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255 翼をください sage 2010/03/28(日) 00:12:25 ID:Vs142lBO




 翼をください #3




 †

 竜児の不安とは裏腹に、大河が手乗りタイガーたる本領を発揮する事はなかった。
 かと言って、安心できるわけでもなかった。
 朝からずっと大河の機嫌が悪い事くらい、竜児には手に取るように分かったし、クラスメートも怯えている。
 大河は、一定の間隔で亜美を睨み、それから竜児を睨むといった行動を授業中も続けている。
 しかし、とくに大きな衝突もなく、あくまで表面上は何事もなく授業が消化されていく。
 今は、数週間後に控えた修学旅行での班を決める時間で、北村の主導でぱっぱと決められていく。
 竜児の班は、実乃梨、大河、亜美、北村、春田、能登、香椎、木原の9人となった。
 唯一、木原麻耶だけはこの班割に不満そうな顔だが、それを言い出せない空気があった。
 木原には、大河の漏らす猛虎オーラにびくびくして、不満を飲み込む以外に道はなかった。
 そんな爆弾を抱えたような緊張感の下、その日は終わった。
 
 放課後。
 帰り支度を済ませ、席を立とうとした亜美の前に大河が立ちふさがった。
「話がある、来い」
 腕を腰に当てて、凹凸に乏しい胸を傲岸に反らしている。
 そんな大河に、ふふ、と亜美は挑発するかのような笑みを浮かべて、
「結構、我慢できたじゃない。成長したわね、チビトラ」
 二人の間にバチバチと火花が散ったのを、まだ教室に残っていたクラスメートたちは、確かに見た。
 亜美は、大河の我慢を試していた。放課になってからも、色々時間を潰して帰り支度もせいぜいゆっくりと行っていた。
 既に教室には、殆ど生徒が残っていない。彼らは、みな、部活に所属していない暇人ばかりである。
 先に視線を反らしたのは、大河の方だった。
 とはいえ、別に逃げたわけではない。こうして睨みあいをしたところで、問題は解決しないと思ったからである。
 長いふわふわの髪をなびかせながら踵を返し、
「……良いから、来い」
「はいはい」
 亜美は、鞄を持って大河の後に続く。
 途中ではたと立ち止まり、
「そうだぁ、高須君。良かったら、今日早速お呼ばれしても良ーい?」
 教室の中で、態との様に大きめな声で。媚びるような表情も作って。
 何となく教室に残り、二人の様子を窺っていた竜児は、
「あ、ああ別に、いいけど」
 と、困惑気味に肯いた。
 正直こんな事態の中で、そんな事を言い出す亜美の気が知れなかった。
「やったぁ。じゃ、校門のところか下駄箱で待ってて。すぐ、済ませるから」
 約束だからね。亜美がそう言うのと同時に、乱暴にドアが開けられる音が教室中に響いた。
 数人残っていたクラスメート全てが、びくりと肩を震わせた。
 いや、亜美だけは相変わらず薄く笑っているだけである。
 暫く、ドアのところで亜美を威嚇していた大河だが、亜美が用事を終え大河の傍へ来るのを見て、再び歩き出した。
 大河を先頭にして、二人並び教室を出て廊下を進む。
「で、どこにつれてくつもり?」
「……」
「フン、だんまりかよ」
 それから先は、二人とも無言で進む。
 廊下を渡り、階段を下りて。
「ちょっと、外まで行くワケ?キナ臭くなってきたわねぇ」
 態々靴に履き替えて、昇降口を出た。
 中庭を突っ切り、やがて行き着いた先は、校舎の裏だった。
 暗く、じめじめした印象のあるこの場所は、ほとんど人が寄り付かない。
 告白にすら使われない様な。つまりは、そんな場所である。
「とっと、いくらなんでもベタすぎじゃね?亜美ちゃん、リンチされる様な事した覚えないんですけどぉ」

