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[言霊(6-7)]
『大河がくれたんだよ』
櫛枝が何気無しに言ったその一言は、俺の心を抉る。
やっと負った傷が癒えてきたのに。
短い髪に添えられたソレは、かつての自分の想いが詰まったヘアピン。
イブの晩に渡そうとして失敗した……ヘアピン。
まさか修学旅行で見るとは思いもしなかった、イブも修学旅行も学生の一大イベントだから意地悪な神様が準備してくれたんだろうよ。
櫛枝への未練は断ち切れそうで、亜美に自信を持って『好きだ』と言えるまで回復したのに……一番見たくなかった代物を見て傷口が開く。
好きだった頃の気持ちを否定する訳じゃないんだ、ただ…やっぱり複雑だよな。
心を占める『亜美』が限り無く100パーセントに近くなっても、ほんの僅かに残っていた『櫛枝』との想い出。
それを思い出にするには、まだ早くて……あのイブの日の激痛が甦った。
思考停止してしまう程の強烈な痛み、今は喰らってもそれほどでも無いが………やっぱり痛かった。
それは…『好きだった気持ち』を大切にしたいと願っているから痛いんだと気付いてはいるんだ、俺だって。
けど平気な顔なんか出来ない、なあ俺は今はどんなツラをしているんだろうな。

それは目の前の櫛枝の驚いた表情を見れば一目で解る。
「た、高須くん?どうしたの、その…私なんか酷い事を言っちゃったかい?」
その気遣う言葉も合わされば完璧。
妙に悲しい、ぶつけ様のない怒り、笑って誤魔化したい、すぐに痛みは引く筈。
喜怒哀楽…全てが交ざった表情なんだろうな。
でも櫛枝には『怒り』しか見えて無いから……こんな発言が出てきた。
亜美なら全ての感情に気付いてくれるだろうか、彼女は誰よりも感が鋭く、誰よりも強くて、誰よりも情が深いから…。
比べたくなくても比較してしまう自分への嫌悪……。
幽霊を見なくても良くなった…かつての想い人の亡霊に俺は墜とされた。
だから部屋に逃げ込み、布団に潜って瞳を閉じる。
逃げてしまった…。
亜美に『糸を紡ぎ直す』と偉そうに言っておきながら……そして大河に出血を強いて、いざ自分の番になると逃げ出す。
少しでも良いから……時間が欲しい。
何も考えずに、痛みを堪えて癒す時間が欲しい。
そうすれば…強くなって、亜美と歩む道へ進む為の痛みに耐えれるから。
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こうなったキッカケは…能登と木原が喧嘩…まではいかないが、嫌悪な雰囲気になった事なんだ。

……誰かのせいにして逃げるのは弱い証拠か。
でも、だ。その事から続いて櫛枝のヘアピンを差した姿を見る事になった。
『このままだと木原さんと能登君…いつか喧嘩になっちゃうよ』
俺がたまたま席を立った事を勘違いして、櫛枝が追いかけて来て……『秘密の相談』ってヤツだと思ったらしかった。
ああ…でも遅かれ早かれ…だよな。
いつかは見てしまう事になるだろう。
そして、これからも見る事になるのだ。
櫛枝は『大河からのプレゼント』だと思ってて……身に着けない方がおかしい。
俺はそれを見る毎に、表面上は気付かないフリして…心の中では痛みに耐えないといけないんだ。
こればっかりは亜美には言えない、彼女に相談すれば…あいつは激昂して櫛枝に詰め寄る位の事はしそうだ。
大河と亜美が口喧嘩した時以上の修羅場が容易に想像出来た。
特に今度ばかりは状況が状況だ。
公の場で修羅場はマズいってのもあるが、何より『糸を紡ぎ直す』事が出来なくなる。
だから、こうして時が過ぎるのを待つ。
せめて同じ班の奴等が帰るまでは……こうしていたい。
だが…そう思ったのも束の間。
真っ暗な部屋の中に光が差し込んだ。

「おい高須、お前どうしたんだよ」
「寝てるの?大丈夫?」
「あ〜あれだ多分、高っちゃんにはココの晩飯が口に合わなかったんだよ〜」
そう。北村、能登、春田…いつものメンツだ。
櫛枝との件の後、夕食を再開する事無く立ち去った俺を心配している。
三者三様、それぞれに心配そうな口振りで布団の中で小さく縮まる俺に語りかけるのだ。
こうして鈍痛を残したまま…俺は現実に戻された。
ゆっくり布団から抜け出し、その上で胡座をかいて皆を見上げる。
『大丈夫』そう言えば良かったのだ。
「おぅ…悪かったな、………ちょっと辛い事があってな」
だが…弱ってたんだろうな。大河は勿論、亜美にも言えない、この痛みを抱いたままなのが辛くて……思わず呟いてしまう。
「え?何々?高須、何かあったのかよ?」
眉をハの字に下げた能登が口を開く。
「良かったら聞くぞ?」同様に北村も。眼鏡を指を押し上げて問う。
「足さみ〜布団にはいらせてよ〜」
春田……お前ときたら。
「いや、これは言い辛い……だから……」
「高須…お前は前に俺の話を聞いてくれたよな?それも言い辛い事だったし、恥かしい事じゃないぞ」

「そうだよ、俺ら友達じゃん?高須の事が心配なんだよ」
「ふぃ〜暖けぇ、高っちゃんコタツ最高っ!…で、どうしたのさぁ、話してみなよ〜」
能登と北村の言葉に俺は感動する。
アホの春田ですら、空気を読んだ。これもある意味で感動した。
もう話してしまおう、楽になりたい。
亜美に言えないなら、いや…誰かに聞いて欲しいんだろう。
事情を知らない人に話すのは初めてで怖い。が…こいつらなら安心出来る。
気心が知れてるから。
友人に相談したら…同性の立場なら…。

「じ、実はな、おぅ…。今まで言え、なかったんだが」
皆で車座し、俺はポツリポツリと語り始める。
「ク、クリスマスイブの晩、にだな…ぅおぅぅ」
俺は緊張していた。
「…続けて」
北村が頷いて先を促す。
「きゅ、く、くしえ、だに……」
その名を言おうとすると、舌が縺れて噛んでしまう。
「うん、櫛枝に?」
能登が目を見開く。
「ふぐぅ、うぅ……ふ、ふら」
その出来事の痛みを思い出すのは、今の状態では辛い事この上ない。
「ふ?ふ、ふ…富良野?」
春田に悪気は無い、ただ少しだけ気の毒なだけなのだ。
「ふ、…フラれ、た……」

一瞬で空気が固まる。
能登が口をあんぐり開け、北村は眼鏡がずり落ち、春田は……恐らくは理解出来ていない。
「そ…」
『それで色々あって今は亜美の事が好きで…』
そう言おうとした声は、絶叫に遮られた。
「「「えぇっ!!??」」」
同時に皆して、そう叫ぶ。
そして、思い思いに反応する。畳の上をゴロゴロ転げる者、何回も激しく布団を叩く者、何やら身体をかきむしってる者。

「うぉいいぃっ!!マジか!?マジなのかよ!!いつから!!いつから櫛枝が好きだったんだよ!!」
「櫛枝とは、あの櫛枝か!?お、おぉお!!た、高須!!そうだったのか!!」
「うひょひょ!!ひゃっはぁ!!く・し・え・だ…っすかぁ!」
俺は興奮した三人に詰め寄られる。
他の事情なら彼等も真面目な対応をしてくれたろう、だが恋バナは別。むしろ予想外で驚いたのだろう。
「だーっっ!!そうだよ!櫛枝だ!櫛枝実乃梨!!一年の頃から好きだったんだよ!!!」
何だか急に恥かしくなり、俺は大声で肯定する。
すると
『うはぁ!』だの『あば、ひゃ!!』だの『ぎゃあぁっっ!!』だの、それぞれに叫んで…また転がり、叩き、俺の肩を揺すぶり、……辺りは興奮の渦に飲まれる。

「でも!でも何でフラれたの!!櫛枝氏ってフリーじゃね?何でさ!」
「知らねぇよ!でも何か"ナシ"っぽく言われたんだよ!」
能登の質問を即座に返す。
「お前ら二人は仲が良さそうだったじゃないか!!信じられんぞ!!」
「俺もそう思ってたけど違ったんだ!」
北村の言う事は的を得ていた。俺も"あの日"はそう思ったさ
「他のヤツ?櫛枝は他のヤツが好きなの!?マジでぇ!!俺の事かも〜!!」
春田よ、大丈夫だ。ソレは有り得ない。
俺は様々な質問を矢継早に言われ、思うままに返す。
もうヤケだったし、俺も先程の落ち込みがウソみたいに気持ちが浮上していた。
そして、その内に皆の興奮が収まり…深刻そうな表情になる。
「で、櫛枝にプレゼントしようとしたヘアピンがあったんだが、さっき…そのヘアピンを櫛枝がしてて…今に居るんだ」
その頃には俺も落ち着き、再び墜ちていく。
「ん…なんでヘアピンを櫛枝が持ってたんだ?高須は渡してないんだろ?」
そう疑問を口にしたのは北村。
「うん〜確かに不思議だ。それって、告った後は高須が自分で持っていたんだよね?」
能登が迷いながら聞いてくる。
「おぅ、でも大河が"くれ"って言ったから渡したんだよ」

