web上で拾ったテキストをこそっと見られるようにする俺得Wiki


夏ももうすぐ終わりとはいえ、今日は随分暑かった。
だが、東京と違って、こっちは湿度が低いせいか、夜になると過ごしやすい。
俺のアパートがあるトラステベレ界隈は若者が多く、過ごしやすい夜の恩恵を、彼らは大いに受けている。
少々騒がしくもあるが、どこか下町っぽい雰囲気が、俺はとても気に入っていた。
厳しくも楽しい仕事を終えた俺は、足早にティベリーナ島に向かう。 まだ日は沈みきっていないが、この街の治安はお世辞
にも良いとはいえない。
暗くなる前に待ち合わせ場所である、ポンテ・ロットが見える島の南端に着くことが出来たのは、日本から知り合いが来ている
と知って、早めに仕事を切り上げてくれた親方のお陰だ。
そうだ。 小心者の俺じゃなくたって、あいつを一人で待たせてたら、心配になるに決まってる。
なにしろ俺の待ち合わせの相手ってのは、それはもう、飛びきりの美人なんだからな…。

俺がどうしてこの街にいるのかって言うと…。
俺は高校を卒業した後、本格的に料理の道を目指すことにした。
最初は都内のレストランで修行を始めたが、運のいい事に、そこのシェフに目をかけられて、本格的に修行してみないか、
と誘われたのは、もう2年前になる。
その『本格的な』修行場所が、偶々ローマだったって、まぁ、それだけの話だ。
そして、つい2日前。
偶然、そう、本当に偶然、トレヴィの泉辺りを散歩していた俺はあいつに会ったんだ。
今から5年前。 高校二年の冬に別れてから、一日だって、その少女の事を思い出さない日は無かった。
それが、当時の俺が、俺自身とした約束だったからだ。
『一度忘れるくらいなら、もう思い出さなくていい』 …そうかよ。 なら、俺は一度だって、お前の事は忘れてやらねぇ。
その誓いは確かに守られた。 ああ、今この瞬間だって…
黒くシルエットになった石造りの堰堤と川沿いの木々。 まだ太陽が沈んだばかりの空を映すテベレ川は金色に輝いている。
しかし、その輝きすら霞んでしまうような、息をのむほど美しい女を、忘れる筈がない。 忘れられる筈がない。
いつも、俺の心の中にはあいつが、
――― 川嶋亜美が ―――  居たんだ。


        ローマの祝日


「おっそーい、高須くん! 亜美ちゃん帰っちゃおうかと思っちゃった。」
そんな台詞を吐きながら、顔は全然怒ってねぇ。
「すまねぇ、待たせちまって。」
「ふふふ。 じゃぁ、亜美ちゃんを待たせた罰でぇ……」

2日前にこの街で再会してから、毎日俺達は逢っていた。
最初の日は、俺の働いてるレストランに行ったが、その後、どうしても俺の腕前が見たいって話になって、わざわざ俺の
アパートに移動して手料理を振舞うことになった。
昨日は昨日で、急に夜に呼びだされて川嶋が泊まっているホテル・エデンに行った。
『昨日のお返しだよ。』なんて軽く言って、ホテル・エデンのレストラン、ラ・テラッツァで食事をご馳走になっちまった。
言ってみれば俺の目標の一つでもある、有名レストランだ。
けれど、川嶋は俺の料理のほうが美味しかったなんて抜かしやがった。
こいつはお世辞なんか言わねぇ奴だから、本当に俺の料理の方が口にあったのかも知れない。
だが、俺にとっては、俺の料理なんか、まだまだ修行が足りないと思わせるに充分な完成度の料理だった。
それもしても、あんな豪華なホテルのスイートに普通に泊まってる川嶋は、社会一般じゃ、やっぱり特別な人間なんだろう。
実際、俺がこっちに来る前でも、女優として成功しつつあった。
俺の中では、それは嬉しくもあり、一方でどこか寂しい気がしてたってのも事実だったんだ。