 大河が不意に立ち止まり、亜美と向き直った。
 二人の間は約10メートル弱。殴りかかるには長く、逃げるには短い間合いだった。
 大河は下から、亜美は上から、お互いの視線が交錯する。
 暫く、お互い無言のまま時が過ぎる。
 二人の口からは、定期的に白い息が上がっている。
 口火を切ったのは、矢張り亜美の方からであった。
「それで何の用?高須君待たせてるから、早く帰りたいんですけど」
「アンタ、何のつもり」
「何って、なにが?」
「惚けんじゃないわよ。その、ヘアピン。何でばかちーが持ってるの」
「ああ、これ」
 亜美は、自らの髪を飾るそれに触れた。
「高須君に貰ったの。ちょっと子供っぽいかもしれないけど。でも、亜美ちゃん元が可愛いし、やっぱ何つけても似合うわぁ」
「……返せ」
「はあ?何で、アンタに返さなきゃいけないワケ?これ、チビトラのじゃねぇだろ」
「……返せ」
「い、や」
「……返せ」
「シカトかよ」
 はぁ、と亜美は嘆息。
 大河は、亜美と話すつもりはないようだった。
「ちっ、どいつもこいつも」
 たまらず舌打ち。
 ――誰も、あたしの話なんて聞いちゃいない。
 しかし、聞こうとしないなら、声を大きくすればいいだけ。
 あたしは、変わると決めたのだ。あたしの望むあたしに。
 亜美は、大仰に肩をすくめて、首を振った。
「で、これは、誰のための行動?」
「……もちろん、みのりんと竜児のためよ」
 虎の気まぐれか、気になる事があったのか、大河は、亜美と会話する気になったようだ。
 しかし、その小さな体の背後では、怒りの炎がメラメラを燃え盛っている。
「ばかちーには言ったよね。あの二人は、絶対に両思いなの。でも、色々あって――」
「――色々じゃねぇだろ」
「……」
「てか、何でぼかしちゃうかなぁ。そこは、大事なとこだと思うんだけど」
 亜美は、腰に手を当てて詰るように言う。
「竜児が振られたのは、自分のせい。そう、はっきり言いなさいよ」
 きん、と空気が一気に冷えた。
 大河の唇が微かに震えた。しかし、結果は、大気をわずかに震わせただけ。
 此処から遠く。グラウンドの方から、部活中の生徒達の声が聞こえる。
 ふぅ。
 大河の吐息が二人の間に響いた。
「そうね、そう。認めるわ。私のせいで、竜児は振られた。みのりんはきっと、私達の事を誤解してた」
「ちげぇよ」
 先程から茶々を入れてくる亜美に、今度は大河が呆れ顔だ。
「もう、ばかちーは、何が不満なわけ?」
「それは誤解じゃない。実乃梨ちゃんは事実に気付いただけ。違う?」
「は?どういう……」
「タイガーの言うとおり。実乃梨ちゃんは、高須君に惹かれている。それなのに、高須君の告白を蹴った。それは、アンタに遠慮したから」
「だから、そう言ってるじゃない。さっきから、何なの」
 絶え間ない応酬を続ける二人。
 男子のソレとはまた違い、静かなものである。
 しかし、それは、嵐の前の静けさかもしれなかった。
「分からない?そっか、チビトラも高須君ほどじゃないけど結構バカ。でも、亜美ちゃん、今日は機嫌がいいから特別に教えてあげる」
 早く終わらせて、高須君と買い物に行かないといけない。既に亜美の心は、ほぼ竜児と過ごす時間に向けられている。
 その後に控える修学旅行で最大の効果を得るために、今のうちから竜児の心に自分の存在を意識させておかなければならない。
 そのためには、一秒だって無駄には出来なかった。
 そう、こんなじめじめした所で油を売っているような暇はないのだ。