「あっ、じゃあタイガーが櫛枝に渡した訳?」
春田にしてはまともな事を言った。正解だ。
「みたいだな」
俺が呟くと、皆考え込んでしまう。
暫くは沈黙が続き、俺達は思案する。
「タイガーが櫛枝に渡したのはともかく、何だか納得いかないよね?てか酷くね?
告白を聞く事すら拒否とか高須が可哀相だわ」
その沈黙を破ったのは能登だ、同じ事を亜美にも言われたな。
まあ俺だってそう思ったし、自覚が薄かったとは言え、かなり傷付いたのは事実だ。
あの時、亜美が守ってくれなくなったら、今でも重症のままだっただろう。
「そうだよね〜、高っちゃんが可哀相だし〜。櫛枝ヤベェ」
おぉ…春田よ。俺は今、お前を見直したぞ。
「……聞きに行くか」
目を閉じていた北村が静かにそう言った。
すると全員の視線が彼に集まる。
「確かにこれじゃ高須も納得できんだろ。
櫛枝がそんな事をするヤツとは思いたくないが、親友が傷付いて黙っていられるか!」
「お、おうっ!北村よ!待て!その事は…」
『俺の中で踏ん切りが付きそうなんだ、俺は今、亜美に恋してるから』
そう続けようとしたら、またしても遮られて、俺の肩を力強く掴むヤツが居た。

「大先生よ!俺もその話に乗るぜ!!高須の為だ!そしてついでに俺も木原に言いたい事があっからな!!」
能登が親指をグッと立てて北村と俺を見ながら決意しやがる。
「なら俺も俺も〜!俺達は一日百姓、飛んで火に飛び込むカブトムシ〜だから!!」
やっぱりアホはアホ…か。一日百姓じゃなく一蓮托生だろ。残りはだいたい合っているから良い。けど使う所を間違っている。
「能登、春田…お前らまでっ…!」
『何を言ってるんだ、一緒に北村を止めてくれ』
そういう意味で俺は二人に言ったつもりだった。
「うんうん!!大丈夫!大丈夫だ高須!!俺達に任せろ!!櫛枝から納得出来る言葉を聞くまで引かないから!」
その願いはどうも違う方向に届いた様だ。
「高っちゃん、俺、バカだから良く分からないけど……なんでか今、すっごく怒りに燃えてるよっっ!」
そうか、それは俺も同感だ。
「よし!決まりだな!!能登、部屋の鍵は持ったか!?春田、部屋の電気を消してくれ!!」
北村がスッと立ち上がり、二人にテキパキと指示していく。
「あいよっ!!」「がってんでぃ!」
彼等は気持ちの良い返事を返し、俺は呆然としているだけ。

「高須っ!俺がグレた時にお前は助けてくれたよな、嬉しかったんだぞ。今度はこちらが助ける番だ!!」
「き、北村ぁっ!!」
違う……違うんだ。助けてくれるのは嬉しいんだが、違うんだ。
三人に俺の心の叫びは届かず、引き連れられて部屋を出ていく。
「さしずめ俺達は2-Cの治安維持の為に集いし者達って所だな!」
「おぉ〜あれっしょ?新選組だ、新選組だわ!!」
「新鮮グミ〜?」
妙なテンションが彼等を包み、ヒートアップしている。
武器は持って無いけど、気分は武装集団なのだろう。都の治安維持部隊、ただし見回りはしてない。
おぅ…なら俺は捕縛された不逞な輩か、失礼な。
壬生の狼と化した三人に連れられて女子の部屋に着く頃になると、俺は『どうにでもなれ』と諦めていた、色々と。
局長な北村が拳で強いて、ドアを一回叩き勢い良くノブを回す。
「む、鍵が掛かって無い……不用心な、まあ…よしっ!お前ら覚悟は良いか!?行くぞっ!!!」
「「おぅっ!!!」」
返事をしたのはもちろん俺では無い、能登と春田である。
「女子共、大人しくしろ!!御用改めである!!!」
ドンッ!と大きな音を発ててドアを開き、三人は部屋の中へなだれ込んでいく。

こんな状況では外で待ってる方が怪しい、仕方無い…腹を括ろう。
櫛枝が素直に応じてくれるとは思わないが、亜美との約束もあるし、……このまま止まってあぐねていても先には進めない。
亜美と『彼氏彼女』になりたいから…今みたいにコソコソしていたくない。
糸を紡ぎ直して先に進もう。
俺は辺りを伺い、遅れて部屋の中へ……。
「………って誰も居ないんかよ」
そう能登が残念そうに呟き、俺は返事を返す。
「おぅ…、うっ!」
『なら出直そう』
そう言おうとした俺は驚きのあまり、思わず身が竦み呻く。
何だ?…何?…なんだんだこの部屋は!!
汚い。いやそれは失礼か、……うん。言い方を変えよう。
オブラートに包むなら『乱れた花園』だな。
甘美な響だろ?…でも現実は違う。説明してやろうか。
まず目に付くのは部屋の四隅に散らばる旅行鞄とその中身。
コテに化粧道具、着替え。そこまでなら『さっき引っ張り出した』と言い訳出来る。
が、しかし…だ。濡れたスキーウェアやらニット…そういった物の水気を何故切らない?ハンガーに吊しても、これじゃ乾かないだろう、っうお!!
見てみろ、直下の畳は水浸しだ!カビが!カビが発生するぞ!!

片方だけ放られた靴下を見付け、俺は落ち着かなくなる。
一対で意味を成す靴下が片方しかない。歯痒い!俺なら如何なる場合でも束ねるのにっ!
「おぉ、女子達め…こんなに菓子を食い散らして…あ、踏んでしまった」
流石の北村でも顔をしかめ、散らばる菓子の袋や中身を避ける。が、グシャっと音がして落ちていたスナック菓子を踏み潰してしまう。
「うへぇ、ちょっと幻滅かも…」
春田ですら溜息を洩らし、対して俺はある衝動と葛藤していた。
『この汚部屋を掃除したいっ!』
元々くたびれて薄汚れた部屋なのだろう、けど…汚い!物が溢れかえっているじゃないか!
不要な物を旅行鞄の中へしまい、ウェアの水気を取って干す。水分とゴミを畳の上から取り除き、隅に固まった埃を掃除。妥協して洗濯物は一纏めにして置く。
最低限の整理整頓さえすれば、まだ見れる部屋になるんだ。
「う、ぐぅっ…!く…う!!」
だが女子の私物に触れる事が出来ない…触れた瞬間に俺は変態の烙印を押されてしまう、目の前の惨劇をただ見守るしか出来ない縛りが存在した。
「高須どうした?…はっ!いかん!!」
俺の心境を北村は即座に理解し、慌てて止めに入る。

だが一歩遅かった、俺に『掃除をするな』は『死ね』と同義。
座して死を待つ位ならいっそ…。
「北村よ!止めてくれるな!!頼むっ、この部屋を掃除させてくれっ!!」
この部屋は掃除のし甲斐がある、見逃す訳にはいかない。俺自身の名誉に掛けて綺麗にしてやる。
背後から北村に拘束されたくらいで、俺は諦めない!
「ちょっ!?た、高須マズいって、それは流石にマズいって!」
能登も北村に加勢し、俺の腹にしがみついて前身を阻む。
「お前らぁ!この部屋の状況の方がマズいだろうが!このままじゃカビる、生臭くなる、染み付くぞ!そして埃が舞って鼻炎になる!
今しか…今しか助けれねぇんだ!!くそっ!!は・な・せ!!!」
二人に押さえ付けられ、俺は猛り狂う。
「掃除なんかしたらバレちゃうよ!俺達が部屋に入ったのが女子達にバレるって!ヤバいから!」
能登にさっきの勢いは無い、目標が居ないから戦意喪失したのだろう。
相手が居ないのに部屋に居たら……不法侵入!?ああ、そうだ…そうだった。櫛枝と話す以前の問題、相手すらしてくれなくなるだろう、亜美にも。
「くぅっ……!ちくしょうっ!ちくしょう!!!」

俺は歯を噛み締めてうなだれる。彼等二人に支えられてなかったら、このまま床に崩れ落ちていた事だろう。
畳…スマン、俺はお前を救う事が出来ん。堪忍してくれ……。
「うっひょ〜お!見て見て〜俺いい物を見付けちゃったよ〜………って、あれ?どったのさ〜みんなぁ」
そんな状況なんか何処吹く風。アホな事に定評のある春田が何かを握り締めて俺達の元へやって来た。
「高須が、ちょっと…な。それで、だ。春田、何か見付けたのか?
何か、こう…重要な物とか」
この何とも言い難い空気を変えようと、普段通りな口調で北村が彼に問う。
「ふっふっふ…。じゃんっ!」
使い古された古典的な効果音と共に、ある物を春田が高々と掲げた。
…………おい。どう見ても、それは…ブラジャーじゃねぇか。
「なあ、春田。分かった…分かったから、ソレは元の場所に戻そう?なっ?」
能登が赤面しチラリチラリと『ソレ』を盗み見ながら諭す。
思春期の少年達にとって『ソレ』はまだ見ぬ『夢』を包む物。あの北村ですら、わざとらしく咳払いしながら盗み見ていた。
彼等の中であらゆる想像が渦巻いている事だろう。

