竹宮ゆゆこスレ保管庫の補完庫 - 翼をください
206 翼をください sage 2010/03/23(火) 03:01:59 ID:tNN2sMmP






 奇蹟はまるで、翼をはやした小悪魔の様で。
 翼をもたないあたしたちは、小悪魔の気まぐれを指をくわえながら待ちぼうけするしかない。
 若しくは、蝋で固めたイカロスの翼で飛ぶしかない。
 
 †

 外に出ると、きんきんに冷えた空気が無数の針となって体を刺してくる。
 コートを羽織る事なく、ドレスのまま外に出た川嶋亜美は、均整のとれた体をぶるると震わせて、けれどパーティー会場の中に戻ろうとはしなかった。
 大橋高校の体育館を使用したパーティー会場は、それなりに防音設備が整ってはいるけれど、それでも聖夜を謳歌する声が外まで漏れていて。
 亜美を更に冷たい所へ、冷たい所へと追い立てる。
 逃げる様に、体育館を離れる。行き先なんて、彼女自身にも分かっていないけれど。
 ふと、空を見上げた。広がる伽藍は濃淡な藍色。それは闇よりも尚。
 薄い雲がぽつぽつとかかってはいるものの、適当な星を探す分には困らなかった。
 小さな、無数の星。その一つ一つに名前が付いているのかもしれないけれど、亜美には何一つ分からない。
 何度か撮影や旅行の際に行った、田舎町で見上げた星と比べて此処から見上げる星は、量も少なく光も弱い。
 けれど、今の亜美にはその光さえ、遠く、眩しい。
 何となく卑屈な気分になった亜美は、そっと顔を伏せた。
 なんなのだろう。
 亜美は、心の中で呟く。
 あたしは、一体何のためにここにいるんだろう。
 普段の彼女ならば、鼻で笑う様な疑問。
 実際に、彼女の唇は歪んでいた。普段とは性質が違ってはいるけれど。
 彼女の体の中には、言いようもない虚脱感があった。
 ほんの数十分前までは怒りがぐるぐると渦巻いていたはずなのに、今ではすっかり萎んでしまい、そこにはただ、大きな穴がぽっかりと覗いていた。
 学校のイベントだ、アルコールなんて一滴も摂取していないのに、頭は重く、まるで自分が自分でないかのよう。
 もしかしたら、この日この夜独特の周囲の雰囲気に酔ってしまったのかもしれない。
 らしくもない事を考えてしまうのは、きっと、そのせいだ。
 だから、きっと。
 明日になれば、あたしは、また元のあたしにも出る事が出来る。
 そんな事を考えながら、俯きがちにとぼとぼと歩いていると、いつの間にか校門の傍まで来てしまっていた。
「――っ」
 何となく舌打ち。こんな所へ来て、どうすればいいのだろう。
 少なくとも、今ははまだ体育館には戻りたくない。
 けれど、校門を出てしまったところで他に行くところなんて有るはずもなかった。
 こんな恰好で外をうろつくわけにもいかないし、何よりそろそろ風邪をひいてしまいそうだった。
 休業中ではあるけれど、年始には撮影の仕事が入っていた。今風邪をひいて、寝込んだりなんかしたらスタイルとかコンディションとか問題が生じてしまう。
 それは、一般人には些細かもしれないけれど、亜美にとっては大きな問題だった。


