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98 ウタカタ・ハナビ sage 2010/10/12(火) 02:35:19 ID:nuHe5MGy





 三百年近い歴史を誇る隅田川の花火大会は東京の夏を彩る一大イベントだ。 
 言問橋上流の第一会場と駒形橋下流の第二会場から合計二万発もの花火が打ち上げられ、
観客数は百万人とも言われている。都市部で行われる大会のため打ち上げられる花火のサ
イズは最大でも五号程度と小振りだが、打ち上げ数は圧倒的で単純に計算すれば一秒に一
発以上が常に打ち上げられている計算になるほどだ。
 そしてこの花火大会の生中継特別番組にあたしはゲストとして出演している。
 中継席は第一会場から五百メートルほど上流のビルの屋上に設けられている。花火と出
演者を同時に撮影するためには適当な距離が必要なので会場から離れた場所に中継席が設
けられているのだ。お陰で花火の全体像はよく分かるのだけれど迫力は今ひとつと言わざ
るを得ない。
 番組の司会を務めるのはベテラン時代劇俳優と女子アナだ。進行を勤める女子アナが出
演者を紹介していく。
「最後は女優の川嶋亜美さんです」
「はい、よろしくお願いします」
 あたしの衣装は勿論浴衣だ。女子アナの浴衣が白ベースに淡い柄なのと対照的にあたし
の浴衣は黒をベースに白で薄墨色で百合の花が描かれた渋い物で、それに緋色の帯を合わ
せている。
「浴衣、似合ってるねぇ」
「そうですか? ありがとうございます。いいですよね、浴衣って」
「いいねぇ。普段も可愛いけど、浴衣だと色っぽくて大人の女って感じだねぇ」
 もう一人のベテラン男優が言った。台本通りの展開だ。
「えーっ、それって普段は子供っぽいって事ですかぁ? 傷つくなぁ」
「いやいや、そんなことないって。まいちゃうなぁ。助けてよ」
 ベテラン俳優は司会の時代劇俳優に話題を振る。
 プロフェッショナル達によって生放送はそつなく進行していく。

「それでは第二会場を呼んでみましょう……」
 モニターからあたし達の姿が消えて第二会場の画に切り替わった。ほっとする。やり直
しがきかない生中継はやはり緊張する。
「次、三分後です」
 スタッフが次の中継入りまでの時間を伝えてくる。
 あたしは後ろを振り返り花火の様子を眺めた。
 三重の牡丹が次々と夜空に咲いていく。
 打ち上げ会場から離れているせいで音は随分遅れてくる。

 咲いては消えていく光の花。
 遠くから聞こえるくぐもった破裂音。
 それが、ちくりちくりと胸を突く。 
 
 愛おしくて、甘くて、そしてとても苦い記憶がよみがえってくる。
 それは四年前の夏の事。あたしは高校三年生だった。

 ***



 八月下旬の日曜日。

 あたしはかこかこと下駄を鳴らしながら木造モルタル二階建てのオンボロアパートに向
かっていた。あたしが初めてその部屋を訪ねたのは一年以上前のことだ。ずっと付きまとっ
ていたストーカー野郎(のカメラ)をボコボコにしてやったところまでは良かったのだが、
その変態野郎が逃げ出した後であたしはすっかり腰が抜けてしまったのだ。高須君は雨に
濡れて路上にへたり込むあたしを家に上げてくれて着替えまで貸してくれたのだった。

 そんなことがあって、まあ、それだけじゃないけど、他にも色々なことがあって、
 あたしは不覚にも恋に落ちてしまった。
 見た目は極悪ヤンキー、中身は世話焼きおばさんという同級生の男の子に。
 もし、その恋が実っていたら、あの出来事があたし達の馴れ初めってことになったのだ
ろうけど、残念ながらあたしの恋花は実を結ぶことなくハラリと散った。

 結局のところ、
 逢坂大河は本当に自分を愛してくれる人に気付き、
 高須竜児は逢坂大河に惚れ抜いていることに気付き、
 晴れて二人は両想いであることに互いに気付き将来を誓い合った。

 ……までは良かった。

 それで納まるほど世の中は単純じゃ無かった。
 二人が両想いになったって、破産して逃げてしまった大河の父親が戻るわけでも、大河
の生活費がどこからか湧いてくるわけでもない。社会的な責任上、大河の母は大河を引き
取り面倒をみなければならないわけで、しかし、すでに再婚して子供を身籠もっている母
親が大河の都合に合わせられるハズもない。
 二人はその運命から一時は逃げようとした。でも、
 