『誰のだ?』『白のレース付は清楚で良いな』『アレが胸を…女子の胸を隠す砦』
誰も居なければ…一人であったなら、春田の様に手触りを確かめてみたりしたいだろう。
だが皆の前、ここで理性を保たねば人として大事な何かを失ってしまいそうなのだ。
「ゴホンッ!んんっ!そ、そうだ、能登の言う通り。それは駄目だ……今ならまだ間に合うぞ」
北村は闘っていた、焦がれた人は別に居る……しかし、身近な異性の柔肌に触れるソレの興味と誘惑に呑まれるのに抵抗していた……。
「えぇ〜何で?これがあれば分かるっしょ?」
「何が?」
「女子達の胸のサイズッ!」
「「っ!?」」
彼等が息を呑んだのを、俺は掴まれた部位に伝わる力が増した事で感じる。
「知りたくね?手の平に収まるタイガーサイズから収まりきらない奈々子様サイズまで、今なら調べれるじゃん」
くだらねぇ…、俺は亜美以外に興味無い。
「いやいやいや!そ、そりゃあ知りた……いよ、でも…あああぁっ!!駄目だ!駄目だ!!」
能登が頭を抱えて葛藤している、対して北村は冷静そうに装っていた。
「む、春田…お前の気持ちは分かるぞ、痛い程。が、生徒会長かつ学級委員長な俺が風紀を乱す訳にはいかん」

しかし俺は見た。中指で眼鏡を押し上げた時に鼻の下が延びきっているのを…。
「良いじゃん、今日は修学旅行だよ?これも良い思い出になるって、青春の1ページってヤツ?あっは、俺って天才」
ああ、バカと何ちゃらは紙一重だからな。安心しろ、変な方向に天才的な閃きを持ってるぞ。
「なぁ高須も止めてくれ、このままじゃ俺達………ただの変質者になるよ」
能登が最後の力を振り絞り、俺に懇願する。

そう、俺以外は欲望に負けて今にも『ピリオドの向こう』やら『スピードの向こう側』に行ってしまいそうだ。
一名だけ既に行っているヤツはいるが。
俺は亜美のサイズはおろか『それ以外』も知っている、だから落ち着いていられる。
だけど立場が同じなら負けちまうんだろうな。
だって男の子だもん。
「あ〜…春田、それは良い思い出じゃなく血塗られた黒歴史になるから考え直せ」
今は良い……さぞ楽しかろう。けど醒めた時に猛烈な罪悪感に駆られる。夢は夢のままにしておけ、下着なんかより、その中身…乳を揉む方が万倍楽しいからな。
「良い思い出…か、確かに青春ってのは甘いも酸いも経験しないと困るかもしれん」

そして境界線を越えてしまった男が誕生した。
北村である、言っている事は正しい。だが…煩悩に塗れていらっしゃる。
「よしっ!何事も経験だ、常識に捕らわれていては立派な大人になれんからなっ!!」
違います。常識をわきまえるのが立派な大人です。
「ぐうぅっ!!ええい、なら俺も!みんなで渡れば怖くない!!」
そして最後まで抗っていた能登も大切な何かを失って…春田の側に駆けていった。
「うわっ!な、何っすか?何っすか?なんかフワフワなんですけど!!でも硬いっす!」
能登が春田から下着を受け取り、その手触りを堪能し絶叫する。
直接当たる部分は…まあフワフワだな、種類にもよるけど。
で…硬いのはワイヤーだ。
俺はこの異常な状況を観察するだけにしておこう、耐性があって良かった。
そして亜美の下着だけは死守しよう、今の俺にはそれしか出来ん。
「へっへっへ…まだまだ有るよ〜」
続いて春田が発掘したのは濃紺で花柄があしらわれた一品。これは大人っぽいな…誰のだ。
「むむっ、これは背伸びした感じがとても素晴らしい、どれ…」
北村が春田からソレを恭しく受け取り、やらしい手付きで堪能する。

「これって奈々子様のじゃね?大盛りってか特盛りだし、ふひひ」
能登が十指をワキワキと蠢かせ、気持ち悪い笑みを浮かべる。
「はあはあ…そうか香椎か、確かにこの何でも包めそうなのは香椎だ。うん」
「たぶんだけど、木原のブラはっけ〜ん!」
その言葉に真っ先に反応したのは能登である。
「なにぃ!木原だと!?くそっ!こうしてやる!このっ、このぉっ!!」
こちらは、歳相応なキュートなピンク。余計な飾りも無くシンプル。
それに鼻息荒く顔を押し付け、グリグリと左右に擦り付ける能登は『もう帰って来れない遠くへ』と旅立ったんだと改めて思う。
春田がキッカケを作り、北村が地盤を固め、能登が昇華させる。
技術大国Japanを背負う若者達は、こうして身近な所から先人達の偉大さを学ぶ。
俺は絶対に真似したくない、しかし無駄無く動き、余す事無く堪能する彼等も日本人のMOTTAINAI精神を宿している。
それだけは評価したい。
「うひゃ、小せぇ。か〜わ〜い〜い。これってタイガーの?」
春田発掘隊の次なる発見、それは大河の下着。
純白、清楚、高級。三拍子そろった男の夢。
誰も知らんだろうが、大河の胸は異常に柔らかい。

大きさ自体は中学生並、しかし何かを纏えば押し潰されてしまう。
だから小さく見えるのだ、いや実際に小さいけど。
って……いかん、いかん。俺は何故、乳と下着の解説をしているんだ。
奴等三人が変態なら、俺はムッツリスケベじゃないか。
「ほう、逢坂の下着に俺は興味があるぞ。貸してくれ」
今回は北村が反応する。
「大先生!ヤベェよ、あんたマジ男だよ!!」
何を思ったか北村は大河の下着を身に着け様とし始める。
その様を見た能登が、木原の下着を握り締め感嘆の声を上げた。
「ん?んんっ?これは無理だ届かないぞ」
背中に手を回し、必死にホックを留め様とするが、ほんの少しが届かず諦める。
女子達の物を壊してはならない。彼等は紳士なのだ。
乱れた花園に集いし紳士達は甘い果実を堪能すると、在るべき場所へ戻す。丁寧に…。
「え〜と、これで最後だ〜。締めは我等2-Cの星、超美人モデル亜美ちゃんっ……って、あれぇ〜」
俺は春田が紳士達に亜美の下着を渡す前にひったくった阻止する。
「おいおい何だよ高須〜、一番美味しいのを盗るなよ」
「能登っち〜、良いじゃん高っちゃんも交ざりたいんだよ〜」

「ち、ちげぇよ!これは…あれだ!あれ!つい、だ!ついつい手が伸びたんだよ!」
ここで『亜美の物に触るな』と言えば、色々と大変な事になる。
部屋に戻ったら説明するから、今は黙ってろ。
そう伝えたいが為に鋭い目付きで能登と春田を睨む。
「ひっ!わ、わかったよ!うん!うん!あ、亜美ちゃんのには触らないから!!」
久々の凶眼に当てられ、能登が身体を震わせて首を縦に振る。
春田も同様に。ともかく俺はすんでの所から大切な物を守った。
と…ここで、何かを思案していた北村がゆっくり顔を上げ、俺達に振り返る。
「今のが亜美だとすると……一番最初に春田が見付けたのが櫛枝のか…、ふむ。薄々気付いてはいたが櫛枝もけっこう…」
真面目な顔をしていたから期待したのに…。
北村も不幸と踊っちまったか。
「はあ…、それより一旦出直そうぜ、誰も居ないんじゃ仕方無いし。
何より俺達は話に来たのであって、犯罪者になりに来たんじゃないからな」
この空気を変えるには今しかない、俺は溜息をついて語りかける。
余計な事は言わずにおくのが得策、変なキーワードを言えば彼等にどう作用するか未知数だから。

「まあ…うん、確かに今の俺達、逮捕もんだよね?…目的は硬派だけど」
熱が醒め、能登が腕組みして頷く。
「え〜?何も盗らなかったら大丈夫だよ多分〜」
いや春田、勝手に部屋に忍び込んだ段階から犯罪だ。
「…俺とした事がついつい。そうだな、ちょっと危ない感じに見えるが、あくまで目的は硬派なんだ。
その過程で良くないイメージを喚起させてしまうが…それはあくまで結果論、全てを元通りにすれば、どうという事は無い。
さあ女子が帰ってくる前に部屋を出て、また出直そうではないか諸君」
流石は生徒会長、北村の素晴らしい演説に、俺を含めた皆は揃って納得した。
しかしその瞬間。
ガチャリとドアノブが回る音がして、紳士達に電流が走る。

