web上で拾ったテキストをこそっと見られるようにする俺得Wiki

 竜児の家から徒歩で二十分以上離れた、一戸建てが目立つ、どちらかといえば中産階級以上が住むような住宅地
の一角に、春田の家はあった。
 その春田の家は、鉄筋コンクリート造りの三階建てで、一階が家業である内装業の事務所になっているらしい。
 建付地は、周囲の道路よりも一段高くなっており、道路に面した部分は横方向にくり抜かれ、クルマが二台駐められる
ガレージになっている。実際、そのガレージには、薄汚れ、あちこちが凹んでいる業務用の大型ワゴンが一台駐まっていた。
このワゴンで、職人たちと機材を現場に運ぶのかも知れない。
 もう一台分のスペースには、内装業で使うらしい工具や、塗料か接着剤らしい缶とかの機材が雑然と置かれていた。
ガレージと家屋は直接行き来はできないようだが、ガレージを含めると、地下一階、地上三階の結構な規模と言えそうだ。
「春田の奴、意外に裕福なんだなぁ…」
 竜児は、二階建てばかりの周囲の家屋よりも、頭一つ抜きん出るように建つ春田の家を見上げた。
 アホそのものの春田からは想像が困難だが、春田の父親は、それなりにやり手なのだろう。
 そのガレージのすぐ脇には、普通の住宅のそれよりもかなり広めに作ってあるコンクリートの階段があって、そのまま、
内装業の事務所の入り口につながっていた。竜児はその階段を上がり、事務所の入り口に立ってみた。だが、中は暗く、
人の気配がない。どう見ても営業時間外といった雰囲気がする。
「自宅の方に出頭しろってことなのか?」
 しかし、春田の自宅の入り口はどこか? 竜児は辺りを見渡して、事務所の入り口のすぐ脇に、目立たぬように設け
られている階段を見つけた。どうやらこれが、春田の家の玄関口らしい。
 その階段を上がり、『春田』と、分厚い真鍮板にゴシック体で刻まれた表札の下にある呼び鈴のボタンを押す。
『ふああ〜い、どちらさん? あれ? 高っちゃん? 久しぶり。どったの、こんな朝っぱらから』
 インターホンからは高校卒業以来、久しく耳にする春田の間延びした声が聞こえてきた。
 竜児は、ほっとした、竜児がここでバイトすることは、当の春田は未だ知らなかったらしい。万が一、亜美が春田に
電話していたとしても、竜児がここでバイトすることを、春田は口走っていないということになる。
 もっとも、竜児が家庭教師をすることも春田は、『知らない』と答えるだろうが、こっちの方はいくらでも誤魔化しよう
がある。大体が家庭教師というものは、当人が望んで頼むものではない。親から、『この人に勉強を見てもらえ』と強制
されるのが普通である。それが、ある日突然、当人には何の予告もなしに行われることだってあり得るのだ。
「どったの? 高っちゃん。高校卒業してから、ご無沙汰だったじゃん」
 つい、余計なことを考えていて、竜児はインターホンの春田に応答しそびれたが、そこはアホ故に警戒心も希薄な
春田である。カメラに写った人影だけで竜児と判断して、解錠し、わざわざドアを開けてくれた。
 ドアの隙間から、春田の憎めないが、いかにもアホっぽい顔が覗く。
 竜児と春田が、互いに顔を合わせるのは高校卒業以来のことになる。卒業後、それぞれ進路が異なるのだから当然
なのだろうが、どうしたって、頻繁に顔を合わせるのは、同じ大学に通う者同士になりがちだ。ましてや、進学せずに家業
を継ぐつもりである春田と、進学した竜児とが疎遠になるのも致し方ない。
「久しぶりだな、ま、それもあるけど、実はな…、急だけどよ、今日からここでバイトさせてもらうことになった…」
「バイト? ここで?」
「ああ、北村から紹介してもらった。で、北村に、今日の八時までにここに来るように、って指示されてな…。
こうして来たって訳なんだ」
 春田が、「ふぅ〜ん」と言って、竜児の格好を改めて一瞥している。亜美に付けられたキスマークを隠蔽するための、
襟が高いスタンドカラーシャツを除けば、適当にくたびれて、汚そうが破けようがお構いなしといった風情のジーンズと
おんぼろスニーカーが目についたらしく。春田は、うん、うん…、と柄にもなく訳知り顔で頷いた。
 竜児が、汗だくで、埃まみれの重労働を覚悟していることを悟ったのだろう。
「じゃぁさぁ、親父に会わせるから、とにかく上がってよ。他の職人たちは、八時半頃にならないと来ないんだよ。
にもかかわらず、高っちゃんを早めに呼んだのは、親父が高っちゃんを実際に見て、まぁ、使いものになるかどうか
を確かめたかったんだろうな」
「お、おぅ、そうなのか?」
 竜児は、意外にしっかりした春田の応対に、少しばかり感心した。
 高校時代は、とかくKYで、頓珍漢な言動が目立ったことを思うと、あの頃の春田と今の春田は別人のようだ。
「まぁ、とにかく、そこのスリッパ適当に使ってよ」
 屋内は綺麗に片付いていた。僅かな埃でも目立つフローリングであるにもかかわらず、塵一つなく、ワックスで
ピカピカに磨き上げられている。
 さすがに内装業を営む者の住まいである。『紺屋の白袴』というわけにはいかないのだろう。ただ、業務用の機材が
雑然と放置されているガレージは、ちょっといただけなかったが、詰めの甘さは誰にだってある。例外的に、竜児には、
その種の隙がないというだけの話だ。
「なぁ、春田、卒業以来、ずっと親父さんの下で修行してきたのか?」
 蛇足かな? と竜児は思った。前を行く春田の姿を見れば、それは自明だったからだ。
 その背中は、高校時代よりも格段に広くなっているように竜児には感じられた。二の腕も、箒の柄のように細く貧弱だった
高校時代とは打って変わって、今は丸太ん棒のように太く逞しい。
「ああ、毎日、汗水たらして肉体労働さ。最初の頃は、きつくってさぁ、みんな大学に行ってるのに、なんで俺だけが
こんな辛い目に遭わなきゃならないんだ、って泣き言ばっかだったけどな」
「た、大変だな…」
 竜児は、思わず生唾を飲み込んだ。北村からの間接的な情報で、仕事のきつさは覚悟しているつもりだったが、いざ、
春田からも実体験に基づいた話を聞かされると、日給の高さ相応の厳しい試練であることを痛感させられる。
 その厳しさに、卒業してから三箇月とはいえ、もまれ、鍛えられてきたのだ。春田といえども変わるのだろう。
「なぁ、春田」
 その春田に、竜児は予防線を張っておくことにした。いくぶんはしっかり者になりつつあるような春田だが、過分な
期待は禁物だ。
「何? 高っちゃん…」
「実はな…、昨日から今日にかけて、俺たちの共通の知り合い、大橋高校の同窓生の誰からか電話なりメールなりの
連絡はなかったか?」
「大橋高校の同窓生って、例えば誰だい?」
 緊張感が丸で感じられない春田の応答に、竜児は、こうしたところは相変わらずだな、と苦笑した。
「誰でもさ、北村はここのバイトのことを俺に教えてくれた奴だから例外だが、他に、能登とか、櫛枝とか、木原とか、
香椎とか、村瀬とか…」
「うんうん…」
「そして、川嶋とか…」
 竜児は、最も警戒すべき人物を最後に挙げて、春田の反応を窺った。亜美のことを未だに憎からず思っているであろ
う春田のことだ。実際に、亜美から電話なりメールなりを受け取っていたのなら、その言動が急変するに違いない。
 廊下の突き当たりにある、重厚なドアの手前まで先導していた春田は、その一言で足を止め、竜児に向き直った。
 だが、その表情に浮かれたような色はない。
「ふ〜ん、なんか、高校の時の知り合い全員じゃん。でもなぁ、進学したみんなとは、もうほとんど縁がなくってさ。
電話もメールもとんとご無沙汰だよ」
 いかにもつまらなそうな春田のリアクションに、竜児はひとまず胸を撫で下ろした。幸いなことに、亜美の追及の手は
春田には及んでいないらしい。
 それと、進学しなかったことが、春田にとって引け目になっていることを改めて知り、竜児は内心で自己を叱罵した。
 だが、そうであっても、春田には釘を刺しておかねばならない。
「じゃ、済まねぇが、さっき俺が挙げた誰かから電話なりメールがあったり、道端でばったり出くわしたりしたら、俺がここ
でバイトをしてるってことは内緒にしてもらいてぇ」
「いいけど? でも、また何で?」
「恥ずかしながら、泰子からバイトを禁止させられているんだよ。それで他言無用に願いたいんだ」
 春田が、理解不能なのか、小首を傾げている。
「だったらさぁ、泰子さんだけに秘密にしとけばいいだけじゃん。泰子さん以外だったら、高っちゃんが、ここでバイトして
いることを話したって、何も問題はないけどな」
 竜児は、おい、おい…と、不安になった。しっかりしたように見えても、やはり春田はアホなのだ。泰子が直接耳に入れ
なくても、誰かの口から連鎖的に噂が広まることを理解できないのかも知れない。
 何よりも、泰子の同調者である亜美に対して、春田が何の疑いもなく、竜児がバイトしていることを漏らしたら、
それこそ致命的だ。
「噂が広まるってのがあるだろう? だから、用心に越したことはねぇのさ。とにかく、北村以外には、誰であっても俺が
バイトをしていることは、絶対に秘密にしておいてもらいてぇ」
「ほ〜い、そういうことなら、オッケイ。高っちゃんがバイトしてるのは秘密にしとくよ」
「済まねぇな…」
 だが、もう一丁、春田に念を押しとかねばならない。
「更についでで済まねぇが、中には、妙なことを口走る奴が居るかもしれねぇ…。それにも注意してもらえたら有難い」
「妙なことって? 例えば、どんな?」
「例えば、俺と北村が、ボランティアでお前の家庭教師をやってるんじゃないか、ってことを訊いてくる奴が居るかも知れ
ねぇ」
「はぁ?」
 春田が、理解不能とばかりにアホ面を歪めた。
 春田でなくても、亜美が竜児の行動を訝しんでいるという背景を知らなければ、誰だって理解不能だろう。
「詳しく説明すると長くなるから、ちょっと端折るけど、とにかく、何の脈絡もなく、そんなことを訊いてくる奴が出てきそう
なんだよ。それも、誰だかは分からない。その時は済まねぇが、俺は数学と物理、北村は英語と国語と社会を、
それもバイトじゃなくてボランティアでお前に教えているってことにしといてくれ」
 理解を求める必要はない。そう対応してくれるように指示するだけだ。特に、春田の場合はそれだけで十分である。
「家庭教師ってバイトじゃないの? それをボランティア? う〜ん、なんだかよく分かんないけど、高っちゃんが
そうしろって言うなら、そうするからさぁ。第一、俺、頭悪いから、高っちゃんから話聞いても、理解できないし、
聞いたそばから忘れるからさぁ」
「お、おぅ、済まねぇ…」
 分というものをわきまえている者は、賢愚にかかわらず、ある種の清々しさがある。こうした点でも春田は成長したな、
と竜児は感じた。
 だが、春田は、やっぱり春田だった。
「で、念のため訊くけど、高っちゃんが英語と国語と社会で、北村が数学と物理だっけ?」
「おい、おい、逆だよ、逆!」
 見直した、と思ったそばからこれだ。竜児は、大きく嘆息しながら苦笑した。春田のアホは金輪際治りそうもない。
「あは、そっか、高っちゃん、数学専門だったよな」
「そうだよ…、だから、そこんとこはしっかり頼むぜ」
 春田は、笑いながら「うん、うん」と頷き、回れ右して、オーク材か何かでできているらしい、どっしりとしたドアの前に立ち、
そのドアを開けた。
「高っちゃん、取り敢えず中に入って待っててよ。親父だったら、今すぐ呼んでくるからさ」
 そう言って、竜児を革張りのソファに案内すると、入ってきたドアとは別のドアから出て行った。
 ドア越しに春田が階段を駆け上がる音が聞こえてくる。
「三階が居住スペースになっているんだな…」
 ゲストが立ち入ることができるのは、この応接室まで、ということなのだろう。
「ごついオーク材のドアに、この応接室。内装業ってのは結構儲かるのか?」
 亜美の実家に比べたら、それは問題外のレベルだろうが、それでも竜児はもちろん、北村や実乃梨の家よりも格段に
裕福であろうことは間違いない。
 古くなった家屋は、建て替えるよりも、リフォームで延命を図る方が合理的という風潮故なのか、春田の家業は
それなりに繁盛しているようだった。
「俺なんかが、居てもいいのかな…」
 残された竜児は革張りのソファに座ることもできず、居心地が悪そうに周囲を見渡した。
 甲板が分厚いガラスでできているテーブルが目の前にあり、卓上ライターと大理石らしい灰皿とシガレットケースが
置かれていた。灰皿には、吸殻が二、三本転がっていて、部屋の中にもタバコの匂いが残っている。春田の親父は喫煙
者らしい。肉体労働者というか、ガテンな仕事を生業にしている者に、ある種ふさわしいと言えるだろう。
 サイドボードの上にはウイスキーやらブランデーやらの度数の高い酒が何本も並べられており、そのうちのいくつか
は、中身が尽きかけていた。おそらく、毎晩、ここでソファに身を預けながら、タバコをふかして、ウイスキーやらなんやらを
呷っているのだろう。
 サイドボードの隣には、サイドボードと同様にオーク材でできているらしい重厚な造りの本棚があった。
 しかし、本棚にこれといった書籍はなく、竜児には何が何やら分からない業界誌が何冊か、後は夥しい数のDVDで
埋め尽くされていた。
 竜児は、立ったまま振り返るようにして、背後を見た。
「大型テレビに、カラオケセットか…、いかにもだな」
 七十インチは優にありそうな大型テレビを飲酒しながら鑑賞し、ほろ酔い加減でカラオケセットで歌っている姿が
想像でき、竜児はちょっと苦笑した。
「まぁ、思ってたよりも普通かな…」
 カラオケセットはいただけないし、本棚に書籍がないのは無学であることの証明のようだったが、インテリアの趣味は
そう悪くはない。
 ガテンな親父らしく、酒飲みで喫煙者らしいが、意外にまともな人物なのかも知れないと、竜児は思った。
 そんなことをあれこれ考えているときに、春田が姿を消したドア越しに、誰かが階段を降りてくる気配がした。
 春田本人ではないことは確かだった。敢えて表現するならば、ドスン、ドスン、という重く響くような足音が、春田本人
のそれとは明かに違っていた。
「待たせたね…」
 ドアが開いて、日焼けした、角刈り頭のいかつい中年男が現れた。中背というよりも、短躯というべきなのだろう。
息子の春田よりも背はかなり低いようだ。全体にずんぐりとしていて、正直なところ垢抜けない。
 だが、幾本もの皺が刻まれた面相は、裸一貫で事業を起こし、文字通り体を張って稼いできた者に特有の厳しさが
漲っていた。何よりも、一見、穏やかそうに見える目が、その実、あらゆるものを吟味し、峻別する鋭さを秘めていることに
気付き、竜児は、半ば無意識に気を付けの姿勢をとっていた。
「まぁ、そう突っ立ってないで座りなよ。それじゃ、まともな話もできゃしない」
「は、はい、では、失礼します」
 竜児は、おずおずと黒革のソファに腰を下ろした。その竜児の所作を、春田の親父は、さりげなく注視している。
「で、君が、浩次の友達で、北村くんと同じ大学に通っている高須竜児くんだね?」
「はい」
 ソファに座った竜児に、改めて春田の親父の視線が注がれる。一見柔和だが、あらゆるものを貫き通すような
その視線に竜児は怯みそうになったが、三白眼を、くわっ! と見開いて耐えた。
 これは面接試験なのだろう。竜児が十日間のタフな肉体労働に耐えられるか否か、粗暴と言ってよいほど気性が
荒い職人たちに対応できそうか否かが見極められているのだ。
「ふむ…」
 竜児にとっては息が詰まるような春田の親父とのにらめっこだった。それでも、時間してみれば、ほんの三十秒ほど
だったのかも知れない。
 春田の親父は、満足そうに相好を崩した。
「よっしゃ、君ならなんとか務まりそうだ。筋肉質でガタイもいい。それに、俺の顔から視線を外さなかったから肝も
据わっているようだ。何より、本当は温厚なんだろうが、ぱっと目には迫力のある眼光、これならうちの職人たちも、
ただの大学生とは思わないだろうな」
 第一関門はクリアした。
「あ、ありがとうございます!」
 大きな声で春田の親父に礼を言い、深々と頭を下げた。
 喜びよりも、緊張感が少しばかり和らぎ、お辞儀をしたまま竜児は、ほっと、大きなため息をつく。
「おい、喜ぶのは未だ早いぞ。日給ははずむが、仕事は本当にきついからな。その点は覚悟しといてもらおう」
「は、はい」
 元よりそのつもりである。それに、軟弱といってよい春田でさえも、卒業してからの三箇月間、これから竜児が経験
するであろう、過酷な試練に耐えてきたのだ。竜児だって、耐えねばなるまい。
「それにだ…。短期間とはいえ、雇うとなったからには、今日から君はうちの使用人だ。だから、これからは『お前』と呼び、
『高須』と呼ぶことにする。分かったか?」
「はい」