『自分に誇りをもって… 竜児を愛したいから。』
 
 そう書き残して大河は消えた。
 たった一通のラブレターを残して、彼女は私達の前から、と言うよりは高須君の前から
消えてしまった。母親が暮らす、どこか遠くの街に行ってしまった。
 高須君はそれを受け止めて、彼女が戻ってくるのを待っている。
 皮肉なものだな、と思う。二人はそれこそ家族のように暮らしていたのに、気持ちが通
じ合うのと同時に逢うことすらできなくなってしまった。
 そんなわけで、高須君と大河は遠距離恋愛中だ。
 幸いな事に電話とメールは通じている。彼女の名字とケータイの番号とメアドは変わっ
てしまったけど今でも私達はちゃんとつながっている。

 アパートが見えてきた。
 相変わらず日当たりは悪そうだ。もっとも、真夏のこの時期、日当たりが悪いぐらいが
断熱なんて概念すらなさそうなあの建物にはちょうどいいのかもしれない。
 アパートの外階段を上がっていく。鉄製の階段に下駄の組み合わせは最悪で、とんでも
なく歩きにくい上に油断すると酷く騒々しい音がする。あたしは音を立てないようにゆっ
くりと慎重に階段を上がっていった。

 呼び鈴を押す。ドアのすぐ向こうでチャイムの音がする。音が筒抜けだ。
 しばらくしてドアが開いた。
「川嶋……」
 高須君は怪訝な表情を浮かべた。
 意外な訪問者だったのだろう。そりゃそうだ。だって、ついさっき、登校日を確認する
フリをして彼に電話したばかりなんだから。
「うぃす。高須君、元気にしてた?」
「お、おぅ。見ての通りぴんぴんしてるが……、どうしたんだ? 突然」
「この格好見てわかんないわけ?」
 あたしはかわいらしくポーズをとって見せた。まあ、これぐらいはお手のもの。
「浴衣だな」
 確かに浴衣だ。
 黒地に藍色と白の菊が描かれている。帯は紅。ちょっと大人っぽくて地味な感じだ。肩
から提げているトートバッグがミスマッチだがこれは仕方ない。
「そうよ」
「似合ってるな」
「でしょ」
「で?」
「で? じゃないっ」
 あたしは高須君の額にすこんとチョップを喰らわせた。
「いたっ!」「いってぇ……」
 高須君は額を押さえ、あたしは右手をぷるぷると振った。
 慣れないことはするもんじゃない。なんせ手加減が分からない。こういうのは実乃梨
ちゃんの領分だ。
「今日、花火大会でしょ。一緒にどーかなーって思って、亜美ちゃん、わっざわざ誘いに
来て上げたんですけどぉ〜」
 近くを流れる大きな川の河川敷公園で恒例の花火大会が行われるのだ。打ち上げ数は五
百発ほどで、はっきり言って大したことは無いけど地元の住民に愛されているイベントら
しい。
「花火? ああ、そういやそうだな」
「そういうワケだから、」
 にこっと笑って見せた。
「ひょっとして二人で、か?」
 あたしはコクコクと頷いて見せた。
「わりぃけ……」
 やっぱりそう来るか。しかーし、そんなことは予測済み。断らせたりしないもんね。
「おっじゃましま〜す」
 あたしは高須君を押しのけ、下駄を脱ぎ捨て台所に上がり込んだ。
「か、川嶋。お前、不法侵入だっ!」
 居間に突入したところであたしは振り返って高須君を見た。
「いいでしょ。たまには付き合いなって。あたしが観に行きたいって言ってんだからさぁ、
グダグダ言わないで護衛してくれりゃいいじゃん」
「護衛っつったって、お前なぁ。んな目立つことしちまっていいのかよ?」
 呆れたって顔で高須君はあたしを見てる。
「はぁ? ダメにきまってんじゃん。だからさ、ここでイメチェンしてくわけ」
「イメチェンだぁ?」
「そ、まずはさぁ、ちゃちゃっと三つ編みにしてよ」 
 あたしはさらさらヘアを摘んでその先っちょで彼の鼻をこちょこちょとくすぐった。
 彼はくすっぐったそうに顔をしかめて後ずさる。


