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324 Tears of joy sage 2010/03/15(月) 21:01:53 ID:sqZ7wYm+




 清水寺の舞台からバンジージャンプを決めるぐらいの意気込みで北村君に告白してから
三週間あまり。夏休みは残すところ一週間ほどだが、空模様もジリジリと照るつける日差
しも三十度を超える気温もまだまだ夏が終わっていないことを私に教えてくれている。
 あの日、亜美ちゃんの別荘で交わした約束を北村君は守ってくれて、ついに今日、私は
彼とデートしてしまうのだ。

 と、状況を反芻するだけで顔が赤くなったような気がする。大丈夫か? 私。

 平日の十一時ちょっと前ということもあって、大橋駅の改札口は閑散としていて、待ち
合わせに失敗するようなことは万に一つも無さそうだ。待ち合わせの時間まであと十分。
私は携帯電話を握りしめ、それが鳴らないことを祈っている。

「木原!」
 はっとして顔を上げると、小走りで近づいてくる北村君の姿が見えた。
「北村君」
 私は手を振って応える。呼び方もちょっと変えてみた。『まるお』はいかにも友達って
感じでちょっと嫌だったから。亜美ちゃんみたいに『祐作』って呼べたら素敵なんだけど、
いきなり下の名前で呼んで馴れ馴れしい奴なんて思われたくないし、だからとりあえず、
しばらくは『北村君』。

「ごめん、待たせちゃったか?」
「ううん… 私も今来たところ」 もちろん、ウソです。

 北村君は今日もシンプルなカジュアルファッションだった。黒いスリムジーンズにTシャ
ツとチェック柄のカジュアルシャツ。
 私は半袖の白いワンピースにパステルブルーのサマーカーディガン。ちょっと地味で子
供っぽいかなと思いながら、でも北村君の好みに合いそうな服を選んだらこうなった。昨
日、美容院で落ち着いた感じのダークブラウンに染め直してしてもらったロングヘアはさ
らっさらのきらっきらで、今日の私は避暑地のお嬢様って感じだ。

「じゃあ、行こうか」
「うん」
 応えた私を北村君はちょっと眺めて、
「かわいいね」と。

 ホント? ホントにそう思ってる? かわいいって思ってる? 
 首筋がかぁっと熱くなって、彼の顔を見ていられなくなる。

「本当に? うれしいな。北村君も、格好良いよ」
「そうか? 俺はいつもこんな感じだけど」
「じゃあ、いっつもかっこいいんだよ」
 わ、わ、何恥ずかしいこと言っちゃってるのよ。そりゃ、いっつもそう思ってるけど、
タイミングってのがあるでしょ。
「…そ、そうかな」
 ほら、北村君、困ってるじゃん。
「う、うん。良く似合ってるよ。北村君、そんな感じの格好だろうなって思って、私も合
わせてみたんだ。いつもとちょっと違う感じでしょ」
 スカート部分の裾を摘んで身体を捻って見せた。
「ああ、なるほど。それでか…」
 彼は小さく、うんうんと頷いた。
 ああ、何とか乗り切った。もう、浮かれすぎだよ。



「切符は?」
「え? 切符? ああ、まだ…」
「じゃあ、買ってくるよ。待ってて」
 そう言って彼は自動販売機の方へ歩いて行った。
 こんなに舞い上がっちゃっていて、私は今日を乗り切れるのだろうか。ちょっと不安だ。

***

 私達は三十分ほど電車に揺られて大きな街にやってきた。初デートのために北村君が選ん
でくれたのは映画鑑賞だった。定番中の定番だけど、共通の話題が作れるから私もこのプ
ランに全面的に賛成だった。

 私達は駅近くのファーストフード店に入ってポテトフライと飲み物をオーダーして、二
階のこぢんまりとしたテーブル席に座った。北村君はバッグから情報誌を出してテーブル
の上に広げた。広げられているのは映画の紹介ページ。この街には大小合わせれば二十以
上もの映画館があって、国内で観られるほとんどの映画がこの街のどこかの映画館で観ら
れる。だからこの街に来ることだけ決めておけば、あとはどの映画を観るのか二人で決め
れば良いワケで、それだって話のネタだった。