 
 もったいぶったような間を開ける。不穏な空気を感じたのか、大河が身動ぎをした。
 きっと、大河自身気付いているのだろう。
 気付いておきながら、見ないふりをしているのだろう。
 それは、湖のほとり、常春の麗らかな日射しの中、ゆりかごに揺られながら眠っている。
「タイガー、アンタは、高須君の事が好きなのよ」
 亜美は、湖に小さな石を放り投げた。
 最初は小さい波紋が、次第に大きくなっていく。
 はは。大河が笑って切り捨てようとする。 
 しかし、彼女は気づいているだろうか?その声は、微かに震えている。
「ありえないわ、ありえない。何で私がバカ犬を好きになんないといけないのよ」
「……」
「ばかちーには言ってなかったかしら。私、実は、北村君の事が好きなの。って、何で私、バカチワワなんかにこんな事言ってるんだろ」
 まくしたてる様に言う大河。
 彼女を見つめる亜美の表情は、
「……その目は、何」
 宿っているのは、哀れみや憐憫、同情や共感。そんなところだろうか。
 冗談じゃないわよ。大河は呟く。そんな目で私を見るな。
 それは、大河にとって何よりの侮辱に近かった。
「恥ずかしがる必要はないわ。あたしにも、アンタの気持ち、分からないでもないから。誰だってそう。皆、自分の事が一番分かんないだよね」
 亜美の言葉は、真に迫るようなものがあった。
 彼女も、身をもって思い知った事だから。
 他人じゃない。何を考えているかなんて、何時だって筒抜けだ。
 何も言わなくても、何時だって通じ合っている唯一の存在。
 人が、人生の中で最も長く一緒に過ごす。健やかなる時も、病める時も。何時だって、すぐ傍に。
 けれど、それなのに、否、だからこそ。
「でも、タイガーは気付いてるよね、自分の気持ちに。気付いてて、ふたをしてる。今だって、ここにこうしてあたしの前に立っているのは、嫉妬のせい。
 高須君があたしなんかに、髪飾りを渡したのが気に食わないんだ。タイガーは高須君の事が――」
 ――言葉の途中で、亜美は、一歩後ろに下がった。
 それは、殆ど勘に近かった。
 ぞ、と一瞬。時間にして刹那。過った悪寒に従った、正に動物的反応に近かった。
 そしてそれは、結果的に正しい判断だった。
 一陣。
 風をひきつれて、長い髪を翼のようになびかせながら大河が飛び掛かって来た。
 亜美は、声を上げる間もなく、何とかかわすことができた。
 大河の目は、怒りに大きく見開かれている。心に湧いた小さな動揺を、更に大きな怒りで覆い尽くしている。
 亜美は、冷や汗が背中を伝うのを感じた。
「っ!何すんだよ。顔に傷ついたら、まじシャレになんねぇんだけど」
「っざけんなぁ!勝手に、勝手に、人の気持ちを決めつけんな!」
「……」
「何も知らない癖に、知った風な口をきいて、何様だぁ!」
 今にも第二波を放ちそうな大河が叫ぶ。
 しかし、その剣幕にも亜美は、はん、と鼻で笑って見せた。
「傷つかないように、壊れないように、おててつないで、仲よしこよし。でも、結局3人共傷ついて。ほんと、自己陶酔。自分たちの役割を演じて、それで満足してる。
 出来の悪い芝居みたい。気味が悪いのよ。そんな、幼稚なおままごとに、あたしを巻き込まないで」
「黙れ!」
「ほら、直ぐそうやって目を反らす、耳をふさぐ。それが、傷を広げているのに、気付いてないの?」
「だまれ、だまれ!」
「……いいけどね、別に。」
 もう用はないと言わんばかりに、亜美は大河に背を向けた。
 もしかしたら、と背後を警戒するが、大河が襲いかかってくるような事はなかった。
 ただ、大河の強烈な視線だけが、ひしひしと伝わって来る。
 亜美は、ゆっくりと足を踏み出した。
 高須君は、未だ待ってくれているだろうか。待ってくれているだろう。
 自然、速足になりながら。
「ねぇ、タイガー、何時まで娘役なんてやってるつもり?」
 一言、言い残して亜美は、校舎裏を去った。
 そして、一人、大河だけが取り残される。


「だめじゃん……」
 俯いて、気付かぬうちに握りしめていた拳を開いた。
 じん、と血が通う感覚。
 何処からか、泣き声がする。眠ったはずの赤子の声だった。
「……御利益ないじゃん、お願いしたのに」
 ゆりかごを揺らす。子守歌を歌う。
 眠れ。ゆりかごが、墓場へと変わるまで。
 これじゃあ、強くなれない。
 ――翼が欲しい。
 そして、誰も届かない、孤高の空へ、空へ。
 そのまま。誰にも縋らず。ひとりで。

