web上で拾ったテキストをこそっと見られるようにする俺得Wiki

「NOET 2ページ目」 174 ◆TNwhNl8TZY

「まま〜、あんなとこにへんなのがいるー」

「シッ、見ちゃいけません。あれはね、病気みたいなものなのよ。病気してる人を指さしちゃ可哀想でしょ」

「はぁーい」

「わかったら早くお家に帰りましょうね、ママもうおなかペッコペコになっちゃった」

「うんー。おなかぺっこぺこー」

──────夕暮れの商店街──────
日が沈みきる前、夜の帳が下りる前の、世界が赤く染まる時間帯。
街中の街灯がポツポツと灯り出し、いたる所から聞こえてくる、どこか哀愁と懐かしさを感じさせる放送を合図にして
自宅へと駆けていく、今まで時間も忘れて遊びまわっていた子供達。
仕事という名の過酷な戦いを乗り切り、一日の疲れを落とし、また明日を乗り切るための英気を養おうと、飲み屋に繰り出す男共。
退屈な授業から開放され、放課後の自由な時間を親しい友達と、または恋人と一緒に過ごす学生。
手に手を取って家路を歩く親子。
明るくもなく、暗くもない束の間の一時に見られる、日常の一コマ。
黄昏時───そんな時間の、ありふれてはいるけれど穏やかな光景。

「そんな所に上って何してんだ」

「いや〜・・・高っちゃんがいきなしこっち向くもんだからつい・・・」

しかし、ことこの二人からしてみれば昼も夜も関係なく。
むしろ授業により動きが制限されない事と、屋外というイレギュラーが発生しやすい状況な分、気を引き締めてかからなければならない。
穏やかではないが、この二人からすれば最早これが当たり前な、ありふれた日常と化してしまっている。

「逆に目立ちまくりだったぞ。高須にバレなかったのが不思議なくらいだ」

「そりゃありえねーっしょ〜〜〜っハグゥッ!?」

グギリ と、妙に鈍い音を足首から立てた春田が、苦悶の表情と脂汗を浮かべる。
およそ10メートル程だろうか、ともかく電信柱のかなり上の方から飛び降りた春田は、微妙に着地に失敗してその場に蹲った。
普通はしがみついたまま地面まで下りるか、せめて適当な所まで滑り下りてから飛べばいい物を。
これでは3階建ての建物から飛び降りたのと大して変わらない。
そもそもどうやってそこまで上った。

「ちょ・・・おい、大丈夫かよ春田。今ヤバイ音してたぞ」

さすがに尋常じゃない高さから落下してきた春田と、着地と同時に自分の耳にまで届いた不気味な音に能登も顔を青くしている。

「いっでぇ〜〜・・・俺はもうダメだー。能登、悪いけど今日は先に帰らせ」

「自力で帰れるんなら問題ないな。さっさと立てよ、サボったってチクるぞ」

が、どうやら思ったほどのダメージは負っていなかったらしい。
春田は心配されたのをこれ幸いと、残りの仕事を能登に押し付けて帰ろうとする。
当然そんなもの能登に通じる訳がない。
心配してやったにも関わらずつけ上がった態度を取った春田のあのウザッたらしいロン毛を、
能登は最初は厚意から差し出した手で鷲掴みにした。
言い訳を並べては早退を懇願する春田を、能登は問答無用で引きずり歩く。
将来春田がワカメにも縋るようになったら、この時の事を思い出しては咽び泣くだろう。
「あの時素直に従っていれば、少しは残っていたかもしれない」と。

「な〜頼むって、もう体が限界なんだよ〜・・・ほら、お前のせいでケツまで腫れてきてるしよ〜・・・
 いつも付き合ってんだから、今日は帰らせてくれよ〜明日は何でも言う事聞くからさー」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

往来で情けなさを前面に押し出した春田が恥も外聞もなく吐いたセリフに、何を勘違いしたのかたまたま近くにいた
中学生くらいの女子集団がリアルBLキタ───! と騒ぎ出す。
いささか過敏すぎやしないかとも思わないでもないが、これも時代の流行りか。
その集団につられて能登と春田に視線が集中するが、本人達は毛ほども気にしていない。
春田は単に気付いていないだけだが、能登はどちらが攻めで受けなのかという予想や物陰からの舐めるようなむさ苦しい視線にも気付いている。
それでも、そんなモノを物ともしないのは

(ここで高須を見失ったなんて事になったら、明日どう言えば・・・くそ、何で俺ばっかり・・・)

春田を引きずっているのとは反対の手にあるノート。
能登からしたら強迫観念が具現化した物として目に映っていることだろう。
いくらなんでも春田に持たせるのは色々と不安だという事で、相変わらず能登が後生大事に持ち歩いている。
春田は知らない事だが、ノートを持つ能登には監視した竜児の行動を記すという使命以外にも、もう一つの役割がある。
曰く「形だけなんだけどね、能登くんの方が春田くんより偉いっていうか・・・後は分かるわよね?」と───
そう、能登は監督責任すら負わされている。
竜児をつけ回し、何らかのアクションがあれば詳細にメモを取り、おまけに仕事量よりも足を引っ張る方が多い春田にも目を光らせ、
他諸々にも気を遣い、それらを完璧に遂行していても、もし一時でも竜児の行方を見失ったとあっては叱責される。
万が一竜児にこのノートの内容が露見した場合等は、考えもつかないが、とにかく責任の二文字が物理的な力を持って圧しかかる。
たとえそれらが100%春田のせいであろうとも、トチった春田を管理しきれなかったという理由でだ。
厚さ1センチ前後の紙の束が放っている、押し潰さんとする重圧に、毎日毎日気が気ではない。
書けば書くほど人間として大切な何かと寿命を切り詰めていく、能登にとっては正にデスノート。
そのデスノートを持たせた相手───香椎奈々子に、くだらない理由で竜児の行動を追いきれなかったという報告をしようものなら・・・

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「の、能登? お前歩くの早・・・熱い! ケツが熱いぃぃ! ケツが擦れて痛熱いんだよ! 歩く、歩くから止まって・・・ケチュがああああ!?」

夕焼けに染まる商店街のアーケードを全速力で駆け抜けていく能登は、ブチリブチンと抜け千切れる頭髪と、
臀部を地面で擦られる痛みに泣き喚く春田を無視し、夕日に照らされているはずなのに真っ青な顔で竜児の姿を求めて走り回った。
人一倍強い責任感を持った、今時珍しい好青年・・・としておこう、事実能登の仕事っぷりはマジメその物なのだから。
仕事を全うしようとする責任感の、その原動力が何なのかにまで話が及ぶのは、あまりにも酷というものだろう。


                              ・
                              ・
                              ・


能登の全力疾走の甲斐あってか、文字通りお荷物だった春田の髪型が落ち武者スタイルになる前には、二人は何とか竜児を発見する事ができた。
冷たい汗を流して息を整えている能登の足元では、若干頭頂部が寂しくなったような気もしないでもない春田が膝を抱えている。

「・・・高っちゃんなんて刺されりゃいいんだ・・・」

ポツリと呟いた春田は、抱えた膝に顔を擦り付けて貧乏揺すりを始めた。
毛髪が抜けた事や、もみじおろしよろしく硬い道路の上を引きずられた事で真っ赤になった自身の尻から来る痛みよりも、
ものの数分目を離しただけで年上らしき派手目な女性と腕組みをして歩く竜児に、毎度ながら激しい嫉妬を感じているのだろう。
そんな春田の内心が手に取るように把握できてしまう自分と、汗を拭った手に付着していた髪の毛を見てしかめっ面を作った能登は
足元のダルマを蹴っ飛ばして乱暴に立ち上がらせ、竜児に悟られないよう間隔を空けて尾行を再開した。

(で、能登。誰だよあれ、なんか高っちゃんとえれー親しげだけど)

(さぁ・・・俺も今日初めて見たからなんとも・・・)

後をつける能登と春田の存在など少しも気付かず、腕を組んで歩く竜児と女性は商店街を進んでいく。
中睦まじいその様は完全に恋人同士にしか見えない。
と、竜児の肩にしな垂れかかる女性が、買い物客で賑わいを見せる八百屋に竜児を伴って入っていった。
店の外から様子を窺う春田と能登は、学生服のままの竜児と胸元の大きく開いた、際どい装いをした女性が連れ添って入っていくにしては
あまりに似つかわしくない店だと首を傾げる。
そんな二人が見守る中、他にも肉屋に魚屋、酒屋をハシゴしては、竜児は手に提げるエコバッグを肥やしていく。
学生カバンの中に常備していたらしいそれは随分な容量が入るようだ。
さすがにドラッグストアで買ったモノは一緒には入れられなかったのか、銀袋に包まれたソレは学生カバンにしまわれたが。
ここまでを踏まえ、更には銀袋で隠すような物の中身にも大体察しがついている二人は唖然とした。

(・・・まさかだけど、あれマジで彼女なんじゃね? つーかもう彼女じゃね?)

