最終更新: text_filing 2009年10月03日(土) 01:30:30履歴
×××ドラ!3 174 ◆TNwhNl8TZY sage 2009/09/30(水) 22:42:43 ID:Ouh9ldyv
「「「 ・・・・・・・・・ 」」」
目の前には、腕を組んで睨みつけてくる大河。
視線を少しズラして右を見れば、大河の隣にいる櫛枝が冷めた目でこっちを見下ろしている。
左を見れば、川嶋が腰に片手を当てながら豚でも見るようなキツイ視線をぶつけてくる。
早い話、大河達三人が囲みながら俺を見下ろしている。
教室のど真ん中で正座している俺を、それはもう穴が開くんじゃないかというくらい睨んでいる。
断っておくと、なにも正座の姿勢は強制されているわけじゃない。
川嶋と戻ってきた時点で、教室の中は酷い有様だった。
机なんていくつも吹っ飛ばされていたくらいだし、散乱している机に混じって春田が鼻血を噴いて倒れていた。
何があったかなんて考えたくもないが、この惨状を見れば口喧嘩程度で済まなかった事くらい嫌でも想像してしまう。
何故か当の二人は制服に埃一つ付けていなかったが。机の投げ合いでもしていたのか。
そんな教室の中で、ポッカリとスペースが空いている空間があった。
大河と櫛枝が睨み合っていた空間。
その場所で、誰に言われるでもなく体が勝手に正座の形をとった。
まぁそこまで歩かされたのは強制的になんだが・・・大河達による無言の圧力で。
「・・・・・・ぁ」
そんな状態が五分ほど経過した頃だろうか、意図せず声が漏れた。
喉が渇き切って掠れていて、自分でもえらく聞き取りづらい。
なにより、別に意味のある事を言おうとしたつもりじゃない。
「「「 な に ? 」」」
なのに、口から漏れたただけの俺の声に即座にハモリながら反応する三人の、その『ハモる』なんて可愛い表現の似つかわしくない
ドスの利いた低い声に、漏れた声すら引っ込んだ気がする。
正に針のむしろだ、本当に肌がチクチクしてきて痛ぇ。
チラリと見えた能登達の顔を見れば、自分がどんなにいたたまれない格好を晒しているのかを実感させられたのも痛い。
「・・・・・・な、なんでもありません・・・・・」
「「「 ・・・・・・チッ・・・・・・ 」」」
何で舌打ちまで同じタイミングで鳴らすんだよ、恐ぇよ。
敬語が拙かったのか、謝ったのが拙かったのか、それとも謝るだけで他に何も言わなかったのが拙かったのか、
何が拙かったのかは定かではないが、大河達の神経を逆撫でしてしまったのは間違いない。
とにかく空気が重い、尋常じゃないほど重いのに、それを更に重くしてしまった。
(ど、どうにかしてこの淀みきった空気を・・・じゃないと胃が握り潰されそうだ)
そうは思ってても、現実には口を開く事すら困難で、この状況で何をどう言えばいいってんだよ。
誰に何を言っても角が立つのは必死だ。誤字なんかじゃなく死に直結しそうな予感がしてならない。
最初に大河に話しかければ───ついさっきまで一緒だった川嶋が荒れそうだ。
なら川嶋に───大河が黙っちゃいないだろう、絶対に。
櫛枝だったら─── 一気に大河と川嶋の怒りが沸点を超えそうだ・・・こう、『ボンッ!』って感じに・・・これが一番危険じゃねぇか。
どうしたらいいんだ。
「・・・・・・あの」
「「「 な に ? 」」」
そもそも声を出した途端これだ。
一人ひとりどころか、三人いっぺんに話しかけるなんて以っての外だ。
「・・・・・・な、なんでもない・・・です・・・・・・」
敬語にならないように気をつけようとしたつもりだったのに、苛つきを増した大河達の声から言い知れぬ恐怖を感じると、
自然と語尾に余計な一言を付け加えてしまった。
すると
「チッ・・・・・・」
「・・・チッ・・・」
「・・・・・・チッ」
今度はそれぞれ微妙にタイミングをズラした舌打ちをされた。
おまけに睨みが更にキツクなった。
角度がつき過ぎて、直角になりそうなほど目を吊り上げる大河の睨みも、
底冷えするような能面顔で睨む櫛枝も、素の状態だったらさすがにしないような顔でガンを飛ばしてくる川嶋も、
どれも正視に堪えられるもんじゃない。っていうか正視したくない。
あんな顔を見続けるくらいなら、気の済むまで殴られた方がまだ・・・気の済むまで? いつ済むんだ。
大河達の気が済む頃には、俺は死んでいるかもしれない。
死に顔は元の顔の判別も付かないほど原型を留めていないか、悩みの種である強面に磨きがかかるかの二通りだろう。
(いや、殴殺なんて面倒な事しなくても、包丁でサクっと刺した方が楽じゃ・・・現実味がありすぎじゃねぇかそれ・・・
ま、まさかさすがにそこまでは・・・・・・否定できる根拠が見当たらねぇ・・・)
否定したくとも、否定するにはあまりにも明瞭に、かつ簡単に予想できる未来に怯えて縮こまる俺に向かって
「・・・・・・いい加減顔上げなさいよ、駄犬」
俯く俺には周りの様子は足元くらいしか把握できない。
だから、たまに漏れる声に反応する大河達と流れ落ちていく汗以外は、時間が止まってしまったんじゃないかと思っていた。割と本気で。
大河も櫛枝も川嶋も微動だにせず、それを取り囲んで見ているだろう能登を始め、クラスの連中も息を潜めている。
春田なんて息の根を止めていそうだ。
周りが異様なほど静かなのに、不整脈かと疑いたくなるほど不規則に暴れる心臓の音も、荒い筈の自分の息も聞こえない。
そんな中、今まで示し合わせたように三人一緒に単語を口にするか舌打ちをする以外は無言でいた大河が、
初めて自分の方から話しかけてきた。
「・・・・・・・・・」
素直に顔を上げた方がいい。
頭では分かってる。考えるまでもない。
なのに、体は言う事を聞かずに土下座と見間違うほど頭を下げて、正座している姿勢からピクリとも動かない。
「・・・・・・聞こえなかったの、竜児・・・顔 を 上 げ な さ い」
焦れた大河にもう一度言われると、バネ仕掛けのオモチャみたいに勢いよく背筋が伸びた。
意思とは無関係に動いたのは言うまでもない。
だが、それでも目だけは大河に向けられない。
どうしてもあらぬ方向に逸らしてしまう。
「・・・・・・こっちを見ろっつってんのがわかんないのね、あんたは」
「しょうがないわね」と。
続く言葉が耳に届いた時には、既に大河に胸倉を捕まれていた。
「ぐっ・・・・・・・・・」
息ができない。
息が詰まるようなとか、そんな比喩表現なんかじゃなくて本気で息ができない。
両手で制服の襟首をキツく締め上げられ、膝立ちになるまで持ち上げられる。
振りほどこうにも、こんな時でも体は石みたいに固まっていて指一本動かせない。
何に対してか分からない後ろめたさや、周りの目だけじゃない。
息苦しさでチカチカと点滅する視界いっぱいに、真剣な表情をした大河が映っているから。
「いい? これから聞くことに正直に答えなさい。
嘘吐いたり、はぐらかそうとしたらただじゃおかないわよ。わかったわね」
目が合うと、すかさず触れる寸前まで顔を近づけてきた大河。
その迫力に押されて、息苦しいのも忘れて我武者羅に首を縦に振って了解の意を示すと、パッと首を締め上げる力を解かれた。
バランスを崩して床に尻餅をつき咽こむ俺に、腰に手を当てて仁王立ちしている大河は深く息を吸い込み
「みのりんとばかちーが言ってたのは・・・・・・っ・・・」
抑揚をつけないようにしながら
「・・・・・・ホント、なの・・・・・・」
だけど最後には搾り出すような声色で、簡潔にそれだけを聞いてくる。
それ以上は何も言わない。
言わないが
「・・・・・・・・・」
見上げる俺の目を、大河は射抜くように真っ直ぐ見つめている。
これがいつもの大河だったら、その目の奥で「白状しないと殺す。白状してもその後で殺す」と、どっちに転んでも痛い目に遭わせると
脅しをかけてきている。そっちの方が全然気が楽だ。
少なくとも今みたいな泣きそうな顔をされるよりも、殴られようが蹴られようが、怒った顔をされている方がよっぽどマシだ。
そんな顔をしている大河を、更に悲しませるって知ってて首を振る。
「そう・・・なんだ・・・・・・」
無言の返事に対してそれだけ言うと、大河は屈んだ。
床に腰を下ろす俺の顔を正面から見据えると、おもむろに両手を頬に添える。
(・・・い、いよいよか・・・)
死刑執行という四文字が、俺の前に聳え立っている。
この体勢なら、おそらく片手を頬に添えたままでの平手打ちか、目一杯握り込んだ拳でのパンチか。
いや、両手で頭を固定しているから頭突きかもしれない。
なんでもいい、何が来ようと避けるようなマネだけは死んでもするな。
勝手に浮きそうになる腰に、これ以上無様な姿を晒すものかと渾身の力と、なけなしのプライドを込める。
いつ何が来ても耐えられるよう、奥歯だけはさっきから喰いしばっている。
準備万端、これ以上ないほど情けなくて最悪な人生の終わり方だが、ここで避けようものなら最悪の上に最低だ。
そして待つ事数秒。
「ねぇ」
櫛枝と川嶋を始め、固唾を呑んで見守っていた周りの緊張がピークに達した時、大河が口を開いた。
「当然私が一番よね。そうでしょ、竜児」
「・・・そ・・・・・・は? えと・・・た、大河? それは、あの・・・どういう・・・・・・」
質問の意図が全く掴めない。
一番? 一番って何のだ? 何の順番だよ?
思いもよらない・・・いや、大体この状況で誰がこんな事を聞かれると予想できるんだ。
俺の中ではギタギタにされた後、頭を地べたに擦り付けるほどの土下座を経てまた大河達に───そこまで考えていた。
なのに大河は俺を打つでもなく、殴るでもなく、頭突くでもなく、至って大真面目な顔をして、何についてかは今一掴みかねるが、
自分が一番だろうと問うてくる。
訳が分からないし、混乱しているのはどうも俺だけじゃなさそうだ。
意識を周りに向けると、そこかしこがざわついている。
教室中に張り詰めていた緊張の糸が、大河の一言で一気に切れてしまっていた。
「・・・・・・?」
ふと、そういえば今まで三つあったはずのプレッシャーが消えている事に気付いた。
あれだけ押し潰されそうだったのに、今は微塵も感じない。
大河は目線をビタリと合わせたままだが、さっきほど強烈な目つきをしてはいない。
それどころか妙に勝ち誇ったような笑みを浮かべていて、張り詰めている感じは全くしない。
「・・・・・・───っ!?!?」
そーっと、大河に気をつけながら左右を見てみた瞬間、俺は後悔と恐怖で凍りついた。
「・・・・・・・・・」
「チッチッチッチッチッチッチッチッ・・・・・・」
櫛枝・・・一体どうしたんだよ、その顔・・・青筋が今にもはち切れて、血が噴出しそうなほど浮かび上がってるじゃないか。
それに青筋なのに全然青くない、どちらかと言えば紫に近いような赤い色をしてるぞ。
川嶋もなんでそんなに舌打ちを連発し・・・きょ、教室の床にツバを吐くのはさすがにマズイんじゃないのか。
ほら、周りの男子達がうわぁって・・・そいつらに向けて飛ばすなよ!?
「早くしなさいよ。今言った通り嘘偽りなく、あんたにとって誰が一番か正直にね。
ま、答えなんて聞かなくてもわかってるけど」
フンッと、櫛枝と川嶋を一瞥した大河が鼻で笑った。
ビキィッッッ!!!
どうしてプレッシャーが消えたのか分かった。
的が俺から大河に変わった事と、俺が知覚できる限界を超えていたからだ。
その証拠に櫛枝と川嶋はもう俺を見ていない、俺の対面にいる大河を鬼も裸足で逃げ出すんじゃないかというくらいキツく睨んでいる。
そんな視線で睨まれているのに、何食わぬ顔をしている大河が信じられない。
俺だったら物の二秒もあれば舌を噛み切って楽になる方を選ぶ。
あれだけ耐え切れないと思っていた三人からの重圧は、あれでもまだ全力じゃなかったのか。
二人が大河に矛先を向けているおかげで俺の方に若干の余裕が戻ってきた事はいいが、状況は刻々と悪くなっていく。
黙っていると再度焦れた大河に何をされるか分からないし、口を開けばあの状態の櫛枝と川嶋の注意を自分に向けてしまう。
どっちかと言えば後者の方が嫌だが、かと言っていつまでもこのままではいられない。
頬に添える程度だった大河の手は、今や爪が肌にめり込むところまできている。
堪え性の無い大河のことだ、いつ痺れを切らしてもおかしくない。
早く何か良い考えを思いつかないと
「・・・・・・ちょっと・・・黙ってないで、早く言いなさいよ。
答えは一つしかないじゃない、それぐらいはわかってるわよね? ・・・わかってるわよねぇ!? 竜児ぃっ!!」
って、もうキレやがったのか!? はや・・・・・・ハッ!? せ、背中に悪寒が・・・汗まで・・・・・・・・・
「よしなって大河、そうやって無理やり言わせてもしょうがないじゃん。ねー高須くん。大河ったらおっかないんだからー・・・
・・・けどなー、できれば私も知りたいから教えてほしいなぁ、一番。あっ無理にとは言わないんだけど是非にね、是非ともね」
くっ付くんじゃないかと思うほど顔を近づけて怒鳴り散らす大河からなんとか目線を動かすと
そこにはギギギギと音が鳴ってそうな、不自然な動きでこっちを向く櫛枝がいた。
その顔には一見いつもと同じにこやかな笑顔が浮かんでいるが、よく見るとどこかおかしい。
まず目が笑ってないし、まるでどこかの誰かのように貼り付けたような、作ったような、そんな顔をしている。
薄っすらと浮かんでいる青筋も心なしかビクビクと震えているように見えるし、
微妙に言ってる事も支離滅裂なのが不気味さに拍車をかけている。
間違いなく、櫛枝は相当溜め込んでいる。
「高須くんさぁ、もう言っちゃいなよ。こいつらに遠慮しないでいいからね? 調子にのってつけ上がられても困るし、
そういう連中って亜美ちゃん掃いて捨てるほど見てきたけど、大体どいつも人の男寝取りやがるような奴ばっかだから。こいつらみたいに」
どこかの誰かを見てみれば、櫛枝よりも数段年季の入った作り笑顔を既にバッチリ顔に貼り付けていた。
軽くはにかみながら、とても抉るようなメンチを切り、教室内でツバを吐き散していた女と同一人物とは思えない清楚さを振り撒いている。
が、口から出てくる物からは清楚さなんて欠片も感じられない。
説得力も半端じゃない。
何をドコで見聞きしてきたかなんて俺には知る由も無いが、生々しい事を臆面も無く言えてしまう辺り、
繕った川嶋とも、恐らく素だと思う川嶋とも違う、別の川嶋の一面を垣間見た気がした。
(・・・・・・ど、どうすれば・・・・・・)
完全に三人の注意が俺に向けられている。
そこまではさっきと同じだが、振り出しに戻ったのではなく追い詰められた。
気配で分かる。
「・・・ふーん・・・物好きなのね、二人とも。結果なんてわかりきってるのに・・・ま、いいけど・・・」
メキメキと音が鳴るまで挟み込んでいた俺の頭から手を離した大河は、手招きして二人を自分の横に立たせる。
「聞いて、竜児・・・私は竜児と、赤ちゃんだけでいい。それだけで幸せなの、他になんにもいらない、だから・・・
・・・私の前からいなくならないで・・・いなくなっちゃやだ・・・竜児と一緒じゃなきゃ、やだ・・・」
「高須くん、外野の声は気にしないでいいよ。大事なのはお互いの気持ちなんだからさ・・・私はそれを信じてるよ」
「テメェら泣くんだったらトイレにでも行ってからにしてよ、亜美ちゃんがイジめたとか思われたらマジ最悪だから。
でもぉ、高須くんは亜美ちゃんにそんなことさせないよね・・・ね?」
一列に並んだのを各々が確認すると、ついでに火花を散らしながらお互いを見やり、予め決めていたように大河達が一斉に手を差し出してくる。
多分、この手を取った相手が一番なのだろう。
俺にどうしろと?
