最終更新: text_filing 2009年10月03日(土) 23:02:08履歴
◆KARsW3gC4M sage 2009/10/03(土) 20:28:47 ID:HhBu2NGl
[キミの瞳に恋してる(5)]
疲れた…マジで疲れた、心身共に…。
俺は自室のベッドに突っ伏して身体を休める。
この週末の二日間、全く気が抜けなかったし、予想外の出来事が多過ぎた。
まず土曜日、木原がおかしかった…うん、おかしいというか気合いが入りまくってた。
手を繋ごうと言われたり、間接キス的な事をした。俺にとっては生殺しに近い内容の事ばかりしてくる。
木原は……『北村と付き合いたい』その一心でこういう事を俺で試してるんだろう?
手を繋げば細い指が絡んでくる、何か言えば頬を赤く染めてチラチラ見ながら恥かしそうに返してきて、挙句に…こちらを意識したような行動ばかり。
『間接キスとかも能登は嫌?』
よく思い返してみれば、まるおのまの字すら出てこない、明らかに俺に向けられた言葉の数々。
彼女の言った言葉が今も頭の中で木霊して止まない。柔らかく瑞々しい唇が缶に触れる様が繰り返し再生される。
混乱する…木原は俺の気を引こうとしているのか? そう解釈していいのか、俺の思い過ごしか、わけが解らん。
二日間の出来事だけでは判断出来ない、勘違いして嫌われたくない。
俺は彼女に確認する術を知らない。
『木原よー、お前もしかして俺の事が好きなの? ん?』
なんて聞けるわけないし、怖くてしたくない。
昨日の夜、その段階では浮かれているだけで、ここまで考えていなかった。思い悩んでいるのは今日の出来事が原因だ。
今日、つまり日曜。俺は木原と居た。それは前日にした事をなぞるように…『相談』された。木原の家で…。
そして…何より内容が問題だ。
...
..
.
明るい青色を基調としたカーテンと壁紙にカーペット、可愛いヌイグルミが部屋の片隅で山になっている。
ティーンブランドの紙袋が制服やコートと共にハンガーラックに掛けられ、女子特有の甘酸っぱい香りで満たされている。
それが木原の部屋で、俺は初めて招かれた女子の部屋で…ガチガチに緊張していた。
『外は雨が降りそうだから』
木原がそう言って、俺を家に招いてくれた。確かに空は曇っていて、今にも雨が降りそうだった。
やっべぇ、何っすか…すげぇいい匂いする……。これが木原の部屋…てか、目のやり場に困るんですけど。
俺の心臓がエイトビートを刻む、その理由は簡単だ。
木原が俺に背を向けダウンジャケットをラックに掛けようとしていて、微妙に届かないのか背伸びして…見えそう。
ベージュのミニスカ、柔らかそうな白いフトモモ…その付け根、てかスカートの奥。そう、下着が見えそうなのだ。
見ようと思えば簡単に拝見出来る、だが俺は膝の上の拳に視線を向けて耐える。
木原に対して失礼、何より俺の良心が許さない。以前、良心の壁を越えた後に罪悪感に襲われ、二度と越えまい、と誓ったのだ。
木原が身を翻し、こちらに向かって来たのを気配で感じ、続いて白い丸テーブルを挟んで座る。
俺の葛藤は彼女に知られずに澄んだ、ただ不思議そうに見やり首を傾げた。
問題はここからだ、暫く無言状態が続いた後…
『能登はキス…したことある?』
彼女が…そう『俺に』質問した。唐突に…。
「え、………え?」
もちろん俺は当惑する。 『まるおはキス…したことあるのかな、能登は知ってる?』とかなら解るよ、でも俺を名指し。
恥かしそうに顔を俯かせ、女の子座りした彼女はモジモジしながら俺の返事を待っている。
「お、俺? えっと…な、無いけど?」
意図が不明だけど俺は素直に答える、今さら見栄を張っても仕方無いし…。
逆に嘘をつく方がカッコ悪い…と思うんだよね、女々しいみたいな。
木原が指先で自分の唇をなぞる…、俯いていて表情は解らないけど、耳も頬も真っ赤で……俺は魅入られる。
目を奪われた、艶のある薄桃色の唇を俺に示すように一回、二回と指先が滑っていく。
「あ、ああ…ごめん。そういえば飲み物とかいる? ココアくらいしか無いけど」
質問、それが何の意味があるのか教えて貰えぬまま…木原はそう言って俺の返事を待たずに部屋を出て行ってしまった。
俺はポツンと取り残され頭を抱える。
『何だ…? 何なんだ昨日から……木原の考えが読めない』
俺は見ての通り困惑し、必死に考えを巡らせる。
『時間を掛けても木原を振り向かせる』
それを実現させる方策は木原の心変わりを狙い、自身のアピールに努める、だ。
俺は木原の気持ちが北村に向いていると信じている、だからその考えに基づいてプランを練っていて、行動には移せていない。
アイツは北村を惹く為に……俺に相談してるんじゃ無いのか?
その前提は悔しくも自分の拠り所なのだ、北村と俺が入れ替わる…いわば目標。
同時に俺と彼女を繋ぐ接点でもあって、それが仮に木原の気持ちが俺に向いているなんて想ったら何故か自信が無くなるのだ。
何の取り柄も無い、つまり凡人の俺に好意を持たれてるなんて信じれない、自惚れじゃなく怖れ、疑心暗鬼に囚われそうになる。
あれだけ『木原が好きだ、何としても振り向かせる』なんて息巻いていても…。
もしかしたら好意を持たれてると考えられる兆候が見えてしまうと、いざとなったら恐い…逃げてしまいたくなる。
だって…まだ日数にして二日も経っていない、なのに…どうも自分の妄想が具現化したような事態ばかり起こる。
尻込みしちまうだろう、誰だって…。
カマを掛けてみればハッキリする、しかしそれは諸刃の剣。運良くいく保証なんて何処にも無い。
一度でも『そうなのか』と疑ってしまうと、否定された時が恐い。
例えば高須と亜美ちゃんの場合、ヤツの言う事が正しいなら、亜美ちゃんが積極的に好意を伝えてきて惹かれたんだとか。
高須の心を奪うくらいにハッキリ…亜美ちゃんはアピールしたんだろう。そして見事に射止めた。
だが、俺の場合は違う。曖昧なのだ、俺はハッキリしているが木原は曖昧。
金曜…つまり俺が授業をサボった日、アイツは北村に告った。まだ日も浅い。舌の根も乾かぬ内に心変わりなんて有り得るのか?