(・・・でも俺、それなりの間高須を見張ってたけどあのヒトはマジで初めて見たぞ)

(だってあの袋の中身ってアレ系だろ? 他はともかくあんなもん、普通彼氏でも何でもない奴と一緒の時に買うのか?)

(お、俺が知るかよ・・・けど、まぁ・・・少なくとも知り合い以上な関係なのは間違いないよな・・・)

能登と春田が竜児達の間柄について少ない情報から推測している間に、当の竜児達はまたも別の店へと入っていってしまった。
一先ずそのことは横に置き、竜児達が中へと消えた店の看板に目をやった二人は

『スナック 毘沙門天国』

「「 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 」」

今までやたらと所帯染みた店に肩透かしを食らっていた分、ガラリと雰囲気が変わった店に当たり前に入っていった竜児に絶句した。

(・・・ここって・・・そーゆー店だよな・・・)

(・・・見りゃ分かんだろ・・・)

能登も春田も、当然ながら飲酒が許される年齢ではない。
隠れて飲むくらいはしているかもしれないが、大っぴらに飲み屋───それもスナックという、キレイどころにお酌をされる店になんか
入れる訳がないし、入った事もない。
それはいくら高校生とは思えない鋭い目つきをしていようが、竜児も同じはずだ。
どれだけグラスを煽る姿が似合っていようと、ホステスを侍らせる姿に違和感がなかろうと、
そのホステスとどこかのホテルにしけ込むような肉食系のギラついた目をしていようと、そんな物はあくまで見た目だけ。
中身は自分達と同じ歳相応の男子高校生。
今の今まで能登と春田はそう信じていた。
「あいつは確かに見た目は恐いかもしれないけど、付き合ってみると全然良い奴だぜ? 普通だよフツー、見た目は恐いけど」と、
実際に竜児の人柄に触れて、偏見を捨てた2-Cの誰もが口を揃えてこう言う。
一部の女子は「は? 竜児(高須くん)が恐い? ・・・ごめん、イミわかんない」とも言い、
約一名は「高須が恐いだって? そんな失礼な事を言うのはその口か? よし、俺のボールを受けても同じ事が言えるか試してやろう」とまで言うが、
2-Cでの竜児の評判は概ねこんなものである。
なのに、まさかこんな学校のすぐ近く、それもまだ日も暮れていない時間からスナックに足を運んでいたとは・・・

(さっきのあれって、同伴出勤てやつかなー・・・ガッコが終わってすぐにとか、高っちゃんパネェなー・・・)

(そうだな・・・ん?)

ム゛ー ム゛ー ム゛ー

毘沙門天国とは違う店の壁にもたれ掛かり、半ば放心状態でノートにどう書くべきか悩んでいると、能登のケータイが振動して着信を知らせた。
慣れた動作でポケットから取り出すと、液晶画面にはメールが一通受信されているという文字が表示されている。
特に不思議がる事もなく、能登はメールの受信ボックスを開けた。

『Date **/** 17:03
 Name ゴッド
 Sub (non title)

 どう?       』

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

パタンッ・・・・・・

数秒、画面に目を滑らせた能登は、返信はおろかメール画面を終了もさせずにケータイを閉じた。

(・・・何で今日に限って・・・)

(あん? どした?)

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

様子のおかしい能登に声をかける春田だったが、無言で差し出されたケータイをおもむろに開き

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

パタンッ・・・・・・

能登と全く同じ動作でケータイを閉じると、そっとそのケータイを持ち主である能登に手渡す。
二人とも口を堅く噤んでいるが、間に流れる空気が如実に物語っている。
『メンドくせぇ事になっちまった・・・』と。

(どうしようこれ・・・)

(どうしようって・・・お、お前に来たメールだし、俺知ーらね)

(てめぇ・・・)

『ゴッド』───奈々子からの、おそらく気まぐれに送られたメールに二人は息を飲む。
たった三文字のメールからは、文面から相手の機嫌を知るということなどできず、かえって気を揉む。
「どう?」という事は、現在の状況を聞いていると解釈していい。
勿論竜児の、だ。
それ以外に奈々子からメールが来ることは滅多にない。
問題は

(す、素直に高須のこと言った方がいいか?)

(だから俺に聞くなよ。後で文句言われたりとかイヤなんだよマジで・・・)

こちらの返信一つで、奈々子の機嫌が変動するという事は十分考えられる。
今の竜児の居所と、一緒にいた女性の事を正直に奈々子に伝えることに、能登達には罪はない。
そうしろと言われてやっているのだから。
だが、バカ正直に報告して奈々子の機嫌を損ねるというのは避けたい。
何ら叱責される謂れもないし、まさか分かりやすいヒステリーを起こすという事もしないだろうが、機嫌を損ねられるのは確信できる。
そしてご機嫌斜めな奈々子を相手にして精神的なダメージを貰うのは他の誰でもない、能登と春田だ。
ご機嫌取りに奔走する事態になるのも目に見えている。
なら、取り立てて変わった事はないとウソを吐けばいいじゃないかと言われれば、それも得策ではない。
どう解釈されるように書くかは能登の匙加減次第だが、どの道手元のノートには嘘偽り無く竜児の行動を書き込まなければならない。
これも、そうしろと言われてやっているのだから。
楽観的に考えれば、今日くらいデタラメを書いても奈々子は気付かないかもしれない。
でも、もしノートの内容と実際の竜児の行動に食い違いがある事が発覚したら?
それだけならまだしも、故意に自分を欺いたと、そう奈々子が判断したら?
その時は・・・見せしめに能登か春田、どちらか一方の恥ずか死ぬムービーが『誰か』の目に触れるかもしれないのだ。
更には『誰か』から、廻りめぐって恥ずか死ぬムービーに共通して名前が出てくる『彼女』にも。

(( ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ))

散々悩んだ末、二人が出した結論は

『Date **/** 17:15
 Name ゴッド
 Sub Re:

 高須が何だかいかがわ
 しい店に入っていった』

大事な部分を不明瞭にして、それでも一応は真実を奈々子に報告した。
見上げた忠誠心と、自分達の恥ずか死ぬムービーが出回るような事にはならないはずという、自己保身根性。
どうせ機嫌を損ねられるようなら、取り返しのつかない物を曝されるよりかは、おべっかとヨイショと少しばかりの散財の方が
まだマシだろうと腹を括ったのだ。
後ろ向きな括り方にも程がある。

ム゛ー ム゛ー ム゛ー

メールを送信した直後、奈々子が一体どのような反応をするかを二人が想像しあう前に、またもやケータイが震える。
能登と春田も震えあがる。
いくらなんでも速過ぎる、ひょっとしたら別の誰かからのメールかも・・・そうであれと願いながら、震える手でケータイを開くと

『Date **/** 17:15
 Name ゴッド
 Sub Re:

 能登くんと春田くんも
 そのお店に入ってみて
 軽く調べるだけでいい
 の
 そのお店がどういった
 シュミってゆーか、雰
 囲気のお店なのかって
 ゆーのだけでも分かれ
 ばいいから
 で、言わなくても分か
 ってるだろうけど、な
 るべくなら高須くんに
 バレないようにね
 バレても、くれぐれも
 あたしのことはヒミツ
 だからね、おねがい
 
 あぁ、それと










 高須くんの傍に女がい
 るでしょ?変なことし
 てたら、速攻で連れ出
 してね       』

(( ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ))

寒気を通り越し、怖気すら二人は感じた。
注目すべきは予め本文を打ち終え、待ち構えていたとしか思えない速さでの返信。
加えて、肝心のメールの内容。
色々とボカしているとはいえ、いかがわしい場所に躊躇なく行けという。
そして妙なところで切られている事に嫌な予感がしつつクロールしてみれば、
どこかで見てるんじゃないかと疑ってしまうような、奈々子の本心がビンビン伝わってくる一文で締められていた。

(・・・行くか・・・)

(・・・おう・・・)

