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174 ◆TNwhNl8TZY 2009/11/02(月) 10:30:54 ID:qapUpQRf





「あら? 逢坂さん、今日は来てないの?」

───早朝。
HRの最中、出席を取り始めた直後にゆりが意外そうに呟く。

「珍しいこともあるのね、あの元気以外は何の取り得もないような逢坂さんが休むなんて。
 ひょっとして風邪でも引いたのかしら? 最近は季節なんて関係なしにインフルエンザが流行ってるくらいだし」

皆も気をつけてねー、と軽く締めると、ゆりは続けて出席簿に記帳されている生徒の氏名を、淡々と読み上げていく。
あの小さな体のどこにあんな体力が貯められているのか、それぐらい健康優良児な大河が休むくらいだから気にはなるが、
まぁ、こんな事もたまにはあるだろうと、取り立てて心配はしていなかった。
だが

「たっかっすっくーん・・・?」

意気揚々と竜児の名前を呼んだゆりの動きが止まる。
教卓に広げていた出席簿から目を離し、席に着いている竜児を確認しようとするが、どこにも見当たらない。
右手側を見てもいない。
左手側にも、やっぱりいない。

「もぉ、遅刻? しょうがないわね・・・いいわ、出席ってことにしときましょ」

あからさまなえこ贔屓に他の生徒から抗議の声が上がるも、完全に無視。
ゆりは蚊ほども気にせず、むしろ

(高須くんがやって来たら、まず言い訳を聞く前に遅刻したのを叱るでしょ? で、シュンとうな垂れちゃってる高須くんに
 『でもね、先生高須くんはちゃんと来るって信じてたから、遅刻扱いにはしないであげたのよ。
  今日だけ特別よ? わかったら、もう遅刻なんてしないでね。約束ですよ、高須くん』って優しく言ってあげて、それから)

そんな算段を頭の中の算盤でバシバシ弾いている。

(遅刻かー。なら高っちゃんが来るまではゆっくりしてられんな〜)

(だったらいいんだけどな。いやホントマジで)

今日も今日とて竜児を追いかけ回すつもりでいた春田と能登。
二人は束の間気を緩めた。
竜児が来なければ、自分達がやる事など何もない。
せめてゆっくり来てくれと、心から願うばかりである。

(いっそ今日ぐらい休んでくれてもいいんだけどなー、ハハッ)

(またお前そんなこと言って)

勿論本心からではないが、張り詰めていた神経が切れ、ほんの少し春田を調子付かせる。
諌める能登も、学校の中では久々に訪れた突然の休息を味わっている。
と、その時突然教室の戸がノックされた。
叱りつけた後、なんやかんやで部屋に上げた竜児とのあれやそれを朝っぱらから妄想していた三十歳独身(恋ヶ窪ゆり:雌)が
現実へと引き戻される。
何故か内股で戸へと近づいていったゆりは、戸の前で立っていた用務員と二言三言やり取りをすると、途端に肩を落とした。
用件を伝え終えた用務員を見送り、戸を閉め教卓へと戻ってきたゆりが溜め息を一つ、しかしすぐに手をポンと叩く。

「北村くん、悪いんだけど、先生突然用事ができちゃったんであとお願いね」

手短にそう言うが早いか、ゆりは教室を後にしてしまった。
任された北村は慣れた様子で号令を済ませると、先ほどのゆりと用務員の会話を聞いていたのか、

「どうやら高須の方が風邪を引いてしまったらしい。逢坂が来ないのも、その看病をしているそうだ。
 そこで、放課後に代表として俺が見舞いに行こうと思うがど」

そこで北村の口が止まる。
提案をしようと教卓の辺り、それも戸の近くに立っていたのだが、間が悪かったとしか言いようがない。
雪崩のような勢いで教室から走り抜けていった実乃梨と亜美に轢かれてしまった。

「あーみん、なんか出席ヤバげなこと言ってたよね!? ここは私に任しちゃーもらえない!?」

「実乃梨ちゃんこそ部活があんでしょ!? それが終わってからゆっくり来たら!? まぁその頃には全部終わらせてっけど!」

廊下の向こうから響く絶叫。
壮絶な徒競走はバリバリ体育会系の実乃梨有利かと思われたが、中々どうして亜美も食らいついている。
二人の頭を占めているのは、『病気で弱っている高須くんの看病』という、またとないイベント。
ベタだが、ベタだからこそ安定した好感度のアップが見込めるというもの。
それをみすみす逃す手はない。

「アハハー、全部ってなんのこっちゃいー? ───させるかぁぁぁぁぁ!」

「そりゃー全部っつったら・・・キャアッ!? こんなろ、よくも!」

おんにゃの子的にそれって正直どうなのよ? と思わずにはいられない熱いデッドヒートと醜い足の引っ張り合いを校庭で繰り広げている
実乃梨と亜美を、2-Cのみならず他の教室、果ては一限目から外で体育だった生徒達が眺めている。
訳が分からないが、たまたま担当だった黒間が二人の仲裁に入ろうとするものの、亜美の足払いに躓いたところを
狙っていた実乃梨のアックスボンバーに刈られ、受身も取れずに頭から地面に叩きつけられてあっさりと撃沈。
痙攣する黒間には一欠片の興味も示さず、二人は再び足の引っ張り合いをしながらエスケープしていった。

「うへぇー・・・黒マッスルのヤツ、けっこうヤベーんじゃね? 動かなくなったんだけど」

「まぁ一応は鍛えてるし、大事には・・・あ、やっぱダメかも。なんか失禁してるっぽいぞ」

断続的にヒクついていた体が弛緩するのとほぼ同時、黒間に近寄っていた数名の生徒がバッと後ずさる。
女子からはキャーという、黄色い物ではなくマジで生理的な嫌悪感からくる悲鳴が上る。
この分では命は助かっても、職は失ってしまうかもしれない。
あまりにも不憫で同情を禁じえない、彼はただサボろうとする女子生徒二名を職務から注意しようとしただけだというのに。

「まるおー? ごめん、あたし女の子の日になっちゃったから早退していい?」

そしてここにも不憫すぎる者が。
実乃梨と亜美の二人によって物言わぬメガネと化してしまった北村に、ようやくかけられた声。
だがそれは友達としての心配や同情という物ではなく、あくまでこの場を預けられた者に対して放っただけ。
大体本当に女の子の日になってしまった、それも花も恥らう女子高生が、こんな大っぴらに打ち明けたりしないだろう。
よっぽど重くもなければ帰るはずもない。
抜け出す名目にしているのは明白だ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「ありがとっ、じゃあね〜」

言うまでもないが、北村は一言も口をきいていない。沈黙を保ったままだ。
これもまた言うまでもないが、麻耶は北村に顔すら向けていない以前に、立ち止まってすらいない。
そして振り返りもせずに出て行ってしまった。
初めから返事などどうでもよかったのだ、どの道何か理由を見つけては抜け出すつもりでいたのだから。
これで、主だった女性陣が教室内から消える。

(さ、それじゃあなた達もお願いね)

奈々子以外は。

(じょ、冗談だろ・・・?)

まさか欠席している竜児を、そして今しがた教室から去っていった女子達をつけろだなんて仰せつかるとは思っていなかった春田。
気分はすっかり休みのそれ、授業はあれども暢気に過ごせると完全に思っていた。
だというのに、奈々子からの理不尽な『お願い』。
簡単には聞く訳にはいかない。ていうか聞きたくない。

(つってもさ、ほら・・・あれだあれ、俺らも授業とかあるし)

(お・ね・が・い)

(い、いや・・・けど・・・・・・)

(・・・・・・おねがい・・・・・・)

(あの・・・・・・)

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

何とか無理難題の撤回を求めるものの、奈々子は一歩も譲らない。
それどころかどんどん悲しそうに顔を歪め、拒否する度に暗く沈んでいく。
この手に何度騙されてきただろうと、弱腰になりかけている春田は己に言い聞かせようとするものの

「・・・・・・ヂィィ」

(あぁっ!? やめて! 行く、高っちゃんとこ行くから、だからここでそれはやめてぇ〜〜・・・)

所詮弱みを握られている者に選択の余地も、ましてや拒否権などありはしないのだ。

(ありがとう、春田くんならきっとそう言ってくれると思ったわ)

満面の笑みを浮かべ、感謝の意を表す奈々子。
対する春田は滂沱の如く涙を流している
涙がこぼれないように上を向いているのに、これでは何の意味もない。
ちなみに能登はというと

「北村? 俺と春田な、男の子の日だから早退するわ」

既に荷物をまとめ、相変わらず沈黙を貫き通す北村に早退の旨を伝えていた。
『男の子の日』という単語に色めき立つ極少数の女子がいたことを、教室を後にした能登と、
慌ててカバンを引っ掴んで能登の後を追った春田は知る由もない。
残りのクラスメートは、それを否定しなくてはならないはずの本人達が今しがた連れ立って教室から出て行くのを見てしまったがために、
まさかなと笑い飛ばしつつも、アホとメガネの同性愛疑惑を更に深い物へとしてしまった。





「ぁ・・・来ちゃった」

「あっそ。それじゃ」

インターホンを鳴らしたのに中々開かないドアに焦らされ、控えめにノックすること三回。
もう一度鳴らそうかと思案している時に、ようやく開いたドア。
若干の緊張と恥じらいを含ませ、とても生徒の見舞いに訪れたとは思えない艶っぽい声を出したゆりを、
出迎えた大河は素っ気無く追い返した。

「待って、先生は高須くんのことが心配で」

「ありがた迷惑だから帰んなさいよ、本っ当に空気読めないわね。だから婚期を逃しまくってんのよ、この三十路」

チェーンまでしっかりとかけて家の中には上がらせまいとする大河に、ゆりも形振り構わず、セールスマンがするように
ドアの隙間に足を突っ込んで閉めさせまいとしている。
挟まれ、大河の力で万力の如く締め上げられる足の骨が悲鳴を上げ、のた打ち回りたい衝動が全身を駆け回り、
勝手なことを並べ立てるその口を縫い付けてから力いっぱい引き裂いてやりたい程の怒りが湧くが、表には露ほども出さない。

「そんな事言わないでここを開けて、逢坂さん。高須くんの具合を確かめたらすぐに帰るから、ね?」

それどころか心底竜児を心配し、あくまでも教育者の立場としてここまできたと言う風に取り繕う。
相当な演技力だ。教師よりも、女優にでもなっていれば今よりも稼げていたかもしれない。
幸せになれるなれないはまた別の問題として。

