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229 翼をください ◆joNtVkSITE sage 2010/03/24(水) 22:21:04 ID:aojQ+WP9



 翼をください #2


 
 †
 
 冬休みが終わり。
 休みが明けたばかりで、その余韻に何処か浮かれた空気のある大橋高校の校舎内。
 特に、2年の教室が並ぶ階は、浮足立っているようにすら思える。
 竜児は、丁度通り過ぎた教室の方から聞こえてきた話題から、ああ、とその理由を知った。
「そういや、そろそろ修学旅行か」
 大橋高校は、2年生の時に修学旅行として沖縄に向かう。
 修学旅行の日まで未だ期間はあるが、このイベントは、高校生活3年間の中でたった一度の事なので、今の時点からその日に思いをはせるのもおかしくはないだろう。
 しかし、廊下を歩く竜児の足取りは重く、俯きがちである。
 別に、悪事を企んでいるところを悟られないように顔を伏せているわけではない。
 ただ単に、この先の事を思い憂鬱になるのを止められないからだけである。
 教室前のロッカーの前に立ち、荷物をしまう。
 ポケットの中から、今朝下駄箱で手渡された小箱を取り出した。
 何となく包装を解いて、中身を取り出した。
 中身は、竜児がよく知っているモノ。
 あのクリスマスの日、実乃梨に渡すために用意して渡せずじまいの髪飾り。あの冬の日の忘れものだった。
 竜児は、再び掌の中に戻ってきたそれを見つめ、はあ、と溜息をつく。
「こんな物、今更……」
 ふいに、2−Cの教室からクラスメートである春田が叫び声と共に飛び出してきた。
 追い立てるような、怒鳴り声を上げながら大河の姿も現れた。
 春田が、竜児の後ろに回り込んできた。
「おぅ!?」
「たかっちゃん、助けて!タイガーがキレた!」
「お前が、しつっこく、ちんすこう、ちんすこう言うからだ!」
 竜児の背後の春田に向かって、大河が叫ぶ。
 握りしめた拳は、怒りにぶるぶると震えている。
「何やったんだよ、お前」
 竜児は、自分を盾にして震えている春田に対し、肩越しに尋ねた。
 尋ねながら、こっそりと髪飾りをポケットにしまいこんだ。
 大河が、その様子を眺めて悲しそうに目を細めたが、春田に注意を向けていた竜児は気付かなかった。 
「だってさぁ」
 春田の話を聞いて、竜児は、呆れ返ってしまう。
 春田が、沖縄の名物である“ちんすこう”を大河に読ませようとして、大河は、誤って“ちんこすう”と読んでしまったのだという。
 春田の事だ、間違えた大河の神経を更に逆なでするような茶化し方をしたのだろう。
「お前、小学生か……」
 いくらなんでもアホ過ぎる。
 いくら修学旅行が楽しみだからといって、さすがにはしゃぎすぎだった。
 そんな事を言っている間も、大河の怒りは一向に収まらず、今にも竜児もろとも襲いかかってきそうである。


「ぐるるるる……」
 とうとう獣じみた呻き声を上げ始めた大河に、竜児は、背筋を凍らせた。
 慌てて背後の春田に、
「おい、俺を巻き込むなよ」
「えぇ、だって〜」
 竜児の声にも、春田はどこ吹く風。正に暖簾に腕押しである。
「竜児!はやく、そのアホこっちによこしなさい!」
「っつってもなぁ……」
 がっしりしがみついた春田を引き剥がすのは、一苦労どころの問題ではない。
 ぼやきながらも、竜児は何となくほっとしたような感覚を覚えていた。
 年末からインフルエンザにかかり、年始も布団の中で過ごした。
 久しぶりの友人と過ごす他愛もない日常。けれど、それがこんなにも掛け替えのないものだと知る。
 竜児は、仄かに笑みを浮かべようとして、
「新学期早々、元気ですなぁ」
 背後から聞こえた明るい声に、思わず頬がひきつった。
 竜児が振り返ると、櫛枝実乃梨が立っていた。
「おっはよー、みんな!」
「おはよー」
「ぉ……」
「おっはよー、みのりーん」
 春田の後に続こうとして口ごもっている竜児に気を遣ったのか、大河がころっと機嫌を直し、手を掲げた。
 竜児も、その勢いに乗ろうとして、
「ぉ、お、おは……」
「ん?」
 それでも口ごもる竜児に、実乃梨は首を傾げる。
 こうなっては、もう泥沼である。
 竜児は、実乃梨から目を反らし、恥ずかしそうに前髪を弄りだす。
「お……」
「お?」
「俺、ジュース買ってくる」
 とうとう実乃梨と目を合わせることすらできず、竜児は逃げだしてしまった。
「え、もう授業始まるよー?」
 竜児の背中にかかる実乃梨の声も、今の竜児にとっては、彼を追い立てるモノに他ならなかった。
「……っあの、馬鹿っ」
 情けないと言えば情けない竜児に、大河は、そう漏らさずには居られなかった。