奈々子にメールを送った時点で、どうせこうなるだろうと思って覚悟を、或いは諦めをつけていたのか。
立ち上がった春田は、能登が今の奈々子とのやりとりのメールを全て消去したのを確認すると
竜児が中に入ったまま、未だ出てこないいかがわしい店───毘沙門天国の扉に手をかけ、開く。
カランカラーン と、作りだけは重厚に見えるドアに付けられた鈴が、小気味良く鳴って来客を告げた。

「いらっしゃ〜い。でもぉまだ開けてないの・・・?」

オドオドした態度で店内に足を踏み入れた春田と能登。
入りたくて入った訳ではないし、初めてこの手の店に入った事に一種の恐怖心とも罪悪感ともつかない感情と、気恥ずかしさを感じている。
それは誰もが上る大人の階段の一つかもしれないが、二人が上るには少しだけ早い。
カウンターを拭いていた女性も、看板を点ける前に入ってきた気の早い客が、まだ酒の味も知らない高校生だと分かると手を休め

「ごめんねぇ〜、あと2〜3年したらたぁくさんサービスしてあげるから、今日はぁ」

申し訳無さそうに眉尻を下げ、それでも笑顔を作って、柔らかい物腰で大人の応対をする

「・・・春田? それに能登? 何してんだお前ら、こんな所で」

───つもりだったのだろうが、それはカウンターの奥、厨房から出てきた竜児に横割りされる形で遮られた。
制服の上着を脱ぎ、袖を捲くったシャツの上からエプロンを掛けた竜児は、手にこれでもかと洗い終えたばかりのグラスを乗せた盆を持っている。
いつものように熱心に洗ったのだろう、キレイに重ねられたグラスは暗めに設定してある照明でも反射してキラキラ輝き

「「 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 」」

意外な所から出てきた竜児を、ポカンと見つめる能登とマヌケ面な春田をも映し込んでいた。

「むぅ〜・・・竜ちゃんひどぉい・・・せっかくやっちゃんがこう、大人のお姉さん? をえんしゅつしてたのに・・・」

「あー・・・そんなのどうでもいいからこっち手伝えよ。これ終わんなきゃあ店開けらんねぇだろ」

入り口に突っ立ったままの能登と春田を気にしつつ、竜児はカウンターの中にある棚に一つひとつ手で丁寧に水気を拭ったグラスを並べていく。
そんな竜児に、ほっぺたを膨らませた泰子が愚痴る。
泰子からすれば背伸びをする子供をたしなめる、大人の余裕溢れる優しいお姉さんで通そうとしていた。
なのにいい所で水を差され、子供のようにふて腐れている。大人の余裕なんて微塵も感じられない。
竜児は竜児でクラスメートにこんな場面を見られているのがバツが悪いのか、泰子へのフォローもおざなりにテキパキと手を動かす。
そういう竜児の素っ気無い態度に泰子は

「ねぇねぇ、のとくん? と、さかたくん? 竜ちゃんってぇ学校でもあ〜んなに感じ悪いの?」

関心を引けるだろうと思い、ついでに学校での竜児の評判を同級生らしきメガネとロン毛に尋ねた。

「へ? え、えーっと、そんなことは・・・高須はああ見えて全然マジメだし、スッゲー気は利くし・・・
 ・・・俺なんて一年の頃からなら一番の付き合いだし・・・な、なぁ」

「お、おう。そうそう、高っちゃんは見た目と違ってチョー良いヤツだよな・・・そんで、あの・・・俺春田なんスけど・・・」

突然話題を振られたのと、露出の激しい服ですり寄ってくる、大人の色香漂う泰子にドギマギしながらも竜児を立てる能登。
まだ竜児と泰子の関係を知らないために、本気で竜児の交際相手かそこらだと思い込んでいる。
普段の能登ならば、二ヶ月も竜児に張り付いている間一度も目にした事がない泰子を不自然に思ったり、疑問視するのだろうが、
目の前数十センチ、目線より若干下にて揺れ動く二つの山に目が行って、そんな事を考える余地などありはしない。
春田も能登に倣いつつ、そして口では名前についてブツクサ言ってはいるが、凝視という言葉なんて生温い、
視姦の域にまで達するくらい泰子の胸と尻とふとももを見ている。
目は血走り、息は荒く、鼻の下はだらしなく垂れ、鼻血まで流しているというのに、春田は泰子から目を逸らそうとしない。
この映像を焼き付けるために、ただでさえ少ない脳みその容量を使い切る勢いだ。
能登と同じく泰子の事を竜児の彼女か何かだとは思っているのだろうが、よからぬ気配を体中から発している。
級友の彼女でというのも最悪極まる話だが、この調子では顔を綻ばせている泰子が竜児の母親だと分かった後でも孤独な遊戯に耽りそうだ。

「わぁ・・・そうなんだぁ・・・よかったぁ、やっちゃんちょびーっと心配してたんだけどぉ・・・そっかそっかぁ」

竜児が周囲と打ち解けているという話にホッと胸を撫で下ろし、気を良くする泰子。
親バカと言えばそれまでかもしれないが、泰子なりに竜児を心配していたのだ。
なにしろ泰子が目つきについていくら褒めても、竜児は「世界で一番目つきが悪いのはだーれ?」「お前とお前の親父」なんて
幻聴を耳にするくらい、持って生まれた三白眼を気にしている。
前髪を垂らしてもメガネを掛けてみても、色々と試しては何故か印象が良くなる事がないという現実を見せられるだけ。
徒労に終わる努力にうな垂れる竜児を「やっちゃんは竜ちゃん好きだよ。だからそんなの気にしない気にしな〜い」と慰めてはみるものの
竜児があんまり深刻に悩むものだから、泰子も内心相当気にかけていた。
大河が来るようになってからは学校であった出来事などが頻繁に話題に上るようになったとはいえ、やはり同性の友達から、
それも思っていた以上の竜児の褒められようを聞き、泰子は自分の事のように大げさに喜んでいる。
と、そこに

「・・・やめろよ、こっ恥ずかしい」

今までせっせと手を動かしながらも会話に聞き耳を立てていた竜児が、最後のグラスをしまい終えるとエプロンを外して泰子の隣まで歩いてくる。
途端、能登と春田が小さく悲鳴を上げた。
近づいてきた竜児の顔を見ただけで。

「あぁ〜竜ちゃん照れてる〜。さてはぁ・・・そんなに嬉しかったんだぁ」

「・・・そんなんじゃねぇよ・・・」

(( あれが照れ顔っ!? ))

能登と春田が驚くのも無理はない。
泰子に頬を突かれている竜児の顔は真っ赤だ。
それだけだが、それだけで、見た者にただならぬ何かを与えるインパクトがある。

「またまたぁ、んふふ〜・・・でも、ホントによかったねぇ竜ちゃん、こんなにいいお友達ができて・・・
 ・・・やぁん、やっちゃんまで嬉しくって泣いちゃいそう」

「だから、んな恥ずかしいこと言うんじゃ」

「また照れてる、まっかっかな竜ちゃんかっわいぃ〜」

「っ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

泰子が口を開く度、余計に顔を赤くさせる竜児。
一方───・・・

(なにあれ? 見せつけてんの? ラブってんの? 当ててるのよってやつなの? ・・・俺も当ててやろうか)

(・・・ベルトなんかに手をかけて、お前は一体ナニを高須に当てるつもりだ)

照れてそっぽを向く竜児の腕に抱きついて、楽しそうに竜児をからかう泰子。
抱かれている竜児の腕は泰子の胸に挟まれ・・・いや、埋もれている。
竜児は否定するだろうが、バカップルさながらにじゃれあっているようにしか思えない。
しかも能登と春田が見ているのなんか意にも介していない。
いくらそんな気がなくても、見せつけられる方のストレスはどんどん溜まっていく。
主に春田の。

(止めんじゃねぇよ能登。ここは一発高っちゃんに天国と地獄を同時に味あわせるために、俺が捨て身で行くしかねぇんだ。
 もし高っちゃんの彼女にも当たっちまっても、それは偶然なんだよ偶然。分かんだろ?)