「更に、大学生だという、お前の素性を職人たちに明かす訳にはいかない。学歴がものを言う昨今で、肉体労働やって
る奴なんか社会の底辺なんだよな。だから、不満があるし、僻みもある。そんな奴らが有名大学の大学生と喜んで働くと
思うか?」
 竜児は、無言で首を左右に振った。逆の立場は、竜児にだって想像がつく。
「だろ? だから、お前には不本意だろうが、お前は、浩次と同じ高校の卒業生だが、素行不良で進学も就職もできな
かった落ちこぼれってことにしておく」
「は、はい…」
 カムフラージュが目的とはいえ、あんまりな設定ではあった。しかし、正体が職人たちにばれるよりはいい、ということ
で、竜児は自分の気持ちに折り合いをつけた。
 そんな竜児の心境を読み取ったのか、春田の親父は、微かに頷いた。
「じゃあ、そういうことで宜しく頼む。ついでに言っとくと、職人は三人だ。それに浩次とお前がアシスタントとして働く。
俺も、お前や浩次の働きを監督したいが、今は事務所の方が忙しくてな。だから、現場では、サブという職人の指示に
従ってもらうことになるだろう。このサブってのが、うちの職人のリーダー格だ」
「わかりました、社長」
 その竜児の応答に、春田の親父は、一瞬、目を剥いたが、すぐに相好を崩し、はっはっは…、と体格に似合わぬ
大きな声で豪快に笑った。
「こいつぁ、傑作だ。お前さん、なかなか見どころのある奴だ。当たり前のことなんだが、俺のことを、こう呼べない奴が
多くてな。なのに、お前さんは、指示もなく、自然に俺のことを『社長』と呼んだ。学の無い俺としては認めたくはないが、
やっぱりあの国立大にストレートで合格したってのは伊達じゃないな。場の雰囲気を的確に判断できるようだ」
「は、はぁ…」
 竜児は、春田の親父の豪快な笑いに圧倒された。なりは小さいが、一国一城の主だけのことはある。
「それじゃ、ひとまず、下の事務所で職人たちが来るのを待つんだ。連中が揃ったら、ガレージにあるワゴンで現場まで
行く。作業開始は九時過ぎだ。現場は、大橋高校近くの賃貸マンション。そこの内装修繕がここ十日間の仕事になって
いる」
 であれば、竜児にも土地勘はある。ここから歩いても十分もかからない。
「それと、ボロいジーンズってのは、汚れ仕事を覚悟しているようで結構だが、糊の効いたそのシャツは余計だな。
汚れるといけないから、Tシャツとかに着替えた方がいい」
「はい、この下はTシャツですから、これさえ脱げばオーケイです」
 そう言って、竜児はおもむろにスタンドカラーシャツのボタンに手を掛け、さりげなく右を向き、ボタンを外してシャツを
脱いだ。この角度なら、春田の親父には亜美に付けられたキスマークは見えない。
 そして、ディパックからタオルを取り出し、それを首に回して、両端をTシャツの襟元に突っ込んだ。これでキスマークを
何とか誤魔化せるだろう。
「よし、シャツの下にTシャツを着ていたとは用意のいい奴だ。それじゃ、下へ降りるぞ。俺は、この階と事務所を直結し
ている階段を下りるが、お前は、玄関を出て、事務所の前で待て。俺が中から鍵を開けるから、そうしたら、事務所に入っ
て来い」
「わかりました、社長」
 春田の親父がにやりとした。社長と呼ばれるのが嬉しいらしい。けじめのない春田は常時『親父』と呼んでいるのだ
ろうし、職人たちだって、陰では、社長ではなく、親父とか、親方とか勝手に呼んでいるのだろう。
 だとすると、春田の親父が不在の時に、職人の前での、社長云々は控えた方がよさそうだ。
 そんなことを考えながら、竜児は玄関を出て、事務所の入り口に立った。
「入んな…」
 春田の親父が、いくぶんぶっきらぼうに言って、事務所の扉を開けてくれた。竜児は、軽く会釈して事務所の中に足を
踏み入れた。
 入り口から、パソコンが置かれている机が二つあり、更に奥には、一際大きい机が事務所の入り口から入ってくる者
を出迎えというよりも、威圧するがごとく据え付けられていた。これが春田の親父の机らしい。
 パソコンが置かれている机は、春田の母親か、あるいは職人とは別の事務員が使うのだろう。
 全体に片付いていて、掃除も行き届いてはいたが、パソコンが置かれている机の上には、帳簿が広げられたままで
あり、不用心なのは否めない。
 竜児は、事務所の更に奥の方にも目を向けた。奥は資材置き場になっているようだ。真新しい缶入りの塗料だか、
ワックスだか、接着剤だか、素人の竜児には何だか分からない製品が、一つの棚に整然と並べられ、別の棚には、
メジャーとか、金尺とか、壁に貼るクロスを切断するためらしいカッターとか、更には丸い鋸歯が装着されたエンジン
カッターのような、構造物を荒っぽく切断するような機材も保管されていた。
「そうか、こっちが本当の保管庫だったんだな…」
 ガレージに埃まみれで雑然と置かれていたのは、使用済の空き缶とか、老朽化して処分を待つだけの古い機材だっ
たのかも知れない。
「おい、きょろきょろしてないで、座って待て」
 春田の親父が、事務所の壁に立てかけてあるパイプ椅子を指差した。
 竜児は、軽く頷いて、できるだけ隅っこの方で、そのパイプ椅子を広げ、それに座った。
 そして、携帯電話機を取り出して、時刻を確認する。午前八時二十二分。そろそろ、職人たちが現れる頃合いのようだ。
「うぃっす、しゃちょぉ〜」
 低いしゃがれ声がしたので、年嵩なのかと思ったが、三十路になったかならないか程度の痩身中背で真っ黒に日焼
けした男が事務所に入ってきた。髪は五分刈りというよりも、ほとんど坊主に近い。タンクトップにハーフパンツ、右耳に
は金色のピアスを入れて、鱈子のように分厚い唇には、火の着いてないタバコが咥えられている。
「おお、サブ、来たか」
 この男が職人のリーダー格らしい。そのサブと呼ばれた男は、春田の親父に、「へぇ…」と小声で応ずると、眉の下に
ぎょろりと光る大きな目を心持ち歪めて、部屋の片隅に座っている竜児を見咎めた。
「誰ですぅ? こいつぁ?」
 サブが、竜児に対して顎をしゃくるように持ち上げてから、春田の親父に向き直った。
「ああ、そいつは、きょうから浩次と一緒にみんなの仕事を手伝ってくれる高須だ」
「バイトなんですかぃ?」
「まぁ、そんなところだ
 そのサブが、竜児の顔にぎょろ目の照準を合わせてきた。先ほどの春田の親父と違い、若干の敵意らしきものが込
められたその視線を、竜児は三白眼で受け止めた。
 生意気なガキだ、と思われるかも知れないが、初めから弱気丸出しも宜しくない。こういう連中には互譲や、謙譲等
の美徳は通用しないから、尚更だ。
 サブは、一見冷徹なような竜児の三白眼を直視して、うっ、と声を詰まらせた。
 竜児の方こそ、冷汗三斗であったが、にらめっこでは竜児の方がサブを圧倒したらしい。
「何者なんすかい? こいつ…」
 春田の親父は、その瞬間、竜児を一瞥し、にやりとした。職人のリーダー格をしてビビらせた竜児の三白眼は、
春田の親父が想定していた以上のものだったらしい。
「こいつはな…、うちの浩次と同じ高校だったが、札付きでな、素行不良で進学はおろか、就職もできずに、まぁ、色々と
くすぶっていた奴なんだ。それを俺が見るに見兼ねてな、ちょっくら仕事で更生させてやろうって寸法さ。まぁ、見た目は
こうだし、今は気持ちの整理もついていないようだが、根はそう悪い奴じゃない。幸いガタイはいいし、力もありそうだ。
まぁ、うまく使ってやってくれ」
「へ、へぃ…」
 生まれてこの方、疎ましく思ってきた自身の三白眼が役立ったのは、これが初めての経験であったかも知れない。
 ものは使いよう。いや、処変われば、同じものでも、価値や評価は違って当然なのだ。
 もっとも、竜児の三白眼が、言っちゃあ悪いが、こんな知性や教養とは無縁そうな連中に限って効果的というのも、
困ったものではあるのだが…。
 そんな竜児の複雑な心境を知ってか知らずか、春田の親父は、薄ら笑いを浮かべている。
「おし、じゃあ、高須。こっちが、職人のリーダー格のサブだ。ちょっと、挨拶くらいしてやれ」
「へい…」
 郷に入りては郷に従え、である。竜児もサブの口調を真似て、春田の親父に応答した。
 そして…、
「高須竜児です。以後、よろしゅうたのんます」
 口調とか仕草とかは空気感染するのか、はたまた、昔見たヤクザ映画の一場面を思い出したのか、竜児は、
任侠さながらの口調で、サブに挨拶することができた。
「わ、分かった。それじゃ、俺がびしびし鍛えてやっから、そのつもりでいろ」
「へい、宜しくおねげぇしやす」
 内心ではやりすぎたかな? と思い、竜児は春田の親父に目線を送ってみた。
 だが、その春田の親父は、悪戯っぽく含み笑いをしながら、竜児に向かって微かに頷いている。
 実際は、臆病でへたれということが、サブ以下の職人たちにバレたらまずいが、とにかく十日間、誤魔化し通せ、
ということなのだろう。
 時刻が八時半になる頃、残りの職人たちが集まってきた。
 一人はノブオ、もう一人はテツと呼ばれる二十代半ばの男たちだ。いずれも凶相と呼べるほどに目つきが険しく、
剣呑な雰囲気が漂っている。
 その彼らが、眉をひそめて竜児の顔を一瞥してくる。竜児も、ビビりそうなのを堪えながら、彼らの視線と向き合い、
彼らが何者であるのかを把握しようとした。
 ノブオは、竜児よりも大柄で、腕っ節は強そうだ。しかし、やや肥満気味であるし、絶えず身体を揺らす等、
少々落ち着きがなかった。存外、気弱な奴なのかも知れない。
 テツは三人の職人の中で一番背が低いが、横幅ががっちりしており、こちらも腕力は相当なものであることを窺わせ
る。しかし、竜児が気になったのは、そのテツの言いようのない暗さだった。それも、単に性格が暗いとかで済まされるよ
うなレベルではなく、他者を排他する険悪さが感じられるのだ。職人の中で、こいつが一番厄介かも知れない、と竜児
は思った。
 現に、竜児と視線を交えた際に、ノブオは一瞬、竜児の眼光を避けるように目を逸らしたが、テツは逆に鮫のように
感情が窺えない眼で竜児を睨み付けてきた。
「よ〜し、サブに、ノブオに、テツと、三人揃ったな。後は、浩次か…」
 社長である春田の親父が職人たちの呼び名を挙げた。こうした仕事では本名で呼び合うことはあまりないのだろう。
 そう言えば、竜児も履歴書の提出を求められなかった。
 春田の親父にとって、使用人の過去はさほどの問題ではなく、実際に会ってみて、使い物になりそうならばひとまず
よし、更に実際に仕事をさせてみて、ダメなようなら即刻馘ということのようだ。
「遅れて、すんませ〜ん!」
 事務所の奥の方から、所々に塗料やら、接着剤やらのシミが着いたTシャツと、膝が擦り切れて、やはり塗料とかで
薄汚れたジーンズを穿いた春田が現れた。
「浩次、遅いぞ!」
 社長である親父の叱責に、春田は「ごめんよぉ、親父」と言い、その一言で、「社長と呼べ!」と更なる叱責を浴びてい
る。春田はどこまでも春田なのだ。
「でわぁ、社長、ボンも来ましたし、そろそろ行かねぇと…。でねぇと、九時前には現場に着きやせん」
 サブの塩辛声に春田の親父も頷いた。春田は職人たちからは、『ボン』と呼ばれているらしい。
 ボンボンのボンなのだろうが、何となくボンクラの意味も込められているような気がしないでもない。
「よぉ〜し、今日から、新しい現場での仕事だ。その現場は、大橋高校近くの賃貸マンション。そのマンションの内装の
修繕を請け負っている。工期は十日間だ。日程を考えるとかなりきつい仕事になるが、浩次の元同級生の高須を
アルバイトとして雇うことにした。掃除や資材の運搬とかの雑用はこいつに優先的に割り振って、みんなは石膏ボード
やクロス、クッションフロアの貼り替えといった、技能が必要な作業に専念してくれ」
「「「へぃ!!!」」」
 職人たちは威勢よく返事をすると、ガレージのワゴンに乗り込むべく、事務所を出て行こうとしている。
 春田と竜児もその後に従った。
 ガレージでは、ノブオが運転席に着き、テツが助手席に座っていた。
 エンジンを始動し、マイクロバスと呼べそうなほどの大きさのワゴンが、黒煙混じりの排気ガスを吐きながら、のろのろ
とガレージから這い出してくる。
「ボンにタカ、乗んな!」
 後席のスライドドアを開けて、サブが顔を出した。どうやら竜児の呼び名は『タカ』になったらしい。
 その『タカ』こと竜児は、春田に付き従って、ワゴンの中に入り、サブと、春田と一緒に三人並んで座った。
「後ろは機材でギッシリだな…」
 ワゴンは三列目の座席が取り外されており、塗料や接着剤、クロス、それにクロスを切断するスケール付きの特殊な
カッターや、漆喰を補修するためらしいパテや、そのためのコテ等が、棚に分別されて収納されていた。
「だから、このワゴンは五人が定員なんだよ」
 春田がしたり顔で宣っている。
「それでも、石膏ボードとか、ベニヤ板とか、ある程度でかい建材はこいつじゃ運べねぇ…。こうした建材は、昨日のうち
に俺と親父さんが軽トラで現場に持ち込んであるんだ。今回の現場は、内装がなかり荒れているから、クロスの貼り替
えだけじゃ修繕できねぇ。何しろ、壁のあちこちに穴が開いている部屋がかなりあるんでな…」
 そのサブの話を聞きながら、まずはその軽トラから重たい石膏ボードとかを作業現場に運ぶ仕事が課せられるな、
と竜児は思った。内装業に関する技能が皆無の竜児には、この十日間は単純な力仕事しか任せられないし、そうする
ことで他の職人を技能を要する作業に専念させようというのだろう。
 現場である賃貸マンションは、大橋高校の目と鼻の先であり、竜児自身も通学途中に何度か目にしたことがある。
 鉄筋コンクリート造りで、地上五階。それなりに外見は立派だが、築二十年ということもあって、壁面の塗装は色褪せ
ていた。
「モルタルに亀裂があるな…」
「だね…。でも、高っちゃん、俺らは内装屋なんだからさ、外装がどうであろうと関係ないんだよ。外装がどんなに問題
あっても、内装をきっちり綺麗に修繕すればオッケイなのさぁ」
 アホであったはずの春田からもっともな指摘を受けて、竜児は苦笑した。ついつい、全体の瑕疵が気になってしまう
のは竜児の性癖である。その性癖故に、竜児は何事も完璧に成し遂げようとする。しかし、営利での仕事となれば、
それは却って宜しくないのだ。
「お〜し、ボンにタカ! 駐車場に止めてある軽トラから、石膏ボードを二、三枚持ってきてくれぇ!!」
 ちょっと、物思いに耽りそうになっていた竜児を、サブの塩辛声が現実に引き戻した。
「「へぃ!!」」
 この仕事で、単なるアルバイトの竜児には、考えるということは全く要求されていない。言われるままに力仕事に専念
するしかないのだ。
 この日の午前中は、結局、石膏ボードや、接着剤、古いクロスを剥がすリムーバーとかの資材を、
サブに命じられるまま運んだだけで終わった。
 そして、昼食。春田や職人たちは近くのコンビニで買った弁当を突っついてる。竜児も手ぶらで来たから、その点は
同様だ。
 その化学調味料やら、砂糖やらの味付けが妙にくどい煮物に内心では辟易しながらも、傍目には、さも美味そうに
食べているようにした。
「暑いねぇ…」
 春田がだらけきって、弛緩したようにボヤいた。近隣住民から、マンションを管理している不動産会社に苦情がいくと
まずいので、竜児たち五人は作業場であるマンションの一室にこもって食事をしていた。
 その部屋は、南北とか東西とかに吹き抜けにならない構造で、埃っぽいだけでなく暑苦しい。
 エアコンがあれば当然しのげるが、空き部屋となったこの場所に、そんなものがあるわけがなかった。
 食べている弁当の上に、汗が滴った。竜児は、それに柄にもなく舌打ちし、首に巻いたタオルで、顔面を拭き、頭髪と
首筋を拭った。
「た、高っちゃん、それ?」
 春田が竜児の喉元を指差している。
 竜児は、はっとした。亜美に付けられたキスマークの存在を、迂闊にも失念していたのだ。
「い、いやぁ、な、何でもねぇよ」
「そう? でも、なんか赤く腫れているぜ。虫刺されにしては変に大きいし、大丈夫?」
 春田の指摘に、職人のリーダー格であるサブも身を乗り出してきた。
「タカ、ちょっと見せてみろ…」
 指示に従わねばならない立場である竜児に拒むことはできない。
 先ほどはそのサブをもすくませた三白眼を伏せて、喉元をさらけ出した。
「ふ〜む、こいつぁ…」
 サブがぎょろ目をしばたたかせ、眉間にシワを寄せて、困惑したように呟いた。
 よくよく見れば、亜美の口唇の形が分かるのだろう。サブは、竜児の喉元の赤い痣のようなものが、キスマークである
ことを見抜いたようだった。
 そのサブの背後から、テツの陰険な目が覗いている。
「キスマークみてぇだな…」
 テツの一言に、竜児は身を強張らせた。さり気ないような口調であったが、それには竜児に対する悪意が込められて
いる。
「え〜っ?! キスマークって、高っちゃん、相手は誰よ?」
