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369 174 ◆TNwhNl8TZY sage 2010/09/02(木) 00:41:18 ID:oNRB/SkY



「×××ドラ! ─── ×××ドラ! × m ───」




夕焼け小焼けの川のほとりを、大きなお腹を揺らし、転んでしまわないよう細心の注意を払いながら、私はえっちらおっちら歩いてる。
土手に架かる橋のそのまた向こうに沈む夕日に照らされた川面がキラキラしているのが眩くて、逃れるようにどこまでも伸びる影。
生まれてこのかた付いて離れずずっと足元に這い蹲る相棒の頭の辺りを右足、左足、また右足と思わせといて両足でふみふみしながら先を行くのは、泥んこのあの子。

「いんや〜楽しかったけどつっかれたつっかれた、もうへとへとだあ」

けんけんぱーをやめて立ち止まると、片足立ちになって振り返った。
両手を広げたその格好はやじろべえか、はたまたカカシみたい。

「そうですなー、っと」

今度はからかさお化けも思わず唸るほど器用にけんけんして戻ってきて、そのまま私の周りをぴょんこぴょんこ旋回する。
元気だなあ、いいことだ。
他のなにを置いたって元気でいてくれるのが一番だから、とってもいいことなんだけど、空元気は元気のうちに入んないからいただけない。
いつもにこにこ笑っているのに、逆光のせいかもしれないけど、その表情に哀愁っていうか、寂しげな色を見る。
おかしいな、さっきまであんなに楽しそうにしてたのに。

「どしたんだい? ちょっと元気なくなくないかい?」

「なんでもない」

「またまた〜、言ってごらんよ。どうしたの、なんかあった?」

今日は朝からピクニック。
といってもまあどっか遠出しようにもこんな身重さんじゃあ歩くのもしんどいから、ちょっとそこまで足を伸ばしたくらい。
大河んとことあーみんとこと一緒に。
前々から計画だけは立てていて、けど決行日になると雨が降ったりドタキャンだりで先送りになって、気が付けばもうお腹が真上に見え始めたお月様みたくまん丸になっちゃったよ。
だから臨月っていうのかね。うん、違うか。
とはいえなかなかどうして座ってるだけでももうけっこうキツいんだけど、約束しちゃった手前もあるし、あんなに楽しみにしてたんだし。
なにより、あれだよね。
私は道端に落ちてた小石をつま先で蹴飛ばすあの子の頭からひょいと帽子がわりに被っていたグローブを持ち上げた。
子供の手にはぶっかぶかのグローブ。私のじゃない。
表面は薄っすら埃っぽくはあるけれど、それは今日たくさん使われたからで、行き届いた手入れはあの子が買って出て一生懸命大切にしてるから。
帰ったら真っ先に磨いて綺麗にするんだろう。
今日のことを瞼の裏に浮かべながら上機嫌に手を動かす様子が容易にイメージできて、つい、私も数時間前に思いを馳せる。
河川敷に広げたシートの上、今にもはち切れそうなお腹をお重に詰めたお弁当で余計に膨らましながらのんびりひなたぼっこを満喫しつつ、
水面下では次こそ私が最初に産んだるわと闘志を燃やすのは、ぽっこりお腹の大河とあーみんと、そして私。
前のときは初子がまさかまさかの、だったからね。今度こそ。
実のない、それでいて軽くはないお喋りに火でできてそうな熱い花を咲かせては散らせていた私たちから少し離れたところでは、子供たちがこぞってなにかをもみくちゃにしてる。
休日に家族サービスに勤しむお父さんの図はじつに心洗われる光景だよね。
ささやかで、どこにでもある、幸せ。眺めているだけでぽかぽかする。
これで親子水入らず、ていえばこれも確かにそうなのはそうなんだけど、そうじゃなくて、私とあの子とだけだったらとつい考えちゃうのは、まだどっかでそうしたいって思ってるんだろうな、きっと。
それは大河もあーみんも同じだってのは顔に書いてあるし、そんなのいちいち見なくったってわかるよ、長い付き合いだもん。
気の置けない大事な友達で、だから、こんな生活も悪くないとも思ってる私もいて、実際気にも入ってる。
子供たちには、まだそういった大人のごにゃごにゃなんてわかんないだろうし興味もないだろうから、力いっぱい甘えて、なんとか自分のところに来てくれるよう「お願い」してる。
あの子は足にしがみついて、あーみんとこは抱っこ、大河んとこは肩車。
三者三様の巧みなおねだりでお誘いしあって、のみならず他の二人にもってかれないようネガキャンしあって、恥ずかしいことや言われたくない秘密をバラされて真っ赤になってケンカして。