 はあ、と溜息をこぼす。
 口から漏れ出た呼気が、白く光る。けれど、呼気さえも空には届かず、あっという間に溶けてしまった。
 その様子を何処か遠い所で眺めていた亜美は、やがて寒さに耐えきれなくなったかのように、両腕を抱いて踵を返した。
 その途中に、校門が視界に入ったのは、果して、彼女にとっては僥倖だったのかもしれない。
「?」
 一瞬だけ視界をかすめたものが、何となく気になった亜美はもう一度校門を振り返り、じっと目を凝らした。
 視線の先、校門の麓。
 何か奇妙なものが、倒れていた。
 ――人、だろうか。それにしてはむっくりとして大きく見える。
 無意識に、亜美はソレへ向かって足を踏み出していた。一歩。また一歩。
 ソレとの距離が近くなるにつれ、次第に全貌が明らかになってくる。
 きぐるみ。何の動物かまでは分からなかったけれど、それはきぐるみに身を包んだ人間のようだった。
 きぐるみを着た人間が、何で校門の前に倒れているのだろう。
 不審に思いながら、亜美の歩みは止まらなかった。
 気持ち恐る恐るになりながら、けれど歩みの速度は変わらず。
 さらに数歩歩いたところで、きぐるみ人間の顔が微かに見えた。
「高須君?」
 薄暗い夜のベールに覆われていてはっきりとはしなかったけれど、亜美にはその人物を特定する事が出来た。
 彼女が無意識に呟いた言葉が聞こえていたのか、視線の先の人物がゆっくりと亜美の方を向いた。
「……川嶋か」
 竜児の顔がはっきりと見える様になった頃、竜児が亜美の名を呼んだ。
 竜児の生気のない声に、亜美は眉をひそめた。
「どうしたの?」
「……そんな恰好で、寒くないのか」
 亜美の問いかけに応えず、竜児が問いかけてきた。
 その事に、またむくむくと怒りがこみ上げてくる。
「だとしても、アンタには関係ないし」
 ぶっきらぼうに答えて、ぷいとそっぽを向いた。
「はは、そりゃそうだ」
 竜児の笑い声は弱弱しく、何処か痛々しくも聞こえた。
 亜美は、どうしたのかもう一度聞こうとして開きかけた口を閉ざした。
 大の字になっている竜児に更に近づいて、顔を見下ろした。
 そして辺りを見渡し、ふーん、と呟いた。
「もしかして、振られた?」
 それは何の根拠もない全くの勘ではあったが、竜児の反応を見て亜美はそれが図星であると悟った。
 面白い顔をして見上げてくる竜児に、少しだけスッとした気持ちになりながら、
「それで、どっちに?」
 今度は、亜美の質問の真意を測りかねたような顔。
 亜美にとってはそれだけで十分だった。
 意識せず、彼女の表情はいつもの悪戯っぽい笑みが宿り始める。
「実乃梨ちゃんなんだぁ」
 竜児の目つきの鋭い顔が、ぐにゃりと歪みかける。
 泣くか、と亜美は思ったが竜児の瞳から涙がこぼれる事はなかった。

「というか、高須君、告白する勇気あったんだ」
「……してねぇ」
「は?」
「告白してねぇよ!」
 竜児は少しだけ声を荒げ、
「告白する前に、振られたんだよ……」
 直ぐに声は萎み、表情からも覇気がなくなっていく。
「告白する前に……ねぇ」
 亜美にも段々と、事情がはっきりとしてくる。
 結局のところは、そう。
「揃いも揃って、大怪我しちゃったわけだ」
 一言で言えば、そう言う事なのだろう。
 実乃梨ちゃんのやりそうなことだ、亜美は小さく肩をすくめた。
 亜美の目から見ても、実乃梨は竜児に惹かれているように写った。
 そして、もう一人、逢坂大河も。
 大河を探しに行ったはずの竜児が、今は実乃梨に未遂とはいえ告白し、そしてここに倒れている。
 実乃梨も大河も。お互いにお互いの事を思って。
 ほらね。亜美は胸のすく思いだ。やっぱりこうなった。
 あんな歪な関係が、長く成立できるはずがなかったのだ。
 子供のおままごとのような関係。それはある意味強固で、そして脆い。
 亜美はそんな関係が、妬ましく、そして羨ましくもあった。
 あたしの言うとおりになったのに。きっとこのバカな男は、今になってさえ何にも理解できていない。
 どこか遠い所から、亜美は竜児を見据える。
 抵抗どころか、気付く事も出来ず、流されるまま流されて。寒空の下、呆然と身を投げ出している竜児が哀れで、そして滑稽だった。
 ざまぁみろ。口の中で、小さく言葉を転がした。
 何も見ようとせず、聞こうともせず、そして理解しようともせず。
 浸かり続けたぬるま湯は、針の先に乗った浴槽だった。
 竜児は、路上に仰向けになったまま、じっと空を見上げていた。
「あー、もう、何なんだよ、一体」
 竜児の声は、夜の暗幕にきんと響き。
 一体何に対しての言葉すら、分からない。
 亜美は、竜児の傍に座り込んだ。膝を抱えて、校門の柱に寄りかかった。
 スカートの中が見えてしまっているけれど、亜美も竜児も気にした風もない。
「いい気味」
 亜美は、はん、と鼻で笑って見せた。
「だから、あれほど言ったのに。幼稚なままごとなんてやめた方がいいって」
「……またそれかよ」
 竜児は、うんざりしたような顔をした。
「言いたい事があるなら、はっきりと言えよ。何が言いたいのか、全然分かんねぇ」
「それは、高須君がバカだからでしょ。あたしのせいじゃない。それに、高須君はいっつもあたしの言うことなんて、聞いちゃいないんだから」
「……」
「いつだってそう、大切にするのはタイガーと実乃梨ちゃんのことばっかりで、あたしのことなんか見ようともしない。いつだって、いつだって」
 亜美は、眉をしかめる。下唇を噛んで、ぎゅ、と拳を握りしめた。
 悔しかった。
 何をしても、何を言っても結局“異分子”でしかなかった自分が。
 そして、終始、蚊帳の外でありながら、しっかりと傷ついている自分が。


