web上で拾ったテキストをこそっと見られるようにする俺得Wiki


「なあ。一生に一度くらい、本当に魔法が使えたら、イイよな」

 土曜日の夜6時。ドリンクバーで、アイスコーヒーをチョイスした高須竜児は後悔していた。
まずひとつめは、今日の昼休みに、夏と言えば怪談っ!という事で、仲の良い三人で、
オカルトな話題を交していた時に、自分の口から出た言葉に対してだ。まほうって魔法の事?と返され、
『えっ…高須、それって、マジで言ってんの?』
『ほえ〜、高っちゃんって以外と、メルヘンチックじゃん☆』
自分ではそんなにおかしな事言ったつもりはないのだが…シラっぽくなった空気が立ちこめていた。
 そしてふたつめ。竜児は今、待ち合わせしているのだった。受験勉強どころか、試験勉強しないと、
卒業が危うい春田浩次とふたりで勉強会の約束をしていたのだ。竜児は紳士的に10分前行動。
しかし、約束の時間を過ぎても当の本人がこない。今日の夕食は、外食すると母親の泰子には
伝えてあったので、すきっ腹での三杯目のコーヒーを飲み干せるか、思慮していたのだ。
「ボナペティ、ムッ〜シュ!!みのりん特製、ポテイト盛り盛りの高須くんスペシャルだぜっ!
 …って、まだ来ないの?春田くん、遅いね。メールとか着てないのかい?」
と言って、ドドーンと、マンガでしか観た事無いような山盛りポテトを運んできた眩い笑顔の
ウェイトレス登場。その名は櫛枝実乃梨。竜児が1年の時から、片思いしていた、ちょっと
ユニークでかわいらしいこの天使は、このファミレスでアルバイトをしている。今日も元気で健康的だ。
「おうっ、メール受信してるっ。春田からだ…どれどれ…えっ来れない?」
「そうなの?どしたの?何故ゆえっ?」
「えー…、ごめん高っちゃん、行けなくナッチッタ☆ 家を出たら、風で飛んで来たバケツに
 ぶつかって、驚いた自転車に突っ込まれて、ヨロめいた拍子に、溝に落ちて、犬に噛まれて、
 鳩のフンが掛かって、ネコに引っ掻かれて、街路樹の太い枝が、頭に落ちてきたから帰った☆
 …らしい。」
あー、よくある事よのお…と納得し、実乃梨は仕事に戻った。
…しかたねえ。ポテト食べたら帰ろう。

***

ピンポ〜ン。
来店客が、『御用の際はボタンを押してください』ボタンをプッシュした音だ。呼び出し番号が光る。
「んはーーっいいっ、ただ今っ!」
食べ終わったテーブルの片付けをしていた実乃梨は、軽いステップで、呼び出し番号のテーブルへ。
「お待たせしました!!ご注文どう…ぞ」
そのテーブルの上には、トコロ狭しと、プリントアウトした絵?…のようなモノがブチ巻かれている。
そして…真っ黒な髑髏のオブジェが、テーブルの上に鎮座していた。この手の趣味に対して抵抗のない
実乃梨は、おもわず、ジーッと見入ってしまったのだ。
「ドリンクバーひと…。貴女、一介の給女なのに、このイラスト。興味あるの?解るの?」
夏だというのに、全身漆黒。しかし、サテンテープが胸もとでクロスし、リボンとフリルの可憐な
カットソー、スカートはメッシュ素材で、ミニで、フレアーで、ギャザーで…まあ、定番のゴスロリだ。
正々堂々、正真正銘、完全無欠、神聖、戦慄…、一言では表現するのが出来ないほどの『超』の付く美少女。
人を寄せ付けない雰囲気は、出会った頃の親友、大河に似ている…ただ服装同様、髪の毛は真っ黒。
そう、この美少女を一言で表現すると、黒大河だ。
「あっ、はい、そのなんつーか…時空を超えた小宇宙、壮厳で、神秘的で幻想的なクライシスですよね?」
黒大河ちゃんは、目を開く。宝物を見つけたトレジャーハンターの様にワナワナ瞳が輝く。
「あなた、異端ね…平民の給女が、魔女の心の欠片を的確に名状するなんて…」
どうやら気にいって頂いたらしい。なんか怪しいものがいっぱい入っていそうなポーチから、黒大河ちゃん
は、小瓶のついたネックレスを取り出した。なんか、粘り気がある緑の液体が入っている…
「えっと、櫛枝さんっね。これを授けるわ。有難く受取りなさい。わたしの二つ名は、涙夜。憶えておいて。
偽愛パラノイアのマスター…謁見を許可するわ。あ、これアドレス…です」
名札で実乃梨の名前を憶えたらしい黒大河ちゃんは、実乃梨に、まるでタロットカードのような名刺を渡した。
わたしはこういう娘に好かれるんだな…

 少し離れた席。竜児は、特盛ポテトを6杯目のアイスコーヒーで、なんとか完食寸前。
「…もう喰ねぇ」
そして、ゴロロロロロっと腹部から悲鳴。トイレに駆け込んだ。

「はあっ、やばかった…」
 トイレ(大)を無事終わらせた竜児は、洗面台でしっかり手を洗い、鏡で入念に前髪チェック。
よしっ!と、トイレのドアを思い切り開けたその時だった。

ゴンッ!!
 かなりの手応えを感じた。そして、竜児の足元に、黒くてヒラヒラした物体が転がっていた。
「おううッ!すっすいません、大丈夫ですか?」
ものすごく痛いはずだ。しかしその物体は、涙が零れるのを我慢しているようだった。そして
ブツブツと何か唱えはじめた。(ツータッタ…ツータッカ、あっ間違えた…)呪文のような何かを。
「あの…ほんと、すいません。怪我っ…お、うっ?」
なんとなく、既視感に襲われる。この少女…たしか去年の七夕あたりに…いや…記憶が…微妙。
「ったい……。ぉのれぇぇ…我が魔族最凶の劇烈黒魔法を喰らえ!冥界で、永劫後悔するがいいっ!」
カーッ!気合一閃。そう吐き捨て、涙夜こと、玉井伊欧は女子トイレへ。
どちらにせよ、ガマンの限界だったようで、勢い良く女子トイレの扉がバタン!と閉まる。

…はぁ、驚いた…と竜児は、言ったつもりつもりだったが、あれ?声が…声が出ない?!
声が出ない代わりに、ウウッっと、変な呻き声が出た。そこへトイレに来た男性客が、竜児を見て驚いた。
今まで、凶器のような三白眼を持つ竜児としては、驚かれたり、ビビられたりするは、よくある事…
のはずなのだが… 何か違う。おかしい。違和感。その…カラダの感覚も、あれ?毛もフッサーっと…

竜児は、おもむろにトイレに戻り、洗面台に手をかけ、鏡を見た。

「ウッ!!、ウォォ〜ン!」
竜児は、犬の姿をしていた。

 トイレに、犬が紛れ込んでるっという男性客の通報でファミレスの店長がモップ片手にトイレにやって来た。
ただでさえ混乱している竜児(犬)は、さらに混乱。モップを振りかざす店長の横をすり抜け、パニック状態の
店内を駆け抜け、入店しようとする女性客の足下をくぐり抜け、日が暮れかかった街の中へ逃げ出した。

***

 須藤氏の営む喫茶店。須藤コーヒースタンドバー、通称スドバに、大橋高校の制服を着た一組のペアの姿があった。
メガネが似合う(かわいくない)能登久光が、最近人気のアーティストのCDを、亜麻色の髪が似合う(かわいい)
木原摩耶に借りようとしていたのだ。ふたりがオーダーしたコーヒーは、ほとんど手を付かずだ。会話が途切れず、
話し続けているからだ。しかし、仲良く見えないのは何故だろうか。
「な〜んで俺がそこまで言われなくちゃいけない訳??」
「能登のくせに、えっらそーなクチきくからだよっ」
「そんな事言ったら、木原だって…何あれ?」
能登の指先の先には、じーっとこちらを見ている犬がいた。…見てるというか、睨んでる。睨んでるようにみえる。
なぜなら目つきが恐いから。
「能登っちって、犬にも嫌われているんだ…ちょっと同情しちゃう」
「え?本当?…あれ?これって、俺喜んでいいトコなの?」
 せっかく竜児(犬)は、気付いてもらえたが、スドバのふたりは、またもやいい争いを始めてしまった。
竜児(犬)は諦め、駅前に向って駆け出した。