(春田こそ、後半の言い分が痴漢と変わらないって自分で分かってるんだろうな)

竜児と泰子の甘い一時を引き裂くのに何故脱ぐ必要があるのかについて何の説明もせず、春田は制服という殻から己を解き放とうとする。
だが、能登に腕の関節を極められていて上着すら脱げていない。

「───・・・っと、こんな時間か・・・泰子、そろそろ」

「うん? ・・・ホントだ、もうお店開けなくっちゃ・・・」

グイグイ泰子に押されていた竜児がふと顔を上げると、壁にかかっている時計の針が思っていたよりも進んでいる事に気付いた。
泰子も開店時間が迫っているのが分かると、心底名残惜しそうに竜児から離れた。
能登と春田も、とりあえずは動きを止める。

「ありがとう竜ちゃん。ごめんね、急に無理言っちゃって」

「気にすんなよ、こんくらい。あぁ、仕込みのついでに軽く食えるもんも作っといたから。ちゃんと食っとけよ、もたねぇぞ」

「ほんとぉ? うれしぃ・・・そうだ、ちょっと待ってて」

ほんの束の間、一瞬の事。
能登と春田が思わずドキリとするような潤んだ瞳で竜児を見つめた泰子は、パタパタとカウンターまで歩いていく。
置いていたバッグから財布を取り出し、千円札を三枚引き抜くと

「はいこれ」

「はいって・・・いや、だけどよ」

再び竜児の腕を取った泰子が、軽く閉じられていた手を開いて、丁寧に折りたたんだ紙幣を握らせる。
そんなつもりで来た訳ではない竜児が、遠慮しようと口を開くが

「いいのいいの。い〜っぱいお手伝いしてくれた、お・れ・い」

そう言われ、両手でぎゅっと手を握り締められると、軽く息を吐く竜児。
しっかりと握られた手から伝わってくるものに、泰子は絶対に譲らないだろうと思い、素直に受け取ることにした。

「・・・悪いな、大した事もしてないのに」

「そんなことないよ、やっちゃん大助かりだったもん・・・けど・・・それならね、またお手伝いしに来てくれる?
 その分も一緒ってことでどう? 竜ちゃんの時間が合うときでいいんだけど・・・それでもいい?」

「おぅ、そうだな。そん時ゃもっと手の込んだ物作ったり、しっかり掃除するからよ。これ、それまで前借しとくな」

「うんっ! 約束だよ、絶対だよ? 竜ちゃんが来てくれるの、やっちゃんすっごい楽しみぃ」

それでもどこか申し訳無さそうにしている竜児に、泰子が出した提案。
頷いてほしいという期待を込められた泰子の視線に気付いていたかはともかく、竜児はその申し出を二つ返事で引き受けた。
次の約束を取り付けられたことに、泰子も満足気に頷いて微笑む。

「じゃあ、今日のとこは帰るから。なんかあったら連絡しろよな」

「はぁい、お疲れ様でした。気をつけてね、竜ちゃん」

「泰子こそ、また飲み過ぎて転んだりすんなよ」

「なぁに〜? やっちゃん聞こえなーい」

「・・・お前なぁ・・・」

耳に手を当てて塞いでいるが、そんなのはポーズだけ。
繰り返ししてきた注意を、これもまたいつものように流した泰子に呆れる竜児だったが、それ以上しつこく言うこともなく。
終始蚊帳の外だった能登と春田を促すと、揃って毘沙門天国から出て行った。

「またねぇ竜ちゃん、ばいばぁ〜い。あ、お友達の子もぉ、おっきくなったらまた来てねぇ〜」

                              ・
                              ・
                              ・


毘沙門天国を出ると、幾分薄暗さを増した帰り道を並んで歩く竜児達。
もう少し詳しく言えば、竜児を先頭に、少し遅れて能登と春田がついていってるという方が正しい。

(ヤ、ヤベーんじゃねーのこれ? 高っちゃんにバレるなって言われてんのに)

(んなこと、今更言ってもどうしようもねぇだろ)

大体からして、見つかるなという方が無理な話だろう。

(つってもさー・・・やっぱさー・・・)

(グチグチ言ってないで、お前もどう言えばいいか考えろよ・・・奈々子様にどう・・・どう・・・)

青褪めた顔に大粒の汗を貼り付けている能登。
今しがたの光景を頭の中で何度も思い出しながら、少しでも奈々子に刺激を与えないような言葉を探すのに必死になっている。
だが、腕を組んでの買い物や、毘沙門天国での竜児の行動と、泰子のあの態度。
それらを完全に誤解している今の能登にも、ましてや春田にも泰子が竜児の母親などと思い至る訳がなく

(・・・俺が悪かったから、そんな顔すんなよ・・・)

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

春田の慰めも虚しく、上手い言い訳が出てこない事に、能登はどんどん前屈みになっていってしまう。
ここが道路ではなく人目もなければ、その場で頭を抱えているだろう。

「なぁ、何でお前らあんな所にいたんだ」

「うっへぇっ!?」

(・・・う・・・まずい、なんも考えてなかった・・・)

竜児からの質問に、能登と春田は完全に不意を突かれた。
元々奈々子からの命令で、場当たり的に竜児が入っていった店に飛び込んでいったにすぎない。
しかもすぐさま竜児に見つかり、その後はただ竜児と泰子のやりとりを眺めているだけで終わってしまった。
あった収穫は、竜児に彼女がいたという誤解のみ。
それでもそれが誤解だという事に気付いてない二人は、奈々子への報告で頭がいっぱいで、竜児を丸め込むようなセリフを何も用意していない。

「そ・・・れは、その・・・つまり・・・」

「あ、ああああのあの! お俺ら高っちゃんがあの店入ってくの見て、そんで・・・た、たたっ高っちゃんこそあそこで何やってたんだよ!?」

「バッ!? は、春田・・・」

何か、何か言わなければ───・・・そう焦る能登よりも、更にテンパった春田がキョドりながら捲くし立てる。
アホが先走りやがって、全然質問の答えになってねぇじゃねぇかと、足ばかり引っ張る春田にキレかかった能登だが

「俺? 俺は人手が足りないって言われて・・・まぁ、バイトみたいなもんか? 親の手伝いしただけでバイトっていうのも変だけど」

「・・・・・・・・・親?」

竜児のセリフの中から、すかさずある単語を拾い上げる。

「おぅ。いきなり呼び出されたと思ったら買出しに付き合ってとか、店でテキトーにつまみ作ってくれって頼まれてよ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

あの場には誰が居た?
竜児と竜児を追ってきた自分達、そして───
そこから、能登はある答を導き出した。

「高須、ちょっと聞いていいか」

「おぅ?」

「間違ってたら笑ってくれていいんだ、いっそ俺を春田って呼んでくれてもいい」

「・・・? ・・・何だよ」

能登は一度深く息を吸い込むと、吐き出すと同時に竜児に言う。

「さっきの女の人・・・ほら、高須のことちゃん付けで呼んでたあれ・・・ひょっとして、あのヒトが高須の母さんか?」

毘沙門天国にいたのは四人だけ。
竜児と竜児を追ってきた自分達、そして───竜児とベタベタイチャイチャしていた女性。
親子というわりには妙に艶っぽい目で竜児を見ていたような気がするが、買い物中からずっと一緒だったし、多分あれが母親で合っているはず。

「「 はぁ? 」」

能登の言葉を聞いた竜児と春田が意味不明だと、素っ頓狂な声を上げた。
即座に能登に耳打ちを始めた春田が、アホな質問してどういうつもりだと能登に言いまくるが

「そうだけど、それがどうかしたのか?」

竜児の気の抜けた声に、ピタリと春田の口が止まる。
あんな深刻そうな顔をされ、あれだけ引っ張っておいてそんな当たり前な質問をされた竜児は、そんなこと聞いてどうすんだと疑問に思う。
それでも隠すような事でもないし、竜児は素直に質問に答えた。
その事がどれだけ能登達にとって重要な意味を持っているかも知らずに。

「・・・・・・うそだろふが!?」

「いや、ちょっと気になっただけなんだ。変なこと聞いたりしてゴメンな、高須」

陸にあがった魚みたいにパクパク口を動かしていた春田が、竜児を指差して大声を出そうとするのを、能登が口を手で塞いで止めた。
容姿や歳の差なども含め、まさかあの女がこんなヤクザ顔をこの世に生み落としただなんて信じられなかったようだ。
能登に抑えつけられたままでも、ふがふがと聞き取れない言葉で、竜児に向かって何事か吐き続けている。
そんな春田を無視する能登は、涎と湿っぽさに不快感を訴えてくる手の平を元凶である春田の顔面で拭くと、小さく安堵の息を吐き

(・・・・・・っしゃあ!)