「あ〜〜〜〜〜っ!」
 逃げだした竜児は、自販機の前の壁に両手と頭をついて、悶えていた。
「なに逃げてんだよ、俺の大馬鹿野郎っ!」
 自分に毒づく。
 本当に、何で逃げてんだよ。この臆病ものめ。
 あの告白未遂のあったクリスマス。竜児は、その後大河と話し合って、もう一度実乃梨の気持ちを聞こうと決心していた。
 その時、大河も亜美が言っていた事と似たような事を言っていた。
 さすがに大河が竜児を好きだ云々のくだりは、大河の口からは出なかったし、竜児も聞くに聞けず依然闇の中であるけれども。
 取り合えず、実乃梨の正直な気持ちを聞くためには、もう一度竜児の方から告白をする必要があった。
「告白ったって、口どころか目を合わせることすら出来ないってのに……」
 今まで、自分はどんな顔して、どんな会話を実乃梨と交わしていたんだろうか。
 それほど昔の事でもないのに、竜児にはまるで霧の中を歩くかのよう。正に、手探りであった。
「アイツは、俺のためにカップラーメンで頑張ってくれているのに」
 もう一度と、再起を誓った日から大河は、竜児の家を訪れなくなった。
 実乃梨に関係を誤解されぬよう、炊事洗濯も満足にできない大河が、毎日頑張っているのだ。
 それなのに、自分は実乃梨を前にして逃げてしまった。悔しさと、申し訳なさがこみ上げてくる。
 竜児は、ちらりと首を動かした。
 その縋るような視線の先は、自動販売機が並ぶその隙間。
 自然と、竜児の目はそこに誰かの姿を探していた。


 けれど、そこには誰もいない。彼が求めている人物も、そうでない人物も。誰も。
 当然と言えば、当然の事。あんな暗くて狭い所に、一体だれが好んで入り込むだろうか。
 少なくとも、竜児の知る限り一人しか知らない。そう、一人しか。
 竜児は、その一人の姿を探し、そしてその一人が居ない事を残念に思っていた。
 ――俺も、自分勝手なやつだな。
 自嘲する。あれだけ、実乃梨の事が好きでらまらず、彼女以外は見えていなかったのに、振られて、亜美に優しくされた途端に気になり始めている。
 全く、調子のいい話である。自分は、こんなに移り気な人間だっただろうか。
 実乃梨とまともに喋る勇気もない意気地なしの癖に。
 はぁ、と竜児は重い溜息をついた。
 ごんと、頭を壁に打ち付けた。じんじんと鈍い痛みが、今は少し心地よくさえあった。
「はぁ、もういっそ、全部燃えて無くなってくれねぇかな」
 呪う。自分の不甲斐なさも含めて、皆なくなってしまえばいい。
 