「木原は何がいい?」
「え? う〜ん。どうしよっかな」
 私は情報誌のページをめくっていく。お目当ての映画はあるけど、いきなり『じゃあ、
コレ』なんてあっさり言ったら投げやりな感じで可愛くない。

「北村君はどんなのが好きなの?」
「うーん。ありきたりだけどアクション物とかだな」
「へぇ。私もそういうの好きだよ。じゃあさ、これなんかどうかな?」

 私は情報誌のページを開いて北村君の方に向けた。そのページで紹介されているのはア
クション物のいかにもハリウッドものっぽい映画で、ミイラがわらわら出てきてひたすら
アクション&バトルという、そんな映画だった。
 北村君はそのページを見て、一瞬驚いたような表情を見せた。
「へぇ、意外だな。俺もこれはちょっと興味があったんだが、その、なかなか言い出す勇
気がなくってな。確かにアクション物ではあるな」
「え? そんなに変だった?」
 ひょっとして駄作だったとか? 評判倒れだったとか。
「いやいや。そんな事無いさ。言っただろ。俺も興味があるって」

 北村君は雑誌を手にとってぱらぱらとページをめくっていく。

「すぐ近くの映画館でやってるよ。時間も丁度良い感じだな」
 彼はそう言って、ポテトを口に放り込んだ。

「それにしても意外だな。木原がこういう映画に興味があるなんて」
「そうかな。普通だと思うけど。それにさ、恋愛ものとか苦手なんだよね」

 特に、『死んじゃう』系の物語って、絶対に反則だと思う。

「そうなのか。女子って恋愛物が好きだと思ってたけど」
「嫌いじゃないけどね。苦手。なんか、いろいろ考えちゃうんだよね」


 私はポテトを摘んで口に運んだ。炭水化物の揚げ物なんてダイエットの大敵だけど、
でも、おいしい。赤い厚紙で作られたパッケージから二人で交互にポテトを摘み出して口
に運ぶ。こんななんでもないシーンだって、ずっとずっと憧れだった。

「へぇ。でも、そうかもな。俺はあんまり観ないからわかんないけど」
「男の子は、そういうのあんまり観ないんだよね」
「そうだな。男同士でそんな映画見るのはかなりヘンだろ」
「う、うん。ちょっとアレだよね」
 一瞬、北村君と高須君がペアシートに座っているイメージが…。
「女の子同士はいいのに不思議なもんだよな」
 うああ。なんか、男同士で恋愛映画が観たいように聞こえる。そう言えば、高須君が女
だったら絶対惚れるとか、北村君言ってなかったっけ。

「お、女の子は良いけど、高須君はダメなのっ!」
「え? いきなりどうした? なんで高須?」

 それは私が私に聞きたい。ぜひとも問い詰めて行きたい。どうして思ってることが口に
出ちゃうかな。 

「そ、それは…。北村君と高須君が一緒に恋愛モノを観てるのを想像しちゃって」

 くくっ…と北村君は笑って、それを奥歯で?んだ。

「俺もそれは遠慮したいよ」
「そ、そうだよね」
「高須に泣き顔なんて見られたくないからなぁ」

 ええっ。一緒に観ること自体はアリなの? なんてことを思っている私の目の前で、北
村君は最後のポテトを口に入れた。

「そろそろ行こうか」
「う、うん」 …… 深く考えないでおこう。
 
 私達は席を立って店を出た。平日の昼前ということもあってか、歩いているのは夏休み
中の学生がほとんどで、通りはそれほど混雑していなかった。。
 私は北村君の行く方向へと付いていった。ただ、彼の向かっている先は私の知っている
映画館とは微妙に違う感じだった。でも、方角的にはそんなに違っていないし、何より彼
の足取りは自信満々、戸惑う素振りなんてまるで無い。もし、彼が迷っているのだとして
も、そんなの全然問題ない。こうやって一緒に歩けることに比べたらそんなことはどうで
もいい。

 けれど、この三十センチの距離がもどかしい。

 でも、仕方ない。彼はまだカレシになってくれたわけじゃない。今は『お試し期間』み
たいなもので、私が強引にデートを約束させただけなんだから。今日の夕方になったら、
『やっぱり友達で』なんて言われてしまうのかも知れない。ひょっとしたら、北村君はも
うそのつもりでいるのかも知れない。



 あーっ! もう、なに弱気になってんのよ!