『ああ…何で、何でこんな事に………』
乱れた花園に集った三人の紳士と唯一の良心が一名、皆の想いは一つになる。
そうあの時、ドアを開けて入って来たのは……よりによって大河だったのだ。
ヤバい……これは血の雨が振る。
瞬時に俺達は全日本ラリー選手権SSメカニック並の素早さで押入の中に隠れた。
「ヤバいよヤバいよ…」
真後ろの春田がガタガタと震えながら、そう呟き続けていた。
それを皆で黙らせ、僅かに開いた隙間から大河の動向を伺っていた。
こういう事態の時、人は緊張のあまり些細な事でも面白く感じてしまうものだ。
タオルで頭を拭き吹き、大河が部屋のど真ん中に突っ立ち、その爪先で何かを見付けた。
指で摘んで、それを顔面まで持ち上げて首を傾げる。
そう…それは亜美の下着、先程まで俺が守っていた代物だ。
急な事態に慌てて放ったソレを、何を思ったか彼女はスンと微かに嗅ぐ。
「ちっ!!ばかちーのじゃん、やだわ犬臭いったらありゃしない」
舌打ちしたのは、下着のサイズが主な原因。俺には分かる。
顔をしかめて、そう吐き捨て、下着を指に引っ掛けてクルクル回し始める。

「うらぁあっ!!ファイヤーッ!!!」

そして渾身の力を込めて投げ、壁に叩き付ける。
「…っは」
その光景を見て、微かに吹き出したのは能登である。
もちろん隠密行動中の俺達に睨まれ、すぐに頭を下げる。
「ふんっ!」
満足気に鼻を鳴らした大河がテクテク歩いて何処かへ向かい、すぐに戻って来た。
その手には豆乳のパック、後で飲もうと売店で買っておいたのだろう。
が…すぐには飲まず、どういう訳か畳に置き、タオルを首に掛けて座る。
「イソノボンボン〜♪イソノボンボン〜♪大地の恵みぃ〜豆乳♪」
外れた音程で自作の歌を口ずさみつつ、彼女が水の滴る髪を指先でクルクル巻く。
調子外れなメロディーに誰もが吹き出しそうになるが、そこはなんとか耐えた。
それより遊んでないで、まずは髪を拭け、そして乾かせ…………って、おい!もう良いのか?タオルを放るな!まだしっとりしてるぞ!
そんな俺達の願いは露知らず、彼女は豆乳パックの前に正座して手を合わせる。
「胸が大きくなりますように、胸が大きくなりますように、胸が大きくなりますように、せめて今より二倍増し、出来るなら三倍増し…お願いします」

「ぶふっ…っ」
北村が吹き出す。気付かれない様に口を押さえて、必死に堪えている。
分かるぞ、皆も同じ気持ちだ。
大河の願いはネタなんかではなく、本気も本気の大真面目。
ギュッと瞳を閉じ、真剣な表情で豆乳を拝む姿を見れば…、な?
身体の事、コンプレックスに思っているから非常識なのは重々承知しているが、これはあんまりだろう?お互いに。
「ふっふ〜〜ん♪…ん?ん、あれ?」
長いお祈りを終え、豆乳パックに彼女の手が伸びた。
そしてストローを刺そうとする…のだが、なかなか上手くいかない。
たまにあるよな?ストローの先が潰れてしまって、刺さらない事が。
まさに今、大河はその現象に翻弄されている。
だが気付かない。何故、刺さらないのか…。
ほら…良く見てみろ、お前の手が持つ物を見れば全て解決する。
だが目の前の理不尽に彼女は抗う、無理矢理にでも突破しようと…。パックを持つ手にも自然と力が入る訳だ。
「ふひゃっ!?」
そして御想像通りの結末が待っていた、四苦八苦しながらもストローを差したまでは良い。おめでとう。
だがな、その瞬間に飛び出す訳なのだ…豆乳が。込めた力でパックが潰れてな。

普通なら、そこで力を緩める。だがドジな大河は、むしろ力を増させる。
「「「「ふおぉおお………!」」」」
お人形の様に整った可愛らしい顔にかかる白濁液。
『これは良い光景!すぐに脳内ホルダーに保管せねば!』
……紳士達は淫らな妄想に心を躍らせ、歓喜の声が洩れる。
『ぐあぁ!このドジめ!シミになるだろうが!』
対して唯一の良心たる俺は、汚れてしまったTシャツと畳に心を痛めて嘆く。
「んあ?」
奇しくも同じ声が洩れてしまい、押入の中で木霊して僅かだが大河の元に届く。
眉をひそめて辺りを見渡し、暫くして視線が窓に向けられた。
「隙間風?」
そう呟いて窓際に歩いていき、押したり引いたり確認すると、彼女は納得した様だ。
それを見届けて、俺達はジェスチャーで謝罪合戦を繰り広げる。
といっても、誰もが加害者であり被害者でもある。ものの数秒で終止符が打たれた。
『次は気をつけようぜ?お互いに』
皆の笑顔が意味するのは、この言葉である。
そして再び、襖の隙間から外を伺うと……そこには信じられない光景が…っ。
……大河は放ったタオルを拾って豆乳に塗れた顔面を拭く。

そりゃそうだ…、このままじゃベタベタするもんな?
ん…畳を凝視して……おぅおぅ…良いぞ!そうだ!畳だ、畳を拭け!トントンと叩く様にっ……良し!上手いぞっ!!
大河…成長したな、お前もやれば出来るじゃ…………っ!?
「「「「ふぐぁっ!!??」」」」
どうして……どうしてっ!!何で、豆乳でシットリしたタオルで髪を拭く?
しかもガシガシと力一杯っ、それは駄目だ!止めてくれ!頭皮がムズムズする!
全員が心で叫ぶ、そして堪えきれなくなり声になって洩れる、それも…それなりの音量で。
ビクッ!と大河が身体を震わせ、恐る恐る振り向く…。
その視線は一直線に押入に向けられていた。
そして素早く立ち上がり、タオルをビシッと両手で引っ張る。
ポタポタと垂れる豆乳が、数分後には俺達の血液と取って変わるだろう。
タオルでぶたれたら痛いんだよな…かなり。ああ…北村、能登、春田…死ぬ時は皆一緒だぞ?
どす黒いオーラを放ちながら、大河がゆっくりゆっくり…近付いてきた。
襖を隔てた一歩手前で止まって、大きく深呼吸し…
「にゃ、だ、誰じゃ!!」
と、咆哮しながら一気に襖を開けた。

ガチャ…。
それは大河が襖を開放つのと同時に聞こえた。
またしてもドアノブが回る音、つまり男子存亡の危機である。
「くそっ!!」
「ひゃあっっっ!?」
俺が大河の口元を手で押さえ、北村が抱き付いて押入の中へ引っ張り込む。
能登が足を押さえて、春田が腕を掴む。
傍目から見れば犯罪の匂いプンプン、だが違うんだ、これは仕方の無い事。
ここで残りの女子四人に見付かる訳にはいかない。
「大河すまん!大人しくしてくれ!乱暴な事はしないから!」
なるべく小声で彼女に語りかける。
「ふむーっ!!むむーっ!?」
だがパニック状態の彼女はさらに暴れる。
四人掛かりで何とか動きを封じるが、いつかは限界が訪れるだろう。
「きゅ、きゅしえだと話すタイミングを掴む為だ耐えてくれ!」
俺は噛み噛みになりながらも、そう伝える。
すると少しだけ暴れる力が和らぐ。
「お前なら分かるだろ?意味がっ!だから頼む、後で俺をボコボコにするなり、何なりして良いからっ!今だけは…今だけは堪えてくれっ」
俺は大河に懇願する、何故こうなったか…それは後で説明するから。
そして奇跡が起こった。
彼女が身体の力を抜いて抵抗を止め、キッと俺達を睨む。

『ア・ト・デ・コ・ロ・ス』
と、口パクで彼女が紡ぐ。
顔は真っ赤、瞳は涙目、髪はボサボサ。その姿は庇護欲をそそる、だが禍々しいオーラはそのまま……むしろ増した。
「あれぇ…大河、居ないのかい?部屋を出る時は、あれほど鍵は閉めろって言ったのに…」
「え〜タイガー居ないの?何かちょー嫌な予感がするんですけどぉ」
そして聞こえた声は二人分、櫛枝と……木原か?
「ほっときなよ?チビ虎の事だから、お菓子でも買いに行ったんじゃね?」
「そうね、ほら麻耶…タイガーちゃんも言ってたわよ、お腹が空いた、って」
続いて、亜美と香椎……つまりはこの部屋の女子全員が戻って来た訳だ。
と言っても大河は出るに出れない状況だ。
この状況を見守るしかない、俺が言った事……それが終わるまでは待ってくれるみたいだ。
そうこうする内に、彼女達の『大切な肌のお手入れ』が始まる。
化粧水をパチャパチャ、クリームを塗り塗り、自慢の髪を乾かして巻いて…。
櫛枝も………するんだ。そういう事。
いや…してて当然だよな、年頃なんだから。
「てかタイガー遅い、ねぇ櫛枝は何処行ったのか知らない?」

