web上で拾ったテキストをこそっと見られるようにする俺得Wiki

亜美は酷く不機嫌に家を後にした。
まさか、こんな反応を示すとは、全くの予想外だった。
「あたしの部屋に、レプリカなんて置かないでよ。」
版画だから、確かにレプリカと言えなくも無い。
けれど、エッチングを作る際には、モノクロで見ることを前提に陰陽を掘り込んでいくものだ。
それは全く同じ形はしていても、中身は全くの別物と言っていい。
しかし、そんな理屈をこねる暇も無く、亜美は出て行ってしまった。
昨晩までは、どちらかといえば機嫌は良かったのに、いったい何が悪かったのか。
どうにも解らない。
いままで、あの子は贋作を嫌っている様子は無かった。
いや、それ以前に、真贋にそれほど興味を持たなかった。
第一あの版画はブーグロー本人が監修した『本物』なんだから、そういう問題ではないのだろう。
やっぱり、版画であること自体が気に入らなかったんだろうか。
まぁ、理由なんて、亜美のみぞ知るって所か。
どうやら、このプシュケーはまだ若く、アンブロシアを口にする前だったらしい。
溜息一つ。
娘の部屋に掛かったその版画を、もう一度だけ恨めしく眺めた。


    あみママ!  -3-


8月に入って、もうまもなく一月が過ぎようかというのに、亜美からは何の音沙汰も無い。
確かに、8月には、大事な模試があると言っていた筈だ。
しかし、私の方から試験の結果を聞くわけにもいかない。
万一結果が悪かった時には、娘の神経を逆撫でするのは明白だ。
どうやら、娘は、私に強い不信感を抱いているように思える。 敵役を買って出た訳だから当然なのだが、
どうもその猜疑心が、私の全ての行動に向けられているようなのが気になった。
「あら〜 川嶋さん、まーたまた、険しい表情しちゃって〜。 眉間に縦皺できちゃってるけど〜。」
…間の悪い奴め。 今、私は非常に機嫌が悪い。
「あなた、そこ通行の邪魔よ…。」
「いっ!」
ヒールで思い切り足を踏んでやった。 …骨が折れない程度には手加減したけれど。
「そういえば、貴方、また亜美の前をうろちょろしてたそうね…。」
別荘で聞いた話を思い出した。 確か、こいつの事務所は亜美の獲得を諦めた筈だ。
「いってー、川嶋さん、ちょっと酷すぎない?」
「いいから、質問に答えてほしいわ〜。 どういう事なのかしら、ねぇ…。」
「いや、そ、そーんなに深い意味はないの〜。 ははっ…は…は ほ、ほんとうに。 いえ、あの…はは、は」
最高にいい笑顔で見つめてやった。 最大限の殺気を込めて、だが。
「えっと……、亜美ちゃん、もったいないじゃなーい。 だって、安奈さんにそっくりであーんなに綺麗なのに、
引退しちゃうなんて〜。」
「おべっかはいいから、さっさと白状する。」
「あははは… 本当に、もう一回ちょっと誘ってみようかな〜って思っただけ。 でも、亜美ちゃんには全然話
聞いて貰えなかったの。 亜美ちゃん、本当にうちのプロダクションには興味無いみたい…。」
「本当に?」
「ほーんとうよー。 それで、思ったの。 亜美ちゃん、もしかしたら局アナとか狙ってるんじゃないかしら〜。
亜美ちゃんが目指してる大学って、そういう人でてるし、アナウンサーだったら、堅気の仕事だけど、亜美
ちゃんの美貌も生かせるでしょう?」
「………行ってよし。」 「ふぅ… じゃ、じゃぁ、またね〜 川嶋さん。」
そそくさと逃げていくオカマ野朗。 だが、たまには役に立つ。
「アナウンサー…ね…。」