「そんでぇ、コレ。伊達眼鏡ぇ―」
 猫形ロボット風に言いつつトートバッグから優等生っぽくて野暮ったい眼鏡を出した。
 それをかけて見せながら、
「地味ぃーな感じにしたら絶対バレないって」あたしは言った。
 大体、高須君が隣にいればあたし達をジロジロ見る奴なんているはずがないのだ。
 無いのだけれど、予想通り高須君はまるで人類の未来が彼の双肩にかかっているかのよ
うな深刻な表情を浮かべてフリーズしてる。
 まあ、遠距離恋愛とは言え彼女がいるんだから当然だけど。
「なに辛気くさい顔してんの。あたしじゃ不満?」
 まあ、そうだろうけどさ。
「そんなんじゃねぇよ」
 ぶっきらぼうに彼は言う。
「ならいいじゃん」
 ここは押しの一手で。
「良くねぇよ。わりぃけど、行くなら一人で……」
「なら行かない。その代わり、ここであたしの話、聞いてくれる?」
 あたしは前屈みになって下から彼を睨み付けた。
「話?」
「そう、大事な話。あんたと話したいことがあるのよ」
 渋い表情で彼は唸った。それから不意に、
「……ったく」
 高須君はそう言って小さくため息をついた。それからあたしの脇をすり抜けて自分の部
屋に入り、片手で椅子を持って居間に戻って来た。
「髪、やってやるから座れよ」
 俯いてそっぽを向いたまま呟く様に彼は言った。

 ***

 河川敷の公園に着いた時にはもう薄暗くなっていた。
 土手と河川敷には結構な人が集まっていて思い思いの場所にレジャーシートを広げて陣
取っている。すでに宴会を始めているグループや家族連れも少なくない。あたし達はそこ
から川上の方にしばらく歩いてから河川敷に降りた。そこは普段は草ぼうぼうの河川敷だ
けどこの花火大会のために雑草は綺麗に刈られていた。辺りには広げられたレジャーシー
トが点在しているが適度に間隔が取られている。ほとんどのシートには男女のペアがいて、
つまり、そういう人たちが自然と集まる場所なので、自ずと隣との間隔は確保されるとい
う事らしい。会場の中央付近が家族連れやグループで過密になっているのとは対照的な光
景だ。
「この辺りでいいんじゃないの?」
「ん? そうだな」
 そう言って高須君はぶら下げていたあたしのトートバッグからレジャーシートを出して
地面に広げた。多分、家族連れとか酔っぱらいの集団なんかにあたしが見つかることを考
えたらこのアベック地帯の方が安全だろう、なんてことを考えてるんだろう。
「これでいいか?」
「うん。上がっていい?」
 あたしは俯き加減で照れくさそうに高須君に聞いた。
「いいけどよ。フツーにしろよ。なんか調子狂っちまうよ」
「いいでしょ。せっかく清純な感じにしてるんだから」
 そう、高須君の見事なテクニック?であたしの髪の毛は綺麗な三つ編みになっている。
メイクもほとんど無しで眉をちょっと描いた他は薄いピンクのリップをつけただけ。おま
けに優等生眼鏡装備だ。誰がどう見ても文芸部か生徒会って感じだろう。


 事実、辺りが暗くなっていることもあって、ここに来るまであたしが川嶋亜美だという
ことはまったくバレなかった。ちらちらと見る人もいない。みんな高須君をちらっと見る
なりあたし達から視線をそらしてしまうのだ。
 そうやって、みんなが彼を傷つける。
「まぁ、悪くはないけどよ。……ああ、そうだ。虫除け使った方がいいんじゃねぇか?」
 高須君はバッグから虫除けスプレーを出した。
「あ、忘れてた。ありがと」
 自分でバッグに入れておいて使うのを忘れるところだった。あたしは下駄を脱いでシー
トに上がり、手足に軽く虫除けを吹き付けた。
 
 ビニールのシートに腰を下ろした。
 草の匂いがした。
 高須君がシートの端に腰を下ろして胡座をかいた。
 微かな風がうなじを撫でていく。
 彼の横顔をのぞき込む。
 彼は夜空を仰いでいる。バツが悪そうな彼の横顔に胸がちくりと痛くなる。

 観覧席の方からノイズが聞こえてきた。
 一瞬だけ響くハウリング。
『ただいまより ――』
 花火大会の開始を告げるアナウンスが流れた。それに続いて大会委員長とやらの挨拶が
始まった。渋いと言うより濁声の委員長は空気が読めないのかダラダラと挨拶を続けてい
る。幸いにもスピーカーはあたし達から随分離れた所に置かれていて、あたし達が話をす
るのにはなんの不自由もなさそうだ。
 