そして今日はきちんと約束していた。
夏になると、このティベリーナ島と、その周辺のテベレ河畔は綺麗にライトアップされて、露天レストランや、ピッツェリア、
ワインバーから、果ては映画館まで並ぶ。
今夜は二人でこの川沿いを中心に散策しようと決めていた。
川沿いの堰堤は青い蛍光灯が並び、徐々に光を失う空に代わって辺りを照らす。
2000年以上前から川の往来を助けた石橋もライトアップされて、古都の夜に浮かびあがり始める。
それは素晴らしくロマンチックな光景で、夏のローマの風物詩の一つだ。
だが、川のすぐ傍は若干匂いがするので、俺のお勧めはこのティベリーナ島の最南端のワインバーだった。
「日本じゃ、イタリアワインというと、すぐにトスカーナの赤ワインを思い浮かべちまうが、白もいいワインが多い。 特にこの
ビアンカ・ディ・ヴァルグァルネーラは香りもいいし、しっかりした味わいで食事にも合う。 酸味も強すぎず、ブドウそのも…」
「もう、高須くんって、相変わらず、薀蓄好きなんだから。」
「お、おぅ。 すまねぇ、つい…」
「うん。 でも、本当だ。 美味しいね、このワイン。 色も琥珀色がかってて綺麗だし。 こうして光当てると…ほら、見てよ。」
「お、おう! だな。」
「なーにぃ? なーんか適当っぽい返事なんですけどぉ。」
馬鹿いってんじゃねぇ。 綺麗なのはお前の方だって。
「……………」
「な、なんだよ…。」
悪戯っぽい瞳でじっと見つめられて、つい視線を逸らしてしまう。
「ううん。 なんでも。 ……ねぇ、高須くん。 みんなは、…元気?」
みんな… 川嶋の言うみんなってのは誰の事なんだろう…。
「いや、俺もこっちに来ちまったから、殆ど合ってねぇし…… 櫛枝は、お前の方がわかるよな。」
「うん、実乃梨ちゃんは実業団で頑張ってるみたいだね。 この間も新聞に出てたよ。」
「おぅ。 そっか。 ああ、そういえば北村が近いうちにローマに来るって手紙を寄越したんだった。」
「祐作はどうでもいい。」
「お、おぅ。 そうか…。」
「タイガーは… 元気?」
「あ、ああ。 大河は相変わらずだ。 この間、ローマに来てな、無理やり『ローマの休日』めぐりの案内させられたよ…。」
「へぇ。 あいつ一人でイタリアまで来たの?」
「いや、大学の友達が一緒だったよ。 あいつも、大学でいくらか新しい友人が出来たみたいだ。 まぁ、相変わらずの
依存体質だったけどな。 いまでもしょっちゅう泰子のところに行ってるらしいしな。」
「ふふふ。 そうなんだ。 なんか意外と変わってないんだね。」
「だなぁ。 いまだに春田や能登にも手紙を出したりしてるし、みんな本質的には変わらねぇのかもしれねぇな。」
「あたしは… 変わっちゃったよ…」
「え?」
「ううん、なんでもない。」
「いま、お前…」
「あーーーー! そこにあったチーズは?」
「へっ? あ、ああ、今俺が食った。」
「信じらんなーい! それ亜美ちゃんが食べようと思って楽しみに取っておいたのにーー! 弁償してっ。」
「な! んな事、今更言われたってなぁ。 それになんでお前のって決まってんだよ、名前でも書いてたのか?」
「書いてた。」
「即答かよ……。」
いつものように俺をからかう姿は5年前と変わっちゃいない。 だが、さっき一瞬見せた無防備な顔も…
やっぱり5年前と、あの展望台で見せた顔と、……変わっていなかった。

