさいと。

「妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば、たとえ御言葉に従わない夫であっても、妻
のうやうやしく清い行いを見て、その妻の無言の行いによって救いに入れられるようにな
るであろう…」

 同じように牧師先生は大河に妻としての生き方を説く。夫を立てて子供達に父親を敬う
ことを教えなさいと。夫に夫としての自覚を持たせるのも妻の役割なのですよと。
 妻たる者よ、と語りかけながら、それは自分に対しても送られているメッセージなのだ
と竜児は思う。大河に慕われ、愛され、立ててもらえる男になれと、ならなければならな
いと、そういうメッセージなのだろうと竜児は思う。

 夫婦は一体である。『一対』ではなく『一体』なのだと牧師先生は説く。

 大河は思う。
 将来授かるだろう自分たちの子供から見れば、自分たちは、自分と竜児は一体でなけれ
ばならないのだと。子供から見れば、自分たちは一つの揺りかごなのだから、そこには、
いつでも暖かな優しさが溢れていて、安らかに身も心も預けられる場所でなければならな
いはずだ。

 けれど…

 けれど二人は知っている。

 それが難しいことなのだと知っている。容易い事では無いと知っている。
 生きていくという事がきれい事では無いことを知っている。
 幸せが儚い物だと知っている。
 大河の揺りかごは壊れてしまったから。
 竜児の揺りかごは最初から歪だったから。

 でも、だからこそ、自分と竜児は出会えたのだと大河は思う。

 互いに心の深い部分に傷を抱えているからこそ、いたからこそ、自分達は愛し合うこと
ができるのだ。幸せの脆さや儚さをその身に心に刻み付けて生きてきたからこそ、いまこ
こにある幸いの大切さが分かるのだ。

 だから…
 私はこの幸せを守りたい。
 彼と共に生きる喜びを手放さない。
 尽きることなく彼から愛されたい。
 それ以上に、命の限り彼を愛したい。
 果てることなく尽きることなく愛したい。愛し続けたい。



 そしていつか、その時が来たら、
 彼と共に新たな命の健やかなる揺りかごとなりたい。
 大河は静かにそう願った。

「宣誓を行います」

「汝高須竜児は、この女、逢坂大河を妻とし、
 良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、
 共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、
 愛を誓い、妻を想い、妻のみに添うことを、
 神聖なる婚姻の契約のもとに誓いますか」

 竜児は小さく息を吸い、顔を上げた。
「誓います」
 朗々とした声で誓いを立てた。
 その声は大河の心に春の日差しのように降り注ぎ、彼女の胸を暖かさで満たしていく。

「汝逢坂大河は、この男、高須竜児を夫とし、
 良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、
 共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、
 愛を誓い、夫を想い、夫のみに添うことを、
 神聖なる婚姻の契約のもとに誓いますか」

 大河はすっと顔を上げた。
「誓います」
 凛とした澄んだ声で誓いを立てた。
 その声は竜児の心に春の風のように吹き渡り、彼の胸を生きる勇気で満たしていく。

「指輪をこちらへ」

 牧師先生が言うと黒いスーツ姿の女性が小さな箱を持って竜児に歩み寄った。女性は箱
を開けて竜児に差し出し、竜児は箱から小さなホワイトゴールドの指輪を取り出した。

 大河は両手を包むグローブを外して女性に預け、小さくて柔らかい左手をゆっくりと竜
児の前に差し出した。竜児はその手を左手でかるく支えるようにして握り、ゆっくりと指
輪を大河の薬指にはめた。竜児が手を離すと、大河は自分の左手を愛おしそうに眺めて手
を下ろした。
 大河は差し出された小箱から指輪を取り出した。竜児が左手を大河の前に差し出すと、
大河は竜児のすこしごつごつとした手を取って肌荒れがちょっと気になる無骨な指にシン
プルな指環をはめた。

 スーツ姿の女性は大河にグローブを返し静かに下がっていった。
 二人は再び正面を向いて並んだ。

「祈りを捧げなさい」



 牧師先生が差し出す聖書に竜児は左手を、大河は右手を置き、目を閉じて静かに祈った。
 死に分かたれるまで寄り添い共に生きたいと。

「結構」
 
 大河は再びグローブをつけた。

「ベールを」と牧師先生は小声で言った。

 二人は向き合いベール越しに見つめ合った。
 それから竜児は半歩前に出て大河に歩み寄り、丁寧にベールを持ち上げて大河の顔を露
わにした。白い小さな顔。大きな瞳は僅かに潤んで竜児を見つめ、微かに開いている濡れ
ているように光る唇から白磁の様な歯が覗く。あまりに大河が美しすぎて竜児は一瞬自分
が何をしなければならないのか忘れかけたが、なんとか踏みとどまって掌を上に向けて両
手を大河の前に差し出した。
 大河は少しだけ上を向いて竜児を見つめ、彼の手のひらに自分の手を載せた。竜児はグ
ローブに包まれた彼女の華奢な手を優しく握った。