「高須君、」
 彼の横顔に話しかけた。
「ん?」
 彼は相変わらず濃紺の空を見上げている。
「ありがと」
「何んだよ? いきなり」
「一緒に来てくれて。どうしても、……」ちょっと恥ずかしくて躊躇った。
「お、」と高須君の声が漏れた。会場の照明が落とされた。
 河川敷を照らしていた照明も落とされて辺りは闇に飲み込まれる。
 会場がざわめく。
 司会の女性の声が響く。

『ごぉ』『よん』『さん』『にぃ』会場全体が一つになる。『いち!』

 しゅっと音がして火の玉が空へ駆け上がっていく。
 ライム色の小さい花が一つ、二つと広がり、そして夜空に光が弾ける。
 赤、緑、紫の三重の光の輪が広がる。
 わき上がる歓声。大きな破裂音。あたしの身体をびりびりと震わせる。
 ぱりぱりと小さな音を残して火の粉が闇に溶けていく。

 照れくさくて言えなかった言葉を心のなかで呟く。
 
 ― どうしても、一緒に観たかったのよ。高須君と、一緒にね ―


 きっと、これがあたし達の最後の夏だから。
 卒業したらあたし達はそれぞれの道を歩き出すから。
 そうしたら、あたしたちの道が交わることは、もう二度と無いだろうから。

「綺麗だね」
「ああ。やっぱり近くで観ると迫力が違うな」

 また一つ尾を引いて火の玉が上っていく。
 夜空に光の輪が広がる。
 破裂音が響く。
 人々の歓声が広がる。
 夜空にすぅーっと消えていく光の粒。
 感嘆とため息。

 打ち上げられるほとんどの花火は商店街のお店がスポンサーになっている。
 だから打ち上げ前にそのお店の名前がアナウンスされる。
 数は少ないけど結婚祝いや孫の誕生祝いなんてのもある。
 打ち上がる度にあたし達は勝手な感想を言い合った。

『……銀行提供。スターマイン……』
 おおっ、と河川敷にどよめきが広がる。
「中盤の山場だな」高須君が言った。
「どういうこと?」
「ああ。恒例なんだよ。この銀行のスターマイン、けっこう派手で盛り上がるんだ」
「へぇ」地元じゃ有名ってことか。
 
 しゅっ、しゅっ、と音を立てて幾筋もの光が空へ上り低い高度に小さな花を咲かせる。
 下打ちの中から銀色の帯が夜空に上る。
 幾つもの花火が広がる。
 赤い輪、紫の輪、弾けた後に銀色の星が蜂のように飛び回る。
 金色の百合が咲く。
 幾つもの破裂音。しゅわしゅわと炭酸が弾けるような音。
 最後に一際高く星が上り、弾ける。
 橙の柔らかな光が空を覆いつくす。
 歓声。そして体を震わす轟音。
 柳の様に降り注いでくる光の粒子。
 ちりちりと闇を焦がしながら、金色の光が降ってくる。
 歓声、どよめき、拍手、そしてため息。

「すごいね……」
「ああ。スゲーな」

 私の呟きに高須君が応えた。
 素直に、あたしは唯心のままに呟き、同じように彼は応えた。
 本当になんでもない事なのに、じわっと心が潤んだ。
 ああ、あたしは高須君と同じ世界に存在しているんだ。そう思えた。


「あの、最後のでっかい花火。あれ、いいよね。綺麗で」
「最後の…… ああ、ニシキカムロな」
「ニシキカムロ?」
「ああ、錦鯉の錦に冠って書いてニシキカムロ」
「へぇ」
 言いながらあたしは目を眇めた。
 高須君は目をそらして、ハーフパンツのポケットから折りたたんだ紙を出した。それを
ケータイのディスプレイで照らす。
「以上で第一部終了って感じだな。休憩十分、だってよ」
「誰の休憩よ?」
「そんなのしらねぇよ」
 高須君がケータイを閉じると辺りはすっと暗くなった。
 会場全体がざわついていた。
 仮設の観覧席の方を見ると沢山の人影が蠢いていた。あたし達の周りのカップル達から
はムーディーでラブいオーラが出まくっている。
「麦茶、飲むか?」
「うん。ちょっとだけ」
 そう応えると彼は麦茶のペットボトルを差し出した。
 私はキャップを開けて一口だけ麦茶を飲んだ。トイレに行ったらいつ戻ってこれるかわ
からない。
 河川敷を微かな風がながれている。
 高須君は右膝を立てて、左腕にもたれるようにして座っている。
 そのまま、ちらりとあたしを見た。
「川嶋」
「なに?」
「話したい事ってなんだよ?」
 そう言ってから、彼は目をそらした。
「うん……」
 すぐには話せなかった。
 覚悟が必要だったから。
 あたしは膝を抱えて、彼が編んでくれた三つ編みの先をちょっと弄った。
 大きく息を吐いて、それから彼の顔を見た。

