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421 174 ◆TNwhNl8TZY sage 2010/02/14(日) 00:13:17 ID:FQmdbRD5






 静寂な夜を照らす月明かり。
遮る雲一つない夜空から降り注ぐそれは、寝静まった人たちを見守るよう。
その中でただ一軒、爛々と明かりを放つお店があった。
人気がなくても、いつ来るかもわからなくても、それでも誰かを待ち続けて明かりを絶やさない。
こんな風に考えてみると、コンビニってけっこうすごいのかも。
 自動ドアが開くと流れてくるベルの音と、店内に反響するインフォメーション。
凍えそうな体をやさしく纏う暖房。
レジの奥から目を擦りながら出てきた男の子。
あくびはかみ殺した方がいいかな、やっぱり。
こんな夜更けじゃ眠いのも仕方ないけど。
 適当にぶらぶらしながら物色していると、目に付いたのは人目を引くよう設けられた、ある一角。
並んでいるのは見慣れたお菓子。
けれどその日は、その日だけは特別で、大切で、ありったけの想いを託されたお菓子。

───大切なひとに贈りませんか?

可愛らしいキャラクターの吹き出しにはそう添えられていた。
ほんの気まぐれで手を伸ばしたのは、そのイラストの少し奥、一口サイズの小さなチョコレート。
無造作に二つ摘むと、レジへと足を向けた。

                    ***

 漂ってくるお味噌汁のいい匂いは食欲をそそるのには十分すぎて、疲れてても眠くても、勝手に目が覚めた。
温もりが残る布団は魅力的だけど、でももっと魅力的なその香りに釣られるようにずりずり体を引きずる。
立て付けが悪くなってきてるせいか閉じきらない襖は冷たい空気を吸い込むのと一緒に色々なものも吸い込んで教えてくれる。
お味噌の香りに混じってしてくる、炊き立てのご飯のいい匂い。
それと、空気を震わせて耳に届く微かな音。
トントントン。まな板の上で踊る包丁。
ぐつぐつぐつ。沸き立つお鍋。
ぐーぐーぐー…あぁ、大河ちゃんのお腹の虫だ。
食いしん坊さんな大河ちゃんらしいや。
くー…やっちゃんも大河ちゃんのこと言ってられないなぁ、これじゃあ。
「おはよ〜」
 開け放した襖の向こう、最初に見えたのはテーブルに並んだ朝ごはん。
ちょこんと座る大河ちゃんはお箸を両手に今か今かっていただきますを待っている。
でもやっちゃんが顔を出すと手にしていたお箸をきちんと並べてテーブルに置いて、笑顔。
「おはよっ、やっちゃん」
「おはよう」
 腰を下ろすと、今度は台所から。
「なんだ、もう起きたのか」
制服の上から着けていたエプロンを外しながらの竜ちゃん。
それを棚に掛けると、流し台から包んだお弁当を手にして、それを大河ちゃんに渡す。
「うん。あんまりおいしそうな匂いがしてきて起きちゃった」
「眠いんならまだ寝てていいんだぞ、飯ならちゃんと取っといてやるから」
 テーブルに着くと、竜ちゃんがそう言う。
帰ってきたのは暗かった空が白み始めてきた頃。
なるべく音を立てずにしていたつもりだけど、でも竜ちゃんは気付いてたみたい。
やっちゃんを見つめるその目尻は、少し下がり気味。
心配性だなぁ、本当に。
「でもやっちゃんお腹減っちゃったしぃ、それにご飯食べたらまた寝ちゃうからへーきだよ〜」
「お前なぁ」
 そこで区切ると、一拍代わりにため息一つ。
「たく。太っても知らねぇぞ」
 おデブさんになっちゃったら、それでもいいよ。
あんまりなりたくないけど、でも、そうやって少しでも安心してくれるなら、おデブさんでもいい。
ちょっとくらいだったらね。
「うわ、デリカシーないわね」
「ほっとけ。ほら、大盛りでいいんだろ」
 大河ちゃんにぶっきらぼうにお茶碗を差し出す竜ちゃん。
やっちゃんにもご飯をよそって渡すと、そのままいただきますをして、いつも通りの朝食が始まった。