「あーー 楽しかったぁ。」
「ああ。 俺もローマに来て、こんなに夜歩きしたのは初めてだ。」
結局俺達は川沿いをサンタンジェロ城まで歩き、帰りはナボーナ広場のカフェで寛いだ後、古い町並みを通って、最初の
ティベリーナ島まで帰って来ていた。
「あ、もうこんな時間だね。 高須くん、明日も仕事でしょ? そろそろ帰らなくて大丈夫?」
「お前こそ、大丈夫かよ? 無理はすんなよ?」
「あたしは大丈夫。 明日は午後の飛行機でロスに戻るだけだから。」
「え? ロス? 明日戻る?」
「うん。 そっか、高須くんは芸能とか興味ないもんね。 知らないんだ、あたしの次の出演作。」
「あ、ああ。 わりぃ…。」
「いいよ。 なんか、いかにも高須くんらしいし。」
「今度の映画ね、あたしのハリウッドデビューになるんだ。 もちろん、サブヒロインって程度だけど、でも、凄くいい役なの。
ママも、上手く演じられたら、確実にメインヒロインを喰える役どころだって。」
「そうなのか…」
「あたしもね、今回の役は気に入ってるんだ。 ちょっとあたしに似てる気がしてさ…。」
「なんだ、そんなに腹黒いサブヒロインなのか?」 すこし元気が無い気がしたから、挑発してみた。
「はぁ? こーんなに可愛い亜美ちゃんつかまえて、なーに、その言い草。 マジありえねぇっつの。」
「ははは。 わりぃ。 確かに今の川嶋は腹黒いって感じじゃねーな。」
「ふ、ふん。 ま、解ってんならいいけどさ。」
「それより、ロスに戻るって、どういうことなんだ?」
「もう撮影始まってるのよ。 スタジオ撮りは殆どロスなんだ。 それでね、もう3ヶ月も缶詰だったの。 だから、この三日間は
凄く気晴らしになった。 撮影の下見なんて口実で、実際は出演者の慰安旅行みたいなもんなんだよ、今回は。」
「そうか……明日、居なくなっちまうのか…。」
落胆。 いや、解ってた。 川嶋がいつまでもここに居るわけじゃないってのは。 
「うん。 でも、またすぐ来るけどね。 今度は本当に撮影で。」
「そ、そうか。 …そうか。    ……そっ、そしたら、そん時にまた、逢えるか?」
「……」
「川嶋?」
「ねぇ、高須くん。 あたし… あたし、もう一度、高須くんの部屋に行きたいな。」
今から? 俺の部屋にって… それって、まさか、そういう事なのか?
いやいや、まさかそんな訳ねぇ。 なに考えてるんだ、俺。
「高須くん?」
「お、おぅ。 わかった。 んじゃ、行くか。」
「…うん。」

部屋に着いて暫くの間は、当たり障りの無い雑談だった。
川嶋は、一昨日も此処に来ている。 
だから、特段珍しいものがあるわけじゃない俺の部屋で、振るべき話題が無くなるまでそう長くはかからなかった。
川嶋は俺の部屋に着いてから、少しだけ口数が減っている。
そして、そんな態度が俺の鼓動を容赦なく急かす。
やがて訪れた沈黙。
なにか言わなくてはと思って、慌てて口を開こうとした俺に、囁くような川嶋の声が届いた。
「高須くんは、あたしの事、ずっと考えていてくれたんだよね? 忘れないでいてくれたんだよね?」
「おう。」 再会した日にそれは言った。 そしてそれは紛れもない事実だ。
「ねぇ、もし、高須くんが嫌じゃなかったら…」
「嫌じゃなかったら?」
「…嫌じゃなかったら、あたしの事、抱いて…。」
「!」
心のどこかで予想してはいた。 いや、願望だったのかもしれない。
断れる筈が無い。 
憎からず思っている、これほどまでに美しい女性に抱いてと言われて断る男は、最早、雄ではい。
俺の無言を是と取ったのか、川嶋はゆっくりと俺に体を寄せてくる。
薄着の胸元は微かに下着のシルエットを浮かばせて、そのふくらみが俺の腕に触れた。
「シャワー、浴びてくるね。」