それから、更に半月が過ぎた。
その間、流石の私も、大学受験について勉強した。
亜美の希望している国立大学を受けるには10月上旬にセンター試験の出願をしなければならない。
すでにカレンダーは9月も半ばを過ぎようとしている。
しかし、亜美からはやっぱり、なんの連絡も無かった。
おかげで、プライベートの携帯が着信音を発する度に、慌てて電話を取り落としそうになっている。
現場でも最近イライラしているようだという事で、みんな恐れて近寄らない始末。
そして、正に今、都内でのロケの合間にも、そんな空間が出来上がっていた。
一般の人達が遠巻きに見学する中、そういう緊張感はあまり見栄えがいいものじゃないのだけれど。
新作の宣伝を兼ねた公開ロケは、通常よりも休憩時間が多く、また長い。
いわゆるファンとのふれあいってのを期待されてる訳だ。
もちろん、私だって、その辺は心得ている。 努めてにこやかに振舞っているのに、なんでスタッフの連中が
怖がるのよ……。 本当、失礼しちゃうわ。
…なんて思っていた時だった。
「…ぉばさん。  …安奈おばさーん!」
スタッフ全員が凍りつく。 近くにいた俳優仲間も皆、表情が凍った。
…なんか、ちょっとショックだわ。 私って、そんなに怖いのかしら…。 
ま、もっとも、声の主が別の誰かだったらブチ切れてたかもしれないけれど。
「あら、祐作くんじゃない。 久しぶりね。」
ひらひらと手を振りながら、笑顔で答える。 それを合図に、シンと静まり返った周囲の空気が息を吹き返した。
明朗快活なその少年は、かつて近所に住んでいたご家族の息子さん。
亜美とは小さい頃から仲良くしてくれて、亜美が『素』のまま接する事が出来る殆ど唯一の相手だった。
その彼は、10mほど離れているとはいえそれでも大きすぎる声で… 
「お久しぶりです!」
そう言って、お辞儀をすると、彼はその場を立ち去ろうとする。 どうやら、単に挨拶したかっただけのようだ…。
やっぱり、読めない子…。
だが、こんなチャンスを逃すわけには行かない。
「マネージャー、あの子、こっちに連れてきて。」 「えっ!」 「驚いてる暇があったらさっさと行く! ほら!」
「そこの貴方。」 「は、はい!」
「休憩時間は残り何分?」 「はい。 えー… 2分少々です!」
「5分延長よ。」 「…理由は?」 「役作りに必要。」 「わかりました!」
…有能じゃない…。 あとで褒めちぎっておいてあげよう。 ADにはもったいない。
帰りかけていた少年を連れて、マネージャーが戻ってくる。
見物客からすこし離れた場所にあるパイプ椅子に、見物客に背を向ける形で腰を下ろした。
「どうぞ、祐作くん。」 「は、はぁ。 一体、どうされたんですか? 安奈おばさん。」
「ごめんなさいね。 忙しかった?」 「いえ、大丈夫です。」
「時間が無いから、単刀直入に聞くわね。 最近、亜美が全然連絡くれないのよ。 祐作くん、なにか亜美に変わった
事ってなかったかしら?」
「…いえ、特には。 おかしいな。 一昨日あたり、連絡はありませんでしたか?」
「? なにも?」 「…模試の結果なんですが、実は俺と、亜美、それと俺の友人が揃ってC判定だったんですよ。」
…C? ABCの? それってダメって事なのかしら?
「それで、亜美は?」 「もちろん、大喜びでした。」 
あら? Cって良い方なのかしら? そんな私の疑問に気がついたのか、祐作くんが補足してくれた。
「この時期は、浪人生や私立の有名進学校が圧倒的に有利なんです。 だから、俺達みたいなのがC判定っての
はかなり良い方なんですよ。 …おかしいな。 安奈おばさんに知らせないなんて。」
そうか…。 あの子、頑張ってるのね…。
「いいのよ、祐作くん。 私達ね、賭けをしているの。 それで知らせて来ないんじゃないかしら。」