 竜児と亜美の間に、暫し沈黙が流れる。それなりには、重苦しい沈黙。
 二人同じ空を見上げて、見えているものは、きっと全く違う。
 ぶるり、亜美は体を大きく震わせた。
 その様子を視界の端に捉えたのか、竜児がむくりと体を起こした。
 立ち上がり、亜美のもとへ歩み寄ると、すっと無言で手を伸ばした。
 不思議そうに見上げる亜美に、
「寒いだろ、中に入ろうぜ」
 竜児を見上げる、亜美の瞳が一瞬だけ揺れた。
 けれど直ぐに、不機嫌な顔をつくってみせた。
「ふん、余計なお世話だっつぅの。振られ男に気ぃ遣われるほど、亜美ちゃん落ちぶれてないもーん」
 つーんと首をそむける亜美に、竜児は苦笑する。
「別に気なんて遣ってねえよ。俺も、この格好意外と寒いんだぜ?」
「うそばっかり。ちょー温かそうじゃん」 
「それに、この格好のままだと恥ずかしいんだよ」
「そう?良く似合ってると思うけどぉ」
 竜児の言葉を亜美は、まともに取り合おうとしない。 
 頑として動こうとしない彼女に、竜児は困ったような顔をする。
 正直、今の彼に亜美の事を気にかける余裕はなかった。
 けれど、亜美の格好を見て寒空の下にほったらかしにできない性格でもあった。
 その事を亜美も良く知っている。3人の中には入れなかったけれど、亜美だって竜児と半年以上の時を過ごしてきたのだ。
 はあ、と亜美は大仰に溜息をついて見せる。
 そして、いかにも渋々ですという体を装いながら、竜児の手を取った。
「ぅお!お前、手、きんきんじゃねぇか」
「そりゃあ、亜美ちゃん心があったかいから。当然でしょ」
「……それが迷信だと言う事を、今、改めて思い知ったよ」
「はあ?何それ、意味わかんねーし」
 軽口を言いあいながら、二人、明るい所へと歩いていく。
 いつもと同じような、二人の会話。
 けれど、どこかよそよそしく、空々しい。
 最初は繋いでいた手も、あっという間に解かれている。
「ねぇ」
「ん、どうした?」 
「高須君、実乃梨ちゃんに振られちゃったんだよね」
「……川嶋、俺に何か恨みでもあるのか?」
「そう言うつもりじゃなくて。だって、結構脈ありに見えてたし。だから、いまいち信じられないの」
「ははっ、信じるも何も、振られてなかったら今、ここに居ねぇよ」
 竜児は自嘲し、肩を落とした。
 もし、櫛枝が自分の告白を受け入れてくれていたら、自分は今、何をしているんだろう。
 きっと、今頃あの温かい所で特別な聖夜を過ごしていたんだろうか。
 それとも、大河の家に二人で向かい、3人で楽しい時を過ごしていたんだろうか。
 考えるだけ空しい事だが、どうしても考えずにはいられなかった。
「何、落ち込んでんの。らしくないよ」
「さすがに、落ち込まずにはいられねぇよ」
「ふぅん、でも落ち込むってことは、それなりに勝算もあったってことだよね」
 亜美の言葉に、竜児はぎゅっと手を握りしめ、
「そ、それは、アイツも少しは、俺の事を思ってくれていたような気が、ちょっとは、する、けど……」
 竜児は、この半年近くの日々の事を思い返しながら呟く。
 思い返せば、大河と知り合ってからこれまでの間、1年前と比べてぐっと実乃梨との距離が近くなった。
 その中で、それなりの手ごたえを感じていたのもまた、事実だった。
 本当にいろんな事があったな、と感慨深い一方で、これから先の事を思うと憂鬱になる。
 この後は冬休みをはさんで、きっと3学期開始まで実乃梨と会う事はないだろう。
 その時に、どんな顔をして会えばいいのか、竜児には見当もつかなかった。
 大河に対してもそう。あれだけ面倒をかけたのにこのざま。大河に何と報告すればいいのか。
 そんな、取り留めもない事を考えて竜児の肩は更に下がり、足は段々と重みを増していくのだった。