心の中で盛大にガッツポーズをとった。
『何の事はない、高須は親の仕事の手伝いをしていただけだった』───・・・あれだけ追い詰められていたのが嘘のように
能登の頭にはノートに書き加え、奈々子にメールで報告する文が浮かんでくる。

「これで・・・これで・・・!」

「の、能登? どうした・・・泣いてんのか?」

「おっと・・・何でもないんだ、ただ・・・ありがとうな、高須。マジでありがとう」

「お、おぅ・・・?」

勝手に目元を濡らしていたものを袖で拭うと、能登はとてもいい笑顔で竜児に感謝を述べた。
そもそもの原因が竜児だなんて、完全に頭から消えているんだろう。
晴々とした、それはそれはスッキリとした笑顔で礼を言われ、訳も分からないままだが竜児は返事をしておく。

「・・・それで、何でお前らがあそこに」

「あら? 高須くん? 奇遇ね、学校の外で会うなんて」

竜児が再度毘沙門天国に入ってきた理由を尋ねようとすると、後方から声をかけてくる者がいた。
振り返ると、近所にあるスーパーのロゴが印字された買い物袋を提げた担任教諭(三十歳独身)が小さく手を振る姿が。

「ゆりちゃーん、奇遇にも俺らも一緒なんだけどー」

「お家のお手伝い? しっかりしてるのね、高須くんってきっといい旦那さまになれるわ」

「シカトとか仮にも担任のやることかよー」

いつからそうしていたのかは不明だが、ショックから何度もアスファルトに頭を打ち付け、自傷行為に走って現実逃避をしていた春田を
そこには居ないものとした恋ヶ窪ゆり(三十歳独身)は、自身が受け持つクラスの生徒達に歩み寄る。
竜児が毘沙門天国から出て以降も提げっぱなしだったエコバッグと、そこからはみ出ている食材から自分同様夕飯の買い物をしているのだと
察したゆりは、当たり障りがない言葉に、チラリと何かを臭わせる単語を織り交ぜて竜児を褒めた。
褒められたことに対して普通に謙遜している竜児を見て、能登と春田はげんなりとした顔になる。
こいつちっとも分かってねぇ───そう心でごちる二人の前では

「先生、自炊なんかしてたんですか」

「そりゃあ先生だって、人並みにはお料理とかするのよ。意外かしら?」

「あぁ、いや・・・そんなんじゃ」

「ふふ・・・謝らなくてもいいのよ、気にしてないから。それよりも高須くん、お夕飯はなににするの?」

竜児とゆりがそれなりに話に花を咲かせている。
というよりかは、竜児が必ず返さなければならないように、さっきからずっとゆりが会話を操作しているのだが・・・
案の定、竜児はその事にまったく気付かない。

(能登・・・)

(分かってる・・・)

このままの状態が続くのは、能登と春田からしたらあまりよろしくない。
毘沙門天国での事は泰子が竜児の母親ということからあまり問題にはされないだろうが、こんな所でゆりと出くわすのは由々しき事態と言える。
なんといっても大橋高校にその名を轟かせるヒトリガミは、結婚がしたくてしたくて堪らないのだ。
西に優良物件との縁談があれば飛んで行き、東で合コンが開かれたなら歳をサバ読みしてでも出席する。
最近では隠れて『これであなたもお母さん☆夜の男を手玉に取るオンナの必殺技百選』なんてイタイ書籍を購入し、
その著者が開く胡散臭いセミナーにまで顔を出す始末。
そんなゆりの照準が竜児に合わせられている。
それがどういうことかというと

「あっそうだわ。高須くんってお料理得意なのよね? なら」

「すいませーん、今日の授業分からない部分ばっかりで・・・スッゲー気になるんで今教えてください、今」

「勉強熱心なのね、能登くん。でも私の仕事はチャイムと一緒に終わってるの、今度にして。
 で、先生最近肉じゃがみたいな、家庭の味っていうのかしら。そういうのに凝ってるんだけど」

「ああっ! あんなとこに適齢期っぽいイケメンがー!」

「春田くん? 男は顔だなんて女ばかりだと思ってるんなら、ちょっと了見が狭いっていうかぶっちゃけ器が小さいわよ。
 それでね高須くん、話の続きなんだけど、やっぱり一人じゃよくわからなくって」

「「 生まれる前から好きでした! お願いですから俺と結婚してください!! 」」

「ぶしつけだけど、これから先生のお家で味付けとか見てもらえないかしら? もちろん、うんとご馳走するから」

強引に話を振られようと、話の腰を折られようと、いきなり求婚されようと。
ゆりは能登と春田なんて歯牙にもかけずに、竜児をお持ち帰りするべく口説きにかかる。
傍から見たら異様の一言に尽きる。
これでもゆりからすれば、まだ大人しめにお誘いしているつもりという・・・何がゆりをそこまで駆り立てているのだろう。
そして何故能登達が、ここまで懸命にゆりの邪魔をしているのか。
それはゆりに独り寂しく生涯を終えてほしいからという、陰湿な理由からではなく

(だああぁぁ!? このままじゃ高っちゃんが食われるー!? 『デザートはわ・た・し』とか言われてガッツリ食われちまうー!?)

(・・・・・・もし・・・もしもそんなことになったら・・・・・・)

自分達の失態を咎められるのなんて目じゃない不幸が訪れる恐れがあるからだ。
スタート地点から違う大河達ならいざ知れず、よりにもよって竜児があの独神やぽっと出の誰かの物になった日には・・・
今までの全てが泡となって消え、失恋の痛みを抱えた奈々子がどんな無茶をするか予測できない。
ヤケ食いなどのありきたりな憂さ晴らしで終わるとは到底思えない・・・最悪の場合、全国にイニシャルででも名前を売るかもしれないのだ。
『女子高校生、同級生と担任を刃物で滅多刺しに』等という、これ以上なく猟奇的な見出し付きで。
行きがかり上竜児と接触している今なら、竜児の貞操と一緒に奈々子が犯罪者になるかもしれない未来を事前に潰せる。
だが、邪魔な大河を連れていない竜児が表を歩いているという、狙っていたカモがネギを背負って目の前にいるこの好機を、
ゆりもみすみす逃しはしない。
最も重要かつ一番の目的である結婚───ゆりにとってのゴールまではまだ一年は時間がかかってしまうので、
今は確かな関係を無理やりにでも築こうとしている。
『これであなたもお母さん☆夜の男を手玉に取るオンナの必殺技百選』を実践できる、というところまで持っていければ確実だろうか?

ム゛ー ム゛ー ム゛ー

(うわあぁぁああ!?)

(ど、どうした!?)

(・・・ケ、ケータイが・・・メールだ・・・)

不意に、能登のケータイが震えた。
そういえばあの返信以後、まだ奈々子にはなんの連絡も入れていない。
痺れを切らしたのだろう。
そんな場合ではないが、このままシカトするのも何だか怖い気がする。
竜児もゆりからの熱い申し出をかわそうとしているみたいだし、とりあえず能登は読むだけ読もうと、ケータイを開けてみた。

『受信メールが 23件 あります』

閉じた。
このまま手の中の物体を投げ捨ててしまいたい衝動を、隣にいた春田をぶん殴ることで辛うじて抑え込む事に成功した能登は
2〜3件の見間違いだと自分に言い聞かせ、再びケータイを開く。

『受信メールが 23件 あります』

変わらずに液晶に浮かぶ文字を見ていると、背中を際限なく悪寒が駆け抜けていく。
いつの間にこんなに溜まっていたのだろう・・・そして何故こんなに溜まるまで気付かなかった。
これが自分にではなく、竜児に対して向けられている想いからだと分かってはいても腰が抜けそうだ。
能登はもう何度目か分からない諦めの溜め息を吐くと、意を決して受信ボックスの一番上、今届いたばかりのメールを開いた。

『Date **/** 18:02
 Name ゴッド
 Sub Re:

 よくわかったわ

 今スドバにいるんだけ
 ど、麻耶だけじゃなく
 て亜美ちゃんと櫛枝も
 一緒なのよね     』

何が分かったのだろう。
他の22通ものメールに目を通せば、どういった経緯を辿ってこのメールになるのかが分かるのだろうが

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

そんな勇気を、能登は持ち合わせていなかった。
───今スドバにいるんだけど、麻耶だけじゃなくて亜美ちゃんと櫛枝も一緒なのよね・・・彼女らに『アレ』を見せるぞとの、奈々子の脅し。
死刑宣告も同然だろう通告に、能登はもう閉じる気力すら失ったのか、開いたままのケータイを握り締めて硬直している。
まるで抜け殻だ。
ゆりの猛アタックに根負けして、とうとうオーケーを出してしまった竜児を虚ろな目で眺めている。

(・・・思えば短かったな、俺の人生・・・)

能登の頭に浮かぶのは、近い将来の新聞。
多発する未成年者による犯罪の中でも、一際凄惨な事件として世間を賑わせるそれを一面に出した新聞の地方欄に、
小さく小さく載る大橋高校に起こったもう一つの悲劇。
イジメによって追い込まれたメガネとロン毛の生徒が教室で首を・・・・・・

(ハハッ・・・死ぬ時までこいつと一緒かよ)

(は、はぁ? なんだよ気味わりぃ・・・それよか、今のメールって奈々子様からだろ・・・なんだって・・・?)