川嶋がその薄い壁の向こうに消えて、水音が止むまでの時間、俺は少しも落ち着けなかった。
俺は多分、いや間違いなく、この気紛れな堕天使に惚れている。
そして、彼女も多分、俺の事を好きでいてくれたんだ。
だから、その川嶋とのセックスは望み通りな筈だ。 けれど、何故か釈然としない気持ちが残っている。
それがなんなのか解らず、ただ気持ちの昂ぶりとごちゃ混ぜになって、俺を困惑させていた。
「お待たせ。」
突如、古臭い安アパートに、ヴィーナスが現れる。
バスタオルを体に巻きつけ、濡れた髪をタオルで覆う姿は、邪魔物を身に纏っていてもなお、美の結晶と言えた。
ゆっくりと彼女は歩み寄ってきて、俺の首に腕を回す。
間近で見る双丘は高校の時に思っていた印象より、いくらか小さく見える。 しかし、それでも充分に豊かで、そして
何より美しい形をしている。 
我慢できずに、バスタオルを解こうとしたら、頭を胸に抱かれた…。
突然、顔に押し付けられた柔肉に文字通り息が止まる。
顔を上げて、川嶋の目を見る。 それは、優しい色を湛えながらも、底なしの湖のようで。
「本当に、いいのか?」 「頼んだのは、あたしの方だよ?」
その瞬間、理性が頭を引っ込めた。
川嶋の胸元に食らいつくようにキスしながら、バスタオルを剥ぎ取って、ベッドにその華奢なのに豊満な体を放り込んだ。
夢中で覆いかぶさる。
激しく求める俺に、川嶋は怯えもせずに、優しく体を開いてくれた。
「うふふふ。 高須くん、そんなに慌てなくても、あたしは逃げないよ…。」
答える余裕は無かった。
仰向けに寝てもあまり形の崩れない、しかし、手にすれば水のように逃げていく胸はいったいどんな奇跡なのか?
その先端を彩るやや褐色がかったピンクの乳首は早くも硬くなっている。
川嶋も感じてくれている。 そう思うと嬉しくて仕方が無い。
「川嶋… 川嶋…」 無意識に呟く声に、鈴の鳴るような透き通った、それでいて甘美な声が重なる。
「亜美って呼んで…。 今だけで、いいから…。」
その美しい唇を塞いでやろうと、顔を上げる。 しかし、待ち構えていたかのような白い指に頬をとらわれ、川嶋の顔が
近づいてきて… 額にキスされた。
「高須くん、なんだか必死。 もしかして、初めてなの?」
図星を突かれて、多分、俺は顔が真っ赤になった。

「……悪かったな、どうせ俺は奥手な童貞君だよ…。」
「ううん。 すごく高須くんらしいよ。 きっと高須くんは、本当に大切な人とじゃないと、こういう事、しないんだよね? 
だからあたし、今、凄く幸せだよ?」
「川嶋は…」「亜美。」
「亜美って呼んで。」
「じゃ、あ、亜美は、どうなんだよ。 慣れっこなのか、こういう事。」
前半は恥ずかしさ、後半は胸が痛い。 そのせいで少し声に棘が生えてしまった。
「………慣れっこじゃないけど、初めてじゃないよ。」
幻想だって解ってた。 俺が始めての男だったらいいなって、そんな思いは幻想だって。 でも苦しい。 こんなにも、痛い。
表情に出てしまったのか、亜美の表情も少し曇る。
「ごめんね。 白状すると、あたし、高須くんの事、忘れようとしてたんだ……。」
喋りながらも、亜美の白い指は俺の背中や胸をするすると這って行く。 時折、唇が俺の胸に、腕に、頬に、首に、触れる。
「忘れるって… お前、それ」
「だって、辛かったんだ…。 あたし、そんなに強い子じゃなかった。 自分が思ってるほど…」
「知ってる。」 「…!」
そうだ。 俺は知っている。 今は、知っている。 こいつは、何時も何時も嘘ばっかりついて、自分の心を見せてくれない。 
けれど、いつだって、……いつだって本当は、助けて欲しいって、寂しいって、叫んでたんだ。
「亜美。 俺は知ってるぞ。 例え世界中の誰もが気がつかなくても、俺だけは、知ってる。 解る。 そう…信じてる。」
「高須くんは…凄いよね… いつもあたしの鎧をさ、簡単に貫いちゃう。 そして…そのまま、心臓まで貫いちゃうんだもん。」
「おいおい、そんな物騒な例えは勘弁してくれ。 俺のこの面じゃ、しゃれになんねぇ。」
滑らかな体に唇を這わせ、震える亜美の体を確かめながら、言葉を交し合う。
そんな言葉に乗った感情が、込められた想いが胸に染み込んでいく。
体を覆う快感と、胸に届く想いが一体となって、俺達二人を結び付けていく。
俺の指が亜美の股間の膨らみに届いた時、初めて亜美は微かに甘い声を漏らした。
指に粘りつく亜美の体液。 舌で乳首を転がしながら、秘部を愛撫する。
次第に考えが意味を成さなくなってくる。 腕の中でのけぞる亜美もまた、そのようだ。 ついに言葉が途絶えた。
口から出るのは、愛しい女の名前だけ。
「亜美… 亜美… 」 それは出会ってから今日までで、始めて呼んだかもしれない呼び方で。
「たかすくん… きもち …いい …よ たか、す…」 亜美も最早、言葉は途切れ途切れ。
トロトロになったソコに自分自身を突き挿す。 初めての体験は、驚くほどに自然に、しかし衝撃的な快感を伴って為された。
深く、ゆっくりと挿していく。 それだけで、我慢できなくなりそうに、亜美は攻め立ててくる。
根元まで届くと、亜美のこんもりと盛り上がった丘がふわふわのクッションのようだ。
そのまま、亜美の中の感触を味わう。 いや、正確に言うと、動けなかった。 下手に動いたら、たちどころに達してしまい
そうなほど、亜美のソコは熱く、気持ちよかったから。
その俺の眼前で、亜美は身を震わせている。 さっきから、あまり嬌声は上げないが、本来はそういうものなんだろう。
ちゃんと、亜美が感じてくれているのはわかった。 そして、それが何より嬉しくて、何より俺を興奮させるのだ。
そして、ゆっくりと動き出す。
動きに合わせて、嬌声が漏れ出す。 可愛らしい声に更に興奮が高まる。
その汗に濡れた姿は、信じ難い程、美しく、可愛らしい。 
ああ、俺は、この性悪な女神に捕らえられてしまった、もう逃げ出す事なんか、とても無理だ。 
現実感の無い、ふわふわした高揚感の中、俺の意識は真っ白になり、ただ、亜美との行為に没頭していく。
亜美の体は俺の腕の中で何度も跳ね、透明な液体が飛び散り、激しく痙攣する。
そして俺は、亜美への想いの全てを、亜美の中に吐き出した……。