駅前には、家路を急ぐ人々でごった返していた。竜児(犬)は、泰子の勤め先であるお好み焼き屋、
弁財天国に行こうとしたが、逆に面倒な事になりそうだったので、スルーして気付けば駅前に着いたのだ。
すれ違う人の中には、犬好きの人もいて、竜児(犬)に気をとめ、ワンちゃ〜んっと近づいて来て触ろうと
するのだが、狂犬そのものの鋭い眼差しを見るなり、逃げてしまったりしていた。
途方に暮れている竜児(犬)に、またもや一人、声を掛けて来た物好きが来た。
「道のど真ん中にいやがって、ジャマな野良犬!」
川嶋亜美。ファッション雑誌の高校生モデル、抜群の美貌を誇る彼女は、残念ながら口が悪い。
「保健所に通報して犬らしく犬死に…あれ?この犬の目…見覚えが、何だっけ?」
竜児(犬)に気づいた。もう少しだ。竜児(犬)は、猛烈アピール。
「うわわわわっ!吼えた、威嚇した、恐ェ!」
ダッシュで逃げる亜美。バウバウ!釈明する竜児(犬)。どう見ても犬に襲われているようにしか見えない。
あっ亜美ちゃんだ。誰かが亜美に気付く。亜美ちゃんが、猛犬に襲われている!ピンチだ!助けろ!
竜児(犬)は、即席の勇者達に、カバンやら傘で、ボコボコにされた。

***

ゲホッゲホッ…
なんとか逃亡に成功した竜児(犬)。くそっ、動物愛護協会に訴えてやるっと、誓うのだが、行き場がない。
とりあえず、家に帰ろうと、いつもの通学路を、駆け抜ける。さすが犬の脚。速い速い。
もうすぐ到着!という交差点で、竜児のカバンと服を持った実乃梨に出くわした。
「も〜、高須くん、どこ行っちゃったんだろ…家にはいないみたいだし…」
急用で、どこかに行く事はあるだろう。しかし着ていた服がここにあるって事は、、、全裸だ。
「北村くんに関係…あるわけないかっ!もしかしたら宇宙人に誘拐された?それともっ」
と、実乃梨の妄想が加速した時に、竜児(犬)に気付く。ワンッ!と吠えてみる。
「アヒャヒャヒャ!!このワンコ、高須くんそっくりっ!ちょー受けるっ!やるな?キミ!」
竜児(犬)に駆け寄り、実乃梨はおもいっきりヨーシヨーシする。いつの間にか、ムツゴロウの物まねしていた。
犬になってから、初めて優しくされ、尻尾をフリフリしていたが、実乃梨のスキンシップが強烈すぎて、
ハアッハアッ、…意識して興奮してしてしまった。恥かしい。
「ワンコっ!気に入ったぜ。首輪付けていないから野良だね?よしっ!家においで。飼ってあげる
 ふっふーん…本当に高須くんそっくり…ワンコッ!お前は今からニセ竜児。ニセドラだっ!」
ワンッ!ともう一回吠えてみた。

「だからさーっ、お願げーだよ。ちゃんと躾けるからさー…」
櫛枝家の玄関。実乃梨は母親を説得している。もちろん竜児(犬)を飼うためだ。
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。あんたは言ったら聞かないから…母親は折れる。
「ウェルカムホーム!ニセドラッ、今日から我が家の一員だっ!ヨーシヨーシ…」
だからそれは…嬉しいけど、恥ずかしいんだって…
玄関で、ステイっされた竜児(犬)は、大人しくしていた。奥から声が聞こえる。
そうだ、お姉ちゃん夕食は?バイト先で食った。じゃあ、お風呂はいちゃってよ、
あんたが最後よ。…とその直後。
「ニセドラっ、お前、汚れているから一緒にお風呂はいるよっ!!おいでっ」

飼い主の命令には逆らってはいけない。

***

おじゃまします…と言いたい所だが、竜児(犬)は声が出ない。クウーンと唸っただけだ。
櫛枝家の脱衣場。やっぱりマズいよなっ、いや、しかしご主人様だし…とっても自然な事。
「ニセドラ。先にお入り、こっちだよっ」
竜児(犬)は手…ではなく、前足を拭いてもらい、脱衣場に入り、さらに風呂場へ。
ピシャッと扉が閉まる。犬の嗅覚は、最大1億倍というが、櫛枝家の風呂場には、
実乃梨の臭いが、プンップンッしていた。正確には犬だからこそ臭ったのだろう。
そんな臭いフェチと化した文字通りエロ犬は、脱衣場にいる実乃梨の脱衣シーンを
すりガラス越しに見ていた。よく見えないが肌色が見える。肌色が多い。大興奮。
はあっ、はあっ、うぉーんっ。実は今、相当エロい事を口走ってしまったのだが、
何言っても犬だからバレない。実乃梨は犬語は喋れない。だがしかし…
しかし竜児(犬)は相当やばい状況になっている。犬の場合は何というのか解らないが、
人間の場合。下半身が、だ。人間同様、犬だって。興奮したらカラダの一部が変化する。
ガウッ、ウォホオオオン
またもや竜児(犬)は、日本語だったらとんでもない卑猥な言葉を発したが、やはり
実乃梨はバウリンガルではないので、ノーリアクションだった。助かった。
おあずけっ!!状態のままの竜児(犬)は、風呂場の窓枠に手…、ではなく前足を掛け、
けんすいを始めた。けんすいをして、カラダの一部に集結した血液を分散させようとした。
ウォオオウッ!すっ、滑るっ!後ろの脚をバタバタさせて、けんすいスタート。
ワン!ツー!…ツーが言えない…。そんな努力をしていたが、馴れないカラダで、
けんすいなんてそう何回も出来るものではない。キャゥゥウッ!前足が窓枠から外れた。
「おまたせっ!ニセドラッ!…あり?どした?」
竜児(犬)は、スッ転んで、実乃梨にいわゆる腹見せの状態に…丸見えだ。全開だ。

実乃梨は水着を着ていた。

実乃梨の全裸は拝めなかったが、なんのなんのっ、今竜児(犬)は至福の刻を過ごしていた。
「うっしゃらららっ!!うっしゃらららっ!いやー泡立つねえ。どう?ニセドラ!」
最高です…初恋の相手に、お風呂場で洗ってもらえるなんて、これ以上、何があるというのか。
「せっけん流すよ〜、放水開始っ!うりゃああああっ」
竜児(犬)は想像した。ちょっと不謹慎な事だ。もし実乃梨と付き合っていたら…
大河と付き合ってなかったら…こんな風に一緒に…おおうっ!熱ちぃ!!
「ごっめーんっ!熱湯出しちまったよ。今日は暑かったし、水の方がいっか。なっ、ニセドラっ!」
水でキレイに濯いでもらった竜児(犬)は、無意識にブルブルっと水切りする。飛沫が飛ぶ。
「つおおおおっ!ペッペッ!ニセドラ!おぬし、いつの間に、オーロラエクスキューションを会得したのだ…」
なんてなっと、実乃梨は、犬の自分にでも、ずっと話かけてくれている。ずっと気を使ってくれている。
すっごくかわいくて、明るくって。一緒にいて楽しい…。俺、やっぱり…櫛枝の事…
「ではでは、あっしも体を洗おうかねぇ」
おもむろに実乃梨は、ビキニに手をかけ、脱ぎだした。
おうっ!犬になっても、それぐらいは、言えるようだ。焦った竜児(犬)は、前脚で目を覆う。
「なんだいニセドラ。照れてるのかい?えへっ、憂いやつじゃ、近うよれいっ」
近うよれる訳ない。前脚が塞がっている竜児(犬) は、ぴょんぴょん飛び跳ね、…またスッ転んだ。
そんなアホ犬に、実乃梨は、後ろから抱きしめる。もちろん、全裸で。
「よしよし…洗ってくるから待ってて。 お・す・わ・り。 ね?」
ピタッと、動きを停めた竜児(犬)。背中に感じた、想像より大きく、柔らかい温もり。
このまま死んじゃうかもしれない。心臓がバクバクする。鳥肌が起つ。犬だけど。
そんな気も知らず、♪抱っきしめた〜♪こっころのコッスモ〜♪実乃梨は唄い出す。
竜児(犬)は、精一杯の理性で我慢していた。抱きたい。そう思っているのだ。しかし…苦悩する。
でも…実乃梨が全裸で至近距離にいる。こんな状況で、自制心を保てる男、オスがいるだろうか?
イネーだろっ!無理無理!絶対イネー!
意を決して、竜児(犬) は、実乃梨に襲い掛かるっ!わお〜〜ん!
ガンッ!
いつの間にか洗い終えていた実乃梨は、湯舟に浸かりながら壁に激突するエロ犬を見た。