「そういえば」
 そう前置きをしたのは三回目のお代わりを竜ちゃんにお願いした大河ちゃん。
点けていたテレビから流れてくるニュースの中から見つけた話題を、誰ともなしに口にする。
「明日ってバレンタインよね」
「そうだねぇ」
 それじゃあ今日はバレンタイン・イヴになるのかな。
ついこの間クリスマスがあって、お正月もあって、今度はもうバレンタイン。
時間が経つのが早くってビックリ。
「大河ちゃんは誰にあげるの、チョコ」
 気になるっていえばそうだけど、けど聞く必要もなかったかも。
「私はべつに、そんなの」
 チラチラ正面を気にかけて、目と目が合う。
瞬く間に空にしたお茶碗を竜ちゃんに突き出して四回目のお代わりをする大河ちゃんは耳まで真っ赤っか。
竜ちゃんにそれを指摘されるとオロオロしちゃってしどろもどろ。
わかりやすいくらいわかりやすくって、可愛い。
「そ、そういうやっちゃんはどうなの」
 なにがだろう。
強引に話を逸らす大河ちゃんがやっちゃんにそう問いかける。
「誰かいないの、チョコ贈る人」
あ、そういう意味だったんだ。
贈る人、かぁ。
「ん〜、そうだなぁ、やっちゃんはぁよく来てくれるお客さんとかにかなぁ」
大河ちゃんと違って義理もお義理のギリギリチョコだけど。
そう茶化すと大河ちゃんは真っ赤っかな顔をもっと真っ赤っかにさせちゃった。
ちょっとしつこかったかな。
「ごめんねぇ大河ちゃん」
「もうっ、知らない」
プイってそっぽ向かれちゃった。
やっぱりやりすぎちゃったみたい、こうなった大河ちゃんはしばらく口きいてくれないし、何を言っても今は伝わんない。
ほとぼりが冷めたらちゃんと謝らなくちゃ。
それまでは、あんまり触れないようにしよう。
「バレンタインか…」
 竜ちゃんが呟く。
どこそこの有名店のチョコがとか、チョコと一緒に贈るプレゼントとか、告白にもってこいのデートスポットとか。
そんなのを取り上げては詳しく紹介している、テレビが垂れ流すニュースを、竜ちゃんはどこかぼんやり眺めている。
その横顔は、なんだか何かを思い出しているようにも見えた。
 ふいにこんなことを思った。
竜ちゃんは、今までチョコを贈られたことってあるのかな。
もちろん義理チョコでも友チョコっていうのでもなくて、本命のチョコ。
そんな話を聞いたことはないけど、そういうのを誰かに話したがる竜ちゃんじゃないし。
態度でも素振りでも、そんなのでわかっちゃうくらい浮き足立ってたことだって、少なくともやっちゃんが覚えてる限りはないし。
じゃあ貰ったことないのかな。
でもやっちゃんが気付かなかっただけで、もしかしたら……
本当は、どっちなんだろう。
やっちゃんにはわかんない。
竜ちゃんしかわかんないことなんて、竜ちゃんに聞かなくちゃ知りようがないのに。
なのに、聞けない。
知りたいような、だけど知りたくないような。
なんでだろ、なんだか、変な気分。
「バレンタインがどうしたのよ」
 似たようなことを思ったのかもしれない。
大河ちゃんが問いただそうと、キッと細めた目で竜ちゃんを見据えて口を開く。
やっちゃんがそうさせちゃったのもあるけど、放つ言葉にはかなり棘が含まれてる。
「いや、つーか大河、なんでいきなりそんな機嫌悪くなんだよ」
 隠そうともしない苛立ちをぶつけられて、その理由がわかってない竜ちゃんは困惑してる。
「いいから黙って答えなさい」
それが余計に気に障ったのか、プリプリしている大河ちゃん。
竜ちゃんは不思議そうに後頭部の辺りをポリポリ。
「どうしたって、べつに何でもねぇんだけど、泰子が客にチョコ配るって言ってただろ? それのこと考えててよ」

 竜ちゃんの説明は、それだけじゃよくわからなかった。
大河ちゃんもそう、怪訝そうにしてる。
竜ちゃんは咳払いを一つして、ご飯に手をつけながら話を続ける。
「だからよ、どっかの店でチョコ買ってきて客にやるよりも、俺が作った方が安上がりだろ」
「作るって、チョコ? 竜児が?」
「おぅ。手作りだって言っとけば向こうも泰子の手作りだって喜ぶだろうし、手作りなのはウソじゃねぇし。
 買ってくるよりはそっちのがいいかって、そう思ったんだよ」
泰子も手間かかんなくていいだろ、って締めると、ちょっと照れくさそうな竜ちゃんはそれを隠すようにご飯をかき込む。
そんなこと考えてたんだ。
お店のことなんて気にしなくっていいのに。
「そんなのしなくっていいよ〜。竜ちゃん、大変でしょ」
 その気持ちだけで十分。
「遠慮すんなよ、言うほど大変ってこともねぇんだから」
「でもぉ…やっぱり悪いし」
「いいって」
 けれど竜ちゃんは頑なに譲らない。
大河ちゃんに帰りに必要な買い物のお手伝いを頼んで、断りを入れようとするやっちゃんをひらりとかわす。
 本当にいいのかな、このまま頼んじゃっても。
竜ちゃんもそうだけど、大河ちゃんだってやらなくちゃいけないこと、あると思うんだけど。
「いいの? 大河ちゃんはそれで」
一応確認だけとってみた。
大河ちゃんはなんともいえない表情でこう返す。
「う〜ん…作り方教わるって思えば、まぁ」
「そっか」
優しいね、二人とも。
思わず笑みがこぼれた。
すると途端にハッとして目を見開き、大河ちゃんは慌てて顔を伏せる。
そろそろと上目づかいで見上げると、泣いちゃいそうなか細い声でこうこぼす。
「…あっ、ち、ちょっとやっちゃん、今のはその、あにょ」
 人差し指で1を作ると、大河ちゃんの前へと持っていく。
噤ませると、今度はやっちゃんの口元へ。
内緒のしるしと、約束の合図。
ちゃんと伝わったみたい、大河ちゃんは小さな体をもっと縮ませてポツリ。
「…ありがと…」
そう言った大河ちゃんはさっきのこと、もう怒ってないみたい。
よかった、仲直りできて。
 竜ちゃんはなんにもわかってなさそうに、やっちゃんと大河ちゃんを交互に見てた。
鈍ちんだね、ほんとに。