「賭け、ですか?」
「そう。 亜美が国立大学に受かったら、亜美の勝ち。 落ちたら私の勝ち。」
「…その賭けって、成り立つんですか?」
「あら、どうして?」
「いえ、なんだか、どっちにしても安奈おばさんの勝ちのような気がしたんですが。」
へぇ。 亜美は『裸族』とか言って馬鹿にしてたけど、流石、賢いじゃない。
「ふふふふふ。 どうかしらね。 亜美には余計なこと言っちゃダメよ、祐作くん?」
「はっはっはっはっは。 やはり図星でしたか。 わかってます、内緒にしますよ。」
「そういえば、祐作くんはどの学部?」
「はい。 法学部を目指しています。 だから亜美はライバルという事になりますね。」
「あら、まぁ。 それは困ったわねぇ。 祐作くん、志望校変えなさいな。」
「…相変わらずですねぇ。 安奈おばさんは…。 しかし、心配には及びませんよ。 亜美には強い味方がついてますからね。」
「味方?」
「ええ。 俺の親友が時々亜美の勉強を見てやっているようですからね。 …きっと亜美は合格しますよ。」
「へぇ。 祐作くんの親友ねぇ。 随分、信頼しているようね、その子の事。」
「もちろんです。 どんな困難な事でも、いや、困難な事こそ、何時もあいつは乗り越えて見せる。 そんな男です。」
「ふふふふふ。 いいわね、男の子の友情って。 おばさん、うらやましいわぁ〜。 あ〜亜美も男だったら良かったのに…。」
「はっはっはっは。 そんな事になったら、何千、何万という男共に恨まれますよ。」
「…最近、あの子、難しくって…。」
「亜美がですか? いや、寧ろ少し素直になった気がしますが…。」
素直に、ねぇ…。 ちょっと色恋についても探ってみよう。 祐作くんじゃどうせ解らないだろうけど、多少は収穫もあるかも。
「あの亜美が素直にねぇ…。 好きな男でも出来たのかしら?」
「………出来たんだと思います。 結ばれるかどうかは分かりませんが。」
え? この子、知ってるの? 意外だわ……。 それにしても、変に含みのある言い方ね…。
「川嶋さーん、スタンバイ、お願いしまーす。」
ちっ、まだ少し時間あるじゃない…せっかちな監督だこと。 軽く溜息をつきながらパイプ椅子から立ち上がる。
「あ、すみません、お邪魔してしまって。」
すばやく立ち上がって姿勢を正す。 いかにも優等生っぽい所は、この子も相変わらずだ。
「ふふふ。 何言ってるの? 用があったのは私の方よ。 それじゃ、祐作くんも勉強がんばってね。」 
「ありがとうございます!」
「それと、うちの馬鹿娘の事も、よろしくね。」
「はい。」
さて、それじゃ仕事しますか。
「…そういえば。」
「?」
「そういえば、亜美は『奇跡が起きるかもしれない』と言っていました。 …俺も奇跡があるなら見てみたい、とは思います。」
「そう… その時は、バチカンの列聖省に連絡しなくちゃね。」

珍しく、公開ロケでNGを出してしまった。 しかも5回も。
ギャラリーには受けていたし、周囲の連中も、険が取れてよかったなんて言っている。
でも、私としては不本意極まりない。
それというのも、祐作くんが最後に変な事を言うからだ。
『奇跡が起きるかもしれない』
これは恐らく、受験の事を言ってるんじゃない。
それは直感的に解った。
どうやら、間違いなく、祐作くんは亜美の恋の相手を知っているようだ。
やっぱり、私も女だ。
どうしたって勉強よりも、恋の方が気になってしまう。 たとえ、それが娘の事であっても。
娘が、モデルを辞めると宣言した、あの楽屋での言葉。
小さくて聞き取れなかった言葉。
あれこそが娘の本心だったのではないか、そう何度も自問して来た。
『やりたい事が出来た』
その後に続いた言葉は、聞こえなかったが… 唇は確かに告げていた。
好きな男に付いていきたいと。 
そして、今日確信に至った。 
おそらくはその男の背中を追いかけようとしている。 突然の難関校への挑戦は、きっとそういう事なのだ。
だとしたら…
亜美の想い人は祐作君か、あるいはその親友かって事になる。