 すかさず春田が、竜児に詰め寄ってきた。
 その春田に対し、竜児は、「いや、そんなんじゃねぇよ…」と、目を伏せて応じるのが精一杯だ。
 更には、テツと春田に加え、感受性が乏しそうなノブオまでが、竜児に対して羨望と敵意が交錯するような視線を
送ってきている。
「おい、いい加減なことは言うもんじゃねぇ!」
 竜児を追い詰めるような雰囲気は、サブが張り上げた塩辛声で、打ち破られた。
 そのサブは、自身の背後に居るテツを一瞥してから、竜児に向き直った。
「こいつはぁ、あせもをこじらせてできた皮膚炎みたいだな。今は赤く腫れているが、二、三日すりゃあ元に戻るだろう」
「え〜っ、高っちゃん、皮膚炎なの? 俺は、てっきりキスマークかと…」
「ボン、紛らわしい形をしてるが、こいつは皮膚炎だ。そうだな、まぁ、毎日暑いってのもあるけど、皮膚が弱い奴には、
こんなのができやすいのさ。そうなんだろ? タカ」
「へ、へぃ…」
「タカは、見かけによらず、皮膚がデリケートってことさ。だから、今日は仕事が終わったら、すぐに風呂に入って汗を
流すんだ。汗をかいたまま放ったらかしが一番いけねぇからな」
「すんません、ありがとさんす。気ぃ付けます」
 竜児は、ほっと胸を撫で下ろした。サブは場の雰囲気を読んで、適当に誤魔化してくれたのだ。さすがに職人の
リーダー格だけあって、思ったよりもまともな人物なのかも知れない。
 竜児は、初対面で、サブのことを低学歴と軽侮したのは早計だったと、反省した。
 だが、そのサブの背後から、なおも、じっとりとした視線を送ってくるテツが不気味だった。この男、明かに竜児を敵視
している。
 時刻は午後一時になろうとしていた。
「よぉ〜し、昼休みは終わりだぁ。午後は、三時に小休止するが、それ以外は、ぶっ通しで作業をするぞぉ!」
 サブの号令のような塩辛声で一同は弁当の容器やペットボトルを片付け、持ち場についた。
 竜児と春田は午前中と同様に資材を作業現場に運んでいたが、それに加えて、作業現場で出てくる諸々のゴミを
片付ける仕事もやらされた。
 修繕を要するマンションの一室からは、剥がしたクロス、穴が開いた部分だけ切り取った石膏ボード、
といった廃棄すべきものが大量に出てくる。それらのゴミが生じたら、作業している職人たちの邪魔にならないように、
迅速に回収して回った。
「おーい、タカ! 何やってる、さっさと片付けねぇか!」
 クロスを剥がしているテツが、竜児に対して刺のある言い方をしている。初対面からあまりいい印象はなかったが、
昼休みに、竜児の喉元にキスマークを見咎めて以来、その険悪な雰囲気に拍車が掛かったような感じだ。
 彼女が居ないのか、彼女にふられたばかりなのか、大方、そんなところなのだろう。実に下らない。
 だが、そう思いながらも、竜児は、ともすれば気が抜けたように作業の手を休めがちな春田を尻目に、罵声も努めて
気にしないようにして、汗だくになって働いた。
 重い資材を手で運び、作業で生じた廃棄物は、職人から文句を言われる前に片付け、コマネズミのように右往左往
するうちに、この日の作業は終了した。
「しかし、疲れたぜ…」
 来たときと同様に、大型ワゴンで春田の事務所兼自宅に戻り、春田の親父にその日の作業の進捗状況を
サブが報告して、解散となった。
 職人たちは、あっさりしたもので、互いに馴れ合うこともなく、各々がさっさと帰っていった。
「高っちゃん、シャツから塩吹いているから、シャワーでも浴びてきなよ」
 春田にはそう勧められたが、竜児は遠慮した。他の職人が誰もシャワーを浴びさせてもらえないのに、春田の友人と
いう立場だけで、そこまで優遇されるのは、さすがに宜しくない。第一、春田の親父がそれを許さないだろう。
 そんなこんなで、竜児は、銭湯で汗を流し、今は併設されているコインランドリーで汗だくになったTシャツとジーンズ
とブリーフを洗っている。衣服が乾燥するまでには今暫くかかりそうだ。
 竜児は、携帯電話機を取り出して、電源を入れた。作業中に私的な電話に出るようなことは許されないと思い、
竜児は携帯電話機の電源を切っていたのだ。
 その携帯電話機の時刻表示が青く光り、午後六時半であることを示した。
「まずいな…」
 作業の邪魔になるし、壊したら勿体ないということで、竜児は腕時計もはめてこなかった。そのため、時間に対する
感覚が少々ルーズになっていたのは否めない。
 七時過ぎには亜美が竜児の自宅にやってくる。それまでには帰宅できるか否かは、洗濯物次第だ。
 竜児は、メールと留守電を確認した。
「うわ…、亜美の奴、こんなにひっきりなしにメール送りやがって…」
 そのメールも、午後の早い時間までは、『どう? 似非家庭教師さん、ちゃんとやってるぅ?』的な、多少はユーモアが
感じられるものだったが、時間を追うごとに険悪になっていき、つい五分前のメールでは、『もぉ! バカ竜児! 何やっ
てんの! さっさと連絡よこしなさいよ!』という剣幕丸出しの文面で終わっていた。
 留守電にも亜美からのものがいくつか記録されていたが、メールの文面だけで十分に気が滅入った竜児は、それら
を聞くことなく、すべて消去した。聞かなくても、どうせ内容は察しがつく。
「しかし、こっちから何の連絡もしねぇのは、さすがにまずいな…」
 気は進まなかったが、亜美の携帯電話の番号をリストから選択して、通話ボタンを押した。
 相手方に接続する無味乾燥なノイズの後、鼓膜が破けそうなほどの亜美の罵声が、竜児の左耳をつんざいた。
『あんたぁ! いったいどこで油売ってんのぉ!!』
「お、おぅ…」
『おぅ、じゃないわよぉ!! 気抜けしたげっぷみたいな声出してぇ! あんた、夕食の支度も放ったらかしで、どこで
何やってるの? あたしが、ちょっと早めに来たら、泰子さんが空腹で動けなくなっていたんだよ。
あんた、無責任過ぎるじゃない!』
 朝食の用意はしたが、夕食まで手が回らなかったのは、失策だった。
「まぁ、ちょ、ちょっと春田の物覚えが悪くって、時間が掛かっている。済まねぇけど、もうちょっと待ってくれ」
 嘘にもならない、苦し紛れだった。目の前の洗濯機が、ぶぅ〜ん、と唸り、洗濯物を乾燥させる工程に移ったようだ。
 その音は、当然に、竜児の携帯電話機も拾っていて…。
『あら、何かしら? 何だか衣服の乾燥機か何かが動いているような音が聞こえるんですけどぉ…』
「き、気のせいじゃねぇのか?」
 電話口からは、ふふん…、という亜美の嘲笑みたいな吐息が聞こえてくる。
『見苦しいわね、そうまでして誤魔化そうとするなんて。あんたが正直に言わないようだから、あんたが今居る場所を
当ててあげましょうか?』
「そ、そんなこたぁ、どうだっていいだろうよ」
 銭湯で汗を流したばかりだというのに、脇の下からは、アセトンのような嫌な匂いのする冷や汗がじっとりと滲んできた。
『よくないでしょ? あんたが嘘をついているんだから。とにかく、あんたは、コインランドリーとかで汗だくになったシャツ
を洗って乾かしているところなんでしょ? 誤魔化してもだめ。ちゃんと聞こえているのよ、乾燥機が動いているのが』
「だ、だから、これは春田の家の扇風機の音なんだって」
 一度でも嘘をついたら、嘘をつき続けるしかない。苦しくても、正直に認めてしまったら、お終いである。
 真実を告げるのは、全てが終わり、亜美にあの指輪を渡す時だ。それまでは、何があっても白状する訳にはいかない。
『本当に嘘くさい…。もういいわ、インチキ家庭教師さん。あんたの狂言にいつまでもつき合ってられないから、この話は、
別の機会に改めてしましょ…』
「そ、そうだな…」
 ひとまずは、亜美の追及はしのげたことで、竜児は、額にいつの間にか浮かんでいた冷や汗をタオルで拭った。
 もっとも、この場合、亜美の方が呆れ果てて、一旦、手を引いたというのが正しいのだが。
『そんなことより、あんた、重要なことを忘れてない?』
 はて? 何だろうと、竜児は思った。何しろ、のっけから亜美のワンサイドゲームなので、竜児は、この話の展開に
ついていけてない。
「え〜と、何だっけ?」
 しかし、当事者意識が丸で感じられないその口調は明かにまずかった。
『あんたって、本当に最低!! 夕食の支度とか、空腹の泰子さんのこととか、全然、念頭にないのね! あんた本当に大丈夫? 仕事のしすぎで、バカ丸出しになったんじゃないのぉ?』
 しまった、そう言えば、会話の初っ端で、亜美がそんなことを訴えていたな、と思ったが、後の祭りである。
「済まねぇ、そういえばそうだった」
『済まないで済めば、警察も裁判所も、いらないわよぉ! あんたは自分の責務を放棄して、アルバイトにうつつを抜か
したんだわ。これって、民法四百十五条の債務不履行じゃない!!』
 弁理士試験対策の勉強の影響なのか、竜児と口論するときは、根拠条文を挙げるのが最近の亜美の特徴だ。
こうすることで、法学部生でない竜児を翻弄することができるというのもあるのだろう。
「で、で、ど、どうなったんだ? 腹を減らした泰子は?」
『しかたがないから、あたしがあり合わせのものをこしらえて、泰子さんに食べさせてあげたわよ』
「あり合わせって…」
 竜児は、狐につままれたような気分だった。亜美が自発的に料理をしたというのが、ちょっと信じられなかった。
『とにかく、近所のスーパーにすっ飛んでって、鯵とほうれん草を買ってきて、鯵は塩焼き、ほうれん草はおひたしにして、あとは卵焼きとサラダを作ったから。それを食べて、泰子さんは、落ち着いたわ』
 心なしか、亜美の声が得意気にうわずっている。
「ほ、本格的だな…」
『まぁね…、これでもあんたの女房になるつもりなんだからさぁ、それぐらいはできないと洒落になんないでしょ?』
「お、おぅ…」
『でもね…』
 一拍置いた静寂が不気味だった。
『どうでもいいけどぉ、さっさと戻ってきなさい!! あと、十五分以内に戻ってこなかったら、今夜は一晩中、あんたに
しがみついて、精を搾り取ってやるんだからね!!』
 そう、怒鳴るように言って、亜美は電話を切った。
「て、『精を搾り取る』って、サキュバスかよ…」
 つい昨日まで処女だったというのに、一度、男の味を覚えたら、もうこれだ。
 亜美という女は、竜児にとって似合いの相手ではあるが、同時に、手に負えない淫乱なのかも知れない。
 乾燥機が止まった。竜児は、洗濯物をディパックに仕舞うと、のろのろと自宅へ向かって歩き出した。どう頑張っても、
亜美が指定した制限時間内には帰宅できっこないからだ。それに、制限時間内に帰り着いても、竜児との性愛に目覚
めてしまった亜美が、大人しくしているはずがない。
 その制限時間を大幅に超過して、竜児は帰宅した。
「お・か・え・りぃ…」
 玄関を開けるや否や、柳眉を逆立て、こめかみに青筋を浮かび上がらせた亜美が待っていた。
「た、ただいま…」
 消え入るような声で返事をすると、竜児は、おんぼろスニーカーを脱いで、きまり悪そうに亜美の傍をスルーしようとした。
「ちょっと、待ったぁ!」
 その逃げるように立ち去ろうとする竜児の襟首を、亜美の右手がひっ掴む。
「い、いてぇな…」
 竜児は振り返るようにして亜美を見た。鬼か般若のような形相ではあったが、気のせいか、悪さをした息子を咎める
母親のような雰囲気もなくはない。
 その亜美が、ほんの少しだけ相好を崩したように竜児には感じられた。
「あんた…、お腹空いてないのぉ?」
「お、おぅ…」
 昼にしょぼいコンビニ弁当を食べただけで、激しい肉体労働に耐えてきたのだから、当然に空腹である。その意思を
伝えるべく、竜児は、首根っこを押さえられたまま、気弱そうに頷いた。
「じゃぁ、お説教は勘弁してあげる。あんたの分は、ちゃぶ台に配膳してあるから、ひとまず腹ごしらえしてきなさいよ」
 そう言うと、亜美は大きく嘆息して、掴んでいた竜児の襟首を離してくれた。
 竜児は、亜美から追求をほとんど受けなかったことに安堵しながら、その理由を考えてみた。
 そして、それは、ちゃぶ台に竜児のことを思って配膳された鯵の塩焼き、ほうれん草のおひたし、卵焼きとサラダを
見て、何となく分かったような気がした。
「すげぇな…。これ、本当にお前が全部こしらえたのか?」
 台所から、暖め直したみそ汁と、大盛のご飯を持ってきた亜美が、ちょっと恥じらうように頬を朱に染めて頷いている。
 魚の塩焼きとか、卵焼きとか、どれも簡単な家庭料理だが、インスタントではできず、それなりに手間は掛かる。
「と、とにかく、食べてみてよ…」
 亜美の声がうわずっている。
 よりにもよって、プロ並の料理の腕前を誇る竜児に、初めて自分が作った料理を食べさせるのだ。その緊張感は、
いかばかりのものだろう。
 亜美の追求が手ぬるかった理由は他にもありそうだが、ひとまずは、せっかく作った料理を竜児に食べさせたい、
というのもあるのだろう。
 竜児は、期待と不安が綯い交ぜになった亜美の視線を浴びながら、味噌汁を一口啜った。
「うん、美味い」
 味噌汁の具は、豆腐とえのき茸だった。出来立てではないから、風味自体はいくぶん落ちてはいるのだろうが、出汁
と味噌の分量が的確で、えのき茸の微かな味わいも感じ取れるような、絶妙といってよい味付けだった。
「ね、ねぇ…。ほ、本当に美味しい?」
 おずおずと、亜美が訊いてきた。先ほどまでの般若のような表情はどこへやら、今は、思い人である竜児に自分の
料理を誉めて欲しいという純な気持ちで満たされているらしい。
「美味いよ、正直、亜美がこれほどできるとは思っていなかった…。たしかに、昨夜、お前に怒られたように、俺はお前や
泰子、というか女というものを軽く見ていたのかも知れねぇ…。その点は、俺の不徳だな」
「わ、詫びはいいからさぁ、味噌汁だけじゃなくって、鯵とか、ほうれん草とか、卵焼きとかも食べてみてよ!」
「お、おぅ…」
 頬を朱に染めて、今や喜色を浮かべている亜美に急かされるように、竜児は、鯵の塩焼き、ほうれん草のおひたし、
それに卵焼きを賞味した。
 鯵の塩焼きは、振り塩がやや多過ぎるきらいはあったが、それがかえって、大汗かいて、塩分の補給が必要な竜児に
は有難かった。焼き加減はちょうど竜児の好みで、表皮が少々焦げて香ばしく、それでいて中はふんわりと柔らかく
仕上がっている。
「美味いよ、焼き加減は完璧だ。焼きたてだったら、無敵の美味さだな」
「そ、そうなの?」
 予想外の高評価だったのだろう。亜美は、本当に嬉しそうに笑っている。誉められる、ということは、誰にとっても嬉し
いものだが、それも竜児に誉められたのだから、格別なのだろう。
「ほうれん草のおひたしも、なかなかだ。醤油と出汁と、かすかな甘みは本味醂かな? とにかく、漬け汁の配合が俺の
とは違うが、甲乙付けがたいほど美味いよ」
「うん、うん…」
 卵焼きはちょっと形が崩れていたが、半熟の部分が程良く残っていて口当たりがよい。
 味付けには砂糖を使っていないらしいが、これにも微かな甘みがあって、食べていると優しい気分になってくる。
「卵焼きは、ほんのり甘いんだが、何だか砂糖のようなしつこい甘さじゃねぇな。何だろう…」
 蜂蜜かな? と竜児は思ったが、であれば特有の匂いがするはずだ。しかし、この卵焼きにはそうした蜂蜜臭さが
一切ない。
「うふふ、何を入れたのか当てたら大したもんだわ…」
 竜児は、蜂蜜ではないとすると、アミノ酸系の人工甘味料か? とも思ったが、この種の甘味料は熱を受けると甘み
が損なわれるから、おそらく違うのだろう。他に、『アセスルファムK』のような熱に強い人工甘味料もあるにはあるが、
アミノ酸系の人工甘味料に比して変な苦みがあるはずだし、何よりも、竜児同様に健康を気遣う亜美が、
そんないかがわしいものを使うわけがない。
「だめだ…、降参する。俺にはさっぱり分からねぇ」
 参りました…、とばかりに首を左右に振る竜児に、亜美は、してやったりの得意そうな笑みを向けている。
「水飴を入れたのよ…」
「水飴? あの粘っこい水飴か?!」
 なるほど、嫌味のない甘さは、麦芽糖を主成分とする水飴によるものだったのか、と竜児は納得した。
 麦芽糖は、砂糖と違って血糖値を急激に上げることはないから、膵臓に負担を掛けないし、第一、太りにくい。
 しかし、水飴は粘度が高く、溶いた卵に加えただけでは十分に混じらない。その点は、どうやったのだろうか、
という新たな疑問が生じた。
 その竜児の疑問が亜美には以心伝心であったのだろう。
「水飴は粘っこいけど、少し水を加えて、電子レンジで加熱するだけで、蜂蜜みたいにトロトロになるのよ。
それをお醤油と一緒に溶き卵に入れたの。どう? なかなかいいアイディアでしょ?」
「お、おぅ…。アイディアってことは、お前が独自に考えたんだな?」
「う、うん…。この前の銀座でのショッピングの時、竜児が、麦芽糖なら太りにくいって、言ってたでしょ?