大河は『俺にとって』の一番を決めろと言った。
それはこの三人の中からで、三人の内一人の手を取れば、それが一番になるんだろう。
二番や三番には何の意味もない、一番だけが決定する。
俺の一番を、俺が・・・・・・
今更な事かもしれないが、この険悪な空間を作り出したのは本当に俺が原因なのか。
目の前で繰り広げられるいわゆる『女の戦い』の原因が───信じられん。
大河達のあの真剣な告白を疑うつもりなんてないが、こんな状況じゃあ・・・せめて時間が欲しい。
どこかで物事をキチンと整理できるような時間を、できれば一人で。
(そのために、誰でもいいからこの場をなんとかしてくれ・・・この際悪魔でもいい、だから)
どうにかしてくれ。
そんな俺の、心からの願いが天に届いたのか。
ガラリ
いつもなら、既に一限目は始まっている。
なのに、何でこいつがこんな時間にやってくるのか。
だが、そんな事は問題じゃあない。
俺には教室に入ってきたそいつが尻尾を生やした悪魔よりも、頭に輪っかを乗せた天の使いに見えた。
「遅れてすみませ・・・そんなところで何をしてるんだ高須。亜美達も一緒になって」
教室に入ってきたのは北村だった。
訂正しよう、こいつは天の使いなんかじゃない。
なんてったって大明神、すなわち神様だ。直々に降りてきやがった。
「それに何があったんだ、教室の中がメチャクチャじゃないか。
もう授業じゃ・・・まだなのか? ・・・よし、なら今の内に手分けして片付けよう、皆でやればすぐだ」
北村は目の前の惨状に気が付くと持ち前のリーダーシップと抜群の空気の読めなさを発揮し、教室中から向けられる冷めた視線を
意にも介さないで、率先して机を起こしていく。
大河も櫛枝も川嶋も、北村のマイペースっぷりにいくらか毒気と熱気を散らされたようだ。
何度目かの舌打ちと共に、突き出されていた手が引っ込む。
それでも視線は俺に突き刺さったままの予断ならない状態だが、今、即決断を迫られるよりは余程いいだろう。
もし万が一北村教なるものがあったら俺は入信してもいい。
こいつはただの失恋大明神じゃあない、俺にとっては救いのヒーローだ。
そのまま上手い事この状況をぶっ壊してくれ。
「おい北村」
・・・なんだろう、救いのヒーローがいきなり手の平を返したような・・・
ついでに今日一番の警鐘が頭の中で鳴り響いている気がする。
何故だ。
「ああ、すいません会長。急いで片付けるんで、少しだけ待っててもらえませんか」
なんだその弾んだ声は、それに何を言ってるんだ北村? 会長はお前だろう。
大橋高校で基本的に教師、生徒問わず会長と呼ばれているのは北村だけだ。
北村が生徒会長なんだから当然だ・・・だが・・・以前にも、当然生徒会長は存在した訳で。
そして北村が会長と呼ぶ人物なんて、俺には一人しか思い浮かばない。
「時間がねぇって言ってんだろ、勝手に入らせてもらうぞ・・・それに・・・用ならもう殆ど済んだようなもんだからな」
聞いてるこっちが何故か背筋が凍るようなセリフを投げつけながら、聞き覚えのある声の主は教室内に足を踏み入れた。
その人物が同じ空間にいるだけで、クラスの連中が様々な反応をしている。
ある者は驚きに息を飲み、またある者は道を開け、別の者はその姿をケータイに収めようとして北村に張り倒されている。
背中を向けている俺でも、分かりやすいほど分かりやすいリアクションと断末魔が聞こえてくるために把握できてしまう。
「・・・その、なんだ・・・久しぶりだな、どうだ調子は」
真っ直ぐこちらに向かってきたらしく、声の主は五秒も経たずに俺の背後に立つ。
この人にとっては教室の異様な状況も、女子生徒三人を前にして床に腰を下ろしている俺の現在の格好も関係ないのか。
しかも何でそんなセリフを投げかけてくるんだ。
ちょっと恥じらいが含まれてるのが似合ってないとか、そんなことよりもよっぽど気になる。
(俺、会長・・・狩野会長とはろくすっぽ話した覚えなんてないんですけど・・・)
「「「 べ つ に 」」」
おそらく俺に向かって放たれただろう挨拶を、またも声を揃えた大河達が間髪入れずに返した。
だが、三人の視線は一身に俺に注がれている。
どういう事だ、と込めて。
言っても信じてもらえそうにないが、俺が一番困惑しているのに説明なんてできるはずがない。
「・・・耳に消しカスでも詰まってんのか? お前らに聞いちゃいねぇよ、いっぺん鼓膜に穴でも空けてきやがれ。
私が用があるのは・・・竜児だけだ」
ポン、と。
悪態を吐いた会長に肩を叩かれって名指しでご氏名!? しかも下で!?!?
「っ!? 顔出すなり人のモンに馴れ馴れしくしてんじゃないわよ! 前々からアンタのそういう所が大っ嫌いなのよ!
てゆーかアメリカ行ったんじゃなかったの!? 何しに帰ってきたのよ!? あと人のモンに気安く触んな!」
即座に大河が反応した。
後半の事は俺も聞きたかった事だが、それにしても機関銃のように一息で叫びきる大河の顔は怒りで真っ赤だ。
他の二人も・・・? いや、何だろう、予想に反してその表情は凍り付いている。
「名前で呼んだ名前で呼んだ名前で呼んだ名前で呼んだ名前で呼んだ名前で呼んだ名前で呼んだ名前で呼んだ名前で呼んだ・・・」
「・・・た、タイガーはともかく、こいつにまで・・・」
二人だけじゃない、こいつも少なからず衝撃を受けている。
「か、会長? 用事って、高須にだったんですか? なら俺に言ってくれれば・・・いえ、決してご自宅までお迎えに上がるのが面倒だったとか
そんなんじゃないんです。むしろ願ってもないんですが・・・何故高須に・・・それにどうしてし、ししし、下で・・・」
お前はどれだけこの人に振り回されてるんだ。
いくらなんでもその程度の理由で遅刻するなよ、仮にも現生徒会長だろう。
完全に私事優先じゃないか。
「ああ、ご苦労だったな北村。今日はもう帰っていいぞ」
そんな北村に、会長は突き放すように非情な言葉を浴びせた。
北村は突然の会長の帰国に途惑いながらも胸を高鳴らせていたはずだ。
それが会長の一言で戸惑いが困惑に代わり、高鳴っていた胸は別の意味で早鐘を打っているだろう。
目以外の顔の穴という穴から水を流しまくる北村を見れば一目で分かる。
その目元にしても、メガネに当たる光を反射させるという力技で隠していて、レンズの下がどうなっているのかは北村にしか分からない。
「相変わらずの厳しさ・・・それでこそ会長だ、ハッハッハ・・・」
辛い現実に打ちひしがれる北村は、それでもせっせと机を起こしていく。
誰の手も借りずノロノロとした動作で、黙々と。
まるで存在理由をそれだけに見出してるようで見ていて辛い。
見かねて手を貸そうと動き出した生徒もいたが、北村自身に止められて踏み出す足を止めた。
「私たちも帰るぞ。昼までには家に着かないと印象が悪い。
親子関係を良好に保つにはそれなりに努力が必要だ。身支度と荷造りの時間くらいはやるから早く立て」
「え・・・ちょ、ちょっと・・・」
不吉なワードを目一杯散りばめ、早口に捲くし立てた会長が、俺を外まで引きずろうと制服の襟首を掴んだ。
大河とタイマンを張っても引けを取らない上、完璧超人の名を冠しても違和感のない会長の事だ、俺如きが抵抗を試みても徒労に終わる。
成す術もなく、訳を聞く暇もなく、俺は会長に連行される。
「待ちなさいよ」
「・・・ぁあ?」
そう半ば諦めていたが、俺の襟首を掴む会長の腕を、更に大河が掴んだ。
苛だたしげなセリフと共に会長の歩みが止まる。
「シカトしてんじゃないわよ、人の話はちゃんと聞けって習わなかったの? それとも日本語忘れちゃったのかしら」
「あんな一通なだけの喚き声が人の話だ? 本当に高等教育受けてんのかよ、小学生みたいなナリしやがって」
大河の挑発を軽く聞き流した会長は、即座に大河の癇に障るところを鷲掴みにして握り潰した。
「こんのっ・・・!」
「待て、待てって大河! 落ち着け!」
コンプレックスを的確に刺激された大河は余裕を繕っていた顔を一変させて、会長に殴りかかろうとする。
首根っこを引っ張る力が強まるが、無視して大河に抱きついた。
このままじゃあ殴り合いが始まる、それだけは阻止したい。
その一心で飛びついた、が
「ちょ、ちょっと、やめてよこんなとこで・・・みんな見てるでしょ・・・そ、そういうのはね、帰ってからで・・・
もぅ、しょうがないんだから・・・」
俺の咄嗟の行動をどう取ったんだ・・・俺は大河をどうこうする気も、ましてや周りに当てつけようとするつもりもねぇよ。
そうじゃなくて、大河は今
「おい・・・身重の私を差し置いてまで、そいつの方が大切なのか・・・?」
そう、大河は身重の会長だから、二人一緒に安静にしてなきゃ・・・
「・・・・・・はい?」
「っ!? ・・・・・・・・・」
襟首から手を離した会長が、そのままヨロヨロと後ずさった。
ひょっとして、今の返事を肯定と取ったんじゃ・・・いや、それ以前に身重って・・・誰が?
会長が? ・・・会長『も』?
あぁ、それを言うためにわざわざ帰国したのか。
突然現れた理由は分かった。
流れ的にも会長の発言からもそんな気はしてた。
(見に覚えのないどころかほぼ接点のない会長にどうしたってんだよ俺・・・)
「ね、ねぇ・・・」
うな垂れていると、大河に肩を叩かれた。
自然と下がっていた顔を上げると
「な・・・・・・」
会長の顔を見て絶句した。
あの会長が、薄っすらとはいえ目に涙を溜めて───!?
「・・・竜児、あいつになにしたのよ・・・」
大河も驚いている。
大河だけじゃない、櫛枝も川嶋も、他の連中だってそうだ。
北村に至っては体中から生気が漏れ出して抜け殻みたいになっている。
無理もない、あれだけ男らしい会長が人前で涙を見せるなんて、とてもじゃないが信じられない。
「私のことは・・・遊びだったのか・・・・・・? 」
(遊びだろうと本気だろうと会長に手を出す奴なんてそうそういる訳・・・そ、そんな目で俺を見ないで・・・)
こんな女々しい事を言っている事も信じられない。
しかも本格的に泣き出しそうだ。あの会長が、だ。
涙を溜めた目で、それでも気丈に大河を睨・・・もうとして、その大河に抱きついている俺を見ては目を逸らす。
あまりにも会長の様子が衝撃的で離れるのを忘れていたが、俺は大河に抱きついているままだった。
これは変な気を起こした訳じゃなく、殴りかかろうとしていた大河を止めるためにしただけだが
その抱きついている俺の頭を、大河は両手で抱えて離そうとしない。
おかげで誰がどう見ても抱き合っているようにしか見えない。
会長は極力大河を視界に入れたくないのか、中途半端に顔を俯けて俺に視線を合わせてくる。
潤んだ瞳に紅潮した頬、見ようによっては上目遣いに見えなくもない仕草に、最早男らしさなんて欠片も残っていない。
『狩野の兄貴の方』なんて呼ばれていたのが嘘のようだ。
「なぁ・・・なんとか言ったらどうなんだ、りゅう」
「しつこいわね、この格好見りゃわかるでしょ」
会長からの問いかけは、大河によって遮られた。
片手でギュッと制服に埋まるほど俺の頭を腹に押し付けると、
シッシと、犬でも追い払うみたいに空いた方の手をプラプラと振って会長に追い討ちまでかけている。
そんな大河に、とうとう会長の堪忍袋の緒が切れた。
「・・・テメェはさっきからなんなんだ・・・私は竜児に用があって、竜児と話してんだ。部外者がシャシャってんじゃねぇよ」
数歩前に出ると、ゴツッと硬い音を立てて大河の額に自分の額を押し付けた会長が、グイグイと力任せに大河を押していく。
「あんたこそ竜児のなによ・・・大体竜児竜児って、誰の許可取って呼び捨てにしてんのよ。他人が気安く呼んでいいと思ってんの」
負けじと大河も会長を押し返そうと体中に力を入れる。
脇に挟まれている俺の頭蓋骨が、圧迫感に耐えかねて悲鳴を上げるが
「そんなんで他人ってーのは聞き捨てならないよ。一体誰が許可出してんのかな、大河とか言ったら殴るよ?」
「呼び方程度で得意気になるとかバッカじゃねーの? 見かけだけじゃなくて人としても超ちっせーんじゃね」
大河の不用意な一言に、一歩引いて様子を見ていた二人が反応した。
俺を締め上げる力が緩む。
櫛枝と川嶋、更には押し合い真っ最中の会長と、いっぺんに相手にするのは不利だと野性の勘が働いたのか、
俺から手を離し、悔しそうに後ずさっていく大河。
それでも俺を連れ出そうと手を伸ばした会長への威嚇は忘れていない。
「おい・・・そいつらもなのか・・・?」
と、大河だけだと思っていた会長が、割り込んできた二人をアゴで指しながら聞いてきた。
返答に困っていると、櫛枝からも川嶋からも睨まれる。
俺は小さく頷く事で肯定の意を示した。
「ほぅ・・・」
会長の目が怪しく光る。
片方の眉だけ器用に吊り上げ、垂らしていた腕を胸の前で組むと、それだけで一気に威圧的な態度に変わった。
先ほどまで纏っていた女性らしさが引っ込み、男性ホルモンをジョッキで一気飲みしてきたような男らしさを全身から振り撒いている。
後日、この頃には意識を回復させていた春田は能登にこう洩らしていたらしい。
大橋高校に狩野の兄貴が帰ってきた瞬間だった、と。
「私がいない間、随分とハメを外していたようだな。なぁおい」
「いっいや、その」
「・・・まぁいい」
言い訳のしようがない。
だって言い訳しようにも、俺は会長相手に操を立てておくような事は言ってない・・・はず・・・クソ、自信が無い。
「放っておいた私にだって責任はある。お前がキチンと誠意を見せてくれさえすれば、今回だけは目を瞑ってやる」
なんという亭主関白ぶりだろう、俺が不貞を働いた嫁だったら心から改心して一生ついていく。
だが、俺は不貞を働いたつもりもないし、そもそも嫁になった覚えもないし、嫁になんかひっくり返ってもなれやしない。
それに会長の言う誠意というのも疑問だ。
金銭を要求している訳じゃないだろうし、何をもって俺の誠意の証とやらを認めてくれるんだろう。
「まずは・・・あ、あの時みたいに私を抱きしめろ」
仁王立ちのままそっぽを向いた会長が、またもや乙女じみた事を言う。
あの時がどの時だかは分からないが、今この時、この場でというのは聞かなくても分かる。
大河達の目の前で。そうじゃなければ意味がない。
会長からすれば俺の誠意を試してるんだから。
「今日のところはそれでいい・・・だ、だめか?」
男性ホルモンが薄れてきているのか、命令しているのに何故かお願いになってる。
しかも『まずは』って、『今日のところ』って、ひょっとしてこれからもあるのか?
まさか一生をかけて誠意を見せろなんて言わないだろうな。
考えると会長なら本気で言い出しそうで、ちょっとだけ背筋に冷たい物が流れた。
「そんなヤツの言うことなんか聞く必要ないわよ」
大河?
「だって竜児、言ってたじゃない」
俯いて顔を隠し、スカートの前に手を置いた大河。
モジモジと指を絡めたり離したりをしていると、意を決したのか
「その・・・わ、私ん家のベッドで、私のこといっぱいギュってしてくれて・・・好きだって・・・ずっとこうしてたいって・・・
赤ちゃんができたあの時にそう・・・だから、だから・・・あ、あああ、あんたが抱きしめていいのは私だけなんだからね!」
赤く染まった顔を勢いよく上げた大河が宣言でもするように、指まで差してそう言った。
辺りがシンと静まり返り、言い切った後に込み上げてきたんだろう恥ずかしさに大河がプルプル震えている。
が、俺を指差すポーズは変わらない。
前言を撤回する気なんてさらさら無いという意思の表れのようだ。
大河の言うあの時は分かる。
昨晩、俺が事の真相を聞きに行こうとしたのをプロポーズしに来たもんだと勘違いしていた大河が話していた事と所々一致するから
多分その時の事を言ってるんだと思う。
「私にも言ってくれたよ、好きだって」
スーッと、静かな教室の中に櫛枝の言葉が広がっていく。
「練習が終わった後、二人っきりの部室で。言いたかったけど、今まで言えなかったって・・・高須くん、そう言って抱きしめてくれたよね。
・・・ま、まぁ〜さすがに部室の床でってーのはちょっと・・・けど、イヤじゃなかったんだよ、私。むしろ嬉しかったもん」
恥ずかしい話、そんな事を妄想した事はあった。
それも一度や二度じゃない。
でも実際に行動に起こそうとする根性なんて俺にはない。あってもまずは普通に会話するところから始めている。
絶句していると、ソフトボール部、とりわけ女子部員が湧き出した。
自分達が普段何気なく使っていた部室でそんな事があったと言われればさすがに黙ってはいられないのは分かるが、
やたらとキャーキャーという黄色い声が多いし、中には櫛枝を応援している者や詳細を聞こうとしている者まで出てきた。
どうやら部室でというシチュエーションに大いにツボったらしい。
櫛枝自身が後ろ指を指されるような流れとは無縁で安心する反面、「照れるぜ〜」と頭を掻きながら女子数人に耳打ちをして
盛り上がっている様子にメチャクチャ不安感を煽られる。
たまに俺を見ては「ウソー」とか「高須くんだいたーん」とか飛ばしてくる度に不安で堪らない。
何をしていたかなんて俺が知りたい。
「放課後、自販機の前」
ピタっと、語りだした川嶋によってまたも教室が静まり返った。
「あたしを背中から抱いて離さなかった高須くんの告白は、きっと一生忘れないわ。その・・・ば、場所が場所だけに尚更ね。
・・・亜美ちゃんがあんな恥ずかしい思いをガマンしたのって、高須くんだからよ? これからだって・・・」
だけどそれも束の間、一気に騒がしくなる。
一部の男子生徒が奇声を上げて自販機目指して教室から飛び出していくのを、残った自制心の強固な奴等は羨望と侮蔑を半々の割合で見送った。
今ごろ行ったとしてもそこに何がある訳でもないのに、何があいつらをそこまで駆り立てるんだ。
言うまでもないが女子は例外なく、皆一様に出て行った男子達の存在を記憶から忘却した。
あいつらは明日から名前じゃなくて変態の二文字で呼ばれることだろう、一時の感情に身を任せたばっかりにまだ一年は余裕で続く
高校生活を自分から棒に振ったんだから当然といえば当然だが。
幸いにも能登というストッパーのおかげで変態の仲間入りを避ける事ができたはずの春田も、大汗を掻きながら白い目を向ける女子達に
弁解を始めているが、取り押さえる能登を跳ね除けようともがいている場面をバッチリ見られていたため誰も耳を貸してくれない上に
変態予備軍のアホという烙印を押されていて、こんな事なら一時の感情に身を任せていても同じだったかもしれない。
どいつも自業自得としか言い様がない。
「さっきから聞いてりゃ、なに言ってやがんだお前ら」
今度は会長。
「そいつはうちの親にも気に入られてんだよ。
陳列だのを買って出るどころか地上げ屋まで追っ払った、今どき珍しい男気のある奴だってな」
かのう屋はよく利用する。つい気になって、雑に並べられていた商品を勝手ながら整頓したこともある。
会長の言う地上げ屋だと思わしき連中に出くわした事も。
だけどあの時俺はただ、店の商品に難癖をつけてた男達の近くに立ってただけだ。
騒ぎが広がる前にそこにやってきた会長が、口八丁手八丁で俺をかのう屋側の人間だとそいつらに錯覚させていた。
要はたまたま居合わせた俺を利用して、会長が言葉巧みに地上げ屋を追い返したんじゃないか。
・・・あれ、でもあの後・・・上機嫌な会長に無理やり家の中へと上げられて、それから・・・それから・・・・・・
お、思い出せない・・・俺はどうやって家まで帰ってきたんだ・・・
「フンッ、あんたこそなに言ってんのよ。私なんて家族同然・・・うぅん、家族なのよ?