 竜児の呪詛は、遠く、沖縄の地のホテルを焼きつくした。

 †

「はい、これ」
「へっへん、これこれ」
 スドバの一席。川嶋亜美と逢坂大河が向かい合って座っていた。
 席に着くや否や、亜美が鞄の中から取り出したものはポーチの様な小物入れであった。
 しかし、これは決して亜美からのプレゼントではない。
 仕事でハワイへ行っていた亜美に、大河が買ってきて来るように頼んでいたものであった。
 ちなみに、お土産でもない。後できちんとお金を亜美に払う手筈になっている。
 嬉しそうに小物入れを受け取った大河であるが、その顔が直ぐに曇る。
「ふぅ、でもこれ、無駄になっちゃったんだよね。……まぁ良いか、普通に使えるし」
「ん、沖縄に持って行くんでしょ?」
「ばかちーは、未だ知らないんだ。修学旅行、二泊三日のスキーになった」
「はぁ!?」
 寝耳に水の話に、亜美の声が裏返った。
「沖縄のホテルが燃えちゃったんだって」
「うえぇ!?うそでしょ!?」
「こんな事でばかちーに嘘ついても意味ないし」
「……」
 これには、亜美もさすがに落胆の色を隠せない。
 スキーって……。亜美は、心中で舌打ちする。
 修学旅行は、あらゆる意味で楽しみにしていた。
 仕事の関係で、何度も南の島に行った経験のある亜美ではあるが、それはあくまで仕事での事。
 今回の様に、友人と過ごす旅行は初めてであった。それこそ、良い友達、クラスメートに恵まれた今年は特に。
 それだけではない。
 クリスマスパーティーのあった夜に、これから竜児に自分を好きになってもらえるよう頑張ると誓った。
 修学旅行は、そんな亜美に残された数少ない、そして泊まりがけという点で最大のイベントの一つといってもいい。
 南の島沖縄。さすがに海で泳ぐ事は不可能であるが、沖縄の青い海をはじめとした幻想的な景色や、冬と思えない気候。
 きっと、気分も恰好も開放的になるだろう。
 亜美の持つ自慢の色気を最大限に活用して、竜児にアピールしようと意気込んでいた矢先にこれである。
 雪山でスキーとなるとジャンパーを着込まなければならないだろう。
 そんなモノに包まれれば、ミューズの如きスタイルもかたなしである。
 アピールできるところ、風呂上がりぐらいしかなくなるじゃない。亜美は下唇をかんだ。
 こんなピンポイントで火事なんて、とうとう小悪魔に逃げられたか?
 ――勘弁、まだ何もしてねえっつうの。
 逃げられたら最後、そんなに何度も空なんて飛べない。きっと、蝋で出来た翼は既に溶けてしまっている。
 いやいや。亜美は、次々に浮かぶ、ネガティブな考えを振り払う。
 まだ、終わってない。終わらせてたまるか。
 雪山でも、女の武器を利用できるはずだ。何か、何か。

 気も早く、既に雪山でのアピール方法を考え始めた亜美に、
「あ、そうそう、修学旅行に行く前に、ばかちーに言っておくことがあったの」
「……ん?」
 大河の声に思考の海から亜美が顔を出す。
 その亜美の目をじっと見据える大河の目は、真剣そのものである。
「いい?修学旅行では、絶対に竜児の周りをうろつかないで」
「はぁ!?」
 唐突な言葉に、亜美は眉をしかめた。
 竜児に近づくな?冗談じゃない。修学旅行は、自分に残された数少ないチャンスなのに。
 しかし、亜美は、その思いを大河にぶつけようとはせず、平静を装う。
「うろつかれて、迷惑してるのはこっちなんですけど?」
 そう言いながら、亜美は不機嫌そうに顔をそむけた。
 背けて、横目で大河の反応を窺う。
 一体何のつもりでこんな事を言い出したのか。ある程度の予想は付くが、確証はない。
 只でさえ、実乃梨と大河に譲ったアドバンテージは大きい。少しでも情報があるにこしたことはなかった。
 亜美の反論を黙殺し、
「竜児はね、クリスマスイブにみのりんに振られたの」
「へぇ」
「……あれ?あんまり驚かないのね」
 大河は、怪訝な顔をした。亜美の反応は薄く、まるで始めから知っていたかのようである。
 しかし、亜美が知っていたとは考えにくい。
 竜児がクリスマスイブに振られてたことを知っているのは、当事者である竜児と実乃梨、そして竜児の口から教えられた大河のみである。
 実乃梨が亜美に話すとは考えにくいし、当然大河も話した覚えはない。
 残る可能性は、竜児が亜美に話したという事になるがこれも低い。
 振られたことが災いしたのか、年末から竜児はインフルエンザでほんの数日前まで寝込んでいたし、亜美は、仕事で遠い異国の地であったはずである。
 さすがにメールや電話をしてまで、竜児が亜美に話すとは考えられなかった。
 言葉は悪いが、亜美には関係のない話だ。
 そんな風に考える大河に対し、
「だって、知ってたから」
 と、亜美は、さらりと答えた。
「はあ!?何でばかちーが知ってるのよ!?」
 これには大河も驚いてしまう。
 思わずテーブルに勢いよく手をついて、その拍子にカップから中身が少量零れてしまった。
「あーもう、ばかちーのせいで零れちゃったじゃない」
「とんだ言いがかりなんですけど。っていうか、そんなに驚くような事?」
「何で、ばかちーが知ってるのよ。まさか、みのりんに聞いたの?」
「あたしが実乃梨ちゃんに?ハッ、あり得ないわね」
 はんと鼻で笑い切り捨てる亜美。
「あたし、そんなに実乃梨ちゃんと仲良くないわよ」
「……」
「どうでもいいけど、誤解しないでね。実乃梨ちゃんは嫌いじゃないけど、恋愛相談受けるほどの仲じゃないってこと」
 それはそうだ。大河は思う。
 実乃梨の親友だと自負する大河ですら実乃梨から恋愛相談なんて、ついぞ受けた事がない。
 実乃梨が竜児を振った時も、実乃梨は、とうとう大河に伝える事はなかった。
 だと言うのに、実乃梨が亜美に伝えるなんてまずあり得ない話だった。