で、気になって、麦芽糖が含まれている甘味料はないかって調べてみたの。そしたら、日本古来からある水飴が
そうだって分かったわけ…。以来、この水飴を砂糖の代わりに使うレシピを考えて、試作し、伯父や伯母にも
実験台になってもらっていたのよ」
「お前、すげぇな…」
 『実験台』、という響きは、失敗作も試食させたことを意味しているのだろう。その時の亜美の伯父と伯母には同情を
禁じ得ないが、そのおかげで、竜児は、ほのかに甘い、かつてないほど優しい味わいの卵焼きを、亜美から食べさせても
らえたのだ。
「亜美、お前って、徹底してるんだな…。まぁ、大学受験の勉強でもそうだったし、本気を出すと、無茶を承知でとことん
頑張る…。本当に恐れ入ったぜ」
「そんなの、お互い様だよ…。あんたの方こそ、根をつめて頑張ってばっかりじゃない。傍から見ていると、大丈夫かって
はらはらするぐらい…」
 亜美を誉めたつもりが墓穴を掘ったらしい。
「そ、そんなこたぁ、ね、ねぇよ…」
 無茶な肉体労働をしていることを亜美に突っ込まれないように、竜児はとにかく否定した。
 だが、亜美は、そんな竜児には取り合わず、優しげな笑みを浮かべながら竜児の左手から、空になった茶碗を取り上
げ、それに白飯を盛った。
「はい、はい…、そうね、あんたはいつだってそう。無理をしてても、決して弱音を吐かないし、そもそも無理をしてるって
ことを絶対に認めない」
「……」
 何だか風向きがおかしいとは思ったが、竜児はどう対処していいのか分からず、再び、飯が盛られた茶碗を手に、
申し訳なさそうに亜美の表情を窺った。
「何? あたしの顔に何か付いてる? どうでもいいけど、お腹空いてるんでしょ? だったら、何杯でもお代わりして
いいからさぁ。今は、ご飯を食べることに専念した方がいいわよ」
 その表情は、母親がわが子に向ける類のものなのだろう。そこには打算的な損得勘定はない。
 理由は分からないが、今の亜美は竜児のアルバイトを咎めるつもりはないらしい。竜児は、半信半疑ながら、再び、
亜美の手料理に箸を付けた。
 美味い。誰かに作ってもらった料理がこんなに美味いと思ったのは、初めてかも知れなかった。
 亜美が台所で洗い物をしている水音を聞きながら、竜児は食後の気だるい気分でぼうっとしていた。
 自宅で上げ膳据え膳なのは、本当に久しぶりだった。思えば、小学校低学年以来だろうか。
 あの時は、働きづめの泰子の負担を少しでも減らしてやりたいばかりに、おっかなびっくり炒り卵を作り、
食後の洗い物は竜児が専ら行うようになったのだ。
「あれからだったなぁ…」
 見様見真似どころか、徒手空拳で始めた家事だったが、テレビの料理番組を参考にしたり、新聞の献立の記事を
読んだりしながら、少しずつレパートリーを広げ、その技量を確かなものにしていった。
 その過程が、今となっては堪らなく懐かしい。
 母親に甘えるという子供らしい欲求を封印したのも、この頃ではなかったか。泰子の働きぶりを思うと、子供心にも
無遠慮に甘えることはできなかった。泰子の膝の上で子守歌を聞いたのは、もう遥かな昔だ。
 そのまま夢見心地で竜児は朦朧としていたが、頬へのひんやりとした感触で、正気を取り戻した。
「気が付いた?」
 うっすらと目を開けると、庇のように突き出た乳房越しに、淡い笑みを浮かべている亜美の顔があった。
 その亜美の手が、ひんやりとした感触とともに、竜児の頬に優しく当てられている。
 そして、竜児の後頭部には、弾力に富んだ亜美の太股が感じられた。
「亜美…、済まねぇ、満腹になって、つい、うとうとしちまって…。い、今は何時なんだ?」
 本当は、慣れぬ肉体労働で疲労し切っていたからなのだろう。
 それは亜美も分かっているのか、淡い笑みを浮かべたままだ。
「そうね…、かれこれ十時近くになるかしら。どう? 弁理士試験の勉強はできそう? 何だか、だいぶ眠たそうね」
 短時間でも眠ったことで、頭は意外とすっきりしていた。しかし、十時近くという時刻が問題だった。
 難解な条文と格闘しなければならない弁理士試験の勉強は、三十分や一時間程度継続しただけでは、目に見えた
効果は望めない。 少なくとも二時間は連続して勉強することを思うと、勉強を開始する時刻としては、いささか遅い
ようだ。それに…、
「少し眠ったせいで楽にはなったが、勉強はちょいパスだな。何せ、春田の奴が、サボるんでなぁ、こっちの精神的な
疲労感が甚大なんだよ。だから、済まねぇが、今日は、本の類は読みたくない…」
 春田の家庭教師で竜児が苦労したと、亜美が錯誤するように要点をぼかして言った。
 ある程度は本当だった。実際、現場でも、春田は、竜児よりも根気に乏しく、ともすれば手を抜くというかサボりがち
ではあったからだ。
「はい、はい…、そういうことにしときましょ…。そうね、夏休みの初日だもの、今日ぐらいは勉強しなくても、許されるかも
知れないわね…」
 亜美は、微笑して、竜児の言い分を真に受けていない。だが、嘘をついている竜児を責めるような素振りもないのが
不思議だった。
「電話では、えらく怒っていたけど、今は何だか優しいな…」
 亜美は、膝に乗せている竜児の頭を優しく撫でながら、鈴を転がすように、うふふ…、と笑った。
「当たり前のことに気付いたのよ。あんたも、やっぱり男の子なんだわ。男の子ってのは、どうしたって、やんちゃなことを
する。傍目には無茶だ、と思われても、敢えてやるのが男の子なんだわ。それは、女の子であるあたしには到底真似が
できないことなのよ…」
「そ、そんなこたぁねぇだろう。亜美だって、今の大学に猛勉強で合格して、今度は弁理士試験に挑戦する。
女の子であるお前だって、無茶を承知で敢えて頑張ってるじゃねぇか」
 亜美は、淡い笑みを浮かべながらも首を左右に振った。
「女ってのはねぇ、中には例外もあるだろうけど、やっぱり攻め手よりも守り手なんだよ。で、男は、種族とか、一族のため
に外に出て戦わなきゃいけない。女が戦うときもあるけど、それは、従属的な存在として、男の後に付き従っている場合
が大半だよ。あたしが、あんたを追って今の大学に入ったように、そして、あんたに従って弁理士になろうとしているよう
に…」
「そ、そうなのか…?」
 亜美が微笑しながら頷いている。その面相は、陳腐なたとえだが、聖母のように慈悲深く、穏やかだった。
「男はどうしたって、外に出て行ってやんちゃをする。それは、もう、有性生殖をする種のことわりみたいなものなんだよ。
それを止めるとか、非難するとかは、そのことわりに反することなのね。
だから、女は、頑張っている男を見守るしかないんだわ…」
「それって、母親っていうか、母性そのものって感じだな…」
「母性かぁ、たしかにそうかも…。好きな人を見守るってのは、母親がわが子を見守るのと似ているのかも知れないわね」
 亜美は、鈴を転がすように、うふふ、と笑った。それに呼応して、ふくよかな乳房が艶めかしく揺れている。
「い、今のお前は、母親みたいな気分なのか?」
「うふ、そうね、女はみんな母親になるのが夢だって、前にも言ったわよね。あたしも、そう…。あんたと結婚して、
あんたとの子供を産みたい。そんな本能にも似た強烈な欲求があることは認めるわ」
「お、おい、急ぎすぎだよ、そりゃぁ…」
 結婚後ということを前提としても、竜児にとって、妊娠とか出産とかは、苦手な話題だ。生々しいくせに、男にとっては
絶対に経験できない非現実性がもどかしい。
 それに何より、竜児にとっては、女を孕ませてしまうことには、生理的な抵抗が根強かった。
「あら、あんた、妊娠とか、出産とかっていうと、妙に挙動不審になるのね。誤魔化しても、だぁ〜め。あんたって、苦手な
話題になると、額に変な汗が吹き出てくるんですもの」
「お、おぅ…」
 亜美は、女は従属的な存在だと言ったが、本当は、男の方がそうなんじゃないかと竜児は思った。女は、男に付き
従っていながらも、こうして男を癒すようにしながらも、ある程度は意のままに男を操っているのだ。
 言ってしまえば、哀れな傀儡に過ぎないのだろうが、それが種のことわりであるならば、それでいい。
 何よりも、永遠の愛を誓い合った亜美に操られるなら、それも本望だった。
「再三言ってるけど、ちゃんとピルは飲んでいるから大丈夫。あたしだって、それほどバカじゃないから…。
社会的には何の力もない未成年者だってことを分かっているからね。
そんな無力な者が、子供を産んでも碌なことにはならないんだよ。それに…」
 亜美が、一瞬、言葉を詰まらせて、膝の上の竜児の瞳を覗き込んだ。
「亜美…。お前は…」
「母になる前に、あたしはあんたの妻になりたい。あんたの妻になる前に、あんたにとって唯一無二の女になりたい。
だから、あたしは、あんたと今宵も結ばれたい…」
「そ、それは、いいけどよ…」
 昨晩、処女を喪失したばかりの亜美の体調が気掛かりだった。
 竜児だって、今も亀頭の辺りが微かに疼くのだ。膣内を竜児の極太ペニスで無理やりに引き裂かれた亜美であれば、
そのダメージは、竜児の比ではないはずだ。
「あたしの身体のことを気遣っているんなら、そんなのは無用だよ。女のあそこってねぇ、結構丈夫にできてっから、
昨晩くらいのことじゃ、大して痛みは残っちゃいないのさ」
 本当だろうか? と思ったが、男の竜児に、その真偽を確かめる術はない。全ては亜美の言うことに耳を傾けるしか
ないのだ。
「何? その目は? やっだぁ〜、亜美ちゃんが痛みに耐えながら、あんたに奉仕しようとしてるって思ってんでしょ?」
「お、おぅ、そ、そうじゃねぇのか?」
「竜児って、バカ? あたしみたいな性悪女がそんな殊勝なことを考えるわけないじゃん。淫乱チワワが発情している
だけ、それだけなんだよ。何なら、さっき電話で言ったように、一晩中あんたにしがみついて、あんたの精を吸い尽くして
やってもいいんだからさぁ」
「あ、ありゃ冗談だろ?」
 亜美は、ふん、と鼻先であしらうように笑った。
「あんたが、あたしの料理を不味いって言ってたら、本当にそうしたかも知れないわね。でも、あんたは、あたしの料理を
喜んで食べてくれた。それに免じて、今夜は、一回だけってことで勘弁してあげるわ」
「お前…、無理してるよ。絶対…」
 昨夜あれほど激しく竜児を求めてきた亜美が、『一回だけ』と言ったことからも、それは窺えた。
 だが、亜美は、竜児の気遣いには構わず、ノースリーブのカットソーを脱ぎ捨て、ブラジャーを外した。
「ねぇ、ママのおっぱいだと思って吸ってよ…」
 竜児の頭上に、ぶるぶると震える乳房が露わになった。先端の乳首と乳輪がぷっくりと膨れている。
 竜児は、思わず固唾を飲んだ。竜児のように性欲が薄い男であっても、こんな光景を目の当たりにして冷静では
いられない。
 
「い、いいのか?」
 亜美が、頬を朱に染めて頷いたのを認め、竜児はゆっくりと起きあがり、亜美の乳房の谷間に顔を埋め、その匂いを
堪能した。
 花のように香るトワレとは別の、乳臭いような、甘いような、やるせない匂いが、竜児を劣情させる。
 亜美は、そんな竜児の頭部を、母親が乳飲み子を抱くような手つきで支えた。
「うふ…、もぞもぞ、くすぐったいけど、気持ちいい…。ね、ねぇ、あたしの胸の谷間の匂いを嗅ぐのもいいけどぉ、
そ、そろそろ、お、おっぱいも啜ってよぉ…」
 その声に促されるように、竜児は、ぷっくりと膨れている左の乳首を吸い、舌先でそれを弄び、艶やかな乳輪ごと
軽く歯を当てて甘噛みした。
「うっ、き、気持ちいい…」
 その瞬間、亜美が竜児の頭部を力一杯抱き締めた。
 竜児は、餅のように弾力のある亜美の乳房に押さえられ、窒息しそうになりながらも、夢中で乳首を啜り、甘噛みした。
「ひ、左だけじゃなくて、み、右も、お、お願い…」
 竜児の頭部を押さえていた力が弱まった。上目遣いに窺うと、亜美は、涎を垂らして、陶然としている。
 竜児は、その亜美に頷くと、脇の下から右の乳房全体を啜るように嘗め、その先端の乳輪と乳首を強く吸い、
軽く噛んだまま引っ張ってもみた。
「あ、あぅ、そ、そうよ、も、もっと…」
 亜美は、そのまま暫く身をよじらせて快感に酔い痴れていたが、不意に、竜児の頭部を、乳房から強引に引き剥がした。
「きゅ、急にどうしたんだよ…」
 亜美は、苦しそうに喘ぎながらも、竜児に笑顔を向けた。
「な、なんか、おっぱい吸われているだけで気持ちよくなり過ぎちゃった…。で、でも、前菜は、これで十分。もう、そろそろ、
メインディッシュを戴きましょうよ」
 そう言うなり、亜美はデニムのスカートに両手を突っ込んで、ショーツを引きずり下ろした。ショーツのクロッチからは
粘液が糸を引いている。
「お、おい、そう言えば、こ、ここって、俺の部屋じゃなくて、いつも飯食っている場所じゃねぇか。隣には泰子が寝てるん
だろ?」
 遅ればせながら、自分の居場所を把握した竜児に、亜美は妖艶に微笑んだ。
「泰子さんなら、ご飯を食べて、またスナックに行ってるわよ。だから、この家に居るのは、あたしとあんたの二人だけ…。
ならばぁ、竜児の自室以外の、キッチンとか居間とかでエッチする方が萌えるじゃない…」
「お、お前、変態だよ…」
「そうよ、あたしは変態…。でも、最愛の伴侶限定のね…。だから、今のあたしには、むしろ誉め言葉だわ」
 そう言いながら、亜美は、スカートも剥ぎ取り、文字通り一糸纏わぬ姿になって、竜児の前に横座りした。
「お、お前…」
 全裸の亜美は、未だ躊躇している竜児に妖艶な流し目を送りながら、物憂げに髪を掻き上げた。
「早くしなさいよ。このまま、あたしの裸身を指をくわえて見てるつもり? そんなんじゃ、ジーンズを突き破りそうなほど
大きくなってる、あんたのおちんちんが可哀相じゃない」
 亜美の白魚のような指が、怒張している竜児の股間をまさぐった。
「わ、分かった、じゃぁ、お、俺も…」
 亜美の愛撫に急かされるようにして、竜児もTシャツとジーンズとブリーフを脱ぎ捨てて、全裸になった。
 『女は従属的』だなんてことを亜美は言ったが、何だかんだ言っても、男は女に操られているのだ。
「じゃあさぁ、あんたは座布団を二枚敷いて、その上に仰向けになってよ。そのあんたの上にあたしが乗っかるからさぁ」
 いわゆる騎乗位というわけだ。
 竜児は、その亜美に従って、座布団を敷いたが、いくぶん渋い顔をして、亜美に向き直った。
「なぁ、エッチしてると、色々と液が出てくるよな…」
 そう言いながら、亜美の股間を指さした。実際、亜美の秘所からは、既に愛液がとろとろと畳の上に滴っている。
「な、何よ、い、いきなり人の大事なところを、ゆ、指さすなんてぇ、このスケベ!