「イヤよ。大体なんでこんな時間から来んのよ、まだ授業中でしょ。おかしいじゃない」

だが、怪しむ大河は疑いの眼差しを解かない。
野性の勘か女の勘か、ともかくゆりの言動から何かきな臭い物を感じ取り、頑なにドアにかける手から力を抜かないでいる。

「どうしたの〜、大河ちゃん」

と、そこへやってきた泰子。
隙間からできるだけ家の中の様子を窺っていたゆりに衝撃が走る。

(え? 誰? だれあの人、なんかすんごい女の匂いがするんだけど)

肩ヒモがずれたタンクトップに短パンというラフな格好で、気だるげに壁に寄りかかっている泰子。

(う・・・でっか・・・)

とても高校生の子供がいるとは思えない色気と、そしてなんといってもその胸。
竜児お手製のイソノボンボンがたっぷり入った豆乳の効果か、睡眠時間の割には張りを保っているそれが、
腕を胸の前で組んだために持ち上げられ、今にもタンクトップからこぼれ落ちそうになっている。
思わず自身のモノと見比べた。

(ま、負け・・・い、いいえ、負けてないわ! 女の価値はもっと別の部分が大切なんだから。
 それにこの人に比べれば慎ましやかかもしれないけど、私だって十分に母性は育ってるし、逢坂さんにだったらヨユーで・・・)

今度は大河のと比較してみる。
しかし、いくらやろうとしても胸部に焦点が定まらない。
ストンと視線が落ちて、お腹まで一緒に視界に入ってしまう。

「・・・・・・なによ、ヒトのことジロジロ見たりして」

「あ、ご、ごめ・・・本当にごめんなさい、逢坂さん。
 ・・・大丈夫よ、そういうのが好きな男だって、先生死にたくなるくらい見てきたから。自信をもって」

「はぁ?」

女に生まれたなら誰もが第二次成長前後に経験する悩みを、この娘は一生抱えていくのかと考えると、
優越感よりも余程可哀想になってしまった。
そんなゆりの考えが、我知らず哀れさを滲ませていた目から伝わったのだろうか。

「よくわかんないけど、なんかムカつくわね・・・絶対に開けてやんないから、いい加減諦めて帰りなさいよ」

「いたぁっ!? 痛たたた、ああ逢坂さん! ちょっとホントに痛いってこれ足抜けないんだけど!?」
両腕により一層力を込めると、大河が思いっきりドアを引っ張る。
食い千切られそうな痛みにとうとうゆりが悲鳴を上げた。

「ほ〜ら、早く帰るって言いなさい、三十路。足が潰れない内に」

獰猛な笑みを浮かべる大河。おそらく半ば以上本気だろう。
だが、ゆりとて何の準備もなく手ぶらで来た訳ではない。

「わ、わかったわ。帰る、帰るから、せめてこれだけでも受け取ってちょうだい」

悶絶寸前の体でどうにか足元から拾い上げたのは、お見舞いの定番、フルーツの篭盛。
それもどこで買ってきたのか、漫画やアニメにでも出てきそうな大きな篭一杯に色とりどり、種々様々な果物が所狭しと入っている。
バナナにリンゴ、季節はずれのパイナップル、更にはなんとメロンまで。
竜児はたかが風邪を引いて寝ているだけだというのに、物凄い気合の入れようだ。

「わ〜、やっちゃんそんなの見たのって初めてぇ。本当に貰っちゃってもいいの?」

「え、えぇ。どうぞ召し上がってください、遠慮なんていりませんから」
(いやそれ高須くんのために持ってきたんだけど・・・本当に誰なのかしら、この人)

見た目のインパクトも凄まじく、ゆりの狙い通りに興味をそそられた泰子が寄ってくる。
ここぞとばかりに取り入り、崩そうとかかる。

「じゃ、それはそこに置いといてね。ご苦労さま」

しかし大河という壁はまだ厚い。
絶壁か大平原のように真っ平らで薄っぺらい胸とはえらい違いだ。
普通土産持参で、それも仕事まで放棄してきた見舞い人をここまで徹底してあしらわない。

「・・・逢坂さん? 先生になにか怨みでもあるのかしら、さっきから悪意しか感じないのは気のせい?」

「なに言ってんの、怨みとか・・・むしろ怨まれたくなかったら早々にこっから立ち去りなさいよ、ババァ」

いよいよゆりの堪忍袋の緒がプチプチと音を立てて千切れだした。
この篭盛は見た目を裏切らない値段がしたのだ。
学校にだって事後承諾という形で無理やり休みをもらった。
というよりも電話で連絡をし、一方的に捲くし立てて、返事を聞く前に切った。
社会人、ひいては聖職者にあるまじき行為だ。
それでも、信用やら評価やらを下げるのを覚悟で馳せ参じたというのに、肝心の竜児には挨拶もさせてもらえないどころか門前払い。
しかも竜児本人にならいざ知らず、何故か我が物顔で竜児の家に居座る大河と、あと何かよくわからないぽわんとした女に。
好印象を与えようと大人しくしていたが、そろそろ我慢の限界だ。
ゆりが反撃に移る。

「そういえば何で逢坂さんが高須くんの家にいるのかしら? あなただって授業があるはずよ」

「そんなの、竜児を看病するために決まってんじゃない。いいから、話ズラそうとしてないで早く帰んなさいよ」

「待って。だって、逢坂さんがそこまでする必要なんてないでしょう? お家の方だっていらっしゃるんだから」

「そうよ〜大河ちゃん、やっちゃんがいるんだから心配ないよ」

割って入ってきた泰子にゆりが一瞬目をやる。
頭の天辺から爪先までを見ても、外見からは自分とそう歳に開きがあるようには思えない。
一体この家の、竜児とどういった関係なのだろう。
母子家庭というのは知っていたが、姉がいるとは聞き及んでいない。

(・・・・・・ひょっとして、この人がおか)

「やっちゃんと二人っきりにさせるのが心配なのよ!
 待っても待っても起こしに来ないと思って来てみたら竜児のベッドで一緒に寝てるし!」

さり気なく起こしに来るのを起きてスタンバイしていたのを暴露しているが、幸運にも誰もそこには気付かなかった。

(───じゃないわね、うん。母子でとか、もう過ちなんてもんじゃ・・・ってなによそれ!?)

「だって・・・竜ちゃん中々起きてこないから、どうしたのかなーって見に行ったら何だか苦しそうにしてて、それでぇ」

それでどうして添い寝という選択肢に辿り着くのか。

「そ、それはいくらなんでも・・・・・・」

マズイのではないか、と無言の中に込めるゆり。
正直に言ってそんな甘々な事を平気でやってしまえるのが羨ましいが、教師としてはそういった生徒の爛れた関係は見過ごせない。
まぁ自分がやってしまったら全力で言い逃れするのだろうが、それはそれ、これはこれ。
世の中ではそれを棚上げという。

「なに言ってんのよやっちゃん! 熱だって高いのに、余計に酷くなっちゃったらどうすんの!?
 もし竜児になにかあたったら・・・私・・・・・・」

本気で竜児を心配しているらしい大河に、ゆりは少し感心した。
なにも独占欲のままに弱っている竜児を監禁していると思っていた訳でもないが、こんなに真剣になっているのを目の当たりにすると、
下心が多分にあった自身がちょっとだけ情けなくなってくる。

「でもぉ、大河ちゃんが作ったお粥よりは全然いいと思うんだけど」

ピタッと、「だから竜児の看病は自分がしないといけない」と主張していた大河が止まる。

「・・・やっちゃん、それどういう意味?」

「そのまんまだよ? あとね、イヤがる竜ちゃんに無理やりあ〜んってさせてたのもどうなのかなぁ・・・」

「そそ、そんなことないもん! 竜児、嫌がってたりしてないもん! お粥だって、おいしいって褒めてくれたもん!」

真剣な中にしっかりと下心もあったらしい大河に、あぁ、やっぱりという物を感じたゆり。
焦りようを見ても分かる、図星だ。
おまけに何だか不穏な空気になってきた。
このまま放っておいたらいつまで続くか分からない。

「あの、お取り込み中のところすいませんが」

そう止めに入るものの

「そうだね〜。けどやっちゃんが作った方のお粥はおかわりまでしてたよねぇ、竜ちゃん」

「それはきっと私の作ったお粥がおいしくって、ちょっとは調子よくなったからよ」

無視。スイッチが入ってしまった二人はゆりを放って言い合いを始めてしまった。
ちなみに二人の作ったお粥が竜児の下へと運ばれるまでには開きがある。
理由は単純に手間の違い。
トロイながらも出汁までとっていた泰子と、研ぐどころか水洗いもせずに直に鍋に張った水に生米を突っ込んだ大河なら、
当然先に出来上がるのは大河の方だ。
火加減が分からずにとにかく強火で煮立たせていたのも時短に一役買っている。

「・・・一応聞くけどぉ・・・大河ちゃん、あのお粥、ちゃんと味見した?」

「してないけど・・・でも、竜児はおいしいって言ってたわよ。
 あんまり自信なかったんだけど、私が思ってたよりは上手にできてたみたい」

おこげというよりも完全に鍋底に焦げ付いた部分からの深すぎる苦味と、ジャリジャリと芯の残った米粒が織り成す奇跡のハーモニー。
ハッキリ言わずとも失敗している。
そんな物を食えという、風邪を引いて弱る体にはあまりにもな仕打ちを、何故竜児は拒否しなかったのか。
『こ、これ・・・ちょっと失敗しちゃったけど、でも、あの・・・少しは食べた方が体にも・・・うぅ〜・・・・・・』
おずおずと自信無さ気に差し出されたお椀。
ただ米を煮ればいいだけの簡単な料理ですら満足いく出来にならなかった事に落ち込む大河。
心配してわざわざ作ってくれたそれを、まさか気持ちだけで十分だなんて言えずに、
『待って、その・・・辛いでしょ? 辛いわよね、風邪なんだから・・・だだだだから、私がたた、食べ・・・ぁ、あ〜んして、竜児』
竜児はひたすら無心に、大河お手製のお粥っぽい米を煮込んだ何かを手ずから口に入れられ、嚥下していった。
風邪のためかいつもよりも舌が鈍くなっていたのが不幸中の幸いと言える。
うまい───搾り出すように吐いた大河を傷付けないための嘘は、正確に味が分からなかった分だけ軽くなっていたから。