***

気絶していた竜児(犬)は、いつの間にか実乃梨の部屋に運ばれていた。
「気がついたかい?ニセドラ。もぅ!お風呂キライなの?心配したぜよ〜」
超アップで、実乃梨に話し掛けられ、ビクッとする。屈託のない笑顔に罪悪感でいっぱいになる。
「ニセドラ…もしかして、わたしの事キライなのかな?」
竜児(犬)は、ブルブルと全力で首を横に振る。ヨダレが出るくらい全力で否定。
「汚ねェ!…ってお前…人の言葉、解るの?」
今度はコクコクっと首を縦に振る。ヨダレは…出ない。
「凄っげー!凄げーよ、ニセドラ!もしかしてミュータント?XーMEN?ウルヴァリン?」
言葉を理解する犬なんて、普通は拒絶反応を起こすだろうに、実乃梨はすんなり受け入れた。
そういうトコロも、竜児(犬)は好きなんだ。三白眼なんかもそうだった。

「じゃあさ…。わたしの事。…好き?」
急に真剣な眼差しで、ゆっくりと問いかける実乃梨。
竜児(犬)は、目をそらさずに、ゆっくりと肯定した。


「あのさっニセドラ…」
実乃梨はベッドの中央にあぐらをかき、竜児(犬)はそのあぐらの上に座っていた。
「わたしね。失恋したの。ん〜、ちょっと違うな。好きなヒトをね。諦めたの。
 そのヒトはね。わたしの大切な友達の彼氏なの。わたしが好きになった時には
 もう…なんだろ。絆…かな。ふたりは強い絆で結ばれていたの。だから…うぐっ」
竜児(犬)の頭の上を、ポツ。ポツ。実乃梨の心の深層に秘めていた想い、が濡らす。
実乃梨は言った。わたしは見えているモノに突き進むと。夢を追うと。
しかし今はっきりした。見えているモノは、夢ではなく。竜児だった。
「もっ…、もう泣きゃないって決めたのひっ…ふぐっ…いいの…あの二人が幸せなら。
 わたしはぁっ…っ遠くから…見ている…だけで…」
止まらない涙。聞いてしまった。そう、修学旅行のときもそうだった。思い出す。
聞かなかったで済ますのか?俺はどういう選択をすればいいのか?

また傷つけ、過ちを犯すのか。

***

実乃梨は寝てしまった。泣きながら寝てしまった。
もし。もし一生に一度くらい、魔法が使えるなら。どうするだろう。
今日の昼休みには、漠然としか考えていなかった。バカな事しか浮かばなかった。
でも。間違っているかも知れない。
でも。今は強く願う。
…実乃梨を愛したいと。
その昔。犬は夜行性だったらしい。その証拠に竜児(犬)は眠れない。
今日一日、いろいろな事がありすぎて、事案事項が多いからかもしれないが…
窓から月が見える。綺麗な月だ。竜児(犬)は、実乃梨を太陽のようだと思った。
しかしそれは、まわりを楽しくしよう、明るくしようという、彼女の外郭だった。
実乃梨の核の部分は。とても華奢で、脆弱で、繊細だった。今日の月のように。
それが解ってしまった今、彼女のために何か出来ないだろうか?しかし…犬だぞ。
まあ犬でも、出来る事あるだろう。とりあえず、思ったよりイビキが大きい彼女に、
掛け布団を掛けてあげる事に決めた。
ベッドであぐらをかいたまま、俯いて寝ている実乃梨。竜児(犬)は、掛け布団を噛み、
テーブルクロス抜きの要領で、掛け布団を引っこ抜く。むりゅああ!!上手くいった。
次はあぐらをかいている実乃梨を横向きに寝てもらおう。ベッドにピョンッと乗り、
実乃梨の背中にまわる。ゆっくりと上半身を倒そうと、前脚を実乃梨の肩に掛ける。
髪の毛の細さが解る。実乃梨の旋毛の部分に、竜児(犬)は、口で触れた。うなじにも。
そして耳たぶに。そうしているうちに、竜児(犬)は後ろから抱きしめていた。体温が心地よい。
おっと、何やってんだ俺…。はっと気付き、竜児(犬)は、ゆっくりと実乃梨を寝かせた。
最後にあぐらを解いて、ベッドに真っ直ぐ寝てもらおうとする。 竜児(犬)は、
実乃梨のスウェットパンツの裾を口にくわえ、ゆっくり引っ張る。おっ重い…
ふんぐっ、ふんぐっ!無理かーっ。そこで竜児(犬)は、さっきの掛け布団テーブルクロス抜き
の技を使う事にした。一気に、思いきり引っ張る!と、
ビリッ!失敗した。
竜児(犬)の目の前には、パンツ丸見えで横たわるの実乃梨の姿があった。
やばい、やばいっ!どうしよ、どうしよっ。竜児(犬)は、混乱していた。
部屋中をグルグル回る。人間の姿であれば…裁縫セットがあれば…今はどうにもならない…
竜児(犬)は動きを止め、ベッドに顔を向けた。実乃梨が寝返りを打つ。ムニュムニュ…
かっ…かわいい〜っ!!パンツ丸見えの下半身の太ももを、クネクネっとした。
ムフォッ!ミョホホーン!日本語だったらとんでもない淫艶な言葉を発した竜児(犬)。
ジャイアントさらば。いつか実乃梨が言った言葉だ。その後に元ネタのマンガを知った。
言葉の発せない竜児(犬)は、心の中でつぶやいた。

覚悟完了。



竜児(犬)は、横たわる実乃梨を見下ろしていた。こういう体勢を、マウントポジションとか言うのか。
実乃梨の頬には、涙が流れた跡が解る。その流れた涙の訳を竜児(犬)は、知っている。
そっと。キスする。はたから見れば、獲物を喰らう獣に見えたかもしれない。
実際、違う意味で喰らおうとしている訳だが。
実乃梨の体臭。一億倍を誇る犬の臭覚は、竜児(犬)に充分すぎるほどの興奮を与えてくれている。
覚悟完了していた竜児(犬)は、実乃梨の着ているTシャツを剥ごうと試みる。
ゆっくりと、Tシャツを口にくわえ、捲りあげる。紫外線を免れた、実乃梨のきめ細かい肌が露出する。
女性らしい、ゆるやかなカーブを描く、ウエストラインだ。ブラは…付けていないように見える。
丁度、…下乳あたりまで捲し上げたが、バストが邪魔をして、それ以上捲る事が出来ない。
ええいっ!もどかしい!竜児(犬)は、実乃梨のTシャツをその鋭い犬歯で引き裂きにかかる。
その時、
「んっ…?、ニセドラぁ?」
実乃梨が自分の異変に気付く。竜児(犬)は、我に帰り、後ろに飛ぶ。そして、ベッドから転げ落ちる。
ガッシャン!勉強机にぶつかり、卓上のモノをブチまけた。
「ん〜ん…、なにぃ?どちたぁ」
まだ半覚醒のようだ。上体を起し、実乃梨はまだ赤みがかった目を擦っている。
辺りを散らかしてしまったまま、平気なほど、竜児(犬)は、理性を崩していなかった。
一つづつ、口に咥え、机に戻していく。そして、竜児(犬)は知らない、実乃梨が、今日ファミレスで、
玉井伊欧から貰った…緑色の液体が入った小瓶が付いているペンダント。それをを口で拾ったその時、
「ありゃりゃ!スウェットがやぶけてる!」
おパンツ全開っ!と、大声を出した実乃梨。驚いた竜児(犬)は、その口に咥えていた小瓶をガリッと噛んでしまい…
中身の緑色の液体を…飲み込んだ。
「ななな、何で?…あたしって……あれっ?ニセドラ?どした?苦しいの?」
自分の異変より、竜児(犬)の異変を優先する実乃梨。ベッドから飛び降り、竜児(犬)素早く駆け寄る。
竜児(犬)は、カラダからビキッビキッという音を聞いた。その音が聞こえる度、息が詰まる。苦しい…。
グオグオオオオオオッ…
呻き声が漏れる。竜児(犬)の苦痛を少しでも和らげようと、実乃梨は懸命に背中を擦る。
「ニセドラぁっ!大丈夫?ねえっ、しっかりっ!おねがいっ」
実乃梨は涙目になる。それを見た竜児(犬)は、苦しい中でも、またも実乃梨を泣かしたと、歯痒さを感じる。
「ぐっ…ぐううっ、くっ櫛枝…、すまんっ。俺のせいだ…」