「前にも相談したけどさ、やっぱ、女優、やってみようかなって」
 あたしには随分前から女優への転身という話が出てはいた。母親が女優・川嶋安奈なの
だから当然と言えば当然だ。
 でも、単純にそれに乗っかってしまうことには抵抗があった。
 なんとなく安易な気もした。
 けれど、その仕事に憧れもある。母への憧れはあるのだ。ずっと彼女を見てあたしは育っ
てきたのだから。
「いいんじゃねぇか。色々言われるかも知れねぇけどよ、そんなの無視しちまえ。川嶋が
やりたいことをやるのが一番いい」
「うん……」
「川嶋なら絶対上手くいくさ」
「ちぇ、なーんにも分かってないくせに、簡単に言ってくれるじゃない」
「悪かったな。そりゃあ、俺はそっち業界の事はよく分かんないけどよ、」
 高須君の顔があたしの方を向いた。
「その、お前の事はわりとよく知ってるからな。分かるんだよ、上手くいくって」
 照れくさそうだった。
「そう……。じゃあ、あたしはあんたを信じることにする」
「お、おぅ、それでいいんじゃねぇか」
 本当に、照れくさそうだった。


「でさ、こっからが本題なんだけど、」
 高須君は『え?』という顔をした。ここまでが本題だと思ったのだろう。
「なんだよ?」
「あのさ、」

 ― ごめんね、大河。あたし、今から最悪な事するから ―

「もし、役者として上手くいったら、ていぅか、あたしは成功するつもりなんだけど、
そうなったら、あたしさ、好きでもなんでもない人と抱き合ったり、セックスの真似事も
するようになるんだよね」
 高須君は黙って聞いている。
「それはいいんだけどさ、そういう仕事だから」
 そういう仕事なのだ。あたしはママがパパ以外の男の人と抱き合ったり、キスしたりす
るのをずっと見てきたけど、それは全部お芝居だ。
「必然性があれば、そういう表現だってやってみせるけどね」
 自信はないけど。
 だって、リアルで未経験なんだから。
「ねぇ、高須君」
「ん? おぅ」
「大河と、キス、した?」
「っ、な、なんだよ。いきなり話題がぶっとんだぞ」
 確かに、彼からすれば『ぶっとんだ』だろう。でも、あたしはそれをどうしても確認し
ておかないといけなかった。
 あたしは身体を捻り四つん這いになって猫のように進み彼の間近に迫った。
「いいから答えて。大事な事だから」
 目と目が合う。心ない大人たちから『人殺しの目』と揶揄されたことすらある三白眼を
あたしはじっと見つめた。
「ねぇ、答えて」
 軽い既視感があった。こんな風に彼を問い詰めるのは初めてじゃなかった。それはバレン
タインの夜のことで、あたしは『大河が好きなんだよね?』って彼に聞いて、彼は『大河
が好きだ』ときっぱりと答えた。
 そんな事を彼が記憶してくれているのかは分からないけど。
 彼はすっと視線を落として、
「したよ」と呟いた。
「そう、よかった……」
 本当によかった。
 あたしは四つん這いのまま後退して座った。
「ったく、いったい何だよ?」
 不機嫌そうに高須君は言った。
「初めて、だよね。キスしたの」
「あ、ああ」
「タイガーもきっとそうだよね」
 高須君は無言だった。でも、きっとそうだろう。
 あたしは高須君の顔を見つめて微笑んで見せた。
 それから、あたしは空を見上げた。
 雲の無い空を花火の煙が流れていく。煙の隙間から輝いている星が見える。



「ねぇ、高須君」
「ああ」
「あたし、仕事でキスするようになるんだよ」
「かもな……」
 ぼそっと高須君は言う。
「だよね」
 あたしもぽそりと言う。
「けどさ、……」
 ごめん、大河。ごめんね。

