最終更新: text_filing 2009年09月24日(木) 01:40:22履歴
〜奈々子様のちょっと計画がくるった夏の夜〜 sage 2009/09/23(水) 18:49:48 ID:oA3XX/32
「じゃぁね、春田くん。 ありがとう。」
「へ? 俺、まだなーんもしてないよ〜 奈々子様ぁ〜。」
「本当に助かっちゃった。 じゃ、お休みなさい。 またね。」
「うーん。 ま、いっかー。 奈々子様が喜んでくれたんならぁ。 んじゃおやすみー。」
……
…本当に、アホは使い勝手がいいわ。 助かったっていうのは本当よ、春田。
そんな風に少し頭が不自由な同級生に感謝しつつ、香椎奈々子は緩やかにウェーブのかかった黒髪を翻した。
今、彼女には欲しいものがあった。
ふとした弾みで知ってしまった甘い果実。
それはあまりにも上質で、ほとんど究極と言っていいほどの美しい果実。
その果実に比べれば、自分を捨てた男など路傍の石にも等しい。
もちろん、彼女自身にもそれが逃避行動であることはわかっている。
だが、止められない。
初めて愛した男に捨てられた痛みは、しかし、それほどまでに深かったのだ。
ふと、我に返るといつも思う。 『私、狂ってる』 と。
今からやろうとしていることも、流石にちょっとやりすぎだ。
タイガーと高須くんの水入らずに割り込んで、何気に亜美を売り込もうとしている。
―――高須くんに亜美ちゃんを意識してもらう。
しかし、それは臆病な亜美をその気にさせるために必要だからだ。 二人のキューピッド役をやろうというのではない。
きっと高須くんは、亜美に言い寄られても揺るがないだろう、そう確信があるからこその策。
そうでなければ意味が無い。
なぜなら、それは亜美を傷つけるのが目的だから。
そして、その傷ついた亜美の心に生まれるであろう隙間を衝くのは…
「くすっ…… くす… くす… くす。」
……あっ。 やっぱり、あたし…。 くすっ。 ――――狂ってる。
埋めネタ 続き 〜奈々子様のちょっと計画がくるった夏の夜〜
今日のカラオケの様子を見ても、高須くんが亜美を今までになく意識してしまっているのは明白だった。
たぶん、高須くんは今まで亜美にリアル感を感じていなかったのかもしれない。
それが、いまや芸能界で人気上々の亜美ちゃんが、二年経った今でも、自分を強く意識しているのを感じて動揺しているのだ。
宴会前の僅かなツーショットの時間は、思っていた以上に効果があったらしい。
ここまでは計画通り、いや、計画以上の成果だ。
亜美ちゃんの胸が腕に押し付けられた時の高須くんの姿勢は爆笑ものだった。
大河にお預けくらって堪っているのかしら?