竜児だって、竜児のママだって私を家族だって言ってくれてる。これ以上の親公認が他にあるのかしら? あったら見てみたいもんだわ」
「「 ぐっ・・・・・・ 」」
「それに・・・竜児、してくれたもん・・・・・・プロポーズ・・・私もそれに『はい』って・・・・・・」
「「 ぐぬぬっ・・・・・・ 」」
櫛枝と川嶋がたじろぐ。
だんだんうっとりとした、夢見がちな顔になっていく大河は蚊ほども気にしないで昨晩あった出来事を話していく。
「あんなに幸せで、素敵な夜は二度目だったわ・・・竜児とも久々に一緒に寝られて・・・
りゅ、竜児ったら、まだ出ないのに私のおお、おっぱ・・・も、もう、なに言わせんのよ」
誰も言わせてねぇし、それは夢だ。
「なに余裕こいてんだ? そのアドバンテージを覆せばいいだけだろ、私にとっちゃ造作もねぇ。
今日にでも伺えばそれで十分だ。問題ねぇよな、竜児?」
それがどうしたという風に、会長が言う。
すると、大河に押され気味だった二人の目の色が変わった。
「高須くん、あとでお邪魔させてもらってもいい? いいよね? そうだ、なにもしないのもあれだからご飯とか作りに行こう。
なにがいいかなぁ〜ここはやっぱ肉じゃが? まぁいいや、いろいろ作るから楽しみにしてて」
「もしもし、ママ? 亜美ちゃんの一生のお願い! 今日都合つけてほしいんだけど・・・うん、そう、せめてお昼までには・・・は? ムリ?
なに聞いてんのよ、一生のお願いっつってんでしょ!? 言い訳なんていいからとっとと来てよね、じゃ・・・よし、こっちはいいよ高須くん」
「はぁっ!? な、なによそれぇ!? あんたたち、ヒトん家の迷惑とか考えなさいよ!」
「「「 私(あたし)は高須くん(竜児)に聞いてるんだけど(聞いてんだよ) 」」」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ・・・竜児! 竜児だって、勝手に『私達』の家に来られたら困るでしょ? そうよね? ね?」
バっと、ギラギラと輝く四対の瞳が向けられる。
各々の放つレーザーみたいな眼力で火を点けられそうだ。
「・・・・・・きゅ、急にそう言われても・・・・・・」
四面楚歌───こんな四字熟語を思い出した。
今の俺にはピッタリじゃないか。
大河達四人からすればそれぞれが紛う事なく敵で、自分の味方が俺という風に見えているのかもしれない。
とにかく四方向から追い詰められている事に変わりはない。
「・・・どういう事なんだ、高須・・・」
とうとう五方向目まで潰された。
途中から機械的に机を起こす作業を放棄して立ち尽くしていた北村。
顔から流れていた汗だの涎だのは止まっているし、抜け殻同然だった佇まいも正していて、いつもの北村と変わりなく見える。
「き・・・北村・・・?」
「高須・・・どういう事だと聞いているんだ!! 答えろ!」
が、声をかけた途端、落ち着いていると思った北村が爆発した。
生徒会長に就いて部活には顔を出さなくなったとはいえ、こちらまで駆け寄るその動きに衰えは感じられない。
教室という狭い空間は、俺に北村と距離を空けることも許さない。
だから、俺は振り上げられた北村の拳を───そう思っていた。
「あちょー」
だが
「グフゥッ!?」
一番近かった櫛枝が、北村と俺との間に飛び込んできた。
気の抜ける櫛枝の声に遅れて、北村が苦悶の表情と、次いで苦しげに息を吐き出す。
至近距離過ぎて櫛枝の頭しか見えなかった俺は、少しだけ首を動かして横から覗き込んでみる。
見れば、北村の右の脇っ腹に、櫛枝の左腕が突き刺さっていた。
「ダメだよ北村くん。暴力なんか何の解決にもならないよ」
正論だが、使い古されて穴の空いた鍋並に役に立たないセリフだ。
口にしている本人からして言ってる事とやってる事がちぐはぐなことからも、その役立たずっぷりが窺える。
「じゃ、じゃあこれは何なんだ・・・」
北村も同じような事を思っていたらしい。
脂汗が滲んだ顔に疑問を貼り付け、自身の腹にめり込む櫛枝の腕を見つめている。
「せーとーぼーえー、愛の代打バージョン」
代打・・・代わりに打つとは言い得て妙だ。
殴られそうになっていた俺の代わりに正当防衛として打った、と解釈していいのだろうが、
それにしても打つというよりは殴るという表現の方がピッタリな気がする。
「そんでもって、こっちは怒りのダウンスイングね」
「っ!? うおぉ!」
左手を北村の胴体に突き刺したまま、早くも正論をどこかにやった櫛枝が、逆の手を北村の顔面目掛けて突き出した。
両手を交差して頭を庇い、足も動かし、櫛枝の追撃を避けた北村だったが
「よっと」
今度は回り込んでいた川嶋によって、顎をカチ上げられた。
「グアッ!?」
屈んで待ち構えていたために本気で気付かなかったんだろう。
完全に不意を突かれた北村は、屈伸の要領で勢いよく立ち上がった川嶋の攻撃をモロに貰った。
よく見れば、川嶋の手には過剰なデコとストラップで元の機種すら分からないケータイが握られている。
あんな凶器みたいなケータイで殴られたのかよ。
それに今ので北村のヤツ舌でも噛んだか、口の中を切ったらしい。
開いたままの口から血が溢れ出ている。
「チ・・・ィイ・・・!」
それでも北村はそんな事物ともせずに、仰け反りそうになった体を両足に力を込めて踏ん張る。
さすが元ソフト部部長だ。
普通なら尻餅をついているところを堪えきったなんて、生半可な鍛え方じゃないんだろう。
それが仇となるって知っていたら、この先は違っていたかもしれない。
「バカね、祐作・・・今ので倒れときゃいいのに」
ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン
川嶋が言い切らない内に、鋭い風切り音が空気を劈く。
その風切り音は俺の背後から聞こえてきたと思ったら、横を駆け抜けていって───
「竜児にひどいことしないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!」
「なっ!? あ、逢坂ぁっ!?」
目一杯体を捩り、両手で握り締めた木刀を横に倒した八の字・・・∞の軌跡を描いて、大河が北村に突撃していく。
既に櫛枝からの脇腹への重い一撃に加え、足止めのためだろう川嶋による顎への一発を間を置かずに食らっていた北村は
飛び出してきた大河に反応できなかった。
そこから先は地獄絵図としか形容できない。
気付くのが遅れ、更には足に来ていた北村は避ける事はおろか防御する事もままならず、大河が動きを止めるまでひたすら
往復してくる木刀を一身に受け続けた。
右に左に、木刀が襲い来る度にサンドバッグを彷彿とさせて揺れる北村はまともに体を支える事もできず
何度も床に倒れそうになっていたからとっくに意識を失っていたはずだ。
だが、あと少しで倒れる事ができるところで、それは許さないとばかりに反対側から来た木刀が北村を無理やり起こす。
繰り返されるそれは、吹き飛ばされた北村の眼鏡が床に落ちた無機質な音を合図にしてようやく止まった・・・
「・・・強いって、なんなのかしらね、竜児」
荒くなった息を整え、手近にいた男子の制服で木刀に付着した赤い液体を拭った後に櫛枝と川嶋とハイタッチまで決めた大河がそう尋ねてきたので
お前は十分過ぎるほど強いと即答した。
質問の答えにはなっていないが、少なくとも今の俺の嘘偽り無い気持ちだ。
「そう・・・でも、私はもっと強くならなくちゃだめなの・・・竜児と、この子を守れるママになるために」
今しがた北村を滅多打ちにした木刀をスッと背中にしまった大河はどこか誇らしげにそう言った。
どうでもいいが、今どうやってしまった? 背中に木刀を回したと思うと、気が付いたら手から忽然と消えていたぞ。
そもそもどっからそんな物取り出したんだ。
「母は剛ってマジなんだな〜。俺だったらあんな母ちゃんぜってぇ勘弁だけど」
「口は災いの元って知ってるか・・・いや、知ってなくてもいい、今覚えろ。
覚えたらその軽い口を慎め、俺はあんな惨たらしい姿になる方がよっぽど嫌だし、見るのももう嫌だ」
そしてどうでもよくない事が一つ。
「おい・・・起きろよ、北村・・・」
倒れ伏してから痙攣する以外はろくに動かない北村が心配だ。
近づいてみると、より悲惨さが感じられる。
その顔は別人と見紛うほど腫れていて、思わず悲鳴が漏れそうになった。
鼻からは出ちゃマズイくらい血が流れ出ていて、既に床にはピザよりも一回り大きな水溜りができている。
ヒュー・・・ヒュー・・・と、か細く弱々しい呼吸音と微かに上下する胸だけが、北村がまだ生きている事を知らせている。
一歩間違えれば、こうやって抱き起こしているのが北村で、半殺しにされて倒れているのが俺だっかもしれない。
それにこの先俺がこうならないとは限らないと思うと、どうしても見てみぬフリなんてできなかった。
「ぅ・・・た・・・かす・・・?」
「お、おぅ! 喋るな北村、すぐ病院に連れてってやる」
賽の河原で石を積み始める寸前だった北村が、なんとか意識を取り戻した。
開いているのか怪しい目で、そこに居るのが俺だと分かるとボソボソと口を動かす。
いくら止めても北村は聞き取りづらい小声で呻きつつ、それでも喋るのを止めない。
そんなに伝えたい事があるのか・・・そう思い、口元に耳を持っていくと
「俺はなにを・・・思い出せないんだ・・・目が覚めたら、なぜか肝臓と顎と全身を尋常じゃないくらい痛めつけられていて・・・
まるで堅い木の棒で、泣こうが喚こうが、死ぬ寸前まで殴られていたみたいなダメージが・・・」
冗談かとも思ったが、北村は本気でついさっきまでの記憶が飛んでしまっているらしい。
こんなになるまで叩かれまくったんだから、その程度の障害で済んでむしろ僥倖と言っていいはずだ。
帰らぬ人になるよりは百倍マシだろう。
「しっかりしろ北村! それは・・・こ、転んだんだ・・・机を起こしている最中に足を滑らせたんだぞ、お前」
そうなのか・・・と、俺の苦し紛れの嘘を信じた北村は震える指で傍に落ちていた眼鏡を拾うと、歪んだ蔓を軽く矯正してかけた。
だって言える訳がないだろ? 女子三人に寄ってたかってこんなになるまでボロボロにされただなんて。
忘れているんなら都合がいい、せめて回復するまではそのままでいた方が。
「そうだ、会長が・・・会長はどうしたんだ? 確か俺は会長を連れてきて、それで・・・・・・っ!」
どうやら登校してきた辺りの記憶はしっかりとあるらしい。
相変わらず見えているのか疑わしい、試合後のボクサーみたいな腫れ上がった顔をあちこちに向けて会長を探していた北村。
だが、突然口を止めると
「お・・・おい?」
「高須、すまないが肩を貸してくれ」
返事も聞かずに自分の腕を俺の首に引っ掛ける。
見かけとは裏腹に回された腕には随分しっかりと力が込められていて、あまり深刻なダメージを感じさせない。
ホッとしつつ、それでもやはり保健室くらいには運んだ方がいいだろうとそのまま腰を上げて担いでいこうとしたが、
それより先に北村が俺の首を絞め始めた。
「思い出したぞ・・・俺をこんなにしたばかりか、お前は会長にまで手を出していたんだろ!? あぁ、俺は全て思い出した!」
おしいぞ北村、半分は思い出せているがもう半分が思い出せてねぇ。
しかしこんなに早く思い出すとは、こいつの会長に対する事に関しての記憶力というか、そういう部分にとんでもない執念じみた物を感じる。
「ちょっ北村・・・くるし・・・離して」
「俺はお前を親友だと・・・それなのにお前は・・・会長と・・・」
ギリギリと、どこにこんな力が残っていたのか・・・いや、どこからこんな力が湧いてくるのか。
容赦なく俺の首を絞める北村からは言動全てが会長を軸にしているようで、その軸を俺が持っていったと思ってる北村は激怒している。
「なぁ、どうして黙ってたんだ・・・せめて一言俺に・・・」
「言いたい事はそれで全部か」
不意に息苦しさから開放された。
そう思った次の瞬間には、俺を羽交い絞めにしていた北村は会長の手で無理やり立たされ
「会長・・・会長っ! 俺はふュぎゃっぺ─────────ッ・・・・・・・・・」
胸のど真ん中を殴られて、意味不明なセリフを吐いて。
そのまま北村は、今度こそ動かなくなった。
それも立ち尽くしたまま。
「お前のことは忘れねぇよ、北村・・・さて、と・・・邪魔者もいなくなったことだしいい加減マジで帰るぞ、竜児」
(今忘れないって言った相手を速攻で邪魔者呼ばわりって・・・)
あれだけ深手を負っていた北村に止めを刺しておいて、会長は涼しい顔でそう言った。
二重の心臓破りをお見舞いされ、教室のオブジェと化した北村の目から涙が流れている。まだ本当に昇天した訳じゃなさそうだ。
北村からしたら死んでいた方がマシだったかもしれないけど。
時間が癒してくれるのを祈ろう。
「・・・竜児。私疲れちゃったし、赤ちゃんもお家に帰りたいって言ってる気がするから今日はもう帰るわよ」
と、再三出し抜こうとする会長に倣い、学校には用もないしこの場にいるよりは家に帰った方が余計な事に気を揉まなくて済むと
判断したのだろうか。
まず俺も一緒に帰るのが当たり前の前提だという大河が言い
「高須くん、今日は日が悪そうなんでまた今度お邪魔させてもらうね。だからさ、代わりに高須くんがうちに来なよ。
うちの親って今夜は帰ってこない気がするから、自分の家と思ってくつろげると思うんだ。そのまま自分の家にしてくれても全然かまわないよ」
即座に櫛枝が繋ぎ
「亜美ちゃんの実家ってこっからだとけっこうするから、今日のところは伯父さん家でガマンしてね。
それともどっかホテルでも取ろうか。あはっ、そっちのがいいかも、そうしよっ」
最後に川嶋がしめた。
「さ、行くわよ竜児」
「じゃあ行こうか」
「行きましょ」
「行くぞ」
「「「「 ・・・・・・・・・ 」」」」
四面楚歌再び。
一瞬でお互いの距離を詰めると、円陣でもするように四人は輪を作って睨み合う。
(ねぇ高須くん)
呆然とその様子を眺めるしかなかった俺に、背後から誰かが耳打ちをしてくる。
声からすると香椎だ。
反射的に振り返ろうとするが、香椎はそのままで、と小声で言ってくる。
訳も分からないまま言う通りにすると、背中にピッタリとくっ付いてきた香椎は続ける。
(今の内に出ましょ。亜美ちゃんたちに絶対バレないところに匿ってあげる)
草の根を引き千切ってでも俺を探し出す大河達がありありと浮かぶ。
どこまで逃げても、例え地球の裏側まで逃げようと俺に安息は訪れない気がしてならない。
なにより
(・・・ど、どうして香椎が俺を・・・)
能登か春田が提案してきてくれたら、嫌な予感がしながらも俺は頷き、ついていったかもしれない。
だが、女子だから───それだけで嫌な予感しかしないから、素直に香椎の話に乗れない。
迷っていると、含み笑いをしていた香椎がふぅ・・・っと首筋に息を吹きかけた。
腰から背中を駆け抜けていく悪寒とは別の物を感じている俺に、香椎はもう一度クスリと笑った。
(ふふ・・・そ・れ・は・ね?)
「奈々子が卑怯者だからだよ」
今度こそ振り返った俺の目に、肩に手を置いて背伸びをしている香椎と、香椎の後ろに立つ木原が映る。
だから、チラッと横目だけで木原を見た香椎の目が、スッゲー嫌そうな形を作っていたのも見えてしまった。
心なしか舌打ちまで聞こえたような気さえする。
「・・・麻耶? いいところで変なこと言わないで、もぅ」
瞬きをすると香椎はいつものタレ気味な目に戻るが、顔は木原には向けない。
木原も特にその事には言及するつもりはないらしい。
実力行使で香椎を引き剥がそうとしている。
「ホントのことじゃん。あれだけ言ったのに抜け駆けみたいなマネして、マジどういうつもりよ」
「どういうつもりも、抜け駆けしてるんだけど」
スルスルと、肩に置かれていた香椎の手は背中を滑っていき、両脇を通り抜けて胸の辺りで止まった。
それと同時に背中に三つ、何かが当たっている感触を感じる。
一つは肩の辺りに、香椎が頬を当てているだろう感触。
あとは肩より少し下に二つ、温かくて柔らかい物が・・・
「ハァ? ・・・まだ根に持ってんの、あたしの方が先だったからって」
「・・・高須くんは好きなものは後でタイプよ。つまり先に抱かれた麻耶よりもあたしの方が・・・ね? 高須くん」
は、離して! この手を離してくれ! もういい、もう分かったから、お願いだから離してくれ!