高須は櫛枝が好き、櫛枝も高須が好き…すれ違ったけど両想い。亜美ちゃんは片想いだった。
だが、ほぼ詰み状態の盤面をひっくり返した。
俺もひっくり返せるのか、亜美ちゃんみたいに勇気を出せるか?
……まだ出来ねぇ、判断材料が足りない。勇気が出ない。
「お、お待たせ。ココアは甘くても…良かった? 適当に砂糖入れちゃったから…」
そう思考していたら木原の声が聞こえて我に帰る。
目の前にココアの入ったマグカップが置かれ、お茶菓子のクッキーの皿を真ん中に…、憂いを帯びた表情の彼女も見えた。
「あ…大丈夫、甘い方が好きだから」
俺はすぐに気持ちを切り替える………臆病だから。
確実性が無いと踏み出せない、自信が無くて弱いから…、情けねぇけど。
熱いココアを啜って、木原の様子を伺う。
彼女は自身のマグカップには口をつけず、ただジッと上目遣いで俺を見てくる、視線が合っても昨日みたいに逸らさず。
俺がクッキーを食べて、咀嚼するのを見守った後、彼女が口を開いた。
「ど、うかな? お、おお美味しい…?」
「あ、ああ、うん。美味しいよ、その…ココアもクッキーも」
その大きな猫目で恐る恐る伺うように、だが俺の返事を聞くと『憂い』から『喜び』に表情が変化した…ように見える。
「っう…」
俺は再び魅入られる、言葉が出なくなる、彼女の満面の笑みが眩しくて…。
「良かったぁ…、実はソレ、クッキー…私の手作りなんだ、早起きして作ったの。
調理実習の時を思い出して、あと奈々子に電話して聞きながら
………って、あはは…何言ってんだろ私……」
普段のギャルっぽい口調なんて…全く無し、今の木原は歳相応の可愛らしさで……甘くて幼い。
照れた微笑み、それはさっきの憂いを隠す為か、それとも本心か……解らない。変化があり過ぎて解らないよ。
「ちょーありえないよね、ガラでも無いっていうか…変じゃね? 私には似合わないし……」
言い訳…なのか、今度は自己の否定とも言える事を言い始めた木原。
「いや、木原だって女子だし、お菓子作りは意外だったけど、全然変じゃない、よ。
俺は木原が凄いと思う、こんなに上手に出来たらスゲーって」
このクッキー…俺の為に作ってくれたんだろうな、慣れてないから形は歪だけど…味はかなり上手い。
「そ、そうか…な。うん、そうなんだ…」
彼女が恥かしそうにはにかむ様を見てしまい、俺は堪らなくなる。
だから…我慢出来なくなって質問する、さっきは答えてくれなかった質問の意味を問う。
「ところでさっきの、キス…がどうとかって聞いたじゃん?
あれって…どういう意味で聞いたの?」
と…、カマを掛けるんじゃなくストレートに、臆病で逃げ出しそうになる自分を奮い立たせて問う。声が震える、けど途中で投げたりはしない。
「…ん、それね、あはは…、うーん…あの…あぅ…、……わ…………ったから」
彼女は恥かしそうにモジモジするだけで要領を得ない。
『あうあう』と言い難そうに俺をチラチラ伺って、しばし後に何かを呟く、が、聞き取れない。
「うん?」
フルフルと小刻みに身体を震わせる木原が再び口にした言葉、それは…
「わ、私と……一緒だな…って、わ、私も…キス……したことないから……能登は…した事があるのかなって……」
……うん、まあ…そこまでなら別段…ね、でも問題はそこからだ。
「た、た試してみたり…したいって想わない? わ、私……とキス…して…みない?」
「わたっ…私ね! 能登っ…能登とっ! うぅっ…キ、キスッ! しちゅっ…してみたい!!
」
木原がバンッ!と両手で勢い良くテーブルを叩いて身を乗り出す。
彼女に言われた事、その破壊力は抜群で俺の思考を止めるには充分過ぎた。
「え…、あ……、えぇっ!?」
信じれるか? 俺とキスしたい、そう確かに言った。間違い、いや間違なく、ああでも聞き間違い………いやいや!!
つじつま…なんて、言動と行動の統合性なんて皆無、突き付けられた現実…それは…どう見たって木原に迫られて当惑する自分の姿だった。
「能登が…良いなら……し、しちゃう、よ? わ、私の"初めて"……も、貰ってよ」
この突飛も無い行動に俺は後退りしてしまう、半端無く魅力的な提案、しかし急過ぎて受け入れるまで至れない。
俺の右前方からジリジリと四つん這いで迫って来る彼女、瞳が潤んで表情なんか蕩けていて……言い方はアレだけど、熱に浮かされていた…。
「きょ、今日…部屋に誘ったのは………の、能登と……んくっ、キスした、かったから…なんだよ」
獲物ににじり寄る猫みたいにジリジリと差を詰めて来る彼女に圧倒されていた。
後退りする俺の思考は停止、心拍数がレッドゾーンに飛び込みオーバーレブ寸前…ただ目の前まで近付いた木原に釘付けになる。
俺の背中が何かに当たってそれ以上は引けなくなる、ベッドにぶつかったようだ。
「い、いやいや! その…嫌じゃないけど、なんで! 急…急じゃね? 俺、俺となの、北村とじゃ………、っ!?」
とたんに冷静さを多少は取り戻し、建前と本音、それらが入り交じってはいるが倫理を問おうとした。
だって、だ…木原は北村と……そうなんだろ、なら俺と『したい』は意味が解らない。
だが、俺の唇はそれ以上を紡げなくなる。
ガツッ!と固い物が歯に当たったと同時に柔らかい物が唇に押し当てられたから、だ。
鈍い痛みと暖かく柔らかい感触、今まで高鳴っていた心音が小さくなる感覚、何が起こったのか理解出来ずにいた。
俺は見開いた目で見てしまった、瞼をギュッと閉じて顔を真っ赤にした木原の顔を………零距離で。
荒くなった息遣い、甘ったるい彼女の匂いすら感じられる最至近に……居た。
両頬を手で押さえられ、塞がれた唇の熱で融ける。何もかもが融けていってしまう。
俺達の周りだけ時間が停止したような…感覚。遠くで時計の秒針が刻まれていく音が聞こえる。
「あ、あああ…。そ、そのごめ、ん…わ、私……」
数十秒経った…頃、木原が冷静になったのか、うろたえて俺から離れた。
「…っ! き、木原……」
俺も現実に戻される、高揚感、羞恥、照れ、戸惑い、様々な感情が入り乱れて混乱し…何を言うべきかの見当もつかない。
悲痛な表情をした彼女と固まった俺、二人の間に会話は無い。
降り始めた雨の音が静寂を破って耳に届く、それとは別に俺の高鳴っている心音もあるが……それは抜きにしてもいい。
状況の把握に努めようとしても、混乱した頭は木原の熱を繰り返し思い出させるだけ…。
「わ、わた…し………じゃ駄目か、な…」
どれだけの時が過ぎたのか見当がつかないが、静寂を破ったのは木原だった。
「の、能登が好き…なんだ…いきなりだからわけわかんないと思うけど………ずっと見てたの」
彼女が再び俺との距離を詰めて来る。縋るように、媚びるように、恐る恐る…でも確実に…。
「で、でも北村に告って…たよね、一昨日…に。たった二日前だ……」
「ま、まるおに告ったのは………ムシャクシャしてて本心で言ったんじゃないの、
信じてくれないかもしれないけど、ほ、本当だよ?」
木原が俺の身体に覆い被さり、頬を震える手で撫でながら無理矢理微笑む。
「一年の頃から見てたもん、お願い…これは嘘じゃないから信じて…嫌いにならない、で…」
そう言われても何が何だか……何が嘘で、何が真実かも解らない。
「い、や…おかしいって……つじつまが合わない、じゃあ修学旅行の時のアレは…てか、その前から言ってたじゃん?