「あー、もう。何やってんだ、あたしは」
 大河と別れて直ぐ。亜美は、後悔していた。
 ――調子に乗り過ぎた。途中から、プッツンしていた感がある。
 さっきまで自分が口走っていた事を思い返すと、羞恥に死にたくなる。
 間違いなく、亜美の黒歴史となる出来事だった。
「ったく、これじゃ、スマートでパーフェクトな亜美ちゃんのイメージが台無しだっつの」
 普段は多くない独り言が増えているのは、きっと、罪悪感のせい。
 亜美自身、やり過ぎたという気持ちがあった。
 偉そうに高説垂れていたような気もするが、自分だって五十歩百歩だったはずだ。
 今まで溜まった自分自身への鬱憤をぶつけてしまった。つまるところは、八つ当たり以外の何物でもない。
 だって、悔しかったのだ。この期に及んで、自分を除者にしようとされている気がして。
 そして、少しだけ。大河が傷つくところをこのまま見たくない、そう思ったのだった。
「あー、もう。うぜぇ、うぜぇ」
 亜美は、頭をガシガシとかく。
 ふと、その手が髪飾りに触れた。手を止めて、ゆっくりとそれを撫でた。
 心が落ち着く気がする。満たされていく。
 大河には、機会があったら謝ればいい。
 今は、それよりも竜児との夕飯の方に集中する必要があった。

 †

 日曜日の午後。
 修学旅行に必要なしおりを来週までに作成する必要があると言う事で、竜児たちは大河の部屋に集まっていた。
 集まっているメンバーは、修学旅行で行動を何かと共にする男子4人、女子5人の9人組である。
「ふぁー、ひろーい、ちょっと、凄くないこの部屋!?」
 大河の広すぎる部屋をみて、木原麻耶が唖然とした風で呟いた。
「本当、家賃、幾らくらいなんだろう」
 と、やけに所帯じみた簡単を漏らすのは、香椎奈々子である。
 能登が大きな窓から外を眺めながら、
「高須んち、となりなんだっけ?」
「え、高須君もこんな部屋に住んでるの?」
 木原の尊敬のまなざしを浴びながら、高須は肩を落とすように嘆息した。
「俺んちは、この隣のマンションだ」
「えー、あのぼろっちぃの?」
 何とも、通常ならば言い辛く、遠慮するような事もさらりと言ってしまう春田。
 さすがに竜児に悪いと思ったのか、春田、このバカ、と能登が春田の頭を叩いた。
「って、何すんだよ、いきなりー」
「お前な、ちょっと無神経すぎ」
「いいって、能登。俺の家がぼろいことは俺が一番分かってるし。別に不便もないしな」
 竜児は、そう言うもののどうしても空気が悪くなってしまった感は否めない。
 そんな時、タイミングを見計らったかのように、北村が手をパンパンと二つ叩いた。
 皆の視線が自らに集まるのを待ってから、
「よーし、皆、早速しおりづくり始めるぞ!」
 そう言うと、皆が頷き、空気が和らいだ。
 北村は、大河に一言断ってから、リビングにあるガラステーブルの前に座り、鞄の中から資料や筆記用具を取り出した。
「一応、参考になるかと思って香この修学旅行の冊子と、幾つかの班のしおりを借りてきた」
「さすが大先生、グッジョブ!」