亜美ちゃんも少し酔ってて、いつもの三割増くらいの色気だったし、見慣れないショートカットも興奮を誘ったのかもしれない。
ずっと亜美ちゃんに隣に座られて、結局高須くんは一度も席を立たなかったし、カラオケが終わって、席を立つのも最後だった。
それで、つい、カラオケスタジオから出る時、こんな事を言ってしまった。
「高須くん、ずっと勃ちっぱなしで、ご苦労様。」
高須くんは、あたしがそんな事を言うとは夢にも思ってないみたいで、本気で意味が伝わらなかったみたいだったけど。
そして、最寄り駅のホームに着くと、その高須くんの姿をキョロキョロと探す。
残りの電車は一本。
目的地は同じ大橋駅。
ならば、探すのはそう難しくは無い。 …ハズなのに。
特徴的な小柄な少女と、スッキリとしたシルエットの青年。 ……いない。 …そんなはずは…
「おぅ、香椎。」
「ひゃっ」
びっくりした。 まさか後ろから声を掛けられるとは思ってなかったから。 先にあの場を離れたから、てっきり…。
それに……
「あら? タイガー…逢坂さんは?」
「お、おぅ。 その、一緒に帰ろうと思ったんだが… 追い払われちまった…。」
あらあら。 なんとも。
「ふぅん。 喧嘩でもしているの?」
「それが、さっぱりわからねぇ。 ……川嶋は判っているみたいだったが、相変わらず謎かけばっかりで教えてくれねぇ…。」
「だったら、諦めないで亜美ちゃんに聞いてみればいいのに。 一生懸命頼んだら教えてくれるんじゃないかしら?」
「そ、そうか? ……いや、いや、やっぱりダメだ。 川嶋は忙しいんだから。 それに、川嶋とさしでってのは……拙いだろ。」
赤くなってる。
「ふふふ。 やっぱり、緊張しちゃう? 亜美ちゃん、相変わらず綺麗だもんね。」
「流石に女優ってなると違うのかな。 なんていうか、ますます美人になったような気がするな。」
「ううん。 髪切っただけで、亜美ちゃんは高校の時とほとんど変わってないよ。」
「おぅ? そ、そうか?」
「もし、綺麗になったように見えるんなら……。 それはきっと高須くんの亜美ちゃんを見る目が変わったからじゃないかな?」
「ば、ばか、お前までからかうのかよ。 …そんなことねぇよ…。」
あ。 一層赤くなって、へんな汗がでてる。
そうしているうちに、ホームに電車が滑り込んできた。
最終電車って、案外混んでるのね…。 飲んだ後に乗るのはちょっと嫌かも。 少し憂鬱に電車に乗り込む。
そして暫くして、『なるほど』と思った。
前から、亜美ちゃんほどの女の子がどうして高須くんに夢中になっちゃってるのか、正直不思議だった。
確かに高須くんは目つき以外はけっこういい男だとは思っていたけど、あたしの中では『けっこう』どまりだった。
悪いけど、頭がよくて、家事が完璧に出来るくらいじゃ、惚れたりなんかしない。
だから、何がそんなにいいんだろうって、私的には謎だった。
けれど、二人になってようやく見えてきた。
高須くんは狭い電車の中、あたしの体が他の人とくっつかないよう、うまく間に体を入れて守ってくれている。
それが、全然わざとらしくない。 というか、無意識でやってるように見える。
普通なら、女の子を意識して頑張っちゃう所かもしれないのに、高須くんにはそういう素振りが全然ないのだ。
なるほど、これが『そう』なのだ。
この自然な、ナチュラルな優しさが、普段ちやほやされるのに慣れていた亜美ちゃんには衝撃だったに違いない。
やがて、地下鉄の乗換駅で一時的に満員電車になる。
都合、高須くんと密着することになった。
不覚にも、つい腕で体をカバーしてしまったけど、高須くんの男の匂いを感じて、少しだけ脳幹がひりひりした。
それは、つい最近までの、逞しい腕に抱かれていた日々を思い出させる。
少しだけ頭が朦朧として、下腹部にぞわりと何かが這い出てくる。
もう、思い出さないことにした顔を求めて、少しだけ顔を上げると、目が泳いでいる高須くんの凶悪面が至近距離に飛び込んできた。
声に出すか、出さないかの微かな、笑い声。 高須くんに聞こえちゃったかな?
いけない、いけない。
今は亜美ちゃんの売り込みしとかなくちゃね。 ……それにタイガーの泣き顔なんか見たくないし。
でも。
でも、ちょっとだけなら…いいよね?