ベッドで抱き合ったまま、俺達は余韻に浸っていた。
亜美の綺麗な黒髪を指に絡んで弄ぶ。 そんな俺を、亜美は微笑ましく見守ってくれている。
こんな安らいだ気持ちは、生まれて初めてだった。
「高須くん。 セックスって、こんなに気持ちいいものなんだね。 あたし、知らなかった。」
不意に亜美がこんな事を言った。
「お前、初めてじゃないって…」 言いかけて後悔した。 バカだ俺は。 なんてデリカシーの無い…。
「うん。 初めてじゃないよ。」 そう言いながら、上半身を起こし、亜美は膝を抱えた。
「でもね、そいつはあんたみたいに料理は上手じゃないし、掃除も出来ないし、洗濯も、裁縫もできないし、大して優しくも
ないし…… それに、そんなに凶悪な面してなかったし。」
そう言うと、性悪笑顔で俺を見返す。
やがて亜美は服を着ながら、こう続けた。
「さっき高須くんの事、忘れようとしてたって、言ったよね?」
「…おう。」
「あたしね、その人に逃げようとしてたんだと思う。 そして、半ばヤケクソ気味に体預けちゃったんだ…。」
「…………」 自嘲的な表情は、時々亜美がする、俺の嫌いな表情の一つだった。
「何度か抱かれて、それであとはそれっきり。 そこはね、あたしの逃げ場所じゃなかった。 自販機の隙間にすら、その
人はなれなかったの。 それに、その人とのセックスも、こんなに気持ちよく無かった。」
「そう、か。」
「それでね、それがスキャンダルに成りそうになって、あたし、女優として大事な時期だったから、事務所がその人ごと揉み
消しちゃったの。」
「その人ごと揉み消したって…」
「どうなったのか、わかんない。 大金掴ませたのか、脅したのか…。 とにかく、その人はいきなりあたしに別れを告げて
どこかにいっちゃった。」
「でもね、あたし、悲しくなかったの。 全然、涙もなんにも出なかった。 高須くんの事も忘れられなかった…。」 
「……」
「だけど、今度は大丈夫。 高須くんが、あたしの事、優しく抱いてくれたから。 大丈夫。」
また、あの顔だ。 無防備で、どうしようもなく悲しくて、寂しげな、笑顔。
ここに来た時と同じ姿に戻った亜美は、まるで俺との事など無かったかのような佇まいで…。