まるおーまるおーって……アレは何なのさ?」
嬉しいとは思うよ、でも疑心の方が強い……信じてやりたい、ああそうだよ、信じたいよ木原の言う事を…。
「そ、それは……う…、まだ言えな、い…。言ったら軽蔑されちゃうもん…」
でも、そんな風に言われたら…どうすりゃいいんだよ。
いいよ信じても、でも…信じるなら全面的に…だ。出来るか? 信じて裏切られたら?
考えたくないけど、木原は自棄になってて北村に当て付けしたくて…みたいな、それで俺に言い寄ってるとか。
嫌だ、嫌だ、考えるな! そんなの堪えれるかよ!
「…じゃあ…じゃあ、チャンスを頂戴? 一回で良いから私にチャンスを……能登に信じて貰いたいから」
...
..
.
顛末をざっと…こんな感じかな。正直な話、俺は参っていた。
事態が性急過ぎるのも要因だけど、何より木原の言う事が本心なのか確認しようが無い。
奈々子様や亜美ちゃんに聞いたとしても絶対では無いし、他ならぬ本人しか知り得ない事だからだ。
『夜まで考えさせて』
そう言って俺は帰ってしまった。その場で答える事なんて不可能だった。
即答するのは簡単だ、俺が考えていたように振り向かせる、いやこの場合は俺が歩み寄る、か?
そうする事に変わりなく、辿る道が微妙に変わるといった感じ。むしろ『近道』になる。
だが答を先送りしたのは木原に対して誠実でありたいからだ、本心を包み隠さずに伝えたいから、行動として表したいからこそ考えないといけない。
いや、ぶっちゃけ答なんて決まっているよ。ただ踏ん切りがつかないというか、事態を受け入れようともがいているのだ。
確かに彼女の言った事は嘘じゃないかもしれない、…なら何で回りくどい事をしたのか理解に苦しむ。
北村についての『相談』から徐々に心を開いていって……、みたいな…それこそ何ヵ月単位の積み重ね。
それなら解る、そうしたいと思っていたからだ。
だが木原の言う事が正しいなら、隠していた気持ちがこの二日で爆発したというか…、だからか通常の過程を駆け足で進んでいる。
いや正しいんだろう彼女的には。離すものか、と必死で…考えうる限りの自己主張をしているのだ。
一目惚れでキスまで出来たら、北村に対してすでにしている。手を繋ぐなら常にしていただろうし…。
北村もそんな事があったのなら靡くだろ、つまりそれは無かったみたいで…。
……木原の言っている『一年の頃から見てた』は本当なの…かな?
いや、別に虚構だの真実だの…関係無い、シンプルに『好きか嫌い』の二択で考えないと…。
俺は木原が好き…それでいいじゃん、何をどうしたって嫌いになれない。なら…チャンスを与える、と同時に俺もチャンスを貰う。
お互いの気持ちを確かめて、意見の相違が無ければ良い。晴れて恋人同士だ。
すれ違っている部分を繋いで、共有して、何でも試してみるって事さ。関係が壊れたら、なんて考えると恐いけど勇気を出す。
この関係を提案したのは俺だ、予想とは違ったけど…早いの遅いのなんて屁理屈なんだよ、マジで。
高須が言っていた『好きになるのは理屈じゃない』…悩んでいた時、亜美ちゃんに言われたらしい。
そうだよな、怖れて疑っていたら見失う。木原は俺を好いてくれていて、俺も同様で、なら理屈じゃなく勢いも大切だ。
なんだかんだ『流されている』のは事実、木原からのアプローチが無ければ俺は未だにウジウジしていただろう。
新たな関係を示してくれた彼女から勇気を貰い、俺からは気持ちを贈る。
「よし…」
そうしよう、なら次は行動だ。返事をする、俺からも…チャンスを与えて欲しいとお願いするんだ。
メール? 電話? ……いや直接『逢って』だ!
『今から家に行ってもいい? もし良かったら二十分後に家の前に居て欲しい』
そうメールしてから身支度し、鏡を覗き込んで髪を弄る。
ワックスでちょいちょいと数ヵ所にアクセントを加える。手早く…。
ジャケットの背を手で払い、汚れていないか確認して羽織り再び鏡と向き合う。
『わかった、待ってる。気をつけて来てね』
送られてきたメールを見てフリップを閉じる。
自室から出て階段を駆け降り、玄関でミドルカットスニーカーを突っ掛ける。爪先を思い切り床に打ち付けて無理矢理履く、型崩れを気にしてなんかいられない。
玄関から飛び出してからは全力疾走、一刻でも早く逢いたいから薄暮の街を駆けていく。
運動不足ですぐに息があがる、酷使する肺や脚が痛いし、脇腹がズキズキ鈍痛を伴って軋む。土踏まずの感覚が鈍くなり、ふくらはぎがパンパンになる。
辛いよ、でも走るんだ。二十分より十五分、十五分よりは十分…自分が急ぐことで逢う時間が早まり、長く話せる。
せっかく身だしなみも整えたのに走ったら意味が無いと言われたら返す言葉は無い。
でも良いんだよ、彼女は待っているかも。もしかしたら…メールが届いてからすぐ外に出て待ってるかもしれないだろ。
天秤に掛けて比重が重いのは『木原麻耶』だから…それで察して欲しい。
……居た。木原だ、ガチで待っていてくれた。
サラサラの長い髪を靡かせ、ファー付き紫色のダウンに気合いのミニスカート、そしてブーツ、見間違いじゃなく木原麻耶だ。
後ろ手を組んでソワソワと辺りを伺っている、その姿を視界に入れて最後の力を振り絞る。
落ちてしまったスピードを上げて全力全開、彼女の名前を呼びながら残り30メートルを駆けていく…。あと20…10…。
「っぐ! っは! き、きぃはぁら、あぁーっ!! はあっ!! はっ! あべしっ!!??」
そして足がもつれて木原の目の前で盛大にコケてしまう…。
.