そして。その肉体は、ヒトのカタチに変っていった。

「え?」
実乃梨は、しばらく動けなかった。ニセドラが。犬が、目の前で人間になった。高須竜児になったからだ。
「はあっはあっ…、櫛枝。心配かけてすまねぇ。いつも、その…いろいろすまなかった…」
俯いていた竜児は、さっきまで背中を擦ってくれていた実乃梨に顔を向ける。実乃梨は大きな瞳を瞬く。
竜児のカラダは、完全には戻っていない。体毛が、かなり残っている。爪も鋭いままだ。
「ええっ?たっ、高須くん?あれっ?なんで?」
実乃梨に理解させる時間を与えないまま、竜児は今まで言えなかった言葉をぶつける。
「櫛枝。お前が好きだ。お前の明るいところ、優しいところ、…そうじゃないところも…とにかく全部だ」
瞬いていた実乃梨の瞳が、ゆらりと揺れた。動揺して、いつもの軽口が出せない。
「でっ、でも高須くんには…」
次の言葉を竜児は許さなかった。実乃梨の顔を、自分の、毛深い胸に埋めさせ、抱きしめた。
「グルルッ、俺の幸せは、俺が決めるっ、もうお前に涙を流させねえっ、泣くなっ」
興奮し、身震いする。まだ完全には人間に戻っていない。
「そして俺は」
竜児はよくいう、草食系男子だったが、今は違う。
「お前を抱きたい」
犬は、肉食だ。

「こっ。これは…夢?」
実乃梨は竜児の胸の中で呟く。竜児は実乃梨の両肩を掴み、夢なんかじゃあっと、言おうとする。
「そう。これはわたしの夢。だ…だから、言っちゃう。…夢だから言っちゃうんだ。高須くんっ」
息がかかる距離。実乃梨の涙腺が再び緩み、ピンクに火照っている顔が歪む。
その顔を泣くなと言った、竜児に見られたくないのか、おでこをくっ付けてきた。
「…わたしを抱いて」
実乃梨は竜児に自ら飛び込む。そして竜児は飛び込んできた実乃梨の、ピンクの唇を奪う。

***

竜児は、実乃梨を抱き上げ、やさしくベッドに降ろした。日頃、泰子の介抱をしているが、
手に伝わる張りのある感触は、泰子とは違い、十代のそれだった。
「櫛枝…実乃梨…」
頬を撫でながら、実乃梨を名前で呼ぶ。思えば彼女と初めて会話を交わしたその日以来だ。
竜児の呼び掛けに実乃梨は頷く。
「…おねがい、もう一度言って…」
好きだと言った事なのか、名前で呼んだ事なのか。
「実乃梨。好きだ」
まだ、完全に獣から戻っていない夜目が効く竜児は、実乃梨の表情の変化を見逃さなかった。
「わたしも…あなたが、好き」
その言葉を皮切りに、ふたりはお互いの肉体を確かめ合う。腕、胸、背中の順に。
はぁっんと実乃梨は、吐息を洩らす。竜児は、実乃梨の無垢なカラダを、唇でなぞる。
竜児の息が荒いのは、まだ、獣のせいだからではない。
吐き出す息は強く、実乃梨のやわらかい肌をくぼませている。
「ありがとう…」
その言葉の意味がわからぬまま、竜児は、愛し続ける。
竜児の唇は、胸から腹部へと、次第に下降し、実乃梨の敏感な箇所に辿り着く。
「あっ」
本能のなせる業なのか、竜児は、甘い蜜を見つけた獣のように、むしゃぶりつく。
竜児は力が入り、両手で触れていた乳房が、激しく歪む。
実乃梨は、その行為に反応し、快楽の声を出すまいと、竜児の少し長くなった髪を掴んだ。
「…実乃梨。お前が欲しい」
竜児は、顔を上げ、実乃梨と眼を合わす。実乃梨は、承諾の合図を送る。
「うん。その前におねがい。もう一度キスして…」
お互いの背中をまさぐるようにして、激しくキスを始める。
そして実乃梨の手は、硬直した竜児を、握る。
竜児の舌が、停止する。実乃梨はさらに、握っている手に力を込める。
そして竜児の舌は、さっきより激しく、実乃梨の口内をまさぐる。
そして…唇と唇が離れる。

「して」
実乃梨は竜児を求めた。

実乃梨は、握っていた手を緩めず、竜児をエスコートする。竜児は、実乃梨の太ももを掴む。
五指が柔らかい太ももに埋まる。そして実乃梨の両足は、大きく開かれていく。
竜児の先端が、実乃梨に触れる。エスコートを終えた実乃梨の両手の五指は、竜児の五指と絡まる。
無言で見つめ合い、確かめ合った後、ゆっくりと竜児は実乃梨に入ってゆく。暗闇をすすむようにゆっくり。
実乃梨は目を瞑る。竜児の先端。頭の部分だけ、実乃梨の中にニュルっと挿れたその時、
「ううっ!」
…竜児はたとえ先端だけだったとしても、絡み付くような実乃梨の刺激に耐えられず、
…果ててしまった。
実乃梨の中は、予想より熱く、予想より潤沢で、予想より至極であった。竜児はうなだれ、実乃梨に落ちる。
「っす…すまねえ…俺」
ちょっとびっくりした様子の実乃梨だったが、自分の腹上に撒かれた竜児の出した熱い流体に触れ、
「うふっ、本当に白いんだねぇ。…ん〜、変なニオイ。ねっ竜児…くんっ」
別に呼び捨てでもよかったのだが、そういう状況じゃあない。弁解しようと、いつの間にか正座になる。
そんな竜児の唇に、実乃梨は人差し指でタッチする。
「いいよっ竜児くん。なんかね。おかしかったし。なんか違う」
竜児は動揺する。実乃梨は何を言いたいのか。
「いや〜、危なく竜児くんにわたし、ヤラれるトコロだったよ〜」
「どっ、どういう…」
実乃梨は竜児の唇を、今度は自分の口でタッチする。放す瞬間に、チュッと音が響く。
「ん〜っ、竜児くんはっ、わたしにヤラれるのっ」