                    ***

 そんなやりとりをした日の夕方。
竜ちゃんと大河ちゃんが学校から帰ってくるなり、台所は戦場さながらの忙しさで、お仕事に出るまで手伝っていたやっちゃんはひーひー目を回して、
何度も竜ちゃんに注意された。
こんなこと言っちゃダメなんだろうけど、大河ちゃんが羨ましい。
だって竜ちゃんたら最初、はじめの内は横で見てればいいって、大河ちゃんにはなんにもさせようとしなかった。
ううん、させたくなかった、かなぁ。
率先してお手伝いを買ってでる大河ちゃんに、そんなに言うならって、竜ちゃんはお手伝いを頼んだんだけど…
「分かるよな、大河? 時間がねぇんだよ、マジで」
「…だって、私だって…」
 まだ溶かす前、市販の板チョコを刻もうとしてうっかり指を切っちゃったのは、一度や二度じゃない。
湯せんをお願いしたらコンロに火を点けて、何を思ったのか火の上に直にボウルを置いて、危うく大変なことになるところだった。
なんとか止めてきちんとしたやり方を教えると、ぎこちないけど、それでも大河ちゃんは一生懸命細かくなったチョコレートを溶けるまで
かき混ぜていた。
次第に慣れてきたみたいで、大河ちゃんの手つきも見ていてハラハラしなくなってくる。
失敗しないようにって肩に力が入りすぎてるけど、丁寧にヘラを動かすその様子は心を篭めているようで、それにとっても楽しそう。
あれならもう大丈夫、これで一安心。
 でも、緊張の糸を切るのは早すぎた。
一生懸命すぎて、溶けたチョコレートを見てもらおうとした瞬間、足を滑らせて転んじゃったのは、もうしょうがないとしか言えないよね。
宙を舞ったチョコレートを頭から被っちゃったのも、しょうがないよ。


わざとやってるんじゃないんだもん。
失敗しちゃったら、またやり直せばいい。
誰だって始めからなんでもかんでもできないんだから、めげることなんてないよ。
やっちゃんだってそう。
失敗して、失敗して、何度も失敗して、今だって失敗することもあるけど、だけど、できるようになったことだっていっぱいあるもの。
なんだってゆっくり覚えていけばいい。
やっちゃんは、そう思ってる。
「頼むからこれ以上面倒を増やすな」
 でも、そういうわけにもいかないみたい。
「だだだだけど、だって!」
 竜ちゃんが大河ちゃんの手を取ると、マジックで大きく平がなの『だ』を書く。
「なによこれ」
「この手は『だって』だ。次だってって言ったらそれが消えるまで皿洗いに風呂洗い、トイレ掃除もだ。
 とにかく他にも色々とさせるからな。それが嫌だったらもうだってって言うんじゃねぇぞ、いいな」
 しげしげと手の甲を見つめる大河ちゃんに、竜ちゃんは無情にもそんな言葉を浴びせた。
大河ちゃんの顔が青ざめて引き攣る。
「そ、そんな!? だっ、じゃなくって! しょうがないでしょ!? 私こういうの慣れてないし、それに」
「言い訳すんな、自分でやるって言ったんだろ」
 ピシャリと大河ちゃんを叱り付けた竜ちゃんはマジックをエプロンのポケットに突っ込むと、大河ちゃんがひっくり返しちゃったボウルを拾い上げ、
まだ残ってて使えそうな分を別のボウルへと移して、壁や床に飛び散っちゃった、もう食べれないチョコを雑巾で拭きはじめる。
そんな竜ちゃんを前にどうしたらいいかわからなくって、立ち竦んでる大河ちゃんはエプロンの裾を握り締めたまま、しょんぼりうな垂れてる。
 すっと、下を向く大河ちゃんの目の前にタオルが差し出された。
「いつまでそうしてんだ、大河」
「…うるさい、邪魔なら邪魔って言いなさいよ」
 剥ぎ取るように受け取ったタオル。
とぼとぼとやっちゃんの横を通り過ぎ様、大河ちゃんの背に竜ちゃんが声をかける。
「早くシャワー浴びてこいよ。出てきたら、今度はちゃんと教えてやるから」
大河ちゃんが振り返るけど、でも竜ちゃんは屈んで、雑巾片手に手早くチョコを拭き取っていく。
「…うん、待ってて」
今度こそ大河ちゃんは浴室へと消えていった。
ほどなくしてタイルを叩く無数の水音がこっちにまで届く。
 残されたやっちゃんはひたすら無心に板チョコをポキポキ砕いて、パキパキ刻んで。
容器がいっぱいになったら別の容器を出して、またポキポキパキパキ。
おかげですっかり茶色くなっちゃった手からも濃厚な甘い匂いがしてきて、これじゃ簡単には落ちそうにないかも。
本当にすごい量のチョコレート。
一体どのくらい買ってきて、どのくらいこうしてるんだろう。
もしかしたら、もうやっちゃんが食べる一生分ぐらいはチョコを粉々にしたのかもしれないけど、数えだすとキリがないし時間はもっとない。
それにそんなの知っちゃったら、一生分のチョコを食べた気になって、もうチョコはいいやってなりそう。
「悪い、一人でやらせてて」
 ようやく納得いくまでキレイに拭き終えたみたい。
しっちゃかめっちゃかになっていた足元は見間違うほどにピカピカで、どれだけ熱中して掃除してたのがよくわかる。
 竜ちゃんはやっちゃんの隣に立つと、いくつかあるボウルを一つ取って、それに砕いたチョコを入れていく。
ふーっと一息、首を回すと間接がチョコを砕くときみたいにポキポキ乾いた音を鳴らす。
歳はとりたくないなぁもう、これじゃあまるでおばあちゃんだ。
「休んでていいぞ。泰子、もうすぐ仕事だろ」
気を遣ってくれる竜ちゃんの言葉に甘えたい。
けど、ここで甘えてちゃ本当のほんとにおばあちゃんみたいで、それはやっぱり23歳としては否定しなくちゃあ。
「だぁいじょうぶ、やっちゃんまだまだがんばれるよ」
 袖を巻くって力こぶを作ってみせる。
これでもまだ赤ちゃんだった竜ちゃんを軽々抱っこしてたんだもん。
赤ちゃんって、見かけよりもずぅっと重いんだよ。
抱き癖がついちゃって、そっちの方が大変だったくらい。
けどそのおかげで、竜ちゃんが大きくなった今も、野球のボールみたいな立派な力こぶなんてできないけど、弛んだ二の腕ってわけじゃない。
ちょっとした、自慢。
「それにね、竜ちゃんにばっかり任せてるのもやだなぁって」
「おい、別に手なんて抜いてないぞ、俺」
 そうじゃないんだけどなぁ。
「ううん、ちがうの。お願いしてやってもらってて、なのにやっちゃんはなんにもしないなんて、って。それがやなの」
「いいんだよ、俺が勝手にやってんだから。そうでなくても泰子、疲れてんだしよ」