ほとほと困りまくったお父さんが間に入って宥めようとした途端、アイコンタクトもなしに「仲直りしたらおうちに来てくれる? ずっと」なんて息をそろえて笑顔で言って詰め寄るんだからさ。
いやいやまったく、見た目がそっくりなのもさることながら、なかなかどうしてやることもそっくりっていう。
どうしようもないところででも感じちゃう親子の絆に笑みがこぼれる。
私たちがしてたのも傍から見たらあんな子供のケンカだったのかと、いつかした若気のいたりを思い出すとどうにも手を貸すのもなんだかなあって、
それ以上にそのまま上手いことこっちへ引っ張ってきてくれたらいいなーっていうちょっぴり黒い思惑もなきにしもあらずで。
相手をするだけでも大変なのに、かしましいなんてもんじゃない大騒ぎの姉妹ゲンカを宥めるのはとっても大変だろうけど、がんばってくれいお父さん。
泣きつく場所はいつだってここに空いてるからね、遠慮なんてそんな水臭いことしなくっていいんだよ。
ていうかここ以外にはないからね、余所行っちゃやだよ。私だって泣いちゃう夜とかあるんだからね。
そうして和やかに時間は流れて、お日様も傾き始めて、そろそろ片付けますかというときに、あの子がこれと、そして自分のグローブを取り出してきた。
渡す相手は当然お父さん。
キャッチボール、一番楽しみにしてたんだ。
これなら誰の邪魔も入らない。
二人っきりで遊べる。
大河んとこはまだちっちゃいからっていうのもあるけど、大河に輪をかけておっちょこちょいで、ボールをしっかりキャッチできないし加減も知らないから上手に狙ったとこに投げらんない。
しかも続けていくうちぶすっとふて腐れて、挙句にはわんわん泣き出す。
あーみんとこはあんましこういった女の子らしくない遊びには積極的に入ってこない。おめかししてたらなおさらのこと。
なのにちょくちょく男の子顔負けの取っ組み合いをしてせっかくのキレイなおべべをボロボロにしちゃうのは、さてどうしてなんだろうね。
するほど仲がよろしいのは、身をもってわかってるから私はなにも言わないけれど。
それはこの際置いといて、キャッチボール。
一個しかないボールを誤って川に流されてしまわないように注意して、まずはゆっくり肩慣らし。
近い距離から投げあい、一歩ずつ後退していって、ちょうどいいところで止まると、少しずつ宙を駆けるボールが速くなる。
パァンってグローブが快音を響かせるのに合わせるように自然と会話も弾んでいく。
毎日顔を合わせてられないから、言いたいことや聞きたいことを白球に乗せて相手に放る。
それはどれも他愛ないことばかり。
昨日はなにをしたんだ? うんとね、こんなことしててね、そしたらあんなことがあったよ。そうか。
痩せたんじゃない、ちゃんとご飯食べてる? 心配ないよ。そうかなあ、なあんかほっそりってよりもげっそりしてる気がするんだけどなあ。
それよりも、お姉ちゃんや妹たちとは仲良くしてるか? 良すぎて困っちゃうよ、みんなつおいんだもん。だろうなあ。
そうそう、おっかさんが愚痴ってたよ、最近構ってくれないって、そこんとこどうなの? すまん、フォローしてやっといてくれ。うん、それむり、てかむり、だからがんばってね。
交わされるやりとりは、腰を下ろす私にまで聞こえてくる。
あの中に混じれたらどんなにいいんだろう。
ここ何ヶ月か思う様動かせないでいた反動からかうずうずする体に、とん、と壁を小突く衝撃が不意に走る。
危ないでしょって怒って諌めてるのかな。
それともわたしもって、羨ましがってるのかな。そうだったらいいな。
とん、とん、とん。蹴る力はビックリするほど強い。今からででも産まれそう。せっかちなのは誰に似たんだろ。
わかったわかった、わかってますってば。でも、今日のとこは我慢だよ。私も我慢するから。
いつかまたこんな風に四人でピクニックに来ようかと考えながらぽんぽこお腹を撫で叩く私の前に、取り損ねたボールが転がってくる。
駆け足で寄ってきたあの子はおでこに汗を滲ませて、満面の笑顔を輝かせていた。