正座している竜児の正面に、実乃梨も正座する。
「わたしね。初めてなの。でもねっ…竜児くんと、その…エッチする事。想像した事あってさ…
 それと違うの。なんか。もっとわたしの方が…だから、これは夢みたいなもんだし…だから」
じっとしてて…と言い、真っ赤な顔の実乃梨は、またもや、矮小化した竜児を握る。
見慣れぬ竜児をしばらく見つめ、意を決したように、今度は、それを口に含んだ。
「くおおっ!」
未知の刺激に、混乱する竜児。愛する相手を、悦ばしたい実乃梨は、ネットや、本で知った知識で、
懸命に竜児を、自分の舌や唇で、愛撫する。矮小化していた竜児が、むくむくと充血し、硬化した。
実乃梨は、竜児の表情を確かめるため、行為を止めずに竜児を上目遣いで見つめる。
竜児の理性が薄くなる。実乃梨の指が、竜児の周辺を刺激する。電気が流れるようだ。
「実乃梨…俺も。足をこっちに…」
竜児は体勢を変えさせる。実乃梨の下に潜り込み、お互いを、愛撫し始めた。実乃梨の腰がうねる。
「んっ、あはっ!あはんっ!」
実乃梨は、声を出す事に躊躇しなくなっていた。その喘ぐ声が、竜児を奮い勃たせる。
口での愛撫を止めた実乃梨だったが、その長い指先が、その役目を引き継ぐ。竜児も声を漏らす。
「っはあっ!はっ、実乃梨…俺、もう…」
我慢が出来ないのは、実乃梨も一緒のようだった。
実乃梨は、竜児を握ったまま、振り返り、再度、軽くキスする。
「竜児くん…入れるよ」
仰向けの竜児に、実乃梨は股がる。実乃梨は強がっているが、恐る恐る腰を落としてゆく。
「んん〜っ、ぐっ、くっ」
竜児を挿入する。ミリミリッとする感触。実乃梨は思ったより大きな痛みにハッとするが、
そのまま体重を乗せ、竜児の先端を、実乃梨の最奥まで送り込む。痛みに耐え、しかし
竜児の為に、少しだけだが腰を動かしたした。絡めた指に力を込める。
竜児は、さっきの失敗のおかげで、なんとか耐えられたが、付け根まで挿入した竜児が
感じる快感は、やはり熱く、潤沢で、至極で、長時間は愛し合えないと悟る。
竜児は上体を起こし、実乃梨の乳房を揉みしたく。そのまま実乃梨にキスする。
そうして懸命に奉仕する実乃梨の腰の動きを止めさせた。竜児は実乃梨に語りだす。
語る度に、お互いの唇が触れる距離で。
「俺。お前とひとつになれて、うれしいっーか感動している。だからこのまま、
 お前と出来るだけ長くこうしていてえ…」
挿れたまま、抱き合ったままの体勢。実乃梨は竜児に答える。
「ん…。わたしも…うれしい。竜児くんがうれしいって…感動してるって言ってくれて…」
強く抱き合う。実乃梨はキスしたまま、腰を動かしだす。さっきより激しく。
竜児はその刺激に、快楽に驚愕。感電したようにピクッピクッと反応、快感に堪えるが…
「はあっ、はああっ、実乃梨…好きだ…くううっ!」
堪えきれず竜児は全てを出し尽くす。実乃梨を見ると、愛し合えた事を本当に感動していたのか、
実乃梨の瞳は涙ぐんでいる。その涙は、犬の姿をしていた時に見た涙と、温度が違っていた。
「えへへっわたしも竜児くん好き。大好き。でも…ごめんね。だってさ。結構痛かったんだよっ」
おわびに実乃梨はおでこにキッスした。
完全に元に戻っていない竜児の身体で、おかしい箇所を、実乃梨はチェックしていた。
「ふむふむ…黒ティクビが二つある。おかしい!」
「普通だろ…あと、ここはどうだ?自分だと見えねえ」
竜児は大きく口を開ける。八重歯というにはあまりにも鋭利な犬歯がのぞく。
「あ〜、こりゃすっげえ。知ってたらキスしなかったかも…ありゃ?うーそ。うっそっさ!」
ちょっと表情を曇らせた竜児の肩をパンッと叩く。一通りメモしたのでノートを閉じる。
「あした…もう今日かっ、忙しいね。脱毛クリーム買ったり、代わりの犬探しに行ったり…」
一番困難な事があるな〜っと、実乃梨は一枚のタロットカードに似た名刺を取り出した。
それを指で挟んで、シュッっと投げるふり。キャッツアイ!と言った後、
「涙夜…黒大河ちゃんを探さないとねえ…」
竜児は実乃梨の口走った『大河』という言葉に強い反応するが、名刺を本当に投げて、
ぬいぐるみに刺してしまって慌てている実乃梨には、悟られなかったようだった。

***

「竜児くん平気?途中まで送っていこうか?」
実乃梨は心配そうな顔を竜児に向けた。大丈夫だっ…と、さらりと言う竜児には、
心配よりも、もっと一緒にいたいという、実乃梨の本心を見抜けていないのだろう。
「じゃあ、明日な。実乃梨」
軽くキス。お互い、離れがたい衝動に駆られるが、持ち堪える。

帰路の途中、月を見上げながら竜児は、考えていた。大河の事を。
実乃梨との事を知ってしまったらどうなってしまうのだろうと。
丁度同じ時、パソコンをいじりながら実乃梨も考えていた。やはり大河の事だ。
竜児との事を知ってまったら、どうなってしまうのだろうと。
そして、違う場所にいるふたりは同じことを考えていたが…
…それぞれ違う結論を出した。

日曜日の昼前。竜児のカラダには昨晩の余韻が残っていた。まだ爪は鋭い。
竜児は、手際よく家事を済ませる。泰子の出勤時間まで、まだ時間があったのだが…
「竜ちゃ〜ん、おはよ〜☆昨日は、遅かったから先に寝ちゃったぁ、ゴメンね☆」
おうっと、平然と返事をするが、泰子は竜児の微妙な変化に気づく。覗き込む。
クンクンしている。しまった。オンナの匂いがする。
「あんまりオイタして、大河ちゃん泣かしたら、ヤっちゃんも泣いちゃうんだからぁ…」
ふぇ〜〜ん、と、泰子は、泣き出す。まだ訳も何も知らないのに…
「変な事言うなよっ。いつになく春田がヤル気出してさ。あいつんちに泊まる事にしただけだ。
 夜食貰ったり、風呂借りたりさ。ただ、迷惑だと思って、まぁ、帰ってきちまったんだけど…」
そっか!と、泰子の表情が明るくなる。実乃梨とスドバで待ち合わせしている竜児は、
仕度を終わらせ、インコちゃんに餌をやり、泰子に朝食の解説をし、玄関を出る。
竜ちゃんの嘘つきっ…という言葉は、急いでいた竜児の耳には、届かなかった。

***

「ちょっと、待ちなさいよ」
丁度、竜児は、最初の曲り角を過ぎた時、後方から、聞き覚えがある声を聞いた。
「大河っ」
そこには手乗りタイガーの異名を持つ、逢坂(元)大河が、ビシッと、仁王立ちしていた。
竜児とは、非公式ながら結婚を約束した、唯一の存在だ。竜児は、前髪をいじくる。
「…竜児、あんた、昨日、みのりんと何かあったの?」
いつかは話さなくてはならない事だが…突然すぎる。だいたい何故、知っているのか?
「何かあったのね、いいわ。みのりんから、今からあんたを引き連れて、
 スドバに来てって言われたの。ほらっ!いくわよっ。竜児」
竜児の脳裏には、修羅場の文字が浮かぶ。

既に実乃梨は、スドバにいた。実は、開店時間から居座っていたのだった。
実乃梨は、2人がけの席で、向かいに座る相手から、オレンジ色の液体の入った小瓶を渡される。
「…そう。とっても強い魔法が込められているわ。取扱厳重注意よ。間違ったら…死ぬよ」
「ほうほう、解りやんした!ありがとねっ。でも本当にお礼はそんなんでいいのかい?」
実乃梨は、涙夜こと、玉井伊欧に問いただす。
「そうよ。…できたら、チョコレートソースを思いっきり頼むわね」
「おうよっ!チョコパルフェ、黒大河スペシャルを進ぜよう…っ。超超盛るぜ〜っ」
伊欧の目がキラキラする。上機嫌になった伊欧は、スペシャルサービスを提案した。
「櫛枝さん、特別に占術を施してあげるわ」
伊欧は、オリジナリティー溢れる呪文を唱える。さらに踊り出した。そして喝っと一言。
「よしっ、見えたり!」
実乃梨は、身を乗り出す。
「汝、虎に気を付けなさい」