「うわっ、出たよ負け惜しみ〜。そこの机でされてるあたしを見て指銜えてたのって誰よ」
「あたしね。でも、誰かさんは終わった後でも自分を慰めてたみたいだけど・・・誰だったかしら・・・麻耶、知らない?」
「・・・いっつも思ってたけど奈々子ってさ、もうちょっとその性格どうにかした方がいんじゃね。そんなんじゃ友達失くすわよ」
「麻耶は体をどうにかした方がいいわね。そんなんじゃおっぱいも満足に出そうにないもの」
「そりゃ、奈々子みたいに垂れまくってないけど十分イケルし。それに高須くんは満足してくれてたし」
「それこそ負け惜しみじゃない。大は小をかねるのよ? 大きいに越した事はないんだから。それにあたしは垂れてないわ、ね? 高須くん」
制服越しじゃあどれだけグイグイ押し付けられようと、俺には香椎のバストがどんなだかなんて分かるはずもない。
木原のだって知る由もない。
ただ、強いて言えば・・・大河にこれの十分の一でもあったら、と・・・
「あのー・・・高須先輩いますか・・・?」
廊下の方から呼ばれた声に、弾かれるように飛んでいった。
実際香椎を軽くとはいえ押し退けた。
呼ばれたんだ、行くしかないだろう。
そうだ、俺は間違ってない。
ごめんなさい。
「な、何だ? 悪いが今立て込んでて、用があるなら・・・あれ、お前・・・」
「ヒィッ!?」
飛んでいった先には、一時期大河に触れると幸せになれるという噂が校内に広まった時に、大河をしこたま怒らせた下級生がいた。
確か、後から北村に名前を聞いて下駄箱に警告文まで送ったヤツで、名前は・・・
「富家?」
そう、富家。
結局は俺の警告も、今では失恋大明神から失恋大明神(ご神体)へとクラスチェンジした北村の説得も虚しく大河の餌食にされた、あの下級生。
「は、はいぃ! すみませんすみません! おおお、お時間はとらせないんで許してください・・・きょ、今日のところはコレで・・・」
「あ・・・あぁ、いや・・・用件はなんだ?」
俺が顔を出すなり、富家が怯え始めた。財布まで差し出してくる。
かなり表情が強張っていたらしい、俺はそんなにも必死だったのか。
「す、すみません・・・その・・・さくらちゃんと書記の先輩に言伝を頼まれて」
顔の筋肉を解して、ついでに目元も手で隠してやって、やっと富家は喋りだす。
・・・目は隠しておいてよかった。また怯えられて話どころじゃなくなる。
内容にもまだ触れていないってのに、さっき以上にかっ開いている目はきっと血走っていて、
さっきの比じゃないほど目の前で冷や汗を流して震えている後輩を脅かす事だろう。
・・・さくらちゃんって、会長の妹の事だよな? 狩野の妹の方の・・・それで書記の先輩ってのは、多分二年で生徒会の女子・・・
「『お話があります。大切なお話です。今すぐ生徒会室まで来てください、私も狩野さんもずっと待っています』・・・と。
何なんですかね、一体。今すぐ、しかも口頭で伝えてきてくれって聞かないんですよ、二人とも。俺だって授業あるのに・・・」
手紙だと読みもせずに破かれるか、知らん振りされると思ったのだろうか?
そんな事はしないが、そんな最低な行為が似合いすぎる自分のツラが憎い。
どうやら小声で「さくらちゃんなんて、また成績が・・・あ、けどまた勉強を見て・・・」なんて算段を立てている不幸体質らしい後輩は
授業までサボってメッセンジャーをさせられたらしい。
それだけでも十分不幸だっていうのに、遠からず更に酷い不幸に遭遇する気がする。
そんな後輩に親近感が湧いてしまうのは何故だろう。
「あぁ、それとこれも」
まだあるのか・・・って、なんだこれ。
「今そこで光井さんから渡してきてほしいって」
手渡されたのは、レースとフリルを縫い付けてできた手製らしきメイドキャップ。
雑とまでは言わないが繕い方が甘くて、俺だったらもう少ししっかりと縫って・・・関係ないな。
そんなどうでもいい事よりも
「・・・誰からだって?」
聞き覚えのない人物からの贈り物に、不信感と一緒に不安感が募っていく。
贈る相手を間違えてるんじゃないのか。
「・・・? 一年生の子なんですけど、知り合いじゃないんですか?」
「一年で光井・・・ちょっと心当たりが・・・これ、本当に俺にか?」
「えぇっと、それは高須先輩宛で間違いないです、何度も念を押されたんで。
・・・なんなら聞いてきましょうか、光井さん、まだそこにいるみたいだし」
指差す先には、小柄な女子が廊下の角からこちらを覗き見ている。
自分の存在に俺が気付いたと分かると、瞬時に隠れてしまったから顔までは分からなかったけど、それでも知り合いとは思いづらい。
大体あれは本当にこの学校の生徒か?
「・・・なんでメイド服なんて着てんだ」
この手作りのメイドキャップは、制服の代わりにメイド服を着込んでいたあの・・・光井? という子の物らしい。
・・・なんだって俺にこんな物を寄越すんだ。
「さぁ・・・彼女、二ヶ月くらい前からずっとあの格好で・・・なんでも、彼がこの格好が一番似合ってるって言ってくれたそうですよ。
あくまで噂なんですけど、いくらなんでもそれで・・・ど、どうしたんですか?」
「・・・・・・なんでもねぇ・・・・・・」
聞くと同時に、メイドキャップの真っ白なレースに付いている赤い物を見て頭を抱えた。
キスマーク・・・精一杯背伸びしている感があって、狙い通りクラクラしそうだ。
目の前まで真っ暗になってきた。
「あの・・・と、とにかく、大事な話があるそうなんで生徒会室に行って下さい。俺、確かに伝えましたよ」
そう言うと、富家は足早に去っていった。
光井という子も、富家が消えると一度こちらに顔を出して・・・投げキッスか。
ここからでも分かるくらい拙くて、会長とは別の意味で似合ってない。
「・・・はぁ・・・」
見送り、勝手に出てきた溜め息を一つ吐くと、いい加減教室にかえ・・・待てよ。
これって千載一遇のチャンスじゃないのか?
今俺は廊下にいて、大河達はその事に気付いていない。
これなら
「「 ・・・・・・・・・ 」」
やっぱりやめよう・・・
香椎と木原がジト目で見ている。
香椎なんて大河の方を親指で差して、その親指を今度は床に向けた。
ちゃんと戻ってきて、さもなきゃタイガーたちにチクっちゃうかも───口も動いていないというのに、確かに俺にはそう聞こえた。
(がんばれよ、富家・・・不幸なのはお前だけじゃないからな)
心の中で後輩へとそっとエールを贈っておく。
反対方向へ全力で走りたいと言って聞かない足を引きずって、俺は慣れ親しんだはずなのに、今は嫌でイヤで仕方のない教室の中に戻り、
元居た位置でピタリと歩みを止めた。
満足気に「やっぱり最後はあたしの元に帰ってくるのよ」と頷き、またも背中に抱きつく香椎。
と、そこに
「遅れてごめんなさー・・・い・・・ど、どうしたのこれ・・・私、教室間違えてないわよね」
前の方では大河達が無言のまま睨み合いを繰り広げ、背中では香椎と木原による言い争いが再び勃発している。
そんな教室に入ってきた独身。
上機嫌だった独身は、途中から入ってきたにも関わらず大して動じていなかった会長とは違い、教室内の異様な様子に目を白黒させている。
入り口にかかっている『2-C』と印字されたプレートを見返しては、
留学しているはずの前生徒会長の存在や燃え尽きて真っ白になっている現生徒会長、他にも大半が隅に寄せられている机等を不審に思い、
戸の辺りで野次馬をしていた奴に何があったのか尋ねているが、どいつも堅く口を噤んでしまう。
要領を得ないまま、それでも場を落ち着けようと手を叩き
「と、とりあえずみんな席に着いてねー」
独身は担任としての責務を果たそうと懸命に呼びかける。
だが、誰もその場から動こうとしない。
それどころか教壇に立つ独身に今日は来ない方が・・・という視線を投げかけている。
表向き生徒間での問題による責任を負わされる苦労と、その裏に教え子にまで先を越された担任を哀れんで。
そんな目を向けられているとは露ほども思っていない担任は、言う事を聞かない生徒達に疑問と焦りを多大に感じたのか
わざとらしい咳払いや遅すぎる連絡事項を伝えては、なんとか教師らしく振舞おうとしていた。
それでも誰一人まともに取り合ってくれず、次第に本気で落ち込んできた独身だったが、何か思いついたのだろうか。
「あぁっ、そうそう」
手をパン! と合わせると、マジメな顔になる。
「みんなよく聞いて・・・先生ね・・・・・・とうとうやったわよぉっ! 幸せへの片道切符、お腹に宿っちゃいました!」
ポンポンと、軽く腹部を撫で摩る独身の突然の妊娠宣言。
よほど嬉しいのかやたらとハイテンションに月の物が来ないのを不安に思っていただとか、この歳で上がったなんて冗談じゃないだとか、
いつか買い置きしていたままだった検査薬を恐るおそる使ってみたらなんとビンゴでしたとか、恥ずかしい事を大層自慢気に話していく。
高校の、それも女教師がノリと勢いに任せて生徒に打ち明ける物としてはありえない類の話だが、本人は微塵も羞恥心を感じている様子は無く
嬉々として「でき婚よー、先生だってやる事やってんのよ」と生徒達に告げている。
一人、また一人と独身から目を離していき、ゆっくりと俺に注目が集まる。
睨み合いをしていた大河達も、言い争いを止めた木原と香椎も。
みんなが俺を見ている。視線恐怖症になりそうだ。なったことにして逃げ出したい。
「来るのが遅れちゃったのも、ぶっちゃけ昨日から五年間分のゼク○イ広げてたり、
ネットで式場とかいろいろ調べてたらいつの間にか出る時間過ぎちゃっててね」
年間購読でもしているのか。それも五年も前からって、25の頃からかよ。
リアルに焦りだすような年齢な気がして、一層生々しい。
それに計算したら、年12冊、丸五年としたら60冊にも及ぶ。
詳しい値段までは知らないが、大体一冊につき500円としたら・・・三万か。ばかにならないな。
「でもその甲斐あって『ここだ!』って思えたのも見つかったし、もう今日は有給使っちゃおうって思ってたんだけど、
先生みんなに教えてあげたくなっちゃって」
自慢したくなったというのが本音なんだろうな。
チラチラ目配せをしている独身は、早いとこ誰かに『相手はどんな人?』と質問されたくてウズウズしている。
どうせ本当に教える気はないのに、引っ張って引っ張って自慢したくて堪らないんだろう・・・ほ、本気で名前を出したりはしないよな?
いや、まだ100%俺だって決まった訳じゃ・・・
「ねぇ三十路相手って誰よ」
大河が確認を取りに行った。
棒読みで、敢えて独身が聞き過ごさないように一部の単語を強調して。
それも『相手ってどんな人』なんてもんじゃなくて『誰』というストレートで。
「知りたい? 逢坂さん知りたい? んもぉ、しょうがないわね〜・・・じゃあ、少〜しだけよ」
「いいから早く教えなさいよババァ」
「えっと〜詳しくは教えられないんだけど、歳は下でね、学校関係者の人でー」
「ふ〜〜〜〜〜ん・・・学年は? クラスは? ていうかそいつこの教室に居るんじゃないの? ほら、目つきのわっるぅ〜い誰かとか・・・」
「っ・・・あ、逢坂さんガッツキすぎよ〜・・・そんなに絞らなくったって、その内分かるんじゃないかしら」
ルンルン気分全開で大河の挑発を華麗にスルーしていた独身は、核心に近づいていくと途端にはぐらかした。
これ以上はさすがにマズイとでも思ったのか、話をぶった切って授業を始めようと準備しだす。
遅ぇよ、遅すぎる、手遅れだ。
既に大河達が手や首の関節を鳴らして準備を始めてる。
「どうせ高っちゃんだろ〜」
誰かがボソリと言ったのが聞こえた。
「ちっちちち違います!? 誰よ今憶測で物言った人、そういうのは先生だけじゃなくて高須くんにも迷惑なのよ!? ・・・ね、ねぇ高須くん?」
振ってどうするんだよ・・・
憶測で物を言われるよりも遥かに迷惑だ。
それにそんなバチンバチンとウインクしてこられても「バレてないわよね?」なんていうアイコンタクトは俺以外にも筒抜けになっている。
何の意味もない、どちらかといえば逆効果だ。
「「「「「「 ・・・・・・・・・ 」」」」」」
木原までが抱きついてきて、香椎と一緒になって俺の動きを拘束する。
それを確認した大河達がゆっくりとにじり寄ってくる。
ただでさえ困難だった逃走がより難しくなった。
もう不可能だろう。
「本当に違うからね? べべべ別に職員室で残業してる時に無理やりとか、そんなえっちぃ事なんて先生と高須くんはしてませんからね」
いらないダメ押しに、大河がダッシュに切り替えた。
速ぇ。それ以上に恐ぇ。
いち早く駆け寄ってきた大河は、足が竦んで一歩も動けない俺を素通りすると
「・・・・・・ん? 逢坂? 俺になにを」
ガシャ─────────ン!!!!
「・・・・・・・・・き・・・北村ああああああああああああ!?」
一本背負いで窓目掛け、北村を投げ飛ばした。
閉じこもっていた自分の世界から帰還したばかりの北村が、枠ごと窓ガラスを突き破って空中を舞う。
ガラスに反射した光がキラキラと北村を飾り立て、パァッと赤い花火まで咲いて・・・
それらは瞬く間に見えなくなったが、俺に手を伸ばす北村が目に焼きついて離れない。
「大河!? お前なんてこと・・・おい、何してんだ」
突然の大河の暴挙に、教室内は阿鼻叫喚さながらの様相を呈している。
あれだけ北村が痛めつけられようと、手乗りタイガーならこのくらいいつもの事、仕方ないとして大して驚きもしていなかった奴等も
まさかそこまでやるなんて・・・と、恐怖に慄いている。
抱きついていた香椎と木原も大河に怯え、櫛枝と川嶋の傍まで後ずさり、並んで汗を掻いて固まっている。
独身なんて教卓に手を入れて何かを探している。いくら漁ったってタイムマシンなんか出てこないだろ、覗いてみたってムダだ。
会長だけは目を細めて腕を組んだだけで、特に動揺している風には感じられない。本当にそうだとしたら余計に北村が哀れだ。
問題の大河はというと
「よいしょ、っと・・・ここに居るとろくでもないことしか起きないわ・・・行くわよ、竜児」
備え付けられていた備品のカーテンを引き裂いて繋げただけの即席ロープを作ると、それを俺に括りつけた。
もう一方の先端は適当に積んであった机に巻き付けて重し代わりにしている。
「・・・・・・何してんだって聞いてんだよ」
「なによ、心配してんの? 大丈夫よ、だいじょうぶ。絶対にお腹だけは守るから・・・竜児も守ってあげてよね、赤ちゃん。パパなんだから」
もういろんな意味で心配すぎて何から指摘すればいいのか分からないが、一番不吉な事を一つ上げると・・・
こんな時に、何故大河はおぶさってくるんだ。
「・・・そういう問題じゃなくてだな・・・」
これはあれだろうか。
飛べってのか?
こんなすぐに千切れちまうボロ切れだけを命綱にして、そこのまだ割れたばかりのガラスが所々残っている窓から、飛べっていうのか。
・・・もしかして、北村はただ窓をぶち破るためだけに・・・
「もぅ・・・私を信じなさいよ、竜児。あんたの一番の私を・・・きっと大丈夫だから」
一番・・・こ、ここでその話を蒸し返すのか・・・嫌な予感が
「「 ちょっと待ったぁ!! 」」
き、来た! 嫌な予感が地響きを立ててやって来た。
固まっていた櫛枝と川嶋が、付いていない決着を勝手に付けた大河を俺ごと取り押さえようと駆け寄ってくる。
「さぁ逃げ道は失くなったわよ、そこ意外にはね」
背中に乗っかっている大河が首を無理やり窓に向けさせた。
まさかこいつ、わざと・・・
「う・・・・・・・・・」
───後から思えば、この時の俺はどうかしていたとしか思えない。
普通だったら死ぬ危険だって十分考えられる、ケガは免れない高さから進んで落ちるなんて事、まずやらない。
大河も一緒なら、なおの事。
だから普通じゃなかったんだろう。
記憶も曖昧だ。
その曖昧な記憶で、断片的に思い出せるのは
背中に感じる大河と子供。
地面まであと半分という所で容易く破けた、見た目を裏切らない命綱。
重力に引かれ、背中から落下するのを寸での所で体勢を入れ替え───
「ぐえっ」
地面にしては柔らかい感触と、インコちゃんみたいな鳴き声を上げた北村の声と
「ありがとう、パパ・・・あとは私に任せてゆっくり休んでなさい」
暗くなっていく視界の中、大河の声を聞いたのを最後に、俺は意識を手放した。
309 174 ◆TNwhNl8TZY sage 2009/09/30(水) 23:10:04 ID:Ouh9ldyv
支援してくださった方、ありがとうございます。
やっぱり会長はやりすぎた・・・
↓13皿目での問題の一文
>これ、投げ出すつもりはないけど・・・夏までに終われればいいなぁ・・・
夏どころかディケイドも終わっているという始末(最初に投下したのがディケイド第一話放送前日)。
頭の悪い内容共々、色々な意味でごめんなさい。
次でおしまい。
おまけ
問 今回最も不幸なのは?