「キャッチボール、楽しくなかった?」

それなのに、なにゆえかあの子はつまらなそうにしている。
そしてグローブをいじる私に背中を向けて、ぼそっと呟いた。

「ううん、そんなことないよ、すっごく楽しかった。でも」

「でも、なに」

「楽しかったから、ばいばいするのがいつもよりもさみしかっただけ」

今日の当番はあーみんの家だから、お開きになったあと、あーみんは私たちとは反対の方へ歩きながら帰っていった。
三人並んで、手を繋いで。
見送る私はあっかんべーなんて最後にかましてったあーみんとこの子に憤慨して、追いかけようとまでする大河たちの怒りを宥めすかしていて、気付いてあげられなかった。
夕日の中へ溶けるように去っていく影に、憧憬を抱いちゃったんだ。
素直に、それこそ大河たちみたいに感情をさらけ出せば、まだ胸のもやもやもいくらか晴れるのに、それを押し込めて周りに気を遣って。
疲れちゃうよ、それじゃ。
私は持っていたグローブを、えいりゃ、と掛け声をかけて短めに切り揃えた髪にぼすんと被せた。
そのままぐりんぐりん右に左に前後に大きく揺らす。

「そうだね。ばいばいするのは、寂しいよね」

ぼさぼさのぐしゃぐしゃの頭をふらふらさせながら、あの子が見上げてくる。
くりくりとした、けど、滅多にないけど本気で怒ったときはお父さん並に吊りあがるその瞳。
抱き寄せ、覆い隠すようにお腹に埋める。
うう、やってる方もそれなりに苦しいな、思ったよか張ってるみたい。お弁当食べ過ぎちまったかね。
ここで戻しちゃかっちょわるい。
込み上げてくるものをこれだけは自慢できる持ち前の根性で飲み下し、私はぼさぼさのぐしゃぐしゃにしてしまった髪の毛を指先で梳く。
元気に走り回ってた証でべたべたになってら。帰ったらまずはお風呂に入ろう。
それまでに伝えられればいいや。

「だから言っていいんだよ」

「いいって、なにを?」

「寂しいって、ばいばいしたくないって、そう言っていいんだかんね」

戸惑いを感じる。よくわかんないっていう気持ちが触れ合う部分の肌から直に流れてくる。

「だってさ、そんなの黙ってたって損だよ損。言いたいことは言わなきゃわかんないんだからさ、私だって、お父さんだって」

そう、言いたいことはちゃんと口で言ってくれなきゃわからない。
けど、おぼろげででも、言いたいことがわかるときはある。今とかね。
だってお母さんだもん。お母さんだから心配だ。
言いたい人の前で言いたいことも言わずに取り繕っているのはとても辛いことだよ。