 用意の良い北村を能登がほめたたえた。
 北村に続いて、皆がガラステーブルに集まり、各々腰を下ろした。
 既に、皆、和気藹藹のムードになっている。
 成程、これが北村の大橋生徒会長たる能力の一つであるのだろう。
 めいめいに北村が用意した資料に目を通し始めた。
「あ、じゃあ、おいらは紅茶でも入れ来るよ。家から、マドレーヌも持って来たんだ」
 作業のムードになりつつある所を悟った実乃梨が立ちあがった。
 勝手知ったる何とやらで台所へと向かう実乃梨を見上げていた竜児のわき腹を、大河がつついた。
 大河は、実乃梨を手伝って来い、という意図を顎でしゃくって伝える。
「え、あ、ああ、じゃあ、俺も――」
 手伝うよ。そう言おうとして、しかし、竜児の声は表に出せなかった。
 竜児よりも早く、立ち上がる者がいた。亜美である。
「――あたしも、お気に入りの紅茶とお菓子持ってきたから、手伝うよ」
「お?おう、んじゃー、あーみんいっしょにやろうぜぃ」
 実乃梨は、一瞬不思議そうな顔をした。正直、意外であった。
 しかし、それも一瞬で、実乃梨は、深く考える事なく頷いた。
 これも、実乃梨の美徳であると言えるだろう。
 しかし、そんな亜美を面白くなさそうな顔で、大河は見上げた。
 それを目ざとく察した亜美は、大河に対し、
「ごめんね」
 と、しかし、全くごめんねと思ってないような顔で、くすり。
 ぴんと、周囲の空気が張り詰めた。
 二人の様子を、木原や香椎、能登が緊張した面持ちで窺う。
 事情を全く知らない3人から見ても亜美と大河の険悪な空気は、この前から治っていないようにみえた。
「逢坂、パソコン使いたいんだが、電源は……」
 北村は、そんな二人の様子に気づいているのか居ないのか。
 北村に呼ばれて、大河は、亜美から視線を反らし、亜美も既に台所へ到着している実乃梨を追っていった。
「えと、テレビの裏だよ」
 さっきまでの事などなかったかのようにあっけらかんと、微笑を浮かべる大河。
 その大河の脇を、今度は竜児がつついた。
 竜児は、耳元に顔を寄せ、声をひそめる。
「おい、お前、川嶋と何かあったのか?」
「……」
 竜児に尋ねられ、大河はムッとした顔をする。何も知らないで、このバカ犬は。
「アンタ、ばかちーと夕飯一緒に食べたんでしょ。その時、聞いてないの?」
「え、ああ、アイツは何も言わねぇし。かといって俺の方からは、何か聞きづらかったし」
 ――ばかちーに聞きづらい事を、何故私に聞くのか。
 大河の決して長いと言えない堪忍袋の緒は、今のも切れてしまいそうである。
 何とか堪えて、大河は、平静を装う。
「別に、何でもないわよ」
「そうか?もしかして、あの髪飾りの事かと思ってたんだが」
 竜児は、今確かに地雷を踏んだ。
 大河のこめかみがひくひくとする。
 ぎろりと竜児を睨め上げた。
 その視線を受けて、う、と竜児はたじろいで、身を反らした。
 漸く、自分が余計なひと言を言った事を竜児は悟った。
 しかし、大河はそれ以上何かする訳でもなかった。
 それよりも、彼女には竜児に聞きたい事があった。
「……何で、あのヘアピンばかちーにあげたの?」
「そ、それは」
「あれ、みのりんへのプレゼントのはずじゃなかった?」
「わ、わるい。川嶋が、欲しいって言ったから。俺も、もう櫛枝に渡す機会はないと思って」
「なに、もう、みのりんの事諦めるつもり?」
「そ、それは」
 そんな気持ちが竜児の中に芽生えていないと言えば、嘘になる。
 竜児の見る限りでは、既に実乃梨と竜児の間にぎこちなさはなく、まるでイブの日の告白なんてなかったかのようである。


 竜児は、実乃梨の気持ちをある程度悟っていた。
 ――きっと、櫛枝は、ずっと、このままの関係を望んでいるんだ。
 視線を落とした竜児に、大河は、
「そう、それならいい」
 竜児が答える前にそっぽを向いてしまった。
 話は終わりだと言わんばかりに、徐に資料を取ってペラペラとめくりだした。
 竜児も、大河に反論するわけでもなく暫く視線をさまよわせて、悔しそうに歯を噛みしめた。