「そ、そう・・・かなぁ・・・」

「そうよ、そうそう。私のお粥があったから、だから竜児、やっちゃんのお粥だって全部食べられたのよ」

竜児の身を削った嘘を、冗談ではなく本当の本気にしている様子の大河に泰子は内心引く。
誰が見ても一目瞭然、竜児はそりゃもう相当嫌がっていたのだが、恋は盲目とも言う。
大河もご他聞に漏れない。大河以外の面々もご他聞に漏れない。

「だからね? やっちゃんは余計なことしないでいいから寝てて、私が看てれば十分なんだから」

得意満面、胸まで張っている。
竜児に褒められたことで要らぬ自信をつけてしまったようだ。

「それ、そっくりそのまま大河ちゃんに返すよ」

時間がかかりながらも、出来上がった自分のお粥を泰子が持っていくと、そこには食前よりも顔色を悪くしている竜児。
隣に座って照れ笑いを浮かべる大河はそんな竜児に気付かないのか、かいがいしく世話を焼いている。
あぁ、余計なお世話ってこんなのを言うのかなぁ、と思いながらもテーブルに鍋を置くと、漂ってくる香りに竜児が反応した。
お椀によそって渡せば、最初こそ怯えるように震えて手を付けられなかった竜児。
しかし意を決して一口食べれば、そこからは猛烈な勢いでお椀と、そのまま鍋の中身を一気に平らげてしまった。
大河の時とは大違いだ。
「さっきのモノだけでは回復など到底見込めない、むしろ・・・と、とにかく何でもいいから栄養をつけろ」と、
体が自然に求めたのかもしれない。
だが、ナイチンゲール大河はそういう部分は都合よく、それも大きく曲解している。
このまま任せてしまえば、竜児を余計に苦しませる結果になるのは目に見えている。
なので泰子も譲らない。
大河も、滅多にない竜児との二人きりのチャンスを全力で確保しようと躍起になる。
二人は玄関先にも関わらず、昼になるまで熱い口論を繰り広げていた。

「・・・あ、このバナナおいし・・・高須くんに持ってきた、高須くんの・・・ふふ、ふふふふふふふふ・・・・・・」

足を挟まれているため、帰るに帰れなくなってしまったゆりを置き去りにして。





「大河ー! 居んのはわかってんだから出てこぉーい! いっつもいっつもズルいってばー!」

「高須くんのお見舞いに来ただけっつってんでしょ!? ドチビはカンケーなんだいんだからさっさと開けなさいよこの××××!!」

本気で病人の見舞いに来たのか? と疑わずにはいられない騒々しさでアパートのドアを叩きまくっている実乃梨と亜美。
既に時刻は正午過ぎ、竜児が二度目の地獄を文字通り舌で味わった後になってから、ようやく二人はやってきた。

「うるさいわね、たく・・・ていうか、二人ともなによその格好。ボロボロじゃない」

「あ、これ? 聞いてよ大河、これさぁあーみんが」

「はぁ? 亜美ちゃんに責任なすり付けないでよ」

適当な時に追い返したゆりの時同様、チェーンをかけたドア越しの大河の指摘通り、二人の格好は酷い物だ。
髪型やメイクはキレイなままであるため、おそらくどこかで直してきたのだろうが、着ている制服は埃まみれ。
解れてしまった部分も見受けられる。

「・・・帰った方がいいんじゃない」

「やだ」

「あんたが帰りなさいよ、邪魔なだけなんだから」

そんな装いで他所様の、それも見舞いに訪れた二人を見た大河は思う。
常識、ないのかしら? と。
この面子では一番一般常識が欠如している大河をしてそう思わせるのだから、かなり酷いナリをしている。
しかし二人は一歩も引かない。
数時間にも及ぶ足の引っ張り合いの末、「このままでは見舞いどころではない、ここは一先ず収めよう」と、
ようやっと不毛な争いを一旦止め、癪だが互いのやりたかった事等を妥協しあい、
既に起こしているであろう大河のアクションも踏まえながらの綿密なシュミレーションを行ってきていた。
相手が腹に一物置いているのをお互い感知しながらも、表面上はガッチリと協定を結んでいる。
手を組むときは組む、出し抜くときは出し抜く、それが女の子のジャスティス。
そしてそんな女の子に気付かないのが男のファンタジー。

「だって二人とも、そんなんで竜児の前に出るつもり?」

字面だけならば、割りと心配している。
ニュアンスもそう聞こえるだろう、その顔面に貼り付けたにやけっ面さえなければ。
大河は竜児の名前を出し、暗にこう言ってるのだ「引かれるかもよ」と。

「平気平気ー、上だけ脱ぎゃ余裕だって」

「心配してくれんの? だったらエプロン貸してよ、それだけあればなんとかなるから」

だがそんな遠回しな脅しもなんのその。
服? なにそれ食えんの? とでも言うように、二人は己の格好に無頓着だ。
それでいいのか女子高生。

(今日シャツしてないから、多分線くらいは見えてるはず・・・
 恥ずかしいけど、こういう時に女の子って意識させとかないと・・・あ、なら髪とかも結っといた方が・・・高須くん、気付いてくれるかな)

(問題はどこまで、よね。さすがにいきなし全部脱いだらガチで引かれるだろうし、かといって制服の上に普通に着けただけじゃ意味ねーし・・・
 ここは『上ブラ、下スカート』の変則? ・・・いんじゃね、それ。うん、それでいこっと)

本当にそれでいいのか女子高生。

「・・・帰ってくれない、マジで」

二人から漂う不穏な気配を察知したのか。
大河が不機嫌さを隠そうともしないで、返事も聞かずにドアを閉めようとする。
だが、そうは問屋が卸さない。
大河のやる事なんてお見通しだよーと言うように、実乃梨がゆりと同じくドアの中へと足を突っ込む。
中途半端に閉じられ、張っていたチェーンが緩んだのを確認すると、どうせこんな事だろうと思ったわよ、アホチビと口に出しながら、
亜美が腕を差し込んでチェーンを外す。
抜け目のない、それでいて流れるような巧みなコンビネーション。
開け放たれたドアの存在を知覚した実乃梨と亜美はアイコンタクトする。
交わり、刹那に解かれた視線からは、他人からはようとして知れないやり取りがあったのかもしれないが、
きっと短く纏めればこういうものであろう。

じゃ、もういいよね?

手を組むときは組む、出し抜くときは出し抜く、それが女の子のジャスティス。
仲良しこよしで手を繋いでいられるのは子供の内だけなのだ。
二人はもう子供ではない、れっきとした年頃の女の子。
用さえ済めばスッパリ切る。
本当に繋ぎたい手は、もうすぐそこ。
実乃梨と亜美は、唖然としている大河を尻目に高須家へと───・・・

「甘いのよ、みのりん、ばかちー」

結論から言えば、二人は高須家への侵入を果たすことはできた。
もっと詳しく言えば、高須家の土間までは入ることができた。
しかし、そこまで。
そこから先へは一歩たりとも進むことは叶わなかった。
何故か。

「た、い・・・が・・・」

「・・・ちょ、っと・・・さすがにガチでやるなんてありえねぇだろ・・・」

それはシンプルかつ一番手っ取り早く、そして最も有効的な手段を大河が用いたため。
実力行使。
檻という物は何も中の猛獣を拘束しているだけではない。
檻の外の安全も守っているのだ。
高須家と言う一種の檻の中へと安易に足を踏み入れてしまった非力な・・・とは言いづらいが、ともかくただの女子高生に、
縄張りと縄張りの中に大事に大事に監禁している竜児を守ろうとする虎に敵う訳がない。

「・・・さ、二人とも気が済んだでしょ。あんまりうるさくすると竜児が起きちゃうからもう帰ってちょうだい。
 私がしっっっかり看てればすぐ治るんだから、それまで邪魔しないでね」

振りぬき、見事に実乃梨と亜美のどてっ腹に命中させた拳を引っ込める大河。
情け容赦ない本気の一撃をお見舞いされた二人は、蹲ることも出来ずに激痛で硬直している。
しかし、徐々に遠のいていく意識と共に膝が震えだす。
最早転倒は免れない。

「くぅ・・・た、高須くん・・・」

「ちくしょう、ここまで来て・・・」

満身創痍。
それでも尚、己が望んだ未来へと道を切り開き、突き進むべく前へと出ようとするのは淡い恋心と、やはり意地だろうか。
倒れるかよ、倒れるとしても前のめりだ。
せめてその心だけでも置いていこうと、正面から倒れこむように二人はふっと体から力を抜く。

「じゃあね、みのりん、ばかちー。多分明後日ぐらいには学校行くから」

それすらも許されず、瞬時にドアの向こうへと放り出されてしまうのだが。
天岩戸さながらに固く閉じられたドアの前では、兵共が夢のあと、屍同然に横たわる、
足の引っ張り合いの末に迎えた結末に涙を滲ませる女が二人。
そんな彼女たちを誰が笑えようか。

「・・・ふふ・・・ふふふふ・・・・・・」

ここに居た。
咽び泣く実乃梨と亜美を隔てたドアの向こうから見据え、一人ほくそ笑む大河。
今この時ほどこの言葉が似合う場面もないだろう、勝てば官軍。
そう、大河は勝った。
一番の脅威である実乃梨と亜美の二人をいっぺんに自慢の拳で叩き伏せ、粘着質な担任の独女も追い返すことに成功した。
他はさすがにここまでやって来ないだろうし、やって来たとしても、せいぜい名前が付いただけのモブ程度。
今の二人に比べれば一睨みで追い返す自信がある。造作もない。
しかも時刻はまだ正午過ぎ。
時間はいくらでもあるのだ。