「気をつけてって言ったのに…」
俺は再び彼女の部屋に上げられ、そう言われた。
そして見詰めているのは天井、また、アレですよ寝転がっているんです。
何故か? 簡単だ、俺はコケた時に顔面から着地、鼻をしこたま打って鼻血を出血大サービス中なのだ。
こういう時は寝転がるのはNGだ、気管に血液が流入するらしい………が、俺は寝転がっている。
ふひひ…理由? 木原に言われたからだよ、決まってるじゃん。
だって膝枕だよ、ひ・ざ・ま・く・ら! 木原がしてくれてるんだ断れるかよ!
細く見えてめちゃ柔らかいです、たまりません。リビドー的に。
「いやぁ…待たせるのは駄目かなって…」
木原の表情はここからは伺えない、そっぽを向かれているから。
「て、てか…の、能登が来てくれたのって……さっきの答を…くれる為だよね?」
続けてうわずった声で紡がれた言葉、期待と怖れが半々…ドキドキしているんだと思う、無意識にフトモモを擦り合わせてるし…。
「まあ、ね。答えは………」
「いいっ! そ、そのままでいいからっ! また鼻血出されてカーペットにでも落とされたらイヤですしぃ!」
起き上がろうとすると木原に頭を押さえられて遮られる。
「あ、じゃあ…言うよ?」
ここぞとばかりに落ち着く場所を定めるフリをして後頭部で『木原』を堪能しつつ俺は問い掛ける。
「う、うんっ!」
彼女が二回、大きく頷く。
ちなみに下から見上げる七部丈のシャツの胸元…緩やかに膨らんだ部分も気持ち揺れる様が見えてしまう。眼福眼福…。
「木原が言っていたチャンス…っての? あれ…俺も欲しい、なぁ…って。
木原の事、まだ知らない事だらけじゃん、知りたいし見てみたいし、見て貰いたいし知って欲しいって想ってる」
初めは言葉を選ぶように途切れ途切れに…、やっぱり緊張するよ告白も同然だし。だけど、だんだん一息に…自然に自分の気持ちを言えるようになる。
「さっきはビックリしたよ確かに、でも嫌だったんじゃない…嬉しかったからビックリしたんだ」
「木原は北村の事が好きだって…ずっと思ってたさ、けど俺の事が好きだ…って言ってくれて更にビックリ…してて。
そ、その…俺も好きなんだよ木原の事…、ずっと前から好きで……」
そこまでは流れるように紡がれていた言葉が……出なくなる。心臓が激しく鼓動し、照れやら何やらで余計に緊張している自分がいた。
「の、能登も…私の……事を?」
ブルッと一回震えた彼女が独り言のように呟く。
「だ、だから…一緒にさ…遊んだり、して…もっと仲良くなりたいな……って、無理せずに自然に…。
うぅ…あ、あ…つまり、つまりね……お、おりぇ…俺はっ木原と居たいんにゃよっ!」
噛んだ…肝心の締めで噛んじまったよ…恥かしい。どこまでヘタレなんだよ俺はっ!!
やっぱりよくよく考えたら、こういうのって目を合わせて言うべきじゃんっ! 今さらだけど!
「う、うん! わ、わわ私も能登と居たいもん! 知りたいよ、見たいよ、っん! いっぱい見て欲しい、私をもっと好きになって欲しいよぅっ!! ぐすっ!」
木原も緊張していたんだな、俺の失敗を気に掛ける余裕なんて無い華麗にスルー。
涙ぐみ…今にも泣き出しそうになりつつ答えてくれる、はっきり見えないけど…。
いや見る! こういう時に男が取るべき行動は決まっている。そうすれば見えてしまうものだ。
「きはっ、木原…泣くなって…泣き顔より笑顔が見たいし」
俺は起き上がって、そっと木原を抱き締めてみる、僅かにピクッと彼女は震えたが徐々に力を抜いて俺に抱き付いてきた。
そして格好つけて言ってみても実はガチガチに緊張している。
「だって、だって! うぅ…能登が泣かすこ、とを…ひぐっ! 言うからじゃん!
嬉しい、の、に、すんっ! 涙が出ちゃうし、私だって恥かし、いんだからっ!」
肩に顔をグルグル押し付けて彼女が紡ぐ。ほぼ同じ目線の木原もやっぱり女の子なんだな…とか思ったりして。
肩幅は狭いし、身体は小さいし、柔らかいし、いい匂いだし……。
だけどそんな浮ついた考えは一気に霧散してしまう……。
「のひょ、…っん! のとぉ…あむ…、ぐしゅっ! んんっ!」
それは木原が唇を重ねてきたから、だ。
いや重なるなんて…それ以上だよ。舌…舌がっ! 入っ…て…。
顔を真っ赤にして泣きながら、木原が舌を口内に潜らせて…来て。
よほど嬉しかったんだろう、気持ちが高ぶってみたいな?
頭をギュッと強く抱き寄せられ、俺の舌を捕らえようと奥へ奥へと来る。
くすぐったいような、気持ち良いようなフワフワした気持ちになり、同時に生々しくて、甘酸っぱくて、堪らなくて…。
何も考えられなくなって、俺も木原と舌を絡めて戯れる。
彼女の熱に溶かされ、柔らかく包まれて、俺からも包んで…ただ夢中になって貪る。
密着した唇の柔らかさ、漏れる吐息、甘く酔う彼女の味。
初っ端から濃厚な『木原』に絆され、熱くなっていく。
だけど…木原が俺から唇を離して、口元を手で隠して恥かしそうに俯く。
泣きやみはしているけど、まだ瞳はウルウルしていて、顔はやっぱり赤くて…可愛くて。
「血の味がする…」
そう呟いて彼女は俺の胸板に顔を埋め、照れ隠しなのか背中に回した手で爪を立てる。
続く
[キミの瞳に恋してる(5)]
疲れた…マジで疲れた、心身共に…。
俺は自室のベッドに突っ伏して身体を休める。
この週末の二日間、全く気が抜けなかったし、予想外の出来事が多過ぎた。
まず土曜日、木原がおかしかった…うん、おかしいというか気合いが入りまくってた。
手を繋ごうと言われたり、間接キス的な事をした。俺にとっては生殺しに近い内容の事ばかりしてくる。
木原は……『北村と付き合いたい』その一心でこういう事を俺で試してるんだろう?