 そうならないために必死に服だって選んだし、メイクだって髪の毛だってばっちり決め
てきたんだから。清楚な感じでまとめたコーディネートはシンプルカジュアルの彼とベス
トバランス。誰が観たってお似合いのハズなんだから。
 とにかく、デートに誘ってくれたってことは北村君にも好意があるって事なんだから、
もっと自分を見てもらって、もっと好きになってもらわなくっちゃ。

「どうした? 木原」
「ええっ! ううん、な、なんでもない」

「そうか。おっ、ここだな」
「え?」
 思わず声を上げた。見上げた看板に描かれていたのは…

『○○戦隊 ××××ジャー 劇場版!』
 どうみたってハリウッドのハの字も無かった。確かにアクション物には違いないが、私
達の周りにいるのは親子連ればかりで、しかも子供の方は小学校低学年ばかりだ。あきら
かに私達二人は三百メートルは浮いている。

 これは何? どういうこと? ひょっとしてギャグ? ボケ? 
 突っ込むの? 突っ込まなきゃいけないの? 

「櫛枝のお薦めだったんで気にはなってたんだよな」
 腕組みしながら頷く北村君に「そ、そうなんだ」と言うしかなかった。どうやらギャグ
でもボケでも無いようだ。それにしても櫛枝実乃梨、恐るべし。まさかこんな展開になる
とは思わなかった。
「そ、そう。櫛枝さんのお薦めなんだ。そういうのって良くあるの?」
「まあ、そうだな。ソフト部には櫛枝の推奨作品リストが貼ってあるからな」
「そんなのがあるんだ」
「ああ。こういうアニメとか特撮ものが特に多いんだけどな。それで、俺もいくつか観て
みた、というか無理矢理鑑賞させられたというか、ともかく、結構刺さってくるんだよな。
櫛枝リコメンド作品は」
「ふーん。そうなんだ」
「そうなんだよ。それで気にはなってたけど、こうやって観る機会にめぐまれるとは思わ
なかったよ。一人で観に来る気にもなれないし、それでいて微妙に気になって引っかかっ
てたんだよな」
 北村君は大真面目。基本的にそういう人なんだけど、でも、特撮ヒーロー物の映画を観
るか、観ないかでそんな深刻な顔をするのはどうだろう。まあ、そういうところも好きなん
だけど。
「木原はどうしてコレを?」
「え?」

 し、しまったぁぁあああ! 今更、『コレじゃない!』なんて言えない。

「え、ええっと…。
 せっかくだから、普通だったら、ぜぇぇったい観ない映画にしよっかなぁ〜とか…」



 あ、ああ…。終わった。これ観るんだ。初デートなのに。
 最初で最後のデートかも知れないのに… 特撮ヒーロー物なんだ… ははは…

「なるほど。普段は観ないんだな。こういうの」
 観るわけないじゃん。高校三年でこれをリコメンドする櫛枝がおかしいんだよ。
「観ないよ〜。小さい頃にちょっとテレビで観ただけ」
「まあ、普通そうだよな」
 そう言って北村君は微笑んだ。安心してくれたのか、がっかりさせたのか分からない。
なんだか凄く不安だ。