「・・・これで・・・」

───床に臥せる竜児。
熱のせいか、赤くなった顔から汗が流れている。
それを優しく拭き取ってやる大河。
たどたどしい手つきでも、労わりを籠めて、何度も手にしたタオルで肌の上を滑らせる。
それでも竜児の熱は中々引かず、流れる汗も止まらない。
当然竜児が身に纏っている衣服は濡れてしまう。
このままでは体が冷えてしまい、風邪を拗らせてしまうかもしれない。
着替えるしかない。
だが、その前にまず体を拭く必要がある。
熱で朦朧とする頭、だるさで体が鉛のように重く感じる今の竜児には一苦労だろう。
ならば、今していたように大河が背中を始め、体を拭いてやるしかない。
しばしの沈黙。
なんだかんだ言いながらも、肌をさらけ出すというのはやはり異性として意識してしまう。
見るなよ、見ないわよというお約束の言葉をかけ合いながら、ドキドキと高鳴る胸を悟られないよう押さえる。
背中を向けた竜児がシャツを脱ごうと裾に手をかけるが、汗を吸ったタオルは肌に張り付き、思うように脱げない。
見かねた大河が手を貸してやり、シャツを脱がせる。
すると微かに鼻孔をくすぐる、独特な臭い。
竜児の、汗の臭い。
竜児と竜児が着ていたシャツから漂うその臭いに、上半身に何も纏っていない竜児に、大河は頬を染める。
言いようのない何かを頭の中から必死に追い出そうとしていると、竜児が咳き込んだ。
ハッとして、大河は慌てて背中をさする。
段々と呼吸を落ち着けていく竜児に安心しながら、大河は小さく謝罪し、頬を軽く張った。
今、竜児が頼れるのは自分だけ。
妙な考えに囚われていないで、今はただ竜児の身を案じ、真摯に接しなければ、と。
そう気を取り直して、できるだけ丁寧に竜児の体を拭う。
ゆっくりと、時間をかけて。
背中全体を拭き終えると今度は腕へ、次に胸板へ。
そこで気が付く。
まるで甘えるように、もしくは縋るように、または求めているように、背中から抱きついている格好の自分。
カァっとさっきよりも頬が赤くなり、耳まで染まる。
そんな時、回した腕、タオル越しに手の平へと伝わってくる鼓動。
それが、大河に知らせる。

───竜児も、ドキドキしてる・・・
ドクン、と一際大きく胸が跳ねる。
大河自身のそれか、それとも竜児の物か。
いつしか体を拭くのも忘れ、目の前に背中に抱きついていた大河には、それすらも分からなくなっていた。
触れ合った部分から竜児の体温が移り、頭がぼんやりとしてくる。
荒くなっていく呼吸を鎮めようと深く息を吸うと、肺一杯に竜児の臭いが充満する錯覚に襲われる。
何がなんだか分からなくなり、自分の中を蝕む得体の知れない感情から逃げるように大河は更にしがみつく。
その手に、そっと竜児の手が重ねられた。
ただ重ねられていただけの手が、やがて指の一本一本を絡めながら握られる。
そして───

「・・・そうだ、タオル用意しとかなくっちゃ・・・一枚で足りるかしら・・・か、替えの下着とかも、あった方がいいわよね・・・」

ゆうに十分はその場に立ち尽くしていたかと思うと、大河はパタパタと居間へと歩いていった。
これから昼食からこっち、ひたすら横になっている竜児が目を覚ますまで手なんかを握り締めながら付き添い、
起きたらすかさず寝汗がどうこう言って竜児を剥くだろう。
それができなくても、他にもいろいろと手を変え品を変え竜児に『看病』と言ってはベッタリ張り付いて離れないに決まっている。
メンドクサイ相手はとりあえずは帰したのだ、焦る必要はない。
時間はまだたっぷりとあるのだから。





「要塞かよ」

難攻不落的な意味では要塞と喩えても差し支えないだろう。
見た目は古臭い、どこにでも在りそうなただのアパートなのだが。

「いや、俺には虎の穴に思えてきた。あそこは近づく奴は何人も襲いかかって食い殺す凶暴でおっかない虎の住処だ、絶対」

虎穴にいらずんば虎児を得ずならぬ、虎穴にいらずんば竜児を得ず、と言ったところか。
その内本当に子虎でもできそうな予感がしてより生々しい。

「あー、なんかそのものずばりな気がする・・・そんで高っちゃんは哀れな生贄みたいな」

「生贄かどうかはともかくとして、まぁ、哀れだろうなぁ高須は・・・さて、と」

ポケットからケータイを取り出した能登。
御座をかいた膝の上には、毎度の事ながらあのノートが鎮座している。
竜児と竜児の行動、周りにいる女性、女性がしかけたアプローチやらが微に入り細に入り克明に記されている、
他人には絶対に見られてはならないストーキング日誌。
しかしながら、それまで使っていた物と比べると真新しい。
先日とうとう一冊丸まる使いきり、晴れて二冊目に突入したのである。
キリもいいしそろそろ・・・と、手垢と汚れで少々よれてしまった前のノートを手渡した時に持ちかけてはみたのだが、笑顔で却下。
奈々子は待ち構えていたように今能登の膝に乗っかっている新しいノートを差し出してきた。
受け取った能登も笑顔だった。目以外は。

「何してんだ?」

「ん? あぁ、いつこっちに来んのか一応聞いとこうかと思って」

聞いてくる春田に答えながら、能登はケータイを操作する。
追いかけるよう命じられてはいたが、現実的に能登と春田の二人では教室から出て行った全員の動向を全て把握しきれないので、
向こうからやって来るのを待ってる方が効率的だとずっと張り込んでいるのだ。
思惑通り午前中にはいの一番にゆりが、時間を空けて昼には実乃梨と亜美が。
しかしいつ来るのか分からないと言うのはけっこう神経を遣うもので、春田にしろ能登にしろ既に疲労が見え隠れしている。
昼食だって摂っていないし、用を足しに行くにも満足に動けない。
あと姿を現していないのは麻耶と奈々子の二人だけなのだから、せめて片方だけでもいつ訪れるのか知っている方がまだ気が楽だ。
そういう考えの下、今までの報告を兼ねて、能登は奈々子へとメールを送った。

「・・・高っちゃん、早く良くなるといいよな」

「そうだな、本当に・・・」

ふと、春田の口からこぼれたセリフに能登が同意する。
これは心からの心配である。
こんなのが何日も続いたらこっちの身が持たねぇ、といった思いも無い訳ではないが・・・

「「 大変だろうな、あれじゃあ・・・ 」」

それを差し引いても、あんな監禁紛いどころかギリギリ監禁じゃない程度の扱いを受けている竜児が甚だ忍びない。
こっちもそうだが、あっちの方がよっぽど身が持ちそうにない。
今日だけでも身を崩してしまうのではないだろうか?
そもそもの原因が身を崩したために舞い降りた悲劇に、能登も、普段は羨ましがる春田でさえも竜児に本気で同情する。
自宅に居ることからも、面会謝絶なほど病状が深刻なはずがない。
だが、大河は見舞いに訪れた者の悉くを決して竜児に合わせなかった。
やって来た者達のやり方もいささか常識外れだったのも否めないが、それにしたって常軌を逸した徹底ぶりである。
いくらなんでも、まさか肉体言語で実乃梨と亜美を追い返すだなんて思いもよらなかった。
ただの風邪を引いただけでこの有様。
素敵に過激すぎる。
正確には分からないが、あの様子では竜児自身、相当過剰な看病を受けているに違いない。
しかも回復するまでそれは続く。
口にはしないながらも、同時に「竜児が全快するのと入院するののどちらが先か」という考えに行き着き、薄ら寒い物を感じた二人。

「俺、今度高っちゃんに手袋とかマフラーとか渡しとくわ」

「あぁ、これからもっと冷えるもんな。また風邪なんて引かないように、俺もなんか贈っとこう」

こんな辛い目に二度も遭う必要はないだろうと、後日二人は無い袖を振って竜児に防寒用の手袋とマフラー、市販のサプリ等を渡した。
突然のプレゼントをいぶかしんでいた竜児だったが、ささやかながら快気祝いだと言うと、
そんな理由でここまで気を遣ってくれたなんて考えもしなかったと、何度も何度も二人に感謝していた。
そこまではよかったのだが、更に後日、竜児がしていたマフラーを勝手に拝借していた大河が目撃された事で奈々子に説明を要求され、
余計な気を遣った事を後悔するハメになる。
予め知ってさえいれば回避できる事なのだが、それができたら三時間も正座させられるなんてことには決してならないだろう。
後悔とは、いつだって未来で手ぐすねを引いて待っているのだから。

ム゛ーム゛ーム゛ー

そうこうしている間に、奈々子から返信が来た。
内容は放課後に麻耶と一緒に行くという簡潔な物で、能登は返信せずにケータイを閉じる。

「なぁ、木原も朝っぱらから出てったよな。なのに一緒?」

横で画面を覗いていた春田が疑問を上げる。

「多分一緒に行った方がいいんじゃないかっていう連絡でも入れたんだろ。木原も一人よりも二人の方が気が楽だろうし」

「・・・どっちがとは言わねぇけど、最終的には出し抜くつもりなのにか?」

「それはそれ、これはこれ、あれはあれ、彼は私のものってやつなんだろうよ、きっと」

能登の予想は寸分違わず的中している。
タイミングを計ってすぐには竜児の下へ行かないだろうと踏んだ奈々子が時間を置いてから電話をかけると、
案の定麻耶はまだ土産選びの最中であり、いつ頃見舞いに行こうかというのを決めかねていた様子だった。
ならば放課後なら自分も時間が取れるし、二人だったら行きやすいだろうと、
あくまで付き添いであるというスタンスで奈々子が持ちかけた提案を二つ返事で了承した麻耶。
内心一人でというのは抵抗があったようだ。
あの手乗りタイガーの相手を一人でしなければいけないのだから、腰が引けるというのも仕方ないのかもしれない。
それに正直に言ってしまうと麻耶には荷が重い。
事実大河は親友の体育会系天然、悪友の腹黒、担任の三十路を単身撃破している。
麻耶にこの中の一人分でも大河を丸め込める力があるかと問われれば疑問が残る。
言ってしまえば普通の女の子なのだから。
そしてそれは奈々子も同じ。
体力では実乃梨に遠く及ばず、あざとさや狡猾さでは亜美にリードを許し、粘着さでは担任の独身に引けを取らないかもしれないが、
あんな恥も外聞もない姿を表には晒せない。仮に晒すとしたら余程の切羽詰った時だけだろう。
だから人の手が必要なのだ、お互い。
奈々子をダシにしようとしている麻耶にとっても、そして奈々子にとっても麻耶は貴重な戦力だ。
しかし裏でそういった考えが張り巡らされているとはこれっぽっちも思っていない麻耶は、
ダシにしようとしている奈々子に手綱を引っ張られていることに全く気付かない。
良く言えば素直な、悪く言えば実に操りやすい性格をしている。
ある意味一番の安牌かもしれない。