電車の中もすこし空いてきた。
大橋駅に着く少し前、ひときわ電車が揺れる場所がある。
そこであたしは……。 わざとらしく高須くんの胸に倒れこむ。
彼の足を、あたしの足の間に挟んで、カラダ全部を密着させた。
くすっ。
ほら、柔らかいでしょ? タイガーと違って。 太ってないけど、ぷにぷにしてるのよ? 『女』の部分ダケはね。
すこしだけ、彼の胸に指を這わせた後。
あたしは…… しっかりとくっついたビニールテープを剥がすみたいに、カラダを離していった。
朝まで、大橋駅に入る電車は無い。
駅前の人がまばらになるのはあっという間だった。
「お、おぅ… 本当に一人で大丈夫か?」
「ええ。 平気よ。 それより、タイ…逢坂さんのことだけど、やっぱり亜美ちゃんに聞いてみるのが一番いいと思うな。」
「だが、川嶋は忙しいだろ。 そんな事で、迷惑かけられねぇよ。」
「高須くん、わかってないなぁ……。 それとも気付かないふり? 今日の亜美ちゃん、すごく嬉しそうじゃなかった?
高須くんの傍にいる時は、ね。 亜美ちゃんは今でも……。」
からかうように流し目を送る。
「………」
高須くんは真剣な表情で俯いていた。
それで判る。 おそらく、高須くんには、ちゃんと亜美ちゃんの気持ちが通じてる。
気の毒だけど、やっぱり亜美ちゃんには勝ち目が無い。
けれど、男としての本能というものも、確かにある筈。
それは高須竜児の生い立ちを考えれば最も忌諱すべき感情だけれど…
それが全てを飛び越えていってしまうことがあるのを、あたしは学んだ。
そしてあたしは問いかける。
タイガーとすれ違い、上手く行かないこんな時に、懐が深くて、かつ深追いしてこない亜美は、とても都合がいい逃げ道だ。
だから、高須くんにとって、この質問は凄く厳しい質問になる。
「ねぇ、高須くんにとって、亜美ちゃんってなんなの?」
数瞬の間。
「なんで、香椎がそんなに川嶋の事、気にするんだよ…。」「友達だから。 親友だから。 それじゃ答えにならない?」
「……大切な、大切な『友達』だよ。 ……失いたくねぇ『友達』だ。」
ふーん。 脈あり、と。 ま、無理も無いよね。 あれだけイイ女、欲しくなかったら男として異常だもの。
はっきり突き放してやった方が、亜美ちゃんの為なのに、それが判ってても、高須くんにはそんな事は出来ないんだね。
本当に…… 本当に優しすぎるほど、優しい人。 あたしの胸も苦しくなるほどに… 優しい。
でも、そういう所が『隙』になるんだよ、高須くん。
そして… 亜美ちゃんが奥手でよかったわね、逢坂さん。
それからも、ちくちくと高須くんを突っつく。
高須くんはなんだか、亜美ちゃんの事を聞かれる度に顔が壊れてしまって、さっきから凄くヤバイ。
職質が来ても不思議は無い。 というより、来ないほうが日本の治安に不安を感じちゃうレベル。
でも、なんだか、そんな顔が可愛く見えてきちゃってるのが凄く不思議だった。
きっと、亜美ちゃんもこんな気持ちで高須くんをからかってたんだな、と妙に納得。
「やっぱり、送ってもらおうかな…」
あれ? あたし、なんでこんな事言ってるのかしら?