手を繋げば細い指が絡んでくる、何か言えば頬を赤く染めてチラチラ見ながら恥かしそうに返してきて、挙句に…こちらを意識したような行動ばかり。
『間接キスとかも能登は嫌?』
よく思い返してみれば、まるおのまの字すら出てこない、明らかに俺に向けられた言葉の数々。
彼女の言った言葉が今も頭の中で木霊して止まない。柔らかく瑞々しい唇が缶に触れる様が繰り返し再生される。
混乱する…木原は俺の気を引こうとしているのか? そう解釈していいのか、俺の思い過ごしか、わけが解らん。
二日間の出来事だけでは判断出来ない、勘違いして嫌われたくない。
俺は彼女に確認する術を知らない。
『木原よー、お前もしかして俺の事が好きなの? ん?』
なんて聞けるわけないし、怖くてしたくない。
昨日の夜、その段階では浮かれているだけで、ここまで考えていなかった。思い悩んでいるのは今日の出来事が原因だ。
今日、つまり日曜。俺は木原と居た。それは前日にした事をなぞるように…『相談』された。木原の家で…。
そして…何より内容が問題だ。
...
..
.
明るい青色を基調としたカーテンと壁紙にカーペット、可愛いヌイグルミが部屋の片隅で山になっている。
ティーンブランドの紙袋が制服やコートと共にハンガーラックに掛けられ、女子特有の甘酸っぱい香りで満たされている。
それが木原の部屋で、俺は初めて招かれた女子の部屋で…ガチガチに緊張していた。
『外は雨が降りそうだから』
木原がそう言って、俺を家に招いてくれた。確かに空は曇っていて、今にも雨が降りそうだった。
やっべぇ、何っすか…すげぇいい匂いする……。これが木原の部屋…てか、目のやり場に困るんですけど。
俺の心臓がエイトビートを刻む、その理由は簡単だ。
木原が俺に背を向けダウンジャケットをラックに掛けようとしていて、微妙に届かないのか背伸びして…見えそう。
ベージュのミニスカ、柔らかそうな白いフトモモ…その付け根、てかスカートの奥。そう、下着が見えそうなのだ。
見ようと思えば簡単に拝見出来る、だが俺は膝の上の拳に視線を向けて耐える。
木原に対して失礼、何より俺の良心が許さない。以前、良心の壁を越えた後に罪悪感に襲われ、二度と越えまい、と誓ったのだ。
木原が身を翻し、こちらに向かって来たのを気配で感じ、続いて白い丸テーブルを挟んで座る。
俺の葛藤は彼女に知られずに澄んだ、ただ不思議そうに見やり首を傾げた。
問題はここからだ、暫く無言状態が続いた後…
『能登はキス…したことある?』
彼女が…そう『俺に』質問した。唐突に…。
「え、………え?」
もちろん俺は当惑する。 『まるおはキス…したことあるのかな、能登は知ってる?』とかなら解るよ、でも俺を名指し。
恥かしそうに顔を俯かせ、女の子座りした彼女はモジモジしながら俺の返事を待っている。
「お、俺? えっと…な、無いけど?」
意図が不明だけど俺は素直に答える、今さら見栄を張っても仕方無いし…。
逆に嘘をつく方がカッコ悪い…と思うんだよね、女々しいみたいな。
木原が指先で自分の唇をなぞる…、俯いていて表情は解らないけど、耳も頬も真っ赤で……俺は魅入られる。
目を奪われた、艶のある薄桃色の唇を俺に示すように一回、二回と指先が滑っていく。
「あ、ああ…ごめん。そういえば飲み物とかいる? ココアくらいしか無いけど」
質問、それが何の意味があるのか教えて貰えぬまま…木原はそう言って俺の返事を待たずに部屋を出て行ってしまった。
俺はポツンと取り残され頭を抱える。
『何だ…? 何なんだ昨日から……木原の考えが読めない』
俺は見ての通り困惑し、必死に考えを巡らせる。
『時間を掛けても木原を振り向かせる』
それを実現させる方策は木原の心変わりを狙い、自身のアピールに努める、だ。
俺は木原の気持ちが北村に向いていると信じている、だからその考えに基づいてプランを練っていて、行動には移せていない。
アイツは北村を惹く為に……俺に相談してるんじゃ無いのか?
その前提は悔しくも自分の拠り所なのだ、北村と俺が入れ替わる…いわば目標。
同時に俺と彼女を繋ぐ接点でもあって、それが仮に木原の気持ちが俺に向いているなんて想ったら何故か自信が無くなるのだ。
何の取り柄も無い、つまり凡人の俺に好意を持たれてるなんて信じれない、自惚れじゃなく怖れ、疑心暗鬼に囚われそうになる。
あれだけ『木原が好きだ、何としても振り向かせる』なんて息巻いていても…。
もしかしたら好意を持たれてると考えられる兆候が見えてしまうと、いざとなったら恐い…逃げてしまいたくなる。
だって…まだ日数にして二日も経っていない、なのに…どうも自分の妄想が具現化したような事態ばかり起こる。
尻込みしちまうだろう、誰だって…。
カマを掛けてみればハッキリする、しかしそれは諸刃の剣。運良くいく保証なんて何処にも無い。
一度でも『そうなのか』と疑ってしまうと、否定された時が恐い。
例えば高須と亜美ちゃんの場合、ヤツの言う事が正しいなら、亜美ちゃんが積極的に好意を伝えてきて惹かれたんだとか。
高須の心を奪うくらいにハッキリ…亜美ちゃんはアピールしたんだろう。そして見事に射止めた。
だが、俺の場合は違う。曖昧なのだ、俺はハッキリしているが木原は曖昧。
金曜…つまり俺が授業をサボった日、アイツは北村に告った。まだ日も浅い。舌の根も乾かぬ内に心変わりなんて有り得るのか?