 微妙に噛み合ってないのはどうしてなんだろう。
 それにしても頑固だねぇ、竜ちゃんは。
とっても頑固で、すっごく心配性で、いっつも気の遣いすぎで。
そんなんじゃ疲れちゃうよ。
そういうとこが、竜ちゃんらしいけど。
「…じゃ、ちょっとだけいい?」
「おぅ」
 押し問答を先に降りたのはやっちゃん。
これ以上長引いても、竜ちゃんが折れないって知ってるから。
 握っていた包丁を置いてお湯で洗って、エプロンで軽く水気を拭うと背中に手を回す。
邪魔にならないように一纏めにしていた髪。
留めていたシュシュを取ると、パサリと広がる。
「んん〜…んー? なぁに?」
 伸びをしているやっちゃんを、なんでか知らないけど竜ちゃんがじっと見てる。
目線が絡まると、弾かれたような勢いで逸らされる。
心なしかその顔に朱が差したように感じた。
どうしたんだろ。
「どうかしたの、竜ちゃん」
「…なんでもねぇ」
なんか怪しい。
こっち見ようともしてくれないし、覗き込んでも目が泳いでるし、益々赤くなってくし。
へんなの。
 それからしばらくの間は特に何があるでもなく、竜ちゃんは淡々とチョコを刻んでるだけ。
やっちゃんは、隣でそれを眺めてるだけ。
ポキポキ。
パキパキ。
それにシャワーの水音が、狭い家の中、響き渡る。
「ねぇ、そんなに沢山使うの?」
「ああ、大河がな。友チョコにしてみんなに配るって言って」
練習に使って、それで余ったのを、なんだろうね。
こういう時ばっかりは、女の子が建前になってくれて便利。
女の子だからこういうことしなくちゃいけないっていう風潮がそもそも面倒だし、出費もばかになんないんだけど、それはそれ、これはこれ。
「いくらぐらいした?」
「そんなにはしてねぇぞ。明日が明日だから、どこも特売やっててよ。それにほとんど大河持ちだから安くすんだんだ」
まぁ、投売りしてでも余っちゃうよりはいいもんね。
余りもののそのまた余りものだって、食べてもらえる方がいいに決まってる。
「なら、大河ちゃんにお礼しなくっちゃ」
「おぅ。今度、大河の好きそうなもんでも晩飯に出しとくか」
喜びそうだねぇ、それ。
炊飯器の中身を空っぽにしちゃう大河ちゃんがありありと浮かぶ。
「竜ちゃんもするの? 友チョコ」
「ただでさえ目つきで色々言われてんだ、これ以上変な噂がたつのは勘弁してくれ」
かわいいのに。
「今年は、もらえそう?」
「どうだろうな」
これじゃ大変だなぁ、大河ちゃんは。
「…ほしい?」
「…さぁ」
微妙に空いた間に、なぜだか胸がチクリ。
「それじゃ、やっちゃんがあげよっか」
「どうせこの板チョコよりも安いやつだろ」
立てた指でわき腹を押した。
「もぉ、ホントはうれしいくせに」
「嬉しすぎて指から血が出ちまったよ」
蛇口から生える水柱に指を差し込む竜ちゃんに、大河ちゃんにとポケットに入れていた絆創膏を巻いてあげる。
「…痛い?」
「たいしたことねぇよ、このくらい」
真ん中に滲んだ赤い点が痛々しい。
「…ごめんね」
「平気だって。そんなに気にすんなよ、少し刺さっただけなんだから」