「おぅ。 おう。 そうしろ、そうしろ。 こんな夜更けに、香椎みたいな美人、一人で帰したら俺の神経によくねぇ。」
「ふふふふ。 心配してくれるんだ。」
「あたりまえだろ。」
「…嬉しい。」
えーと、亜美ちゃんの売り込み作戦だったよね、これ。 なんか、このままだといけない方向にいっちゃうかも…。
そういえば、麻耶、最終に乗ってなかったわよね…。
って事は…
そっかぁ。 今日は間違いが起きちゃっても仕方の無い日なのかもしれないわねぇ。
なんだか、当初の思惑と違ってしまいそうだけど…ま、いっかぁ。
肩を並べて歩き出した高須竜児からは、奈々子の顔は柔らかそうな黒髪に遮られてよく見えない。
だから竜児は気がつかない。
清楚なイメージの同級生が、
………香椎奈々子が、
―――夜の顔で嗤っている事に―――。
おわり
「じゃぁね、春田くん。 ありがとう。」
「へ? 俺、まだなーんもしてないよ〜 奈々子様ぁ〜。」
「本当に助かっちゃった。 じゃ、お休みなさい。 またね。」
「うーん。 ま、いっかー。 奈々子様が喜んでくれたんならぁ。 んじゃおやすみー。」
……
…本当に、アホは使い勝手がいいわ。 助かったっていうのは本当よ、春田。
そんな風に少し頭が不自由な同級生に感謝しつつ、香椎奈々子は緩やかにウェーブのかかった黒髪を翻した。
今、彼女には欲しいものがあった。
ふとした弾みで知ってしまった甘い果実。
それはあまりにも上質で、ほとんど究極と言っていいほどの美しい果実。
その果実に比べれば、自分を捨てた男など路傍の石にも等しい。
もちろん、彼女自身にもそれが逃避行動であることはわかっている。
だが、止められない。
初めて愛した男に捨てられた痛みは、しかし、それほどまでに深かったのだ。
ふと、我に返るといつも思う。 『私、狂ってる』 と。
今からやろうとしていることも、流石にちょっとやりすぎだ。
タイガーと高須くんの水入らずに割り込んで、何気に亜美を売り込もうとしている。
―――高須くんに亜美ちゃんを意識してもらう。
しかし、それは臆病な亜美をその気にさせるために必要だからだ。 二人のキューピッド役をやろうというのではない。
きっと高須くんは、亜美に言い寄られても揺るがないだろう、そう確信があるからこその策。
そうでなければ意味が無い。
なぜなら、それは亜美を傷つけるのが目的だから。
そして、その傷ついた亜美の心に生まれるであろう隙間を衝くのは…
「くすっ…… くす… くす… くす。」
……あっ。 やっぱり、あたし…。 くすっ。 ――――狂ってる。
埋めネタ 続き 〜奈々子様のちょっと計画がくるった夏の夜〜
今日のカラオケの様子を見ても、高須くんが亜美を今までになく意識してしまっているのは明白だった。
たぶん、高須くんは今まで亜美にリアル感を感じていなかったのかもしれない。
それが、いまや芸能界で人気上々の亜美ちゃんが、二年経った今でも、自分を強く意識しているのを感じて動揺しているのだ。
宴会前の僅かなツーショットの時間は、思っていた以上に効果があったらしい。
ここまでは計画通り、いや、計画以上の成果だ。
亜美ちゃんの胸が腕に押し付けられた時の高須くんの姿勢は爆笑ものだった。
大河にお預けくらって堪っているのかしら?
亜美ちゃんも少し酔ってて、いつもの三割増くらいの色気だったし、見慣れないショートカットも興奮を誘ったのかもしれない。
ずっと亜美ちゃんに隣に座られて、結局高須くんは一度も席を立たなかったし、カラオケが終わって、席を立つのも最後だった。
それで、つい、カラオケスタジオから出る時、こんな事を言ってしまった。
「高須くん、ずっと勃ちっぱなしで、ご苦労様。」
高須くんは、あたしがそんな事を言うとは夢にも思ってないみたいで、本気で意味が伝わらなかったみたいだったけど。