高須は櫛枝が好き、櫛枝も高須が好き…すれ違ったけど両想い。亜美ちゃんは片想いだった。
だが、ほぼ詰み状態の盤面をひっくり返した。
俺もひっくり返せるのか、亜美ちゃんみたいに勇気を出せるか?
……まだ出来ねぇ、判断材料が足りない。勇気が出ない。
「お、お待たせ。ココアは甘くても…良かった? 適当に砂糖入れちゃったから…」
そう思考していたら木原の声が聞こえて我に帰る。
目の前にココアの入ったマグカップが置かれ、お茶菓子のクッキーの皿を真ん中に…、憂いを帯びた表情の彼女も見えた。
「あ…大丈夫、甘い方が好きだから」
俺はすぐに気持ちを切り替える………臆病だから。
確実性が無いと踏み出せない、自信が無くて弱いから…、情けねぇけど。
熱いココアを啜って、木原の様子を伺う。
彼女は自身のマグカップには口をつけず、ただジッと上目遣いで俺を見てくる、視線が合っても昨日みたいに逸らさず。
俺がクッキーを食べて、咀嚼するのを見守った後、彼女が口を開いた。
「ど、うかな? お、おお美味しい…?」
「あ、ああ、うん。美味しいよ、その…ココアもクッキーも」
その大きな猫目で恐る恐る伺うように、だが俺の返事を聞くと『憂い』から『喜び』に表情が変化した…ように見える。
「っう…」
俺は再び魅入られる、言葉が出なくなる、彼女の満面の笑みが眩しくて…。
「良かったぁ…、実はソレ、クッキー…私の手作りなんだ、早起きして作ったの。
調理実習の時を思い出して、あと奈々子に電話して聞きながら
………って、あはは…何言ってんだろ私……」
普段のギャルっぽい口調なんて…全く無し、今の木原は歳相応の可愛らしさで……甘くて幼い。
照れた微笑み、それはさっきの憂いを隠す為か、それとも本心か……解らない。変化があり過ぎて解らないよ。
「ちょーありえないよね、ガラでも無いっていうか…変じゃね? 私には似合わないし……」
言い訳…なのか、今度は自己の否定とも言える事を言い始めた木原。
「いや、木原だって女子だし、お菓子作りは意外だったけど、全然変じゃない、よ。
俺は木原が凄いと思う、こんなに上手に出来たらスゲーって」
このクッキー…俺の為に作ってくれたんだろうな、慣れてないから形は歪だけど…味はかなり上手い。
「そ、そうか…な。うん、そうなんだ…」
彼女が恥かしそうにはにかむ様を見てしまい、俺は堪らなくなる。
だから…我慢出来なくなって質問する、さっきは答えてくれなかった質問の意味を問う。
「ところでさっきの、キス…がどうとかって聞いたじゃん?
あれって…どういう意味で聞いたの?」
と…、カマを掛けるんじゃなくストレートに、臆病で逃げ出しそうになる自分を奮い立たせて問う。声が震える、けど途中で投げたりはしない。
「…ん、それね、あはは…、うーん…あの…あぅ…、……わ…………ったから」
彼女は恥かしそうにモジモジするだけで要領を得ない。
『あうあう』と言い難そうに俺をチラチラ伺って、しばし後に何かを呟く、が、聞き取れない。
「うん?」
フルフルと小刻みに身体を震わせる木原が再び口にした言葉、それは…
「わ、私と……一緒だな…って、わ、私も…キス……したことないから……能登は…した事があるのかなって……」
……うん、まあ…そこまでなら別段…ね、でも問題はそこからだ。
「た、た試してみたり…したいって想わない? わ、私……とキス…して…みない?」
「わたっ…私ね! 能登っ…能登とっ! うぅっ…キ、キスッ! しちゅっ…してみたい!!
」
木原がバンッ!と両手で勢い良くテーブルを叩いて身を乗り出す。
彼女に言われた事、その破壊力は抜群で俺の思考を止めるには充分過ぎた。
「え…、あ……、えぇっ!?」
信じれるか? 俺とキスしたい、そう確かに言った。間違い、いや間違なく、ああでも聞き間違い………いやいや!!
つじつま…なんて、言動と行動の統合性なんて皆無、突き付けられた現実…それは…どう見たって木原に迫られて当惑する自分の姿だった。
「能登が…良いなら……し、しちゃう、よ? わ、私の"初めて"……も、貰ってよ」
この突飛も無い行動に俺は後退りしてしまう、半端無く魅力的な提案、しかし急過ぎて受け入れるまで至れない。
俺の右前方からジリジリと四つん這いで迫って来る彼女、瞳が潤んで表情なんか蕩けていて……言い方はアレだけど、熱に浮かされていた…。
「きょ、今日…部屋に誘ったのは………の、能登と……んくっ、キスした、かったから…なんだよ」
獲物ににじり寄る猫みたいにジリジリと差を詰めて来る彼女に圧倒されていた。
後退りする俺の思考は停止、心拍数がレッドゾーンに飛び込みオーバーレブ寸前…ただ目の前まで近付いた木原に釘付けになる。
俺の背中が何かに当たってそれ以上は引けなくなる、ベッドにぶつかったようだ。
「い、いやいや! その…嫌じゃないけど、なんで! 急…急じゃね? 俺、俺となの、北村とじゃ………、っ!?」
とたんに冷静さを多少は取り戻し、建前と本音、それらが入り交じってはいるが倫理を問おうとした。
だって、だ…木原は北村と……そうなんだろ、なら俺と『したい』は意味が解らない。
だが、俺の唇はそれ以上を紡げなくなる。
ガツッ!と固い物が歯に当たったと同時に柔らかい物が唇に押し当てられたから、だ。
鈍い痛みと暖かく柔らかい感触、今まで高鳴っていた心音が小さくなる感覚、何が起こったのか理解出来ずにいた。
俺は見開いた目で見てしまった、瞼をギュッと閉じて顔を真っ赤にした木原の顔を………零距離で。
荒くなった息遣い、甘ったるい彼女の匂いすら感じられる最至近に……居た。
両頬を手で押さえられ、塞がれた唇の熱で融ける。何もかもが融けていってしまう。
俺達の周りだけ時間が停止したような…感覚。遠くで時計の秒針が刻まれていく音が聞こえる。
「あ、あああ…。そ、そのごめ、ん…わ、私……」
数十秒経った…頃、木原が冷静になったのか、うろたえて俺から離れた。
「…っ! き、木原……」
俺も現実に戻される、高揚感、羞恥、照れ、戸惑い、様々な感情が入り乱れて混乱し…何を言うべきかの見当もつかない。
悲痛な表情をした彼女と固まった俺、二人の間に会話は無い。
降り始めた雨の音が静寂を破って耳に届く、それとは別に俺の高鳴っている心音もあるが……それは抜きにしてもいい。
状況の把握に努めようとしても、混乱した頭は木原の熱を繰り返し思い出させるだけ…。
「わ、わた…し………じゃ駄目か、な…」
どれだけの時が過ぎたのか見当がつかないが、静寂を破ったのは木原だった。
「の、能登が好き…なんだ…いきなりだからわけわかんないと思うけど………ずっと見てたの」
彼女が再び俺との距離を詰めて来る。縋るように、媚びるように、恐る恐る…でも確実に…。
「で、でも北村に告って…たよね、一昨日…に。たった二日前だ……」
「ま、まるおに告ったのは………ムシャクシャしてて本心で言ったんじゃないの、
信じてくれないかもしれないけど、ほ、本当だよ?」
木原が俺の身体に覆い被さり、頬を震える手で撫でながら無理矢理微笑む。
「一年の頃から見てたもん、お願い…これは嘘じゃないから信じて…嫌いにならない、で…」
そう言われても何が何だか……何が嘘で、何が真実かも解らない。
「い、や…おかしいって……つじつまが合わない、じゃあ修学旅行の時のアレは…てか、その前から言ってたじゃん?