それに、液が出るのは、あんたのおちんちんだって同じじゃない!」
「だよな…、このまんまじゃ、座布団にシミができちまう。それじゃまずいから、俺、ちょっとバスタオルとか持ってくるよ」
 竜児は、立ち上がって、歩き出そうとした。しかし、大きく勃起したペニスがぶらぶらして、ひょこひょことしか歩けない。
「あははは! あんた、おちんちん、ぶ〜ら、ぶら!」
 それを見た亜美が、腹を抱えて笑った。それにつれて、豊かな乳房がたっぷん、たっぷん、と揺れている。
「おい、おい、そう言うお前だって、おっぱいゆさゆさ、なんだからな」
 竜児の指摘に、亜美はいっそう笑い転げ、胸に手をやって、豊満な乳房を揺さぶった。
「あんたって、本当はスケベなんでしょ? まぁ、亜美ちゃんとしては、そうしたあんたの方が有り難いからさぁ。
だから、バスタオルでも何でも持ってきて、さっさとエッチなことを始めましょうよ」
 竜児は、そんな亜美に苦笑すると、勃起したペニスを気遣うようにして浴室からバスタオルと通常のタオルを三枚持ってきた。
 そのバスタオルを座布団の上に敷き、更には、竜児の臀部の直下に二つ折りにした通常のタオルを敷いた。これなら、
亜美の愛液の分泌が盛んでも、竜児の精液が流れ出ても、何とかなりそうだ。
「もう、なんか、持ちくたびれちゃった…」
 バスタオルを敷いた座布団の上に仰向けになった竜児に、早くも亜美がのし掛かってきた。
「前戯なしでいいのかよ?」
 亜美は、うふふ…、と妖艶な笑みを浮かべて、竜児のペニスを掴んだ。
「お、おい…」
「あんたのおちんちん、こんなに固くなってる。それに…」
 亜美は、その竜児の亀頭を自身の秘所に擦り付けた。
「あたしのあそこも、ぐちょ、ぐちょ…。だから、前戯なんていらないわ。このまま、あたしが腰を落としていくだけで、
あたしとあんたは一つになれる…」
 言うが早いか、亜美は、竜児のペニスを軽く握って支えたまま、ゆっくりと腰を下ろしていった。
 それにつれて、亜美の膣に竜児の大きなペニスが、ずぶずぶと飲み込まれていく。
「う、ほ、本当だな…。な、中は、もう完全にどろどろだ…」
 その亜美は、心持ち眉をひそめ、何かを堪えるようにしながら、なおも、ゆっくりと腰を落としていった。
 亜美は、その子宮を軽く突き上げるようなところまで竜児のペニスを収めると、ほっとしたように、大きく息を吐き出した。
「は、入っちゃった…」
 それでも、竜児の長いペニスが完全に収まった訳ではない。結合部には、あと二センチばかり、竜児のペニスの根元
が覗いている。
「亜美、大丈夫か?」
 そのまま、深く挿入しようとしない亜美の様子が気になった。
「う、うん…。やっぱ、気持ちいいけど、未だ二日目だからかしら…。昨日ほどじゃないけど、あそこが、じ〜んと痺れたよう
な感じがしてさぁ…。だ、だから、あんたには悪いけど、この姿勢のまま、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、待ってて…」
「お、俺は構わねぇけどよ、お前、本当は痛いんだろ? 男の俺だって、先っぽが少し疼くんだぜ。ましてや、処女を喪失
したお前は、我慢できねぇほど痛いんじゃないのか?」
 亜美は、喘ぎながらも、笑顔を竜児に向けてきた。
「しょ、正直言うと、ちょっと、痛い…。でも、あんたのおちんちんが入っていると、その痛みがだんだん薄れてくるの…。
もう、だいぶ痛みは和らいできていて、今は、ちょっと、痺れたような感じが残っているだけ。
この痺れも、薄れてきているから、だから、だ、大丈夫…」
「なんか、無理してるんじゃねぇか?」
「無理なんかしてないよ…。本当に、痺れがなくなってきて、あと、ちょっとで、動けるようになるからさぁ。あんただって、
おちんちんの先っぽの疼き、あんまり感じなくなってるでしょ? だって、あたしの中で、あんたのおちんちん、入れた時
よりも、おっきくなってる…」
 そう言われてみればそうだった。挿入直前まで感じていた、亀頭の疼きはもう感じない。それと呼応するかのように、
亜美の膣の肉襞が、粘液を分泌しながら、うねうねと蠢いて、竜児のペニスを妖しく翻弄している。
「ねぇ、感じるでしょ? 亜美ちゃんのあそこ…。亜美ちゃんのあそこも、痛みが取れて、今は竜児のおちんちんが、
美味しくてしょうがないみたいなの…」
「た、たしかにな…。お前の、あそこって、変な緊張感がなくなって、何か、動いてる…。
お前、すげえよ、気持ちよ過ぎるぜ…」
「あ、あたしも、気持ちいいよぉ…」
「でもよ、未だ、俺のが全部入ってないんだぜ…?」
 亜美は、それには応えず、おもむろに、竜児の身体、その固く怒張したペニスに体重を預けてきた。
「うぁ!」
 亜美は、顔をしかめて、嗚咽のような声を発したが、竜児のペニスは、ぐちゃ…、という粘っこい音とともに、
完全に亜美の膣に収まった。
「こ、今度こそ、ほ、本当に全部入っちゃった…」
 喘いではいるが、ほっとしたような、何か満たされたような表情を浮かべて、亜美は微笑んでいる。
「だ、大丈夫か? なんか無茶しやがって…。ぞれに全部入ったはいいけど、きつきつだ…」
「女のあそこってねぇ、ものすごく弾力があって、伸びるんだよ。それで、あんたの大きなおちんちんも、すっぽり収まるの。
だから、無茶でも何でもない…。大丈夫…」
「お、おぅ…」
 亜美は、竜児のペニスを引き抜く寸前まで、ゆっくりと腰を持ち上げると、再び腰を落として、勃起した一物を根元
まで飲み込んだ。
「た、たまらない…。あんたのおちんちんが、あたしの中をかき回している。あんたのおちんちんが、あたしの子宮とか
内臓を、がっつんがっつん突き上げてる」
「亜美、お、俺も、たまらねぇぜ。お、お前の中は、暖かくて、きつくて、俺のペニスをすっぽりと咥え込んでて、と、とにかく、
気持ちよ過ぎるぜ」
 竜児も、仰向けになりながら、その腰を上下左右に揺するように動かした。
「あああっ! そ、そんなの、だめぇ! 気持ちよ過ぎちゃうぅぅ!! いっちゃう、亜美ちゃん、いっちゃうよぉ!!」
 亜美の膣が、きゅ〜っ、と収縮し、竜児のペニスを締め付けた。
「あ、亜美、お、俺もやばい! 締め付けが、き、きつ過ぎる」
 亜美は、もはや意識を失う寸前なのか、涎と涙と洟を垂れ流しながら、「あぅ…、あぅ…」と、うわ言のようなことを繰り
返している。それでも、腰を上下させる動作は止めようとしない。その様は、快楽に支配された奴隷さながらだ。
「も、もう、らめぇ…」
 その一言を最後に、亜美は意識を失ったようだ。
 しかし、意識を失った亜美が、よりにもよって、背を反らせて、横向きにくずおれた。
「うわぁ、あ、亜美、こ、こいつはやば過ぎる!!」
 竜児の反り返っていたペニスが、それに抗するように亜美の膣内で下向きに引っ張られ、次いで横向きに捻られた。
 その激痛にも似た刺激に耐えきれず、竜児のペニスは、どくどくと脈動しながら、亜美の胎内へと大量の精液を吐き
出していた。
 ひとしきり、精液を吐き出させた後も、亜美の膣の締め付けは強烈だった。
 竜児は、以前、亜美に言われた、『女の快楽は余韻が長い』を思い出し、挿入したまま、失神している亜美の身体を
優しく抱きとめた。
 その亜美は、満足したような淡い笑みを浮かべている。
「毎度のことだけど、涙やら、洟やら、涎やらで、ベトベトだな…」
 竜児は、タオルで、亜美の顔を優しく拭いてやる。
 セックスになると、亜美は、止め処なく快楽を貪って、挙句に沈没してしまうのだ。それは、酒の飲み方も同様で、限度
をわきまえずに、飲みまくってつぶれる、ということが多い。
「やっぱ、ストレスとかあるんだろうな…」
 昨日のやけ酒は、竜児との逢瀬がままならないことへの鬱憤だったようだが、逢瀬が叶えば叶ったで、新たなストレス
が生じているのかも知れない。
「色々と業が深そうな奴だな。こいつは…」
 そう言いながらも竜児は苦笑した。亜美に隠れて、バイトをしている竜児もまた、それなりに業はあるのだ。
 竜児は、膣の収縮が一段落したと見て、ペニスを引き抜いた。
 ペニスが引き抜かれた膣からは、白濁した粘液が、どろどろと零れてきた。
「しょうがねぇなぁ…」
 気を失ったままの亜美をバスタオルの上に寝かせて、竜児は、四つん這いになって、亜美の陰部をタオルで拭ってやる。
「しかし、男の俺にとっては、媚薬を通り越して、毒だな…」
 亜美の陰部は、とろとろと粘液を吐き出し続けて、心なしか、ふるふると震え、淫靡な匂いを伴って男の竜児を誘惑し
ている。それを目の当たりにしていると、射精したばかりの竜児のペニスが再び勢いづき、再び一つになりたいという
本能的な衝動が抑えきれなくなってくるのだ。
 気が付いたら。竜児は、その亜美の陰部に口付けしていた。舌先で、クリトリスの薄皮を剥いで、それを夢中で啜り、
未だ愛液を滴らせている膣口を嘗め、舌先をその膣に挿入した。そのまま鼻先で剥き出しのクリトリスを突きながら、
溢れる愛液を味わった。
「りゅ、竜児ぃ…」
 竜児のクンニのせいなのか、亜美が意識を取り戻した。
「お、おぅ! す、済まねぇ、お前が寝ているのをいいことに、ついやっちまった…。『一回だけ』って約束だったのに…」
 亜美は、夢見心地にとろんとした顔を竜児に向け、首を左右に振った。
「あんたがしたいんなら、何回でも構わないよ…。もう、あそこも痛くないから、『一回だけ』なんてケチな制限はなし…。
何回でも、あんたが好きなようにしていいからさぁ…」
「お、おぅ…。でもよ、そんなに何回もやるなんて、また外泊かよ」
「そうね、今日は、帰宅するつもりがちょっとだけあったけど、もう、そんなもの消し飛んだわ。
伯父や伯母への釈明がうざいけど、あんたに抱かれて、一夜を過ごしたい…」
「おい、おい…。そりゃまずいだろ? 今夜がなくても、明日の晩があるじゃねぇか」
 その一言で、亜美は、夢見心地にとろんとていた顔を憂鬱そうに歪めた。
「どうかしたのか?」
「言いそびれていたけど、あたし、今日になって、ママ…、川嶋安奈から呼び出されちゃった…。
何でも、せっかくの夏休みなんだから、実家に帰ってこいっていう、半ば強制的な命令…」
「よ、呼び出されたって…、いつからあっちの方へ行かなきゃならねぇんだ?」
「明日から…」
「急だな…。そこまでして、お前を呼び寄せるって、何か理由があるんだろうか」
 亜美は、横たわったまま、眉をひそめて頷いた。
「なんかさぁ、もしかしたら、ママって、あたしたちのことを勘付いているのかも知れない…。それとか、局アナにはなる
気がなくて、弁理士試験を目指していることとか、ある程度は把握していて、それを直接あたしから問い質すのかも…」
「おい、そりゃまずいぞ…。だったら、外泊しねぇで、今日は帰った方がいいんじゃねぇのか?」
 しかし、亜美は、自嘲するかのように口元を歪めて、ふふっ、と笑った。
「だったら、余計に、あたしたちは、抱き合わなきゃいけないわ。どうせバレているなら隠す必要はない。それに、あっちに
行っちゃうと、少なくとも数日間はこっちに来れなくなっちゃう。だから、今夜は、ずっと、あんたに抱かれていたい…」
 それだけ言うと、亜美は股間を大きく広げ、更に、陰裂を白魚のような指先で大きく広げた。
 竜児のクンニで目覚めた亜美の陰部は、陰毛の薮の中からクリトリスを勃起させ、瑞々しい膣口からは、とろとろと
愛液を滴らせている。
「き、来て…」
 その言葉に竜児は頷くと、いきり立った肉塊を亜美の膣にねじ込んだ。
「ああ…、いいわぁ…、あんたのおちんちん、すごく気持ちいい…」
 挿入された瞬間、亜美はぶるぶると四肢を震わせながら、呆けたように陶然としている。
「う、動かすぞ…」
 亜美を下にしたまま、竜児は、二度、三度と、ペニスを引いては突き、を繰り返した。それも、単純に突くだけじゃなく、
根元まで挿入した時に、腰で『の』の字を描くつもりで、ぐりぐりと自身の股間を亜美の陰部に押し付ける。
「あう、りゅ、竜児、あ、あんたの腰使い、すごいよぉ〜。昨日よりも、ずっと、ずっと、気持ちよくなってる。あ、亜美ちゃん、
も、もう、おかしくなっちゃうよぉ〜」
 その竜児の腰の動きにシンクロするように、亜美もまた、寝そべりながらも、腰を上下左右にゆすり始めた。
「あ、亜美、お、お前だって、その腰の動き、や、やば過ぎる」
 このままだと、二人とも簡単に果ててしまいそうだ。
 亜美に久しく会えないことを思うと、少しでも長く、一つになっていたかった。
「亜美、体位変えるぞ…」
「ほぇ? た、体位?」
 快楽で朦朧としてきたらしい亜美の両腕を捉えると、それを引っ張るようにして、亜美の上体を起き上がらせた。
 そして、竜児は座り、その上に、陰部が結合している亜美を乗せた。いわゆる、対面座位である。
「ど、どうだ? 亜美…」
 その亜美は、竜児の首に縋りながら、瞑目して、いぎたなく涎を垂らしている。
「き、気持ちいいよぉ〜。でも、さっき、いく寸前だったけど、また、ちょっと持ちこたえたみたい…。こ、この体位って、
何かいいかもぉ…」
 そう言いながら、亜美は、乳房を竜児の胸に擦り付け、自身の腰を、先ほどの竜児と同じく、『の』の字を描くように、
妖しく動かしている。
「あ、亜美、そ、その腰の動き…。すげぇ、気持ちいい」
「へ? こ、腰って?」
 再び意識が朦朧としてきたのか、亜美が素っ頓狂な口調で応答してきた。
 どうやら、腰の動きは意識してのものではないらしい。快楽を得たいという、本能的な欲求による、自然な動作だった
ようだ。
 竜児は、そんな亜美が愛おしく、思わずぎゅっと、抱き締めた。
「好きだ、亜美、俺が愛する女は、お前だけだ…」
「う、うん…」
 その竜児の言葉に呼応するように、亜美の膣が、ぎゅっ! と、にわかに収縮した。
「あ、亜美、締め過ぎだぁ!」
「あ、亜美ちゃん、な、なんもしてねぇんですけどぉ…」
 二度目の限界が近いのか、亜美が、喘ぎながら瞑目している。
「お、お前、わざと締めてんじゃないのか?」
「し、締めてないよぉ、亜美ちゃん、竜児の言葉が嬉しいだけ…。亜美ちゃんが嬉しいから、亜美ちゃんのあそこも嬉しく
なって、竜児のおちんちんを抱き締めているんだわ…」
「亜美、お前って奴は…」
 亜美は、苦しそうに喘ぎながらも、竜児の首筋に接吻し、浮き上がっている汗を嘗め取った。
「も、もっと、あんたを感じていたいから、あ、あたしが、いっちゃって、意識を失っていても、お願い、そのまま、あたしを
抱き締めていてよ。あたし、あんたの身体に抱かれて、あんたのおちんちんに貫かれたまま、ずぅ〜と、あんたと一緒に
居たいんだ…」
 先ほどに比べて緩慢にはなってきたが、それで亜美は腰を『の』の字に動かすのをやめようとしない。
 本能的と言ってしまえばそれまでだが、その絶頂の寸前まで、快楽を竜児とともに分かち合いたいのだろう。
「亜美…、好きだ…。お前のことが、誰よりも好きだ…」
「あ、う、嬉しいけどぉ、あ、亜美ちゃんの、あ、あそこがぁ!」
 亜美の膣が一段と強く締まり、襞という襞が妖しく蠢いて、竜児のペニスをしごくように締め上げた。
 その強烈な締め付けに抗うことができず、竜児は、たまらず射精した。
「し、搾り取られるようだぜ…」
 亜美はというと、竜児の首筋に縋ったまま、全身をわなかせている。
「あ、亜美ちゃんも、き、気持ちいいよぉ〜。あ、亜美ちゃん、いっちゃったのに、亜美ちゃんのあそこは、未だ、りゅ、竜児の
おちんちんが欲しくって、何か、ぶるぶる震えているんだよぉ〜」
 亜美の膣は、本人も制御できないくらい、貪欲な存在であるらしい。その襞は、亜美が快楽にあてられてぐったりして
いても、なおも執拗に竜児のペニスをしごくように締め上げ続けていた。
「亜美、お前が落ち着くまで、このまま…、挿入した状態で待つが、大丈夫か?」
 辛うじて意識を失わずにいた亜美が、瞑目したまま頷いた。