「初めてのキスだけは、本当に好きな人としたいの」

 首筋が熱を帯びた。耳が、頬がぼぅっと熱くなる。
 自分の心臓の音が聞こえてくるようだった。
 あたしは両腕で脚を抱え、震える膝に頬をつけて彼を見た。
 高須君は困惑している。
 あたしの言葉の意味が分からないほど彼は鈍感じゃない。
「だから聞いたの。大河とキスしたの?って」
 あたしは膝の上からゆっくりと頭を上げた。
「ごめん。無茶言って。でもさ、なんだろうね、初めてのキスの相手が好きでもなんでも
無い人になるかもって思ったら、悲しくって、ううん、怖くって。それやっちゃったら、
もう本当の事がわかんなくなっちゃうんじゃないかって、そんな気がして……」
 上手く言葉になんかならなかった。
 それがもどかしい。もどかしすぎて涙が出てくる。
「川嶋……」
「あたし、ひどいよね。高須君とタイガーの事をわかってて、二人の想いを信じてるから
こんなひどいお願いできるんだよね。あんた達の間にあたしなんかが割って入る余地がな
いって分かってるから……」
 つぅ―っと温い水が頬を流れた。
「できるんだよ」
 そこまで言って、あたしは俯いた。高須君の表情を見るのが怖かった。

 ぱん、と音がした。

 高須君が自分の頬を叩いたのだ。そのまま頬に掌を当てている。
 それから彼は項垂れて大きなため息をついた。
「川嶋。ひでぇよ。こんなのはねぇよ。俺に大河を裏切れって言うのか?」
 あたしは首を振る。
「好きになって、なんて言わないし、想ってくれなくていいの。あたしが勝手に高須君に
キスして、あたしが勝手に納得するから。全部、あたしの気持ちの問題だから」
 詭弁だ。
 高須君があたしの行為を許したとしたら、それだって大河に対する裏切りだろう。
「出来ねぇよ」
 そうだろう。
「……だよね」
「大河を裏切るなんて出来ねぇよ。けどよ、畜生。なんとなくだけど、お前の言ってるこ
とも分かっちまうんだ。ったく、なんなんだよ」
 弱々しく吐き捨てるように彼は言った。
「俺はどうすりゃいいんだよ?」


 それは自分に聞いているような言い方だった。
 じりじりと気まずい時間が流れる。
 高須君は二度三度と唸りため息を吐き、それから不意に両腕を振り上げてそのまま後ろ
にばったりと倒れ、大の字に寝転がった。
「まいったよ。けど、お前はこんなんで本当にいいのかよ?」
 あたしは小さく頷いた。
「高須君は?」
「よくねぇよ。良くねぇけどよ」
 彼がそう呟いたとき、しゅっ、という音がした。それに『ひゅぅぅ―』と笛のような音
が続き、寝転がる高須君の姿が赤い光で照らされた。わき上がる歓声。直後に『どんっ』
という破裂音。じりじりという音と共に赤い光は弱くなり辺りは暗さを取り戻す。
「そうだよね」
 そう、こんなのは良くない。分かりきってる。
 あたしは寝転がる高須君のすぐ傍に横座りした。
「眼鏡」と高須君が言った。
 あたしは眼鏡を外してバックの近くに置いた。
 彼の肩の近くに手をついて高須君の顔を見下ろした。
 高須君はあたしをじっと見上げている。
「目、瞑ってよ。はずかしい」
 ふっと息を吐いて高須君は瞼を閉じた。
 
 苦しいほどに心臓が早鐘を打っている。
 身体が火照る。
 ずんとした重いなにかに胸を締め付けられる。
 あたしは少しずつ彼の胸に身体を近づけていく。
 しゅるしゅると火の粉の蛇が空へ上る音がする。
 厚みのある彼の胸にあたしは身体をあずける。
 辺りが銀色の灯りに照らし出される。遠くで歓声が上がる。
 炭酸のような音を残しながら灯りは弱くなっていく。

 高須君、好きだよ。高須君、ごめんね。
 心の中で呟きながらあたしは瞼を閉じて、ゆっくりと彼の唇にあたしの唇を重ねた。

 柔らかい、
 熱い、
 甘い、
 そして、生々しい。
 好きな人をこんなにも生々しく感じることができるなんて、
 その悦びにカラダの芯が震えた。

 なのに、こんなに熱く触れ合っているのに、あたし達は……ちがうのだ。
 ああ、なんて……なんてことだろう。あたしは……あたしは……

 あたしはゆっくりと顔を上げて瞼を開けた。
 彼の瞼もゆっくりと開いた。
 表情は分からなかった。何もかもが潤んでぐにゃぐにゃに歪んでいた。
 溢れた涙が高須君の頬に落ちていく。
 ぽたぽたと止めどもなく落ちていく。
 