まるおーまるおーって……アレは何なのさ?」
嬉しいとは思うよ、でも疑心の方が強い……信じてやりたい、ああそうだよ、信じたいよ木原の言う事を…。
「そ、それは……う…、まだ言えな、い…。言ったら軽蔑されちゃうもん…」
でも、そんな風に言われたら…どうすりゃいいんだよ。
いいよ信じても、でも…信じるなら全面的に…だ。出来るか? 信じて裏切られたら?
考えたくないけど、木原は自棄になってて北村に当て付けしたくて…みたいな、それで俺に言い寄ってるとか。
嫌だ、嫌だ、考えるな! そんなの堪えれるかよ!
「…じゃあ…じゃあ、チャンスを頂戴? 一回で良いから私にチャンスを……能登に信じて貰いたいから」
...
..
.
顛末をざっと…こんな感じかな。正直な話、俺は参っていた。
事態が性急過ぎるのも要因だけど、何より木原の言う事が本心なのか確認しようが無い。
奈々子様や亜美ちゃんに聞いたとしても絶対では無いし、他ならぬ本人しか知り得ない事だからだ。
『夜まで考えさせて』
そう言って俺は帰ってしまった。その場で答える事なんて不可能だった。
即答するのは簡単だ、俺が考えていたように振り向かせる、いやこの場合は俺が歩み寄る、か?
そうする事に変わりなく、辿る道が微妙に変わるといった感じ。むしろ『近道』になる。
だが答を先送りしたのは木原に対して誠実でありたいからだ、本心を包み隠さずに伝えたいから、行動として表したいからこそ考えないといけない。
いや、ぶっちゃけ答なんて決まっているよ。ただ踏ん切りがつかないというか、事態を受け入れようともがいているのだ。
確かに彼女の言った事は嘘じゃないかもしれない、…なら何で回りくどい事をしたのか理解に苦しむ。
北村についての『相談』から徐々に心を開いていって……、みたいな…それこそ何ヵ月単位の積み重ね。
それなら解る、そうしたいと思っていたからだ。
だが木原の言う事が正しいなら、隠していた気持ちがこの二日で爆発したというか…、だからか通常の過程を駆け足で進んでいる。
いや正しいんだろう彼女的には。離すものか、と必死で…考えうる限りの自己主張をしているのだ。
一目惚れでキスまで出来たら、北村に対してすでにしている。手を繋ぐなら常にしていただろうし…。
北村もそんな事があったのなら靡くだろ、つまりそれは無かったみたいで…。
……木原の言っている『一年の頃から見てた』は本当なの…かな?
いや、別に虚構だの真実だの…関係無い、シンプルに『好きか嫌い』の二択で考えないと…。
俺は木原が好き…それでいいじゃん、何をどうしたって嫌いになれない。なら…チャンスを与える、と同時に俺もチャンスを貰う。
お互いの気持ちを確かめて、意見の相違が無ければ良い。晴れて恋人同士だ。
すれ違っている部分を繋いで、共有して、何でも試してみるって事さ。関係が壊れたら、なんて考えると恐いけど勇気を出す。
この関係を提案したのは俺だ、予想とは違ったけど…早いの遅いのなんて屁理屈なんだよ、マジで。
高須が言っていた『好きになるのは理屈じゃない』…悩んでいた時、亜美ちゃんに言われたらしい。
そうだよな、怖れて疑っていたら見失う。木原は俺を好いてくれていて、俺も同様で、なら理屈じゃなく勢いも大切だ。
なんだかんだ『流されている』のは事実、木原からのアプローチが無ければ俺は未だにウジウジしていただろう。
新たな関係を示してくれた彼女から勇気を貰い、俺からは気持ちを贈る。
「よし…」
そうしよう、なら次は行動だ。返事をする、俺からも…チャンスを与えて欲しいとお願いするんだ。
メール? 電話? ……いや直接『逢って』だ!
『今から家に行ってもいい? もし良かったら二十分後に家の前に居て欲しい』
そうメールしてから身支度し、鏡を覗き込んで髪を弄る。
ワックスでちょいちょいと数ヵ所にアクセントを加える。手早く…。
ジャケットの背を手で払い、汚れていないか確認して羽織り再び鏡と向き合う。
『わかった、待ってる。気をつけて来てね』
送られてきたメールを見てフリップを閉じる。
自室から出て階段を駆け降り、玄関でミドルカットスニーカーを突っ掛ける。爪先を思い切り床に打ち付けて無理矢理履く、型崩れを気にしてなんかいられない。
玄関から飛び出してからは全力疾走、一刻でも早く逢いたいから薄暮の街を駆けていく。
運動不足ですぐに息があがる、酷使する肺や脚が痛いし、脇腹がズキズキ鈍痛を伴って軋む。土踏まずの感覚が鈍くなり、ふくらはぎがパンパンになる。
辛いよ、でも走るんだ。二十分より十五分、十五分よりは十分…自分が急ぐことで逢う時間が早まり、長く話せる。
せっかく身だしなみも整えたのに走ったら意味が無いと言われたら返す言葉は無い。
でも良いんだよ、彼女は待っているかも。もしかしたら…メールが届いてからすぐ外に出て待ってるかもしれないだろ。
天秤に掛けて比重が重いのは『木原麻耶』だから…それで察して欲しい。
……居た。木原だ、ガチで待っていてくれた。
サラサラの長い髪を靡かせ、ファー付き紫色のダウンに気合いのミニスカート、そしてブーツ、見間違いじゃなく木原麻耶だ。
後ろ手を組んでソワソワと辺りを伺っている、その姿を視界に入れて最後の力を振り絞る。
落ちてしまったスピードを上げて全力全開、彼女の名前を呼びながら残り30メートルを駆けていく…。あと20…10…。
「っぐ! っは! き、きぃはぁら、あぁーっ!! はあっ!! はっ! あべしっ!!??」
そして足がもつれて木原の目の前で盛大にコケてしまう…。
.