今までの亜美との会話を思い出す。
転校したばかりのころは、友達の話なんかしなかった。
娘との会話に友達の名前が出てくるようになったのは、去年の夏休みの後だったと思う。
思い返す。
麻耶、奈々子。 この二人は最近でもよく名前が出てくる。 一番の仲良しなんだろう。 他には最近聞かなくなったけど
櫛枝と逢坂。 これはたしか女の子だった筈。
男の子は………
あれ? 祐作君以外に思いつかない。 あの子の話に出てくる男の子って祐作君だけ?
いや、たしかアホロン毛とかも聞いた気がするが… 悪意満点のあだ名って時点で、まぁ論外だろう。
ってことは、まさか、亜美の好きな人って… 祐作くん?
そ、そんなバカな… だって、なんで今更。 っていうか、いつも『裸族』とか言って馬鹿にしてるし…
いや、ブラフなのか?
思えば今日の祐作くんの言葉も変に含みがあった気がするし。 ひょっとするとひょっとしちゃうのかしら…。
いえ、でも祐作くん相手に、亜美があんなにシリアスになるのって、違和感ありまくりだし。
うーん。 でも、なーんかちょっと引っ掛る。
何かしら、この違和感。 でも、亜美から聞いたことのある男の子の名前って祐作くんだけよね…。
なんか、こう、喉まで出掛かってるっていうか… なんだろう。 何か忘れてるような……。

「…わしまさん、 あの、 川…」 何かしら、この忙しい時に。 「ひっ。 す、すみません。すみません。すみません。」
あら? きっちり台本通ーりに演技する『若手実力派』(笑)女優さんじゃない。 なに怯えてるのかしら?
「すみません。すみません。すみません。」 まだやってるし…。 そういえば、この子、オカマ野朗の事務所だったわね。
そう…。 あのオカマ野朗のせいで、私の事、鬼か何かだと思ってるのね… 気の毒に。
「それより、貴女、私に何か用があったんじゃなくて?」
「あ、はい。 あの、出番なんですけど。 次、川嶋さんの台詞からです……。」
「………もしかして、私、ボケてた?」
「は、はい。 ってじゃなくて、いえ、ボケたなんて言ってません! ああ、っていうか、そうじゃなくて…」
パニクッってるし。 なんか哀れになってきた。
「はいはい。 ごめんなさいね。  私ぼーっとしてたのよね? 解ったから、いきましょ?」
いきなり笑顔が輝いた。 まー素直ないい子なんでしょうね、それなりに人気があるのも頷ける。
ま、家の亜美の方が遥かに美形だけど。
やっぱり、こうして一緒に… ああっ、もう私ったら、未練たらたらカッコ悪いわ。 
今は演技に集中しましょうか…。

「はーい、お疲れ様〜。」
「お疲れ様。」
「いやー、流石、安奈ちゃん。 調子悪いのかと思ったけど、結局ビシッと決めてくれたねぇ。」
この脚本家とは以前激しくぶつかった事がある。
あの頃は私も若かった。 新人虐めをやっているコイツを見て、我慢ならなくなって喧嘩したのだ。
もちろん、私が勝った。
それからというもの、事あるごとに私におべっか紛いの言葉を投げかける。 正直、嫌いなタイプだった。
「そういうのは先ず、ヒロインちゃんに言ってあげたほうが良いと思いますわ。 彼女、中々いい出来だったと思いますけど。」
ちょいとはぐらかして退散する。
ロケからスタジオ撮りに移行して、ようやく予定のシーンを全部撮り終えたのはもう夜中だった。
ヒロイン役の『若手実力派』(笑)女優ちゃんが、私のアドリブに幻惑されて、なかなかOKが出なかったからだ。
けれど、最後はきっちり付いてくるようになったのは、今までの教育が悪かったという証明のように思う。
さえないシーンが見違えるようにいい場面に変わった。
この娘は上手くすれば、このドラマで化けるだろう。
そんな事を考えつつ、日付の変わってしまった楽屋に戻る。
気難しいと思われている私は、いつも広い楽屋をあてがわれ、また、その楽屋に誰かが訪れることも極まれだ。
だから私の楽屋はいつも、この上なく、寂しい。