***

須藤バックスへようこそ〜という、女子大生の言葉と共に、大河と竜児が現れる。
「…来たか」
実乃梨と大河は通常、出会った拍子に、竜児が嫉妬するほど抱擁を交わすが、そんな空気ではない。
ゴゴゴゴゴッという擬音が聞こえるような雰囲気。実乃梨はイスの上にあぐらをかいている。
「みのりん?どうしたの?このアホ竜児が何かしでかしたの?」
実乃梨は口を開く。
「大河よ。とりあえず飲み物を買ってくるが良い…マンゴーフラペチーノがお薦めじゃ…」
う…うんっと頷き、竜児の手を取り、大河は注文口へ向う。竜児は何か言いたげな顔を
実乃梨に向ける。実乃梨は悟りきった静かな表情を保っていたが、一回だけウインクしてくれた。

「おまたせ、みのりんっ」
大河は実乃梨お薦めのマンゴーフラペチーノを買って来た。竜児はこの暑い日に、ホットだ。
「大河よ。心して聞くのだ…一言一句、聞き逃す出ないぞ…」
ゴクリッ、大河は息をのむ。緊張に堪えられず、買ってきたマンゴーフラペチーノに口をつける。
あっそれやっぱり美味しそうだねっ!みのりん飲む?っと大河からマンゴーフラペチーノを貰う。
竜児は見た。実乃梨は素早く、オレンジ色の液体をマンゴーフラペチーノに混ぜた。1km先の
動体をも捉える犬ならではの目のおかげだろう。うめーよ!これ!と言い、大河に返す。
「こほん…では改めて…。大河よ…」
両目を閉じている実乃梨。何かに憑依されたように話しだす。
「人は皆、迷える子羊…迷いながら、進むべき道を見つけてゆく…」
ドキドキして、チューチュー飲んでいる大河。それを確認する実乃梨。
「だから…。わたしは…みのりんはね…」
竜児は、覚悟完了…したくせに動揺している。…そろそろ目が開く…
「高須竜児が好きだぁ!やっぱり諦めたくない。たった今から、あんたの宿敵になるっ!」
ビシッと、実乃梨の指先は、大河へ真っ直ぐに伸びる。マンゴーフラペチーノを吸いながら硬直している大河。
「ふっ…わたしは手強いわよ。竜児くんの初恋の相手なんだから。これがわたしのやり方。行こっ!竜児くんっ!」
うわわっと、竜児は実乃梨に強引に連行される。しかし竜児も、やっと覚悟完了したのか、一緒に走り去る。
残された大河は、突然の出来事にカオス状態。そして…、ヒクッ、ヒクッと肩が揺れる。ひっそり覗いていた
ストバの店長、須藤さんが、ありゃ〜、泣いたかな〜?っと心配した、その刹那。
「おん…もしれえぇぇぇぇぇっ…じゃねえかっっ!!」
マンゴーフラペチーノは、無惨にも地面に叩き付けられ、さらに踏みにじる。
「櫛枝、実乃梨ぃぃ!!くっっそがぁぁぁぁぁああっ!!」
実乃梨は大河を知っている。大河の全てを知っている。それで、その上で竜児を奪うというのか…
大河の小さい身躯に、虎が宿る。激情に、大河の髪の毛が沸く。虎はもちろん、肉食だ。
「まぁて、くぅおるあぁぁぁっ!!!」
ズドンッと、大河の拳はテーブルを叩き、二人を追おうと立ち上がる。 しかし…
一歩も脚を動かす事も出来ず、電池が切れたように、大河はその場に崩れ落ちた。

「はあっ、はあっ、大河、追って来ないね」
大橋駅前。大河に宣戦布告した実乃梨は、後方を振り返る。表情が緩み、竜児を見る。
「ねえねえっ、竜児くんっ!このままデートしようよ。一緒に行きたい所あるし。初デートだっ」
初デート前に竜児は実乃梨と既に結ばれて…まあ順番はどうでも良いか。竜児は答える。
「おうっ!そうだなっ…で、どこに行きたいんだ?」
「ふれあいこどもどうぶつえん」

***

「もう1年くらい前だねっ、さくらちゃん…」
「うん、その時はヤギや羊に襲わたけど…でもっ、でも楽しかったぁ!!ねっ幸太くんっ」
大橋高校の生徒会のラヴラヴなカッッポゥ、富家幸太と狩野さくら。おたがい両思いなのだが、
幸太の特殊な体質のため、ふたりの仲は全く進展しない。そう。不幸体質なのだ。
ここはふたりの初デートの場所。その日同様、今日も快晴だ。
さくらが持っていたジェラートが、太陽の熱線に堪えられず、溶け始めた。
「はぁぁんっ…、グチュグチュに…なっちゃったぁ…」
「…さくらちゃん…グチュグチュに…なっちゃったの?」
「んっふううん…うん。すっごく…」
「……さっ…くらちゃん…」
相変わらずのふたりは、去年、ゆっくり見れなかった暗闇動物館に入って行く。
動物園の係員、吉田・モルダー・孝義は、そんな見覚えのあるふたりを、微笑ましく見送った。

***

「へええっ、入場料400円なのか。良心的な価格だな」
財布をしまいながら、竜児は感嘆の声を漏らす。
「ま〜、小さい動物園だからかねえっ。おっし!では参ろうっ!」
大股歩きで元気よく実乃梨は先導して行く。しっかり竜児の手を握って。

***

「ねェ、知ってる?カンガルーのお腹にある袋の中は、すっごい臭いらしいよ…」
豆しばーっ!。と、物真似をし、ワラビーを撫でながら、実乃梨は、竜児 に眩しい笑顔を贈る。
強力な日射しを物ともしないハツラツさで、実乃梨は、竜児を魅了する。
実乃梨が好きだ。改めてそう感じた竜児の恋心は、本物だ。もう悲しい涙は流させない。
ワラビーに別れを告げ、実乃梨は、竜児の傍らに戻り、ギュッと腕を絡める。
「実乃梨が、楽しんでくれて…動物園、来てよかった」
「うん!楽しいぜっ!竜児くんも一緒だし、最強コンボだぜぃっ!」
温かい気持ちで満たされ、竜児は、昇天しそうになる。いつかふたりで北村の家に行く道すがら、
キラキラ…と囁いた実乃梨の本心を、やっと正確に理解したのだ。
「でもさ、これだけ人がいると、知ってる人に会っちゃいそうじゃん?」
と実乃梨が言った矢先、うわあっと言う、不幸を絵に書いたような男子と、
ええっ!と言う天然フェロモン全開の女子のスウィートカッポゥに、バッティングした。
「あっ、あの、僕たち何も見ていませんからっ!大丈夫です。問題ないですっ!」
焦る幸太。…ヤンキー高須は、たしか手乗りタイガーと付き合っているはず…
だが、その隣には、ソフト部の部長…こんな所に遭遇してしまうなんて、やはり不幸体質だ。
「ウィーッス!!偶然極まりないねぇ。おふたりさんっ!いま丁度、誰かに会いそうだね〜
 って話してたトコロなんだぜっ!うふふっ、相変らず…ホッティだねぇ」
さくらは、ハッとし、そのふくよかな胸に抱いていた、幸太の腕を解放する。
「はあっん、いえっ、そのっ…、おふたりもデートなんですかぁ?」
つい、ヤバい事を聞いてしまったと気付き、恐縮するさくら。
「うんっ!そーだよ。どっかお勧めある?」
幸太とさくらは、顔を見合わせ、暗闇動物館を勧めた。

「こりゃあ、涼しくていいなっ」
暗闇動物館に入ったふたりは、ふうーっと一息つく。
「うははははっ、おばけ屋敷みたいで、テンション上がりまくるねぇ…」
多分、真っ暗だと思うのだが、まだ、獣目の竜児には、潜んでいる全てのモノが見えていた。
もちろん、竜児と腕を組む実乃梨もハッキリと。
「…実乃梨、スゲー言いにくいんだが…」
暗闇の中、実乃梨は、なーに?っと、くりんとした瞳を竜児に向けた。
「動物園って、何つーか、ケモノ臭くてさ、フェロモンっつーか…知らねえうちに、その…
 反応しちまうっつーか、もよおすっつーか…」
竜児は、股間を抑える。
「げっ、マジ?…もとおすって…それはまさか、大とか小とかじゃなく…」
恥ずかしくなり、真っ赤になっている竜児の顔は、実乃梨には見えたのだろうか?
「…ねぇ、竜児くん…なんとか我慢出来ない?あとその…自分でするとか…あの…痛てーんだもんよ…」
「…いや、今まで我慢して来たんだけどよ…限界だっ」
実乃梨は、最後の抵抗をする。
「…オッパイ触る位ならいいから…。自分で出来ない?」
竜児は、承諾するが、オッパイで済む訳がない。