「気をつけてって言ったのに…」
俺は再び彼女の部屋に上げられ、そう言われた。
そして見詰めているのは天井、また、アレですよ寝転がっているんです。
何故か? 簡単だ、俺はコケた時に顔面から着地、鼻をしこたま打って鼻血を出血大サービス中なのだ。
こういう時は寝転がるのはNGだ、気管に血液が流入するらしい………が、俺は寝転がっている。
ふひひ…理由? 木原に言われたからだよ、決まってるじゃん。
だって膝枕だよ、ひ・ざ・ま・く・ら! 木原がしてくれてるんだ断れるかよ!
細く見えてめちゃ柔らかいです、たまりません。リビドー的に。
「いやぁ…待たせるのは駄目かなって…」
木原の表情はここからは伺えない、そっぽを向かれているから。
「て、てか…の、能登が来てくれたのって……さっきの答を…くれる為だよね?」
続けてうわずった声で紡がれた言葉、期待と怖れが半々…ドキドキしているんだと思う、無意識にフトモモを擦り合わせてるし…。
「まあ、ね。答えは………」
「いいっ! そ、そのままでいいからっ! また鼻血出されてカーペットにでも落とされたらイヤですしぃ!」
起き上がろうとすると木原に頭を押さえられて遮られる。
「あ、じゃあ…言うよ?」
ここぞとばかりに落ち着く場所を定めるフリをして後頭部で『木原』を堪能しつつ俺は問い掛ける。
「う、うんっ!」
彼女が二回、大きく頷く。
ちなみに下から見上げる七部丈のシャツの胸元…緩やかに膨らんだ部分も気持ち揺れる様が見えてしまう。眼福眼福…。
「木原が言っていたチャンス…っての? あれ…俺も欲しい、なぁ…って。
木原の事、まだ知らない事だらけじゃん、知りたいし見てみたいし、見て貰いたいし知って欲しいって想ってる」
初めは言葉を選ぶように途切れ途切れに…、やっぱり緊張するよ告白も同然だし。だけど、だんだん一息に…自然に自分の気持ちを言えるようになる。
「さっきはビックリしたよ確かに、でも嫌だったんじゃない…嬉しかったからビックリしたんだ」
「木原は北村の事が好きだって…ずっと思ってたさ、けど俺の事が好きだ…って言ってくれて更にビックリ…してて。
そ、その…俺も好きなんだよ木原の事…、ずっと前から好きで……」
そこまでは流れるように紡がれていた言葉が……出なくなる。心臓が激しく鼓動し、照れやら何やらで余計に緊張している自分がいた。
「の、能登も…私の……事を?」
ブルッと一回震えた彼女が独り言のように呟く。
「だ、だから…一緒にさ…遊んだり、して…もっと仲良くなりたいな……って、無理せずに自然に…。
うぅ…あ、あ…つまり、つまりね……お、おりぇ…俺はっ木原と居たいんにゃよっ!」
噛んだ…肝心の締めで噛んじまったよ…恥かしい。どこまでヘタレなんだよ俺はっ!!
やっぱりよくよく考えたら、こういうのって目を合わせて言うべきじゃんっ! 今さらだけど!
「う、うん! わ、わわ私も能登と居たいもん! 知りたいよ、見たいよ、っん! いっぱい見て欲しい、私をもっと好きになって欲しいよぅっ!! ぐすっ!」
木原も緊張していたんだな、俺の失敗を気に掛ける余裕なんて無い華麗にスルー。
涙ぐみ…今にも泣き出しそうになりつつ答えてくれる、はっきり見えないけど…。
いや見る! こういう時に男が取るべき行動は決まっている。そうすれば見えてしまうものだ。
「きはっ、木原…泣くなって…泣き顔より笑顔が見たいし」
俺は起き上がって、そっと木原を抱き締めてみる、僅かにピクッと彼女は震えたが徐々に力を抜いて俺に抱き付いてきた。
そして格好つけて言ってみても実はガチガチに緊張している。
「だって、だって! うぅ…能登が泣かすこ、とを…ひぐっ! 言うからじゃん!
嬉しい、の、に、すんっ! 涙が出ちゃうし、私だって恥かし、いんだからっ!」
肩に顔をグルグル押し付けて彼女が紡ぐ。ほぼ同じ目線の木原もやっぱり女の子なんだな…とか思ったりして。
肩幅は狭いし、身体は小さいし、柔らかいし、いい匂いだし……。
だけどそんな浮ついた考えは一気に霧散してしまう……。
「のひょ、…っん! のとぉ…あむ…、ぐしゅっ! んんっ!」
それは木原が唇を重ねてきたから、だ。
いや重なるなんて…それ以上だよ。舌…舌がっ! 入っ…て…。
顔を真っ赤にして泣きながら、木原が舌を口内に潜らせて…来て。
よほど嬉しかったんだろう、気持ちが高ぶってみたいな?
頭をギュッと強く抱き寄せられ、俺の舌を捕らえようと奥へ奥へと来る。
くすぐったいような、気持ち良いようなフワフワした気持ちになり、同時に生々しくて、甘酸っぱくて、堪らなくて…。
何も考えられなくなって、俺も木原と舌を絡めて戯れる。
彼女の熱に溶かされ、柔らかく包まれて、俺からも包んで…ただ夢中になって貪る。
密着した唇の柔らかさ、漏れる吐息、甘く酔う彼女の味。
初っ端から濃厚な『木原』に絆され、熱くなっていく。
だけど…木原が俺から唇を離して、口元を手で隠して恥かしそうに俯く。
泣きやみはしているけど、まだ瞳はウルウルしていて、顔はやっぱり赤くて…可愛くて。
「血の味がする…」
そう呟いて彼女は俺の胸板に顔を埋め、照れ隠しなのか背中に回した手で爪を立てる。
続く
タグ
コメントをかく