深夜ともなると、周囲のざわつきも楽屋の中には届かず、空調の静かな唸りだけが耳に付く。
私の好みとは合わない派手な衣装を脱いで、下着姿で畳に倒れこむ。

…それにしても、今日は精神的に疲れた。
娘より一つか二つ年上の若手女優さんと、ああいう話を聞いた後でがっちり4つに組んで演技をするのはよろしくない。
どうしても亜美の顔がちらついてしまうから。
そうして暫く天井とにらめっこした後、メイクを綺麗に落として、すっぴんで鏡に向かう。
―――主人に似なくて本当に良かった……こうして見ると、やっぱりあの子は母親似だわ…。

そして結局、娘の事を考えてしまっていた。 
あんなに必死なのだから、あの子の恋路は応援してあげたい。 これは本気でそう思う。
けれど、その恋心が私の夢を叩き壊したのも事実。
その恋の相手に敵愾心があるのも認めないといけない。
どうしたら折り合いがつけられるのか、正直自分では分からない。 
あの子の為を思っているのか、それとも自分の為なのか。
『奇跡が起きるかもしれない』
そう言うからには、亜美にも目が出てきたってことなんだろう…。
もしも、亜美がその男の子と上手くいってしまったら、どうなるのだろうか。
その場合やっぱり、芸能界復帰は無いような気がする…。
それとも、オカマ野朗の言うように、色恋ばかりでなく、案外先の事もきちんと考えているのかしら。
「はぁ〜。 そんなの分かるわけないか…相手次第よね…。」
つい独り言ちてしまう。
だが、実際結ばれたとなれば、亜美はあれで結構健気なところがあるから、去就は相手次第かもしれない。
一体、どんな男なのかしら?
祐作くん、では無い。 なんとなく、けど確信めいて、違うと思う。
あの亜美があんなに必死になるなんて、よっぽどその男が好きなんだろう。
正直、どんな男なのか想像がつかないのよね…。
………
……考え出したら、気になって仕方なくなってしまったじゃない。
出来ることなら、明日にでも学校にいって、亜美の様子を偵察したいくらいだわ…。

―――その時、ふと楽屋の衣装掛けにかかった昔ながらのセーラー服が視界の端に映った。

私の高校は、今亜美が通っている学校のようにブレザータイプの制服だった。
当時はセーラー服の学校も今よりは沢山あって、やっぱりその可愛さは男の子たちに人気があった。
自分がまだ下着姿のままだった事を思い出す。
と、同時に悪戯心がむくむくと湧きあがって来た。

…き、着てみよう。
…………
……

着てみた。

くっくっくっくっく。 これが一児の母に見えて? もう、完璧じゃない、私。 
ナチュラルメイクも完璧。 ちょっと見はすっぴんだ。
おすまし顔してれば、シワだって全然見えねーし、『ちょっと老けた女子高生』で通用するわ。
いや、もう亜美の制服ちょっぱってくれば、マジで潜入捜査できるんじゃね? 
スカートの端をつまんで、くるんと鏡の前で一回り。
実は、セーラー服、憧れてたのよねぇ〜。
若い頃、私の好きだった漫画がドラマ化されて、私はもう、チョー気合入れてオーディションを受けに行った。
けれど…。
「いやー安奈ちゃんは、クールビューティーのイメージだからねぇ。 こういう色物は…ねぇ。 この役はアイドルから
選ぼうと思っててね、カッコ良すぎるのってダメなんだよね。 まぁ気を落とさずにがんばって。 じゃ、次の人。」
ええ。 一字一句、はっきりと覚えてますわよ。 
私一人だけ演技試験も無しに、面接開始30秒で落とされたのがどんなにショックだったか…。
ふん。 ちゃんと似合うじゃない。
ナチュラルメイクで若々しさを演出するには、まぁ、ぎりぎり?だけど…。