「じゃあ、竜児から?」
 大河でも、実乃梨でもないなら情報源は、それしかない。
 事実、
「そうよ」
 亜美も肯定する。
「あんの、バカ犬。一体、何のつもりよ」
 自分の失敗談を亜美に話すなんて。一体どういう心境の変化だろうか。
 大河の感じた憤慨は、竜児が亜美に話したからのみ生まれたものではない。
 竜児の口から伝えられたのは、自分だけであるという自負が砕かれてしまったせいもあった。
 その事を大河は、正確に把握できていない。
 ただ、なんとなくもやもや、苛々してしまうのだった。
 いや、正確にはそうではない。大河は、ただ、目を反らしているだけ。
「何?あたしが高須君から聞くのが、そんなに変?」
「別に、変じゃないけど……」
 そう言う大河の顔には、変だ、とでかでかと書かれている。
 しかし、大河は、それ以上追及しようとしなかった。
 まだ、言いたい事は残っていた。
「……まあいいわ。竜児は振られちゃったけど、本当はみのりんも竜児が好きなの。だけど、色々あって二人は上手くいかないの」
 色々。
 大河はそうぼかしたけれど。それがほぼ自分が原因である事くらい、大河も察していた。
 実乃梨は、大河のことを親友という言葉では表せないくらい大切にしてくれているし、とても優しい子だ。
 だからこそ、今まで実乃梨と竜児の好意に甘えてきた自分が足枷になってしまった。
 大河は、その事を深く反省していた。
 そして。
 大河の心の中に何時の日からか生まれていた、竜児に対する感情が更に大河の罪悪感をあおる。
 こんな事を言っている間にも、心の奥で囁く声がする。
 ――アンタは本当に、それでいいの?
 そんな疑念を払い、大河は続ける。
「三年になったら受験だし、クラスだってばらばらになっちゃう。だから、修学旅行がみのりんの真意を確かめる、最後のチャンスなの」
 一息に言って、亜美を見据えた。
「分かった?ばかちー」
「分かんない」
 けれど、そんな大河の訴えを亜美は、一蹴した。
「ちょ、え、はぁ!?」
 大河は、目を丸くする。
 正直、まさか断られるとは思っていなかった。それも、考える隙もなく即答で。
「ど、どういうつもり?」
「どういうつもりも何も、言葉の通り。修学旅行は、高須君の周り、うろつくつもり」
「……一体、何の嫌がらせ?竜児がみのりんに振られた事、知ってるんでしょ」
「そうね」
「それなら!……それなら、この修学旅行がどれだけ重要かばかちーにだって分かるでしょ」
「もちろん。あたし、そんな馬鹿じゃねぇし。でもね」
 そこまで言って、亜美は一拍の間を置いた。
 もったいぶるように、コーヒーを一口すすった。
「?」
「でも、それは、あたしにとってもそうだから」
「……それは、どういう――」
 亜美の言葉の真意を計ろうとする大河をよそに、亜美は、ふん、とため息とも嘲りともつかない吐息をもらし、立ち上がった。
「――あーあ、無駄な時間食っちゃった。あたし、もう帰るね」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
 大河の言葉を無視し、亜美は、カップをカウンターに戻し、歩き去ろうとして。
 亜美に追い付こうとして、残ったカップの中身を急いで飲み干そうとしている大河の後ろに回り込んだ。
 そして大河の首ねっこを掴むと、ぐいっと引いた。