 紅茶を入れるお湯が沸くまで、亜美と実乃梨の間には沈黙だけがあった。
 重苦しいものではないが、どこかよそよそしい。そんな沈黙。
 二人の立っている位置の間には、親しくもなく、かといって決して他人ではない間隔がある
 しかし、実乃梨は、それに気づいているのか居ないのか分からない相変わらず能天気な様である。
 一方で、亜美は、確実に気付いていて、けれど気にしていない風でうすく微笑みすら浮かべている。
「んー不思議」
「どうしたの?」
「いや、大河の家に使える食器があるなんて」
「実乃梨ちゃんは、タイガーの家に来た事あるんだ?」
「うん。といっても一年前の話なんだけどね」
「へえ」
 その間に何があったのか。亜美は、推測しようとして直ぐに止める。
 半年同じクラスになった程度の亜美には、限界がある。
 些細なことで隔たりを感じて、3人の絆の中に入れたわけではない事を悟り、自虐に唇を僅かにゆがめた。
「タイガーとは結構、長いんだ?」
「うん。もう、親友と言う言葉では言い表せないくらい」
「そっか。うん、確かにそうだね」
「お、あーみんにも分かる?」
「親友と言うよりは、親子に見えるかな。傷つかないように、壊れないようにって」
 壁に寄りかかり、亜美は足元に視線を落とした。
 足の指をぴくぴく動かしてみたりして。
 対する実乃梨は、首をかしげている。
 人差し指を頭に当てて、んーと唸る。
「分からん!あーみんは、時々難しい事を言うもんなー」
「そう?そんな難しくないと思うけどな」
 ただ、目を反らしてるだけで。亜美は、心の中で呟いた。
 当然、その言葉は実乃梨に届くはずもない。
「それにしても見違えたよ」
「?」
「この部屋、大河が私の部屋で何て言い出した時は、足の踏み場あるのかなんて思ったくらいなのに」
「へぇ、そんなに汚かったんだ」
 亜美もこの部屋に入る機会があったが、その時は、普通に綺麗だった。
「洋服とか、食べた物の殻とか、シンクはひどい有様だったし、もう凄かったよ。私が片付けようとしたら、別にいいって言い張るし。……これも高須君のお陰かな」
「ああ、ね」
 成程、そう言う事か。
 確かに、あの掃除好きの主夫ならば、嬉々としてやりかねない。
 視線だけで人を殺せそうなくらいの顔で、ぶつぶつ独り言を漏らしながら。
「あれ、でも、最近は大河のお世話、殆どしてないって聞いたけど。タイガーも変わったってことじゃない?」
「うん、でも、大河が一人で出来るようになったのも、やっぱり高須君のおかげなんだよ」
「……」
 そこで、暫く二人の間に奇妙な沈黙が広がった。
 とくとく、とお湯を注ぐ音が響く。
 向こうの方から、何やら楽しげに話しあう声も聞こえる。
 紅茶を淹れ終わった実乃梨は、よしいくぞう、とおどけながらお盆の上にカップと、亜美と実乃梨が持ってきたお菓子を入れた皿を並べた。
「さて、それじゃ、行こっか、あーみん」

 お盆をもって振り返った実乃梨に、亜美はうなずいてから、
「そうだ、ね、これ、似合うと思う?」
「へ?あーその髪飾り。あーみんのお気に入りかい?」
「そうなの。どう?」
 ほうほう、と大げさに頷きながら、実乃梨は、亜美の髪を飾る銀色を眺める。
「んー、あーみんにはちょっと安っぽいか持って印象もあるけど」
 そこまで言って、ぐっと親指を立てて見せた。
「それなのに、そんなもの関係なく似合ってしまうのが、あーみんのすげぇところだな!」
「ふふ、でも……実乃梨ちゃんにも似合ったかもね」
 亜美は、意味ありげに笑ってみせた。
 
