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山田パンダ (1945年5月13日 - )

本名:山田嗣人(やまだつぐと)

佐賀県神崎郡大字崎村黒津の出身。
久留米大学附設中学校・高等学校、明治大学理工学部卒。
妻は山田慧津子で、息子は山田勝久。弟は、山田智秀

パンダという芸名の由来は、パンダのTシャツを着ていたから。
作詞者・作曲者のクレジットには「山田つぐと」を用いる。
1968年のことだ。東京・吉祥寺でパンダのTシャツを見つけた。日本に初めてパンダがやってきたのは4年後の1972年だから、パンダブームがやってくる前だ。「これをステージで着たら」と彼女のえっちゃんに勧められた。それからミュージシャン山田嗣人さんは、ステージではいつもパンダのTシャツを着て「山田パンダ」と名乗るようになる。Tシャツのパンダは、紺と白のツートン。みんな、パンダのことはまだよく知らなかった。

シュリークスでウッドベースを担当したのは、石川鷹彦のアドバイスによる。

当時のフォーク界での金字塔、ニッポン放送の「バイタリスフォークビレッジ」から声が掛かったと言うのだ。担当ディレクターの嶋田さんが僕らのステージを観ていてくれて、光栄なことに「今月の唄」をやってみないかと言うのだった。
晴れがましい気分でニッポン放送へ向かった。スタジオに居合わせたギターの名手・アレンジャーの石川鷹彦さんが、僕らシュリークスを見て言った。「ギター3人か。パンダ、お前ウッドベースやったらどうだ。」パンダと呼んでくれたのは嬉しかったけど「僕、ウッドベース無理です」と答えた。すると石川さん、スタジオにあったウッドベースをひょいと抱えて「ギターは6弦、ウッドベースは4弦、難しく考えるな。」
そして「キーがGの曲をギターで弾いてみろ」と、石川さんが僕に言った。僕は緊張しつつ自分のギターでGの曲を弾いた。すると、それに合わせて石川さんがウッドベースを弾いて見せてくれた。見事にスナップの効いた手さばきと、心地よい低音に魅了された。
僕は、この瞬間、ウッドベース奏者になることを決意したのだった。3日後、お茶の水の楽器店へ出掛け、「チャキ」のウッドベースを購入した。
(2023年2月23日-3月7日 山田パンダTwitter)

シュリークスから脱退後、南こうせつから説得され第二次かぐや姫に参加し、ボーカルとベースを担当。かぐや姫解散後も音楽活動を続け、ソロ活動の後、山田智秀(実弟)、内山修吉野恵子と4人でパンダフルハウスを結成したほか、山本コウタローとのユニット山本山田としても活動。「バージンブルー」をヒットさせたSALLYのプロデュースなども手懸けたが、その後主夫業に専念し、エッセイ集『山田パンダの保父してみたら』を出版。

2000年のかぐや姫再結成がきっかけとなり、2001年、池田森・山田勝久(パンダの実子)と「PANDA//SON」を結成した。

2005年に還暦を迎え、実際の年齢(60歳)を公表したが、それまでは先輩格の吉田拓郎に気を使って1年サバを読み、1946年生まれとしていた。また、出生地も、実際の佐賀県ではなく福岡県(博多)としていた。

俳優としての出演作品

映画

  • 「妹」(1974) (刑事) 山田つぐと名義で出演。かぐや姫の「」を映画化、秋吉久美子が主演。
  • 「ノエルの不思議な冒険」(1983) (キカザリ星の司会者) 声の出演。イルカの原作によるアニメ映画。

テレビドラマ


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