木原がハンドクリームを塗りながら櫛枝に問う。
なんか木原ってさっきから大河の事ばかり気にしてるな、何でだ?
「うぅん、きっと眠くなったら帰ってくるよ」
対する櫛枝は顔面パックの箱を興味深そうに見ながら返す。
「ふふ……北村君の所に居たりして」
香椎が長い艶髪をタオルで丁寧に拭きながら、冗談ぽく木原に言った。
「えぇ〜だったらマジ嫌なんですけど、まるおは優しいからな〜、有り得るし」
木原は心底嫌そうに……そう言った。ちょっと眉をひそめて、さ。
「へぇ〜麻耶は心配なの?ふふっタイガーちゃんに確かめてみたら良いじゃん」
またしても香椎が木原をからかう、楽しいんだろうな多分。顔を見れば分かる。
「タイガーが言う訳無いじゃん、そうだよね亜美ちゃん?」
「ん?んん〜亜美ちゃんには、わっかんなぁ〜い……」
問われた亜美は笑って誤魔化す、その事には関わらない、そう言う様に。
「じゃあ…じゃあ櫛枝はどう思う?すんなりと言うかなぁ?」
そして矛先は櫛枝に向く。
綿棒で耳の水気を拭っていた彼女は一瞬、きょとんとして…すぐに困った様な、そして取り繕った笑顔で返し始める。

「あ〜大河が素直に言うかねぇ?試しに帰って来たら聞いてみなよ、ち〜と櫛枝さんには分からんぜい」
あはは、と微妙な笑いを残して櫛枝はうつむく。
「あ〜あ、いやマジ気になるし、高須君がバシッと大河を貰ってくれたら心配しないで良いのに…」
後手を付いて木原は不満を洩らす、それを香椎がからかって…、亜美と櫛枝は何も言わない。
つまりは……木原は北村に好意を寄せてる?
で、大河が何をしているか気になって仕方無いのだろう。
「じゃあ今日はガールズトークでもしようか?タイガーちゃんが帰って来たら、うふふ☆」
口元を手で隠して香椎が木原に提案した、他人の恋バナをあれこれ想像したり、それを見守るのが楽しいのだろう。
「もちろん!じゃないとまるおが…、待ってらんない!私、タイガーを探して来る!」
木原が即座に立ち上がってドアに向かう。
『じゃあ私も…ほら亜美も櫛枝も行こうよ』
と、立ち上がったのは香椎。
亜美は…乗り気では無さそう、面倒そうに立ち上がる。
多分だが…事情を知らない彼女達に引っ掻き回されるのが嫌なんだ。
亜美の言い分通りなら、他人の介入は好まない。本人同士が決める事だと言ってたし。

でも、そう言って余計な追求もされたくないから、嫌々付いて行くしかない。そんな感じだ。
「あ、ごめん。あ〜みん、ちょっと話があるんだ、残って貰っても良いかな」
三人が部屋を出ようとした時、最後まで立ち上がらなかった櫛枝が真剣な目差しで亜美を呼び止める。
襖の隙間から見える横顔は複雑な表情、……亜美も櫛枝も。
「へぇ〜実乃梨ちゃんが亜美ちゃんに何の用事だろうね?あ、奈々子ごめん、後から行くわ」
ニコッと笑って亜美は香椎に断って、櫛枝の元へ…。
ドアが閉じられると、一気に空気が張り詰める。重く…冷たく、紳士以外の全員は何が行われるかの予想が付いているから…。
対面して座った彼女達の間に沈黙が流れる。
どちらから切り出すか……見えない火花を散らす、呼び止めたのは櫛枝だが、その理由を勘づいた亜美は相手の出方を待っている様だ。
ぱんっ!
そんな乾いた音がして均衡が崩れた。
………櫛枝が亜美に向かって手を合わせて深々と頭を下げたのだ。
「まず最初に謝っとく、ごめん。
実は…この前、大河とあ〜みんが話してた所"たまたま"見ちゃって……あ、わざとじゃないよ?
偶然、通り掛かって…だけど」

横の大河がそれを聞いてビクッと震える、それが何故なのかは分からない…、けどマズい内容なのかもしれない。
目が泳いで、明らかに落ち着きが無くなっているから…。
「…………別に。どっちみち実乃梨ちゃんにも言うつもりだったし、謝んなくたって良いよ」
だが亜美は動じてない、静かにそう返したのだ。
「そうかい、ありがとう…うん…あのさ、その"聞いちゃった事"を踏まえてあ〜みんにお願いがあるんだ」
頭は下げたまま、櫛枝は手を床に付いて亜美に続ける。
「高須君の事を諦めてはくれないかなぁ?」
それは一息に、何の感情も込めず……淡々と…でも搾る様に放たれた。
「は…?急に言われても意味が分かんないし」
亜美は僅かに動揺する、櫛枝が言わんとしている事の真意、それは解っていても…唐突に言われて驚いている。
「大河には…高須君が居なきゃ駄目なんだよ。あの娘を見てやれるのは高須君だけ、私じゃ踏み込めないから…
だから、あ〜みんには申し訳無いんだけど………高須君の事を諦めて欲しい、他の人を探してよ」
「…………嫌だ、って言ったら?」
その言葉を聞いて亜美の表情に怒りの色が見えた。

だって櫛枝の言ってる事は身勝手で、俺や亜美の気持ち…大河の事すら完全に無視している……。
「無理矢理にでも首を縦に振って貰う。……"大河の為"に」
ゆっくり顔を上げた櫛枝が亜美を睨みながら唸る。
「……"自分の為"の間違いじゃなくて?
てか……何で実乃梨ちゃんが私に言うのか意味分かんない
前の話って本当に聞いてたの?大河や"竜児"にそうして欲しいって言われた訳ぇ?」
『竜児』
亜美がそう言ったのを櫛枝は見逃さない、睨む瞳が更に鋭くなる。
大河は…うつむいて…唇を噛み締めていた。
「いや…だから聞いてたよ。大河は素直になれないから…高須君にも直接には…だからあ〜みんに言ってんじゃん?
ねぇ…ところでさ、あ〜みんはいつから高須君の事を名前で呼ぶ様になったんだい?
不思議だ…ああ"高須君はもう私の"って?」
櫛枝は苛立ちを隠さず、亜美に噛付く。
俺を名前で呼ぶ間柄……それは大河だけだった、だが亜美がいつの間にか同じ位置に居た。
それに堪らなく腹がたっているのだろう、櫛枝は…。自分が想う様に回っていかないから。
「……あんたには"関係ない"
てか口出ししないでよ、頼むからさ」

そして亜美も苛立ちを隠さない。
理由を問うても核心は濁され、重箱の角をつついて…誤魔化されるから。
「身体で誘惑した癖に…男の子の弱味に付込んで。勝手に割り込んで大河から奪おうとしてるじゃん。
親に騙されて、傷付けられた大河から最後の拠所を奪って楽しい?
今なら引き返せるよ、あ〜みんに相応しい人を探せる。
何で高須君なのさ、他にも居るっしょ?
その自慢の身体とウソツラで騙せそうなヤツは沢山……」
「はぁ?居ねぇし、居ても願い下げだわ。本当の意味で私を見て欲しい人は…竜児だけ。
嫌な顔せずに見てくれるから惚れて…そんな彼が傷付いたから自分の持てる全てで助けたかったんだ。
それとも私には恋をするなって?
実乃梨ちゃんの言ってる事は事実、でも何も解ってないよ」
あからさまに喧嘩腰な櫛枝の言葉を遮って亜美が淡々と紡いだ。
悲しそうに、そして哀れみの表情で…猛るのは亜美だと思っていた、が、実際には落ち着きは保てているみたいだ。
「高須君だって本当は大河の事が好きなんだよ。……気付いてないだけ、気付いた時にあ〜みんが痛い目を見るんだ。
それは嫌だよね、だから……」

「だからぁ、そういう事は実乃梨ちゃんには"もう関係無い"って言ってるし。
"無かった事にしたかった"から何も言わせなかったんでしょ、高須君に。
はい、なら御望み通りに"何も"無かった。これで実乃梨ちゃんはただのクラスメートて事だよね?
後は割り込んだ私、チビ虎と竜児の問題だから口出ししないでくださ〜い。
…目一杯に傷付けたんだよ?あと言っとくけど、あんたに高須君を語る資格は無いから」
亜美の言う通りだ。贔屓目に見ずとも……櫛枝は俺をどうしたんだ?
何で、大河との仲を取り持とうとするんだ、必死に…。
誰の気持ちも顧ずに、彼女が想う様にされるのはいい気がしない……むしろ不愉快だ。
何で告白すらさせてくれなかった?
俺は……俺は彼女が言う程に出来た人間じゃない、辛いと傷付くんだ。
…付き合う相手すら決めようとする櫛枝の考えは解らない。
俺だって自分の意思決定で動きたい、誰かに強制されたくない!
櫛枝は何も言えなくなる、いや…言わないだけだろう。亜美と睨合いが続く。
北村、能登、春田、皆は唖然とこの修羅場を見ていた。状況が理解出来ずに。