 竜児は牧師先生の宣言を待った。が、牧師先生は大河を見ていた。ちょっと微妙な表情
で彼女を見ていた。竜児には牧師先生がどうしてそんな表情をしているのか、なんてこと
はとっくに分かっていた。
 大河は目を瞑って顎を持ち上げて、明らかにそれを待っていた。打ち合わせでは、この
教会での結婚式の一般的な作法に従って、花嫁のベールを上げて互いの手を握り、牧師先
生の宣言を受けて式は終了、となるハズだったのだ。ところがだ、大河は可愛らしい顔を
くいと竜児の方に持ち上げて、あきらかに、誰がどう見たってキスを待っている様にしか
見えないのだ。無論、竜児から見たってそういうふうにしか見えないし、牧師先生から見
たってそうなのだ。

 どういうつもりだよ? 竜児は心で呟く。 
 いや、つもりはわかってる。そして牧師先生からも、まあ、君に任せるよ的な視線を送
られてしまっている。そしてお集まりの皆さんはフツーするもんだと思ってる。

 まったく… なんでおまえはいっつも唐突なんだよ。

 本当に、全く、いつでも、最初っからそうだった。いきなり現れて俺の生活を滅茶苦茶
にかき回した。あれはまるで侵略だ。そう、
 
 風の様に現れて、
 火のように侵略し、
 山のように俺の心のど真ん中にどっかりと居座った。
 林の如き静けさだけは無かったけどな。

 そうやって、あっという間に、それに俺が気がつかないくらいにあっという間に、大河
は俺にとって一番大切な女になっていた。理由はいくらでもあるのだろう。

 生まれることで母親の人生を壊し、母親の両親の幸せを壊し、
 ツラの凶悪さで恐れられて疎まれて、
 親の仕事を蔑まれたり、
 けれど、全ては大河とこんな風になるために必要な事だった。


 こんな俺だからそんなお前を受け止められる。
 そんなお前だからこんな俺を受け入れられる。
 だから俺たちは並んで歩いて行ける。
 ただ並び立つのではなく、並んで共に、手を携えて生きてゆける。
 こんなにも力強く、それこそが真理だと、
 俺たちの世界はそういうふうにできているのだと、そう信じられるほどに……


 俺はお前を愛している


 竜児は軽く膝を曲げて屈み、待ち構えている可愛らしい小さな唇に、自分の唇を軽く触
れあわせた。やわらかな感触。体温。甘い香り。ほんの三秒間だけ。竜児が顔を上げると
大河の目尻から小さな粒がこぼれて頬を伝った。

 大河はゆっくりと瞼を開けて、静かに優しく微笑んだ。竜児も精一杯の微笑みでそれに
応えた。互いに小さく頷いて、二人は牧師先生の顔を見た。

 牧師先生は小声で「お幸せに。今の気持ちを忘れてはいけないよ」と二人に言った。
 二人は頷いて、そのさりげない祝福に応えた。

「二人は神と会衆との前において夫婦となる誓約をいたしました」

 朗々とした宣言が礼拝堂に響く。

「全員、ご起立ください。賛美歌四百三十番、妹背を契る」

***

 礼拝堂の外、両開きのドアの脇に竜児と大河は並んで立ち、大河の隣に母親と彼女の夫、
竜児の隣に泰子が並んで立った。
 ドアが再度開かれて参列者が順番に出てくる。と言っても数えるほどの人数だ。親戚は
清児と園子ぐらいのもので、後は友人達と功労者である恋ヶ窪ゆり、他数名ぐらいのもの
だった。

「だぁいぐぁぁ…」
 最初に出てきた実乃梨はもう壮絶にボロ泣きだった。ひしと大河の手を握り、「よかっ
たよ〜、よかったよ〜」とポロポロと涙をこぼしながら何度も頷いた。
「うん、ありがと、ありがとね。みのりん」
「櫛枝、大丈夫か?」
「だ、だいじょーぶ。モーレツに感動しただけだから。高須君も格好良かったよ」
「お、おぅ、ありがとよ」
「大河のこと、よろしく頼むよ! じゃあ、後でね」
 今日のために新調したダークグレーのスーツに身を包んだ実乃梨は名残惜しそうに大河
の手を離した。