「そんなもんかねぇ・・・つーか課後かー、まだすっげー時間あんじゃん。飯でも行かね?」

まぁそんなドロドロとした内情には心底興味がないのだろう。
それよりも二人いっぺんに時間を空けて来るというのなら、その間に済ませておけることは済ませたい。
せめて何か腹に入れねばと、春田が誘う。

「制服のままどっか入ったら目立つだろ、ガマンしろよ」

「でもよー、飯時なんだしコンビニくらいならいいだろ。俺もう腹へって腹へって」

突っぱねる能登に、大袈裟に身振り手振りを交えて空腹をアピールする春田。
気持ちは大いに分かるし、極力そういったことを考えないようにしていたが自分も腹ペコだ。
能登はしょうがないと溜め息を一つ、行くのなら制服の上を脱いで、ついでに何か適当に買ってきてくれと小銭を渡す。

「寄り道しないで早く帰ってこいよ。あと見つかるようなヘマするなよ」

「へーい」

気の抜けた返事をすると、春田は最寄のコンビニを目指して、高須家のアパートの敷地からコソコソと出て行った。
二人が張り込むために陣取っていたのは、大胆にも竜児の自宅であるアパートの、人目につかない裏手側。
気配から階下の住人が留守なのを知ると、勝手に腰を落ち着けているのである。
しかもこの場所、中々に覗きに適しているというか、道路に面している方向からは絶対に見えないし、
上階の高須家を訪問する者はもちろん高須家の住人からも完全に死角になっている。
会話を盗み聞きするためにある程度近づいても全くバレない。
春田なんてそれをいい事に亜美のスカートの中を覗こうとしたりもした。
結果はそう上手くはいかず、位置的に見えるか見えないかのヤキモキした焦らしを味あわされたが、それなりに良い思いはしたようである。

「・・・・・・ふぅ」

春田を見送ると軽く背筋を伸ばし、脱力と共に肺から空気が抜ける。
まさかこんな場所で人心地つけるほど図太い神経をしているとは思っていなかった能登は苦笑する。
それだけ慣れてしまったのか、それとも人として落っことしてきた物があるためか。
しばらく放心したように呆けていた能登だが、それも飽きると手持ち無沙汰を感じ始める。
お使いに行ったアホが帰ってくるまでどうしていようかと思案しかけるが

「そんなに汗まみれじゃ体によくないわよ、竜児。だからわ、わた、私がふふふ、ふき、ふき・・・」

「いや、別にそれくらい自分でできるから・・・お、おい、お前どこに手ぇかけて、やめ・・・誰かー!?」

「もう! なんで邪魔すんのよ! そのままじゃ拭けないでしょ! 拭いてあげるって言ってんだから脱ぎなさい!」

頭上から降ってきた悲鳴と怒鳴り声に、あぁ、やっぱ行かないでよかったとしみじみ思う能登。
何か手を出す事はできないが、知らぬ間に竜児が手篭めにされていたらそれこそ事だ。
それに自分が焦らずとも、悲鳴を聞きつけてあの母親がなんとかするだろう。
不謹慎にも暇潰しにもってこいだと能登は気楽に構え、とりあえずはノートに今しがたの悲鳴とおそらくの経緯を書き記し始める。

「だめ〜、それやっちゃんがしてあげるの〜」

「誰かー!?!?」

そっちもかよ。
能登が手にしていたシャーペンが、パキンと乾いた音を立てて折れた。
芯ではなく、ペンそのものが。

(・・・うわぁ・・・)

ちょうど同じ頃。
買い物に出かけ、高須家からそう遠くない所にあるコンビニの手前まで来ている春田は、嫌な場面に遭遇してしまった。

「そうなのよ、逢坂さんったらお見舞いに来たっていうのにお家に上げてもくれなくって・・・内申、ボロックソに書いてやろうかしら」

「そんなんじゃだめだって。大河、卒業したら即お嫁さんー、みたいなこと平気でしそうだからあんま意味ないと思うよ。
 それにお土産とか一応渡してこれたんでしょ? ゆりちゃんセンセーのがまだいいよ。
 私らなんてぶっ飛ばされに行ってきたようなもんっていう・・・」

「いたたた・・・あぁったく、あんのくそったれのドチビ、マジでやりやがって・・・
 亜美ちゃんの体に傷でも付いたらどう責任取るんだっつーの、高須くんが心配しちゃうじゃん」

「そう・・・ほとほと厄介ね、逢坂さんって・・・マジウゼー・・・それはそうと、高須くんってお姉さんとかいるの?
 今朝伺ったら当然のように逢坂さんが出てきて、あと年上っぽい女の人もいたんだけど、あれ誰だか知ってる?
 なんかやたらケバくてね、あーいうのって男とっかえひっかえしてそうで、いい歳こいてそんなのとかもう人生詰んでんじゃないのって
 先生思うんだけど、そういう人と一緒に住んでて高須くん大丈夫なのかしら・・・心配だわ」

「いやいやお客さん、それ多分高須くんのお母さんっすよ、マジで。そんで未来の私のお義母さんだから悪く言わないでほしいなー」

「そういえば高須くんのお母さんって、確かゆりちゃんと大して歳変わんないってタイガーが言ってたような・・・
 人生詰んでんのってゆりちゃんの方じゃない? 三十路で独身ってだけでも笑えないってのに」

「えぇっ、そうなの!? ・・・歳の近い人をお義母さんって、ハードル高いわね・・・同居とかになったらすっごくやりづらいんだけど」

「その心配はいらないんじゃないかなー」

「そうそう、気にするだけムダよねー」

「・・・? ・・・よければ理由を教えてもらえない?」

「「 だってそういう心配をしなくちゃいけないのって私(あたし)だし 」」

「そっ。よ〜くわかりました。あなた達、今学期の成績は期待しないでいいから。進級できるとも思わないでね、させいから」

「きったねー!? なんしてー!? なんしてそうなっとやー!?」

「ちょっと、あんたそれでも教育者なの!? 職権乱用よ職権乱用!」

「それが嫌だったら大人しく高須くんから手を」

「「 あんま調子くれてっと後でどうなるかわかってる? 」」

「・・・ど、どうやったら逢坂さんを高須くんから遠ざけられるのかしらね。
 櫛枝さん、一番逢坂さんと仲良かったんでしょ。なにか知らない? 弱みっていうか、そういうの」

「・・・知らなくはないけど、あれはいくらなんでも大河が可哀想なんだよねぇ、高須くんも本気で怒りそうだし・・・
 ふ〜む・・・ん〜、他だと難しいな〜・・・あーみんはどーよ、なんかないの? 腹黒代表として思わず引いちゃうようなやつとかさ」

「実乃梨ちゃんがなに言ってんのか亜美ちゃんわっかんなぁい。てかさー、それこそゆりちゃんの力でなんとかなんないの?」

コンビニの中に設けられている休憩コーナーでたむろしている三人の女性。
二人は近隣の高校に通う女子高生で、一人はその担任である。
大河に追い返された後、今更学校に戻れず、近所の目を気にして自宅に帰ることもできずにここで自棄酒を煽りながら時間を潰していた
ゆりと、湿布やらを買い求めにたまたま立ち寄った実乃梨と亜美。
顔を合わせた三人は誰ともなしに愚痴を言い始めた。
やれ、大河が竜児を独占しているだの。
やれ、あそこまでいくとシャレじゃ済まないだの。
女三人寄れば姦しいとも言うが、少なからず人の出入りがある場所で、向けられる奇異や白い目を気にも留めずに
ひたすら喋りまくっている三人。
遠巻きにそれを見てしまった春田はそそくさと今来た道を引き返して、別のコンビニを探しに行った。
春田の存在など小指の先ほども気付かなかった三人はというと

「できなくもないけど、成績なんかいじっちゃったらやったの私だってすぐわかっちゃうじゃない。
 普通にお礼参りとかしてきそうで本気で恐いのよ、逢坂さんって・・・」

「私らはいいんかい」

「チッ、つっかえねぇ」

その後も日が暮れるまでコンビニに居座って、実も蓋もない会話に華を咲かせていた。





時刻は夕方───
日が傾き、肌に当たる風が冷たくなってきた頃、高須家のインターホンが来客を告げた。
大河が玄関まで来るが、すぐには開けない。
居留守を使って帰ってくれるなら無駄な手間が省けていいと、ドアの前にいる誰かが去るのを待ってみる。
が、再度鳴り響くインターホン。
大河はうんざりしながら、竜児にも引けを取らないほど悪くさせた目つきでドアを開けた。

「よう、逢坂。高須の具合はどうだ?」

「ふぇ?」

吊り上がっていた目が一気に丸くなる。

「北村くん?」

ドアの外には北村が立っていた。
てっきり見舞いを建前に竜児目当てでやって来た誰かが居るものだと思っていたため、意表を突かれた大河。
予想していた心配が杞憂に終わったからか、肩の力が抜ける。

「大変だな、逢坂も。授業を休んでまで看病なんて、中々できる事じゃあないぞ」

「そ、そんなこと・・・これくらい当然よ、とーぜん。竜児、私がいなくっちゃなんにもできないんだから」

「ハハハ、そうだな。おっとそうだった、これ」

思い出したように北村が手から提げていた袋を持ち上げる。
中身は桃缶と、他にゼリーや胃に優しそうな物をいくつか。
風邪にはこれだろうと、行きがけに買ってきたのだ。

「あ、ありがと・・・ぁ、ご、ごめんなさい、今開けるね」

受け取ろうとして、ドアにしっかりとかけられたチェーンに気付く。
いくらなんでも北村なら上げても問題ないだろう、他の連中同様に追い返したりしたら失礼だし、竜児に知られたら怒られる。
大河は一度ドアを閉めると、手早くチェーンを外し、またドアを開ける。

「はい、今だったら竜児、起きてるか」

「おっじゃまっしまーっす」

「おじゃまします」

瞬間、スーっと北村の横をすり抜けて、あれだけ鉄壁を誇っていた高須家に麻耶と奈々子が難なく入ってきた。
続いて北村も入ってくる。

「ら・・・・・・ッ!? ちょ、ちょっと待って!」

───奈々子が放課後まで待っていたのは、なにも授業を優先していたからではない。
一人で行ったところで、竜児の看病をしている大河が入れてくれる訳がない。
麻耶が一緒でもそれは変わらない。
その程度、容易に想像できる。
では、誰なら大河は入れてくれるのか。