清純乙女モードでにっこり鏡に向かって笑いかけた、まさにその時。

こういう、滅多にというか、絶対やらないような事をした時に限って、普通は有り得ない様な事が起こるものよね。
どういう訳か世の中って、そういう風にできてるのよ、亜美。 あなたも気をつけなさい………。

楽屋の扉が、ノックも無しに開かれた。
マイナス273度の遭遇。
入ってきた2人が凍りつく。
当然、私も凍りつく。

バタン、と二人の背後の扉が閉まる音。 2人は未だに冷凍中。
「小林、飽田、判ってるとは思うけど…。」
首の前、親指を立てて、ゆっくり左から右へと手をスライドする。
僅かに解凍された二人は微かに、しかし、何度も頷いた。
だが、軽いパニック状態の私は、不思議なことに茶目っ気が一番表に出るらしい。 新発見だ。

「万が一、口外したら…」
左半身、斜に構える。
目を伏せ、ゆっくりと右手を左の肩口に添え…
…キッと睨みつけ!

「おまんら、許さんぜよ!!」

あぁ〜〜、一回言ってみたかったのよね…。 二十年来の夢が叶ったわ。
哀れな二人は白くなってるけど、ま、些細な事よね。

「…ふん。 ほらっ、そこで灰になってないでっ。 私、着替えるんだから、さっさと出て行く。」
「は、はいー!」 「す、すみませんでしたー!」
脱兎のごとくって、きっとこういう事を言うのでしょうね。 
文字通り、先を争うように出て行く二人を見れば、口元も弛むというものだ。

とんでもない所を目撃されてしまったけど、お陰ですこし気が晴れた。
セーラー服を脱ぎながら、ついつい笑ってしまう。
あの二人にはいい酒の肴だろう。
そうだ。 何事もあんまり深刻に考え過ぎるのも良くない。 
亜美には嫌われてしまっているのかも知れないけれど、私は今のままでいい。
例えぶつかっても、愛する事さえ止めなければ、いつかはまた心が繋がるときもあるだろう。
オーディションに落ちた時、絶対に言わないと誓った台詞を、なんのつかえも無く、冗談で吐き出せたように…。
真剣に悩んでも、馬鹿をやっていても、結局等しく時間は流れていく。
私が悩んでいても、娘の心はそんなの関係無しに確実に成長していくのだ。

確かに亜美の想い人のことも気になるけど、べつに深刻になる事は無い。
もし結ばれるなら…
その時は祝福できる相手かどうか、見定めさせてもらう事になるだろう。
亜美が好きになった男の子だ。
きっと私を楽しませてくれるに違いない。

まだ見ぬ亜美の想い人を想像しながら、TVスタジオを後にする。
見上げれば、夏の夜空に一等星が一つ、二つ、三つ。
街灯に照らされた自分の顔がマネージャーがまわしてきた車の窓に映る。
自分のセーラー服姿を思い出して吹きだしそうになった。
結局、私も子供だ。
親らしい事をしたくて躍起になってるだけ。
もっと自分の気持ちに素直になりたいが、それすらなかなか出来ない。

「なんだか、ご機嫌ですね。」
「そう? ご機嫌って訳じゃないのよ?」
「でも、なんというか、楽しそうな顔をなさってますよ?」

人気のなくなった都会の景色が流れ出す。
「そう… そうねぇ…。」
阿呆だが、長年付き合っているマネージャーは、ただ微笑んでいる。
「だって、なんだか、可愛いと思わない?」

「…子供が、一生懸命、子供の心配してるのって。」

…マネージャーは何も言わず、流れていく都会の夜の中、やっぱりただ微笑んでいた。

以上です。

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