「はいはい、実乃梨ちゃん。交代交代」
 実乃梨に続いて出てきたのは亜美、奈々子、麻耶の三人。 
 黒のワンピースとボレロでシックにまとめた亜美は二人の前に立った。大きな瞳は僅か
に潤んでいる。
「おめでと。ホントにさ…」
 亜美は竜児と大河を優しく抱いて二人に囁いた。
「ホント、あんたたち最高だよ」
「川嶋…。ありがとよ」
 大河はすっと優しく亜美の背中を抱いて、
「ありがと。亜美、だいすきだよ」と。
「うん」亜美は腕をほどいて目尻を指で軽く拭い、奈々子と麻耶に場所を譲った。

「すっごく可愛かったよ。タイガー」と麻耶。
「ホント。高須君にはMOTTAINAIわね」
「へへ、ありがと。二人とも」
「本当に今日ばっかりは亜美ちゃんも形無しって感じよね」
 奈々子はそう言って微笑んだ。
「まぁ、今日ばっかりはしゃあないね。でもさ、」
 亜美はニヤッと笑みを浮かべて、

「かっわいそうな高須君。これでもう亜美ちゃんとは結婚できなくなっちゃったもんね。
これから亜美ちゃんってばもうチョー絶イイ女になっちゃうのにねぇ。ま、楽しみにしてて
ね、た〜っぷり後悔させて…」

「ア・ゲ・ル」と言いながら竜児の胸を綺麗な人差し指で突いた。

「するか!」秒殺だった。
「ちぇ、つまんねー男。やっぱ、いらねー」
 亜美がそう言うと麻耶がケラケラと笑い出して、奈々子もそれにつられて笑い出した。
「じゃ、また後でね」

 続いて出てきたのは北村、能登、春田の三人。
「高須、逢坂…じゃなかった、大河…さん。おめでとう」
「おぅ、北村。ありがとな」
「二人ともおめでとう。なんか、俺、結構感動したかも」と能登。
「だぁ、だかっぢゃ〜〜〜ん」何故か春田は泣いている。
 
 竜児と大河は村瀬、狩野さくら、親しかった同級生達から祝福をうけた。さくらは二人
とはさほど面識は無かったが、すみれの代役として祐作に誘われたのだ。

 最後に出てきたのは独神・恋ヶ窪ゆりだった。
「おめでとう。高須君、逢坂さん」
「ありがとうございます」竜児はお辞儀して言った。
「先生、本当にありがとう。それと、ごめんなさい。最後まで迷惑ばっかりかけて」
 大河はそう言って恥ずかしそうに頭を下げた。
「どういたしまして。ふふっ。きっと二人の事は一生忘れられないわね」
「恋ヶ窪先生、ほんとうにお世話になりました」
 大河の母と彼女の夫は深々と頭を下げた。
「いいえ。とんでもない。私こそ素晴らしい経験ができました」
 そう言ってゆりは微笑み、「これからも頑張ってね」と竜児と大河に言った。


 参列者達は礼拝堂を出たところにある幼稚園の運動場でのどかに歓談している。街中の
教会で結婚式を挙げているのが珍しいのか、通りすがりの人や、近所の人達が敷地の外か
ら花嫁を眺めたり指さしたりしている。

「ブーケトスは?」
 大河の母がそう言うが早いか恋ヶ窪は駆け出してベストと思われるポジションを確保し
た。両腕を広げて、『さあ、かかってこい』とでも言わんがばかりの姿勢をとる。
 恋ヶ窪の様子に気付いた奈々子が、
「あら、ブーケトス、やるのね」と言ったときには麻耶はとっくに駆け出していた。
「うっわ、麻耶、チョーマジじゃん。こわ」
 呆れ顔で亜美は言った。

「やっちゃんも!」
 大河は泰子に微笑んだ。
「え〜、やっちゃんはいいよ〜」
「行けよ。泰子だって独身だろ。ほらほら、行けって」
 竜児にぐいぐいと背中を押されて泰子は礼拝堂のポーチから運動場へ。
「ひぇ〜、はずかしいよ〜」などと言いながら恋ヶ窪の後ろに立った。
 そんな泰子にはお構いなしに、恋ヶ窪と麻耶は互いに目をあわさずにジリジリとしたポ
ジション争いを展開している。
「木原さん、お引きなさい。あなたにはまだまだ早いわ」
「そんなことありません。ぜーったい引きませんから」