俺と大河も…同様に、この二人の応酬を聞く事しか出来ない。
「何かを得る為に一方は諦めたんだよね、そして傷付けた。
そこまでして何かを成したいなら、それで良い。実乃梨ちゃんが決めた事だから」
亜美が目を細めて、フッと小さく溜息を吐く。
静かに燃え上がる怒りが瞳の奥に…見えた気がした。
「でも、その諦めた事を他人を介して見ようとするのは………オナニーと一緒だよ、自己満。
竜児と大河がそのせいで苦しんでるのに気付かない?そう…なら大河の事も口出ししない方が良いんじゃない、すっごく失礼だから。
見てる様で全然見てあげれてない、下に見て…あの娘の頑張りなんて初から無視、ナメてるから…。
『私は大河の事をぜ〜んぶ解ってんだよ?親友の言う事をお人形みたいに黙って聞いてれば良いんだぁ〜』そういう事、そうしたいんでしょぉ?
ねぇ…そっちから吹っ掛けてきたんだから黙ってないでさぁ〜何か言えよ!
聞いてんのか櫛枝実乃梨ぃっっっ!!!」
櫛枝がギリッと歯を食いしばり、亜美を憎々しげに睨み付ける。
「実乃梨ちゃんの話してる事の中に"竜児"も"大河"も居ない。自分の本心も言わない。なら話す事なんて無いよ」

亜美が髪を掻き上げて、櫛枝を嘲笑う。
そして…櫛枝が……沈黙を破る。
「黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって……っ!あんたに私の何が解るってんだ!?
じゃあ…じゃあどうすれば良かったのさ?
高須君と付き合ってれば良かったの?
迷いを残したまま、親友の気持ちに気付いていても知らん振りして……そんなの無理、堪えれない」
彼女は亜美に詰め寄り、斜め下からグッと顔を寄せて猛る。
「それに私は叶えたい夢があるんだ、悩んで悩み抜いて……決めた。……幽霊を見る前に夢を適えるんだって。
高須君には酷い事をしたとは思ってる、でもそうするのが最善だったんだよ!聞いたら……揺らいでしまうから。
高須君は強いから…優しいからっ!一度手に入れたら失うのが怖くなる……くっ!私は……私は……逃げたんだよ、それは認める」
一言紡ぐ毎に、彼女の顔が歪む。
隠しておきたかった気持ち、堪えていた痛み、それを亜美に言い当てられて心の中で泣き叫び、また傷付いて…。
「できれば誰にも言いたくなかった…情けないし言い訳みたいだから、自分でも解ってる。
私の行いは"ずるくて傲慢"だって……、こんな事しても何も解決しないってのも…」

「高須君を見ていて…夢を、目標を見失うのが怖かった。手に入れて大河を悲しませたくなかった。
それならいっそ…二人が付き合えば、見なくて済む、悲しませなくて済む。
だから…何も言わせずに…自分が言いたい事だけ言って…逃げた。
好き…大好きだからこそ…これ以上は見たくない。
だから高須君に全部押し付けて…傷付くことなんて百も承知だった、あ〜みんの言う通りだよ」
櫛枝は自嘲し、ペタッと座り直して天を仰ぐ…。
「結局は"無かった事"になんか出来ない。
かといって、今さら受け入れる事も出来ない。
私は先に進むしかないじゃん、無理矢理にでも完結させてね…勝手だけど、そうしないと激痛を負った意味がない」
そこまで聞いて亜美が口を開く。怒りも幾分かは消えて、さっきよりは柔らかい顔つきに見える。
「…完結させたいなら、竜児と大河の言う事も聞いてあげなよ、それで半端に放った事の始末をしっかりつけて、……無かった事には出来ないんだし、せめて"気持ちの良い終わり方"でバイバイしたら。
それがお互いの為じゃない?……じゃないと"亡霊"を見たままだよ、二人共。
大好きな人達が傷付いたままなのは嫌でしょ」

亜美が諭す様に紡いだ言葉に櫛枝は目を見開く。
「…一を半端に放ったままの人間が、十を成せる訳無いじゃん。
きっと夢を叶える事も途中で痛い事があったら逃げてしまう。
竜児を…ちゃんと振ってあげてよ、強くなった大河を認めてあげてよ…、二人から痛みに耐える勇気を貰ってから先に進みなよ。
あと…色々と酷い事を言ってごめん。どうかしてたわ」
そう言って、亜美は彼女に頭を下げる。
「私もごめん…、うん、あ〜みん………一つだけ聞いても良い?」
同様に櫛枝も謝り、そして真面目な顔をする。
「何?」
「あ〜みんは高須君の事……好き?迷いなく言える?」
迷いつつ、言葉を選び、櫛枝は問う。
嘘なんか言わせない、そう目で伝えながら…。
どんなに痛くても……我慢するから、納得したいから…聞かせて。
そう言うみたいに…。
「……みのりん」
大河が泣きそうな顔をして彼女の名を呟く。
俺も他の皆も櫛枝の心境を察して、心が痛む。
「あったりまえじゃん、迷う必要が無い、自信を持って言える…。
私は竜児が大好きだよ

亜美が微笑んで返す。
飾らず、率直に、そして正直に教えたのは彼女なりの優しさなのだろう。

「そっか…、うん、そっか…。敵わないね…ホント……、あ〜みんには敵わないよ」
櫛枝が亜美に笑みを返して呟く。
『スッキリしたし、納得した』
本当にそう思っているのかは解らない。
けど…自分がした事で生み出した『現実』を受け入れようと足掻いている。先に進む為に。
それだけはハッキリと読み取れた。
「大河…探しに行こうか?」
亜美が彼女に呼び掛け、そのままドアに向かう。
「よっしゃ…行くかね」
それに続いて彼女も部屋を後にした。
バタンとドアが閉まる音がして、数秒開けて俺達は押入から這い出る。
「あ〜何つうかスマン、隠すつもりじゃなかったんだ」
俺は友人達に謝る、そして大河にも。
「大河もスマン。おぅ…約束通り、気が済むまで殴ってくれ」
約束は約束、なにより自分がしでかした事の責を受けないと気が済まない。
大河に監禁紛いの事をしたし、余計な事に巻込んでしまったから。
「アホ犬…細かい事は目をつぶっといてやる。今すぐに、ばかちーとみのりんを追いなさい」
だが開口一番、彼女は俺を見上げて…そう言ってくれた。
「…高須よ、突っ込みたい事は山程あるが…まあ先に用事を済ませてこい」

北村が眼鏡を押し上げ、俺の背中を押してドアの方へ向かわせる。
「高須…何つう物を見せてくれてんだよ、うらや………けしからん、実にけしからん。帰って来たら詳しく話を聞かせて貰うよ、ん?」
振り向いた俺に能登がエールを送ってくれる。
冗談ぽく…そして普段と変わらない様子、これに俺は後押しされる。
「高っちゃぁん〜櫛枝じゃなくて亜美ちゃんとかよ〜、ひぇ〜ヤリチンってやつ?あは…いってら〜」
春田は春田なりに送り出してくれる、まあ…急にまともな事を言われても困るしな、サンキュー春田。
「優しい御主人様が、みのりんに重要な事は教えとく。だから安心して、軽やかに、無様に、見事にフラれて来なさい、ほら………行けっ!!」
大河が携帯を開いて、面倒そうに振りながら…微笑んで、俺の尻を蹴る。思い切り…。
俺は勢い良く部屋から出され、辺りを伺う。
櫛枝と亜美に……言われたい事、言いたい事。過去を振り返らない為に、歩みたい人と逢う為に……もう言いたい事なんて決まってる。
しっかり言葉に想いを込めて…言霊にして絡まった糸を一気紡ぎ直してやる。
俺は廊下を駆けていく。


俺は駆ける。
全力疾走…には程遠いけど、速歩きよりは速く、駆け足より遅く。
気持ちだけは焦って、前へ前へと歩みを進めていくが、肝心な身体が付いていかないのだ。
櫛枝に改めて言われる事の重み、亜美と早く逢いたいくて焦燥する気持ち。
±して中間より少し上…そんな中途半端な速度になるのだ。
カッコつける訳じゃないけど……俺なんかが傷付くのはどうでも良い。櫛枝と『バイバイ』する事で一番、心が痛むのは彼女自身なのだ。
『好き…大好き』
と…俺に櫛枝が抱いている気持ちを亜美に教えて……変な意味無しに嬉しかった、…そして辛かった。
漠然としていて、実態は掴めない。けど、その二つの感情が俺の胸を締め付ける。
だけど乗り越えないと…お互いに先は無い。
停滞して、絡まった糸を解くキッカケを見失ってしまう…。
亜美が身を挺して開いてくれた突破口を塞いでしまう事になる。
だから、どんなに怖くても俺は成し遂げる。
矢面に立たされても引かずに守ってくれた亜美…どんな時だって自分より俺を庇ってくれた。
彼女から貰った勇気を無駄にはしない、一緒に並んで歩みたいから。