するよ。竜ちゃんがどう言ったって、しちゃうものはしちゃう。
「うん…ごめん…」
何も返ってこない、返さない竜ちゃん。
その肩に、頭を預けて寄り添う。
 途切れる会話、訪れた無言。
聞こえるのは、チョコを刻む音と水音。
それに微かな息遣い。
耳を澄ますと、寄りかかった分近づいた鼓動が、呼吸に合わせて聞こえてくる。
重たいかな、鬱陶しいかな…邪魔かな。
言ってくれればすぐにやめるのに、肩を少し動かしてくれれば離れるのに、竜ちゃんは黙々と手元を動かすだけで、
なんにも言ってくれなくて、けど、なんか、嫌がってないように感じるのは、そう思いたいやっちゃんが都合よすぎなせいかな。
それでもいい。
もう少しだけでいいから、こうしてたいのに。
「なぁ」
「…ん」
だめなのかな、やっぱり。
「泰子も、誰かに贈ったことあったりするのか。こうやって、自分で作って」
 思いがけない質問で、息苦しいほど締め付けられる胸に自分でもようやく気付く。
覚られぬよう吐き出した吐息のおかげで、強張っていた体から余計な力が抜ける。
気持ちも、少し楽になった気がする。
 肩越し、見上げた先にはまっすぐに見下ろす竜ちゃんがいて、返答を待っている。
なにを、なんて一々聞かなくてもわかる。
わからないのは、どうしてそんなことを気にするんだろう。
乳白色の明かりを放つ流し元灯で照らされたその顔からは何も読み取れなかった。
「あるよ」
緩慢に、けれど機械的な動作で動いていた包丁が一瞬止まったのを見逃さなかった。
わざと溜めを作ったけど、しなくてもよかったかな。
「竜ちゃんに」
取り戻しかけたリズムがまた乱れて、一際大きな欠片がシンクに転げ落ちていった。
もったいなくって、摘み上げて口の中へ放り込む。
うん、ちょっぴり水が付いちゃったけど食べちゃえば一緒だし、ぜんぜん食べられる。
ね、竜ちゃん?
「いつだよ」
 不服そうに、けれど戻したりしないで、飲み込んでからの竜ちゃん。
「すんごい前、まだ竜ちゃんが幼稚園ぐらいのときかなぁ」
成功した悪戯とこみ上げてきた懐かしさに、自然と笑みが浮かんでた。
竜ちゃんの方はちょっと、ていうか、かなり納得がいかないみたいだけど。
「本当かよそれ。俺、全然記憶にねぇんだけど」
 釈然とせず、疑いの眼差しを向けてくる竜ちゃんに、だけどやっちゃんは答えない。
記憶にないって、そんなの、覚えてない竜ちゃんが悪い。
本当はどうだったか、なんて、竜ちゃんがちゃんと思い出せばいいだけの話だもん。
だから、答えない。
代わりに、空いていた竜ちゃんの腕に両手を絡ませる。
「…揺すったりすんなよな。これ以上指切るのはさすがにイヤだぞ、大河じゃあるまいし」
 でも、やめろとも、離れろとも言わない。
そっけない物言いだけど、それはいつものこと。
相変わらず素直じゃなくって、隠すのもへたっぴで、見た目のことも相まって誤解されちゃうのに、そういう言い回ししかできない。
不器用なんだろうね、きっと。
おかしいよね、こんなになんでもできるんだから絶対器用なはずのに。
けど、不器用なんだろうなぁ。
「うん。それよりも、もういいの?」
「なにがだ」
「さっきのこと」
 竜ちゃんが視線を外した。
「遅いな、大河」
 思い出したようにを装って、取ってつけな話題を振る。
お風呂場からは、シャワーを浴びる音が今もしてる。
たしかに、もうずいぶん長く篭ってる。
手に書かれた『だ』の文字を落とすのに躍起になってるのかもしれない。
竜ちゃんが持ってたのってたしか油性だったから、お湯で流してるだけじゃ中々消えないのに。

 それにしても。
「ふーん」
「なんだよ」
はぐらかしたつもりなんだろうけど、全然はぐらかせてないよ。
竜ちゃん、知りたかったからわざわざ聞いたんじゃないの? チョコのこと。
やっちゃんはべつにそれでもいいんだけど。
ああでも、逆にやっちゃんも知りたくなったかも。
そんなことを知りたくなった理由。
なんだろうなぁ、ひょっとして、
「やきもち?」
「痛って」
 包丁の先っちょが刺さったのは、よりにもよって今切って絆創膏を巻いたばかりの、それもほとんど同じ場所。
見てるだけでこっちまで痛い。
「大丈夫?」
 即座にポケットからもう一枚、新しい絆創膏を巻いてあげる。
「大丈夫だけどよ、揺すんなって言ったばっかだろ」
 あれ、おかしいな。
今度はやっちゃんなんにもしてないよ。
どっちかっていうと竜ちゃんがビクンって動いたような気がするんだけど。
まさか、
「…竜ちゃん、図星だったりして」
 冗談半分にそう言ったけど無視された。
さすがにそれはあんまりだよ、さっきのだって今のだって、半分は本当に冗談のつもりだったのに。
もう半分は……
 パタンとドアが閉じる音がするのと同時に、甘い匂いに混じって石鹸の香りが鼻をくすぐる。
抱いていた腕を解いた。
寄せていた体も離して、人一人分空ける。
「お待たせ。あーさっぱりした」
 大河ちゃんが乾ききっていない髪の毛をバスタオルで拭きながら歩いてきた。
その手が微妙に赤みがかってる。
案の定インクを落とすのに大変だったみたい。
 と、竜ちゃんの顔を見た大河ちゃんが訝しげに眉を顰めた。
「なんかあったの? 竜児、顔赤いわよ」
「…気のせいじゃないのか。それよりも早く用意しろよ、まだやることが山積みなんだからな。手伝うんだろ、大河」
「あ、うん…ねぇ竜児、その」
 少しの間言い難そうにもじもじしていると、大河ちゃんが小さく呟く。
「…作り方、おしえて」
 ほっぺが染まっていたのは、きっと湯上りのせい。

 それから時間の許す限りみんなでチョコを作ってた。
あんまり広くない台所に三人並んで、そりゃもうギュウギュウで狭かったけど、だけどああやって一緒になってなにかをするのがとっても楽しくて、
気が付いたら出なくちゃいけない時間を過ぎちゃってた。
だから、お店にはちょっと遅刻しちゃった。
でも竜ちゃんと大河ちゃんのおかげでいいプレゼントができそう。