「う、うん…。亜美ちゃん、もう、死んじゃいそうなほど気持ちよくて、頭の中が、ほわん、ほわんしてるんだけどぉ、亜美
ちゃんのあそこは、未だ竜児のおちんちんを食べたがっているんだよぉ。変だよ、これって、絶対変だよぉ!」
 竜児は、ちょっと不安になっているらしい亜美を改めて抱き締めた。
 勃起し続けている亜美の乳首が、竜児の胸に食い込むように擦り付けられる。
「変でも、何でもいいじゃねぇか。お前のあそこが、俺のペニスと精液を食べたがっているんなら、いくらでも食わせて
やるまでさ」
「で、でも、あんたの体力だって限界があるじゃない…。あ、あんまり無茶すると、あ、明日のあんたの仕事が…」
 亜美が、竜児の首筋に白磁のような頬を擦り付けてきた。バイトに反対というよりも、竜児の体調が気になっていた
のだろう。
 竜児は、縋り付く亜美の髪を優しく撫でながら、囁いた。
「暫くお前に会えないと思うと、俺のペニスも、お前の中を突いて、突きまくって、滴る汁を啜りたいみたいだぜ…。
実際、二回射精したが、お前の中が、あまりにも気持ちよくって、全然萎えてねぇ」
「りゅ、竜児ぃ…」
「だから、何度でも、もう、本能の赴くままに抱き合って、お互いを貪り尽くそうじゃねぇか」
 竜児は、亜美の上体から自身の上体を離し、結合したまま、座布団の上に一時横たわった。
「亜美、動けるか?」
「う、うん…。だ、大丈夫、動けるよぉ」
「だったら、済まねぇが、俺とつながったままで、ぐるっと百八十度回って、身体の向きを変えてくれねぇか」
「う、うん…」
 亜美は、竜児の身体の上で自身の身体の向きを変えるべく、のろのろと動き出した。
「あぅ、こ、これ、き、効くよぉ〜。あ、亜美ちゃんのお腹が壊れちゃうぐらい、もの凄いよぉ!」
「お、俺もだ…。亜美の中で俺のが擦れて、引っ張られて、もげちまうんじゃないかってくらい、すげえ…」
 いわゆる『花時計』。話には聞いていたが、その苦痛と紙一重の快感は凄まじかった。
 勃起したペニスが、回転する亜美の膣で、曲げられ、捻られ、圧迫されるのだ。その刺激は筆舌に尽くしがたい。
 そして、亜美の膣内もまた、反り返った竜児の極太ペニスでかき回されているのだ。本当に、『壊れる』寸前の、
かつて経験したことがないほどの衝撃を受けているに違いない。
「ま、回った、回ったよ…」
 膣内から全身に広がる感覚は、苦痛か、はたまた極限的な快楽か、竜児に背を向けて、後ろ姿を見せている亜美
からは、その表情が窺えない。
 しかし、はぁ、はぁ…、という喘ぎ具合から、相当に堪えていることは確かだった。
「亜美…」
 竜児は、上体を起こし、その亜美を、背中から抱きとめた。
「やだぁ、あたし、赤ちゃんみたいに、竜児の膝の上に乗せられてるぅ…」
 座位は座位でも、先ほどとは逆の背面座位である。
 竜児は、ともすればくずおれそうになる亜美を、その背中から支え、亜美も、文句は言ったものの、その実は、
ほっとしたように竜児に身体を預けていた。
「でもさ、こうすると、お前は俺に寄りかかって休むこともできる。その点は悪くねぇだろ?」
「う、うん…、そ、それは、そうね…」
「それに、こんなことも、お前にしてやれる」
 竜児は、脇の下から差し入れた手で、亜美の乳房を揉み、その乳首を摘んで、軽く弾いた。
「あう…、そ、それ反則ぅ。あ、あたし、乳首が弱いことを知って、そんなこと、す、するんでしょ。ひ、卑怯じゃない!」
「なら、やめるか? 卑怯だって言うんなら、やめたっていいんだぜ」
「そ、それは…」
 本当は、亜美だって気持ちがいいのだ。それを知っている竜児は、乳房をいじるのは左手に任せ、右手を、そろそろと
亜美の下腹部に伸ばしていった。
 その指が、茂みの中から飛び出している敏感な部分を摘み上げた。
「あ、りゅ、竜児ぃ、お豆いじるなんて、もっと反則だよぅ!」
 亜美は、たまらず腰を『の』の字に動かして、きわどい刺激を癒そうとする。
「お、お前、その腰、やばい感じだぞ」
 その腰の動きが、はからずも、竜児への逆襲となったことに亜美は、喘ぎながらも微笑し、白魚のような指で、竜児の
陰嚢と棹の根元を、握り締めるように強く揉みしだいた。
 その加虐一歩手前の激しい愛撫に、竜児は、「うっ!」と呻いて悶絶する。
「ど、どうよ? あ、亜美ちゃん捨て身のマッサージはぁ…」
「す、捨て身? な、何が何だか分からねぇが、き、効く、効き過ぎるぜぇ…」
「あ、あたしが、おっぱいと、お豆が弱いのと同じように、あんたがここを弄られるのが弱いってのは、もう、お見通し
なんだからねぇ」
 亜美は苦しい息の下、竜児への反撃のつもりらしく、いっそう荒っぽく竜児の股間をマッサージした。
「うわっ! お、お前、それやり過ぎだぁ! それじゃ、愛撫なんてもんじゃなくて、ほ、ほとんど、拷問みてぇな
もんじゃねぇか!」
 竜児の、叫ぶような抗議があっても、亜美は、過激な愛撫を止めようとしない。
「な、何度も言ってるけど、あ、あんたって、痛む寸前のぎりぎりの感覚がいいんでしょ? う、嘘言ってもダメ。
あ、あんたのおちんちん、タマ袋を揉むと、一段と、おっきくなるんだからさぁ。こ、この変態…」
「へ、変態は、お前もだろ?」
 竜児は、反撃とばかりに、亜美の左乳首をつねるようにしながら引っ張り、茂みの中の敏感な部分を剥き出しにして、
摘み上げ、更には、滴る液を擦り付けた。
「あ、あああっ! そ、そんなに強く摘んじゃだめぇ!!」
 亜美の膣がぶるぶると震えながら収縮し、咥え込んでいる竜児のペニスを搾り上げるようにうねうねと蠢いている。
限界が近いのだろう。
 だが、それは竜児とて同様だった。
「さ、三度目のフィニッシュ、いくか?」
「う、うん…。あ、たしもぉ〜、も、もう…。あたしのあそこが、竜児のミルク、欲しがってるよぉ」
「よ、よし、亜美、ちょっと、荒っぽくいくぞ」
「き、きてぇ! で、でも、痛いのはいやだよぉ〜」
 竜児は、快楽に悶絶しながら半べその亜美に、「大丈夫だ」と耳打ちすると、亜美の大腿部に手を差し入れ、
亜美の身体を持ち上げた。
「あ、あぅ、お、おちんちんが抜けちゃうぅ〜」
 亜美の身体は軽かったが、それでも、座ったままでは腕力だけが頼りだったから、大変だ。
 竜児は、亜美の身体を、ほんの三センチばかり浮かせると、支えていた手を離した。
 支えを失った亜美の身体は、重力に任せて竜児の膝上に落下し、膣が竜児のペニスで鋭く貫かれる。
「ああああああっ! す、凄いよぉ。亜美ちゃんのお腹が、りゅ、竜児のおちんちんで、く、串刺しになってるぅ〜」
「あ、亜美、お、お前の膣だって、い、一段と、動きが妖しくなってきたぜ。な、なんだか、疣だか、襞だかが、にゅるにゅる
動いていやがる。こ、これって、やっぱり、お前がわざとやってるんだろ?」
「りゅ、竜児って、バ、バカ? あ、あそこのお肉を、お、思うように動かせるほど、あ、亜美ちゃん、き、器用じゃねぇし、
あ、あたしのあそこは、あたしの思ってることとは別に、勝手に動いてるんだよぉ」
 そう言えば、竜児のペニスだって、更に大きく勃起している。 亜美の膣といい、竜児のペニスといい、
本人の意のままにはならないところが、セックスの妙味なのかも知れなかった。
「あ、亜美、もうちょっとだ、頑張れ…」
 竜児は、ともすれば意識を失いそうな亜美を励ますつもりで呼び掛けた。その一方で、渾身の力を振り絞り、
再び亜美の身体を持ち上げて、膝上に落下させた。
「あ、ああああっう! い、いいよぉ! りゅ、竜児のおちんちんが、亜美ちゃんのお腹に刺さってるよぉ!」
「き、気持ちいいんだな?」
 竜児の問いに、亜美は涙と洟と涎でぐしゃぐしゃになった顔で、頷いた。
「も、もっとぉ! あ、亜美ちゃんのお腹を、さ、刺して、刺して、刺しまくってよぉ!!」
「お、おぅ、じゃぁ、や、やるぞ…」
 またも亜美の身体が浮き上がり、落下した。怒張した竜児のペニスが、亜美の膣を貫いていく。
「うっ!」
 それがとどめになったのか、亜美は、嗚咽のようなくぐもった呻き声を一声上げると、四肢を痙攣させて竜児の胸に
もたれかかった。
 しかし、痙攣している亜美本人とは関係なく、亜美の膣は強く収縮しながら、疣や襞が竜児のペニスを絞り上げている。
「お、俺も、限界だぁ!」
 苦しげに叫びながら、竜児は、白きパトスを、亜美の膣の奥深く、胎内へと解き放つ。
 竜児のペニスは、そのまま、どくどくと脈打って、亜美の熱い胎内に三度目の射精を行った。
「うぁ…、りゅ、竜児のミルク、あったかいよぉ〜」
「お、お前の膣から溢れる蜜も、俺のペニスには、結構なご馳走みたいだぜ。な、なんか、全然萎えねぇ…」
「う、うん…。だったら、何杯でもお代わりしていいよぉ〜。あ、あたしのあそこも、竜児のミルクをもっと飲みたいって、
おねだりしてるんだからさぁ」
 その後は、何回達したのか、竜児も亜美も分からなかった。本能の赴くまま、互いを貪り、快楽にひたすら身もだえ、
二人は一つに結ばれたまま、深い眠りに落ちていった。
「う、うん…?」
 雀だか何だかの小鳥のさえずりで竜児は目を覚ました。
 側臥する竜児の横には、陰部を竜児の股間に密着させたままの状態で、竜児と向き合うように横たわり、すやすやと
眠っている亜美の姿があった。
 どうやら、何度目かの絶頂を迎えたまま、二人とも気を失って、そのままだったらしい。そして、その二人には毛布が
掛けられている。
「泰子だな…」
 その毛布の上には、『カゼひいちゃうよ』という、泥酔した泰子らしいミミズののたくったような文字が記されたメモが
置かれていた。
「泰子に、こいつと裸で抱き合ってるの、見られちまったみたいだな…」
 実の母親に、フィアンセを自称する娘との不純異性交遊の現場を押さえられてしまった。
 竜児にとっては、失態もいいところだが、今となってはどうしようもない。
「ま、泰子だからな…」
 泰子は、竜児と亜美が結ばれることを祝福してくれているし、何よりも、竜児との初体験で膣痙攣になった亜美を、
その陰部を啜ってまで介抱した当人である。
 であれば、竜児と亜美がまぐわって、さかっている最中を目撃しても、取り乱したりはせずに笑って許すか、はたまた、
お茶でも啜りながら、二人の狂態をじっくりと鑑賞しさえするかも知れない。
 竜児は、亜美と陰部を重ねたまま、首を廻らせて、置時計の時刻を確認した。
 午前五時。起床予定は六時だったが、寝坊するよりはいい。
「お、おい、亜美、起きてくれよ」
 竜児は、脚を絡めるようにして、竜児と身体を重ねたまま眠り続けている亜美の身体を揺さぶった。
 その揺れに呼応して、もじゃもじゃとした亜美の陰毛が、竜児の亀頭をさわさわと擦り上げる。
「うぇ、こいつのあそこが、もろに俺のに当たってるんだった…」
 そう意識したとたん、眠っている途中に萎えて抜けたらしい竜児のペニスが、再び勢いを盛り返してむくむくと膨らみ、
対面していた亜美の陰裂を、突っつき始めた。
「ま、まずいじゃねぇか!」
 竜児は、焦ったが、いったん勃起したペニスは鎮まってくれない。焦れば焦るほど、固く、大きく怒張してくる。
 いきり立ったペニスの先端は、ちょうど亜美の陰部、それも、行為の余韻か、微かな滑りが残っている膣口付近に
ぴったりと合わさってしまった。
 射精しまくったというのに、なんでこんなに元気なんだろう、と、竜児は自分のペニスが恨めしくなった。
 疲労感はあるにはあるが、あれほど激しい行為をしたにしては、それほどでもない。
「俺って、意外に絶倫だったのか?」
 セックスに慣れてきたのかも知れないが、血筋によるものも否定できない。
 泰子を孕ませた、あの忌むべき男の血を、悲しいことに受け継いでいるのだから。
「う〜ん、やぁだぁ〜。亜美ちゃん、ねむぅ〜い」
 悩む竜児をよそに、亜美が、不満そうに頬を膨らませながらも、うっすらと目を開け始めた。
「よ、よぉ…、き、気分はどうだ?」
 亜美の陰部に勃起したペニスが接触していることを言及されないように、竜児は、当たり障りのない言葉を亜美に掛けた。
 その亜美は、「うん…」と物憂げに頷いた後、腰を竜児のそれに重ねたままで、身体のこりをほぐすように、伸びをした。
 その瞬間、竜児のペニスが、亜美の秘所を突くようになり、寝ぼけていた亜美の表情が、困惑したように硬直した。
 しかし、それは束の間で、次の瞬間には目を細め、口元を歪めた性悪笑顔に豹変し、その妖艶な流し目で、竜児の
顔を窺っている。
「あたしは、下のお口で竜児のミルクをたくさん飲んだから、気分は最高よ。で、あんたは?」
「お、おぅ、お、俺も、き、気分は悪くねぇよ」
 亜美が、うふふ、と妖しい含み笑いをしている。
「そうよねぇ、あんたって本当にタフなんだわ。あれだけ出したのに、今はもう元気一杯って感じじゃなぁい?」
「お、おぅ…」
 その『元気一杯』が狭義には竜児の身体の特定の部位を示すことは明らかだった。
「ねぇ、なんか、さっきから、固い物が、亜美ちゃんの大事なところに当たっているみたいなんですけどぉ〜」
「き、気のせいなんじゃねぇのか?」
「え〜っ? リアルそのものの実感だよぉ。何かさぁ、お腹を空かせた大蛇が、鎌首もたげて、甘い蜜を啜ろうとして
いるみたいなんだけどぉ〜」
 言うや否や、亜美は陰部を竜児のペニスに押し付けてきた。滴る愛液で陰裂が、既にじっとりと湿っていることが、
竜児の亀頭にも感じられた。
「お、おい、朝っぱらから、さかるのはやめようぜ。それよりもだな、俺たちが裸のまま、引っくり返っているのを泰子が見ちまったみたいだぞ」
 竜児は、泰子のメモを亜美に示した。いくら何でも、泰子に見られたことを知れば、大人しくなるかと思ったからだ。
 しかし、発情雌チワワはこの程度のことでは引き下がらない。
「なぁんだ、泰子さん見ちゃったのかぁ…」
「なぁんだ、って、これはまずいだろ? こんなところでエッチしないで、さっさと起きた方がいいんじゃねぇか」
 亜美は、性悪笑顔を、けっ! と歪めて、せせら笑った。
「竜児って、やっぱバカ? 先日、亜美ちゃんは、泰子さんに大事なところを散々嘗められ、指を突っ込まれたんだよ。
それを思えば、もう、エッチしているところを見られようが、どうってことないじゃん」
「いや、あれは治療つうか、介抱だろ? エッチを見られるのとは意味が全然違う」
「でもぉ、あたしが竜児に処女あげたのって、昨日、泰子さんに知られちゃったからねぇ」
「え?」
 こともなげに宣う亜美に、竜児は絶句した。
「うん…。あんたが出かけた後、素っ裸でお風呂場に行くところを、寝起きの泰子さんに見られちゃってさぁ。で、あとは、
泰子さんが、『うん、うん、亜美ちゃんも、女の子から、女になったんだね〜』って、何か喜んでもらえたんですけどぉ」
「お前って、羞恥心ってもんがねぇのか?!」
 亜美のような一筋縄ではいかない女に、恥じらいとか、慎みとかを期待する方が間違っているのだろう。
 そう言えば、高二の時に、水着を買うのに付き合ったことがあったが、水着姿のまま店内を平気でうろつく大胆さに
驚かされたものだ。
 裸族である北村の幼馴染みだけあって、この女もまた、北村みたいに変な性癖を備えているのかも知れない。
「何か、つまんないこと言ってるけどさぁ…」
 亜美の変態ぶりを北村のそれに対比させるという余計なことに気を取られていた隙を突いて、亜美が竜児のペニスに手を伸ばしてきた。
「お、おい、いきなり何しやがる!」
「ここをこんなにおっきくして、羞恥心? ばっかじゃねーの? この大蛇みたいなおちんちんで、亜美ちゃんの蜜壷を
弄ぶつもりなのねぇ。ほぉ〜んと、おぞましい…。こんな、おちんちんには、お仕置きが必要だわ」
 『蜜壷を弄ぶ』にしろ『お仕置き』にしろ、結局、やることは同じである。
「お、おい、早起きしたからって、いつまでも寝そべっているわけにもいかねぇ。朝は、忙しいんだよ。
俺は春田の家庭教師をしなくちゃいけねぇし、お前だって、今日は東京の実家へ帰るんだろ?