「アンタも、それで本当にいいの?」
「……何の話よ」
 大河は、じろりと亜美を睨む。
 その瞳を亜美は覗きこんで、
「ま、別にいいけど。アンタがそのつもりなら、あたしも動きやすいし。でも、後悔しても知らないから」
「ばかちー、あんた……」
「じゃねー」
 大河に後ろ手で手を振りながら、亜美は店を出た。
 そして、もう一度店のドア越しにポカンとする大河の姿を一瞥して、
「バッカみたい」
 聞こえるはずもないけれど、そう言い残して、夕焼けに染まる雑踏の中に消えた。
 その姿を半ば呆然として、一人取り残された大河が見送る。
 手に持ったカップをテーブルに置く。
 亜美は一体何のつもりであんな事を言ったのか。
 ――あの言い方では、まるで。
 胸に過りかけた想いを、大河は首を振って追い出した。
 違う、違う、違う!
 その想いは、元日の初詣での時、失恋大明神たる北村祐作に拝んで、封印してもらったはずだ。
 だから、だから、だから。
「……そうよ。ちがうんだから」
 大河の言葉を聞く者はいない。
 それでもいいと大河は、思う。私は今、私に対して話している。
「竜児とみのりんは、ちゃんと両想い、上手くいくべきなの、本当は」
 根拠のない自信ではない。そう、信じるに足る理由が大河にはあった。
 つまりは、大河は、竜児を信じているのだ。
 ――竜児は、実乃梨が恋するに相応しい人間だと。
 竜児と出会ってから半年以上。
 大河は誰よりも近い所から、竜児を見てきた。そう、実乃梨よりも近い所から。
 だからこそ、大河の抱く自信は、絶対のものだと。大河は、疑う余地も持っていなかった。
「そうよ、そうなんだから」
 ぼそぼそと呟く大河。
 カップをもつその手が小刻みに震えている事に、彼女は、気付かない。

 †

 夕暮れの道。
 竜児は、今夜の食材で満たしエコバッグを手に家路を歩いていた。
 買い物の時もそう。竜児は、色んな事を考えていた。
 不甲斐ない自分の事、実乃梨の真意、大河の逃げるなという言葉、そして自分を好きだと言ってくれた亜美の事。
 考えて、結局は実乃梨への未練を抱きながら、足踏みしてしまっている自分への嫌悪感や諦観に行きつくのだった。
 一人でいると色々余計なことまで考えてしまう。
 そう言えば、とふと思う。
 こうして一人で下校するのは随分久しぶりな気がした。登校の時もそう。
 二年になってからは、いっつも隣には大河がいたように思う。
 ほんの少し前までの日常を思い起こして、一人で歩く現在を寂しいと思った。
 大河の事が鬱陶しくて、はやく離れるために北村と大河をくっつけようとしていた頃の自分が、妙に懐かしかった。
 これから、どうしよう。結局今日一日、竜児は、実乃梨とまともに話す事が出来なかった。
 実乃梨は、いつもと同じような底抜けの笑顔を浮かべていたのに、竜児だけが以前の竜児に戻れなかった。