角を右に折れ、そのまま前進、エレベーターホールで表示を見上げて、横の階段から階下へ下る。
一分やそこらの待ち時間が惜しい、駆け足で階段を下って残り数段は飛び降りる。
体勢を崩しそうになるのを踏ん張って、目の前のロビーを睨む。
……居た。
「櫛枝ぁっ!」
俺は駆けながら、彼女の名を呼ぶ。
何故なら、彼女を含めた女子達がエレベーターに乗ろうとしていたから。
「ん?」
櫛枝が振り向くと同時にエレベーターが閉まる、その時…俺は見た。
亜美が少し驚いた表情をして、すぐに俺に微笑み返し言った。
『が・ん・ば・れ』
言葉として聞こえはしなかった、けど唇の動きで、そう言ったのは解った。
鉄の軋む音を聞きながら、膝に手を付き肩で荒く息をする。
「お〜高須君じゃないか、どうしたよ?私に何か用かい?」
腰に手を当てて彼女は明るく問う。
「っは!……はあ!お、おうっ!櫛枝…お前に…っふ!話したい事があってな、ちょっとで良いんだ時間をくれ…っは!」
あがった呼吸を整え、乾いた喉を唾で潤して答える。
「ん〜………それは、さっきの話の続き?………それとも真面目な話かい?」

それは真剣な表情、そして…辛そうで…櫛枝が一瞬、小さく見えた。
「大真面目な方……だな」
俺の言葉を聞き、彼女の眉が僅かに…良く見なければ解らない位だけど…ヒクッと動いた。
「…うん。そっか…、あっ、ちょいと待ってておくれやす」
達観した表情を浮かべ、彼女は呟く。
そして話の途中で鳴った着信音。
『大河からのメールだ』
そう言いながら、ポケットから携帯を取り出す。
恐らく、大河からの着信とメールは通常とは違う物に設定してあるのだろう。
じゃなかったら、わざわざ話の腰を折ってまでメールの確認はしないだろうから。

そして…指先がボタンを下にスクロールさせていき、ある瞬間にピタリと止まる。
唖然というか…なんにせよ驚きを隠せないといった感じ。
「…待たせてごめんよう、じゃあとりあえず人の居ない所に行こうか?」
覇気の無い声で櫛枝は返す、大河からのメール…それに何が書かれていたのかは解らない。
しかし、メールを読んでから彼女に変化が起こったのは確か、確かめるのは筋違いだけど気になる。でも聞かない方が良いのだろう、その内容は…大河の言っていた
『重要な事』
に違いない、嫌でも知る事になるだろう。

そして連れて来られたのは玄関の外。深々と雪が降る中では、確かに誰も居ないが…寒い。
「さて、それで用事は何かな」
櫛枝が俺と相対する、その距離は1メートル半。それが俺達の距離、思い切り身を乗り出せば届く、けど直立したままなら絶対に届かない距離。
彼女が意識せずに提示した……俺達の在るべき距離。
「イブの晩の続き……って言ったら解るか、っても変な事を頼むなんだけどな」
「…告白だ、よね?あの晩に高須君が私に言おうとしてた事」
櫛枝がポツリポツリ…呟く、伏目で…俺と目を合わせようとはしない。
「ああ、こんなのを頼むのはおかしいんだが、今から告白するからフッてくれ」
彼女は何も言わない、ただうつむいているだけ……吐息が白い帯を引いて流れて闇夜に溶けていく。
「その前に一つ聞かせてよ、その……今さらだけど、もし…もしだよ、
その今からしてくれる告白……私がフラずに頷いたらどうすんの…かなって、絶対に曲げない?
"フッてくれ"っていう考え」
数分、いやもっと長い時間かもしれない、彼女が問の答を返し始める。でもそれは問の問で…うわずった声で迷い
選びながら問い掛ける。

……その問は櫛枝の心の叫び、心情の発露。
『もう戻ってこない時間、過去にもどれたら…後悔している』
俺には……そう聞こえた、自惚れかも…な。
さっきの出来事が無ければ
『俺の心変わりを警戒して…』
そう感じただろうな、掛け違えたボタンが生み出す被害妄想。
でも…聞いてしまった後だと
『万に一つ無いけど、もしかしたら…』
そう期待してる様に見えてしまう。
余計なフィルターを通して見たくない…彼女を愚弄する行為だから、でも…俺の心の中にコンマ1残った『櫛枝』が見させる。
「…俺を信じて待ってくれているヤツ、大切な事を教えてくれた娘が居る…だからブレない」
俺は、その邪魔物を無理矢理に乗り越える。
それは亜美が待ってくれているから…。
そして櫛枝の気持ち、夢、それらを遮る『高須竜児』という障害物を除きたくてストレートに…。
「よっしゃ…なら、どんと来い」
沈黙を破り櫛枝が顔を上げ、優しく微笑む…。
「俺…櫛枝の事がずっと…好きだった。
もう一年位になるか、寝ても醒めてもお前を想ってた」
真直ぐ俺を見詰める櫛枝が息を呑む、瞳が潤んで、揺らいで…輝いている。

「一目惚れ…だったよ。二年になって同じクラスになれて嬉しかった、気さくに接してくれて…嬉しかった。
気持ち良い笑顔で挨拶してくれて、俺が持って無いモノを持ってて…眩しかった。
少しづつ仲良くなれて、距離が縮まっていく日々が楽しかった」
どんなに楽しかった事か…。大河と共同戦線を張って毎日何とか気を引こうとして……さ。
「喧嘩しちまって…辛かった、謝れない自分が嫌だった。
けど…仲直り出来て良かった、グッと距離が近付いたから…。
でも…その辺りからボタンを掛け違えた…認めたくなかった、掛け直したかった、だからクリパに誘って…さ」
あの日の焦燥、チクチク刺さる痛み。…櫛枝はもっと痛かったんだろうな。
フッと息を吐いて続ける。
「結局は来てくれなかったけど、…いや来てくれたよ。
それが、あの日の晩だったな。お前が立ち去る位から、こんな雪が降ってた…覚えてるか?
………今の俺達はイブの日に"居る"って事にしてくれ、あの時に言いたかった事……言うぞ?」
櫛枝が頷く、力強く一回…目を逸さずに…。
「櫛枝っ……お前の事が好きだっ」
『過去形』にしなかったのは…今の俺達はイブの晩に戻っているから…。

あの晩の落とし物を届ける為に……どんなに亜美を想っていても、それが偽りじゃなくても、今この時は『イブの時の高須竜児』だから…。
櫛枝が一度ブルッと身体を震わせる。うつむいた顔の影から覗く……彼女が歯を食いしばる姿。
「……私はコレを受け取らない」
外に出た時から握り締めていた手をゆっくり拡げて、俺の方に差し出す。
「何か順番がアベコベ…あの日、答えてたら貰えてた物だけど……知らない内に……ううん知らなかったよ。
大河からじゃなくて、本当は高須君からのプレゼントだったなんて、さっき知ったから。
大河がくれたから着けてたコレ…高須君を知らない内に傷付けてた。ごめんなさい。
コレを返す事が私の……櫛枝実乃梨の答えだよ」
差し出された手の平に乗っているヘアピン。
顔を上げた櫛枝が見せてくれた笑顔は…あの眩しい太陽の様な笑顔だった。
「おぅ…。分かった、ありがとうな」
ヘアピンを受け取って、そう俺が言うと彼女が首を横に振る。
「私の方が"ありがとう"だよ、色褪せない大切な"想い出"を高須君がくれたから…へへっ…私は何をくっさい事言ってんだろうね」

右足の爪先をサクサクと地面に積もった雪に埋めて、彼女が深呼吸する。
そして…。

「私は今でも高須竜児の事が好きじゃあっっっ!!!ベタ惚れなんじゃ、こんちくしょうっっ!!!」
彼女が大きな声で叫んだ。
「気付いたら視線で追ってたよっっ!!幽霊の話を信じてくれて嬉しかったよっっ!!!
誰よりもカッコ良かったっ!凄く優しかった、私を解ってくれた!!こんなんじゃ誰だって惚れちまうだろっっっ!!!」
天を仰ぎ、握り締めた拳を震わせて…。
「告白されそうで嬉しいけど怖かった!!あの時は逃げちまったけど、言うぜぃ!!言っちまうぞぉ!?
高須竜児ぃっっっ!!大好きじゃあぁあっっっっ!!!!!」
彼女が言っている事、言いたい事、俺に言わせたい事、それを俺は理解した……。
これが彼女なりの『気持ちの良い終わり方』
これが彼女なりの不器用な『秘めた想いの伝え方』
散る事なんて解りきっているのに……あえて櫛枝は言霊を載せて紡いでくれたんだ。
それは俺が言霊を伝えたから、しっかり返してくれているんだ…。
なら俺が答える言葉は決まっているじゃねぇか。
「俺はコレを贈らないっ!それが答えだっ!」