(べつに・・・ただ、スドバに居るってよ。それと)

(・・・の・・・と・・・スドバって・・・そこ・・・)

(ああ、今そこに櫛枝と木原と、亜美ちゃんまで居るってメールで・・・多分、俺達のあの動画を)

(だからスドバってそこ、そこ! 目の前じゃねぇか!)

(はぁ? ・・・・・・あっ・・・・・・)

ゆりに捕まった竜児が、ちょうど前を通り過ぎた店。
『須藤コーヒースタンドバー』───・・・その看板を指さす春田に、遅まきながら能登もやっと理解した。
すぐそこに奈々子が居る。
奈々子だけではない。麻耶も、亜美も、実乃梨も。
それだけいれば、ゆりを止めるのに十分すぎる。
そう思った時には能登はメール画面を終了させ、奈々子のケータイに電話をかけていた。

『・・・・・・なんの用かしら』

呼び出し音の後、店内のざわつきに混じって奈々子の冷ややかな声が鼓膜を震わせた。
反射で姿勢を正す能登の姿に、行き届いた教育が垣間見える。

「そ、その・・・連絡が遅れたのは謝る。でもまだ高須を・・・いや、ずっと高須と一緒だったんだけど」

『そぅ。それだけ? ならもう切るわね』

裏返った声でシドロモドロに経緯を話そうとする能登を突き放し、奈々子は手短に電話を切ろうとしている。
能登は慌てて用件を伝えた。

「待ってくれ! 高須がヤバイんだ、今スドバの前なんだけど独身に」

ブチッ ツー・・・ツー・・・ツー・・・

言い切る前に通話が終わった事を、耳障りな電子音が教えている。
直前に聞こえた回線を切る音が、能登には希望が断ち切られたように聞こえた。
緩慢な動作で役目を終えたケータイをしまうと、能登は横で見守っていた春田に向き直った。

「・・・ど、どうだった?」

「・・・すまん・・・」

その時

「どりゃりゃりゃりゃりゃりゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」

バァン!! とスドバの扉が勢いよく開かれ、中から女子高生が一人飛び出てきた。
キョロキョロと辺りを見回し、ゆりが竜児を連れて歩いているのを発見すると一目散に駆けていく。

「楽しみだわぁ。先生男のヒトを部屋に上げるのなんて久々で、なんだかドキドキしちゃう・・・あ、変な意味じゃなくてね、言葉通り」

「おっととっと、体が滑っちまったあああああぁぁぁ──────!!」

ビシャア・・・ベチャア・・・

わざとらしいセリフを喚きながら女子高生───実乃梨が、手に持っていたミルク5杯、シュガースティック3本、ガムシロップ10個分が溶けた
アイスコーヒーを頭からゆりに浴びせ、次いで抹茶宇治金時クレープLサイズ、オプションでミントアイス乗せを顔面に目いっぱいこすり付けた。
甘ったるい臭いをプンプンさせているゆりは、突然すぎて悲鳴も上げられずに呆然としている。
抹茶と青みの強いミントによって斑のデ○ラーみたいなメイクの下は、総統に負けず劣らずの蒼白っぷりだろう。

「ふぃ〜あぶねがっだー・・・高須くんっだいじょぶ? なんか変なことされてない?」

手早くゆりから竜児を引き剥がし、さり気なく手まで繋いだ実乃梨はこの場から去ろうと歩き出した。
何がなんだか分からず、なすがままだった竜児がかけられた声にようやく我に返る。

「・・・えっと、お、おぅ・・・それよりも櫛枝、あれ・・・あのままじゃ、いくらなんでも・・・」

「んー? なぁにー・・・あぁ、あれ・・・」

お目当てである竜児の横でホクホク顔の実乃梨だったが、その表情が一変する。

ポイ ポ───ン ストッ

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

ワナワナと体を震えさせるゆりを心配する竜児が面白くなかったのだろう。
実乃梨は手に持っていた空のカップをゆりに向かって放り投げる。
キレイなアーチを描き、狙い通り見事にゆりの頭に着地したカップ。
これが見世物だったら拍手喝采だ。

「これでオッケー。さ、行こうか高須くん」

「オッケーって・・・」

「・・・・・・ち・・・・・さい・・・・・・」

聞き取れないくらい小さな声で、ゆりが何事か呟いている。
頭上のカップを手に取り力任せに地面に叩きつけると、転がるそれを踵でグシャグシャにした。
俯いた顔からは、どんな表情かまでは分からない。
分からないが、デス○ーもガミラスを捨てて逃げ出すほど恐ろしい顔をしていそうだ。

「待ちなさいって言ってんでしょ・・・」

「うおぉっ!?」

いつの間にか背後に立っていたゆりに、竜児の背筋が凍る。

「・・・っ・・・櫛枝さん? 先生に一体なにしたか分かってるの・・・分かってるわよね。
 いくら優しい先生だって、ここまでされちゃうとご両親と学校に相談せざるをえないんだけど・・・」

竜児に怯えられたことに軽くヘコむが、それでもゆりは実乃梨に向かって表向き冷静に、教師らしく語りかける。
某指輪的なタイトルをした、日本を代表するホラー映画に出てくる幽霊みたいなざんばら髪では教師らしくもクソもないが。

「なによ、まだやってんの?」

「か、川嶋?」

「おっ、あーみん・・・いや〜中々うまくは行かないもんですなぁ」

「やる事が温いんじゃないの、実乃梨ちゃんって・・・ヤッホ、高須くん。大変だったね、怖かったでしょ?
 でももう大丈夫、あとはこの亜美ちゃんに任せて」

だが、実乃梨はゆりの事などどこ吹く風。
合流した亜美とハイタッチを交わすと、後始末を亜美に託して、実乃梨は竜児を連れてスドバに入っていった。

「ちょっと! まだ話は」

「さぁさぁ、先生はこっちこっち〜。そんなカッコじゃせっかくの良い女が台無しだから、とっととお着替えしましょうねー」

「なっ・・・川嶋さん、ど、どこへ・・・? 離してくれないかしら、先生櫛枝さん・・・うぅん、高須くんに用が」

「黙って歩きなさいよこの独身ババァ。ぶっ潰すぞ」

あれだけやっておいて一言の謝罪もせずに去っていく実乃梨と、せっかくお持ち帰り直前までいった竜児を追いかけようとするが、
亜美にガッチリと首根っこを掴まれたゆりはスドバとは反対の方向に引きずられていった。

「お、女ってこえー・・・」

「まったくだ」

見送る春田の独り言に、能登も同意して頷く。
狭い路地裏へと消えていった亜美とゆり。
逃げ出そうともがいてたのか、ゆりの断末魔じみた金切り声が時折したが・・・今はそれも聞こえなくなった。

ム゛ー ム゛ー ム゛ー

能登のケータイが、また着信によって振動している。
相手は奈々子だ。
実乃梨と亜美をけしかけたのも奈々子の仕業だろう。
高みの見物も済み、竜児もそこに居るのだろうに、まだ何か用があるのか。

「もしもし」

『あ、能登くん? 今どこ?』

「・・・? スドバが見える所にはいるけど、どうかしたのか」

『すぐにこっちに来てくれない? 高須くんがあなた達のこと探してるわよ』

「・・・・・・本音は?」

『・・・く、櫛枝がね・・・その、高須くんを・・・麻耶まで一緒になって・・・だから・・・・・・』

「・・・分かったよ」

『ありがと・・・それと、ごめんね。独身に捕まってたのに、あんなメール送って・・・
 なんとかしようとしてくれてたんでしょ? それなのにあたし・・・』

「そう思うんだったら一杯くらい奢ってくれないか? こっちはもうクタクタだよ・・・」

『ええ、そのくらいはさせてちょうだい・・・能登くんも春田くんも、本当におつかれさま』

「それじゃ、今から行く」───・・・そう言って通話を終えると、能登は春田に事情を説明し、これから奈々子達の下まで行く旨を伝えた。
結局は巻き込まれるという事を骨身に染みている春田も、露骨に嫌そうな顔をしながらも能登に付き合う。
どうせなら一番高いものでも頼んでやろうぜ、とテンションを上げようと軽口を叩く二人が店内に入ると

