竹宮ゆゆこスレ保管庫の補完庫 - ローマの祝日5ローマの平日3

「ねぇ、竜児〜。 そんなの亜美ちゃん、見たくない。」
「そう言うなよ。 お前は何度も見てるかもしれねぇが、俺は初めてなんだからな。」
まぁ、日本国内での大騒ぎが嫌で、こっちに避難してきた亜美の気持ちを考えると、この反応はわからないでもない。
トラステベレの古ぼけたアパートに、唯一と言っていい最新装備。
日本から持ってきた俺のノートパソコンに、『ばかち〜』と書かれたDVDを挿入する。
このDVDを俺に送ってくれたのは、逢坂大河だ。
って、そんな説明はDVDのタイトルを見た時点で必要ないか。
いまや日本を代表する人気女優である川嶋亜美を、『ばかち〜』などと斬って捨てるのは世界中で一人しか居ない。
その大河が、わざわざ俺に見せるために、日本国内で放送された、件の映画のジャパンプレミアの特集番組をDVDに入れ
て送ってくれたのだ。
なんだかんだ言っても、大河はお人好しで優しい奴だ。
大学では、様々な人間に出会い、大河自身もかなり成長できたと言っていたが、添えられた手紙を見る限り、そんな実感は
これっぽっちも湧かない。
曰く、『イタリアじゃ見れないだろうから、撮っておいてあげたわ。 飼い犬思いのご主人様に死ぬほど感謝するのね。 まぁ、
エロ犬同士、せいぜい盛ってなさい。』
なんていうか、ついにやけちまっても仕方ねぇだろ、これは。

映っている映像は、ジャパンプレミアのインタビューの様子と、観客へのインタビュー。 そして、例の絶叫告白シーンを交え
ての亜美へのインタビュー。 亜美はいつものように余所行きの顔を上手く作れずに四苦八苦しているのが、俺にはわかる。
なるほど、これは可愛い。 それで、俺に見せたくなかった訳か。
亜美は顔を赤くして、すねたようにそっぽを向いている。 眼福、眼福。
「…なによ。」
「いーや、なんでもねぇ。」
「おう、そういえば…」 思い出した。 DVDにはもう一枚、亜美宛で大河のメッセージが添えられていたんだった。
「?」 「これだ、これ。 大河からお前にらしい。」 「なにそれ?」 「まだ見てねぇからなんとも…」
亜美が一枚の写真が添えられた便箋をカサカサと開く。 
中を見たとたん、亜美から怒りのオーラが立ち上ったが、それも一瞬。
「ぷっ… くっくっくっくっく… あははははははははは」
写真は雑誌に載ったらしい、俺と亜美のキスシーン。 そして、便箋にはバカでかくたった3文字。
―――― 『ステイ』


      ローマの平日 tre


「しっかし、本当に、お前らって変だよなぁ。 仲が良いんだか、悪いんだか…。」
「ん〜〜 犬虎の仲?」
「なんだそりゃ。」
「ふふふふ。 どうなんだろうね? 実際、あれ以来一度も会ってないのに、手紙見ると昨日別れたみたいに思い出せる…。」
「お前が転校した後、暫くの間大河は機嫌が悪かったんだよな…。」
「…そうなんだ。」
俺の顔にモザイクがかかった写真を見ながら、すこし気乗りしない様子で応える亜美。
「手乗りタイガーか…。 みんな、どうしてるのかな…。」
「そうだな。 たまにはあの頃のみんなで集まってみたいもんだな…。」
「もうすぐ春だし、そうね、花見なんかいいかも。 たまには竜児も日本に帰れないの?」
「修行中の身だからな。 そういうのはきちっとしたい。 確かに会いたいとは思うんだが。」 
「あはっ 竜児らしいよ、そういうこだわり。 ……それにしても、花見なんて最近ずっと行ってないや…。」
「それじゃ、明日は二人で花見でもしてみるか?」「え? まだ3月になったばっかだよ? いい所あるの?」
「任せとけ。」 花見って言ったら…。 よしっ。
「やはり、あそこしかないな…。 アーモンドやユダの木のほころび具合から見ても丁度だろう。」
「どこ?」 
「EUR ―エウル― だ。」