 ――櫛枝は、もう俺の事を吹っ切れたのだろうか。
 今日一日、何も変わらない実乃梨の笑顔に安堵するのと同時に、チクリと胸を刺すものがあった。
 自分の実乃梨への気持ちが、まるで最初からなかったかのように扱われているようで。
 それが辛く、悲しかった。
 ポケットから髪飾りを取り出した。夕焼けを反射して、きらりと淡く光る。
 その光が妙に眩しくて、目を反らすように空を仰いだ。
「……言い訳だな」
 竜児は冬の空を見上げ、ひとりごちた。
 結局は、自分に実乃梨と向かい合う勇気がないだけ。
「なーに、黄昏てんの、高須君」
 そんな竜児の背中に、明るい声がかけられた。
 ドクンと心臓が跳ねたのを竜児は、確かに感じた。
 振り返ると、私服姿の亜美が立っていた。
「や、偶然」
「お、おう、そう、だな……」
 亜美の顔を見て、竜児の頭にあのクリスマスイブの事が一気にフラッシュバックした。
 かあ、と体が一気に熱を帯びる。
 赤く染まった顔が、夕焼けに隠されて見えませんように。竜児は、切に願った。
 例え顔色が判然としなくても、竜児の言動で亜美は竜児の照れを悟ったのだが、それを追求するような事はしなかった。
 今、竜児をからかうと大河との会話で溜まったイライラを竜児にぶつけてしまいそうな気がした。
 そんな事をして、折角の好感度を下げてしまう様な事だけは勘弁だった。今の自分に対する好感度がどれだけあるのか、亜美は、余り考えたくないけれど。
 けれど、竜児と過ごせる貴重な時間である学校を休んだ日に、こうして偶然会う事が出来た。
 どうやら小悪魔は、まだ自分の手の中の様だ。亜美は、ほくそ笑んだ。
 亜美は、竜児の隣に立つと、
「ね、途中まで一緒に帰ろう」
「お、おう、そう、だな……」
 さっきと同じ返事をする竜児に、亜美は、くすりと笑った。
 その笑い声に、漸く竜児も平静を取り戻しつつあった。
 亜美は、竜児のエコバッグの中を覗き込んで、
「あれ、何時もより食材少ないんじゃない?」
「ああ、2人分だしな。こんなもんだろ」
「2人分……。大河は?」
「あーっと」
 竜児は、経緯を説明しようか暫し迷い、
「年末から大河は、家で飯食ってないんだ」
 結局話す事にした。どうせ亜美は、竜児が実乃梨に振られた事も知っている。
 その時の口ぶりからして、振られた理由も然り。
 竜児の予想通り、
「ふーん、なるほど」
 それだけで亜美は、大体の事情を読みとってしまったようだった。
「じゃあ、じゃあさ。何時か機会があれば、あたしが夕飯にお呼ばれしてもいい?」
「おう、それはいいが、今日は食材が足りないんだよな……」
「別に今日じゃなくていいから。……そうね、今週中とか」
「前もって言ってくれるんなら、何時でも」
 やった、と喜ぶ亜美を横目に竜児も心が弾むのを感じていた。
 料理好きの竜児としては、多くの人に自分の料理を食べてもらえる事は嬉しい事であった。
 決して悪いわけではないが、最近泰子ばかりで張り合いが足りないのも事実だった。
 やっぱり、食事は多い方がいい。そう竜児は、思う。
 そう、だから、相手が亜美だからといって特別に嬉しいわけじゃない。
「何か、食いたいもんとか、リクエストはあるか?後、嫌いなものも」
「んー、亜美ちゃん結構食事には気を遣うし、嫌いなものもあるから、その日の放課後、一緒に買い物に行こうよ」
「確かに、その方がいいか」
 モデルである亜美には、一般人以上に食事に気を遣う必要があるのだろう。
 腕の見せ所だな。竜児は、ニヤリとした。
 傍から見ると、隣に立つ美少女をどうやって調理しようか目論んでいるかのようだ。
 事実は決してそんな事ではなく、至って所帯じみた事なのだけれど。

 ふと、亜美は竜児のエコバッグをもっている方とは逆の手に意識を向けた。
「それ……」
 亜美が指さす先で、銀色の髪飾りがきらりと光る。
「へ?あ、ああ、これか。これは別に、何というか、もう要らないものというか……」
「へぇ?」
 竜児の狼狽ぶりに、亜美は目を細めた。
 要らないと言いながらも、髪飾りを持つ竜児の手つきからは、何か大切なものに対するかのような慎重さがうかがえた。
 竜児の髪は短いし、デザインから見ても若い女の子向けだ。まさか竜児が、自分で使うためのものではないだろう。
 ということは、これは。
「……ねえ、じゃあ、それ、あたしが貰っても良い?」
「え?」
「要らないんでしょ?それなら、亜美ちゃんにちょうだい」
 竜児に対して効果は低いと知ってはいるが、ぶりっこを意識して、上目遣いに竜児を覗き込み、首を斜め15度傾け、猫なで声で。
 しかし、亜美の本性を知っている竜児といえど、亜美ほどの容貌の女子に何も感じないわけにはいかない。
 大なり小なり、亜美に惹かれ始めている現在は、特に。
 再び心拍数が上がるのを感じつつ、少しだけぼやけた頭で逡巡し、
「ほ、ほら」
 髪飾りを亜美に差し出した。
「……いいの?」
 呆気なく差し出す竜児に、何故か亜美は、申し訳なさそうな顔をした。
「何だ、要らないのか?」
「うそうそ、要る、要るってば!」
 引っこめようとした竜児の手から、亜美が髪飾りを掻っ攫った。
「お、おい……ったく、どっちなんだよ」
 呆れたように苦笑する竜児を尻目に、亜美は嬉しそうに髪飾りを両手に包んだ。
 夕日に掲げてみると、まるで宝物のように輝く。
「そういえば、高須君からのプレゼントって初めてじゃない?」
「そうだったか?」
「多分、形に残るものは、ね」
 早速亜美は、髪飾りを自らの髪につけて見る。
 そして、竜児に、はしゃいだ声で、
「ねぇ、どう、似合うでしょ」
 尋ねるが、それはほとんど問いかけになっていない。
 似合っていて当然。そう言わんばかりの自信が溢れている。
 実際、亜美の艶やかな黒髪に銀色のそれは、よく映えている。
 少々安っぽい印象もあるが、髪飾りにちりばめられた、宝石の代わりであるイミテーションが沈みかけの弱い陽を返し、いっそすがすがしいほどに似合っていた。
 だから、きっと、これでいいんだ。竜児は、心の中で自らに言い聞かせ。
「よく、似合ってる」
「そうでしょ。ま、当然だけどねぇ」
 大仰にうなずいて見せる亜美の頬が赤いのは、はたして夕日のせいか。
 