 それからは、特に大きな波が立つ事もなく。
 静かに、ほのぼのとした空気が流れていく。
 春田が、何処から引っ張り出してきたのか、フリフリした大河の服を無理やりに来てポーズを決めて見せると、大河が拳を震わせながらそれを追いかけていく。
 他愛もない追いかけっこに、皆、それぞれ抱えている確執や想いを隠し、暫し笑いあう。
 具をじっくりと煮込んだスープの様な。
 見えないけれど、飲んでみれば、きっと分かる。熱さに舌を火傷もしてみたりして。
 きっとこれを実乃梨は求めているのだろう。
 竜児は、紅茶を啜りながら、実乃梨をちらりと窺った。
 丁度彼女と目が合って、にこりと笑ってくれる。
 ――櫛枝と、すっと、このまま。
 口の中で小さく呟き、喉に骨が引っ掛かる。
 ずっと、このまま?
 竜児は、何気なく部屋を見渡した。
 小奇麗に、掃除された広い部屋。
 掃除にうるさい竜児からは、気になってしまうところもあるが、通常ならば十分綺麗である。
 そして、これは、全て大河だけの力で成し遂げられている。
 竜児が初めて大河の部屋に入った時は、目を覆いたくなるほどだったのに。
 ふと、胸にすとんと落ちるものがあった。
 そう、大河も、一人で頑張っている。
 それなのに、自分がこんな所で燻って、立ち止まっていていいのか?
 ――良くない。竜児は思う。
 そうだ。このままなんかじゃ駄目だ。
 自分の思いを、押し殺して、目を反らしてなんて良くない。
 振られるならば振られるで、実乃梨の口からはっきりと聞きたかった。
 それに。
 それに、告白してくれた亜美にも申し訳が立たない。
 竜児は、まだ亜美に、はっきりと返事をしていない。
 亜美は、返事はまだいいと言ったけれど、このまま、ずっと保留のままでいいなんて竜児は思っていない。
 実乃梨に振られた時の保険にしているみたいで、心地が悪い。
 贅沢な話だ。あの、誰もが目を見張る美しさと可愛さを兼ね備えた亜美が、保険だなんて。
 つくづく、自分には不釣り合いだと知る。
 ――どうして、川嶋は、俺を好きになってくれたのだろうか。
 それが竜児のイブの日からの疑問だった。

「よーし、こんなもんでいいだろう。皆、お疲れ様」
 しおりが形になり、北村が満足そうに柏手を打った。
「お疲れ様って、只話してばっかりだったけどな」
 能登が幾分か、申し訳なさそうに言った。
 そこに、木原が、
「そうよ、アンタ、全然役に立たない癖にお菓子はバクバク食べて。最悪」
 と、唇を尖らせた。
「ケッ、下心満載の誰かさんに言われたくねぇよ」
「何だとー!」
「ああ、もう、麻耶カッカしないの。能登なんか気にしちゃ駄目よ」
 毒を潜めながら、香椎が木原をなだめた。


「はっは、それじゃあ、帰ろうか」
 そう笑う北村は、きっと何も気付いていないだろう。
 はあ、と亜美は、溜息をついた。
 ――祐作も相変わらずね。
 この鈍感さは、最早、有害ですらある。
 修学旅行。何かが、起こってしまう様なそんな漠然とした確信が亜美にはある。
 今日は、とても楽しい時間だったけれど、そう簡単には終わらないだろう。
 自分たちは子供じゃない。男と女。誰かに、惹かれずにはいられない。
 自分たちは大人じゃない。その気持ちをセーブして、耐え忍ぶには幼すぎる。
 皆、色んなものを考えて、行動している。
 その結果に、いちいち一喜一憂しながら。
 帰り支度を済ませ、ぞろぞろと部屋を去っていく。
 ふと、その中でひとり、未だテーブルの前に座っている亜美に春田が気付いた。
「あっれー。亜美ちゃん、帰んないの?」
「ほんとだ、どうしたの、亜美ちゃん」
 木原も首をかしげている。
「ちょっと、タイガーと話したい事があるから」
 大河が目を細める。
 緊迫した空気が戻ってくる。
 鈍感な春田と、北村以外の背に冷や汗が伝った。
「ふむ、逢坂と仲良くなったみたいで、何よりだ。あまり、逢坂に迷惑かけるなよ」
 北村は、ずれた事を言う。
「ハッ、こーんな可愛い亜美ちゃんのこと迷惑に思うやつなんて、いねえっての」
「逢坂、粗相をしたら叱っていいからな」
 そう言い残して、北村達は去って行った。
 去り際、竜児は、不安そうな一瞥を残していった。
 そして大勢が去った中、大河と亜美が取り残された。
 しんと痛いくらいの沈黙。かちかちと時計の針の音も聞こえる。
 亜美は、座ったままテーブルの上に残っているマドレーヌをパクリと口の中に放った。
 もぐもぐと、口を動かしている亜美に、
「太るぞ」
 と、先制の一撃を撃って、亜美の対面に座った。
 口に物が入っていて喋れない亜美は、ただ、肩をすくめた。
「で、話って何?一昨日、まだ言い足りなかったわけ?」
 テーブルに頬杖をついて早速切り出した大河に、亜美はごくりと喉を鳴らして、
「ううん、今日はそうじゃなくて」
「ふん?」
「まー、なんていうか、ごめん。一昨日は、あたしもちょっと言い過ぎたわ」
「へえ、ばかちーでも謝れるんだ」
「茶化さないで。こっちは結構本気なんだから。あたしも、最近奇蹟の連続だったから、調子に乗り過ぎちゃった」
「奇蹟?」
 聞きなれているようで、実はそう日常会話には出てこない言葉に大河は眉をひそめた。
 こう言うのは何であるが、亜美には余りに合わない言葉である。
「そ、奇蹟。周回遅れのあたしでも、間に合うかもしれない。そんなチャンスを貰ったってわけ」
「チャンス?」
 先程から、鸚鵡返しの大河に亜美は、おかしそうな顔をした。
 こんこん、と白魚の様なほそい指でテーブルを叩いた。
「あたしね、高須君の事、好きだから」
 何の前触れもなく、突然の宣誓。
 ひゅ、と大河は息をのんだ。
 は、今、何と言った?
「な、にを……」
 言葉を失った大河に対し、亜美は口を緩めない。
「理由なんてタイガーに言う必要はないから言わないけど、あたしは高須君が好き。本当は、伝えるつもりもなかったけど、既に高須君には告白もしてる。
 まあ、まだ、返事は貰ってないけど。今のところは、勝率高くないけど、このまま指をくわえているままのつもりもない。あたしは、後悔するつもりないから」
 そして、見つめ合う二人。
 静かな住宅街の防音性の利いたマンション。外からの雑音は全くない。
 亜美と大河、二人だけが世界から切り離されて。