 そんな竜児の様子を眺めながら、亜美は、再びこれまでの顛末を考えていた。
 竜児も言うとおり、実乃梨は竜児の事を好きなのだろう。
 その度合いはどうであれ、憎からず思っていた事は間違いがないだろう。
 それなのに、いざ、ふたを開いてみれば、この結果。
「ねえ、何で振られたか分かる?」
「いや……やっぱり、俺の事を好きじゃなかっただけだろ」
「さっき、勝算もあったって言ってたじゃない」
「それは……」
 亜美の言葉に、竜児は口ごもった。
「教えてあげようか」
「……知ってるのか?」
「知ってるも何も、今まで気づいてなかった高須君達がバカなんじゃない。っていうか、どっかネジとんでるんじゃないの、揃いも揃って」
 訳知り顔で話す亜美に、竜児は少しムッとする。
「何なんだよ」
 竜児が立ち止まった。数歩先で、亜美も立ち止まり、振り返った。
 不満顔の竜児を見て、自らの細い腰に手を当てて目を細め、ふん、と鼻で息を吐いた。
「理由。知ってるんだろ」
 教えろよ。竜児は、じっと亜美を見据える。
 元々から凶悪な目線が、真剣な表情も相まって更に厳しくなった。
 正に、泣く子も黙る表情である。
 しかし、亜美は、臆することなく竜児の視線を受け止めて見せる。
「本当に、分かんないの?」
「だから、櫛枝が――」
「――そうじゃないって、言ってるでしょ。偶には、あたしの言う事を聞いたら?」
 相変わらずの竜児の言葉を遮って、亜美は、きっと竜児を睨め付けた。
 その視線に、竜児の方が怯んでしまった。
 その迫力は、まるで、手乗りタイガーと恐れられる逢坂大河と似通ったものがある。
 美人の怒った顔は、かくも恐ろしいものなのか、凶悪な顔は自分の顔で見慣れていたはずの竜児だが、改めてそう思った。
 しゅんとしてしまった竜児に、
「タイガーよ」
「大河?」
 何故いきなり、ここで大河の名前が出てくるのだろう。
 思わず竜児は、首をかしげてしまった。
 ほんっと、何処までも鈍感。その姿を見て、亜美は心の中で毒づいた。
「高須君が、タイガーを献身的なまでに面倒みるから、実乃梨ちゃんも遠慮しちゃったのよ」
「……はぁ?すまん、良く分かんないんだが」
 竜児の言葉に、亜美はとうとう呆れかえってしまった。
 いつもは優しく、気遣いが上手い竜児ではあるが、自分に向けられる好意に対しては、此処まで鈍いとは。
 分かってはいたけれど、ね。亜美は、頭を抱えたくなってしまうのを何とか堪えた。
「だから、タイガーも高須君の事、好きなのよ。まあ、タイガー自身も想いに気付いてないかもしれないけど。でも、実乃梨ちゃんはそれにうすうす気づいてる。
 そして、タイガーには高須君が必要だって思って、自分は身を引いたのよ」
 言いながら、亜美は、今はいない実乃梨に対して苛々が溜まっていくのを抑えきれない。
 何のつもりかは知れないけれど、実乃梨は大河に竜児を譲った。そう、譲ったのだ。
 戦うことなく、上から目線で、見下して。
 しかも、実乃梨は自分の気持ちをはっきり竜児に伝える事をしなかった。
 どうせ告白を受け入れないのなら、嫌いだと、付き合えないと、言ってしまえばいいのに気持ちを保留して。
 実乃梨の事だから、きっと、新学期は何事もなかったかのように振舞うつもりに違いない。
 実乃梨は、竜児の思いを、告白を無かった事にするつもりに違いがないのだ。
 ――この期に及んで、幼稚なままごとを続けるつもりでいるのだ。
 ふざけんじゃねぇ。亜美は毒づく。何様のつもりだ。
 想いを握りつぶして、今まで通り、皆で仲良く?はん、おまえら一体いくつなんだっつの。
 男女の間に友情は成立するか否か。それは正に、永遠の命題とも言うべき議題で、未だ答えは出ていない。
 そして、亜美は否定派であった。男女間の友情?あり得ない。
 例え、成立したとしても、「親友」の枠に入ることなんて亜美にはどうしても思えなかった。
 ガキじゃあるまいし、何も考えず、おててつないで、なんて不可能だ。
 そして、竜児を取り巻く人間関係は、歪で、成立していたのは友情ではなかった。
 塗料を塗りたくり、友情に見せかけて。けれど、始めから剥離が覗いていた。
 そして、矢張りここにきて、限界が来た。始めから、約束された限界。
 もう、幼稚なままごとは終わりだ。ひび割れた殻から覗くもの、それは。