A・北村 B・北村 C・北村 D・裸族
「「「 ・・・・・・・・・ 」」」
目の前には、腕を組んで睨みつけてくる大河。
視線を少しズラして右を見れば、大河の隣にいる櫛枝が冷めた目でこっちを見下ろしている。
左を見れば、川嶋が腰に片手を当てながら豚でも見るようなキツイ視線をぶつけてくる。
早い話、大河達三人が囲みながら俺を見下ろしている。
教室のど真ん中で正座している俺を、それはもう穴が開くんじゃないかというくらい睨んでいる。
断っておくと、なにも正座の姿勢は強制されているわけじゃない。
川嶋と戻ってきた時点で、教室の中は酷い有様だった。
机なんていくつも吹っ飛ばされていたくらいだし、散乱している机に混じって春田が鼻血を噴いて倒れていた。
何があったかなんて考えたくもないが、この惨状を見れば口喧嘩程度で済まなかった事くらい嫌でも想像してしまう。
何故か当の二人は制服に埃一つ付けていなかったが。机の投げ合いでもしていたのか。
そんな教室の中で、ポッカリとスペースが空いている空間があった。
大河と櫛枝が睨み合っていた空間。
その場所で、誰に言われるでもなく体が勝手に正座の形をとった。
まぁそこまで歩かされたのは強制的になんだが・・・大河達による無言の圧力で。
「・・・・・・ぁ」
そんな状態が五分ほど経過した頃だろうか、意図せず声が漏れた。
喉が渇き切って掠れていて、自分でもえらく聞き取りづらい。
なにより、別に意味のある事を言おうとしたつもりじゃない。
「「「 な に ? 」」」
なのに、口から漏れたただけの俺の声に即座にハモリながら反応する三人の、その『ハモる』なんて可愛い表現の似つかわしくない
ドスの利いた低い声に、漏れた声すら引っ込んだ気がする。
正に針のむしろだ、本当に肌がチクチクしてきて痛ぇ。
チラリと見えた能登達の顔を見れば、自分がどんなにいたたまれない格好を晒しているのかを実感させられたのも痛い。
「・・・・・・な、なんでもありません・・・・・」
「「「 ・・・・・・チッ・・・・・・ 」」」
何で舌打ちまで同じタイミングで鳴らすんだよ、恐ぇよ。
敬語が拙かったのか、謝ったのが拙かったのか、それとも謝るだけで他に何も言わなかったのが拙かったのか、
何が拙かったのかは定かではないが、大河達の神経を逆撫でしてしまったのは間違いない。
とにかく空気が重い、尋常じゃないほど重いのに、それを更に重くしてしまった。
(ど、どうにかしてこの淀みきった空気を・・・じゃないと胃が握り潰されそうだ)
そうは思ってても、現実には口を開く事すら困難で、この状況で何をどう言えばいいってんだよ。
誰に何を言っても角が立つのは必死だ。誤字なんかじゃなく死に直結しそうな予感がしてならない。
最初に大河に話しかければ───ついさっきまで一緒だった川嶋が荒れそうだ。
なら川嶋に───大河が黙っちゃいないだろう、絶対に。
櫛枝だったら─── 一気に大河と川嶋の怒りが沸点を超えそうだ・・・こう、『ボンッ!』って感じに・・・これが一番危険じゃねぇか。
どうしたらいいんだ。
「・・・・・・あの」
「「「 な に ? 」」」
そもそも声を出した途端これだ。
一人ひとりどころか、三人いっぺんに話しかけるなんて以っての外だ。
「・・・・・・な、なんでもない・・・です・・・・・・」
敬語にならないように気をつけようとしたつもりだったのに、苛つきを増した大河達の声から言い知れぬ恐怖を感じると、
自然と語尾に余計な一言を付け加えてしまった。
すると
「チッ・・・・・・」
「・・・チッ・・・」
「・・・・・・チッ」
今度はそれぞれ微妙にタイミングをズラした舌打ちをされた。
おまけに睨みが更にキツクなった。
角度がつき過ぎて、直角になりそうなほど目を吊り上げる大河の睨みも、
底冷えするような能面顔で睨む櫛枝も、素の状態だったらさすがにしないような顔でガンを飛ばしてくる川嶋も、
どれも正視に堪えられるもんじゃない。っていうか正視したくない。
あんな顔を見続けるくらいなら、気の済むまで殴られた方がまだ・・・気の済むまで? いつ済むんだ。
大河達の気が済む頃には、俺は死んでいるかもしれない。
死に顔は元の顔の判別も付かないほど原型を留めていないか、悩みの種である強面に磨きがかかるかの二通りだろう。
(いや、殴殺なんて面倒な事しなくても、包丁でサクっと刺した方が楽じゃ・・・現実味がありすぎじゃねぇかそれ・・・
ま、まさかさすがにそこまでは・・・・・・否定できる根拠が見当たらねぇ・・・)
否定したくとも、否定するにはあまりにも明瞭に、かつ簡単に予想できる未来に怯えて縮こまる俺に向かって
「・・・・・・いい加減顔上げなさいよ、駄犬」
俯く俺には周りの様子は足元くらいしか把握できない。
だから、たまに漏れる声に反応する大河達と流れ落ちていく汗以外は、時間が止まってしまったんじゃないかと思っていた。割と本気で。
大河も櫛枝も川嶋も微動だにせず、それを取り囲んで見ているだろう能登を始め、クラスの連中も息を潜めている。
春田なんて息の根を止めていそうだ。
周りが異様なほど静かなのに、不整脈かと疑いたくなるほど不規則に暴れる心臓の音も、荒い筈の自分の息も聞こえない。
そんな中、今まで示し合わせたように三人一緒に単語を口にするか舌打ちをする以外は無言でいた大河が、
初めて自分の方から話しかけてきた。
「・・・・・・・・・」
素直に顔を上げた方がいい。
頭では分かってる。考えるまでもない。
なのに、体は言う事を聞かずに土下座と見間違うほど頭を下げて、正座している姿勢からピクリとも動かない。
「・・・・・・聞こえなかったの、竜児・・・顔 を 上 げ な さ い」
焦れた大河にもう一度言われると、バネ仕掛けのオモチャみたいに勢いよく背筋が伸びた。
意思とは無関係に動いたのは言うまでもない。
だが、それでも目だけは大河に向けられない。
どうしてもあらぬ方向に逸らしてしまう。
「・・・・・・こっちを見ろっつってんのがわかんないのね、あんたは」
「しょうがないわね」と。
続く言葉が耳に届いた時には、既に大河に胸倉を捕まれていた。
「ぐっ・・・・・・・・・」
息ができない。
息が詰まるようなとか、そんな比喩表現なんかじゃなくて本気で息ができない。
両手で制服の襟首をキツく締め上げられ、膝立ちになるまで持ち上げられる。
振りほどこうにも、こんな時でも体は石みたいに固まっていて指一本動かせない。
何に対してか分からない後ろめたさや、周りの目だけじゃない。
息苦しさでチカチカと点滅する視界いっぱいに、真剣な表情をした大河が映っているから。
「いい? これから聞くことに正直に答えなさい。
嘘吐いたり、はぐらかそうとしたらただじゃおかないわよ。わかったわね」
目が合うと、すかさず触れる寸前まで顔を近づけてきた大河。
その迫力に押されて、息苦しいのも忘れて我武者羅に首を縦に振って了解の意を示すと、パッと首を締め上げる力を解かれた。
バランスを崩して床に尻餅をつき咽こむ俺に、腰に手を当てて仁王立ちしている大河は深く息を吸い込み
「みのりんとばかちーが言ってたのは・・・・・・っ・・・」
抑揚をつけないようにしながら
「・・・・・・ホント、なの・・・・・・」
だけど最後には搾り出すような声色で、簡潔にそれだけを聞いてくる。
それ以上は何も言わない。
言わないが
「・・・・・・・・・」
見上げる俺の目を、大河は射抜くように真っ直ぐ見つめている。
これがいつもの大河だったら、その目の奥で「白状しないと殺す。白状してもその後で殺す」と、どっちに転んでも痛い目に遭わせると
脅しをかけてきている。そっちの方が全然気が楽だ。
少なくとも今みたいな泣きそうな顔をされるよりも、殴られようが蹴られようが、怒った顔をされている方がよっぽどマシだ。
そんな顔をしている大河を、更に悲しませるって知ってて首を振る。
「そう・・・なんだ・・・・・・」
無言の返事に対してそれだけ言うと、大河は屈んだ。
床に腰を下ろす俺の顔を正面から見据えると、おもむろに両手を頬に添える。
(・・・い、いよいよか・・・)
死刑執行という四文字が、俺の前に聳え立っている。
この体勢なら、おそらく片手を頬に添えたままでの平手打ちか、目一杯握り込んだ拳でのパンチか。
いや、両手で頭を固定しているから頭突きかもしれない。
なんでもいい、何が来ようと避けるようなマネだけは死んでもするな。
勝手に浮きそうになる腰に、これ以上無様な姿を晒すものかと渾身の力と、なけなしのプライドを込める。
いつ何が来ても耐えられるよう、奥歯だけはさっきから喰いしばっている。
準備万端、これ以上ないほど情けなくて最悪な人生の終わり方だが、ここで避けようものなら最悪の上に最低だ。
そして待つ事数秒。
「ねぇ」
櫛枝と川嶋を始め、固唾を呑んで見守っていた周りの緊張がピークに達した時、大河が口を開いた。
「当然私が一番よね。そうでしょ、竜児」
「・・・そ・・・・・・は? えと・・・た、大河? それは、あの・・・どういう・・・・・・」
質問の意図が全く掴めない。
一番? 一番って何のだ? 何の順番だよ?
思いもよらない・・・いや、大体この状況で誰がこんな事を聞かれると予想できるんだ。
俺の中ではギタギタにされた後、頭を地べたに擦り付けるほどの土下座を経てまた大河達に───そこまで考えていた。
なのに大河は俺を打つでもなく、殴るでもなく、頭突くでもなく、至って大真面目な顔をして、何についてかは今一掴みかねるが、
自分が一番だろうと問うてくる。
訳が分からないし、混乱しているのはどうも俺だけじゃなさそうだ。
意識を周りに向けると、そこかしこがざわついている。
教室中に張り詰めていた緊張の糸が、大河の一言で一気に切れてしまっていた。
「・・・・・・?」
ふと、そういえば今まで三つあったはずのプレッシャーが消えている事に気付いた。
あれだけ押し潰されそうだったのに、今は微塵も感じない。
大河は目線をビタリと合わせたままだが、さっきほど強烈な目つきをしてはいない。
それどころか妙に勝ち誇ったような笑みを浮かべていて、張り詰めている感じは全くしない。
「・・・・・・───っ!?!?」
そーっと、大河に気をつけながら左右を見てみた瞬間、俺は後悔と恐怖で凍りついた。
「・・・・・・・・・」
「チッチッチッチッチッチッチッチッ・・・・・・」
櫛枝・・・一体どうしたんだよ、その顔・・・青筋が今にもはち切れて、血が噴出しそうなほど浮かび上がってるじゃないか。
それに青筋なのに全然青くない、どちらかと言えば紫に近いような赤い色をしてるぞ。
川嶋もなんでそんなに舌打ちを連発し・・・きょ、教室の床にツバを吐くのはさすがにマズイんじゃないのか。
ほら、周りの男子達がうわぁって・・・そいつらに向けて飛ばすなよ!?
「早くしなさいよ。今言った通り嘘偽りなく、あんたにとって誰が一番か正直にね。
ま、答えなんて聞かなくてもわかってるけど」
フンッと、櫛枝と川嶋を一瞥した大河が鼻で笑った。
ビキィッッッ!!!
どうしてプレッシャーが消えたのか分かった。
的が俺から大河に変わった事と、俺が知覚できる限界を超えていたからだ。
その証拠に櫛枝と川嶋はもう俺を見ていない、俺の対面にいる大河を鬼も裸足で逃げ出すんじゃないかというくらいキツく睨んでいる。
そんな視線で睨まれているのに、何食わぬ顔をしている大河が信じられない。
俺だったら物の二秒もあれば舌を噛み切って楽になる方を選ぶ。
あれだけ耐え切れないと思っていた三人からの重圧は、あれでもまだ全力じゃなかったのか。
二人が大河に矛先を向けているおかげで俺の方に若干の余裕が戻ってきた事はいいが、状況は刻々と悪くなっていく。
黙っていると再度焦れた大河に何をされるか分からないし、口を開けばあの状態の櫛枝と川嶋の注意を自分に向けてしまう。
どっちかと言えば後者の方が嫌だが、かと言っていつまでもこのままではいられない。
頬に添える程度だった大河の手は、今や爪が肌にめり込むところまできている。
堪え性の無い大河のことだ、いつ痺れを切らしてもおかしくない。
早く何か良い考えを思いつかないと
「・・・・・・ちょっと・・・黙ってないで、早く言いなさいよ。
答えは一つしかないじゃない、それぐらいはわかってるわよね? ・・・わかってるわよねぇ!? 竜児ぃっ!!」
って、もうキレやがったのか!? はや・・・・・・ハッ!? せ、背中に悪寒が・・・汗まで・・・・・・・・・
「よしなって大河、そうやって無理やり言わせてもしょうがないじゃん。ねー高須くん。大河ったらおっかないんだからー・・・
・・・けどなー、できれば私も知りたいから教えてほしいなぁ、一番。あっ無理にとは言わないんだけど是非にね、是非ともね」
くっ付くんじゃないかと思うほど顔を近づけて怒鳴り散らす大河からなんとか目線を動かすと
そこにはギギギギと音が鳴ってそうな、不自然な動きでこっちを向く櫛枝がいた。
その顔には一見いつもと同じにこやかな笑顔が浮かんでいるが、よく見るとどこかおかしい。
まず目が笑ってないし、まるでどこかの誰かのように貼り付けたような、作ったような、そんな顔をしている。
薄っすらと浮かんでいる青筋も心なしかビクビクと震えているように見えるし、
微妙に言ってる事も支離滅裂なのが不気味さに拍車をかけている。
間違いなく、櫛枝は相当溜め込んでいる。
「高須くんさぁ、もう言っちゃいなよ。こいつらに遠慮しないでいいからね? 調子にのってつけ上がられても困るし、
そういう連中って亜美ちゃん掃いて捨てるほど見てきたけど、大体どいつも人の男寝取りやがるような奴ばっかだから。こいつらみたいに」
どこかの誰かを見てみれば、櫛枝よりも数段年季の入った作り笑顔を既にバッチリ顔に貼り付けていた。
軽くはにかみながら、とても抉るようなメンチを切り、教室内でツバを吐き散していた女と同一人物とは思えない清楚さを振り撒いている。
が、口から出てくる物からは清楚さなんて欠片も感じられない。
説得力も半端じゃない。
何をドコで見聞きしてきたかなんて俺には知る由も無いが、生々しい事を臆面も無く言えてしまう辺り、
繕った川嶋とも、恐らく素だと思う川嶋とも違う、別の川嶋の一面を垣間見た気がした。
(・・・・・・ど、どうすれば・・・・・・)
完全に三人の注意が俺に向けられている。
そこまではさっきと同じだが、振り出しに戻ったのではなく追い詰められた。
気配で分かる。
「・・・ふーん・・・物好きなのね、二人とも。結果なんてわかりきってるのに・・・ま、いいけど・・・」
メキメキと音が鳴るまで挟み込んでいた俺の頭から手を離した大河は、手招きして二人を自分の横に立たせる。
「聞いて、竜児・・・私は竜児と、赤ちゃんだけでいい。それだけで幸せなの、他になんにもいらない、だから・・・
・・・私の前からいなくならないで・・・いなくなっちゃやだ・・・竜児と一緒じゃなきゃ、やだ・・・」
「高須くん、外野の声は気にしないでいいよ。大事なのはお互いの気持ちなんだからさ・・・私はそれを信じてるよ」
「テメェら泣くんだったらトイレにでも行ってからにしてよ、亜美ちゃんがイジめたとか思われたらマジ最悪だから。
でもぉ、高須くんは亜美ちゃんにそんなことさせないよね・・・ね?」
一列に並んだのを各々が確認すると、ついでに火花を散らしながらお互いを見やり、予め決めていたように大河達が一斉に手を差し出してくる。
多分、この手を取った相手が一番なのだろう。
俺にどうしろと?