                    ***

 バレンタイン当日。
今夜はいつにも増して盛況だった。
もしかしたら貰えるかもって、軽く引っかけるついでにチョコ目当てにお店に来てくれたお客さんが大勢いて、
これだけあったら余っちゃうんじゃないかってくらい用意していたチョコは、お客さんの中の何人かが知り合いを呼んでくれたりもしたおかげで、
あっという間に底をついた。
遅くに来てくれたお客さんにはあげられなかったから、代わりにその分少しだけサービスしたけど、それを差し引いても、
ちょっと早いけどホワイトデーのお返しだってお客さんたちは大盛り上がりで騒いでくれて、お酒もおつまみも飛ぶように売れた。
そんなに喜んでくれると思ってなかったから、逆に申し訳ないな。
 酔い潰れちゃったお客さんを担いで、また来るよって、満足気にそう残して街へと繰り出していったお客さんを見送って。
がんばってくれた娘たちも送り出して。
簡単に後片付けを終えると戸締りを確認してからお店を後にした。

 その途中に立ち寄ったコンビニから一歩踏み出た瞬間、全身に吹き付けられる冷たい風。
袖口や裾から入り込んできて、寒くて鳥肌が立つ。
身震いをどうにか抑えて取り出したケータイ、映る時刻は三時の半分を過ぎていた。
横に表示されている日付は───
 どうりで寒いはず。
一年で一番寒い季節、一番寒い月、しかも一番寒い時間帯。
あと一月もすれば、昼間だったら少しはマシになるのかもしれないけど、それでもやっぱり夜は冷え込んだまま。
こうやってマフラーに顔を埋めて歩かなくってもいいようになるのは、まだまだ先のことになりそう。

───二月十五日。
特別な日は数時間前に終わって、今はもうなんでもないただの今日。

 大河ちゃんはチョコ、どうしたんだろう。
歩きながら、一日中気にかかっていたことをぼんやり考える。
今朝、朝ごはんの時間に遅れてきた大河ちゃんは眠たそうにゴシゴシ擦る目の下に、でっかい隈を作ってた。
大河ちゃん、ご飯食べながら寝ちゃったりもして。
竜ちゃんはそんなになるまで夜更かししてチョコ作ってたのかって呆れてたけど、
自分のためにそんなに頑張ってるって知ったらどんな顔するんだろう。
大河ちゃんも、ちゃんと渡せたのかな。
やっちゃんは朝会ったきりだから、結局どうなったんだろ。
朝だったら大河ちゃんがあの調子だったし、竜ちゃんも至って普段どおりだったから多分まだ渡してなかったろうし、
竜ちゃんたちが学校に行って、帰ってくる前にはやっちゃんもう出かけてたから、その後なにがあったかは知らない。
学校で渡したのかな。
うーん、ないなぁ、人一倍恥ずかしがり屋さんな大河ちゃんのことだから、人がいっぱい居るとこでそういうのしないだろうし。
じゃあやっぱり家で、二人っきりのときに?
それが一番無難で、ありえそうで、大河ちゃんも必要以上に緊張せずに自然に渡せそう。
贈って、贈られて、どっちも真っ赤になった竜ちゃんと大河ちゃんが簡単に想像できる。
だけど想像の中の二人はとっても幸せそうで、それで───……
そんなことを考えているとアパートの前を通り過ぎていた。

 疲れたとか眠いとか、そんなんじゃなくて、言葉では表せない何かで、なんだか気が滅入る。
変なこと考えるんじゃなかったなぁ、なんか、帰りづらい。
こんなことならもっと飲んでおけばよかった。
あとで怒られるのも小言をいぃっぱい言われるのもわかってはいるんだけど、くだらないことで悩むよりはいいのに。
 差し込んだ鍵をゆっくり捻ると、カチャンて小さく音がした。
回したノブがやけに重く感じる。
 当たり前だけど家の中は真っ暗で何も見えない。
もうこのまま寝ちゃいたいけどさすがにこんな寒さの中、居間なんかで寝たんじゃ風邪をひく。
見えない壁に手を這わせて手探りで明かりを点けた。
 一度、二度と頭上で明滅する蛍光灯。
その真下でモゾモゾと不気味に蠢く、大きな影。
いきなりのことに驚いて提げていたバッグを落とした瞬間、その影はあくび交じりにこう言った。
「おぅ、おかえり。今帰ったのか」
 ビックリして損した。
得体の知れない変な影だと思ってたのは丸まって寝ていた竜ちゃんだった。
 竜ちゃんは体を起こすと傍で呆けているやっちゃんに気付いて、
「なにしてんだ泰子、そんなとこでボケっと突っ立って」
って、変なものでも見るような目を向ける。
なにしてるって、それ、やっちゃんのセリフだよ。
なんで自分のお部屋じゃなくて、こんな寒いとこで、それもお布団も敷かないで竜ちゃんが寝てるんだろ。
「四時前か…なら、もう十分だな」
 疑問を口にする前に、竜ちゃんは台所へ。
冷蔵庫を開けると中からなにか取り出して、それをやっちゃんから隠すよう後ろ手に持って戻ってくる。
「ほら。これ、俺と大河から」
「え?」
 差し出されたのはこれ以上なく意外なものだった。
右手には淡いピンクの包装紙に黄色いリボンが十字に巻かれた、ハートの型をした箱。
左手には装飾もなにもない、シンプルな四角い箱。
そっと受け取るとまだひんやり冷たい。