「でも、じゃあ」

と、躊躇うような素振りを見せつつ口を開いたあの子の次の言葉に、今度は私の方が二の句を告げるのを躊躇してしまった。

「お母さんは、損してない? 言いたいこと、がまんしてない?」


何を、なんて野暮ったくって聞けるわけがない。
私は苦虫を噛み潰したような渋面を見られまいと空を仰いだ。
茜色に燃える空に強く主張する一番星を見つけて、ただでさえ顰めた渋面がもっと渋い渋々面になったっぽく思う。
我知らず、深いため息。
そりゃあ損くらいするよ。ううん、するなんてもんじゃない、いつだってしてる。
言いたいことを思うがままに言えたらって、そんなことを思うのはしょっちゅうだから、損ばっか。
お金で換算したら破産してるかもしれない。あ〜あ〜もったいねえなあちくしょう、大損こいてやんの。
だけどもさ、だからってさ、やっぱしできないよ、そんなの。
そんな、身勝手なこと。
考えてもみればすぐわかるじゃん。大河はあーだし、あーみんだってそーだし、間に挟まれた私はそれでいったいどーすりゃいいんだよ。
負けじと言いたいことだけ言って、それで? 困り果てられるのなんて、目に見えてる。
言うだけならタダだ。結局言ったことが本当にならないのも理解できてる。
だから仮にもし、もしも口にしたとしてもその言葉は重くはないけれど、それでも。
十中八九困らせてしまうに決まってる。
困り顔なんて見たくない。二人っきりで、家族でいられる間は、安らぎを感じていてほしい。
それは紛れもない本心で、違う、それだけじゃない。
困らせて、離れていってしまうんじゃないかって、それが怖い。
いずれさっきのように私じゃない誰かの手をとってどこか遠くへ行ってしまうんじゃないかと考えてしまうと不安でたまらない。
そんな人じゃないのはよくわかってるのに、なんでなんだろうね。
たぶん、ええかっこしいの見栄っ張りで、そのくせ小心な臆病者なんだ。
良く思われたい。嫌われたくなんてない。
きっと、そのふたつに尽きる。
だからワガママになりそうなことは極力言えない。
傍に居てよって言って、置き去りにされたら耐えられない。
だから面倒事を引き受けるし、貧乏くじだって甘んじて引く。
大河やあーみんの間を取り持ってあげればその分負担を軽くしてあげられて、私のことも見てくれるから。
打算と計算で動く自分がたまに無性に嫌になる。
嫌になるのに、なのにそのままでいるのは、どうしても自身を一番だとは思えないからだって思う。
茜の空もまだ暮れかけだってのに私はここだ、私だけを見ろと、気の早くって力強いあの一番星は私以外の誰か。
大河やあーみんとかが似合ってる。
それは私がそう思ってしまってるだけで、だからどうしたということはない。
光り輝く一番星だからって、必ずしも誰かにとっての一番なわけじゃない。
この関係に順序なんてつけらんないことも、それを決められる誰かがそんなことをよしとしないことも、だけど、その誰かの瞳に映るのは、キラキラ目を引く一番星。
いいよ、私はそういうのがらじゃないから。
さもしく開き直ったところでどうにもならない。なんにも変わっちゃいない。
できることといえばにこにこ笑顔を振りまいて、順番が回ってきたとき、至れり尽くせりでもてなして、積もりに積もった不安をかき消すように空いた隙間を埋めてもらう。
次の日の朝、行ってきますと残して去っていく背中を見つめる私はひどい顔をしてるに違いない。
なんてこたあない。
私だってこの子となんにも変わんない。
ばいばいなんて、したくないよ。
本当はずっと一緒にいたい、大好きだから、会えないなんて、大好きなのに、ばいばいするのが、寂しいよ。

「チッチッチ〜、甘い甘い。きみの見てないとこでお母さんいーっぱい得してるんだぜ?
 どんなお願いだってなんだかんだ言っててもいやとは言わないんだから、お父さんてばもう完璧に私の魅力にめろめろのめろんなのさ」

喉の奥から搾り出したその言葉は、風に吹かれてどこかへと運ばれていった。
破裂しちゃいそうなお腹に埋もれているあの子がこちらを見上げる気配がした。

「そうなの?」

「そうともそうとも。んーたとえばだね〜」


首を巡らして視線を下げ、しっかりとあの子のそれを見据える。
瞳に映った橙に染まった私は穏やかな笑顔をたたえたまま、嘘をついた。
惨めったらしい虚飾まみれのセリフが口をついて発せられる度に心の中が虚しい気持ちで溢れかえる。
こんな思いを味あわせたくない。
私はいい。寂しいときもあるけど、今は虚しいけど、これでもけっこう幸せだって思えるときだってあるから、私はいい。
高校時代の数え切れない思い出、抱きしめてくれた夜、身を裂く痛みと不安で押し潰されそうだった初めての分娩に駆けつけてくれて、今日のピクニックだってそう。
いろんな幸せを一緒に重ねてこれて、そのおかげでこの子がいて、もうすぐ逢える赤ちゃんだって元気そう。
これだけでいいよ。これ以上もっと、なんて欲張ってたらキリがない。罰当たっちゃう。
でも、この子の幸せを願う私は、こんな思いをしてほしくないっていう私は、教えてあげなきゃいけないんだ。
素直にワガママ言っていいんだよってさ。
今だけなんだから目一杯甘えちゃっていいんだよ。誰にも負けないくらいワガママでいいんだよ。
周りを気にして身を引くのを覚えるのはも少し先でだって遅くはない。
それに、ワガママも言わせられないようじゃあお母さん失格だ。