ローマの地下鉄にはおおむね東西に走るA線と、南北を結ぶB線がある。
そして、今日の目的地、EURに行くにはB線を使う。
俺達のいるトラステベレからはピラミデ駅が一番近い。
「地下鉄B線って初めて乗るかも。」
「そうだな。 いつもは歩いちまうからな。 それに観光目的だと、A線の方が便利だしな。」
「降りる駅はなんて駅だっけ?」
「エウル・フェルミ駅だ。」 「らじゃ。」
亜美も最近はローマに慣れっこになってきた。 片言のイタリア語も覚えたし、こうして出歩く時には、バッグなどは持たず、
時計なんかも安物?を着けている。 
まぁ、その安物ってのもヴェルサーチのVグラムだったりする所の感覚はオカシイがな…。
ピラミデ駅に行く前に量り売りのワインも購入した。 瓶詰めじゃなくても売ってくれるので、こういうピクニックの時などには
便利で、かつミネラルウォーターよりも安い。
「EURってのは『 ローマ万国博覧会』の略称で、本来は万博のために作られた計画都市だ。 当時イタリアはムッソリーニ
のファシスト党が牛耳って、独裁政治をやっていたから、コスト度外視で作られてる。 大理石の巨大な列柱などは、今では
とても作れないだろう。 幾らかかるかわからんからな。 特に労働省の建物は見ものだ。 まだ未完成だが、かなり前衛的
で、有名なコロッセオのアンチテーゼ的な面白さがある。 また住宅街は省庁が置かれた中心部とはうって変わって、伝統
的な石畳と、曲がりくねった道で構成され、緑もふんだんに使われていて…… 亜美?」
寝てやがる…… せっかく俺が解説してるってのに……。
そうこうするうち、エウル・フェルミ駅が近づいた。
「おい、もうすぐ着くぞ。」 軽くゆすると、お姫様はぱかっと目を開く。 さては、狸寝入りだったか…。
まぁ、確かに、女子には薀蓄は嫌われると雑誌に書いてあった気もする。 今度は自重することにしよう。
駅から降りると、すぐ傍にはエウル人造湖がある。
ここが今日の目的地だ。
ここにはイタリアで唯一、ヨーロッパでも数少ない『あるもの』が存在する。
「……うわ…… もう咲いてるんだ…。」
「おう。 今年は例年より10日以上早い。 ここ最近暖かだったからな。」
「これって、アーモンドじゃないよね? 桜?」
「おう。 ソメイヨシノだ。 今日はここでピクニックとしゃれ込もう。」
「うん、うん!」
亜美は水辺に向かって走り出す。 こういう所は亜美の数少ない子供っぽい所だ。
「この季節のローマは天気が変わりやすい。 一日晴れる日は少ないんだが… 今日はずっと晴れるようだな。」
「そーんなの、決まってるじゃん。 だってぇ、女神様がついてるんだよ?」
こういうナルシストな発言が出る時は、亜美の調子がいい証拠だ。
『日本の散歩道』と名付けられた並木は、決して長くは無いが、花は今が一番の見所のようだ。
「この時期はローマ在住の日本人が大勢くるんだが、今日は平日だからな。 ガラガラだ。」
「へー。 そうなんだ。 やっぱり、日本人にとって桜って、特別な花なんだね。」
「そりゃ、日本の国花みたいなもんだからなぁ…。」
湖沿いの散策路を歩き始めた俺の腕に、亜美が張り付く。
俺が人目を気にするせいで、こういう人目が少ない時は、それこそ乳首の突起がはっきり解るほど胸を摺り寄せてくるのには
すこしばかり難儀する。
さすがにここローマじゃ、桜の木下に茣蓙をすいて宴会ってわけにはいかないが、近くのベンチに腰掛けて、持参したワイン
で乾杯する。
「安物でも、こういう状況だと美味しく感じるよ。」
普通のカップルがどうなのかは知らないが、俺達はこうしてゆっくり時間が過ぎるのを楽しむのが好きだった。
俺をからかう時以外の亜美は、決して口数の多い女の子ではない。
モデルや、女優という職業柄、派手な印象を持たれがちだが、こっちの静かな姿が、本来の亜美なのかもしれない。
「さて、他にもアーモンドやユダの木が花を咲かせているし、湖沿いを散歩するか。」
そうして、小さなピクニックが始まった。