館外。係員の吉田・モルダー・孝義は、異常に気付く。
館内から、あんっ、という声が聞こえたからだ。
「またあの高校生か…」
さっきも、教育的に良くない声をだして、注意したばかりだ。
「仕方ないか…」
吉田・モルダー・孝義は、気を利かせて、入り口に閉館の札を付けた。

***

大橋駅前。幸太とさくらの姿があった。不幸には予兆がある。幸太は身に沁みて判っている。
ヤンキー高須と、櫛枝部長のデート現場に遭遇したのだ。これ以上の予兆があるだろうか。
という訳で、まだ夕方の時間帯に、ふたりはデートを切り上げてきたのだ。
「さくらちゃん…ごめんね…この埋め合わせは絶対するから…」
「ううん、幸太くん…充分楽しかったし、またデートに誘って」
さくらちゃん…幸太くぅん…見えない結界が出来る。完全にふたりの世界に入ってしまい、
今、目の前に現れた不幸に気付かなかったのだ。
「…おい、バカップル…。櫛枝実乃梨と、高須竜児のふたりを見なかったか?…万が一
 隠しやがったら…剥ぐぞ。」
そこには臨戦態勢の猛虎が、闘気を放っていた。

***

「ちょっと、竜児くんっ!触るだけって…あはっ…もうっ…」
「…だめだっ、やっぱ我慢出来ねえ…そのっ…してぇ」
懇願する竜児に、実乃梨は受諾する事にした。なぜなら実乃梨は竜児が大好きだからだ。
初デートするつもりだったから、女子っぽく、頑張ってスカートにしてみたのが失敗か。
「しょーがないねぇ…竜児くん…いいよ」
実乃梨は竜児の首に手をまわす。竜児は揉んでいた乳房から手を離し、実乃梨の尻を掴む。
そして尻を手前に引き、竜児は、自らを、実乃梨に押し付ける。グリグリ音がしそうだ。
欲望のままに熱いキスを交わす。竜児は溶けそうになり、唇を離す。
「はあっ、はあっ、実乃梨…好きだ…」
何回言われてもうれしい。実乃梨はそう想った。竜児の手が、尻から、正面に滑り込む。
「!…んはぁっ、竜、児くん…さすがに恥ずかしい…ぞ」
実乃梨は、かなり潤っている。脳ミソが、キューッとなるほど竜児は興奮した。
「ちょっ…あっ…そんっ…ン、ン、ン、ン」
竜児の指が、湿った場所を滑る、いやらしい音が聞こえる。その音が速くなっていく。
「ン、ン、んはっ…やべっ、んはっ、キモチ…あはっ…いっ、いっ」
竜児は動きを止めず、やがて実乃梨は、竜児の名を呼びながら、脱力する。

「なんか…くやしいー…」
負けず嫌いなのか、実乃梨はぷーっと膨れる。その手は脈を打つ竜児を握っている。
「俺は、実乃梨に悦んでほしくてだな…キスしてぇ…」
実乃梨はキスが好きだ。昨日わかった事だ。そしてまた、竜児に熱いキスをする。
竜児はスカートを捲り上げ、実乃梨の片足を持ち上げる。場所がわからず迷っている竜児を、
実乃梨がリードする。湿っている実乃梨に挿れるのは容易だった。にゅるんという音がする。
「…はぁぁっ、竜児…くん」
スイッチが入ったように、竜児は実乃梨を突き上げ始める。
「はあっはあっ、くっ、実乃っ梨…」
突き上げられる度に、あんっあんっと声が漏れる。実乃梨は竜児の顔中、至る所に短いキスをする。
「竜児くんっ、すっきっ…」
そして、痛みに耐える為なのか、竜児の首に長いキスをした時、実乃梨はその首を噛んだ。
実乃梨っ!…それが合図のように、竜児は実乃梨の中で愛を出し尽くす。

***

実乃梨は時計を気にしていた。疑問に思いながら竜児も時刻を確認する。
今は午後6時だ。園内の時報の音も聞こえる。
「風が出てきたねっ」
売店の屋上。本当は入れないのだが、こんな鍵…ちょろいゼッと実乃梨が
解錠してしまったのだ。おかげで気持ち良い風に出会えた。
ここからだと園内のほとんどを見渡せる。竜児は実乃梨に目線を移す。
「そうだな。いい風だ」
竜児は返事をし、実乃梨のなびく髪に見惚れるが、様子がおかしい。
「そ、だね…」
実乃梨の返事が曇る。何か言いたいようだ。竜児は実乃梨の顔にかかる、
髪の毛を指で払う。現れた実乃梨の綺麗な瞳に、涙があふれている。
「実乃梨…どうした?」
「今日は楽しかった。本っ当に楽しかった…わたし、この想い出だけで…生きて行ける」
「はあ?実乃梨っ、お前何を…」
実乃梨は竜児の正面を振り向く。
「ありがとう。わたし、あなたを好きになってよかった。ほ…ほんっと…くっ」
柵を握っていなかったら、倒れていたかもしれないくらい、一瞬、ガクッとふらつくが…
実乃梨はなんとか持ち堪えた。竜児は、一気に実乃梨との距離をゼロにした。肩を抱く。
「実乃梨っ!楽しかったのに…何故泣くんだ?俺は、お前に泣いて欲しくねぇよ!」
うん…うん…そだよね…実乃梨は、そこまで言うのが精一杯だったが、心配する大好きな…
愛する竜児の為に、実乃梨は顔を上げ…告白する。
「竜児くん…あなたにかかっている呪いは、24時間で解けるの。黒大河ちゃんに貰った、
緑の小瓶は、呪いを和らげるだけのクスリで…だからもうすぐ完全にカラダが元に戻るの…」
「そっそうか、じゃあ、昨日、実乃梨がポテトをくれたのが6時だから…あと数分だ…
 で、なんで実乃梨は泣くんだ?何か関係あるのか?」
突然実乃梨は竜児に抱きつき、子供のようにワンワン泣きだす。真意が解らない竜児は、
愛しい実乃梨の小振りな頭を、やさしく撫でる事しか出来ない…
「たのむっ、お前が悲しむと、俺も…心が壊れそうだ…お前が大好きだから…」
「竜…児くんっ…竜児く…ん…わたしも大好き、竜児くん大好き…でもっ…うううっ
 あなたの…あなたの…カラダが元に戻った時…完全に戻った時っ…うっわあああん…」
「実乃梨っ」
「あなたの記憶も、呪いがかかる前に戻るの…」

「なっ」
竜児は固着する。記憶が呪いがかかる前に戻る?
つまり、この24時間の記憶が無くなるという事だ。その記憶は、竜児には、
とってもとっても大事な宝物だ。無くしてはならない大事なモノだ。
実乃梨が、竜児に似ているというだけで、犬だった竜児を拾ってくれた事…
犬でしかない竜児を労い、いっしょにお風呂に入ってくれた事…
まだ、竜児の事を想ってくれていると、泣きながら話してくれた事…
動物園で、初デートしてくれた事…竜児に純潔を捧げてくれた事…
その記憶が全て無くなるというのか。やっと泣かさないと誓ったのに…やっと愛し合えたのに…
「竜児くん…もう優しくしないで…あなたは記憶が無くなるけど、わたしには残るの…おねがい…」
「…そんなっ、そんなの駄目だっ…」
もし一生に一度くらい、魔法が使えるなら。どうするだろう。今の竜児には愚問だった。
「忘れねぇ!俺は絶対忘れねぇーからっ!実乃梨、ゼッテー忘れてやるもんかっ!俺はっ、
俺はっお前を愛してるんだ!うまく…伝えられねえけど、俺はお前を離さねえっ!」
その叫びに実乃梨の中で、何かが一線を越えた。竜児の耳元で、実乃梨も叫ぶ
「わたしだって…わたしだって嫌だようっ。竜児くん、大好きだもん、わたしだって、
 愛してるもんっ、離れたくないっ、竜児くんとずっと…竜児くん…」
「実乃梨、大丈夫だ。俺は忘れねえから…ずっと一緒だから」
竜児の目にも、涙が溢れる。この記憶…熱い愛情を、俺は忘れてしまうのかっ。