「じゃあ、チケット買ってくるから。ちょっと待っててくれ」
「あ…」
 行っちゃった。引き留める間もなく。
 
 私はロビーのソファーに腰掛けた。テンション上がりまくりのお子様達が走り回るやら
跳ね回るやらで兎にも角にも騒々しい。ロビーには見覚えのあるポーズをビシッと決めた
原色バリバリの五人組の等身大看板が立てられている。こいつらはさっきの情報誌に、こ
の看板とまったく同じ決めポーズで、よりによってお目当ての映画の次ページに載ってい
た…ような気がする。後で確認しておこう。手遅れだけど。
 ロビーのモニターでエンドレス再生されている予告編映像をしばらくボンヤリと眺めて
いると、北村君が駆け足で戻ってきた。
「お待たせ」
 そう言って彼はチケットを私に差し出した。
「あ、お金」
 私はバッグに手を入れた。
「いいよ。今日は俺のおごり」
「そんなの、悪いよ」
「いいから」
「うん…。ありがと」
「どういたしまして」
 そう言って北村君は微笑んだ。それから彼はちらっと腕時計を見て、
「もう、入ろうか」と言った。

 まあ、いっか…

 彼の笑顔を見てそんな気分になった。何を観たって、彼と同じ時間をすごせるって事に
は変わりないんだから。

「うん。そうしよ」私は笑顔で彼に応えた。


 北村君が取ったのは劇場の後方の席だった。平日ということもあって席は三分の一ほど
空いている。後ろの方は割と空いていて、周りに気を遣う必要もなさそうだった。

「子供のころさ、亜美がウチに遊びにきてたんだよ」
「そっか。幼なじみだもんね」
 だから亜美ちゃんは彼を『ゆうさく』と呼ぶ。それがちょっと羨ましい。



「それでさ、よく三人で一緒に観てたんだよ。戦隊モノ。俺と兄貴と亜美で、母さんがビ
デオに録っておいてくれてさ。ごっこ遊びなんかもしてたな」
 北村君は肘掛けに頬杖をついて優しい目をしていた。
「へぇ。ごっこ遊びかぁ。やっぱり、亜美ちゃんがピンクだったりするの?」
「いや、それがさ…」
 北村君は悪戯っぽく笑った。
「亜美は敵の女幹部役なんだよ。で、兄貴がレッドで俺がブルー」
 敵の女幹部っていうのがどういうキャラなのか私には分からない。
「えー。じゃあ北村君とお兄さんで亜美ちゃんをいじめるわけ?」
 北村君は首を振りながら手をパタパタと振って、
「いや、亜美が勝つことになってるんだよ。ヒーローやられちゃうの。俺たちのごっこ遊
びでは悪の組織が勝利して亜美が高笑いして終わるんだよ」
 北村君はそう言ってクスクスと笑い始めた。
「だめじゃん。負けちゃったら」
 私も可笑しくてクスクスと笑ってしまう。
「だろ。けど、俺も兄貴も亜美の言う通りに芝居をするだけだから、筋書きは亜美の思う
ままなんだよ。そうそう、レッドが亜美に籠絡されてブルーと戦って相打ちなんてのもあっ
たな。すっかり忘れてたけど思い出したぞ」
 
 思わず吹いた。

「それっていつ頃の話?」
「小学校の二年とか、そんなもんじゃないかな」
「亜美ちゃんって、その頃から可愛かったの?」
「そうだなぁ。その頃はなんとも思ってなかったけど、昔の写真を見るとやっぱ美少女っ
て感じだよ」
「そっか…」

 照明がすーっと暗くなっていく。

「お、始まるみたいだな。携帯切っておかないとな」
 北村君はポケットから電話を取りだして電源を切った。私も鞄から携帯を出して電源を
切った。スクリーンが明るくなり、予告編の上映が始まった。
 皮肉なことに、私のお目当ての映画の予告編が流れている。
「これも面白そうだよな」
 北村君が小声で話しかけてきた。面白そうでしょ。私もそう思ったんだよ。
「うん、そうだね」
 