 
 ふと、思う。
 今、竜児たちの絆は壊れかけている。あれほど、亜美を強固に阻んだ絆が。
 ――今ならば。
 今ならば、あたしにだって希望があるかもしれない。
 今ならば、あたしを見てくれるかもしれない。
 そんな、らしくないと言えばらしくもない思いが亜美の心の中を過った。
 けれど、その思いは、甘く、痺れる様に亜美の心を打った。
「ねぇ、高須君?」
「……何だ?」
 顔を伏せ、考え込んでいた竜児が怪訝な顔をする。
 亜美の声は、奇妙なほど喜色に満ちていた。
 亜美と竜児、二人の間、数歩にも満たない距離を亜美は、一気につめて竜児に抱きついた。
 ふわふわの柔らかいきぐるみ。あったかい。小さく声を漏らす。
「ちょ、おい、川嶋!?」
 亜美の唐突な行為に竜児は、目を丸くする。
 彼女の豊満な胸が、きぐるみ越しにもはっきりと感じられた。
 それを意識して、竜児の顔が赤く燃え上がった。
 心臓が、一気に鼓動を強くする。
 そして、それは、亜美においてもそうだった。
 竜児の温かい体に、自分の体が如何に冷え切っていたかを知る。
 竜児が亜美の肩に手を置き、体を離そうとしてくる。亜美は力の限り、それに抗う。無意識に、いやいや、と首を振っていた。
 離れたくない、離したくない。強くそう思った。
 赤くトマトの様な顔を見られたくなくて、ふかふかの身体に、ぽふ、と顔を埋めた。
「……入れてよ」
「え?」
「全部、一から始めて、そこにあたしも、一から入れてよ」
「川嶋?」
 多分この言葉も、彼には届いていない。
 けれど、亜美にとってこの言葉を口にするために、一体どれだけの勇気を要したか。
 これだけ、苦労して、結局竜児には届いていない。
 勇気がしおしおと萎んでしまいそうになる。
 何時もならここで挫けて、逃げてしまう。
 冗談だとうそぶいて、本気を見せようとしなかった。
 亜美は、ふるふると首を振る。ダメ、こんなんじゃ、ダメだ。
 ――高須君に変わってもらいたいならば。あたしの方からも、変わっていかなきゃならない。
 すぅ、と亜美は息を吸った。
 後少し、後少しだけ、勇気をください。
 亜美は、滅多に神様に祈る事をしない。けれど、今夜は聖夜。珍しく、亜美は亜美様へと祈っていた。
「好きなの」
「――え?」
「高須君の事が、好き。大好き」
「川嶋、こんな時まで、そんな冗談は……」
「冗談なんかじゃない!」
 亜美は、がばっと顔を上げて、竜児を見上げた。
 その顔を見て、竜児は、はっと息をのんだ。彼女の瞳から一筋、光るものがあった。
「何で、冗談だって決めつけるの。冗談なんかで、こんな事言えると思う?」
「ぁ……」
 川嶋は女優の娘だろ。そう言おうとした口を、何とか閉ざした。
 それは、決して言ってはいけない言葉だということくらい、竜児にだって分かっていた。
 彼女は、真剣に想いを伝えてきた。
 その想いに、自分も真摯に応えなければならない。
「お、俺は……」
 竜児は、答えに窮してしまう。
 ほんの1時間弱前に実乃梨に振られたばかり。
 その振られ方も悪かった。
 嫌いと言われたわけでもない、亜美の話によるならば竜児の事を憎からず思っていつつも、大河に遠慮してという事になる。
 竜児の中には、当然未練が根強く残っていた。
 ここで、亜美に告白されたからといって、はいそうですかと切り替えられるほど竜児は剛毅でないし、そんな薄情な事、竜児にできるはずもなかった。