 嗚咽が漏れた。
 好きな人を感じることが出来た悦びと、
 その人に想いが届かないという悲しみと、
 自分が犯した罪の重さと、
 大好きな人に犯させてしまった罪の重さと、
 その全てにあたしの心は引き裂かれた。
「川嶋……、すまねぇ」彼は言った。
「ううん、高須君は悪くないよ。ぜんぜん、ぜんぶ、あたしが……」
 ぼろぼろと涙がこぼれていく。
 辺りが様々な色の灯りに照らされた。けれど、もうディテールは分からない。
 幾つもの破裂音が河川敷に響き渡る。
「ねぇ、たかす、くん。ないてもいいよね?」
「ああ」
 そう言って彼はあたしの背中をそっと抱いてくれた。
 感情の嵐が過ぎ去るまでの二十分、あたしは高須君の胸の上で静かに泣き続けた。

 ***

 最後のスターマインをあたし達は並んで座って眺めている。
 次々と夜空に色とりどりの花が咲き乱れる。
 しゅっ、しゅっ、という音。夜空へ駆け上がっていく光。
 赤、緑、橙、銀、大輪の花。
 一瞬、強く輝き消えていく。
 銀の蜂が飛び回る。
 二重、三重の光の輪が広がる。
 そして、最後に一際大きな赤い菊が夜空を染め上げた。 
 消えてゆく光を惜しむように人々がざわめく。
 夜空に静寂が戻り、うっすらと見える花火の煙がほんの少しだけ強くなった風に流され
ていく。
「これで終わり?」
 あたしが言い終えるのと同時に大きな破裂音がして金色に輝く三匹の竜が夜空へと上っ
ていった。
 三つの金色の巨大な菊が咲く。そして轟音。
 三発の錦冠に夜空は輝く金色の粒子で埋め尽くされた。
 地響きのような歓声とどよめき。
 降り注ぐ金色の火の粉。
 少しずつ、少しずつ、金色の砂は闇に溶けていく。
 誰からともなく拍手が起きる。
 あたし達も手を叩く。

「錦冠、だっけ?」
「ああ」と彼はたった一言だけ。

 大会終了のアナウンスが流れた。
 どよめき、ざわめき。観客達はそれぞれに帰り支度を始めている。
 仮設照明が河川敷を明るく照らす。
 

 あたしは伊達眼鏡かけて、それから少しだけ着崩れた浴衣を直した。
「どう? 変じゃ無い?」
「ん、ちょっと待ってろ」
 高須君はあたしの背中に回って帯の結び目を直してくれた。それから背中の布地を、軽
く引いてしわを伸ばす。
「いいんじゃねぇの」そっけなく彼は言う。
「うん」あたしは小さく頷いて振り向く。
「帰るぞ」「うん」
 あたしは下駄を履き、高須君はくたびれたスニーカーを履いた。高須君はレジャーシー
トを畳んでトートバッグに入れてバッグを肩に引っかけた。
「足場悪いから気をつけろよ」ぶっきらぼうに彼は言う。
「だったらさ、」
 あたしはおずおずと右手を彼の方に差し出した。
「手、引いてよ。くじいたら帰れないじゃん。明後日、仕事だし」
 一瞬、高須君はじっとあたしを見た。それから肩がすとんと落ちて項垂れた。
「ったく、どんどんダメ人間になっていく気がする」
 高須君の左手があたしの右手を包んだ。
 彼の手は少し冷たくて、大きくて、ごつごつしていた。
 手を引かれ、あたしはゆっくり歩き出す。
 河川敷は足場が悪くてやっぱり下駄では歩きにくい。
「あのさ、高須君はもっと女の子に冷たくした方がいいと思う」
 手を引いて貰いながら言う台詞じゃない。
「はぁ? お前が言うなよ」
「だよね。でもさ、女ってズルいのよ。今のまんまじゃ高須君は絶対大河を泣かせること
になると思う」
 あたし、彼を罠にかけておいて何言ってるんだろう。
 大河が知ったら泣くようなことを仕掛けたのはあたしなのに。
「ああ、よく分かったよ」
 吐き捨てるように彼は言った。
「ごめん」
「ゆるさねぇよ」
 それでも高須君は手を引いてくれている。
「高須君……」彼は応えない。
「高須君……」応えてくれない。
 あたしは段々怖くなってきた。彼は二度と話をしてくれないのかも、そんな気がした。
「高須君……」
「高須くん……」
「たかす、くん……」
 あたし達は土手の階段を上がっていく。
「ごめんね」
 すん、と洟をすすった。景色が潤んでよく見えない。
 階段を上りきったところであたしの脚は動かなくなった。
 先に進みたく無かった。彼の手も離したくなかった。時間が流れていくことが悲しくて
たまらなかった。今日という日が終わってしまったら、もう二度と彼と話すことは出来な
いのだと、そう思えて仕方なかった。
「川嶋……ったく、なんつー顔してんだよ」
 話しかけられて気持ちが溶けそうになった。
「だって、無視するんだもん」
「とにかく、そこに突っ立ってると邪魔だから来い」
 そう言って高須君はあたしの手を引いた。土手の端まで来ると高須君はポケットティッ
シュを出してあたしに渡した。