「高須くん高須くん! 今度はこれ、スドバの新メニュー『DEATH NOTE(納豆、オクラ、ツナ、エリンギ)ケーキ』いってみよう!
 この今更な健康志向といいB級感といい、しかもネーミングに合わせてケーキを辛くしちゃう須藤さんのセンスが光る一品!
 食べなきゃそんそん! ミスマッチなんて気にしてちゃ男が廃るぜぇ」

「やめなよ櫛枝、高須くんイヤがってんじゃん。それより高須くん、あたしとこれ頼まない? カップルだと割引してくれるんだって」

「・・・俺、帰って飯作らなきゃいけないんだけど」

「おっとこっちも捨てがたいな〜『当店自慢のコーラになんと紫蘇を配合! 一口飲めば病みつき確実、紫蘇コーラフロート』だって。
 ぜってー後悔しそうだけど、なぜだかすんげー飲みたくなってこないかい? こない? そっかー・・・ならお次は!」

「だからそんなゲテモンやめなって。ねぇ、それで高須くんはどれにする? あたしおんなじのにするね」

「・・・コーヒー4つで」

他の客が後ろに控えてるにも関わらず、竜児を挟んであれこれとメニューについて悩む実乃梨と麻耶。
かなりの時間そうしているが、それでも誰も注意することができないのは、苦笑いを浮かべる竜児が恐ろしいからだ。
怯えながら並んでいる他の客からも、泣きそうな顔で注文を待っている店員からも居心地の悪さを感じていたのだろう。
竜児は適当に注文を済ますと、そそくさと奈々子が待っているテーブルに歩いていく。
あれだけ悩んでいた実乃梨と麻耶も竜児に続く。
二人とも、要は何でもよかったのだ。竜児とお揃いなら。

(( ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ))

上げようとしていた倍はテンションが下がっていくのを感じながら見ていた能登と春田。
うんざりしながらも、手ぶらなのもなんだから、コーヒーでも頼んでいこうと順番待ちの列に加わる。

ム゛ー ム゛ー ム゛ー

するとまた能登のケータイが・・・開くと、奈々子からのメールが。

『Date **/** 18:14
 Name ゴッド
 Sub Re:

 やっぱり来なくていい
 かも           』

理不尽だとは思ったが、奈々子の方に目を向けた能登は納得した。
4人掛けのテーブル席、どちらかといえば狭いソファーで、竜児の隣にピタリと並んで座れていられる、あの空間を手放したくはないのだろう。
あそこに能登達が加われば、席を移動せざるをえない。
せっかく自然な流れで竜児と隣同士になれた奈々子からの、『かも』という控えめで弱気なお願い。
意を汲んだ能登は春田を引っ張ってスドバから出て行った。

もう日が沈み、残光の空に月が存在を主張し始めた頃。
自販機で買った缶コーヒーを片手に、能登と春田は竜児がスドバから出てくるのを待っていた。
こうまでしてるんだからせめて良い思いをしやがれと、そこには居ない奈々子を茶化しながら。


                              ・
                              ・
                              ・


「遅かったじゃない!! 今までどこほっつき歩いてたのよ!」

──────高須家──────
三十分ほど経ってからスドバを後にし、早足で帰ってきた竜児が玄関を開けた瞬間、中から大河が飛び出してきた。
頭から竜児目掛けて抱きつくと、背中に回した手にぎゅっと力を入れて離れようとしない。

(うわっなにあれ)

(春田は初めてか。俺も三回ぐらいしか見てないけど、タイガーって高須の帰りが遅くなるとあーいう出迎えをして甘えまくるんだ。
 最後は決まって『心配したんだから』って言うんだぜ。多分高須に頭を撫でてもらえるように誘導してんだろうな)

(ホントだ、高っちゃんタイガーの頭撫でてら・・・えぇっ!? なにやろうとしてんのあれ!?)

(知らないのか? お帰りのチュウって言うんだぞ)

(いやそれは知ってるから!?)

物陰から覗く二人の視線の先では、竜児に抱きついたままの大河が爪先立ちをして、目を瞑り心持ち顔を上げている。


(あれ・・・高っちゃんなんもしねーで家ん中入ってっちゃったけど)

(今までもそうだったからな。きっと高須からしたら、タイガーが変顔してるくらいにしか思ってねぇんだろうよ)

(それがマジだったら、俺タイガーに同情するわ・・・)

竜児は自分に引っ付く大河ごと家の中へと入っていった。
玄関のドアが閉じられると、能登はすぐに例のノートを取り出してペンを持つ。
春田は能登の横で大きく息を吐くと、その場にヘナヘナと座り込んだ。
しばらくは何事もなく、静かに時間だけが過ぎていく。
辺りはすっかり暗くなり、近所の家からこぼれる明かりと、漂ってくる夕食の香りが団欒を感じさせる。
自分達も早いとこ帰って温かい飯にありつきたい。
今日一日を振り返っては広げたノートにペンを走らせ、そう思う能登。
街灯に灯る明かりだけを頼りに何とか書き切り、抜け落ちた部分がないか読み返し終わると、春田同様に壁を背もたれにして地べたに座った。
張り詰めていた緊張が解れていくのを実感する。
それまでと比べても、中々に濃ゆい一日だった今日が、今ようやく終わった。

(・・・なぁ能登)

(ん? 行くか)

(ちがくて・・・高っちゃんとタイガーって、家ん中でなにしてんだろ)

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

春田の本当に何気ない問いに、能登は答えられない。
知らないから。

(高校生の男と女がよ、毎日一緒の家に居てさ。一体なにしてんだろうなー)

(・・・さぁ・・・)

それについては能登自身も興味があったが、確かめたことはない。
校内と放課後なら背後霊の如く竜児の背中に張り付いていた能登だが、家の中まで覗き見した事は一度もなかった。
そんなマネをしている最中に見つかってしまったら、いくらなんでも言い逃れができない。
泰子の顔を知らなかったのも、そういう理由からである。
別段奈々子から命令された訳でもないし、自宅で竜児が何をしているかまでは、能登も詳しく調べようとはしていない。
春田と共に竜児の後を追いかけ回すようになってからも、それは変わらなかった。
今日までは───・・・

(もうちょっと奥行けねぇ? 俺からじゃ天井しか見えねーよ)

(ムリ言うな。これ以上近づいたらさすがに見つかるだろうが)

(でもカーテンかかってるしさ、俺らの事なんてバレっこねーって)

(分かったからそんなにくっ付くんじゃねぇよ、気色悪い・・・)

アパートを囲っている塀を足場にして高須家のベランダに忍び込んだ二人は、物音を立てないよう慎重に居間まで近づく。
窓の向こうから時折聞こえる声からすると、ちょうど夕食を始めるところらしい。
できたての食事を運ぶために台所と居間を往復している竜児を、空腹を訴える大河が急かしている。
一部、明かりがクッキリとしている箇所を見つけ、そこからなら中の様子を窺い知れるだろうと踏んだ能登はうつ伏せになった。
制服を擦らぬように注意して這うと、思った通りカーテンに隙間ができており、部屋の中が覗ける。
テーブルに着いている大河の横顔が見えるが、向こうはこっちには気付く気配すらない。
これなら大丈夫そうだ。
春田も慎重に慎重を重ね、うつ伏せになったまま移動して能登の横に並ぶ。
高校生男子が二人並んで寝転び、怪しさ満点で人様の家をウォッチングしているという、将来が激しく心配される絵面の完成だった。

(・・・これは・・・)

(思ってたよりも・・・)

気付かれぬよう、それでも攣る寸前まで首を伸ばしてカーテンの隙間から部屋の中を覗く二人は、信じられない光景を目の当たりにする。

「・・・それで、店ん中で洗い物とかしてたら能登と春田が入ってきてよ」

「ふ〜ん・・・ごはん」

「お、おぅ。ほら、あーん」

「あ〜ん・・・次、お肉ちょうだい」

「・・・なぁ、やっぱ普通に飯食おうぜ。疲れるんだよこれ」

「やだ。早くお肉とって」

「でもよ、これって何の意味が・・・晩飯が遅れたのが気に食わないってんなら、さっきっから謝ってんじゃねぇか。
 だからもう許してくれてもいいだろ、な? 大河」

「おーにーくー」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・そんなにやなの・・・? ・・・そう・・・りゅうじ・・・やなんだ・・・そうなんだ・・・・・・」