「解った!!OK!!了解したっ!!にゃろうめいっ!!」
彼女は即座に返してくれた。音量はそのままに。

「ふぅ…スッキリした。ははっ…ゴメンよう、どうしても伝えたかったんだ……私は高須君を嫌ってフッたんじゃないって、さ」

「おぅ」
肩で息をしながら彼女は満面の笑みで俺に言う。
「これでお互いに失恋…じゃないや、高須君はもう新しい恋を見付けてるし……うん、代わりに私が全部貰っておこう。もったいないオバケに恨まれるから」
皮肉を込めて櫛枝が紡ぎ、ほんの少しだけ寂しそうな顔をした。
「キミみたいな良い男にはあーみんみたいな良い女が似合う、って訳さね。さっき高須君に会う前に…あーみんから聞いたよ、色々とね。んふふ〜☆
この色男めぇ〜このっ!このぉっ!」
肘で俺の腹をグリグリと押してからかわれる。
それを俺は笑顔で返して答代わりにする。
「ほっっっんと…良い女ってあーみんみたいな人を言うんだよ、私の方が手込にしたい位の……いい娘だよ。
半端なく愛されてるよ、高須君は……羨ましい。
………あーみんを泣かせたらギャラクティカマグナムした後にバスターホームランで吹っ飛ばすべ、マジで」

櫛枝が真剣な目差しをして俺に釘を差す。
先程…亜美に見せた、櫛枝の怒り狂う姿なんか嘘みたいだ。
俺達を後押ししてくれている。
「おぅ、そん時は頼む。ボッコボコにしてやってくれ、大河と一緒に、な」
俺は笑いながら…そんな優しい彼女に誓う。
「ん。………ここで私の役目は終わりですたい、愛しのあーみんが待っとるばい。ほら行ってやるとよ」
彼女が手をヒラヒラ振って、亜美の元へ行けと促してくる。
「ありがとうな…、櫛枝も風邪を引かない内に戻れよ?」
「がってん!あ〜…そうだ、まだ"バイバイ"してなかったね」
ギクシャクした感じなんて無くなって、自然に彼女と接する事が出来る様になっていた。
ロビーに戻ろうとした時、俺は彼女にそう呼び止められた。
「ジャイアントさらばっ」
拳を俺の顔面に緩く突出し、僅かに唇に触れる。
「ふふっ。私はもう少し、ここに居るよ…バイバイ」
何だよ俺の方から櫛枝に『バイバイ』したかったのに…先にやられてしまった。
けど…これで、糸は紡ぎ直せたんだよな。
変な遺恨なんか残さずに、前より頑丈に結べたんだ。そう信じたい。
「バイバイ」

櫛枝の元を去った俺は、急いで来た道を戻る。
直接、彼女の元へ行こうか…いや一旦、自分達の部屋に戻ろう。
まだ風呂に入ってねぇし…部屋に起きっぱなしの携帯から連絡を取って…………消灯まで時間はそれなりに残っている、間に合うよな?
そんな考えを巡らせながら部屋の前まで戻ると…亜美が待っていた。
「竜児…」
壁にもたれ掛かり、腕を組んで……。俺を見付けると頬を綻ばせてくれた。つまらなさそうにムスッとしていた顔が、瞬時にパッと明るく……キラキラ輝いた。
『半端なく愛されてるよ』
そんな櫛枝の言葉が頭の中で木霊する。
「部屋に居ても暇だし………来ちゃった」
ちょっと苦笑しつつ、彼女が紡ぐ。
本当は逢いに来てくれたんだろうな、櫛枝との事を聞きたい…とかじゃなく、純粋に俺の事を案じて来てくれたのだろう。
「おぅ…寒いだろ、部屋にでも入るか……って鍵持ってねぇや」
そう言う途中で、そんな事に気付く。確か能登が持ってるんだよな鍵。
戻って来てれば良いけどな。
と、ドアノブに手を掛けようとすると亜美が口を開く。
「…開いてないよ」
だよな、誰か居るなら部屋の中で待ってるだろう。

「てかさ、祐作達がチビ虎に引き摺られていってたの見たし…あのアホ達、何をしでかしたんだろうね?ねぇ?り・ゅ・う・じ」
ニヤリと笑って亜美が俺の顔を覗き込む……まさかバレてる?
「お…知らねぇ、春田辺りが大河に何かしたんじゃないか?」
口から出任せ、部屋に忍び込んだ事を口外してはいけない。俺はともかく北村達が可哀相だ、色んな意味で。
「へぇ〜じゃあ、そういう事にしといてあげよっかな……んふ♪
"竜児達"が何をしてたか、は奈々子と麻耶にはナイショにしといておくわ」
思わせぶりな言い方に俺は観念するしかない、事情を話せば少し位は情量酌量の余地は有るやもしれん。
「気付いてたのかよ……」
「まあ………エレベーター乗ってる時に、だけど。だって、おかしいじゃん?
実乃梨ちゃんと私に色々あった後、すぐに竜児が探してたら。
ちょっと考えたら分かるし、あ〜私達の話してた事を聞いてたんだなコイツら、って。
な・に・よ・り亜美ちゃんは竜児の嘘なんて簡単に見破れるんだゾっと」
亜美は別に気にしていないみたいだ、クスッと笑って俺の鼻を指先でつつく。
「嘘は付けねぇな、それよりも亜美に話したい事がある」

そう、ずっと言おうと想っていたこと。
彼女を好いてると自覚し、認めた時から伝えたい言葉。
それを言霊として贈るのは今しかない。
「俺とお前の"これから"の事なんだが、場所を変えて話したい」
「ん…、うん」
亜美が唾を飲み込んだのが見えた。一歩遅れてだが、しっかり頷いて…。
「おぅ…」
こういう時、何か気の利いた事が言えれば良いんだろうな。…緊張して思い付かない。
それは彼女の湯上りの淡い桜色をした頬に朱が差している姿に、そして艶やかな唇に目を奪われたからだ…。
期待に瞳を潤ませ、ジッと見詰められて…堪らなく綺麗で。
魅入ってしまう……。俺は動けなくなる。
まだ告白なんてしていないのに心臓がドクドク鼓動を速め、手が震える。
そんな時だった、亜美が顔を真っ暗にして両手で俺の手を包んでくれた。
何を言う訳でもない、ただ優しく微笑んで手を撫でてくれる。
言葉に出さずとも、緊張をほぐそうとしてくれてるんだと察する事ができた。
だから勇気を振り絞る事が出来る、亜美の優しさに後押しして貰えたから。
「ありがとう、行こう」
俺は頷いて亜美の手を握り、一歩を踏み出す。

「はあ…そりゃそうだ、良く考えたら当たり前だったよな」
一歩を踏み出して十分後、俺達はロビーのソファーに座っていた。
告白するに相応しい場所を探して歩き、なかなか見付からない。

互いの泊まってる部屋は誰かが居るし、通路の袋小路は他の部屋の前、屋上は無いし、自販コーナーは売店と併設していて人通りがある、残るはトイレと大浴場くらい。
流石にそこは駄目だろ?なら、さっきみたいに屋外か……けどそれを選択肢として選ぶのは嫌だった。
なんか櫛枝に対して失礼だから。
そして最終的に行き着いたのは、ココ、ロビーである。
人が居なくなるのを待つが、それは無駄だろう。
少なからず誰かが居る、フロントマンもな。
誰かに見られたり、聞かれたりが恥かしいとかって理由じゃない。
亜美が
『なら祐作みたいにみんなが居る前で告白とか?……やぁん亜美ちゃん愛され過ぎて困っちゃうよぉ♪』
とか言っていたが、それは出来ない。
告白するのに雰囲気は大切だからな、かといって雰囲気が作れそうな場所は無い。
だから困ってる、その姿を楽しそうに見る亜美を横目に捉えながら。
「仕方無いよ、なら修学旅行が終わってからは?」

「おぅ?」
でも最後には助け船を出してくれるのだ、亜美は。
「亜美ちゃん待てるよ?楽しみは後に取っとく、それで良いよ、焦んなくてもさ。
あ、さっき言ったみたいにぃ〜、みんなの前であっまぁ〜いコ・ク・ハ・クしてくれた方が嬉しいかもぉ。
てか、して?なんちゃって」
キャハッ☆と可愛い笑い声を残して彼女はニコニコ顔。
「それじゃ北村のパクりだ、いや…それがどうってわけじゃねぇけど、
はあ…仕方無い。悪いけど、修学旅行が終わるまで待っててくれ」
翌日だって、今と変わらず、だろうからな。
なら後日、改めてだ。
「え〜恥かしいわけぇ、なら亜美ちゃんが声を大にして言ってあげようか?
あは、ま…冗談はさておき。いつでも良いよ、竜児が言える時で、…………待ってる」
亜美がニッコリ微笑んで紡いでくれる優しい言葉。
「おぅっ」
情愛に満ちた彼女の想いが嬉しくて、すぐに返事を返す。
「………けど竜児は前にした"約束"を覚えていてくれてるのかなぁ」
そう彼女がポツリと呟いた言葉の意味を理解するのは、二日後の事であった。


続く

このページへのコメント

SSだけど櫛枝実乃梨と高須竜児の告白のシーン泣けた…
作者さんほんと凄いです!!

Posted by みのりん 2016年01月20日(水) 23:23:36

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