「これって…」
 手の中に納まる二つの贈り物。
バレンタイン・チョコ…なんだよね、もしかしなくても。
それも竜ちゃんと大河ちゃんの、手作りの。
考えてもみなかった。
こういうのは贈るのが当たり前で、実際今夜だってお客さん相手にそうやってて、なのに、まさか贈られることになるなんて。
 いきなりの展開に頭がついていかない。
だって帰ってきたらなんでか竜ちゃんが寝てて、でも起きてすぐこんなことになって。
だめだ、やっちゃんの頭じゃ上手く纏めらんない。
お酒も入ってるし、ひょっとしたらこれって夢なのかも。
本当はやっちゃん、またいつもみたいにだらしないカッコで寝てたりして。
 でも、掌から伝わる冷たさと重さが、確かな現実感を与えてくる。
「帰ってくる途中、大河が急に泰子にもって言い出したんだ。
 俺はまぁそこまでしなくてもいいんじゃねぇかって言ったんだけど、贈るったら贈るってきかなくってよ、あいつ。
 作り方だってろくに知らなかったくせに、それでも」
 竜ちゃんの言うとおりだよ、大河ちゃん。
その気持ちだけでいいのに。
「そうなんだ…大河ちゃんが…」
「…自分で渡すんだってずっと待ってたんだけど、やっぱ疲れてたんだろうな。
 寝不足もあったみたいだし、けっこう前に寝ちまったよ」
 まぁ俺もなんだけどなって、バツが悪そうにため息を吐く。
だから竜ちゃん、そんなところで寝てたんだ。
ベッド、大河ちゃんに貸してあげたんだね。
 自分よりも大河ちゃんを大事にできる竜ちゃんが嬉しくて、けれどそれと同じくらい、もっと早く帰ってくればよかったって後悔した。
眠いのを堪えて待っててくれたのに、こんなに素敵なプレゼントまで作ってくれてたのに、なのに帰りづらいとか思ったりして。
明日会ったらちゃんと謝って、お礼を言おう。
 ああ、そうだ。
忘れていたことを思い出した。
お礼、まだ言ってなかった。
「それとよ、その、なんだ…ありがとうな、泰子」
 だけど、言おうとしたその矢先。
伝えようとした言葉は竜ちゃんに先を越された。
「…竜ちゃん…?」
「…感謝してる。いつもだ。ただ、面と向かってっていうのは恥ずかしいっていうか、こういう時じゃなきゃ…なに言ってんだろうな、俺」
 そうだよ竜ちゃん、なに言ってるの?
感謝してるって、それはやっちゃんの方。
掃除とか洗濯とか、ご飯のことだってそう、お家のことなんでもしてくれて、感謝なんてしてもしきれないのに。
ありがとうを言うのはやっちゃんの方なのに。
「…泰子?」
 俯くやっちゃんに竜ちゃんが不安げに声をかける。
「お、おい」
 顔は上げないまま、声のする方へと一歩、もう一歩。
すぐになにかにぶつかって、それ以上進めなくなった。
 面と向かうのが恥ずかしいって、竜ちゃんは言った。
だからほら、こうすればお互い顔が見えないから恥ずかしくない。
素直な気持ちを言葉にできる。
「…ありがと…チョコ、作ってくれて…待っててくれて…こんなバレンタイン初めて…うれしい」
「…おぅ」
「これ…大切にするね」
「いいんだ、大切になんかしなくても。食ってくれた方が大河も喜ぶぞ? …俺だって…」
「…そっか…うん、そうだよね…大切に食べる」
「おぅ」
「…ねぇ、竜ちゃん」
「ん?」
「あのね…大河ちゃんもだけどね」
「なんだよ、改まって」

「大好き」

                    ***


「もう! どうして先に渡しちゃったのよ! ていうか渡すんなら渡すでなんで起こしてくれなかったの!」
 朝から大きな声で怒っているのは大河ちゃん。
「だからそれはついでのつもりで、大河もよく寝てたし…ちょ、た、大河? お前なにを…っ!?
 わ、悪かった、全部俺が悪かったからインコちゃんのカゴから手を離せ、な?」
 怒られてるのは竜ちゃんで、さっきからずっと大河ちゃんに平謝り。
お腹をさすってるのはお腹が空いてるからじゃなくて、まだ痛むんだろうなぁ。
「知らないわよ、あんたが勝手なことするからいけないんでしょ!? どうしてくれんのよ、竜児のバカ! バカバカバカ!」
「それとこれとは関係ねぇだろ!? インコちゃんに当たんな!」
「うるさいうるさいうるっさぁい! なによこんなブサインコ!」
「…げぽっ…」
「インコちゃん!? お前、いい加減にしろって!」
 冷蔵庫の中から忽然と失くなっていたチョコレートを大騒ぎで探していた大河ちゃんに起こされたのは、まだほんの十分くらい前の話。
 居間にお布団敷いて寝ていたやっちゃんと、一緒に寝ていた竜ちゃん。
余分なお布団はなくて、最初竜ちゃんには遠慮されたけど、風邪なんてひかれたら大変だし、やっちゃんも竜ちゃん一人寒いままにして寝られない。
だから、一緒のお布団に包まって、一緒に寝て。
それだけだけど、懐かしかったなぁ、あーいうのって何年ぶりだろ。
 そうやって寝てた竜ちゃんは、大河ちゃんにお腹を踏んづけられて無理やり起こされてた。
耳元で騒がしくされて、やっちゃんも目を覚ます。
 ぼやけた視界にまず飛び込んできたのは胸元を両手で掴まれて、がっくんがっくん揺すられている竜ちゃんだった。
でもその時はまだ何があったのか知らなかったから、
『どどど、どうしよ竜児…チョコ、ない…』
って、大河ちゃん、泣きそうな顔してた。
咽こんでところどころつっかえちゃってた竜ちゃんに代わって昨日のことを説明すると、
事情を飲み込んだ大河ちゃんは一転して、節分もとっくに終わったっていうのに鬼みたいな形相で竜ちゃんをポカポカ叩き始めたけど。
「たーいーがーちゃん」
「ひゃっ」
 背中に飛びつくと、大河ちゃんの動きが止まる。
その隙に竜ちゃんは引っ張り合っていたインコちゃんのカゴを奪い取った。
「あ…やっちゃん…」
「うん?」
「…あの…」
「おいしかったよ」
 ぎゅっと力を込めて抱きしめると、大河ちゃんが息を飲む。
「…ほんとう?」
「ほんと。ほっぺ落ちちゃうかと思ったくらい」
 あ、いま落ちちゃったかも〜、なんて言いながら大河ちゃんのほっぺにほっぺをくっ付けて、ぐりぐり擦り合わせる。
くすぐったそうにしてるけど、大河ちゃんからもぐりぐりしてくる。 
滑らかで柔らかい大河ちゃんのほっぺ、あったかい。
「ありがとう大河ちゃん、やっちゃんとってもうれしかった」
「…いいの、喜んでもらえたら、それで」
「そうだ、今度は大河ちゃんから直接もらいたいからぁ、今から来年の分、予約しちゃってもいい?」
「え?」
 自分で言っといてなんだけど、あつかましくって図々しいなぁ。
断ったりしないってわかっててやってるんだから余計にたちが悪いっていう自覚もある。