 それを傍から見ていた能登は隣に立っている北村に話しかける。
「北村。木原の奴、やるき満々なんだけど…っていうか、殺気を感じるんだけど」
「うーむ。そういう予定はまったくないんだが」と、祐作はそっけなく答えた。
 能登はニヤリと笑って、
「つもりが無いってワケじゃないんだ」
「まだ付き合い始めたばっかりだぞ。そんな、結婚だなんて」
「な〜んか、木原はそうじゃないみたいだけど〜」
「結婚式を見て興奮してるんだろ」
 祐作は冷静に言いながら、でもポジション争いを繰り広げる麻耶を優しく見つめていた。
「麻耶! がんばれよ!」祐作は声を上げて手を振った。
「まかせて、祐作。ぜぇぇったい取るから」
 恋ヶ窪とドカドカと身体をぶつけ合いながら麻耶は手を振り祐作に応えた。
 小競り合いを続ける恋ヶ窪と麻耶を中心にして女性陣が集まり、
「しまっていこー」と実乃梨が両手を挙げて声を出す。

「大河、もう投げろ」
「えーっ。だって、おもしろいんだもん」
「いや、なんか殺気を感じるし。いいから投げちまえ」

 ポーチから眺める女の争いは徐々に遺憾な状態になりつつあり、大マジで麻耶と競り合
う恋ヶ窪が気の毒というか、いたたまれないと言うか、竜児はそんな気分になっていた。
 
「そ、そうね」
「よーし、いくぞ!」
 竜児が手を振って合図する。


 大河の手にはホワイトローズが可愛らしくまとめられたトスブーケ。
 レースとチュールで華やかに飾られた小振りな花束は、大河のドレス姿を思わせる。

 大河はそれを胸元まで持ち上げて、くるりと運動場に背を向けた。
 軽く瞼を閉じて、ふっと小さく息を吐く。
 そうして、ブーケがあの人の手に舞い降りるようにと願いを込める。

「ねぇ、竜児」 
「おぅ、どうした?」

 大河はゆっくりと瞼を開けて蕩けるように微笑んだ。
 二人は慈しみに溢れた眼差しで見つめ合う。
 キラキラと輝く花びらの様な唇が綻んで微かに揺れる。呟くように、囁くように…
 

『きす…して…』と。 


 大河は白いブーケをペイルブルーの空へと放り上げ、竜児の胸に飛び込んでゆく。

 降り注ぐ柔らかな日差しの下、白い花束のように、
 
 春風のように…


(おわり)




99 356FLGR ◆WE/5AamTiE sage 2010/03/17(水) 23:59:53 ID:VIfzVF5c

 以上で「きすして7」、投下完了です。これでシリーズ完結です。
 
 相変わらず物量多くてすみません。
 ここまで読んでくださった皆様、前作にレスつけてくださった皆様、
 ありがとうございました。
 おかげさまでなんとか完結させることができました。
 補完庫管理人さんにも感謝です。

※作中に「新約聖書」からの引用を含んでいます。
 聖書の解釈については登場人物達の解釈とお考えください。それなりに調べて書いてい
 ますが、まあ、それなりってことで。

このページへのコメント

今やっと読破しました。いやぁ〜本当に良い作品に巡り会えた。凄いクオリティの高さ…
僕が『とらドラ』を知ったのがアニメからで、観て面白かったので、つい先日に原作も読破しました。
それで感動し、心を揺さぶられ、『とらドラ』について色々探していて、この作品に出会う事が出来ました。
この作品は最高のアフターストーリーですね…話の構成力が凄く秀逸です。
『とらドラ』の原作を見て、高校3年の竜児や大河はどうなるんだろうと思っていた矢先に、この作品を拝見したので、まるで『とらドラ』11巻、12巻を読んでいるような、錯覚に陥りました。
それくらい、原作に忠実に書かれていたと思います。
多分これを書いた作者の方も、『とらドラ』を大好きなんだなぁというのが文字越しに伝わってきました。
本当に楽しかったし、感動しました。
まだ読むのが1回目なので、また読み返したいと思います。
執筆御苦労様でした。

Posted by 遠矢近刀 2011年01月18日(火) 22:40:45

執筆お疲れ様です!
何度読み返しても感動します!もう何度読み返したことか。

自分の語彙を忘れて感動したとしか言いようがありません。
これからもがんばってください。

Posted by きりぁ 2010年12月16日(木) 23:29:57

今まで読んだwikiの中で最も良かったです。
このコメントを書いているときには既に3回は読んでいます。飽きません。
また、書いてください。 感動をありがとう。

Posted by ばんたま 2010年07月21日(水) 17:59:48

心理描写が丁寧でとても良かったです。
お疲れ様でした。

Posted by 名無し 2010年03月25日(木) 19:38:00

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