「ん? どうかしたのか、逢坂」

「き、北村くんじゃなくって・・・!」

それは北村の他にはいない。
女子も男子も、教師でさえも関係なく、誰が来ようと大河は追っ払うだろう。
だけど相手が北村なら邪険にはしないはずだ。
竜児の手前もある。
だから、奈々子は待った。
実乃梨と亜美に踏みつけにされてしまった北村を介抱してやり、放課後になったら竜児の下を訪れるつもりだと言う北村に
さり気なく自分と麻耶の同行の許可を貰い、退屈な授業が終わるまで待った。
呼び戻した麻耶にもみんなで行った方が高須くんも喜ぶんじゃない? などと言い包め、
渋々頷いた麻耶と一緒に見舞いの品を吟味して購入。
アパートへと来た時もわざと北村と麻耶との間に立ち、階段の途中で止まるとそれ以上前に出ず、
ドアの中からは見つからないように息を潜めていた。
思った通り、大河は北村相手には何の疑いもなくドアを開けて迎え入れる。
その一瞬を逃さず、「行こ」と目配せし、麻耶に先陣を切らせ、奈々子は悠々と高須家へと入ることに成功した。
用意周到の一言に尽きる。

「いやー、それにしてもまるで高須の奥さんみたいだな、逢坂」

呼び止められた北村が振り返ると、ワナワナと体を震わせている大河の姿が。
何か忘れていたのか、それとも知らずに気に障る事でもしていたのかと考えていた北村が、何を思ったのか「あぁ」と頷くと、
全身から怒りを露にする大河にそんなことをのたまう。
期せずして一度は言われてみたかった事を言われた大河が瞬時に般若のような表情を引っ込めて頬を染めた。

「え・・・そ、そかな・・・」

もじもじ、そわそわ。
奥さんという言葉に、人差し指同士を突っつき合わせて照れる大河。
頭の中では大体2〜3年後に設定した竜児との妄想が始まる。
『木原? 香椎? あぁ、学生時代にいたわね、そんなの。
 それよりも聞いて、私ね、二人目ができたのよ。
 今度は女の子だったらいいんだけど・・・うぅん、元気に生まれてくれるんなら、それが一番よね、竜児』
という風に、もう頭の中は竜児一色に染まっている。
そんなドが付くまでにピンク色をした脳に、続く北村の言葉が電流となって駆け抜ける。

「ああ、これなら心配なさそうだ。高須を頼んだぞ、逢坂。いや、ミセス高須」

「・・・・・・・・・っ!」

社交辞令やお世辞というと聞こえが悪いが、北村はそこまで本気で言った訳ではない。
流れというか、ノリというか、ほんの冗談というか。
だから

「・・・逢坂?」

「・・・ごめんね、少しボーっとしちゃってて・・・さ、立ち話もなんだからどうぞ上がってって。
 ちょっと狭苦しいけど、今お茶出すからゆっくりしてってね、北村くん。あの人・・・竜児も喜ぶわ」

「そうか。それじゃあお言葉に甘えさせてもらうとしよう」

軽い気持ちで言ったセリフを、大河が本気にするとは思ってもいなかっただろう。
今だって、お嫁さんっぽく振舞う大河に気付く素振りもない。
素直に家の中へと上がり、竜児の部屋へと入っていった。
パタンと、音を立てないよう静かにドアを閉じた大河は、早る心を抑えて落ち着き払った動作で台所に立つ。
来客にお茶を出しておもてなしをする、よく出来た嫁としては当たり前だ。
よく出来た、嫁。

「・・・えへへ・・・お嫁さん、だって・・・あっ、ちがうちがう、奥さんだった・・・竜児の奥さん・・・えへ・・・えへへへ・・・」

戸棚から盆と急須、茶筒を取り出すと、優雅な仕草で茶葉を一回、もう一回。
茶漉しがいっぱいになるまで入れると、ポッドからお湯を注ぐ。
お湯が並々と急須を満たすまで注ぐとしばし置いておく。
竜児がお茶を淹れる際によくこうやっていたのを、寝ながら見ていた大河は知っていた。
そんな事をすれば、ただでさえ大量に入れられた茶葉が必要以上にお湯に溶けてしまい、飲めたものではないほどに渋っ濃くなってしまうのだが、
これはこうするのだ、という程度の知識しかない大河は全く気付かずに、ふふんと胸を張る。
あれだけ失敗したと思っていたお粥を、竜児はおいしいと、喜んで食べてくれた。
このお茶だってこれだけ茶葉を入れたのだ、上手くできているに違いない。
持っていけば、きっと竜児は褒めてくれるだろう。
そして淑やかに湯飲みを置き、北村と談笑している竜児の隣に自然に寄り添う。
本当に、お嫁さんのように。
いけないいけない、と頬をピシャリ。
緩みきった顔ではお茶を持って行けない、よく出来た嫁は旦那に恥をかかせるマネなんて絶対にしないのだ。

「そろそろいいかしら・・・ん? これ・・・」

と、湯飲みを出そうとして棚の前に立った大河が止まる。
目線の先には普段竜児がかけているエプロン。
こういうのをしていった方がそれらしいかもしれないと、逡巡し、物は試しとかけてみる。
竜児に合わせた丈のため、当然だが、ぶかぶか。
動きづらいし、ちょっと不恰好かもしれない。

「・・・竜児のにおいがする」

が、それらは一切考慮せずに大河の脳内がGOサインを出した。

「よし! 早く持ってってあげよ」

気合を入れ直し、大河は人数分の湯飲みをテキパキと手に取る。
竜児の分と、自分の分と、北村の分とあと・・・
あと?
そこではたと手が止まる。
あとは誰の分だ?
もう一度数え直してみる。
竜児の分。大丈夫、ちゃんと専用の湯飲みを取っている。
自分の分。これも大丈夫、竜児とお揃いの、ちょっと小ぶりな湯飲みがある。
北村の分。問題ない、客用の物がいくつかある。
なら、残りの二つの湯飲みは誰の物にする気だったのか。

「っ!? っ、っ!! ───〜〜〜〜ッ!!!」

思い出した瞬間、大河がその場で頭を掻き毟り始めた。
北村のおだてに気を良くし、あの二人の存在をすっかり忘れてしまっていた自分を今頃になって責めている。
後悔の念が際限なく渦巻く。
せっかく今日は一日中一緒だったのに。
この後だって、夕食を終え、何気ない時間を穏やかに過ごすつもりだったのに。
それをよりにもよって、あんな・・・

「竜児っ!」

こうしてはおれない。
後悔しても遅い、するだけ時間の無駄だ。
今は一刻も早く部外者二人を追い出さなければ。
大河は用意したお茶もほっぽって、竜児の部屋に飛び込む。

「だいじょうぶ、高須くん? 熱とか平気? ご飯、ちゃんと食べてる?
 そうだ、寒かったりするんなら、あたしが暖めてあげよっか。人肌ってすごくあったまるんだって」

「・・・麻耶? 高須くんまだ調子悪いんだから・・・ごめんね高須くん、連絡もなしに来ちゃって」

するとそこにはベッドの上で上半身を起こす竜児と、ベッドに腰かけ竜児の傍に寄り添っている麻耶。
奈々子は北村の隣に座っている。
大河が小さく舌打ちを漏らした。
既に和気藹々とした空気が出来上がってしまっている。
だから嫌だったのだ、他人を家に上げてしまうのは。
ここから追い出すことなどできるはずがない。
あの三人は、竜児の目に触れないところだったから形振り構わず本気の全力で追い返すことができた。
だが、今は状況が全然違う。
何をするにも必ず竜児に知られてしまう。

「なんかあったのか、大河? 大声出したりして」

今のように。

「え? え? ぁ・・・あ、ああ、あの、あのあの・・・お、お茶・・・よ、よくできたお嫁さんはお茶を、その・・・」

図々しくも断りもなしに上がりこんだ上に竜児に馴れ馴れしくしている不法侵入者共をどうにかしようと考えに没頭していた大河が、
かけられた声にしどろもどろになって返事をする。
そこへ、精一杯空気を読んだつもりの北村がフォローを入れる。

「おお、そうだ。逢坂がお茶を淹れてくれたそうだぞ、高須」

「あぁなんだ、そうなのか。大河が・・・なんも持ってねぇみてぇだけど」

珍しく、率先して気の利いた事をしている大河に感心する竜児だが、見た感じ大河は何も持っていない。
何故か愛用のエプロンはしているが。

「そ、それは・・・い、今持ってくるから待ってて」

そう言い残し、不思議そうな顔をしている竜児から逃れるように、大河はその場を後にした。
急いで台所に戻ると、慌てて急須の中身を湯飲みに注いでいく。
竜児と北村、自分の分を注ぎ終えたところで、あの二人の分はどうするべきか迷う。

「・・・・・・あぁ、もうっ!」

躊躇はしたが、結局大河は麻耶と奈々子にも振舞うことにした。
もてなす気なんて毛ほどもありはしないが、こうなっては致し方ない。
大河は計五つの湯飲みを乗せた盆を両手で持つと、中身をこぼしてしまわないよう細心の注意を払いながら歩き出す。
手元ばかりに気が行っているせいで、見ている方がそわそわせずにはいられない、おっかない足取りだ。
それでもなんとかいつものようなドジをせず、竜児の部屋まで運ぶ事ができた。

「はい、熱いから気をつけて、あ、あああな、あな、あにゃ・・・っ竜児、北村くん」

お盆から湯飲みを取ってもらおうとするどさくさに紛れて「あなた」と呼ぼうとするものの、どもりすぎてしまい断念。
受け取る二人は目を合わせて首をかしげる。

「・・・なに見てんのよ、早く取りなさいよ、お茶。要らないんなら言って、すぐ下げるから」

麻耶と奈々子には打って変わって、どうでもよさげにお茶を取らせる。
それだけで早速麻耶が萎縮する。
奈々子も表面上は軽く怯えているように取り繕っており、麻耶と自分に出されたお茶を震える手で受け取る。
と、手の中で波紋を立てる液体を見た奈々子が目の色を変えた。
瞬時にこの後の展開を予想する。
ミリ単位で上がった口角に、大河はおろか奈々子からお茶を受け取った麻耶でさえも気付かなかった───・・・

「濃っ! なにこれ、濃すぎにもほどがあんじゃん!」

「う・・・ん、これは・・・すまん逢坂、俺にはムリだ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

大河が持ってきたお茶を一くち口に含んだ瞬間、全員が一斉にしかめっ面になった。
やはり渋いのだ、これ以上ないほど。
麻耶と北村の率直な評価を最初こそ認められずにいた大河も、ちびりと舐めてみて愕然とする。
二人の言う通り、とてもじゃないが飲み干せそうにない。
それほど酷い味をしている。