大河は『俺にとって』の一番を決めろと言った。
それはこの三人の中からで、三人の内一人の手を取れば、それが一番になるんだろう。
二番や三番には何の意味もない、一番だけが決定する。
俺の一番を、俺が・・・・・・
今更な事かもしれないが、この険悪な空間を作り出したのは本当に俺が原因なのか。
目の前で繰り広げられるいわゆる『女の戦い』の原因が───信じられん。
大河達のあの真剣な告白を疑うつもりなんてないが、こんな状況じゃあ・・・せめて時間が欲しい。
どこかで物事をキチンと整理できるような時間を、できれば一人で。
(そのために、誰でもいいからこの場をなんとかしてくれ・・・この際悪魔でもいい、だから)
どうにかしてくれ。
そんな俺の、心からの願いが天に届いたのか。
ガラリ
いつもなら、既に一限目は始まっている。
なのに、何でこいつがこんな時間にやってくるのか。
だが、そんな事は問題じゃあない。
俺には教室に入ってきたそいつが尻尾を生やした悪魔よりも、頭に輪っかを乗せた天の使いに見えた。
「遅れてすみませ・・・そんなところで何をしてるんだ高須。亜美達も一緒になって」
教室に入ってきたのは北村だった。
訂正しよう、こいつは天の使いなんかじゃない。
なんてったって大明神、すなわち神様だ。直々に降りてきやがった。
「それに何があったんだ、教室の中がメチャクチャじゃないか。
もう授業じゃ・・・まだなのか? ・・・よし、なら今の内に手分けして片付けよう、皆でやればすぐだ」
北村は目の前の惨状に気が付くと持ち前のリーダーシップと抜群の空気の読めなさを発揮し、教室中から向けられる冷めた視線を
意にも介さないで、率先して机を起こしていく。
大河も櫛枝も川嶋も、北村のマイペースっぷりにいくらか毒気と熱気を散らされたようだ。
何度目かの舌打ちと共に、突き出されていた手が引っ込む。
それでも視線は俺に突き刺さったままの予断ならない状態だが、今、即決断を迫られるよりは余程いいだろう。
もし万が一北村教なるものがあったら俺は入信してもいい。
こいつはただの失恋大明神じゃあない、俺にとっては救いのヒーローだ。
そのまま上手い事この状況をぶっ壊してくれ。
「おい北村」
・・・なんだろう、救いのヒーローがいきなり手の平を返したような・・・
ついでに今日一番の警鐘が頭の中で鳴り響いている気がする。
何故だ。
「ああ、すいません会長。急いで片付けるんで、少しだけ待っててもらえませんか」
なんだその弾んだ声は、それに何を言ってるんだ北村? 会長はお前だろう。
大橋高校で基本的に教師、生徒問わず会長と呼ばれているのは北村だけだ。
北村が生徒会長なんだから当然だ・・・だが・・・以前にも、当然生徒会長は存在した訳で。
そして北村が会長と呼ぶ人物なんて、俺には一人しか思い浮かばない。
「時間がねぇって言ってんだろ、勝手に入らせてもらうぞ・・・それに・・・用ならもう殆ど済んだようなもんだからな」
聞いてるこっちが何故か背筋が凍るようなセリフを投げつけながら、聞き覚えのある声の主は教室内に足を踏み入れた。
その人物が同じ空間にいるだけで、クラスの連中が様々な反応をしている。
ある者は驚きに息を飲み、またある者は道を開け、別の者はその姿をケータイに収めようとして北村に張り倒されている。
背中を向けている俺でも、分かりやすいほど分かりやすいリアクションと断末魔が聞こえてくるために把握できてしまう。
「・・・その、なんだ・・・久しぶりだな、どうだ調子は」
真っ直ぐこちらに向かってきたらしく、声の主は五秒も経たずに俺の背後に立つ。
この人にとっては教室の異様な状況も、女子生徒三人を前にして床に腰を下ろしている俺の現在の格好も関係ないのか。
しかも何でそんなセリフを投げかけてくるんだ。
ちょっと恥じらいが含まれてるのが似合ってないとか、そんなことよりもよっぽど気になる。
(俺、会長・・・狩野会長とはろくすっぽ話した覚えなんてないんですけど・・・)
「「「 べ つ に 」」」
おそらく俺に向かって放たれただろう挨拶を、またも声を揃えた大河達が間髪入れずに返した。
だが、三人の視線は一身に俺に注がれている。
どういう事だ、と込めて。
言っても信じてもらえそうにないが、俺が一番困惑しているのに説明なんてできるはずがない。
「・・・耳に消しカスでも詰まってんのか? お前らに聞いちゃいねぇよ、いっぺん鼓膜に穴でも空けてきやがれ。
私が用があるのは・・・竜児だけだ」
ポン、と。
悪態を吐いた会長に肩を叩かれって名指しでご氏名!? しかも下で!?!?
「っ!? 顔出すなり人のモンに馴れ馴れしくしてんじゃないわよ! 前々からアンタのそういう所が大っ嫌いなのよ!
てゆーかアメリカ行ったんじゃなかったの!? 何しに帰ってきたのよ!? あと人のモンに気安く触んな!」
即座に大河が反応した。
後半の事は俺も聞きたかった事だが、それにしても機関銃のように一息で叫びきる大河の顔は怒りで真っ赤だ。
他の二人も・・・? いや、何だろう、予想に反してその表情は凍り付いている。
「名前で呼んだ名前で呼んだ名前で呼んだ名前で呼んだ名前で呼んだ名前で呼んだ名前で呼んだ名前で呼んだ名前で呼んだ・・・」
「・・・た、タイガーはともかく、こいつにまで・・・」
二人だけじゃない、こいつも少なからず衝撃を受けている。
「か、会長? 用事って、高須にだったんですか? なら俺に言ってくれれば・・・いえ、決してご自宅までお迎えに上がるのが面倒だったとか
そんなんじゃないんです。むしろ願ってもないんですが・・・何故高須に・・・それにどうしてし、ししし、下で・・・」
お前はどれだけこの人に振り回されてるんだ。
いくらなんでもその程度の理由で遅刻するなよ、仮にも現生徒会長だろう。
完全に私事優先じゃないか。
「ああ、ご苦労だったな北村。今日はもう帰っていいぞ」
そんな北村に、会長は突き放すように非情な言葉を浴びせた。
北村は突然の会長の帰国に途惑いながらも胸を高鳴らせていたはずだ。
それが会長の一言で戸惑いが困惑に代わり、高鳴っていた胸は別の意味で早鐘を打っているだろう。
目以外の顔の穴という穴から水を流しまくる北村を見れば一目で分かる。
その目元にしても、メガネに当たる光を反射させるという力技で隠していて、レンズの下がどうなっているのかは北村にしか分からない。
「相変わらずの厳しさ・・・それでこそ会長だ、ハッハッハ・・・」
辛い現実に打ちひしがれる北村は、それでもせっせと机を起こしていく。
誰の手も借りずノロノロとした動作で、黙々と。
まるで存在理由をそれだけに見出してるようで見ていて辛い。
見かねて手を貸そうと動き出した生徒もいたが、北村自身に止められて踏み出す足を止めた。
「私たちも帰るぞ。昼までには家に着かないと印象が悪い。
親子関係を良好に保つにはそれなりに努力が必要だ。身支度と荷造りの時間くらいはやるから早く立て」
「え・・・ちょ、ちょっと・・・」
不吉なワードを目一杯散りばめ、早口に捲くし立てた会長が、俺を外まで引きずろうと制服の襟首を掴んだ。
大河とタイマンを張っても引けを取らない上、完璧超人の名を冠しても違和感のない会長の事だ、俺如きが抵抗を試みても徒労に終わる。
成す術もなく、訳を聞く暇もなく、俺は会長に連行される。
「待ちなさいよ」
「・・・ぁあ?」
そう半ば諦めていたが、俺の襟首を掴む会長の腕を、更に大河が掴んだ。
苛だたしげなセリフと共に会長の歩みが止まる。
「シカトしてんじゃないわよ、人の話はちゃんと聞けって習わなかったの? それとも日本語忘れちゃったのかしら」
「あんな一通なだけの喚き声が人の話だ? 本当に高等教育受けてんのかよ、小学生みたいなナリしやがって」
大河の挑発を軽く聞き流した会長は、即座に大河の癇に障るところを鷲掴みにして握り潰した。
「こんのっ・・・!」
「待て、待てって大河! 落ち着け!」
コンプレックスを的確に刺激された大河は余裕を繕っていた顔を一変させて、会長に殴りかかろうとする。
首根っこを引っ張る力が強まるが、無視して大河に抱きついた。
このままじゃあ殴り合いが始まる、それだけは阻止したい。
その一心で飛びついた、が
「ちょ、ちょっと、やめてよこんなとこで・・・みんな見てるでしょ・・・そ、そういうのはね、帰ってからで・・・
もぅ、しょうがないんだから・・・」
俺の咄嗟の行動をどう取ったんだ・・・俺は大河をどうこうする気も、ましてや周りに当てつけようとするつもりもねぇよ。
そうじゃなくて、大河は今
「おい・・・身重の私を差し置いてまで、そいつの方が大切なのか・・・?」
そう、大河は身重の会長だから、二人一緒に安静にしてなきゃ・・・
「・・・・・・はい?」
「っ!? ・・・・・・・・・」
襟首から手を離した会長が、そのままヨロヨロと後ずさった。
ひょっとして、今の返事を肯定と取ったんじゃ・・・いや、それ以前に身重って・・・誰が?
会長が? ・・・会長『も』?
あぁ、それを言うためにわざわざ帰国したのか。
突然現れた理由は分かった。
流れ的にも会長の発言からもそんな気はしてた。
(見に覚えのないどころかほぼ接点のない会長にどうしたってんだよ俺・・・)
「ね、ねぇ・・・」
うな垂れていると、大河に肩を叩かれた。
自然と下がっていた顔を上げると
「な・・・・・・」
会長の顔を見て絶句した。
あの会長が、薄っすらとはいえ目に涙を溜めて───!?
「・・・竜児、あいつになにしたのよ・・・」
大河も驚いている。
大河だけじゃない、櫛枝も川嶋も、他の連中だってそうだ。
北村に至っては体中から生気が漏れ出して抜け殻みたいになっている。
無理もない、あれだけ男らしい会長が人前で涙を見せるなんて、とてもじゃないが信じられない。
「私のことは・・・遊びだったのか・・・・・・? 」
(遊びだろうと本気だろうと会長に手を出す奴なんてそうそういる訳・・・そ、そんな目で俺を見ないで・・・)
こんな女々しい事を言っている事も信じられない。
しかも本格的に泣き出しそうだ。あの会長が、だ。
涙を溜めた目で、それでも気丈に大河を睨・・・もうとして、その大河に抱きついている俺を見ては目を逸らす。
あまりにも会長の様子が衝撃的で離れるのを忘れていたが、俺は大河に抱きついているままだった。
これは変な気を起こした訳じゃなく、殴りかかろうとしていた大河を止めるためにしただけだが
その抱きついている俺の頭を、大河は両手で抱えて離そうとしない。
おかげで誰がどう見ても抱き合っているようにしか見えない。
会長は極力大河を視界に入れたくないのか、中途半端に顔を俯けて俺に視線を合わせてくる。
潤んだ瞳に紅潮した頬、見ようによっては上目遣いに見えなくもない仕草に、最早男らしさなんて欠片も残っていない。
『狩野の兄貴の方』なんて呼ばれていたのが嘘のようだ。
「なぁ・・・なんとか言ったらどうなんだ、りゅう」
「しつこいわね、この格好見りゃわかるでしょ」
会長からの問いかけは、大河によって遮られた。
片手でギュッと制服に埋まるほど俺の頭を腹に押し付けると、
シッシと、犬でも追い払うみたいに空いた方の手をプラプラと振って会長に追い討ちまでかけている。
そんな大河に、とうとう会長の堪忍袋の緒が切れた。
「・・・テメェはさっきからなんなんだ・・・私は竜児に用があって、竜児と話してんだ。部外者がシャシャってんじゃねぇよ」
数歩前に出ると、ゴツッと硬い音を立てて大河の額に自分の額を押し付けた会長が、グイグイと力任せに大河を押していく。
「あんたこそ竜児のなによ・・・大体竜児竜児って、誰の許可取って呼び捨てにしてんのよ。他人が気安く呼んでいいと思ってんの」
負けじと大河も会長を押し返そうと体中に力を入れる。
脇に挟まれている俺の頭蓋骨が、圧迫感に耐えかねて悲鳴を上げるが
「そんなんで他人ってーのは聞き捨てならないよ。一体誰が許可出してんのかな、大河とか言ったら殴るよ?」
「呼び方程度で得意気になるとかバッカじゃねーの? 見かけだけじゃなくて人としても超ちっせーんじゃね」
大河の不用意な一言に、一歩引いて様子を見ていた二人が反応した。
俺を締め上げる力が緩む。
櫛枝と川嶋、更には押し合い真っ最中の会長と、いっぺんに相手にするのは不利だと野性の勘が働いたのか、
俺から手を離し、悔しそうに後ずさっていく大河。
それでも俺を連れ出そうと手を伸ばした会長への威嚇は忘れていない。
「おい・・・そいつらもなのか・・・?」
と、大河だけだと思っていた会長が、割り込んできた二人をアゴで指しながら聞いてきた。
返答に困っていると、櫛枝からも川嶋からも睨まれる。
俺は小さく頷く事で肯定の意を示した。
「ほぅ・・・」
会長の目が怪しく光る。
片方の眉だけ器用に吊り上げ、垂らしていた腕を胸の前で組むと、それだけで一気に威圧的な態度に変わった。
先ほどまで纏っていた女性らしさが引っ込み、男性ホルモンをジョッキで一気飲みしてきたような男らしさを全身から振り撒いている。
後日、この頃には意識を回復させていた春田は能登にこう洩らしていたらしい。
大橋高校に狩野の兄貴が帰ってきた瞬間だった、と。
「私がいない間、随分とハメを外していたようだな。なぁおい」
「いっいや、その」
「・・・まぁいい」
言い訳のしようがない。
だって言い訳しようにも、俺は会長相手に操を立てておくような事は言ってない・・・はず・・・クソ、自信が無い。
「放っておいた私にだって責任はある。お前がキチンと誠意を見せてくれさえすれば、今回だけは目を瞑ってやる」
なんという亭主関白ぶりだろう、俺が不貞を働いた嫁だったら心から改心して一生ついていく。
だが、俺は不貞を働いたつもりもないし、そもそも嫁になった覚えもないし、嫁になんかひっくり返ってもなれやしない。
それに会長の言う誠意というのも疑問だ。
金銭を要求している訳じゃないだろうし、何をもって俺の誠意の証とやらを認めてくれるんだろう。
「まずは・・・あ、あの時みたいに私を抱きしめろ」
仁王立ちのままそっぽを向いた会長が、またもや乙女じみた事を言う。
あの時がどの時だかは分からないが、今この時、この場でというのは聞かなくても分かる。
大河達の目の前で。そうじゃなければ意味がない。
会長からすれば俺の誠意を試してるんだから。
「今日のところはそれでいい・・・だ、だめか?」
男性ホルモンが薄れてきているのか、命令しているのに何故かお願いになってる。
しかも『まずは』って、『今日のところ』って、ひょっとしてこれからもあるのか?
まさか一生をかけて誠意を見せろなんて言わないだろうな。
考えると会長なら本気で言い出しそうで、ちょっとだけ背筋に冷たい物が流れた。
「そんなヤツの言うことなんか聞く必要ないわよ」
大河?
「だって竜児、言ってたじゃない」
俯いて顔を隠し、スカートの前に手を置いた大河。
モジモジと指を絡めたり離したりをしていると、意を決したのか
「その・・・わ、私ん家のベッドで、私のこといっぱいギュってしてくれて・・・好きだって・・・ずっとこうしてたいって・・・
赤ちゃんができたあの時にそう・・・だから、だから・・・あ、あああ、あんたが抱きしめていいのは私だけなんだからね!」
赤く染まった顔を勢いよく上げた大河が宣言でもするように、指まで差してそう言った。
辺りがシンと静まり返り、言い切った後に込み上げてきたんだろう恥ずかしさに大河がプルプル震えている。
が、俺を指差すポーズは変わらない。
前言を撤回する気なんてさらさら無いという意思の表れのようだ。
大河の言うあの時は分かる。
昨晩、俺が事の真相を聞きに行こうとしたのをプロポーズしに来たもんだと勘違いしていた大河が話していた事と所々一致するから
多分その時の事を言ってるんだと思う。
「私にも言ってくれたよ、好きだって」
スーッと、静かな教室の中に櫛枝の言葉が広がっていく。
「練習が終わった後、二人っきりの部室で。言いたかったけど、今まで言えなかったって・・・高須くん、そう言って抱きしめてくれたよね。
・・・ま、まぁ〜さすがに部室の床でってーのはちょっと・・・けど、イヤじゃなかったんだよ、私。むしろ嬉しかったもん」
恥ずかしい話、そんな事を妄想した事はあった。
それも一度や二度じゃない。
でも実際に行動に起こそうとする根性なんて俺にはない。あってもまずは普通に会話するところから始めている。
絶句していると、ソフトボール部、とりわけ女子部員が湧き出した。
自分達が普段何気なく使っていた部室でそんな事があったと言われればさすがに黙ってはいられないのは分かるが、
やたらとキャーキャーという黄色い声が多いし、中には櫛枝を応援している者や詳細を聞こうとしている者まで出てきた。
どうやら部室でというシチュエーションに大いにツボったらしい。
櫛枝自身が後ろ指を指されるような流れとは無縁で安心する反面、「照れるぜ〜」と頭を掻きながら女子数人に耳打ちをして
盛り上がっている様子にメチャクチャ不安感を煽られる。
たまに俺を見ては「ウソー」とか「高須くんだいたーん」とか飛ばしてくる度に不安で堪らない。
何をしていたかなんて俺が知りたい。
「放課後、自販機の前」
ピタっと、語りだした川嶋によってまたも教室が静まり返った。
「あたしを背中から抱いて離さなかった高須くんの告白は、きっと一生忘れないわ。その・・・ば、場所が場所だけに尚更ね。
・・・亜美ちゃんがあんな恥ずかしい思いをガマンしたのって、高須くんだからよ? これからだって・・・」
だけどそれも束の間、一気に騒がしくなる。
一部の男子生徒が奇声を上げて自販機目指して教室から飛び出していくのを、残った自制心の強固な奴等は羨望と侮蔑を半々の割合で見送った。
今ごろ行ったとしてもそこに何がある訳でもないのに、何があいつらをそこまで駆り立てるんだ。
言うまでもないが女子は例外なく、皆一様に出て行った男子達の存在を記憶から忘却した。
あいつらは明日から名前じゃなくて変態の二文字で呼ばれることだろう、一時の感情に身を任せたばっかりにまだ一年は余裕で続く
高校生活を自分から棒に振ったんだから当然といえば当然だが。
幸いにも能登というストッパーのおかげで変態の仲間入りを避ける事ができたはずの春田も、大汗を掻きながら白い目を向ける女子達に
弁解を始めているが、取り押さえる能登を跳ね除けようともがいている場面をバッチリ見られていたため誰も耳を貸してくれない上に
変態予備軍のアホという烙印を押されていて、こんな事なら一時の感情に身を任せていても同じだったかもしれない。
どいつも自業自得としか言い様がない。
「さっきから聞いてりゃ、なに言ってやがんだお前ら」
今度は会長。
「そいつはうちの親にも気に入られてんだよ。
陳列だのを買って出るどころか地上げ屋まで追っ払った、今どき珍しい男気のある奴だってな」
かのう屋はよく利用する。つい気になって、雑に並べられていた商品を勝手ながら整頓したこともある。
会長の言う地上げ屋だと思わしき連中に出くわした事も。
だけどあの時俺はただ、店の商品に難癖をつけてた男達の近くに立ってただけだ。
騒ぎが広がる前にそこにやってきた会長が、口八丁手八丁で俺をかのう屋側の人間だとそいつらに錯覚させていた。
要はたまたま居合わせた俺を利用して、会長が言葉巧みに地上げ屋を追い返したんじゃないか。
・・・あれ、でもあの後・・・上機嫌な会長に無理やり家の中へと上げられて、それから・・・それから・・・・・・
お、思い出せない・・・俺はどうやって家まで帰ってきたんだ・・・
「フンッ、あんたこそなに言ってんのよ。私なんて家族同然・・・うぅん、家族なのよ?