 †

 翌日。
 通学路を歩く竜児の視線の先に、櫛枝実乃梨の姿があった。
 信号の前に立ち止まり、手持無沙汰の風である。
 う、と竜児は、足を止めそうになる。
 無意識にポケットに手を忍ばせて、
 ――そうだった、川嶋にあげたんだった。
 そう考えて、ふと、心が軽くなったような気がした。
 ほんの、ほんの少しだけ。
「く、櫛枝」
 竜児は、その勢いのまま実乃梨に声をかけた。

「え?」
 振り返った実乃梨は、竜児の姿をみとめ、一瞬だけ表情を曇らせた。
 幸か不幸か、一杯一杯の竜児は、それに気づかない。
「おう、高須くん。オハイオー!」
 すぐに太陽のような笑み。
 その笑みに、竜児は、ほっとしたような寂しい様な。
 けれど、昨日と比べれば、幾分かマシだった。
「お、おはよう。……え、と。昨日は、何か……ごめんな」
「……ん〜何のことだ〜い?ぜーんぜん気にしてないよっ」
 気にしてない、か。
 今は、それでいいのかもしれない。
 当然、まだぎこちなさはあるけれど。今は、これで。
 信号が青に変わる。
「あ、じゃあ、俺、先に行くから」
 そう言って、実乃梨を追い抜いて。
 横断歩道を渡ろうとする、竜児を追いかける影があった。
「つ、捕まえてっ!」
「え?」
 自分に対しての言葉だろうか。実乃梨は、背後を振り返った。
「大河?」
 逢坂大河が、物凄い勢いでこちらへ近づいてきていた。
「っ!」
 実乃梨は、僅かな疑問を抱くも殆ど反射的に、離れていく竜児の手を取っていた。
「え――?」
「――あっ!」
 竜児は、唐突に訪れた柔らかく温かい感触に戸惑い立ち止まった。
 少し遅れて、実乃梨がこれまた反射的に掴んでいた竜児の手を離した。
 ほんのりと実乃梨の頬が色づいていく。
 竜児と実乃梨、二人呆然として顔を見合わせる。この季節に似つかわしくない、生温かい空気が二人の間に流れた。
 そんな空気を打ち払わんとして、ぐ、と実乃梨は拳を握り、
「っなめんな!」
 はっしと、今度は竜児の学ランの袖をつまんだ。
「ナイス、みのりん!」
 背後から大河が駆け寄って。
 手に持った通学カバンを、振りかぶる。
「大――ぐぁ!」
 走りながら投擲された鞄は、竜児の顔を捉えた。
 竜児は、よろめいてたたらを踏む。
 大河は、止まる事なく二人を追い抜いて走り続ける。
「捕まった奴が、荷物持ち!」
 二人の顔を見る事なく、大河は横断歩道を渡り切ってしまう。
 同時に信号が再び赤に変わり、竜児と実乃梨は、横断歩道を渡る事が出来なくなった。
「お、おい!」
 竜児の視線の先、小さい大河は通勤・通学中の人の中に紛れ、あっという間に見えなくなってしまう。
「……ったく、何なんだ、アイツ」
「―――」
 とうに見えなくなった背中に嘆息する竜児は、実乃梨の様子がおかしい事に気づく。
 様子を窺うと、顔を伏せた実乃梨が、何やらぶつぶつと呟いている。
「大河の奴、大河の奴、大河の奴、大河の奴、大河の奴、大河の――」
「――櫛枝?」
 は、と実乃梨が顔を上げた。
 折角ひいていた頬の色が、再び羞恥と照れに染まった。
「ひあ、こんな事は、ぜんぜん、全く、何にも、関係ないから、モウマンタイだ!さぁ、片方よこしたまえ」
 そう言って、竜児に向かって手を差し出したのだった。