パーンッ
花火があがった。抱き合っていた二人の頭上に。流した涙が花火の色になる。
「…竜児くん。今日ここの花火大会でさ。しょぼいけど…ここに来たのは、
 あなたと一緒に観たかったの。花火を。」
「…そっか…綺麗だな…実乃梨」
竜児は、花火に目を奪われている。実乃梨は亜美の別荘で観た花火を憶えている。
もう一度、竜児と一緒に観たいと思っていたのだ。その願いが叶った。
…実乃梨は、戸惑う。しかし一瞬だ。ポーチの中から、そっと、
オレンジ色の液体が残る小瓶を取り出す。もういいや…ううん、全然いい。
だって、これは夢。夢だったんだ。現実だけど、夢なんだもん…
実乃梨は、それを口に含んだ。そして無言のまま、竜児の手を取る。ギュッとする。
振り向いた竜児に目を閉じ、ピンクの唇を捧げ、竜児との最後のキスをした。
「実乃梨…んっ!」
伊欧から貰った眠り薬は、即効性はあるが、長くは保たない。その薬の力で竜児は、
糸の切れた人形のように実乃梨にもたれかかってきた。
実乃梨は大河の全てを知っていたと…思っていた。しかし、この瞬間、初めてわかった事。
クリスマスイヴの日。大河のマンションの前で目撃した時。その時の大河の気持ちが…
頬を流れる涙を拭わぬまま、この24時間の記憶を消し飛ばすように、実乃梨は叫んだ。
「りゅううぅ、じいいいいーーーっっつ」
昇り始めた月に届くほど…その咆哮は天を貫く。
…やがて目の前の竜児のカラダに異変が起こる。体毛が、牙が、爪が、元に戻る。
もう泣かない。…もう一度決意する…花火に目を向けた。うん。平気。
これは夢だったんだ…もう一度確認する…
そして竜児は目を覚ました。

「…櫛枝?」
それは、夢の終焉を知らせてくれた。

実乃梨は売店の屋上から大河を確認した。大河も実乃梨を見つけ、店内に入って来た。
メールを送ってから3分と経っていない。誰かに聞いて、園内に来ていたのであろう。
バタンッという音と共に、大河が屋上に現れる。
「櫛枝実乃梨!」
獲物を目前に捕らえた大河。見上げた顔は、ワナワナと怒りに震えている。
「大河っ、来いっ!」
大河は、一瞬で実乃梨との間合いを詰め、鉄拳を繰り出す。速いっ。対応が遅れた実乃梨は、
低い体勢のまま、頭から突っ込む。
ガンっ!
低い音。実乃梨は額で拳を受け取め、素早く大河のバックに廻る。大河は、地面に両手を付き、
後方の実乃梨に蹴り込む。腹部に直撃すると思われた大河の足は、実乃梨の腕にガードされた。
バランスを崩した実乃梨。大河は態勢を整え、一気に追い込み、打撃を連打で撃ち込む。
ギリギリでかわす実乃梨。着地した軸足で踏ん張り、大河の首を狙い、腰を回転、踵を振り抜く。
大河は危機一髪、後ろに飛び、実乃梨の足技を逃れた。そしてまた、間合いが保たれる…
こいつ…強っ!大河は本能で理解する。実乃梨は、本気だ。闘気を燃やす灼熱の太陽だ。
虎は、器の違いに、動揺する。しかし…
「竜児はわたしのだっ!誰にも譲らねえーっ!!」
決死の想いで大河は叫ぶ。ここで負けたら…負けちゃったら…このやろおおおっ!!
「すまねえ大河っ!俺が櫛枝に頼んだ事だ。すまねえ!」
竜児は、ふたりの間に割って入る。しかしタイミングが悪く、大河の渾身の一撃が竜児に食い込む。

***

「…つまり、竜児と付き合いだしたのに、付き合う前と全くわたしの態度が変わらないから
 真意を知りたいと、みのりんに相談したと…そんで、ひと芝居打った…そうなの?」
「そうだ!…多分な…実はイロイロあって、記憶が無えんだ。今の話は櫛枝に聞いた」
そうなの、みのりん?…おうよっ大河っ!…竜児は二人の仲が戻って、安心していた。
「で。なんで記憶無くしたの?イロイロってなんなのよ?」
「やっぱり憶えて無えんだが…櫛枝が言うには、風で飛んで来たバケツにぶつかって、
 驚いた自転車に突っ込まれて、ヨロめいた拍子に、溝に落ちて、犬に噛まれて、
 鳩のフンが掛かって、ネコに引っ掻かれて、街路樹の太い枝が、頭に落ちてきた…らしい」
あんたらしいわっと吐き捨てられる竜児。ニコニコ笑顔の実乃梨。これで…いいの…

***

「竜児ぃ…だ〜いスッキ…」
「気持ちわりい…」
「ほほほほれ見ろ、あんたはそういう奴なんだからっ!だいたい今さら…」
大河は真っ赤になって、竜児と痴話げんかしている。
「じゃあ、おふたりさんっ、サラバじゃっ」
大橋駅で、竜児と大河は実乃梨と別れる。実乃梨は走る。振り返る事は…無かった。
「あっ☆、竜ちゃんと、大河ちゃ〜ん☆」
気がつくと、泰子のお店、弁財天国の前だった。店は日曜の夜で忙しそうだ。
「今日、大河ちゃんとデートだったんだぁ☆あれ?もしかしてぇ…ケンカした?」
「ううん。やっちゃん。竜児とはさっき会ったばっかり。ケンカはしてないけど、
 間違って、わたしのグーが、当たったくらい。遺憾よねっ」
お前なあっと、竜児が大河に文句を言うが、それを聞いた泰子の顔色が真っ青になる。
「…って、あれ?やっちゃんどうしたの?具合悪いの?」
ハッとする泰子。急にお腹を抱える。
「うーんっ、ちょっと具合悪いかもぉ…竜ちゃ〜ん…早退するから、ちょっと待ってて、一緒にかえろーっ」
具合悪い割には1分も経たずに泰子は支度して来た。そして竜児の右腕に絡み付く。
そうやって泰子は、大河から必死に隠した。竜児の右首に残る、実乃梨の歯形を。
「わぁー、今日は月がキレイ。ねっ竜児っ」
大河に言われ、竜児は月を見上げる。月を見ながら、竜児は誰かの事を考えた。
「ほんと…月。キレイだ。」
竜児は苦笑いする。なんで月を見てあいつの事を…

だってあいつは太陽だ。

おしまい


エピローグ

「おっまち〜っチョコパルフェ、黒大河スペシャルだぜっ、心して喰いなっ!」
玉井伊欧は、卒倒しそうな面持ちで、チョコレートソースたっぷりのパフェに手をつける。
すると、またもや『御用の際はボタンを押してください』ボタンを押すチャイムが…
あれ?この席はっ
「みのり〜んっ…ごめんね…こぼしちゃった」
大河のテーブルだ。一緒にいる竜児がいない。
「あれ?高須くんは?いずこ?」
「竜児はトイレなの。そういえば長いかもっ、あのさー、みのりん…」
竜児がいなくて暇なのか、実乃梨に世間話をする大河。なんか店内が騒がしいな…
ちょっと見てくると言ったトイレから、痛たーっと、涙目で出てくる伊欧の姿。…あれ?
窓の外に、一匹の犬が駅前に向って走って行くのが見えた。         …まさか…
実乃梨は無断で早退して、犬を追いかけて行った。

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