「・・・ほら、あーん」

「あ〜ん・・・あつっ・・・もう、ひゃんとふ〜ふ〜してって言ってるじゃない」

食事の準備を終え、座った竜児の膝の上に陣取る大河。
自分がここに座るのは何も変じゃあないと、何度もどいてくれるよう頼む竜児にそんな事を言ってばかりで全く聞く耳を持たない。
仕方なくその格好で食事をしようとすると、大河は何故か食事に手をつけようとない。
嫌な予感に、まさかと思いつつ竜児が大河の前におかずを乗せた箸を近づけると、パカっと大河は口を開いた。
いやいやいや、冗談だろと思いつつそっと大河の口におかずを放り込むと、大河は口を閉じてモグモグしだす。
ジッと見ていると、口の中の物を咀嚼し終えて飲み込んだ大河は、まるで当然のように他のおかずも催促する。
それからは言われるがまま、竜児は大河にあーんをし続けていた。

(マジで何がしてーのあいつ・・・うぇ、胸焼けしてきた)

(知らねぇけど、タイガーは高須の膝に乗っかれて、しかもあーんまでしてもらってご満悦なんだろうってことだけは分かる)

(そんなん俺にも分かるっつーの・・・てか高っちゃん、あれは甘やかしすぎなんじゃね?
 ふ〜ふ〜とか、タイガーのヤツ完全に幼児退行みたいなの起こしてんじゃん)

(お前にしては難しい言葉を知ってるな)

その後───・・・

「ごちそうさま。私お風呂入ってくるね」

「おぅ・・・何だったんだ、今日は・・・」

食事が済むと、大河は上機嫌で居間から出ていった。
ほどなくしてシャワーから流れる水音が聞こえてくるが、能登にしろ春田にしろ哀れ乳をわざわざ拝みに行こうとは言わない。
リスクとメリットに差が有りすぎる。
しばらくすると、流しで皿を洗っていた竜児も催したのかトイレに入っていった。
二人ともすぐには戻ってこないだろう。

(いや〜・・・なんかもうあれだな・・・ご住所さん、高っちゃんとしか・・・)

(ご愁傷さんって言いたいのか? ・・・で、どうする)

(なにが?)

(今なら多少音立てても平気だろ。今日はもう帰ろうぜ、腹減ったし)

(あぁ、そうすっか〜。これ以上見ててもなんもなさそうだもんな)

ここらが頃合だと、能登と春田は帰るために立ち上がった。
ベランダから塀の上へ、そして塀の上を伝い、通行人がいない事を確かめると道路に下りる。
そのまま何食わぬ顔をして、それぞれの自宅へと二人は歩き出した。

「ホントにタイガーは高っちゃんの前だと猫被るよなー・・・いや、脱いでるのか?」

「それを言うなら皆そうだけどな」

「ハハハ、ちげぇねーなぁ・・・はぁ・・・」

「なんだよ」

「・・・俺ら、いつまでこんな事すんのかなー・・・って考えるとさー・・・一生とか言われたらマジで死ねるかも」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

春田の冗談交じりの愚痴に、能登は沈黙をもって返事とした。
いつ終わるかなんて、そんなの能登が知りたいくらいだ。
しかし奈々子のあの様子・・・竜児が隣に座っただけで満足していた様を見ると、あながち一生ということも・・・───

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「っくち・・・やだ、風邪かしら・・・もぅ・・・」

──────奈々子の自室──────
一足先にスドバから竜児が帰り、バイトに行った実乃梨とも、時間を潰してから麻耶とも別れた後。
帰宅してすぐシャワーを浴びてからは、奈々子はずっと自室に篭っていた。
父親には食事は外で済ませてきたので、そっちもそうしてもらうように連絡を入れてある。
今日はもう何もすることはない。
これ以外は。

「はぁ・・・二ヶ月、かぁ・・・我ながらずいぶんノロマよね、ほんと・・・」

制服の胸ポケットにしまわれていたあの小さな手帳に、今日の出来事が記されていく。
毎日何回も開いては読み返す以外、本当に久々に使われた手帳に、奈々子は嬉しそうにスラスラとペンを踊らせている。
気が付くと、もうそのページを使い切っていた。
捲って次のページに続きを書いていくと、まだ書き足りないのに、また隅までキチっと埋まってしまう。
実際には竜児とは他愛無い話しかしていないのだが、それでも書きたい事が多すぎるのだ。

「・・・こんなペースじゃ、次はいつになるのかしら・・・でも案外明日も、なんて・・・ふふっ、まさかね」

一通り書き終えると、閉じた手帳を枕元に、奈々子はベッドに体を預けた。
時間が時間なのであまり眠くもないが、なんだかいい夢が見れそうな気がする。
想いを伝えることができて、受け入れてもらって。
今日みたいに隣に腰を下ろすことが、当たり前になってて。
名前で呼び合うことも、手を繋ぐことも、寄り添うことも、抱きしめ合うことだって自然にできて。
それらが何気ない日常となっている。
そんな夢が、見れそうな気がする。

「ん・・・・・・」

そんな夢ならできるだけ長く見ていたい。
夢の中でだって逢えるなら、時間の許す限り傍に居たい。
夢の中にいる間なら、そんな夢みたいな願いも叶うから。
今はまだ、それだけでいい。
目が覚めたその時に、傍に愛しい人は居なくても。
今はまだ、それだけでもいい。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

そんな夢が、正夢になればいいのに

心の中でそう唱えると、明かりを消した部屋の中、布団に包まった奈々子はゆっくりと夢の世界に沈んでいった。
その夜奈々子がどのような夢を見ていたかは───

「・・・・・・・・・ふふ・・・・・・・・・」

───誰も、知らない。


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「はぁ〜さっぱりした・・・竜児ー、冷たいお茶ちょうだい」

「おぅ・・・っお前、服ぐらい着てから出てこいよ!? なんつーカッコで歩き回ってんだ!」

「なによ、うるさいわねぇ・・・ここはもう私ん家みたいなもんなんだから、なにしようがいいでしょ、べつに」

「だ、だからってそんな・・・タオル一丁ってのは・・・」

「それより早くお茶出してよ。長湯しすぎたのかしら、体が火照っちゃって・・・あついったらないわ、もぅ・・・えいっ」

「ブッ!? た、大河!?」

「やっ・・・ど、どどどこ見てんのよ! そんなにジロジロ見ないで、このバカッ、エロ犬! 竜児の・・・・・・えっち」

「そう言うなら、なんでタオルまで取っ払って・・・」

「だってあついんだもん、しょうがないじゃない・・・竜児もあついんじゃないの? すごいわよ、汗。
 ・・・そんなにあついんだったら私みたいに・・・ねぇ、そうしなさいよ、ね? ・・・あつい時は薄着になれって、竜児が言ったのよ」

「いつだ!? 言ってたとしても、裸になれだなんてゼッテェ言ってねぇだ・・・そ、そんなカッコで寄ってくんなああああ!?」

「・・・変な竜児、逃げたりして・・・ほら、その暑っ苦しい服脱ぐの手伝ってあげるからこっちに来なさい。
 汗まみれじゃ気持ち悪いでしょ・・・すぐに気持ちよくなるから・・・うぅん、気持ちよくしてあげるから」

「変なのは大河だろうが!? 俺は暑くねぇからやめ、ちょっマジで・・・い、インコちゃんが見てるぞ!
 いいのか!? 泰子になに言い触らすか分かんねぇぞ!? 誤解されたらどうすんだ!」

「ほっとけばいいでしょ。いくら不気味なくらい喋るったって、たかだ鳥なんだから・・・それに誤解にはならないわ、だって───」

「よ〜〜〜っ! よよ、ようよっじ・・・よっうじ、よう・・・楊枝?」

「───あぁ!? どぅあれが爪楊枝みたいな体ですってぇ!?
 もっぺん言ってみなさいよこのオシャレトサカでどんぐりまなこのキモブサインコ!!」

「ぐ、ぐえ・・・ぶっぶさ、ぶささ・・・ぶさ、ぶさぶ・・・ぶさたいがーっの、ようっじたいっこ」

「幼児体型!? この体のどこが幼児体型だってのよ! ねぇ竜児、竜児ならわかるわよね?」

「わ、分かった! 泰子のでいいなら着れそうなもん出してやるから、とにかくタオルかなんか羽織るなりして」

「ほらみなさいこのキショインコ! 竜児は私のすれんだーな体にむちゅーなんだから!」

「素っ裸でくっ付いてくんじゃねええぇ!?」



                              〜おわり〜

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