「・・・ちょ、ちょっと入れすぎちまったんだな、お茶っ葉・・・気にすんなよ大河、次から間違えなけりゃいいんだからよ」

竜児だけはショックを受けている大河を気遣い、味に関しては触れないでおいた。
しかし、言わずとも分かる。
両手で握り締められた湯飲みを、それ以降竜児は口元に近づけようとしない。
それだけで、伸びすぎた大河の鼻っ柱を叩き折るには十分だった。

「・・・そうね・・・ちょっとだけお茶っ葉入れすぎちゃったみたい・・・ちょっと・・・ちょっとでこんにゃんにならにゃいわよ・・・」

段々と涙目になっていく大河を見た竜児が腰を上げかけるも、それより先に立ち上がる者が。

「あの、迷惑じゃなかったらお台所借りてもいいかしら、高須くん。あたしお茶淹れ直してくるわね」

ここで出なければいつ出るのか。
今まで控えめに控えめに、麻耶のように目立とうとせず、大人しくしていた奈々子がついに前に出る。
切り出すタイミングは申し分ない。
言葉遣いも気取りすぎず、大河のように噛んでもいない。
言いつつも座ったまま、なんていうやる気のない態度でもない。
なにより、そうするのが当たり前のように自然に言い切ることができた。
声がひっくり返りそうなくらい緊張していた奈々子が内心ガッツポーズを取る。
あとは竜児の了解さえ得られればいいのだが。

「いいのか、香椎」

意外にも、竜児は奈々子の申し出を遠慮しない。
申し訳無さそうではあるが。
良い意味で予想を超えた反応に、奈々子は笑みを浮かべた。

「えぇ、お菓子も沢山あるし・・・ていうか、お菓子ばっかりで飲み物がないのもちょっと、ね?」

「・・・悪かったわね、こんな飲めもしないくそまっずいお茶出したりして・・・」

ふて腐れる大河に、そういうつもりで言ったんじゃないのだけれど、と奈々子は困り顔になった。
本当にそんな気はなかったのだが、言い方がそう聞こえてしまったのならそうなのだろう。
事が上手く運びすぎていることに、少々気が緩んでしまっていたかもしれない。
外よりも内に原因を作り、気を引き締め直せと自分自身に言い聞かせ、その問題をとりあえず処理する。
鬱憤が溜まるのは良くはないが、そんな些細なことよりも今は竜児に集中しなければ。

「・・・頼んでいいか? 急須だのなんだのなら、多分流しに出しっぱなしだと思うから」

任された。
抑えようとしても抑えきれない歓喜は、はにかんだ笑顔から少しばかりこぼれ落ちる。
本当は、遠慮されてしまうんじゃないかと思うとビクビクしていた。
しつこい女。
そう思われたくはなかったから、申し出を断られたら素直に下がろうと思っていた。
そうやって、逃げ道を作ろうとしていた。

「うん」

けれどそこで引いてしまったら、たとえそれが小さな一歩であっても容易には埋めることができなくなる。
想いにばかり身を馳せていても、それは前進にはならない。
遅れは誰よりもとってしまっている。
だから

(・・・やった・・・)

ほんの、一歩。
小さな小さな一歩の、籠められた勇気を、その重さを。
進んだことを。
早鐘を打つ胸に手を添え、奈々子は噛みしめていた。

自宅で淹れるそれよりも、ちょっとだけ丁寧に要れたお茶は、甘みがきいていたように思えた。





あれから数時間が経ち、辺りはすっかり暗くなっている。
街灯が照らす道を、どんよりとした影を纏わりつかせて歩いている男が二人。

「やっと帰ってったなー、みんな。どんだけ居座ってんだよ、見舞いで」

「しょうがないだろ。木原が帰りたくないって駄々こねるし、しかもゆりちゃん達までもっかい来るんだもんよ・・・」

北村を始め、全員が帰ったのを影から見ていた能登と春田は、間隔を開けてから帰路についた。
表であれば言い逃れはいくらでもできそうなものだが、まぁ、会わないに越したことはない。
気温がぐんと下がり、早く暖房のきいた自室で泥のように寝てしまいたいが、仕方ないだろう。
白く色づいた溜め息を吐き、肩を落としながら、二人は自宅への道を歩いていく。

「まあなー・・・タイガー超キレてたし、その後だって酷かったし・・・」

「あれがなけりゃあ、もうちょっとは早くお開きになってたんだろうけどな・・・」

二人が疲れているのは、長時間による張り込み活動によるものであるが、
その中でもとりわけ強く感じている疲労の元は、ラスト一時間の間に起こった出来事が関係している。
話に出ている通り、結託したゆり、実乃梨、亜美が、高須家への強行突入を図ったのである。
最初三人は玄関のドアをブチ破らんばかりの勢いでいたが、何故かドアには錠もチェーンもかかっていなかった。
ミセス高須という言葉に浮かれ、更によく出来た嫁になろうと茶を淹れる事しか頭になかった大河は戸締りを怠ったのだ。
強行突入は割かしすんなりと成功したが、これにはもしや罠でも張っているのか? と怪しいものを感じとり、
勘ぐってしまったゆり達。
しかしそれならそれで、囮と盾なら二人もいるではないかと、自分以外を潰すいい機会とも言える。
白々しい仲間意識をお互い煽りつつ、三人が足音もなく家の中へと忍び込むと、そこには談笑している竜児と北村。
麻耶は相変わらず竜児の隣であれやこれと世話を焼きたがり、奈々子はそんな麻耶を時折窘めたり、竜児を気遣うようにしながら、
近づきすぎない距離で腰を落ち着けている。
大河が待ち伏せしていると思っており、恐々としていた三人が和やかな空気に拍子抜けした一瞬気を取られた隙に、
よく出来た嫁ポジションを完全に奈々子に奪われてしまい、
輪に入らずに一人でふて腐れていた大河が新たな侵入者三人の存在に気が付いた。
一度追い払ったにも関わらずまたもややって来た事、のみならず勝手に上がりこんでいる事、なにより溜まっていたストレスを爆発させて
激昂する大河にたじろぐものの、竜児が間を取り持つとすかさず昼間の事で三人は泣き付いた。
『せっかくお見舞いに来たのに、なのに逢坂さん、帰れって・・・あんまりだわ。先生、本当に高須くんが心配だっただけなのに』
『私も・・・大河、入れてくれないばかりか暴力まで・・・うぅ・・・親友だと思ってたのって、私だけなのかな、高須くん・・・高須くぅん!』
『亜美ちゃんと高須くんの赤ちゃんができる大切な場所を、あいつ本気で殴りやがったのよ・・・信じらんない・・・』
と言った具合に。
今度は大河がたじろぐ。
三人の口から出てくるのは、説明の仕方はともかく誇張や脚色の類はされていない、誤魔化しようのない事実だからだ。
してきた事が詳らかになるにつれ、誰の目にもやりすぎだと映っている。
だが、開き直った大河は看病という大義名分を振りかざし、事情を聞こうとする竜児を無視し、この場をもって全員に帰るよう言い渡す。
これには女性陣全員が断固として反対、逆に大河の過剰な独占を弾劾することで一致。

女性特有のネチネチとした妬み嫉みに次第に追い込まれていった大河は、それでも自分はただただ竜児の身を案じただけ、
看病のためにそうしたのだ、何ら咎められる謂れはない、ばかばかばかと、自己の正当性を主張し続けた。
と、それまで急に咳をしだした竜児の背中を撫で摩っていた奈々子がポツリと呟いた。
『タイガーの言い分だと高須くんの看病をしてる人の言う事は聞かなくちゃいけないみたいだけど、
 それって高須くんを看病してれば誰でもそうしていいって事かしら』と。
沈黙、一拍置いて大河以外の全員が賛成と声を上げる。
そこからは一気に竜児の看病権を巡っての大争奪戦へと発展した。
いつしか勝者は竜児の嫁の権利までも得られるという物にすり替わり、それを耳にした途端に独神、覚醒。
はだけさせた胸元、強引に引き裂いて作ったスリットから覗く脚など、歳も教師らしさもかなぐり捨てて「オンナ」をフルに使い、
重ねた年齢と共に培った経験でもって、あの亜美を以ってして赤面するほどのアプローチを見せた。
そして手段を選ばなくなった者が一人でも出れば、感染するように全員が手段を選ばなくなる。
お見舞いで看病という冠のついたお祭り騒ぎは、奈々子の他には唯一冷静さを保っていると思われていた北村がキャストオフするまで続いた。

「北村のヤツ、マジでなにしようとしてたんだろ。あそこで脱ぐって何狙いだよ・・・ひょっとして、本当に高っちゃんねら」

「余計な事は考えんな。考えると恐い事しか浮かんでこないぞ」

熱か何かに当てられたことにしておこう。
断じて他に理由を見出してはならない。

「ぶぇっくしょん!」

「きたな・・・お前、するんならあっち向いてしろよ」

不意に、盛大なくしゃみをした春田。
隣を歩く能登が注意するが、春田のくしゃみは中々止まらない。
どうやら風邪を引いてしまったようだ。
丸半日もの間、こんなに暗くなるまで寒空の下にいたのだから、無理もない。

「ずず・・・うー、さみぃ・・・あ〜、明日休みてーな〜もう」

「それは春田の勝手だけど、お前が休んでも誰も見舞いに来ないと思うよ」

辛辣な言葉にちょっとだけ傷付くが、春田はそれ以上不愉快な感情を感じない。
辛いが、現実とはそういうものだ。
それは春田だって十二分に承知している。
異常なのはあっちの方、こっちの方が正常だ。
しかし、人恋しさはまた別。

「そんなのわかってっけどさー・・・能登くらいは来てくれるよな? な?」

「まぁ、ヒマがあれば」

なんだよーと、鼻水を垂らしながらボヤく春田。
それでも、あれよりはマシかと思い直す。
竜児のように女性陣に揉みくちゃにされるというのも魅力的ではあるが、当の竜児は死神の鎌を首にあてがわれたような顔をしていた。
ならば一人で静かに寝ている方がいいじゃないかと、頷く。
結局はその日の内に春田の風邪は治まるので、翌日にはピンピンして登校するのだが。