「ホントに狡いよな。とにかく涙と鼻水拭いてくれ。これじゃ、俺がお前にひでぇ事した
みてぇじゃねぇか」
「……ごめん」
 あたしは眼鏡を押し上げ涙を拭い、洟をかんだ。
「ったく。今日の事、絶対に大河に言うなよ。今回だけはそれで大目に見てやる」
 高須君はバツが悪そうに言った。男という生き物は目の前で女に泣かれるといたたまれ
なくなるらしい。
「言わない。誰にも」
 あたしは彼に誓った。
 でも、誓うまでも無く、あたしはこの日の全てを心に大事にしまっておきたかった。

 そう。この秘密はあたしと高須君、二人だけの物だから。
 大河の知らない、二人だけの大切な秘密だから。

 ***

 それで全部だ。高須君はあたしを家まで送ってくれて「じゃあな」と素っ気ない挨拶だ
け残して帰って行った。
 あたしは苦い思い出を心に刻み付け、それからしばらく罪悪感に苦しむハメになった。
 それは大河を裏切り、高須君を傷つけた事への当然の報いだと思う。
 救いだったのは高須君の態度があの後もそれほど変わらなかったことだ。さすがに二人
きりで一緒に出かけてくれることは二度となかったけど、友人達と一緒になら遊びに付き
合ってもくれた。もっとも、みんな受験勉強で忙しくてそれほど遊びに行く機会は無かっ
たのだけれど。

 だから、キスも手をつないだのも、その一度限りだ。
 結局、あたしは高須竜児の一番大事な女にはなれなかった。
 それでも、あの夜の出来事はあたしにとって痛いほどに甘い思い出で、あたしは彼との
キスや彼に抱かれた時の感覚を思い出しながらカラダを慰めたりもした。

 秋が来て、冬が過ぎ去った。
 卒業式の日、大河は突然大橋高校に現れて高須君と再会した。
 それから三年あまりが経つ。

 一週間前、二人の結婚式の招待状が届いた。
 学生結婚だけど出来ちゃったってわけではないそうだ。
 大河からのメールによれば、高須君のお母さんが結婚するそうで、それを機会に二人も
入籍することにしたのだという。まあ、二年も同棲しているのだからその方が自然だろう。
 あたしの方はドラマの撮影とかで何かと忙しいけれど、今からスケジュール調整してお
けばなんとか出席できるだろう。


「一分前」スタッフが告げる。

「好きなの? 花火」
 隣に座っている大先輩の女優さんだ。もうすぐ五十だというのに全然そうは見えないと
ても綺麗な女性だ。彼女も浴衣姿だけれど身のこなしが美しくて自分の未熟さを思い知ら
される。


「ええ。でも嫌いな人はいませんよね」
「そうね。でも、それにしては寂しそうに観るのね」
「え? そんな事ないですよ」
 否定するあたしに彼女は小さく笑って、
「いい表情(かお)してたわよ」と囁いた。
 あたしは彼女に微笑んで、『明るい笑顔』をセットアップした。

 次から次へとひっきりなしに花火が上がる。
 スターマインが夜空を華やかに染め上げる。
 けれど、どんなに大きな花火がどれだけたくさん夜空を彩ったとしても、あの夜、彼と
二人で見上げた錦冠ほどあたしの心を震わせることはないだろう。

 あの恋も、あのキスも、本物だったから。
 たとえ泡沫(うたかた)でも、それは全部本当だったから。

(ウタカタ・ハナビ おわり)




112 356FLGR ◆WE/5AamTiE sage 2010/10/12(火) 02:44:16 ID:nuHe5MGy
以上で投下完了です。
supercellの「うたかた花火」をヘビーローテしてたらこんな話を思いついてしまいました。
読んでいただいた方、ありがとうございます。

356FLGRでした。


97 356FLGR ◆WE/5AamTiE sage 2010/10/12(火) 02:33:40 ID:nuHe5MGy
ご無沙汰しております。356FLGRです。
久しぶりに書きましたので投下させて頂きます。

タイトル:ウタカタ・ハナビ
設定  :TVアニメ版の最終話がベースです。
登場人物:竜児、亜美
エロ  :無いのでございます。
レス数 :14

次レスより投下開始。
規制により中断するかもしれません

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