「てなもんよ、どうだ」

「すごいすごーい! お父さんすっげー!」

あることないことというか、ないことばっかり並べ立てる私に、先ほどの沈みようはどこへやら、興奮冷めやらないこの子は邪念や疑惑なんか知りもしない、屈託のない表情で驚きを表す。
鼻高々に得意げに語った夢物語、絵空事。
はじめこそ現実的にムリのなさそうな即席妄想たとえ話は一足飛びに飛躍してって、気付けば私はとんでもない無理難題をふっかけていて、しかもその無茶ぶりを叶えられていることにしてしまっていた。
心の中でツッコミが入る。わたしゃお姫様かい。
だんだん自分でもいい加減にしないとって焦りだして、なのに全力疾走さながらに口が回るのは、上塗りに次ぐ上塗りでどっか麻痺っちゃったんだろうか。
浅はかにも誇張と脚色で塗りたくって肥大させていったやけっぱちのでまかせ。
バカみたいなそれはみんな、私の願望なのかな。
ああなったらいいなあ、こうなればいいのに。
今さらにも程がある自嘲の念が胸中で大きく渦を巻く。
なんだよ、私はどこまでいってもええかっこしいの見栄っ張りじゃん。本当は欲張ってるんじゃん。
そう思うと、余計にへこみそう。ていうか、へこんだ。

「あ、そっか、わかった」

私の腰に腕を回していなかったらぽん、と両手を叩いてただろう。
合点がいったという具合ににんまり笑う。
なんで嬉しそうなのかいまいち掴めないけれど、そんな風に笑われると、こっちとしちゃあ心苦しい。
あんなの、なにひとつ本当のことじゃ、

「お父さんにお願いしたんでしょ、赤ちゃんが欲しいって」

いや。
今、ただひとつ。
ひとつだけ嘘が嘘じゃなくなった。
一瞬呆気にとられた私は、小さくこくりと頷いた。


「やっぱりそうだったんだ。だから赤ちゃんできたんだ、お父さんにお願いしたから」

それを見てにんまり笑顔がより深まる。
嬉しそうな、茜色の笑顔。

「うん」

蚊の鳴くような小声で肯定する私の顔は、不覚にも今が黄昏時じゃなかったら、いくらなんでも気付かれていただろう。
耳まで朱に染まっているその上からさらに紅く照り染めて隠してくれる夕日がこの上なくありがたかった。
この子はそんな私のお腹を優しく撫でさする。のみならず頬ずりまで。

「いいな。お母さんの言うことならほんとになんでもきいてくれるんだ、お父さん」

揺れ動いている内心が手に取るようにわかる。
もう一押しかな。

「ちっとだけ違うよ」

小さく深呼吸をしてからもう一回空を仰ぎ見る。
暗がりを濃くしていく空に浮かんだ一番星。
私には似合わない。
けど、私にだって確かにある、私の一番星。

「お父さんはみんなの言うことならなんだって、どんなのだって聞いてくれるよ、優しいから。
 でも、どんなお願いだって面と向かって言わなくっちゃわかんないんだよ」

私はもうそれを見つけてる。
私だけのふたつの一番星と、みっつめの一番星。
精一杯、大事にしたい。

「さーて、そろそろ帰ろっか。寒くなってきちゃった」

複雑そうな顔をするこの子の手を握り締めて私は家路を歩く。
伝えたいことは全部伝えた。あとはこの子次第にするとしよう。
信じてあげるのもお母さんの仕事のひとつ。だからもうなにも言わない。
それにしても、今日のことで、この子はこの後なにかするだろうか。
これで案外引っ込み思案なところもあるからなあ、どうするんだろう。
そんな心配も杞憂に終わる。

「ねえ」

「ん?」

もじもじしながら見上げてくるあの子はしばらくあのね、そのねと口ごもった後、意を決したように口を開いた。

「ちゃんと言えたら、私のお願いもきいてもらえるかな」

はたしてどんなお願いをするんだろ。
わかるようでわからない。わかりそうなんだけど、やっぱしわっかんない。
プレゼントを貰ったのに、すぐにでも開けたいのに今はまだダメって釘を刺されてるような、そんなやきもき感がする。
だけどそっちの方が楽しいや。慌てず騒がずその時が訪れるのを待ってみよ。
気にはなっちゃうけど気にならないフリをして、なにをお願いするのとは聞かないで、私はにっこり微笑んで首を縦に振った。

                              〜おわり〜


375 174 ◆TNwhNl8TZY sage 2010/09/02(木) 00:48:22 ID:oNRB/SkY
おしまい

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