「んじゃ、おみやは亜美ちゃんの写真集かなんかで頼むなー」

「だからヒマがあればな、あれば・・・それにしても、今日はずいぶんと頑張ってたよな」

「え? 俺、なんかしたっけ」

「アホ、春田じゃなくて奈々子様だよ」

「あぁ〜、確かに」

声と物音だけしか分からなかったが、それでも今日の奈々子は積極的に動いた方だというのが分かる。
以前は偶然隣に座れただけでもう満足していたのが、見舞いとはいえ家にまで来れたのだ。
地味ながら、竜児の好感度を上げようと自分から前にも出れた。
他の面々と比較すると亀のような遅さではあるが、それでも一歩進めたことに違いはない。

「・・・けどよ、俺らがこれやんなくなるまでってなると、まだまだ遠そうだよな・・・」

「・・・ただでさえキビシイんだから、ガンバってもらわないとな、もっと・・・」

大っぴらに何かをする事ができない能登と春田の二人には、せめて奈々子の奮闘と善戦と、
手にするノートの数字がこれ以上大きな物にならないように願うだけだった。






──────奈々子の自室──────
残業で遅くなるという父親のために、レンジで温めるだけで食べられるよう夕食を用意し終えると、奈々子は自室に篭った。
机に向かうと、またも間が空いてしまった手帳を広げる。
いつもなら読み返してばかりの手帳。
書きたいことは、色々とある。
だが、日付を書いたところで、何故か手が止まった。

───『うまい』

「・・・ふふ」

それも束の間。
今日を思い返すその顔は、時折微笑を浮かべ、紙面を滑るペンは止まることを知らないように動き続ける。
家まで行けた。部屋にも入れた。
それは小さな一歩かもしれないけど、奈々子からしたら大きな一歩。

「おいしい、かぁ・・・」

大河の淹れた物よりも酷いお茶を出す事の方が難しいだろうが、やはりおいしい、と。
その一言は、嬉しい。
そう言ってくれたのが竜児なら、なおさら。
また、奈々子の手が止まる。

「・・・おいしい、だって・・・」

───今度はもう少し、凝ってみようかな。

その今度は、いつだろうか。
できれば近い内がいい。
明日も竜児が学校を休むようなら、また見舞いに行こう。
次は紅茶にしようか。
それとも、知識はないけど、勉強して中国茶でも挑戦してみようか。
やっぱり日本茶の方が落ち着くかも。
そこで、気が付く。
なにもお茶にこだわる必要はなかった。
なんだかおかしくなり、つい吹き出してしまう。
ひとしきり笑うと、何を持っていけば喜んでもらえるのか、奈々子は考えに耽る。
大抵の品は今日だけで持ち込まれてしまっていたし、あまり奇を衒った物は避けたい。
印象に残るだけでは意味がない、良い印象じゃなければなおのこと。

───・・・手作りの物じゃ、重いかな。

そこで、また気が付く。

「・・・だめね、もぅ・・・これじゃ、なんだか高須くんにずっと風邪引いててほしいみたい」

ふっと、それまでの自分を少し離れて見ていたような、冷めた部分が顔を覗かせる。
高揚としていた気分が一転した。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

紙の上に浮かぶ文字を指でなぞる。
綴られた文字の中では、竜児、竜児、竜児。
目に見える距離ではなく、目に見えない距離を詰められた今日の、竜児との思い出。
浅はかな考えに囚われていた心が、少しだけ晴れた気がした。




「はい竜児、あ〜ん」

「・・・ぅ・・・ご、ごっそさん・・・うまかった・・・」

「もういいの? 足りないようなら、おかわり作ってこようって思ってたんだけど・・・」

「いや、いい・・・もう十分だ、腹いっぱいだよ」

「そう・・・まだ調子悪いんならちゃんと言いなさいよ。竜児、そういうのいっつも言わないんだから。
 だから今朝だって、あんなになるまで・・・」

「・・・大丈夫だって、熱だって大分引いたしよ。何からなにまでありがとうな、大河」

「・・・うん・・・早く良くなってね、竜児・・・あ、そうそう、すぐ戻ってくるけど、私一旦帰るわね」

「・・・? 何でだ?」

「なんでって・・・だって、着替え取ってこなくっちゃいけないでしょ。このまんまじゃ寝れないじゃない」

「待て。お前、泊まってくつもりなのかよ。別にそこまでしなくったって」

「いいのよ、私がいいって言ってるんだから、いいの。それに・・・竜児のこと、心配なんだもん・・・」

「・・・大河・・・」

「・・・すぐ帰ってくるから、そんな寂しそうな顔しないでよ、もぅ・・・じゃ、行ってくるね」

「あ、おい・・・はぁー・・・」

「お待たせ〜竜ちゃん、ご飯できたよー。今度はね、栄養つくようにってね、卵のお粥にしたの。
 えっへん、やっちゃん気配り名人」

「・・・悪いな、店まで休ませちまって」

「うぅん、竜ちゃんはそんなの気にしなくってい〜いのぉ〜。早く風邪治してくれるのが一番なんだから。
 それよりもぉ、大河ちゃん帰っちゃったみたいだけど」

「あぁ、着替え取りに行ってくるってよ。すぐに帰ってくるんじゃないか」

「そうなんだぁ・・・なら、早くこれ食べちゃお。
 朝もお昼も、さっきもそうなんだけどね、やっちゃんがお粥作ってるとなんだか大河ちゃんすっごく嫌そうな顔するんだもん」

「俺がそれ食ってる間なんてもっと酷かったぞ、足まで抓られたし・・・なんなんだろうな、あれ」

「ねぇー。ふ〜、ふ〜、はぁい竜ちゃん、あ〜ん」

「・・・うめぇ・・・ホントにうめぇ・・・」

「喜んでもらえてよかったぁ。どんどん食べてね、竜ちゃん。ふ〜、ふ〜、あ〜ん。
 ・・・あ、そういえば・・・さっきね、大家さんに変な話聞いたの。今日不審者さんが出たんだって、この辺り」

「へー・・・どうせ空き巣かなんかだろ。うちには関係ねぇな、盗られて困るのなんてインコちゃんぐらいだし」

「ふ〜、ふ〜・・・その不審者さん、ずっとこのアパートの裏にいたんだって・・・あ〜ん」

「・・・マジかよ」

「まじまじ。お隣さんがね、ずーっと話し声がするから変だなーって見てみたら、男の人が二人いて、コソコソなんかしてたんだって。
 さっき大家さんがお巡りさんと一緒に注意するようにって言いに来てぇ、それで教えてもらったの」

「そいつら、捕まったのか」

「うぅん、まだみたい・・・ふ〜、ふ〜・・・やだなぁ、なにしてたんだろ・・・気持ち悪いなぁ、もう・・・」

「・・・戸締りだけはちゃんとしとけよ。昼間なんて、泰子一人で寝てんだから」

「うん・・・ね、それでなんだけどぉ・・・今日ね、一緒に寝てもいい・・・? なんだか恐くなってきちゃった・・・はい、あ〜ん・・・だめぇ?」

「・・・それは、ちょっと」

「そうよ、だめよやっちゃん。私が一緒に寝るんだから」

「それもさすが・・・に・・・───っ!?!? ・・・お前、い、いつからそこに・・・」

「・・・ねぇ竜児? 私言ったわよね、おかわり作ってあげようかって・・・そしたら竜児、お腹いっぱいって言ってたわよね。
 あぁ、きっとそのすぐ後にお腹空いちゃったのね。そうなんだ、なら仕方ないわね。うん、そういうの私もよくあるし、それはもういいわ。
 ウソ吐いただなんてぜ〜んぜん、これっぽっちも思ってないから、だから竜児も気にしないでいいのよ。
 それだけ良くなってきてるってことなんだろうから、良いことじゃない。でも・・・・・・」

「た、大河・・・? ・・・あの、俺の話を・・・」

「・・・ほんとにおいしいって・・・あれ、どういう意味よ・・・まるで私のお粥は本当はおいしくなかったみたいに聞こえてしょうがないんだけど・・・
 それになんでやっちゃんにあ〜んしてもらってるの・・・ふ〜ふ〜まで・・・ふ〜ふ〜・・・・・・」

「・・・お、落ち着け、大河。これは・・・なんていうか・・・慣れっていうか、もうどうでもよくなったっていうか」

「それはそうと、竜児? あんたもう眠いわよね」

「・・・な、なんだよいきなり・・・」

「だから、もう眠いでしょ? ご飯もお腹い・っ・ぱ・い! 食べたものねぇ。それならちょっと早いけど、今夜はもう寝ましょ」

「いや、ちょっとって・・・まだ九時にもなってねぇし、俺一日中寝てたからそんなに眠くもねぇんだけど・・・」

「そんなはずないわ、竜児は眠いの、眠いに決まってる。だから私が寝かしつけてあげる。ついでに私も寝るわ、一緒に。
 今日はずーっと竜児の看病してたから疲れちゃった。あー眠い眠い。ほら、さっさと寝るわよ、竜児。
 ・・・さっきの事は、ぴろーとーくでゆっくり聞くことにしたから。今夜は寝られると思わないことね」

「寝んのか寝ないのかどっちだよ!? しかもお前それ絶対使い所間違ってるぞ!? ・・・や、泰子、なんとかしてくれ!」

「えっとぉ〜玄関の鍵はかけたしぃ、雨戸も閉じたしぃ、ガスの元栓も切ったしぃ・・・」

「イー! いぃ、いいいいぃ・・・いぃ〜んぅ〜・・・・・・ぽっ」

「あ、インコちゃんのカゴにシートしてあげてー・・・はぁい、おやすみぃ〜インコちゃん。
 戸締りはこれでいいしぃ・・・うん、だいじょぶ。それじゃ寝よっか、竜ちゃん。
 あっ、大河ちゃんはやっちゃんのお部屋とお布団使っていいよぉ〜。やっちゃんは竜ちゃんと寝るから」

「・・・竜児、私頭が痛くなってきたわ。それに寒いし、きっとあんたの風邪がうつったのよ。
 責任取ってしっかり暖めなさい、キツく抱きしめてね」

「頭痛ぇのは俺の方なんだよ、いろんな意味で・・・なんか熱までぶり返してきたかも」

「たぁいへ〜ん。竜ちゃん、もう寝よ寝よっ」

「あっ、ちょっとやっちゃん!? 待っ・・・脱ぐなぁぁぁあ!」

「ぐぇっえ・・・いい、いぃぃいいい・・・いんぽ、いんぽ・・・いんぽ・・・?」

                              〜おわり〜

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