だったら、さっさと起きて、シャワー浴びて、飯の支度して、掃除や洗濯をしなくちゃならねぇ」
 淫乱性悪女である亜美に正論は通じない。このことを竜児は彼女との密な付き合いで、嫌というほど把握している
のだが、何も言わずに、このまま亜美の意のままになるのもしゃくである。
 その亜美は、竜児のコメントに、一瞬、不満そうに頬を膨らませたが、すぐに、元の性悪笑顔、いや、何かの悪だくみを
思いついたかのように、妖艶な笑みを浮かべた。
「う〜ん、あんたの言うことにも一理あるわね…」
 亜美は、妖しい笑みを浮かべた白磁のような面相を、竜児の鼻先に突き付けた。
「お、おぅ? お、お前にしては、も、物分かりがいいじゃねぇか」
「そぉ? 亜美ちゃん、いつだって物分かりがよくて、気立てがいいんですけどぉ」
「そうかぁ? 昨夜は自分から『性悪女』とか言ってなかったか?」
 そのツッコミにむかついた亜美が、竜児の陰嚢を思いっきり掴んできた。
「うぁ! いててて! わ、分かった、お前は物分かりがよくて、気立てもいい、そして、か、可愛い。
こ、これでいいだろ?」
「うん、分かれば宜しい…。で、あんたの言い分を聞き入れて、折衷案を考えてみたんだけど? どう?」
「折衷案?」
 その折衷案とやらのため、竜児は、浴室で泡だらけになって、亜美と抱き合っていた。
 正座した竜児の上に、亜美が乗り、その亜美の膣を竜児の極太ペニスが貫いている。
 昨晩も試した対面座位で、二人はつながっていた。
 シャワーを浴びたいし、セックスもしたい、ということで、またしても『ソープランド亜美』の営業というわけである。
「あ、あたし、この体位、やっぱ好きかもぉ…」
 泡だらけの身体を竜児に擦り付け、腰を『の』の字に振りながら、亜美は早くも陶然としている。
「お、おい、あんまり腰振るなぁ! こ、このままじゃ、簡単にいっちまう」
「別にいいじゃん…。
あんたが先にいっても、この体位だったら、あたしは自分がいくまで、あんたにしがみついていられるんだからさぁ」
「お、お前なぁ…。それって、自己中心性が過ぎるぜ」
「あら? なら、あんたも頑張って、亜美ちゃんと一緒にいけばいいだけじゃない。それに、亜美ちゃんが先にいっても、
あんたも亜美ちゃんがどうなろうと構わずに、突いて、突いて、突きまくればいいだけじゃん」
 そう言いながら、亜美は、ぐっと、腰を落として、竜児のペニスを更に深く飲み込んだ。
「あ、亜美、き、きつきつだ…。お、お前は大丈夫なのかよ」
「だ、大丈夫。でも、き、効くぅ〜。あんたのおちんちんが亜美ちゃんの内臓を串刺しにしてる感じだし、あ、亜美ちゃんの
お豆が、あんたの茂みに擦られて、あそこがじんじんするよぉ〜」
 亜美が、竜児の首筋にもたれながら、苦しそうに喘ぎ始めた。このまま竜児も腰を突き上げたら、亜美は早くもいって
しまいそうだ。そうすることで、とっとと、『ソープランド亜美』なんて戯れ事を終わらせてもよかったが、ちょっとばかり
気が変わった。
「なぁ、暫くは会えないんだから、慌ててやらずにさ、こうして抱き合ったまま、ゆっくりいこうじゃねぇか」
 快楽にあてられて、涎を垂らしたまま呆けていた亜美が、「へ?」と、間抜けな返事をした。
「いや、俺、ちょっと、お前に訊きたいことがあってさ…」
「き、訊きたいことって、なぁに?」
 亜美が、涎を、手の甲で拭いながら、表情をいくぶんは引き締めた。
「昨日なんだけどよ、電話では、お前、何かすげえ怒ってたけど、恐る恐る帰ってきたら、『女は男が頑張ってるのを
見守るしかない』とか、しおらしくなっててさ…。なんで、急に、あんなことを言い出したのか、気になってたんだ…」
 自分で作った夕食を竜児に初めて食べさせる、というのが理由としては考えられそうだが、それのみではないだろう。
何か、他に、大きな理由があるに違いなかった。
「そ、そんなこと、どうだっていいじゃない…。
あんたがバイトをするならするで、それをあたしが反対したって、どうしようもないことに気付いただけなんだからさぁ」
 その亜美は、竜児に貫かれる快楽に喘ぎながら、うふふ、と妖艶に笑った。
「バイト? 俺はボランティアで春田の家庭教師をしているんだが?」
 亜美は、何らかの方法で、竜児がアルバイトをしていることを確認したに違いない。
 それでも竜児は、亜美がどうやって竜児のバイトを確かめることができたのかを訊き出すために、敢えてバイトである
ことを否定してみた。
「うふふ、この期に及んで悪あがきはみっともないわよ。昨日、ある人に電話して、あんたがボランティアの家庭教師
じゃなくって、春田の内装屋でアルバイトしてるって、分かっちゃったんだからぁ」
 やはり、そうか、電話の相手は春田だろうか、と竜児は怪しんだ。北村という線もあり得なくはないが、北村は、竜児の
親友であり、かつ分別があって義理堅い。しかし、春田はその限りではないからだ。
「誰かって、誰なんだ?」
 口を割ったのは春田に違いないと思っていたが、念ため訊いてみた。
「誰って、はっきりしないけど、春田のお母さんみたいな人に教えてもらったんだけどぉ? 何か、問題ある?」
「え? 春田のお袋さん?」
 予想外の人物を挙げられた。そのことで困惑している竜児へ、例の意地悪そうに細めた眼を向けながら、亜美は、
してやったり、とばかりににんまりとした。
「ど、どうせ、あんたのことだから、春田や祐作には口裏合わせをしてるでしょうから、春田の携帯じゃなくて、春田の家
へ電話してみたの。そしたら、春田のお母さんらしい人が出てきて、あんたが内装業のアルバイトをしているってことを、
お、教えてくれたわ」
 しまった、そうきたか、と竜児は、歯噛みした。
「ま、まぁ、ばれちゃしょうがねぇ。たしかに俺は春田の家の内装業のバイトをしている。
でもよ、春田の家の電話番号なんて、お前は知らねぇだろう。卒業アルバムでも見たのか?」
 たしか、亜美は卒業アルバムを実家に持ち帰っているはずだ。であれば、またぞろ、竜児の卒業アルバムを無断で
開いたのかも知れない。
「そ、卒業アルバムぅ? あ、亜美ちゃん、そんなもの見なくたって、春田の家の電話番号は分かっちゃったんです
けどぉ?」
「卒業アルバムを見ていない?!」
 理解不能で眉をひそめている竜児に、亜美は、出来の悪い我が子に対するような目を向けている。
「あ、あんた、あ、亜美ちゃんとのセックスのし過ぎで色ボケ? そ、それとも慣れない肉体労働で脳が劣化したの?」
「ボケでも劣化でも何でもいいから、教えてくれよ」
 その亜美は、喘ぎなのか、竜児に呆れたのか、大きくため息をつき、更には腰を振って、「あん…」と妙に色っぽい
嬌声を上げた。
「で、電話帳って知ってるの?」
「あ、そうか…」
 一般家庭なら、迷惑電話を防止するため、電話帳には番号を記載しないのが現代では常識化している。しかし、
事業を営む者であれば別だ。古典的ではあるが、電話帳の記載は、最も金の掛からない広告と言ってもよい。
「わ、分かった? 春田の家は、商売をやっているから、電話帳にも出ているのよ。だ、だから、卒業アルバムが
なくたって、で、電話を掛けられたというわけ…」
 はぁ、はぁ、と喘ぎ、端正な面相を苦しげにしかめながら、亜美は種明かしをしてくれた。
 しかし、春田の母親とはどんな人だったのだろう。竜児が夕方事務所に戻ってきても、事務所には社長である春田の
親父しか居なかった。竜児は、春田の母親の代わりに、その伴侶である春田の親父の姿を思い浮かべた。
 春田本人とは違って、外に打って出るタイプそのまんまの男。それで、竜児にも、亜美の態度がなぜ変化したのかが
分かってきた。
「お前、春田のお袋さんに諭されたな…。俺がバイトしてるって聞かされたとき、俺は働き過ぎだから、バイトは無理です、
辞めさせて下さい、とか直訴したんだろ? で、その時に、女は男のやることを見守るだけ、とか言われたな?」
 そう言いながら、竜児は、腰を亜美に向かって突き上げた。
 竜児のペニスが、亜美の子宮を突き上げ、亜美はたまらず、「うっ!」と呻いて、竜児の身体にしがみついた。
「そ、そうよ…。春田のお母さんらしい人に、お説教されちゃった…。た、たかがアルバイトでも、男の子が無理して仕事
しようとする時は、必ず何か大切な理由がある。だ、だから女は男のやることを邪魔しちゃいけない。無事に成し遂げる
ことを祈りながら、見守ってやるだけだって…」
 喘ぎながらそう言うと、亜美は、肩を落として瞑目した。
「お、おい、大丈夫か?」
 亜美は、眉をひそめて微かに頷いた。
「い、いきそうだけど、未だ、何とかもちそう…。そ、それにしても、春田のお母さんらしい人の言うことはもっともだって
思ったわ。あ、あたし、あんたのために、って思ってたけど、結局、あんたの邪魔になってたんだ…。
それが、ようやく分かって、恥ずかしかった…」
 亜美は、竜児の肩に再び縋った。その亜美を支えている竜児の肩に、亜美の涙が滴り落ちる。
「な、泣くなよ…」
「う、うん…。でも、恥ずかしいだけじゃなくて、ちょっと悔しいんだよ…。頑張ってるあんたを見守るしかできないなんて、
は、歯痒くて情けないんだよ…。ね、ねぇ…、せめて、あんたが何のために無理して働くのかだけでも教えてよ」
 だが、その要求には応えられない。全てを明らかにできるのは、バイトが無事に終わって、亜美に指輪を渡す時だ。
「悪いな…。時期が来たら必ず教えるし、必ず分かる…。今はこれだけしか言えねぇ。でも、勘弁してくれ」
 竜児は、亜美に詰られることも覚悟の上だったが、亜美は、力なく竜児の肩に顎を乗せて、何も言わなかった。
 互いに身じろぎ一つしないまま、気詰まりな沈黙が暫く続いた後、
「そう…。なら、いいわ…。春田のお母さんらしい人に言われたように、あんたには口出ししない…」
「お、おぅ、済まねぇ、本当に済まねぇ…」
「だったら、この話題はここまでだわ。湿っぽい話は、お色気むんむんの『ソープランド亜美』にはふさわしくない…」
 亜美は、腰の動きを再開した。
「お、おぅ、こいつぁ効くぜ!」
 だが、竜児も負けてはいない。『の』の字を描くような亜美の腰の動きに抗するように、自身の腰を亜美とは逆に旋回
させて、亜美の秘所を翻弄した。
「あ、あんた、そ、その向きは、やばいってぇ! こ、壊れちゃうぅ」
 もう、二人とも泡だらけになったまま、互いにしがみつきながら、ひたすら腰を動かし、それで得られる快楽の虜に
なっていた。
 充血した亜美の膣が、怒張した竜児のペニスをじわじわと締め付け、竜児のそれも、その圧力に抗うように大きく膨れ、
反り返っていく。
「あぅっ! ほ、本当に今度こそ、げ、限界ぃ〜!」
「お、俺もだぁ〜!」
 互いに達したことを確かめ合うように、竜児と亜美は絶叫し、竜児のペニスは、びくびくと脈動しながら、肉の襞が
粘液を分泌ながら妖しく蠢く秘所の奥、その胎内目がけて生命の源を解放した。
 シャワーを浴びて、仕事着である古びたジーンズとTシャツを着た竜児は、沸き立つ寸前の味噌汁の味見をした。
 出汁は、いつものように出汁の素は使わずに、煮干しからとっている。
「まぁまぁかな?」
 やはり、料理というものは、手を抜かなければ、それだけ美味しくなる。
 脱衣所からは洗濯機が作動する音が聞こえてきた。亜美が、汚れ物を洗ってくれているのだ。
「いい匂いね…」
 その亜美が、台所に居る竜児の傍らに寄り添ってきた。
「毎度代わり映えしないけどよ、もうちょっとで食べられる。そろそろ、ちゃぶ台の方で待っててくれ」
「配膳する必要があるでしょ? だから、あたしも手伝うよ」
 亜美は、ひじきの煮物の入った小鉢と、オーブンで炙った鶏のささ身にわさび醤油を添えた小皿を盆に乗せて
持っていった。
「まぁ、そうだな…。そうしてもらえるのは、たしかに有難いか…」
 竜児は卵三個をボウルに割入れると、それに塩胡椒少々と、生クリームを加え、菜箸でかき混ぜた。
 熱したフライパンに油を入れ、馴染ませてから、余分な油はキッチンペーパーで拭い、そこにボウルの中でかき混ぜ
た卵を注ぎ込んだ。
 やや低温のフライパンの中で、卵はじわじわと固まり始める。竜児は、フライパンを廻らせて、卵の薄い膜を作っては、
それをフライパンの片隅に寄せ、寄せた卵からにじみ出る卵の液を再びフライパン全体に広げて薄い膜にする動作を
繰り返した。
「プレーンオムレツなの?」
 ご飯と味噌汁を配膳するつもりで台所に戻ってきた亜美が、竜児の鮮やかな手つきに感心し、その手元を見ている。
「おぅ、単純な料理だけど、たまに食べたくなるんだ。今日は、ご飯にしちまったが、このオムレツなら、ソーセージと
一緒に黒パンとかの方が美味しいかもな」
 そう言いながら、竜児は、出来上がったオムレツを大きめの皿に移し、バターを一片載せた。余熱でバターは溶け、
その匂いが、台所に広がった。
「バター風味ってのもよさそうね」
 そのオムレツを、竜児は、包丁で二ヶ所切れ目を入れ、三つに切り分けた。切り口からは、半熟の卵がとろりと流れ
出てくる。
「焼き加減は、こんなもんかな? 久しぶりに作ると、どの程度半熟にするのかの勘が鈍るが、まぁ何とかなったようだ」
「嫌味な謙遜…」
 亜美は、傍らの竜児を肘で軽く突いて、悪戯っぽく笑う。
「いてぇな…」
「あたしや祐作、麻耶とか奈々子とかは、あんたって人間をよく知ってるから問題ないけど、外では注意した方がいいよ。
過剰に謙遜するのをウザイと思う奴が居るからさぁ。特にバイト先とかで…」
 竜児は、サブ以下の職人たちを思い浮かべた。リーダーであるサブは問題ないだろう。
 しかし、ノブオとテツ、特にテツは不気味だった。
「そうだな、注意するよ。あと九日間、とにかく続けるだけだ…」
 その竜児の言い回しが、亜美は気になったのだろう。
「バイト先に、変な奴とかが居るの?」
 鋭いな、と竜児は内心舌を巻く。女の直感というものは侮れない。
「いや、大丈夫だ。職人のリーダー格は結構まともな人だったよ。お前に付けられたキスマークを春田が見つけて
大騒ぎしたが、その人が、単なる皮膚炎ということにして、その場をとりなしてくれたんだ」
 『キスマーク』で、亜美が、申し訳なさそうに顔をしかめた。
「あれはねぇ…、たしかにやり過ぎ…。今は、ちょっと恥じてる…」
「まぁな、俺のバイトを妨害するつもりでやったんだろうが、大勢に影響はなかった…。もう、それでいいじゃねぇか」
 竜児は、形よく突き出た亜美の尻を撫で、当人に「きゃっ!」という悲鳴とも嬌声とも判じがたい一声をあげさせると、
その反撃を食らう前に、オムレツを載せた皿を持って、台所から退散した。
「もぅ…、不意打ちなんて卑怯よ」
 配膳された料理を食べながら、亜美は、不満げな口調で訴えた。しかし、目は悪戯っぽく笑っている。
 内心は、そう悪い気分ではないのだろう。
「まぁ、いいじゃねぇか。そういった不意打ちを、俺はお前からいつも食らっているんだぞ。たまには、立場が逆でも
いいじゃねぇか」
「そうね…。何せ、しばらくは会えそうにないんですもの。何なら、食後に、もう一ラウンドするぅ?」
 竜児は、亜美の艶っぽい冗談に、苦笑しながら首を左右に振った。
「それは、お前が戻ってきてからのお楽しみにしようや」
「うん…。その代わり、帰ってきたら、昨夜みたいに気を失うまでやっちゃうからね。その点は、覚悟しておいてよね」
「お、おぅ…」
 性悪笑顔を浮かべて上目遣いに竜児を見ている亜美に、昨夜と、先ほどの浴室での情事による疲れの色は窺えない。
こいつも結構タフなんだな、と竜児は思った。
「しかし、『帰ってきたら』って、本来なら、これからお前が行く実家こそが、帰るべき場所なんじゃねぇのか?」
 亜美は、その一言で、不満げに頬を膨らませた。
「実家はねぇ、今のあたしにとっては敵地も同然だわ…。表面上は、ママとはうまくやってるように見えるけど、高二の
三学期から、色々とママには逆らってきたからねぇ。ママも、『手のつけられないバカ娘』ぐらいには思っているでしょ」
