瀬能と美春

初出スレ:初代227〜

属性:おじちゃんと少女 エロなし




 瀬能博生は、マンションの階段を昇りきるなり、足を止めた。
 自宅の玄関扉は目と鼻の先。距離にして三メートルもない。
 いつもと違うのは、その扉の前にしゃがみ込んでいる子どもがいる、それだけだった。

 が、それだけ違えば充分過ぎる。
 もしや階数を間違えたかと思ったが、生憎と瀬能の部屋は二階にある。独り暮らしを始めて数年になるが、
いまだかつて、シラフで部屋を間違えた事はない。

 訝しく思い、足を止めたは良いが、退いて貰わねば瀬能も部屋に入れない。
 一瞬、考えを巡らせて、それから口を開こうとした瀬能だったが、それより早く子どもが顔を上げた。

「あ、瀬能のおじちゃん」
「…………美春?」

 見覚えのある顔。
 ここ一年ほど会ってなかったせいか、名前を思い出すのに寸間を要したが、井口美春はにへっと締まりの
ない笑みを浮かべると、ズボンに付いた埃を払いながら立ち上がった。


 美春の父親、井口治樹は、瀬能の高校時代からの親友である。
 二十歳の時、大学在学時に所謂「出来ちゃった婚」で結婚してから、かれこれ七年になる。
 その時産まれたのが、美春であり、瀬能の記憶違いでなければ、この五月で七歳になっている筈だ。

 疑問は多々あれど、取り合えず美春を部屋に招き入れた瀬能は、かばんをベッドに放り投げて、
美春の待つキッチンと戻った。
 と言っても、狭い1Kである。
 就職してから引っ越した部屋だが、学生時代に暮らしていたワンルームよりも、一部屋多い程度という
認識しかない。

 美春はリュックサックを床に置き、所在無さげに、それでも興味深そうに、あちこちに視線を
飛ばしていた。
 以前会った時は髪も長く、間違いなく少女と思えたが、今は長かった髪は切り揃えられ、見た目は
少年のような風貌だ。

「何やってんだ、お前」

 冷蔵庫から緑茶のペットボトルを取り出しながら尋ねる。
 美春は瀬能に視線を移したが、まるで「質問の意味が分からない」とでも言うように、きょとんとした
表情である。

 水切籠に伏せてあったグラスを取り、緑茶を注ぎ入れる。それを美春に手渡して、瀬能は眉を寄せた。



「一人で来たのか? 治樹とか、みちるさんはどうしたよ」
「来てないよ。私一人」

 緑茶を飲む美春の言葉に、瀬能はますます眉を寄せた。

 美春の荷物は、大きなリュックサックが一つ。
 遠足にでも行くかのように、パンパンに膨れ上がったリュックには、母親のみちるが書いたのであろう、
名前と連絡先の書かれた名札がぶらさがっている。

「あのね、おじちゃん」
「ん?」
「今日、泊めて」
「……」

 やっぱりな、と。思わず溜め息をついた瀬能に構わず、美春はぐぐっと緑茶を飲み干すと、
至って真面目な表情で瀬能を見上げた。

「家出してきたの、私」
「……家出?」
「うん」

 力一杯頷いた顔は、子どもながらに真剣その物。
 瀬能は眉を顰めた。

「何で?」
「だって私、いらない子なんだもん」
「はぁ?」

 きっぱりと言い切った美春は、唇を尖らせそっぽを向いた。

「お父さんもお母さんも、千秋ばっか可愛がるんだもん。私なんか、居なくても良いんだよ、きっと」

 独り言のように呟いて、美春はフンと鼻を鳴らす。

(そりゃあ……二歳の妹の方が、手は掛るわな)

 内心、そんな事を考えた瀬能は、どうしたもんかと頭を悩ませた。

 子どもの扱いは馴れていない。
 とは言え、ここで追い返しても、美春が素直に言う事を聞くとも思えない。



 幸い明日は日曜で、瀬能も仕事が休みである。
 一晩たてば、美春も家が恋しくなるだろう。
 今日中に井口に連絡をしておけば、大事になる事はない筈だ。

「……まぁ、別に良いけど」

 もともと、物事を深く考えるタチではない瀬能は、あっさりと頷く。
 それを見た美春は、満面の笑みを浮かべると、両手を高々と掲げて万歳をした。

「やった!」
「ただし、家には連絡しとくぞ。警察沙汰なんかになって、誘拐犯扱いされんのは御免だからな」
「えー」
「えー、じゃない。じゃなきゃ、今直ぐ家に帰れ。送ってく」
「やだ!」
「じゃ、連絡しとくぞ」

 半分本気で脅しを掛けると、美春はまだ不服そうな表情だったが、渋々頷いて見せた。


 その日の夜は、二人揃ってファミレスで食事をする事にした。

 基本的に自炊の瀬能だが、夕食の殆んどは、買ってきた総菜とビールといった代物で、美春には
まだまだ早い。
 料理も、面倒臭いという理由で、簡単な物しか作らない瀬能が、ファミレスを選んだのも当然と
言える。

 美春は至って上機嫌で、ハンバーグプレートにデザートにはアイスまで頼み、それをペロリと平らげた。
 家に戻ると放置してあったゲームに興味を示したので、先に風呂に入れてやれば、瀬能のする事は
無くなった。