「す、すまん――」
 断ろうとして、口を開き、
「――待って」
 亜美の人差し指が、ぴとりと竜児の唇に当てられ、竜児は、言葉を飲み込んだ。
「……川嶋?」
 何故?竜児は、首をかしげた。
「今、返事が欲しいわけじゃないの。どうせ今貰っても、高須君の事だからごめんなさい、でしょ?あたしは、負けると分かってる勝負をするつもりはないから」
 川嶋亜美は負ける事が嫌いだ。
 誰よりも勝る容姿を手にし、多くの人々から羨望の眼差しを受けてきた。
 勿論、それに見合うだけの努力もこなしてきた。
 だから、勝って当然なのだ。負けなんてありえはしないのだ。
 けれど、如何せんこの勝負は、さすがに分が悪かった。
 なぜならば、亜美は、漸くスタートラインに立ったばかり。
 いくら亜美が誰よりも美しいとはいえ、勝負になるはずがなかった。
「だから、勝負はこれから。覚悟しててね、絶対に高須君を落として見せるから」
 悪戯っぽく笑って、亜美は竜児の身体から離れた。
 途端に冷える体。ぶるりと震えた。
 亜美は、未だ呆然とする竜児の手を取った。
 ぐいっと引っ張って、明るく温かい所へ向かい、駆けだした。
「お、おい、川嶋!」
 竜児の声も聞こえないふりをして、スピードを上げる。
 ここまで来るのに時間をかけ過ぎた。もう、もたもたしている時間はない。
 電光石火。それこそ、空を飛ぶくらいの勢いで。

「ほら、早く、高須君!」 
 体育館の前。宴もたけなわに近づき、中の喧騒もピークに達している。そろそろダンスタイムの時間の様だ。
 ちょうどいい。神様もあたしの祈りを聞き届けてくれたのかもしれない。
 亜美は、バン、と勢いよく扉を開いた。中に居る人たちの視線が、幾つか突然の闖入者に向けられた。
 亜美は、彼らに意味ありげな笑みを浮かべて見せると、
「――んっ」
「むっ!」
 気持ち背伸びをして、竜児の唇にそっと、自分の唇を押しあてた。
 挨拶代りのキス。開幕の狼煙。
 唇を離して、目を白黒させる竜児に悪戯っぽく笑って。
「これからよろしくね、高須君」
 そう言ってぺろりと舌を出す。
 かあ、と竜児の顔が瞬間沸騰気よろしく、温度を上げた。
 呆然と押している竜児の手を取ったまま、唖然とした生徒達の中を進む。
 二人が会場の中央に立つと、流れていた音楽が変わり、ゆっくりとしたものになる。
 この図ったかのようなタイミング。もしかしたら、祐作の仕業かもしれない。たまには役に立つじゃない。
 あたしは、きっかけをつかんだ。
 これからどうなるのかは、あたし次第。きまぐれな小悪魔の事だ、うかうかしていたら折角掴んだのに、掌の中からするりと飛び去ってしまいかねない。
 でも、小悪魔ぶりならばあたしだって負けない。
 せっかく手に入れたチャンス。絶対に、実らせて見せる。
「高須君」
「……」
 いまだ固まっている竜児に向き合って、繋いだ手を軽く掲げ、
「シャル・ウィー・ダンス?」
「……い、いえ、す」
 今夜はクリスマス。ホーリーナイト。
 雪は降っていないけれど、星屑が舞い降りる、きっと何よりも特別なクリスマス。


213 翼をください sage 2010/03/23(火) 03:10:24 ID:tNN2sMmP
投下終了。
続く予定ではありますが、まだ見通しも立っていないので、短編として見て頂ければと思います。
お目汚し失礼しました。

205 翼をください sage 2010/03/23(火) 03:00:48 ID:tNN2sMmP
投下させていただきます。
設定の書き方が良く分からないど、一応
・竜児×亜美
・エロなし
・場面はクリスマス、竜児が振られたとこ
以下、本編