 そうだ、ここでさりげなく次のデートの約束をしてしまおう。

「あ、あのさ。北村君」
「ん? どうした」
「こ、今度はこれを…」
「お?」

 前の席に座っている男の子が私達をガン見してた。そして口の前で人差し指を立てて、

「シーッ!」



 北村君は私の顔を見て肩をすくめた。それから口の前で人差し指を立てて男の子と同じ
ポーズを取る。男の子はそれに納得したのか、前を向いてすとんと椅子に腰掛けた。
 小さな男の子に咎められて、なんだか猛烈に恥ずかしかった。別に予告編なんだからい
いじゃん、と心の中で言い訳する私の耳に『上映中はお静かに!』という予告編に続いて
上映されている注意事項のナレーションが飛び込んできて、私の身体は五パーセントぐら
い小さくなった。

 そして、本編スタート。
 冒頭の巨大ロボの格闘シーンから物語はハイテンション、ハイスピードで突っ走る。子
供の頃にちょっとだけ見たヒーローと比べるとあきらかに垢抜けている。CGも結構凝っ
ていて、そりゃあハリウッド物の大作なんかとは比べものにならないけど、アクション
シーンは思っていたより全然まともだった。と、言うか、かなり引き込まれちゃってる自
分がちょっと嫌だ。隣に座っている北村君は、完璧に小学生の顔になっていた。

 そして、微妙に露出度の高いコスチュームのお姉さんが登場。そうか、これが噂に聞く
女幹部というやつに違いない。

『おのれ、××××ジャー。これを喰らうでおジャル』

 ごめん、亜美ちゃん。ウケた。笑いのツボにずっぽりだった。
 もう、このお姉様が亜美ちゃんに見えて仕方ない。
 笑いを堪えていると苦しくて涙が出た。

***

「いやー、なかなか良かったな。結構、ストーリーもしっかりしてるんだな」
「うん。ホントに。ちょっと引き込まれた」
 それは本当の事だったけれど、大きなスクリーンと音響の効果だと思いたい。ただ、思
いの外、映像もアクションもストーリーもまともだったのは事実だ。それは潔く認めよう。
多分、期待してなかった分だけ驚きが大きかったのだ…だと思いたい。

 映画館を出ると、時刻は二時を少し過ぎていた。
「お腹空いたね」
「そうだな。昼メシにしよう。木原は何がいい?」
「北村君が決めて。でも、あんまり脂っこいものは嫌だな」
 
 そんな私のリクエストに応えて、彼が選んだのは、それほど高くないイタリアンレスト
ランだった。昼ご飯には少し遅い時間だったけれど、店はかなり繁盛していて席は殆ど埋
まっていた。
 私と北村君は『これ、美味しそう』とか『これなんかどうだ?』とか言いながらメニュー
を眺めた。私は、やっぱりニンニクとかは避けたいな、とか。白いワンピにトマトソース
のシミがついたら嫌だなとか、色々と熟慮の末にサラダとリゾットをオーダー。北村君は
ピザとパスタという炭水化物コンボだった。男の子は基礎代謝が高いからこれぐらいの量
は全然問題ないんだろう。

 オーダーを済ませた私達は映画の話や亜美ちゃんの別荘での事を話した。
 しばらくすると料理が運ばれてきてテーブルに並べられた。

 私は熱い湯気を立てるリゾットを眺めながらサラダに手をつけた。北村君はピザカッター
でスモールサイズのマルゲリータを四半分にカットして、その一つを手にとってかじりつ
いた。


「うん、うまい」と北村君は顔をほころばせる。

 彼は二口、三口とピザを囓り、残った一欠片をぱくりと口に入れた。
 私はリゾットをスプーンですくい、ふうふうと息を吹きかけて少し冷ましてから口に入
れた。

「んー…、おいし」
 空っぽの胃袋にリゾットがすとんと吸い込まれる。お腹がすいていた所為もあるかもし
れないけれど、なんたって目の前に北村君がいて、ふたりで食事しているのだ。美味しく
ないはずがない。目の前の北村君はペンネアラビアータをフォークでつついて口に運んで、
うんうんと頷きながらもぐもぐと口を動かし、