そして、最寄り駅のホームに着くと、その高須くんの姿をキョロキョロと探す。
残りの電車は一本。
目的地は同じ大橋駅。
ならば、探すのはそう難しくは無い。 …ハズなのに。
特徴的な小柄な少女と、スッキリとしたシルエットの青年。 ……いない。 …そんなはずは…
「おぅ、香椎。」
「ひゃっ」
びっくりした。 まさか後ろから声を掛けられるとは思ってなかったから。 先にあの場を離れたから、てっきり…。
それに……
「あら? タイガー…逢坂さんは?」
「お、おぅ。 その、一緒に帰ろうと思ったんだが… 追い払われちまった…。」
あらあら。 なんとも。
「ふぅん。 喧嘩でもしているの?」
「それが、さっぱりわからねぇ。 ……川嶋は判っているみたいだったが、相変わらず謎かけばっかりで教えてくれねぇ…。」
「だったら、諦めないで亜美ちゃんに聞いてみればいいのに。 一生懸命頼んだら教えてくれるんじゃないかしら?」
「そ、そうか? ……いや、いや、やっぱりダメだ。 川嶋は忙しいんだから。 それに、川嶋とさしでってのは……拙いだろ。」
赤くなってる。
「ふふふ。 やっぱり、緊張しちゃう? 亜美ちゃん、相変わらず綺麗だもんね。」
「流石に女優ってなると違うのかな。 なんていうか、ますます美人になったような気がするな。」
「ううん。 髪切っただけで、亜美ちゃんは高校の時とほとんど変わってないよ。」
「おぅ? そ、そうか?」
「もし、綺麗になったように見えるんなら……。 それはきっと高須くんの亜美ちゃんを見る目が変わったからじゃないかな?」
「ば、ばか、お前までからかうのかよ。 …そんなことねぇよ…。」
あ。 一層赤くなって、へんな汗がでてる。
そうしているうちに、ホームに電車が滑り込んできた。
最終電車って、案外混んでるのね…。 飲んだ後に乗るのはちょっと嫌かも。 少し憂鬱に電車に乗り込む。
そして暫くして、『なるほど』と思った。
前から、亜美ちゃんほどの女の子がどうして高須くんに夢中になっちゃってるのか、正直不思議だった。
確かに高須くんは目つき以外はけっこういい男だとは思っていたけど、あたしの中では『けっこう』どまりだった。
悪いけど、頭がよくて、家事が完璧に出来るくらいじゃ、惚れたりなんかしない。
だから、何がそんなにいいんだろうって、私的には謎だった。
けれど、二人になってようやく見えてきた。
高須くんは狭い電車の中、あたしの体が他の人とくっつかないよう、うまく間に体を入れて守ってくれている。
それが、全然わざとらしくない。 というか、無意識でやってるように見える。
普通なら、女の子を意識して頑張っちゃう所かもしれないのに、高須くんにはそういう素振りが全然ないのだ。
なるほど、これが『そう』なのだ。
この自然な、ナチュラルな優しさが、普段ちやほやされるのに慣れていた亜美ちゃんには衝撃だったに違いない。
やがて、地下鉄の乗換駅で一時的に満員電車になる。
都合、高須くんと密着することになった。
不覚にも、つい腕で体をカバーしてしまったけど、高須くんの男の匂いを感じて、少しだけ脳幹がひりひりした。
それは、つい最近までの、逞しい腕に抱かれていた日々を思い出させる。
少しだけ頭が朦朧として、下腹部にぞわりと何かが這い出てくる。
もう、思い出さないことにした顔を求めて、少しだけ顔を上げると、目が泳いでいる高須くんの凶悪面が至近距離に飛び込んできた。
声に出すか、出さないかの微かな、笑い声。 高須くんに聞こえちゃったかな?
いけない、いけない。
今は亜美ちゃんの売り込みしとかなくちゃね。 ……それにタイガーの泣き顔なんか見たくないし。
でも。
でも、ちょっとだけなら…いいよね?