「だめ?」
 ダメ押しまでつけると大河ちゃんがブンブン首を振る。
髪の毛が顔にかかって、今度はやっちゃんの方がくすぐったい。
「じゃ、約束。楽しみにしてるね」
「…うん、期待しててね」
 いい子いい子は子供扱いしすぎたかなぁ。
いっか、大河ちゃんもなにも言わないし。
それに大河ちゃんはもうやっちゃんの可愛い子供だもん。
よしよし、えらいえらい。
「それじゃあ次はぁ、竜ちゃんと仲直りしよっか」
「え、えぇ!? そそそ、それとこれは」
「いいからいいからぁ〜」
 途端にうろたえだす大河ちゃん、その脇の下に手を差し込んでひょいと持ち上げる。
軽いなぁ、ちょっぴりうらやましい。
そのまま成り行きを黙って見守っていた竜ちゃんのとこまで抱えてくと、目の前で降ろした。
「ほぉら、大河ちゃん」
 最後にポン、て背中を押してあげる。
「う…」
 大河ちゃんが目を伏せる。
けど、固く握り締めた手─── 一昨日、竜ちゃんに『だ』を書かれた───を見ると、おずおずと視線を上げていって、
「…ごめんなさい」
 への字に結んだ口を緩めた竜ちゃんは、重そうなため息を一つ吐き出した。
「…俺の方こそ悪かった。大河のやつまで一緒に渡しちまって」
「竜児……」
「だけどな、大河、インコちゃんにはきちんと謝っとけよ。大変だったんだぞ、げーしてて」
 竜ちゃんの言葉に、大河ちゃんがインコちゃんへと体を向ける。
「悪かったわね、ブサコ」
「イィーッ!」
「どっちよ、それ」
「インコちゃんもう怒ってないって」
 インコちゃんへの謝り方は、竜ちゃんにしたような素直なごめんなさいじゃなくて、大河ちゃんらしいものだったけど、
多分そう言ってるんだよね、インコちゃん?
「…これでいいでしょ、竜児」
「まぁ、大河にしては素直だったしな。いいんじゃないのか」
 言って、やっちゃんを横目で見やる。
「うん。仲直りしたんなら、もういいよ」
 そう言うと、竜ちゃんはすぐさま台所へ行こうとする。
「あ、ちょっと待って竜ちゃん」
それを押し留めて、朝ご飯の支度を待ってもらった。
首を捻る竜ちゃんと大河ちゃんを前にして、きっとやっちゃんは隠しきれてないにやけ顔になってたと思う。
「ホワイトデーには三倍にして返すけど、先にこれだけ、ね」
 二人の手に握らせたのは、気まぐれに買った、あの小さなチョコレート。
竜ちゃんと大河ちゃんがケンカしてる時、こっそりポケットに忍ばせていて、渡す機会を窺ってた。
貰ったチョコと比べたらぜんぜん吊り合わないけど、今日はもう特別な日じゃないけど、なにか、なんでもいいからあげたかった。
想いや気持ちを形にして、大切なひとに。
 竜ちゃんはやっぱり安物じゃねぇかって苦笑して、ぽかんとしてた大河ちゃんも竜ちゃんにつられてくすくす笑ってた。
やっちゃんも、なんだか可笑しくって。
 ひとしきり笑いあったあと、竜ちゃんと大河ちゃんが顔を見合わせる。
「ありがと、やっちゃん」
「ありがとな」
 二人は満面の笑顔で、口を揃えてそう言った。

───大切なひとに贈りませんか?

 なんでもないただの今日。
そのはずだったけど、ただの今日から、忘れられない今日になった。
特別で、大切で、かけがえのない思い出がたくさんできた、一日遅れのハッピーバレンタイン。

───贈ったよ、小さなチョコいっぱいに想いを託して
     大切で、大好きなひとたちに




432 174 ◆TNwhNl8TZY sage 2010/02/14(日) 00:26:08 ID:FQmdbRD5
おしまい

420 174 ◆TNwhNl8TZY sage 2010/02/14(日) 00:12:22 ID:FQmdbRD5
やっちゃんSS投下

「バレンタイン」


【田村くん】竹宮ゆゆこ 28皿目【とらドラ!】
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