「だから、ごめん。あたしは、3人のおままごとを壊すつもり。今のうちに、謝っておくから」
 亜美は、ゆっくりと立ち上がった。
 そうそう、とまだ言い残した事があるのか亜美はその場に立ち止まっている。
「こう言う事になっちゃったけど、あたし、タイガーの事嫌いじゃないから。出来れば、仲良くしたいとも思ってるから」
 亜美の言葉に、大河は、まじまじと亜美を見上げた。
 さっきから、亜美らしくない発言ばかりだ。
 普段の亜美ならば、こんな事絶対に口にしたりしない。
 そんな大河の唖然とした顔に、亜美は、
「あたしがこんな事言うの、そんなに変?」
「……自分でもよく分かってるみたいじゃない」
「まあ、あたしには似合わない事くらい分かってるけど。だとするならば、恋があたしを変えたのかしら」
「……つくづく、似合わない」
「うっせえな。あたしだって、言った後に後悔したっつの。クソ、マジあたしどうかしてる」
 大河は、くすくすと笑い声を洩らした。
 その顔からは、あらかた険が抜けている。
 ねえ、ばかちー。呼びかけて、大河は立ち上がった。
 大河の視線は高くなるが、それでも等しくなる事はない。
「私は、恋のエンジェルだから、ばかちーの恋を妨害したりはしない。でも、私はあくまでみのりんの味方だから」
「……実乃梨ちゃんの、ねぇ。それで、アンタは、本当に、それでいいの?」
 亜美が真剣な目をする。
 その視線を受ける大河も然り。
 絡み合う視線。数秒の間が開いた。
 こくりと、大河は大きく頷く。
 そう、と亜美は、大きく息を吐いた。
 大河は自身の気持ちに気付いている。気付きながらも、敢えて目を反らすと、そう決めたのだ。
 亜美は、気に入らないけれどそれも一つの選択だろう。
「修学旅行。何もないまま終わりそうにないわね」
「……きっと皆にとっても、想いを遂げるための最後のチャンスだから」
 高校2年生でいられるのをあとわずかに残して。
 最後のチャンス。亜美にとっても、竜児にとっても。そして他の誰かにとっても。
 多くの人の想いを、爆弾のように抱えたまま、修学旅行のバスは走りだす。





264 翼をください sage 2010/03/28(日) 00:24:13 ID:Vs142lBO
投下終了
お目汚し失礼しました

254 翼をください sage 2010/03/28(日) 00:07:30 ID:Vs142lBO
投下します。
 翼をください #3
※注意
・進行速度の関係上、原作よりもアニメ版をベースにしています。
場面:アニメ第20話終
エロ:なし
以下本編

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