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【定義】

.汽鵐好リット語のarhatの音写。意訳すれば応供。略して羅漢ともいう。尊敬され施しを受けるべき聖者を意味する。インドの宗教に於いて尊敬されるべき修行者を指した。仏教でもそれを取り入れて、特に原始仏教・部派仏教では、修行者が到達できる最高位を示す。学道を完成し、それ以上学ぶべきことがないことから「無学位」ともいう。
道元禅師の『正法眼蔵』の巻の一。仁治3年(1242)5月15日に、興聖寺にて示衆された。95巻本では34巻、75巻本では36巻。

【内容】

)寨莪ね經舛蓮応供とも訳され、さらに応供如来十号の一つであることにも明らかなように、阿羅漢とは、仏の別称でもあった。しかし、後には仏弟子を指す言葉となり、声聞と同義とされた。そして、大乗仏教では、声聞=阿羅漢への批判を行った。ただし、中国や日本では、同時に阿羅漢を、弥勒菩薩兜率天から降生するまで正法を護持することを誓った弟子達であると好意的にも解釈し、直弟子に十六羅漢を認め、さらに第一結集に集まった五百人の弟子を五百羅漢として尊崇する羅漢信仰が出来た。

特に、禅宗では、阿羅漢である摩訶迦葉に対する尊敬の念から、合わせて厳しい頭陀行に専念する様子を尊崇した。日本曹洞宗でも、道元禅師自身が羅漢供養をしたともされ、そのための『羅漢供養式文』(断簡)も残されており、その結果についても『十六羅漢現瑞記』という著作に残されている。なお、栄西禅師の『興禅護国論』「建立支目門第八」でも、羅漢会をしたことが見える。また、『瑩山清規』になると、応供諷経も確立されたが、当初は月分行持として行われ、後には朝課諷経に組み入れられた。

現状では、三門の二階部分に阿羅漢の像を祀る場合もある。その理由については以下の見解がある。
三門に高く羅漢を安ずるは、或いは十六、或いは五百、専ら大法興隆を祈るなり。尊者親しく仏勅を蒙り、滅度に入らず、現住擁護して、法をして久しく住せしめ、遙かに慈氏の下生を俟つなり。災いを除き、人に福する。その霊応はまた言うべからず。故に門頭に先ずこの霊像を設けるなり。 『洞上伽藍雑記』「羅漢」項

道元禅師は『正法眼蔵』「阿羅漢」巻の冒頭で、『妙法蓮華経』「序品」を引用しながら、次のように示される。
諸漏已に尽き、復た煩悩無く、己利を逮得し、諸の有結を尽くして、心自在を得たり。これ大阿羅漢なり、学仏者の極果なり。第四果となづく、仏阿羅漢あり。

特に、「仏阿羅漢」の記述については、本来阿羅漢が仏の別称であったことを存知していた道元禅師が、改めて、大乗仏教に於いて低く見られがちな阿羅漢の復権を図ったものとして、評価すべきであるが、その見解を『妙法蓮華経』の経文(「序品」「方便品」「信解品」)を引用して提唱しながら構築していることに、同巻の特色がある。

さらに、天台智擇痢慄琺纏澳僉拌荵阿ら「古云」として引用しながら、阿羅漢が仏地を明らかにしている様子を示されるのである。
古に云く、声聞経の中には、阿羅漢を称して、名づけて仏地と為す。いまの道著、これ仏道の証明なり。論師、胸臆の説のみにあらず、仏道の通軌あり。阿羅漢を称して仏地とする道理をも参学すべし、仏地を称して阿羅漢とする道理をも参学すべきなり。

ここで「論師」というのは、天台智擇里海箸世隼廚錣譴襪、道元禅師は『摩訶止観』に見える指摘を、智擇瞭斑任任呂覆て、明らかに事実であると示しながら、仏の悟りと阿羅漢とが一体である様子を示される。そして、後半では、圜悟克勤や百丈懐海の言葉を引用しながら阿羅漢についての意義を明らかにされ、末尾には「羅漢と諸法同参なり」とまでされるのである。

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