 格闘ゲームに熱中する美春の隣で、瀬能はチビチビとビールを飲みながら、夕食前に井口と交した
会話を思い出していた。

 美春の妹、千秋は、二日前からおたふく風邪に掛っていたらしい。
 ただでさえ手の掛る年頃なのに、流感となれば、美春に神経を払ってやれないのも無理はない。
 何より、美春はまだ、おたふく風邪に掛った事がないのだと言う。

 一日だけでも、美春と千秋が離れている事に、井口は心底安心した様子だったが、瀬能は内心
面白くない。
 井口の気持ちが分からないでもなかったが、それで何故、赤の他人の自分の家を美春が選んだのかも、
面白くない理由の一つだった。

「美春」
「なにー」

 体を傾けて画面に集中している美春は、瀬能の声にも生返事。
 ベッドにもたれていた瀬能は、よっこらせと体を起こすと、ビールの缶を床に置き、空いていた
コントローラーを拾い上げた。

「何でウチに来たんだよ」
「何でって?」
「祖父ちゃんチでも良かったろ? 俺んチよか、そっちの方が近いんだし」

 ゲームに乱入してやると、美春はふいっと瀬能を見た。

「だって、おじちゃん格好良いんだもん」
「はい?」

 思わぬ言葉に指が滑り、選択したキャラクターは、瀬能の苦手とするスピードファイターだった。
 しかし美春は、父親譲りのにへっとした表情を浮かべると、また画面に視線を戻した。



「私ね、大きくなったら、おじちゃんのお嫁さんになるの」
「……それと今の質問と、どう繋がんだよ」
「だからね」

 色違いのキャラクターが、画面の向こうで対峙している。
 合図と共に先制攻撃を繰り出したのは、美春の使う赤い衣装のキャラクターだった。

「だから、今のうちに、おじちゃんと一緒に暮らす練習しようと思って」
「……で、俺の所に来た訳ね」

 ギリギリで攻撃を避けた瀬能の操る白い衣装のキャラクターは、カウンターで一撃を入れる。
 途端、美春はぐぃっと体を傾けて、コントローラーを握る手に力を込めた。

 所詮は子どもの言うこと。
 二十歳も年の離れた、しかも親友の子どもに手を出すほど、瀬能も切羽詰まっている訳ではない。
 夢を見るのは自由だ。

 やりたいようにやらせてやろうと、敢えて夢を潰すような事は言わず、瀬能は馴れないキャラクター操作に
集中した。

***

 結局、午前二時を過ぎるまで、二人はコントローラーを握ったままで、目を覚ましたのは昼も
近くなってからだった。
 美春はいち早く目が覚めていたようだが、瀬能を無理矢理起こすこともなく、良い子にしていた
らしかった。

 美春の希望でフレンチトーストを作ってやり、朝食兼昼食を終えると、二人は揃って家を出た。

 美春を家に送るためだったが、普通に戻っても三十分程度しか掛らない。
 夕食に間に合えば良いだろうと、電車で二駅離れた動物園まで足を伸ばした。


 売店で買った餌をキリンにやり、猿山の猿を飽きもせず眺める。
 動かないライオンに野次を飛ばして、怖がる美春をからかいながら爬虫類館を見て回ると、時間は
あっと言う間に過ぎて行った。

 動物園を出ると、また揃って電車に乗る。
 駅を出て家に近付くにつれて、美春の口数は減っていったが、瀬能は歩みを止めはしなかった。

 変わりに、しっかりと手を繋いで、歩くスピードを併せてやる。
 空いた手に、動物園で買ってやった熊のキーホルダーを握り締めた美春は、瀬能に付いて来ていたが。

「おじちゃん」
「ん?」
「お父さん、怒ってないかな……」

 もう少し歩けば家に着く、その距離になって、美春が足を止めたので、瀬能も歩くのをやめて
美春を見下ろした。
 さすがに不安なのか、その表情は曇っている。

 一日一緒にいれば、愛着も湧くと言うもので、瀬能は苦い笑みを浮かべたが、美春に目の高さを
合わせると、ポンと頭に手を乗せた。

「大丈夫だって。ちゃんと連絡してあるし、怒らないように俺からも言ってあるから」
「うん……」

 柔らかな髪を撫でてやる。
 美春は困ったように俯いて、やはり歩き出そうとはしない。

「それに、治樹もみちるさんも、お前のこと心配してたんだぞ? 絶対怒られないから、安心しろって」
「ほんとに?」
「ホント。もし怒られたら、また俺んチに家出して来い。嫁さんにしてやるから」

 冗談混じりに告げながら、わしゃわしゃと乱すように頭を撫でると、ようやく美春は顔を上げた。

「おじちゃん、私が大きくなるまで待っててくれる?」
「とびきりの美人になるなら、いつまでも待っててやるよ」

 少年のような風貌だが、あと数年もすれば、美人になるに違いない。
 そんなことを考えながら、やはり冗談っぽく笑い掛けると、美春はにっこりと微笑んだ。

「じゃあ、帰る」
「よし、行くか」

 小さく頷いた美春に、瀬能は再度頭を撫でて、握った手に力を込めた。



 十三年後、この時の約束が果たされる事になるのだが、それはまた別の話。




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2007年11月06日(火) 23:28:13 Modified by toshinosa_moe




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