 大河の鞄を片方ずつ持って、竜児と実乃梨は並んで高校までの道のりを歩いた。
 途中あからさまな好奇の視線にさらされながらも、意外と二人の会話は弾んだ。
 校舎の下駄箱に付いた頃には、二人の空気は、すっかりクリスマスイブ前の様に近づいていた。
「お、あーみん先輩っ!おひさしぶりーふ!」
 先に下駄箱に居た亜美を、いち早く実乃梨が見つけ声をかけた。
 振り返った亜美は、ふと複雑な笑みを浮かべた。
「あーら、おはよう、実乃梨ちゃん」
 亜美の声は、少しだけ皮肉じみていて。
「大河見なかった?」
「いや、見てねぇけど……」
 亜美は、じっと、竜児と実乃梨の手元を見据えた。
「何と言うか、あーあ、だね」
「っ!」
 そこでようやく、竜児は実乃梨とずっと鞄を片方ずつ持っている事を恥ずかしいと思った。
 何を由来とするのか判別付かない焦燥に、竜児は、慌てて手を離そうとする。
 しかし、ここで離してしまったら、何と言うか実乃梨に申し訳がない様な気がする。
「ん?高須君?どったの?」
 実乃梨は、首を傾げるが、鞄から手を離す事はしない。
 どうすればいいか、竜児は、脳をフル回転させ、
「ふふ、気にしないでいいって。別に悪いことしてるんじゃないんだし」
 亜美の笑い声に硬直してしまう。
 怒っている風でも、悲しんでいる風でもない。それは、余裕の笑み。
「ん?あーみん?」
 事情を全く理解できない実乃梨。
 その姿を亜美は、注意深く観察する。
 いつもと変わらない、底抜けの笑顔。
 実乃梨は太陽の様だ。亜美は、その太陽が陰っている場面に殆ど出会った事がなかった。
 その笑顔で彼女は、一体何を守ろうとしているのか。親友か、それとも。
 そして一体何を隠し、もみ消してしまおうとしているのか。
 この様子なら、亜美の障害にはならないかもしれない。少なくとも、こんな奴に負けるなんて考えたくもない。
 今は、精々胡坐をかいていればいい。全部終わってから、後悔しても知らないから。
 亜美は、嘲笑をひとつ。教室へとひと足先に去って行った。
「って、あれは……」
 亜美が踵を返した時に竜児の目に飛び込んできたもの。
 それは、昨夜竜児が亜美に渡した、あの髪飾りだった。
「あっれ、あーみんって、いつもあんな髪飾りしてたっけ?」
 実乃梨のつぶやきに、竜児はぎくりとした。
 さ、さぁ?と応える声がどうしても裏返ってしまう。
「ふーむ、あーみんの物にしては安っぽかった様な……。しかし、あーみんはどんな髪型でもまいっちんぐだねぇ」
 竜児の動揺には気付かず、実乃梨は顎に手を当ててふむふむと頷いている。
 安っぽいという言葉に反応する余裕がなかったのは、竜児にとって不幸中の幸いといったところだろうか。
 そう、竜児にはそんな余裕これっぽちもない。
 ――ああ、俺ってば、なんて迂闊な事を。
 竜児は、心中で頭を抱えた。
 あの髪飾り。本当は実乃梨にあげるつもりで、竜児は買ったのであるが、その事を知る人物が竜児のほかに一人いる。
 逢坂大河。もし、アイツが見たら、一体どんな反応をするのか。
 ごく近い将来の手乗りタイガーの暴動を思い浮かべ、竜児は冷や汗を垂らす。
 ああ、何で俺は、こんな重大な事を忘れていたんだ。
 はやく亜美に追い付いて、あれを返して貰うか、外すように言わなくてはならない。
 そう思う竜児の足は、しかし、床にこびりついて動けそうになかった。

 


241 翼をください sage 2010/03/24(水) 22:30:55 ID:aojQ+WP9
投下終了
お目汚し失礼しました

228 翼をください ◆joNtVkSITE sage 2010/03/24(水) 22:20:27 ID:aojQ+WP9
投下します。
 翼をください #2
※注意
・進行速度の関係上、原作よりもアニメ版をベースにしています。
・アニメ第20話付近の話です
・エロなし
以下本編

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