「うん、これもうまいな」と満足げに微笑む。

 その表情。言っては悪いけど、やっぱりかわいい。

「ねえ、北村君。ちょっと味見させて」
「ああ、いいよ。食べてみなよ」
「うん、ありがと。頂くね」

 私はフォークでペンネを突き刺して口に入れた。ぴりっとした刺激が口の中に広がる。
オリーブオイルとトマトのフレーバーが赤唐辛子の辛みを引き立てる。個性の強い食材で
作られたソースだけではくどくなってしまうところをイタリアンパセリの香りがさりげな
くカバー。

「おいしいね」辛い料理を口にしたのに私の頬は緩みっぱなし。

「そう言えば、亜美の別荘に行ったとき、高須がアラビアータを作ってくれたよな。高須
のアラビアータ、これに全然負けてないよな」

 チクッと針で刺すような小さな痛みが胸に走った。

「うん、ホント。でもさ、高須君、ひどいよね」

 うん、高須君はひどい。ある意味、女の敵だと思う。

「え? なんで?」
 北村君は不思議そうに私を見た。
「だって、あれで手抜き料理だ、なんて言われちゃったらさー、私、立つ瀬無いよ」
「まあ、そう言うなよ。高須的にはそうだったんだろうし、みんながあんまり褒めるから
照れくさかったんだろ」
「そうかもしれないけどさ。私は、その、あんな風には出来ないから…」
 
 …羨ましいんだよね…

 好きな人と一緒に食事をするだけでも楽しいのに、美味しい料理が作れて、それを好き
な人に食べて貰って、喜んでもらえて、笑ってもらえて…。そんな幸せ、私は知らないか
ら。


 私はスプーンでリゾットをすくって口に入れた。

「いいじゃないか。今は出来ないってだけだろ」

 ううっ。励まされてしまった。しかも、全然料理が出来ないと思われてるっぽいリアク
ション。いくらなんでもそれはない。そこはちゃんと否定しておかないと。

「北村君、私が全然料理が出来ないと思ってるでしょ。言っておくけど、全然出来ないっ
てワケじゃないんだからね」
「いや、そんなつもりじゃないんだ。ごめんごめん」
 そう言って北村君は首に手を当てた。

 謝らせちゃった。そういうつもりじゃなかったのに。言い方が悪かったのかな。なんか、
悔しくてつんけんしちゃう。もっと可愛らしくしなくちゃ。

「ううん、いいの。気にしないで」
「そうか。ごめんな」

 ああっ。なんか雰囲気悪くなっちゃった。どうしよう。

「ホントに気にしないで。それにさ、実はあんまり料理得意じゃないから。やっぱり男の
子ってそういうの得意な女の子が好きなのかな…」

 って、何言ってるのよ、私。これじゃ、誘導尋問じゃん。答えよう無いじゃん。
『いやぁ、俺は料理の出来ない女が大好きなんだ』…とかって有り得ないから。

「…なんて聞かれたら困るよね。ハハハ…。ああ、気にしないで、気にしないで…」

 一人相撲の泥沼状態。もう、このままさくっと地面に埋めて欲しい。北村君はすっかり
困惑。情けなくて、恥ずかしくて、私はリゾットをスプーンで無意味にかき回す事ぐらい
しかできない。

 もうやだ、せっかくのデートなのに。楽しくお話したかったのに。彼の笑顔を見ていた
かったのに、何を言っても混乱させて困らせちゃう。 

「木原」

 伏せていた顔を上げて彼を見た。

「すごいモノを見せてやる」
「え?」
 まさかここで脱ぐの? と思ったらさすがに違った。ごめんね、北村君。
 北村君は水の入ったグラスに人差し指を入れて濡らすと、その指でテーブルに五センチ
ほどの円を描いた。私は意味が分からなくて、ただ、その輪を眺めた。

「これな、スイッチなんだよ。指で押すとちょっとだけ時間が戻る」
 私は多分、きょとんとしている。そんな私に北村君は「いいから、押してみろよ」と言っ
た。私は言われるまま、水滴で描かれた輪の中央に右手の人差し指を置いた。すると北村
君は効果音のものまねをして「きゅぃーん…」っと。まるっきり意味が分からない。