「これで、あたし、高須くんの事、忘れられる…。」

「なっ! お、お前、何言ってんだよ。 意味わかんねーよ!」
「凄く考えたんだ。 あたし、高須くんみたいに頭よくないけど、この3日間、考えて、考えて、考えて、それで出した結論。」
「今のあたし、大事な時期なんだ。 だから、高須くんもさ、さっき話した人みたいになっちゃうかもしれない。 それに高須くん
には立派な料理人になるって夢があるんでしょ? あたしも、高須くんに夢を叶えて欲しいって思ってる。」
「そんなの、関係ねーだろ、なんでそれでお前がっ」
「いいんだよ。 こういっちゃなんだけど、あたしは一生働かなくてもいいくらいのお金もあるし、見た目だって、社会的な地位
にしたって、恵まれ過ぎな位恵まれてる。 
だから、今日、高須くんに抱いてもらったから、もう、一生分の幸せ貰ったから…… いいんだ。
けど、高須くんはあたしと一緒にいたら、押しつぶされちゃう。 例えあたしが今女優辞めたとしても、あたしの引退のきっかけ
作ったってだけで、一時的にでも書き立てられる。」
「何言ってんだよ、そんなの、…そんなの俺は気にしねぇ。」
「高須くんは、この業界の事、解ってない。 マスコミの力って、本当に怖いんだ。 興味本位で、儲かるなら嘘だって書く。
それで、誰かが不幸になっても、しったこっちゃない。 そういう世界なんだよ。」
「…これは本当の事なの。 あたしと居たら、高須くんは必ず不幸になる…。」
ショックのあまり、俺は不覚にも動けなかった。 まるで、真空に投げ出されたかのように、喉が空気を吐けない。
「だからね、高須くん。 これはあたしからの最後のお願い。」

「あたしの事は、……忘れて。」

そう言い残して、川嶋亜美はローマの街を後にした。

それから3週間が過ぎた。
親方は俺を怒鳴り散らしながらも、気遣ってくれている。
申し訳ないと思った。 だが、どうしようもない。 もう、俺は抜け殻のようになってしまっていたから。
どうして、俺はあの時動けなかったのか…。 何故、あいつを引き止めなかったのか。
あいつの言ってる事は無茶苦茶だ。
確かに、俺はそんな業界の事なんか知らない。
けど、二人で力を合わせたら、大概の事は切り抜けられる。 生きていく方法は一つじゃないんだから。
けれど、俺にとって、川嶋亜美はたった一人の、人生でたった一人の女だったのに。
だが、もう終わってしまった。
あの時、呼び止められなかった俺は、自分でその手を手放してしまったのだから。

そして、今日は北村がローマに着く日だった。
3年ぶりの親友は、全く代わり映えのしない出で立ちで、トラステベレ駅に降り立った。
「やあー 高須、若干遅れてしまった。 すまなかったな。」
「お前、2日を若干ってなぁ。 どこまでずれてんだよ…。」
「ん、そうか、そうだったな。 メキシコじゃ、その位は普通だからな、ちょっと勘が狂ったかもしれない。 はっはっはっはっは。」
「相変わらずだな…。」
「だが、間に合ってよかったぞ。」
「間に合って? 何のことだ?」
「なんだ、高須、忘れたのか? 亜美が撮影で今ローマに来てるだろ? たしか、今日で撮影は終わりのはずだが。」
な、なんだって? そんなの、知らなかった…。
「聞いてねぇ…。」
「なに? お前とローマで会ったと聞いたから、当然知らせてると思ったんだが…。」
北村の声が遠い。
「……どうした高須?」
亜美が、ローマに来ている…。 ああ、そうだ、確かにまたすぐに撮影で来ると言っていたっけ。
「おい、高須!」
今なら、会える。 もう一度会って…
「高須、亜美と何かあったのか? 今のお前の様子、尋常じゃないぞ…。」
だが、今更、俺は一体なんて言ったらいいんだ… 俺は何を伝えたい…
「高須、俺にも話せない事なのか? 亜美が関わりあるんだな? …………言ってみろ!高須!」
北村の激しい声で我に返った。
「先日、お前に会う予定だという事を告げた時、亜美の様子も少しおかしかった。 ……俺では力になれない事なのか?」
「北村… 俺は、俺は亜美に惚れてる…。」
そして、俺は北村にこれまでの事を話していった…。 そうすることで、少しでも頭が整理出来るなら、と。