「あれ? これも桜みたい…」
はてな顔で聞いてくる亜美。
「それはセイヨウスモモ、いわゆるプルーンだ。」
「へぇ。 竜児って、こういう無駄な知識は豊富だよね。」
「そういうお前は、人を悪し様に言うのにかけては天才だな。」
「え〜、そんな事ないって。 正直な、だ、け。」
「へいへい。 まー、記憶喪失になった時は焦ったが、無駄な知識に限って無くならねぇもんらしい。」
「…………」
「ん?、どうした?」
「そういえばさ、あの後、どうなったの? 記憶。 全部戻ったの?」
そういえば、亜美は途中で転校しちまったんだった。 だから、事の顛末を知らないのか。
「いや、全部は無理だった。 っていうか、俺自身がこれ以上はいいかなって思っちまったって言うか…」
「そう、なんだ。」
「…そう、だよ、ね。 でなきゃ…あたしの事…。」
その時の亜美の声は小さくて聞き取れなかったが、その表情は悲しげで、あわてて俺は話をつなげる。
「なんでか、お前の事は思い出したぞ! いろいろと。 …なんだが…お前には正直、ちょっと言いにくかった。」
「どうして?」
「いや、俺は知らず知らずのうちに、お前のこと傷つけちまってたんだなって…。 けど、お前はいなくなっちまって…。」
「それって、同情?」
「いや、最初はそうかと思ったんだが…。 違ってた。 ま、まぁいいじゃねーか、そのうち話す! 今は勘弁してくれ。
恥ずかしすぎる。」
「ふふふふ。 そっか。 じゃ、亜美ちゃん、優しいから、許してあげる。」
「おう。 た、助かるぜ…。」

そんなやり取りをしながら、湖を一周する。 エウル・フェルミ駅の対岸から桜並木を眺める場所で昼食を取った。
「今日のメニューはピザサンド・高須スペシャルだ。」
「おー、早速盗んだのね?」 「人聞きの悪いことを言うな。 改良したんだよ。」
「お前でも食べやすいように、やや薄めかつ、小さく切ってみた。 チーズもやや控えめだ。 トマトソースにパルミジャン
チーズで香りをつけ、ハムの代わりにアーティチョークのワイン蒸しを挟んでみた。 どうだ?」
「うん。 わりとあっさりしてて、美味しい。 こういうの工夫できるって、やっぱ凄いよね…」
「まぁ、一応、これで食っていくつもりだからな。 イタリアまで来て腕を上げれなかったら、それこそ、しゃれにならん。」
「それが竜児の夢だもんね。」
「確かに夢の一つではある。 だが、あの時の言葉は撤回しないぞ。」
「嬉しいんだけどさぁ、あたしにも何か手伝わせてよ。 あたしだって、竜児の役に立ちたい。」
十分、役に立ってる。 お前の笑顔が見れるから、俺は何があっても頑張れる。 だが、亜美が言うのは違うんだろう。
おそらく、もっと形のある何か。
だが、俺にもそれは思いつかない。
けれど、別に急ぐ必要は無い。
「今は、特に思いつかないが、いつか必ず、お前にしか出来ないことが見つかると思うぞ。 その時まで、お前の助けは
取って置いてくれ。 ほら、芝居じゃ真打ってのは最後に登場するもんなんだろ?」
「…ばっかじゃね。 今時、そんな決まりなんてねーっつの。」
「ま、慌てなくてもいいだろ、どうせ俺達、ずっと一緒なんだからよ。」
つい、無意識に口走った言葉は…
硬直した亜美の頬を桜色に染め上げる。 ――― ここ、エウルの桜よりも更に美しく。

それは……最高に幸せな、そんなローマの点描。