竜児だって、竜児のママだって私を家族だって言ってくれてる。これ以上の親公認が他にあるのかしら? あったら見てみたいもんだわ」
「「 ぐっ・・・・・・ 」」
「それに・・・竜児、してくれたもん・・・・・・プロポーズ・・・私もそれに『はい』って・・・・・・」
「「 ぐぬぬっ・・・・・・ 」」
櫛枝と川嶋がたじろぐ。
だんだんうっとりとした、夢見がちな顔になっていく大河は蚊ほども気にしないで昨晩あった出来事を話していく。
「あんなに幸せで、素敵な夜は二度目だったわ・・・竜児とも久々に一緒に寝られて・・・
りゅ、竜児ったら、まだ出ないのに私のおお、おっぱ・・・も、もう、なに言わせんのよ」
誰も言わせてねぇし、それは夢だ。
「なに余裕こいてんだ? そのアドバンテージを覆せばいいだけだろ、私にとっちゃ造作もねぇ。
今日にでも伺えばそれで十分だ。問題ねぇよな、竜児?」
それがどうしたという風に、会長が言う。
すると、大河に押され気味だった二人の目の色が変わった。
「高須くん、あとでお邪魔させてもらってもいい? いいよね? そうだ、なにもしないのもあれだからご飯とか作りに行こう。
なにがいいかなぁ〜ここはやっぱ肉じゃが? まぁいいや、いろいろ作るから楽しみにしてて」
「もしもし、ママ? 亜美ちゃんの一生のお願い! 今日都合つけてほしいんだけど・・・うん、そう、せめてお昼までには・・・は? ムリ?
なに聞いてんのよ、一生のお願いっつってんでしょ!? 言い訳なんていいからとっとと来てよね、じゃ・・・よし、こっちはいいよ高須くん」
「はぁっ!? な、なによそれぇ!? あんたたち、ヒトん家の迷惑とか考えなさいよ!」
「「「 私(あたし)は高須くん(竜児)に聞いてるんだけど(聞いてんだよ) 」」」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ・・・竜児! 竜児だって、勝手に『私達』の家に来られたら困るでしょ? そうよね? ね?」
バっと、ギラギラと輝く四対の瞳が向けられる。
各々の放つレーザーみたいな眼力で火を点けられそうだ。
「・・・・・・きゅ、急にそう言われても・・・・・・」
四面楚歌───こんな四字熟語を思い出した。
今の俺にはピッタリじゃないか。
大河達四人からすればそれぞれが紛う事なく敵で、自分の味方が俺という風に見えているのかもしれない。
とにかく四方向から追い詰められている事に変わりはない。
「・・・どういう事なんだ、高須・・・」
とうとう五方向目まで潰された。
途中から機械的に机を起こす作業を放棄して立ち尽くしていた北村。
顔から流れていた汗だの涎だのは止まっているし、抜け殻同然だった佇まいも正していて、いつもの北村と変わりなく見える。
「き・・・北村・・・?」
「高須・・・どういう事だと聞いているんだ!! 答えろ!」
が、声をかけた途端、落ち着いていると思った北村が爆発した。
生徒会長に就いて部活には顔を出さなくなったとはいえ、こちらまで駆け寄るその動きに衰えは感じられない。
教室という狭い空間は、俺に北村と距離を空けることも許さない。
だから、俺は振り上げられた北村の拳を───そう思っていた。
「あちょー」
だが
「グフゥッ!?」
一番近かった櫛枝が、北村と俺との間に飛び込んできた。
気の抜ける櫛枝の声に遅れて、北村が苦悶の表情と、次いで苦しげに息を吐き出す。
至近距離過ぎて櫛枝の頭しか見えなかった俺は、少しだけ首を動かして横から覗き込んでみる。
見れば、北村の右の脇っ腹に、櫛枝の左腕が突き刺さっていた。
「ダメだよ北村くん。暴力なんか何の解決にもならないよ」
正論だが、使い古されて穴の空いた鍋並に役に立たないセリフだ。
口にしている本人からして言ってる事とやってる事がちぐはぐなことからも、その役立たずっぷりが窺える。
「じゃ、じゃあこれは何なんだ・・・」
北村も同じような事を思っていたらしい。
脂汗が滲んだ顔に疑問を貼り付け、自身の腹にめり込む櫛枝の腕を見つめている。
「せーとーぼーえー、愛の代打バージョン」
代打・・・代わりに打つとは言い得て妙だ。
殴られそうになっていた俺の代わりに正当防衛として打った、と解釈していいのだろうが、
それにしても打つというよりは殴るという表現の方がピッタリな気がする。
「そんでもって、こっちは怒りのダウンスイングね」
「っ!? うおぉ!」
左手を北村の胴体に突き刺したまま、早くも正論をどこかにやった櫛枝が、逆の手を北村の顔面目掛けて突き出した。
両手を交差して頭を庇い、足も動かし、櫛枝の追撃を避けた北村だったが
「よっと」
今度は回り込んでいた川嶋によって、顎をカチ上げられた。
「グアッ!?」
屈んで待ち構えていたために本気で気付かなかったんだろう。
完全に不意を突かれた北村は、屈伸の要領で勢いよく立ち上がった川嶋の攻撃をモロに貰った。
よく見れば、川嶋の手には過剰なデコとストラップで元の機種すら分からないケータイが握られている。
あんな凶器みたいなケータイで殴られたのかよ。
それに今ので北村のヤツ舌でも噛んだか、口の中を切ったらしい。
開いたままの口から血が溢れ出ている。
「チ・・・ィイ・・・!」
それでも北村はそんな事物ともせずに、仰け反りそうになった体を両足に力を込めて踏ん張る。
さすが元ソフト部部長だ。
普通なら尻餅をついているところを堪えきったなんて、生半可な鍛え方じゃないんだろう。
それが仇となるって知っていたら、この先は違っていたかもしれない。
「バカね、祐作・・・今ので倒れときゃいいのに」
ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン
川嶋が言い切らない内に、鋭い風切り音が空気を劈く。
その風切り音は俺の背後から聞こえてきたと思ったら、横を駆け抜けていって───
「竜児にひどいことしないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!」
「なっ!? あ、逢坂ぁっ!?」
目一杯体を捩り、両手で握り締めた木刀を横に倒した八の字・・・∞の軌跡を描いて、大河が北村に突撃していく。
既に櫛枝からの脇腹への重い一撃に加え、足止めのためだろう川嶋による顎への一発を間を置かずに食らっていた北村は
飛び出してきた大河に反応できなかった。
そこから先は地獄絵図としか形容できない。
気付くのが遅れ、更には足に来ていた北村は避ける事はおろか防御する事もままならず、大河が動きを止めるまでひたすら
往復してくる木刀を一身に受け続けた。
右に左に、木刀が襲い来る度にサンドバッグを彷彿とさせて揺れる北村はまともに体を支える事もできず
何度も床に倒れそうになっていたからとっくに意識を失っていたはずだ。
だが、あと少しで倒れる事ができるところで、それは許さないとばかりに反対側から来た木刀が北村を無理やり起こす。
繰り返されるそれは、吹き飛ばされた北村の眼鏡が床に落ちた無機質な音を合図にしてようやく止まった・・・
「・・・強いって、なんなのかしらね、竜児」
荒くなった息を整え、手近にいた男子の制服で木刀に付着した赤い液体を拭った後に櫛枝と川嶋とハイタッチまで決めた大河がそう尋ねてきたので
お前は十分過ぎるほど強いと即答した。
質問の答えにはなっていないが、少なくとも今の俺の嘘偽り無い気持ちだ。
「そう・・・でも、私はもっと強くならなくちゃだめなの・・・竜児と、この子を守れるママになるために」
今しがた北村を滅多打ちにした木刀をスッと背中にしまった大河はどこか誇らしげにそう言った。
どうでもいいが、今どうやってしまった? 背中に木刀を回したと思うと、気が付いたら手から忽然と消えていたぞ。
そもそもどっからそんな物取り出したんだ。
「母は剛ってマジなんだな〜。俺だったらあんな母ちゃんぜってぇ勘弁だけど」
「口は災いの元って知ってるか・・・いや、知ってなくてもいい、今覚えろ。
覚えたらその軽い口を慎め、俺はあんな惨たらしい姿になる方がよっぽど嫌だし、見るのももう嫌だ」
そしてどうでもよくない事が一つ。
「おい・・・起きろよ、北村・・・」
倒れ伏してから痙攣する以外はろくに動かない北村が心配だ。
近づいてみると、より悲惨さが感じられる。
その顔は別人と見紛うほど腫れていて、思わず悲鳴が漏れそうになった。
鼻からは出ちゃマズイくらい血が流れ出ていて、既に床にはピザよりも一回り大きな水溜りができている。
ヒュー・・・ヒュー・・・と、か細く弱々しい呼吸音と微かに上下する胸だけが、北村がまだ生きている事を知らせている。
一歩間違えれば、こうやって抱き起こしているのが北村で、半殺しにされて倒れているのが俺だっかもしれない。
それにこの先俺がこうならないとは限らないと思うと、どうしても見てみぬフリなんてできなかった。
「ぅ・・・た・・・かす・・・?」
「お、おぅ! 喋るな北村、すぐ病院に連れてってやる」
賽の河原で石を積み始める寸前だった北村が、なんとか意識を取り戻した。
開いているのか怪しい目で、そこに居るのが俺だと分かるとボソボソと口を動かす。
いくら止めても北村は聞き取りづらい小声で呻きつつ、それでも喋るのを止めない。
そんなに伝えたい事があるのか・・・そう思い、口元に耳を持っていくと
「俺はなにを・・・思い出せないんだ・・・目が覚めたら、なぜか肝臓と顎と全身を尋常じゃないくらい痛めつけられていて・・・
まるで堅い木の棒で、泣こうが喚こうが、死ぬ寸前まで殴られていたみたいなダメージが・・・」
冗談かとも思ったが、北村は本気でついさっきまでの記憶が飛んでしまっているらしい。
こんなになるまで叩かれまくったんだから、その程度の障害で済んでむしろ僥倖と言っていいはずだ。
帰らぬ人になるよりは百倍マシだろう。
「しっかりしろ北村! それは・・・こ、転んだんだ・・・机を起こしている最中に足を滑らせたんだぞ、お前」
そうなのか・・・と、俺の苦し紛れの嘘を信じた北村は震える指で傍に落ちていた眼鏡を拾うと、歪んだ蔓を軽く矯正してかけた。
だって言える訳がないだろ? 女子三人に寄ってたかってこんなになるまでボロボロにされただなんて。
忘れているんなら都合がいい、せめて回復するまではそのままでいた方が。
「そうだ、会長が・・・会長はどうしたんだ? 確か俺は会長を連れてきて、それで・・・・・・っ!」
どうやら登校してきた辺りの記憶はしっかりとあるらしい。
相変わらず見えているのか疑わしい、試合後のボクサーみたいな腫れ上がった顔をあちこちに向けて会長を探していた北村。
だが、突然口を止めると
「お・・・おい?」
「高須、すまないが肩を貸してくれ」
返事も聞かずに自分の腕を俺の首に引っ掛ける。
見かけとは裏腹に回された腕には随分しっかりと力が込められていて、あまり深刻なダメージを感じさせない。
ホッとしつつ、それでもやはり保健室くらいには運んだ方がいいだろうとそのまま腰を上げて担いでいこうとしたが、
それより先に北村が俺の首を絞め始めた。
「思い出したぞ・・・俺をこんなにしたばかりか、お前は会長にまで手を出していたんだろ!? あぁ、俺は全て思い出した!」
おしいぞ北村、半分は思い出せているがもう半分が思い出せてねぇ。
しかしこんなに早く思い出すとは、こいつの会長に対する事に関しての記憶力というか、そういう部分にとんでもない執念じみた物を感じる。
「ちょっ北村・・・くるし・・・離して」
「俺はお前を親友だと・・・それなのにお前は・・・会長と・・・」
ギリギリと、どこにこんな力が残っていたのか・・・いや、どこからこんな力が湧いてくるのか。
容赦なく俺の首を絞める北村からは言動全てが会長を軸にしているようで、その軸を俺が持っていったと思ってる北村は激怒している。
「なぁ、どうして黙ってたんだ・・・せめて一言俺に・・・」
「言いたい事はそれで全部か」
不意に息苦しさから開放された。
そう思った次の瞬間には、俺を羽交い絞めにしていた北村は会長の手で無理やり立たされ
「会長・・・会長っ! 俺はふュぎゃっぺ─────────ッ・・・・・・・・・」
胸のど真ん中を殴られて、意味不明なセリフを吐いて。
そのまま北村は、今度こそ動かなくなった。
それも立ち尽くしたまま。
「お前のことは忘れねぇよ、北村・・・さて、と・・・邪魔者もいなくなったことだしいい加減マジで帰るぞ、竜児」
(今忘れないって言った相手を速攻で邪魔者呼ばわりって・・・)
あれだけ深手を負っていた北村に止めを刺しておいて、会長は涼しい顔でそう言った。
二重の心臓破りをお見舞いされ、教室のオブジェと化した北村の目から涙が流れている。まだ本当に昇天した訳じゃなさそうだ。
北村からしたら死んでいた方がマシだったかもしれないけど。
時間が癒してくれるのを祈ろう。
「・・・竜児。私疲れちゃったし、赤ちゃんもお家に帰りたいって言ってる気がするから今日はもう帰るわよ」
と、再三出し抜こうとする会長に倣い、学校には用もないしこの場にいるよりは家に帰った方が余計な事に気を揉まなくて済むと
判断したのだろうか。
まず俺も一緒に帰るのが当たり前の前提だという大河が言い
「高須くん、今日は日が悪そうなんでまた今度お邪魔させてもらうね。だからさ、代わりに高須くんがうちに来なよ。
うちの親って今夜は帰ってこない気がするから、自分の家と思ってくつろげると思うんだ。そのまま自分の家にしてくれても全然かまわないよ」
即座に櫛枝が繋ぎ
「亜美ちゃんの実家ってこっからだとけっこうするから、今日のところは伯父さん家でガマンしてね。
それともどっかホテルでも取ろうか。あはっ、そっちのがいいかも、そうしよっ」
最後に川嶋がしめた。
「さ、行くわよ竜児」
「じゃあ行こうか」
「行きましょ」
「行くぞ」
「「「「 ・・・・・・・・・ 」」」」
四面楚歌再び。
一瞬でお互いの距離を詰めると、円陣でもするように四人は輪を作って睨み合う。
(ねぇ高須くん)
呆然とその様子を眺めるしかなかった俺に、背後から誰かが耳打ちをしてくる。
声からすると香椎だ。
反射的に振り返ろうとするが、香椎はそのままで、と小声で言ってくる。
訳も分からないまま言う通りにすると、背中にピッタリとくっ付いてきた香椎は続ける。
(今の内に出ましょ。亜美ちゃんたちに絶対バレないところに匿ってあげる)
草の根を引き千切ってでも俺を探し出す大河達がありありと浮かぶ。
どこまで逃げても、例え地球の裏側まで逃げようと俺に安息は訪れない気がしてならない。
なにより
(・・・ど、どうして香椎が俺を・・・)
能登か春田が提案してきてくれたら、嫌な予感がしながらも俺は頷き、ついていったかもしれない。
だが、女子だから───それだけで嫌な予感しかしないから、素直に香椎の話に乗れない。
迷っていると、含み笑いをしていた香椎がふぅ・・・っと首筋に息を吹きかけた。
腰から背中を駆け抜けていく悪寒とは別の物を感じている俺に、香椎はもう一度クスリと笑った。
(ふふ・・・そ・れ・は・ね?)
「奈々子が卑怯者だからだよ」
今度こそ振り返った俺の目に、肩に手を置いて背伸びをしている香椎と、香椎の後ろに立つ木原が映る。
だから、チラッと横目だけで木原を見た香椎の目が、スッゲー嫌そうな形を作っていたのも見えてしまった。
心なしか舌打ちまで聞こえたような気さえする。
「・・・麻耶? いいところで変なこと言わないで、もぅ」
瞬きをすると香椎はいつものタレ気味な目に戻るが、顔は木原には向けない。
木原も特にその事には言及するつもりはないらしい。
実力行使で香椎を引き剥がそうとしている。
「ホントのことじゃん。あれだけ言ったのに抜け駆けみたいなマネして、マジどういうつもりよ」
「どういうつもりも、抜け駆けしてるんだけど」
スルスルと、肩に置かれていた香椎の手は背中を滑っていき、両脇を通り抜けて胸の辺りで止まった。
それと同時に背中に三つ、何かが当たっている感触を感じる。
一つは肩の辺りに、香椎が頬を当てているだろう感触。
あとは肩より少し下に二つ、温かくて柔らかい物が・・・
「ハァ? ・・・まだ根に持ってんの、あたしの方が先だったからって」
「・・・高須くんは好きなものは後でタイプよ。つまり先に抱かれた麻耶よりもあたしの方が・・・ね? 高須くん」
は、離して! この手を離してくれ! もういい、もう分かったから、お願いだから離してくれ!