「……………」 
「高須… 何をしている?」
「えっ?」
「これまでの話を総合すれば、お前は一番肝心な事をやっていないぞ!」
「一番肝心な事?」 「そうだ! お前は未だ自分の気持ちをちゃんと亜美に伝えていない! つまり……、告白だ!」
そう言うなり、道路に飛び出す北村。 
急停車して怒る運転手に怒涛の勢いで何事か語りかけて…
「こい! 高須!」 「お、おぅ」 
勢いに飲まれて、オンボロの青いフィアットに乗り込む。 運転席の赤ら顔の親父は、何故かノリノリだ。
「お前、イタリア語話せたのか?」 「いや、英語が通じた。 さすが法皇のおわす場所だ、ついているぞ。」
「はぁ? って、一体何を言ったんだ、どうして車に乗せてもらえる? ってか、どこに行くつもりだ?」
「さすがイタリア、情熱的な愛は歓迎されるらしい。 今を逃せば二度と会えない女に愛を告げるといったら、二つ返事だった。」
「な、」「あながち嘘でもないだろう?」
「はぁ…それで、どこに行くつもりなんだ、撮影場所知ってるのか?」 「知らん。」 「はぁっ?」
「だが、ローマでクライマックスを迎える場所といったら、あそこしかあるまい。」 「あそこって… はっ!」
「「スペイン広場!」」

「見ろ! 高須! ビンゴだ。 失恋大明神の二つ名は伊達ではない! いくぞ!」 「おぅ!」
スペイン広場には人垣が出来ていた。 僅かな隙間から、撮影機材も見える。
車から飛び降りる頃、俺の心は決まっていた。 何を言うか、だって? そんなの考える必要なんかねぇ。 あいつを見れば、
そんなの勝手に出てくるに決まってる!
俺の凶顔はイタリアでも通じるらしい。 決死の形相の俺に、北村、運転していた親父まで加わって人垣を切り裂いた。
広場の北側から、噴水の辺りを見れば…… 見間違える筈がない。 確かに川嶋亜美が其処に居た!
「ぅおおおおおおおお!」
無謀にも走り込む。 咄嗟にガードマンが俺を挟み込んだが、此処なら声は届く!
「―――かわしまぁぁぁぁ!」
驚いた表情で、あいつは俺の方を見た。
「俺は、お前を忘れるなんてできねぇ! 必ず、不幸になるだと? そんなの誰が決めたぁーーー!」
周囲が騒然としているのが解る。 
ヤバイかもしれねぇ、そう思いながら、しかし、止める訳にはいかない。

「俺の夢だとぉ! 俺の夢は、俺の夢はなぁ! お前に―――」
「―――お前に、あんな悲しい顔は二度とさせねぇ! あんな寂しい笑顔は二度と!  それがっ、それが俺の夢だぁ!」
「俺は、川嶋亜美を  ――― 愛してる!!」

警備員に引き摺られながらの絶叫。 言葉が通じないはずのスペイン広場に静寂が訪れた。
亜美が、歩き出す。 俺を捕まえていた警備員が、ゆっくりと下がる。
俯いた顔は表情が見えない。
引きとめようとしたスタッフの肩を、共演者の超有名ハリウッドスターが、がっちりと掴んだのが見えた。
永遠とも思える僅かな時間。
川嶋亜美は俺の目の前で立ち止まり、顔を上げる。
その大きな瞳には、今にも溢れ出そうな涙が、地中海の夏の太陽よりも明るく、輝いている。

「あんた、馬鹿だよ。 言ったじゃん、あたしと居たら、不幸になるって…。」
「そんな心配はいらねえよ。 この先何があっても、お前を失う以上の不幸なんてねぇ。」
「…ほんと、あんたって……だいっ嫌い……こんな時だけ、口が上手いんだから……。」
「そう言うお前も、いつも言ってることと考えてることがアベコベで解りずれぇな。」
「でも、わかっちゃうんだ…。」
「言ったろ。 世界中の誰もが気がつかなくたって、俺だけは解る、そう信じてるって。」
「…馬鹿」
俺の首にかかる細くて白い腕。
「背、伸びたんだね。」
「ああ。 少しな。」

そして、初めて、俺達の唇が重なり合った。
沸きあがる歓声、拍手と口笛とカメラのフラッシュ、そして歌。 
凄まじい祝福の嵐がスペイン階段を吹き上がっていく。
抱きしめた温もりと、甘く漂う髪の香り。
それは……長い長いキス。

やがてゆっくりと、亜美の唇が離れ、囁きを紡ぎ出す。
すぐ近くで祝福を叫んでいる赤ら顔の親父の声さえ届かないような喧騒の中。
その言葉は、俺には届く。
世界でたった一人だけ、俺にだけは聴く事が出来る。 そういうふうに出来ている。

「竜児。 ―――愛してる―――。」


                                                                おわり。

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