 北村君はおもむろにフォークでペンネを突いて口に入れ、
「うん、これも美味しいな」と微笑んだ。

「木原も食べてみろよ」
 彼はそう言ってフォークでペンネを突き刺して、私の目の前に突きだした。
「いいから」
 私は彼の突きだしたフォークにかじり付くようにペンネを口に入れた。
「おいしいね」
「そう言えば、亜美の別荘に行ったとき、高須がアラビアータを作ってくれたよな。あい
つのアラビアータ、これに負けてないよな」

 そっか。そういうことか。

「ふふっ。ホントに時間戻っちゃった」
「え? 何言ってるんだよ」
 北村君は真顔でそんなことを言っている。

「ううん、なんでもない。そうそう。高須君のアラビアータ、ホントに美味しかったよね」

 私は目一杯微笑んだ。暖かくて、甘くて、ちょっと酸っぱいような、そんなフィーリン
グに私の頬はだらしなく蕩けるように緩んでいる。たぶん、きっとそうなっている。


***


「さてと、そろそろ引き上げるか」
「うん、そうだね」

 頃合いだった。食事の後、買い物に付き合ってもらっていろんなお店を見て回った。そ
して時刻はもうすぐ午後五時。清い交際の第一歩としてはこれぐらいにしておくのが良い
と思う。物足りない、と言えばそうだけど、好きな人から好いてもらえそうな自分でいるっ
て言うのは結構疲れる。

 でも、肝心の第二歩はあるんだろうか?

「あのさ…」
 聞くのが怖い。『またね』と言わせてもらえるのだろうか。
「ん?」
 北村君の優しい目が私の表情を捉えた。
「…その、また、デートしてくれるかな? 北村君が暇な時でいいから」
 ぼぅっとするのが自分で分かった。私の顔も耳も真っ赤だろう。
「もちろん!」
 そう言って彼はにこっと笑った。

 嬉しくて涙が出そう。だから、私は瞼を閉じて彼に微笑んだ。こんな事ぐらいで泣いちゃ
うような女の子だって思われたくないし、変に気を遣わせたくもない。


「ありがと。北村君」
 私はちょっと俯いて、軽く洟をすすった。

「帰ろ」涙を押し戻して彼に微笑んだ。

 夕方の街は人波で溢れていた。はぐれてしまわないように人混みを縫うように歩く。

「やっぱり、夕方になると混むんだな」
 彼の声も雑踏にかき消されそうになる。
「そうだね」
 私は少し大きな声で応えた。
 彼がふっと振り向いて、微笑んだ。次の瞬間、彼は私の手から紙バッグを取り上げて、
大きな左手で私の右手をそっと握った。
「えっ!」突然の事に思わず声を上げた。
「ああ、ごめん。はぐれちゃいけないと思って」
 北村君はそう言ってはにかんだ。
「ありがと。離さないでね」
 私も笑顔で応えた。

 大きな手は温かくて、夏なのに、暑いのに、その温もりが嬉しくて、

 嬉しくて、
 嬉しくて、
 嬉しくて、

 本当に、唯々、嬉しくて…


 押し込んでおいた涙がたった一粒だけこぼれて頬をつたった。


(Tears of joy / きすして〜Supplemental story おわり)




335 356FLGR ◆WE/5AamTiE sage 2010/03/15(月) 21:08:30 ID:sqZ7wYm+
以上で投下完了です。
読んでいただいた方、ありがとうございます。

356FLGRでした。

323 356FLGR ◆WE/5AamTiE sage 2010/03/15(月) 21:00:45 ID:sqZ7wYm+
356FLGRです。
 書いてしまったので投下します。
 タイトル:「Tears of joy / きすして〜Supplemental story」

「きすして3 Thread-B」=(北村×木原)の続編です。補間というか、補足というか、
そんな位置付けのお話です。前スレで予告していた最終話は次スレに投下します。
「きすして3 Thread-B」の既読を前提としています。未読の場合、保管庫の補完庫さん
で読んでいただけると嬉しいです。

注意事項:北村×木原、エロ無し、時期は高校三年の夏休み、レス数11
次レスより投下開始。
規制等で中断するかもしれません。

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