電車の中もすこし空いてきた。
大橋駅に着く少し前、ひときわ電車が揺れる場所がある。
そこであたしは……。 わざとらしく高須くんの胸に倒れこむ。
彼の足を、あたしの足の間に挟んで、カラダ全部を密着させた。
くすっ。
ほら、柔らかいでしょ? タイガーと違って。 太ってないけど、ぷにぷにしてるのよ? 『女』の部分ダケはね。
すこしだけ、彼の胸に指を這わせた後。
あたしは…… しっかりとくっついたビニールテープを剥がすみたいに、カラダを離していった。
朝まで、大橋駅に入る電車は無い。
駅前の人がまばらになるのはあっという間だった。
「お、おぅ… 本当に一人で大丈夫か?」
「ええ。 平気よ。 それより、タイ…逢坂さんのことだけど、やっぱり亜美ちゃんに聞いてみるのが一番いいと思うな。」
「だが、川嶋は忙しいだろ。 そんな事で、迷惑かけられねぇよ。」
「高須くん、わかってないなぁ……。 それとも気付かないふり? 今日の亜美ちゃん、すごく嬉しそうじゃなかった?
高須くんの傍にいる時は、ね。 亜美ちゃんは今でも……。」
からかうように流し目を送る。
「………」
高須くんは真剣な表情で俯いていた。
それで判る。 おそらく、高須くんには、ちゃんと亜美ちゃんの気持ちが通じてる。
気の毒だけど、やっぱり亜美ちゃんには勝ち目が無い。
けれど、男としての本能というものも、確かにある筈。
それは高須竜児の生い立ちを考えれば最も忌諱すべき感情だけれど…
それが全てを飛び越えていってしまうことがあるのを、あたしは学んだ。
そしてあたしは問いかける。
タイガーとすれ違い、上手く行かないこんな時に、懐が深くて、かつ深追いしてこない亜美は、とても都合がいい逃げ道だ。
だから、高須くんにとって、この質問は凄く厳しい質問になる。
「ねぇ、高須くんにとって、亜美ちゃんってなんなの?」
数瞬の間。
「なんで、香椎がそんなに川嶋の事、気にするんだよ…。」「友達だから。 親友だから。 それじゃ答えにならない?」
「……大切な、大切な『友達』だよ。 ……失いたくねぇ『友達』だ。」
ふーん。 脈あり、と。 ま、無理も無いよね。 あれだけイイ女、欲しくなかったら男として異常だもの。
はっきり突き放してやった方が、亜美ちゃんの為なのに、それが判ってても、高須くんにはそんな事は出来ないんだね。
本当に…… 本当に優しすぎるほど、優しい人。 あたしの胸も苦しくなるほどに… 優しい。
でも、そういう所が『隙』になるんだよ、高須くん。
そして… 亜美ちゃんが奥手でよかったわね、逢坂さん。
それからも、ちくちくと高須くんを突っつく。
高須くんはなんだか、亜美ちゃんの事を聞かれる度に顔が壊れてしまって、さっきから凄くヤバイ。
職質が来ても不思議は無い。 というより、来ないほうが日本の治安に不安を感じちゃうレベル。
でも、なんだか、そんな顔が可愛く見えてきちゃってるのが凄く不思議だった。
きっと、亜美ちゃんもこんな気持ちで高須くんをからかってたんだな、と妙に納得。
「やっぱり、送ってもらおうかな…」
あれ? あたし、なんでこんな事言ってるのかしら?
「おぅ。 おう。 そうしろ、そうしろ。 こんな夜更けに、香椎みたいな美人、一人で帰したら俺の神経によくねぇ。」
「ふふふふ。 心配してくれるんだ。」
「あたりまえだろ。」
「…嬉しい。」
えーと、亜美ちゃんの売り込み作戦だったよね、これ。 なんか、このままだといけない方向にいっちゃうかも…。
そういえば、麻耶、最終に乗ってなかったわよね…。
って事は…
そっかぁ。 今日は間違いが起きちゃっても仕方の無い日なのかもしれないわねぇ。
なんだか、当初の思惑と違ってしまいそうだけど…ま、いっかぁ。
肩を並べて歩き出した高須竜児からは、奈々子の顔は柔らかそうな黒髪に遮られてよく見えない。
だから竜児は気がつかない。
清楚なイメージの同級生が、
………香椎奈々子が、
―――夜の顔で嗤っている事に―――。
おわり
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