 竜児は、こともなげに宣う亜美を見ながら、味噌汁を啜った。親子といえど、一度関係がこじれると、その修復は簡単
ではないらしい。
「これを機会に、お袋さんと関係を修復とか…。あっ、そうか…、い、いやぁ、済まねぇ…」
 仮に亜美と川嶋安奈との関係が修復された場合、亜美と竜児との関係にも大きな影響が生じる得ることに気付き、
竜児は口ごもった。
「でしょ? ママと関係修復するってことは、結局、あんたと受験勉強する前の、ママの言いなりに動いていた、バカな
あたしに戻るってことなのよ。あんたと一緒に弁理士になることだって叶わなくなる」
「そうだったな…。俺たちは、自分の力だけで社会に認めてもらえる道を模索して、弁理士を目指すことにしたんだ。
俺にとっては、見た目のまずさをカバーし、お前と結婚できるステータスを得るため。そして、お前は…」
「うん、あたしは、女優川嶋安奈の影響から脱するために、頑張っていくことを決意したんだわ」
「おぅ、俺たちは、誰の干渉も受けずに、一緒になるんだ。だが…」
 竜児は、考え込むように、眉間に皺を寄せた。
「どうしたの? 急に、黙り込んで」
「いや、そうなると、お前のお袋さんが、何か仕掛けてきそうで…。それが、ちょっと気になってな…」
「そうね、それが不気味なのよ。電話で接した限りでは、妙に優しくて、却って気持ち悪かったわ。それに、問題なのは、
あんたの存在。ママは、あんたの存在を知らないみたいだけど、油断はできないわね」
「興信所とかを使えば、俺の存在なんか簡単に炙り出せるだろう。それに、お前のお袋さんほどの大物になれば、
わざわざ興信所に頼まなくても、事務所のスタッフが俺の存在を嗅ぎ当てるだろうさ」
 川嶋安奈にとって、竜児は、亜美を女優にするという夢を打ち砕いた敵にほかならない。したがって、亜美が実家に
戻ったのを機に、もはや亜美を大橋には戻さず、そのまま竜児との縁を切らせる、ということもあり得るだろう。
 更には、竜児が、亜美の貞操をやぶった張本人だと知ったら、業界でそれなりに恐れられている川嶋安奈のことだ、
不法行為すれすれの手を使ってでも、竜児にその責めを負わせるかもしれない。
「気をつけてくれ。お袋さんは、悪人じゃねぇとは思うが、俺はあの人にとって敵も同然だ。俺とお前を別れさせるような
算段をしているかも知れねぇ」
「だから、実家は敵地なのよ。竜児を敵視しているママは、あたしにとっても敵なんだから。でも、行かなきゃならない」
 亜美が静謐な瞳を見開いて、竜児の顔を涼やかに見ている。
 そこには、不安や、怒りや、恐怖といったものではない、亜美の決意が窺えた。
「理由があるのか?」
 亜美は微かに頷いた。
「別荘の鍵を借りなきゃいけない。別荘は鍵も含めて、全部ママの支配下にあるからね。どうしたって、行かなきゃいけ
ないんだわ」
「おい、おい、鍵はお前が持ってると思っていたぜ。よりにもよって、お袋さんが管理してるのか…」
 竜児は、錯乱した亜美が、深夜に『別荘に行って、エッチしよう』と喚いた時のことを思い出した。
 あの時は、本当に行かなくてよかった。行ったとしたら、鍵がないまま、軒下で野宿ということになっただろう。
「一応、鍵は、別荘の敷地内に埋めてあるのよ。いざとなれば、それを掘り返して使える。これは、現地に行って鍵を忘
れた時の非常用ね。最悪は、これを使うことになる。でも、それじゃ、いくらオーナーの娘といっても不法侵入なのよ。
適法に、別荘の使用許可をもらってくる。そのためにも、行かなきゃいけないの」
「しかしなぁ…」
 竜児は、関係がこじれている川嶋安奈が、亜美に別荘の使用を許可するとは思えなかった。
 竜児が、川嶋安奈の立場だったら、間違いなく亜美の申し出は拒絶するだろう。第一、一緒に泊まる相手は、
川嶋安奈の敵も同然の竜児なのだ。
「その点は、適当な嘘をでっち上げないといけないわね。また、麻耶や奈々子に口裏合わせをしてもらうことにするわ」
 また、それか…、と竜児は嘆息した。
「なぁ、そんな子供だましが通用するか?」
「そうね、通用しないかも知れない。むしろ、通用する可能性の方が少ないでしょうね」
 亜美は、静謐な瞳のまま、落ち着いていた。
「それでもやるのか?」
「それでもやるのよ。あたし、高二の時に言った、『夏中一緒に過ごす』っていうのを叶えたい。そのためには、
ある程度は、ママのご機嫌もとるつもりよ。そうして、ママを油断させてから、用件を切り出そうと思っている」
 竜児は、実家に戻った亜美を想像してみた。おそらく、川嶋安奈は、有名人が来場するパーティーとかに亜美を
引き連れ、芸能界の大物や政治家等の有力者に引き合わせたりすることだろう。
 華やかな世界ではあるが、罠も仕掛けられているに違いない。
「何か、要注意だな。魑魅魍魎が巣食う芸能界でのし上がった川嶋安奈だけに、何かを企んでいることは確かなんだ
が、その何かが想像できねぇ」
「それは、あたしもそう思う。ママって、本当に食えない人だからね。でも、あたしだって負けない。
ママに対しては面従腹背を貫いて、その裏をかいてやるつもりなんだから」
 竜児は苦笑した。たしかに、亜美と川嶋安奈は親子なんだろう。竜児を一途に思いながらも、虚言や、時にはごり押
しで竜児を翻弄する亜美は、川嶋安奈から一筋縄ではいかない食えないところを受け継いでいるらしい。
 そんな竜児の思考を、亜美は敏感に感じ取ったのだろう。
「な、何よ、変に笑っちゃって。感じ悪いわねぇ」
 静謐な表情は、お馴染みの頬を膨らませたブス顔に戻っていた。竜児は、やれやれ、と苦笑しつつ、ほっとしたよう
にため息をついた。
「まぁ、お前が実家に行くのは正直心配だけどよ、もう、俺が心配したってどうしようもねぇな。で、あれば、さっさと飯を
食っちまおう」
「そうね…」
 二人は、食事に専念した。料理はいくぶん冷めかかっていたが、それでも、十分に美味しかった。
「このプレーンオムレツなんか、焼き加減が絶品よね。半熟部分がとろっとしてて…、あたしもこんなの作れるようになり
たいなぁ…」
「すぐになれるさ。昨日食わせてもらった水飴入りの卵焼きだって、なかなかのもんだったぞ。亜美は筋がいい。勉強
だって、やり始めたら、すぐに成績が上がったし、いろんな分野で、お前は素質があるよ」
 世辞ではなく、本心から言ったことが分かるのだろう。亜美は、ちょっと、頬を染めて、微かに頷いた。
 そして、照れ隠しのつもりなのか、再び、プレーンオムレツを口にした。
「ご飯にも合うけど、さっきあんたが言ったように、ライ麦の入ったドイツ風のパンとかと一緒に食べるといいかも
知れないわね…」
「本当は、今朝は、ご飯じゃなくて、パンにしようと思ってたんだ。まぁ、買いそびれて、結局、こうだが」
「パンにするつもりだったの?」
 竜児は、顎を引くようにして軽く頷いた。
「最近なんだけどよ、駅前に、天然酵母使用を謳うパン工房ができたろ?」
「あ、知ってる。口コミでかなり高評価なお店よね。奈々子は、目ざとく開店初日に行って、好みのパンを買い漁った
らしいけど」
「あそこは、売れ筋の菓子パンやフランスパンだけじゃなくて、ドイツパンも作っているところがいい。
俗に黒パンと呼ばれるミッシュブロートなんか、いっぺん試しに買ってみたが、ちゃんと、サワー種使ってるんだな。
酸味があって、それでいてライ麦の微かな風味があって、なかなかのものだったよ」
「へぇ〜、そうなんだ」
 パンの話題に妙に食いつく亜美に、竜児はちょっと意外な感じがした。
「お前ってさぁ、本当はご飯よりもパン食が好みなのか?」
 亜美は、笑って首を左右に振った。
「あたしも、どっちかというと、ご飯党だよ。パンも食べるけど、普通の白パンとかじゃ物足りないってだけ。
どうせ食べるなら、小麦以外の材料も使った、ドイツパンとかを食べたい」
 竜児は苦笑した。
「何だか、好みが俺と同じだな」
「まぁね、似た者同士ってことでいいんじゃないの」
「そうかも知れねぇな。だが…」
「何よ、勿体をつけて…」
 亜美が、柳眉を微かに逆立てた。
「問題はだな…、合宿中は、まともなパンが食べられないってことだ。あの別荘は、駅前のスーパーだけが頼りだが、
品揃えにはかなり問題がある。特に、パンとかは、賞味期限ぎりぎりの食パンと菓子パンくらいだからな」
 それを聞くなり、亜美の表情が険しくなった。
「あんた、この期に及んで、合宿に反対するつもりなの? これから、あたしが敵地に乗り込んで、鍵をもらってくるって
いうのにぃ!」
「違う、違う、そうじゃねぇって!」
 興奮している亜美をなだめるつもりで、竜児は両掌を亜美に向け、できるだけ無害な笑顔を心がけて、左右に振った。
「何もかも、ここで暮らしているようにはいかねぇってことさ。あの僻地に長期間篭もるってことは、それなりの覚悟が
要るってことを言いたかっただけなんだ」
 それを聞いて、亜美も、表情を少し和らげた。
「まぁ、不自由なのは確かよね。でも、それがあるから、合宿の意味があるんじゃない。何でもかんでも、楽ができる
街中と違って、少々、苦労するくらいの方が、野心を持てるってもんだわ」
「そっか…」
 竜児は、ちょっと嬉しくなった。亜美は、自ら困難に身を投じ、それに耐えるつもりでいるようだ。
 単に、自堕落に遊び呆けるつもりで別荘へ行くわけではないらしい。
「それに、パンだけどさぁ…。別荘で焼くってのはどうかなぁ? 最近、インターネットで、粉やイーストの通販をやって
るみたいだし、へんぴな土地に籠城していても、何とかなるかも」
「おい、おい、俺は、イーストで発酵させるパンの類は経験がねぇぞ」
 亜美は、困惑する竜児を見て、うふふ、と笑った。
「スーパーマン高須竜児にも弱点はあったってわけだ。そっかぁ、なら、パンは、あたしが何とかするわよ」
「何とかって、お前が、パンを焼くのか?」
 亜美は、ちょっと、恥ずかしそうに俯いた。
「まぁ、パンとかにはちょっと興味があってさ…。前から、自前でできないかなぁ、って思ってたんだよね。
それで、パン作りの本とかを読んで、それに、インターネットのレシピとか見て、自分でも焼いてみたいなぁ、
なんて、考えていたんだ」
「でも、簡単じゃねぇだろ?」
「何でもそうでしょ? 簡単にできるものなんか、この世に存在しないんだわ。でも、やると決めた取っ掛かりが
大事なのよ。そうすれば、いつかは願いが叶う。そう言うもんじゃないかしら」
 決意があってこそ、願いが叶う。それは、パン作りに限ったことではない。竜児と亜美が挑戦しようとしている弁理士
試験がそうだし、何よりも、諸般の障害を乗り越えて、二人が結ばれるには、結ばれることを信じて、何があっても負け
ないという決意こそが原動力なのだ。
「そうだな。お前の本気、俺は感じたよ。別荘のオーブンも、パン作りには不向きな代物だが、頑張れば何とかなるかも
知れねぇ」
「まぁ、あんたがバイトに精出してる間に、あたしも実家でパン作りとかやってるよ。
本当なら、弁理士試験の勉強でもすべきなんだろうけどさぁ。実家で、それを大っぴらにやると、ママに気取られる
おそれがあるからね」
「法学部の前期試験対策だって言えば誤魔化せないか?」
「そうかも知れないけど、ママって、無学なくせに、人の企みごととかは見抜くのが巧いのよね。だから、疑われるような
ことはしない。それに尽きるわね」
 だが、竜児は、亜美の本音が別にあるような気がした。
「お前、本当は、勉強が嫌いなんだろう…」
 その辛辣な一言で、亜美は、一瞬頬を膨らませたが、ふっ、と瞑目して、嘆息した。
「それは認めるわ。正直、あたしが何とか勉強できているのは、あんたが傍らに居るから…。あんたが居ない実家じゃ、
張り合いがないのよ。これは分かるでしょ?」
「まぁ、そうかも知れねぇな。俺だって、一人きりじゃ張り合いがない。それに、お袋さんの直感が鋭いってのはたしか
なんだろうな。であれば、疑われるような行為は慎む、これに越したことはねぇ」
「うん、そうだねぇ…」
 竜児は時刻を確認した。
「何だかんだで、もう、八時近い。俺はそろそろ春田の家に行かなきゃならねぇ。お前は、どうする?」
「あたしは、この洗い物をして、泰子さんの分はラップに包んで、それから洗濯物を干して、自宅に帰るよ]
 言うなり、亜美は、使用済みの食器類を盆に載せ、台所に運んで行く。
 その自然な立ち居振る舞いは、もはや竜児の女房といった趣だ。
「じゃあ、洗濯物を干すぐらいは、俺がやっとくよ」
 竜児は脱衣所にある洗濯機の蓋を開けて洗濯物を取り出し、それを籠に入れてベランダに向かう。
 その途中で、台所の亜美に声を掛けた。
「そういやぁ、昨日は汚しちまったシーツとか、タオルケットとかを、洗っておいてくれたんだな。済まねぇ、恩に着るよ」
 自前の黒いエプロンを着用して洗い物をしていた亜美が、いつもの性悪笑顔で振り返った。
「なぁに言ってんだか。この程度のことができなきゃ、合宿なんて無理でしょ? 何せ、へんぴな土地に二人っきりで
一月以上も一緒に暮らすんだもの。互いが、責務を全うするという気持ちがなければやってけないわよ」
「お、おぅ…」
 頼もしい、とも表現できそうな亜美の一言に竜児は、ちょっと驚かされた。本当に亜美は変わった。
 実乃梨の指摘のように、少しずつ、少しずつ、竜児の影響を受けて変わってきたのだろう。
「何? 目ぇ真ん丸にして突っ立ってるなんて。早く出掛けないといけないんでしょ? だったら、さっさと洗濯物を干し
てきなさいよぉ!」
「お、おぅ、わ、分かった」
 竜児は、洗濯物を手早く干すと、昨日と同様に、着替えを入れたディパックを背負った。
「じゃぁ、亜美、済まねぇが、後は宜しく頼むぜ」
 台所で、洗った食器を整理している亜美が振り返り、「はーい、あんたも気を付けてね」という、よく通る声で応じた。
「俺からの連絡は専らメールにしとくよ。電話だと、お袋さんに気取られるおそれがあるからな」
「うん、あたしも、メールで連絡するよ。でも、絶対に安全な時は電話するから、その時は、あんたの声を聞かせて」
「お、おぅ、でも、くれぐれも気を付けてな。それと、実家から帰ることになったら、なるべく、早く知らせてくれ」
「うん、もち、そうする…」
 台所の亜美に、片手を振って竜児は玄関に向かう。そして、この仕事で使い捨てるつもりの、おんぼろスニーカーを
履いた。
 その亜美は、タオルで手を拭きながら台所から出てきて、玄関から出ようとする竜児の腰へ唐突に抱き付いた。
「お、おい、な、何すんだ…」
 亜美は、竜児のぬくもりを確かめるように、瞑目して、その脇腹に頬ずりしている。
「ごめん、正直言うとね、実家へ行くのが怖いんだ…。なんか、実家へ行ったら、もうこの家に来れないような気がする」
 竜児は、しがみついている亜美の髪を、指先で梳るようにして優しく撫でた。
「大丈夫さ。さっき、俺は、お前の覚悟みたいなもんを感じたんだ。その覚悟があれば、お袋さんにも負けねぇような
気がする。て、言うか、俺たちは負けちゃいけねぇ。負けるわけにはいかねぇんだ」
「う、うん…」
 亜美の瞳が微かに潤んでいる。それを隠すかのように、亜美はちょっと乱暴に指先で目尻を拭った。
「あ、あたし、約束する。絶対に、ここに、この家に帰ってくるって…」
「おぅ、俺もお前が帰ってくるのを信じて、待ってるぜ」
「帰ってきたら、ほんとに気絶するまで抱き合おうよ…」
「そうだな…。そのときは、何日間か会えなかった分のエネルギーを、互いにぶつけ合おうぜ」
 二人は、玄関の土間で、互いの存在を確かめるように、暫し抱き合った。
 竜児には、残り九日間、怪しげな連中とともにする厳しい肉体労働が、亜美には、実家での実母との対決が控えている。
 それら全てが恙なく終わるか否かは、神のみぞ知るところなのだろう。
(以下、『指環(後編)』に続く)

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