「うわっ、出たよ負け惜しみ〜。そこの机でされてるあたしを見て指銜えてたのって誰よ」
「あたしね。でも、誰かさんは終わった後でも自分を慰めてたみたいだけど・・・誰だったかしら・・・麻耶、知らない?」
「・・・いっつも思ってたけど奈々子ってさ、もうちょっとその性格どうにかした方がいんじゃね。そんなんじゃ友達失くすわよ」
「麻耶は体をどうにかした方がいいわね。そんなんじゃおっぱいも満足に出そうにないもの」
「そりゃ、奈々子みたいに垂れまくってないけど十分イケルし。それに高須くんは満足してくれてたし」
「それこそ負け惜しみじゃない。大は小をかねるのよ? 大きいに越した事はないんだから。それにあたしは垂れてないわ、ね? 高須くん」
制服越しじゃあどれだけグイグイ押し付けられようと、俺には香椎のバストがどんなだかなんて分かるはずもない。
木原のだって知る由もない。
ただ、強いて言えば・・・大河にこれの十分の一でもあったら、と・・・
「あのー・・・高須先輩いますか・・・?」
廊下の方から呼ばれた声に、弾かれるように飛んでいった。
実際香椎を軽くとはいえ押し退けた。
呼ばれたんだ、行くしかないだろう。
そうだ、俺は間違ってない。
ごめんなさい。
「な、何だ? 悪いが今立て込んでて、用があるなら・・・あれ、お前・・・」
「ヒィッ!?」
飛んでいった先には、一時期大河に触れると幸せになれるという噂が校内に広まった時に、大河をしこたま怒らせた下級生がいた。
確か、後から北村に名前を聞いて下駄箱に警告文まで送ったヤツで、名前は・・・
「富家?」
そう、富家。
結局は俺の警告も、今では失恋大明神から失恋大明神(ご神体)へとクラスチェンジした北村の説得も虚しく大河の餌食にされた、あの下級生。
「は、はいぃ! すみませんすみません! おおお、お時間はとらせないんで許してください・・・きょ、今日のところはコレで・・・」
「あ・・・あぁ、いや・・・用件はなんだ?」
俺が顔を出すなり、富家が怯え始めた。財布まで差し出してくる。
かなり表情が強張っていたらしい、俺はそんなにも必死だったのか。
「す、すみません・・・その・・・さくらちゃんと書記の先輩に言伝を頼まれて」
顔の筋肉を解して、ついでに目元も手で隠してやって、やっと富家は喋りだす。
・・・目は隠しておいてよかった。また怯えられて話どころじゃなくなる。
内容にもまだ触れていないってのに、さっき以上にかっ開いている目はきっと血走っていて、
さっきの比じゃないほど目の前で冷や汗を流して震えている後輩を脅かす事だろう。
・・・さくらちゃんって、会長の妹の事だよな? 狩野の妹の方の・・・それで書記の先輩ってのは、多分二年で生徒会の女子・・・
「『お話があります。大切なお話です。今すぐ生徒会室まで来てください、私も狩野さんもずっと待っています』・・・と。
何なんですかね、一体。今すぐ、しかも口頭で伝えてきてくれって聞かないんですよ、二人とも。俺だって授業あるのに・・・」
手紙だと読みもせずに破かれるか、知らん振りされると思ったのだろうか?
そんな事はしないが、そんな最低な行為が似合いすぎる自分のツラが憎い。
どうやら小声で「さくらちゃんなんて、また成績が・・・あ、けどまた勉強を見て・・・」なんて算段を立てている不幸体質らしい後輩は
授業までサボってメッセンジャーをさせられたらしい。
それだけでも十分不幸だっていうのに、遠からず更に酷い不幸に遭遇する気がする。
そんな後輩に親近感が湧いてしまうのは何故だろう。
「あぁ、それとこれも」
まだあるのか・・・って、なんだこれ。
「今そこで光井さんから渡してきてほしいって」
手渡されたのは、レースとフリルを縫い付けてできた手製らしきメイドキャップ。
雑とまでは言わないが繕い方が甘くて、俺だったらもう少ししっかりと縫って・・・関係ないな。
そんなどうでもいい事よりも
「・・・誰からだって?」
聞き覚えのない人物からの贈り物に、不信感と一緒に不安感が募っていく。
贈る相手を間違えてるんじゃないのか。
「・・・? 一年生の子なんですけど、知り合いじゃないんですか?」
「一年で光井・・・ちょっと心当たりが・・・これ、本当に俺にか?」
「えぇっと、それは高須先輩宛で間違いないです、何度も念を押されたんで。
・・・なんなら聞いてきましょうか、光井さん、まだそこにいるみたいだし」
指差す先には、小柄な女子が廊下の角からこちらを覗き見ている。
自分の存在に俺が気付いたと分かると、瞬時に隠れてしまったから顔までは分からなかったけど、それでも知り合いとは思いづらい。
大体あれは本当にこの学校の生徒か?
「・・・なんでメイド服なんて着てんだ」
この手作りのメイドキャップは、制服の代わりにメイド服を着込んでいたあの・・・光井? という子の物らしい。
・・・なんだって俺にこんな物を寄越すんだ。
「さぁ・・・彼女、二ヶ月くらい前からずっとあの格好で・・・なんでも、彼がこの格好が一番似合ってるって言ってくれたそうですよ。
あくまで噂なんですけど、いくらなんでもそれで・・・ど、どうしたんですか?」
「・・・・・・なんでもねぇ・・・・・・」
聞くと同時に、メイドキャップの真っ白なレースに付いている赤い物を見て頭を抱えた。
キスマーク・・・精一杯背伸びしている感があって、狙い通りクラクラしそうだ。
目の前まで真っ暗になってきた。
「あの・・・と、とにかく、大事な話があるそうなんで生徒会室に行って下さい。俺、確かに伝えましたよ」
そう言うと、富家は足早に去っていった。
光井という子も、富家が消えると一度こちらに顔を出して・・・投げキッスか。
ここからでも分かるくらい拙くて、会長とは別の意味で似合ってない。
「・・・はぁ・・・」
見送り、勝手に出てきた溜め息を一つ吐くと、いい加減教室にかえ・・・待てよ。
これって千載一遇のチャンスじゃないのか?
今俺は廊下にいて、大河達はその事に気付いていない。
これなら
「「 ・・・・・・・・・ 」」
やっぱりやめよう・・・
香椎と木原がジト目で見ている。
香椎なんて大河の方を親指で差して、その親指を今度は床に向けた。
ちゃんと戻ってきて、さもなきゃタイガーたちにチクっちゃうかも───口も動いていないというのに、確かに俺にはそう聞こえた。
(がんばれよ、富家・・・不幸なのはお前だけじゃないからな)
心の中で後輩へとそっとエールを贈っておく。
反対方向へ全力で走りたいと言って聞かない足を引きずって、俺は慣れ親しんだはずなのに、今は嫌でイヤで仕方のない教室の中に戻り、
元居た位置でピタリと歩みを止めた。
満足気に「やっぱり最後はあたしの元に帰ってくるのよ」と頷き、またも背中に抱きつく香椎。
と、そこに
「遅れてごめんなさー・・・い・・・ど、どうしたのこれ・・・私、教室間違えてないわよね」
前の方では大河達が無言のまま睨み合いを繰り広げ、背中では香椎と木原による言い争いが再び勃発している。
そんな教室に入ってきた独身。
上機嫌だった独身は、途中から入ってきたにも関わらず大して動じていなかった会長とは違い、教室内の異様な様子に目を白黒させている。
入り口にかかっている『2-C』と印字されたプレートを見返しては、
留学しているはずの前生徒会長の存在や燃え尽きて真っ白になっている現生徒会長、他にも大半が隅に寄せられている机等を不審に思い、
戸の辺りで野次馬をしていた奴に何があったのか尋ねているが、どいつも堅く口を噤んでしまう。
要領を得ないまま、それでも場を落ち着けようと手を叩き
「と、とりあえずみんな席に着いてねー」
独身は担任としての責務を果たそうと懸命に呼びかける。
だが、誰もその場から動こうとしない。
それどころか教壇に立つ独身に今日は来ない方が・・・という視線を投げかけている。
表向き生徒間での問題による責任を負わされる苦労と、その裏に教え子にまで先を越された担任を哀れんで。
そんな目を向けられているとは露ほども思っていない担任は、言う事を聞かない生徒達に疑問と焦りを多大に感じたのか
わざとらしい咳払いや遅すぎる連絡事項を伝えては、なんとか教師らしく振舞おうとしていた。
それでも誰一人まともに取り合ってくれず、次第に本気で落ち込んできた独身だったが、何か思いついたのだろうか。
「あぁっ、そうそう」
手をパン! と合わせると、マジメな顔になる。
「みんなよく聞いて・・・先生ね・・・・・・とうとうやったわよぉっ! 幸せへの片道切符、お腹に宿っちゃいました!」
ポンポンと、軽く腹部を撫で摩る独身の突然の妊娠宣言。
よほど嬉しいのかやたらとハイテンションに月の物が来ないのを不安に思っていただとか、この歳で上がったなんて冗談じゃないだとか、
いつか買い置きしていたままだった検査薬を恐るおそる使ってみたらなんとビンゴでしたとか、恥ずかしい事を大層自慢気に話していく。
高校の、それも女教師がノリと勢いに任せて生徒に打ち明ける物としてはありえない類の話だが、本人は微塵も羞恥心を感じている様子は無く
嬉々として「でき婚よー、先生だってやる事やってんのよ」と生徒達に告げている。
一人、また一人と独身から目を離していき、ゆっくりと俺に注目が集まる。
睨み合いをしていた大河達も、言い争いを止めた木原と香椎も。
みんなが俺を見ている。視線恐怖症になりそうだ。なったことにして逃げ出したい。
「来るのが遅れちゃったのも、ぶっちゃけ昨日から五年間分のゼク○イ広げてたり、
ネットで式場とかいろいろ調べてたらいつの間にか出る時間過ぎちゃっててね」
年間購読でもしているのか。それも五年も前からって、25の頃からかよ。
リアルに焦りだすような年齢な気がして、一層生々しい。
それに計算したら、年12冊、丸五年としたら60冊にも及ぶ。
詳しい値段までは知らないが、大体一冊につき500円としたら・・・三万か。ばかにならないな。
「でもその甲斐あって『ここだ!』って思えたのも見つかったし、もう今日は有給使っちゃおうって思ってたんだけど、
先生みんなに教えてあげたくなっちゃって」
自慢したくなったというのが本音なんだろうな。
チラチラ目配せをしている独身は、早いとこ誰かに『相手はどんな人?』と質問されたくてウズウズしている。
どうせ本当に教える気はないのに、引っ張って引っ張って自慢したくて堪らないんだろう・・・ほ、本気で名前を出したりはしないよな?
いや、まだ100%俺だって決まった訳じゃ・・・
「ねぇ三十路相手って誰よ」
大河が確認を取りに行った。
棒読みで、敢えて独身が聞き過ごさないように一部の単語を強調して。
それも『相手ってどんな人』なんてもんじゃなくて『誰』というストレートで。
「知りたい? 逢坂さん知りたい? んもぉ、しょうがないわね〜・・・じゃあ、少〜しだけよ」
「いいから早く教えなさいよババァ」
「えっと〜詳しくは教えられないんだけど、歳は下でね、学校関係者の人でー」
「ふ〜〜〜〜〜ん・・・学年は? クラスは? ていうかそいつこの教室に居るんじゃないの? ほら、目つきのわっるぅ〜い誰かとか・・・」
「っ・・・あ、逢坂さんガッツキすぎよ〜・・・そんなに絞らなくったって、その内分かるんじゃないかしら」
ルンルン気分全開で大河の挑発を華麗にスルーしていた独身は、核心に近づいていくと途端にはぐらかした。
これ以上はさすがにマズイとでも思ったのか、話をぶった切って授業を始めようと準備しだす。
遅ぇよ、遅すぎる、手遅れだ。
既に大河達が手や首の関節を鳴らして準備を始めてる。
「どうせ高っちゃんだろ〜」
誰かがボソリと言ったのが聞こえた。
「ちっちちち違います!? 誰よ今憶測で物言った人、そういうのは先生だけじゃなくて高須くんにも迷惑なのよ!? ・・・ね、ねぇ高須くん?」
振ってどうするんだよ・・・
憶測で物を言われるよりも遥かに迷惑だ。
それにそんなバチンバチンとウインクしてこられても「バレてないわよね?」なんていうアイコンタクトは俺以外にも筒抜けになっている。
何の意味もない、どちらかといえば逆効果だ。
「「「「「「 ・・・・・・・・・ 」」」」」」
木原までが抱きついてきて、香椎と一緒になって俺の動きを拘束する。
それを確認した大河達がゆっくりとにじり寄ってくる。
ただでさえ困難だった逃走がより難しくなった。
もう不可能だろう。
「本当に違うからね? べべべ別に職員室で残業してる時に無理やりとか、そんなえっちぃ事なんて先生と高須くんはしてませんからね」
いらないダメ押しに、大河がダッシュに切り替えた。
速ぇ。それ以上に恐ぇ。
いち早く駆け寄ってきた大河は、足が竦んで一歩も動けない俺を素通りすると
「・・・・・・ん? 逢坂? 俺になにを」
ガシャ─────────ン!!!!
「・・・・・・・・・き・・・北村ああああああああああああ!?」
一本背負いで窓目掛け、北村を投げ飛ばした。
閉じこもっていた自分の世界から帰還したばかりの北村が、枠ごと窓ガラスを突き破って空中を舞う。
ガラスに反射した光がキラキラと北村を飾り立て、パァッと赤い花火まで咲いて・・・
それらは瞬く間に見えなくなったが、俺に手を伸ばす北村が目に焼きついて離れない。
「大河!? お前なんてこと・・・おい、何してんだ」
突然の大河の暴挙に、教室内は阿鼻叫喚さながらの様相を呈している。
あれだけ北村が痛めつけられようと、手乗りタイガーならこのくらいいつもの事、仕方ないとして大して驚きもしていなかった奴等も
まさかそこまでやるなんて・・・と、恐怖に慄いている。
抱きついていた香椎と木原も大河に怯え、櫛枝と川嶋の傍まで後ずさり、並んで汗を掻いて固まっている。
独身なんて教卓に手を入れて何かを探している。いくら漁ったってタイムマシンなんか出てこないだろ、覗いてみたってムダだ。
会長だけは目を細めて腕を組んだだけで、特に動揺している風には感じられない。本当にそうだとしたら余計に北村が哀れだ。
問題の大河はというと
「よいしょ、っと・・・ここに居るとろくでもないことしか起きないわ・・・行くわよ、竜児」
備え付けられていた備品のカーテンを引き裂いて繋げただけの即席ロープを作ると、それを俺に括りつけた。
もう一方の先端は適当に積んであった机に巻き付けて重し代わりにしている。
「・・・・・・何してんだって聞いてんだよ」
「なによ、心配してんの? 大丈夫よ、だいじょうぶ。絶対にお腹だけは守るから・・・竜児も守ってあげてよね、赤ちゃん。パパなんだから」
もういろんな意味で心配すぎて何から指摘すればいいのか分からないが、一番不吉な事を一つ上げると・・・
こんな時に、何故大河はおぶさってくるんだ。
「・・・そういう問題じゃなくてだな・・・」
これはあれだろうか。
飛べってのか?
こんなすぐに千切れちまうボロ切れだけを命綱にして、そこのまだ割れたばかりのガラスが所々残っている窓から、飛べっていうのか。
・・・もしかして、北村はただ窓をぶち破るためだけに・・・
「もぅ・・・私を信じなさいよ、竜児。あんたの一番の私を・・・きっと大丈夫だから」
一番・・・こ、ここでその話を蒸し返すのか・・・嫌な予感が
「「 ちょっと待ったぁ!! 」」
き、来た! 嫌な予感が地響きを立ててやって来た。
固まっていた櫛枝と川嶋が、付いていない決着を勝手に付けた大河を俺ごと取り押さえようと駆け寄ってくる。
「さぁ逃げ道は失くなったわよ、そこ意外にはね」
背中に乗っかっている大河が首を無理やり窓に向けさせた。
まさかこいつ、わざと・・・
「う・・・・・・・・・」
───後から思えば、この時の俺はどうかしていたとしか思えない。
普通だったら死ぬ危険だって十分考えられる、ケガは免れない高さから進んで落ちるなんて事、まずやらない。
大河も一緒なら、なおの事。
だから普通じゃなかったんだろう。
記憶も曖昧だ。
その曖昧な記憶で、断片的に思い出せるのは
背中に感じる大河と子供。
地面まであと半分という所で容易く破けた、見た目を裏切らない命綱。
重力に引かれ、背中から落下するのを寸での所で体勢を入れ替え───
「ぐえっ」
地面にしては柔らかい感触と、インコちゃんみたいな鳴き声を上げた北村の声と
「ありがとう、パパ・・・あとは私に任せてゆっくり休んでなさい」
暗くなっていく視界の中、大河の声を聞いたのを最後に、俺は意識を手放した。
309 174 ◆TNwhNl8TZY sage 2009/09/30(水) 23:10:04 ID:Ouh9ldyv
支援してくださった方、ありがとうございます。
やっぱり会長はやりすぎた・・・
↓13皿目での問題の一文
>これ、投げ出すつもりはないけど・・・夏までに終われればいいなぁ・・・
夏どころかディケイドも終わっているという始末(最初に投下したのがディケイド第一話放送前日)。
頭の悪い内容共々、色々な意味でごめんなさい。
次でおしまい。
おまけ
問 今回最も不幸なのは?
A・北村 B・北村 C・北村 D・裸族
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