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【定義】

日本に曹洞宗を初めて将来された道元禅師が生前に行った上堂小参、或いは自ら書かれた法語頌古偈頌などを集めた語録。全10巻。詳しくは『道元和尚広録』(表題、内題は以下に記載)と呼ばれる。中国留学中の偈頌道元禅師が深草に興聖寺を開かれてから越前の大仏寺(後には永平寺に改称)に移られて、遷化される前年までの説法を弟子達が記録・編集したものである。編年体の伝記ではないけれども、道元禅師の一生の記録といって過言ではない。

応時応節に説かれた説法の記録は、『正法眼蔵』よりも活き活きとした道元禅師の姿を後世に伝えるものであり、当時の永平寺僧団の状況・構成を考える上でも、貴重な文献である。

【主な異本】

・卍山本
江戸時代、日本曹洞宗が輩出した学僧・卍山道白(1636〜1715)師の手で江戸時代(寛文12年[1672]8月28日)に開版流布したためこれを「卍山本」という。長らく宗門で『永平広録』と言えばこの「卍山本」のことであった。

・祖山本(門鶴本)
昭和6年(1931)に眼蔵会講師であった岸澤惟安老師によって永平寺内にて「卍山本」とは別系統の『道元和尚広録』が発見され、これが日光山輪王寺慈眼堂に所蔵されている『永平道元和尚広録』と同系統と判明し、さらに最も原初形態であることがわかった。そこで、設置した永平寺20世門鶴の名前(実際には、第1巻を祚光、第2巻を宗椿が書写している)を採って「門鶴本」と呼ばれた。現在では永平寺に収められていることから「祖山本」と呼ばれている。同じく「祖山本」系統のものは、宇治興聖寺の「興聖寺本」、もと福井の心月寺に収められていた(現在は駒大図書館)「心月寺本」、そして前述した日光の「輪王寺本」である。

祖山本の設置について同書奥書には、次のようにある。
現住門鶴老衲之を置く者也〈改行・中略〉時に慶長三(戊戌)年冬、吉祥山永平禅寺引籠の時、悪筆乍ら祚光之を書き畢る者也 『永平広録』第一巻、奥書

また、享保19年(1734)9月20日の日が暮れてから、永平寺滞在中の面山瑞方師が、この古写本を見ているようである。
廿日〈中略〉日暮れて、室中秘在の古本、開山の広録を出して、看る。 『傘松日記

これは、卍山本ではなく、祖山本だったのであろう。

【編集時期】 

編集時期に関してだが、道元禅師に参じた寒巌義尹禅師が中国へ持参し、道元禅師と共に修行した無外義遠等に校正を依頼したのが文永元年(1264)である(これが後の『永平略録』)から、当然それ以前であろうことは疑いないが、後に『永平略録』等を校合して成立した『卍山本』と『祖山本』との差異があまりに多いため、道元禅師御在世時に編集が開始され、禅師自ら校正を行われた可能性もある。

【伝播について】

『永平広録』は、近世以前はほとんど流布・伝播していない。先に挙げた「祖山本」系統の内、永平寺と縁があって書写された「興聖寺本」「心月寺本」、さらに江戸時代初期に『大蔵経』が収められ、天海僧正によって、全国の稀本・珍本等が蒐集された「輪王寺本」のみといえる。

丹波方面に内容が校正されて朱筆にて指摘した『永平広録』が伝わっていることを記した『百丈清規雲桃抄』(全12巻)という書物がある。この『雲桃抄』は、『百丈清規』について、臨済宗東福寺の雲章一慶が長禄3年(1459)から、寛正3年(1462)まで講義したものを、桃源瑞仙が筆録したものである。その『雲桃抄』巻2請新住持條に以下の文章がある。
道元の録とて一生のをかきあつめたか糊うち紙に表裏にかいたか十冊あるか伝燈録のかさほどあるぞ。其の弟子に云いをいて、唐に義遠と云法眷のあるに見せてなをして虎丘録ほどなものが一冊あるぞ。ずっと冊のけて残てあるをも大半はなをしたぞ。自賛は三四十あるを只二首かになしたぞ。をれは一冊あるをも借て見たぞ。本の義遠がけしつそはになをしたが見度て丹波に曹洞宗のあるが、もったほどに、借たれば、初は無子細とてわうと云たが、恥てやらう、なをしたをばかさいで別写たを借たぞ。こちはそはになをしたをこそみたけれ、さてはみたうもないし、あまり多ほどに見もせいでかへしたぞ。

ただし、この伝写本については、現物が未発見のため詳細は不明であるが、記述を信じれば、道元禅師の語録を校正したものが、丹波(現在の京都府北部・兵庫県北部)にあることを意味している。

【内容・構成】

『永平広録』は全10巻であり、道元禅師が住持された各寺院での正式な説法(=上堂)の記録を中心に、小参法語偈頌等が収録されている。以下はその巻号・名称・編者を示し、さらに簡単な内容を付す。

・道元和尚広録第一 開闢本京宇治郡興聖禅寺語録 侍者 詮慧
道元禅師が帰国されてはじめて開かれた道場、京都宇治の興聖寺に於ける説法の記録が収められたもの。全て上堂であり、126回収められている。

・道元和尚広録第二 開闢越州吉祥山大仏寺語録 侍者 懐弉
道元禅師が越前に移られて、吉峰寺等での仮錫を経て開かれた道場、大仏寺(=後の永平寺)に於ける説法の記録を収められたもの。全て上堂であり、58回収められている。なお、同巻中で大仏寺永平寺に改称されている。

・道元和尚広録第三 永平禅寺語録 侍者 懐弉編
大仏寺永平寺に改称してからの上堂を73回収められたもの。

・道元和尚広録第四 永平禅寺語録 侍者 懐弉編
既に永平寺では上堂による大衆接化も定型化されたと推測され、円熟した道元禅師の教えを見ることができる。全て上堂で88回である。

・道元和尚広録第五 永平禅寺語録 侍者 義演
この頃から、記録を取る侍者が義演禅師(後の永平寺4世)に代わったようである。そこで、この巻も全て上堂であり、68回である。

・道元和尚広録第六 永平禅寺語録 侍者 義演編
この巻も全て上堂が収められており、57回である。

・道元和尚広録第七 永平禅寺語録 侍者 義演編
道元禅師が示寂される前年までの上堂が収められており、61回である。

・道元和尚広録第八 越州永平禅寺玄和尚小参 侍者 懐弉等編
「玄和尚」とあるが、これは道元禅師の別字による表記である(=別の機会に「希玄」、或いは「道玄」と自署された事もある。弟子達が用いる場合は師の本当の名前を呼ぶのが畏れ多いという謙譲の意もある)。本巻は小参が20篇、法語は14篇収められているが、14篇の他に『普勧坐禅儀』が入る。尚、この巻からは常に全ての修行僧が聞いたのではなく、修行僧一人一人が頂戴した法語や、小参を集めたものであるため、編者は「懐弉等」となっている。また、「卍山本」にはさらに『永平略録』に『正法眼蔵』「坐禅箴」巻から道元禅師の『坐禅箴』が収録された影響からか、同巻中に『坐禅箴』が収録されている。

・道元和尚広録第九 玄和尚頌古 侍者 詮慧等編
『碧巌録』や『従容録』という宗門の法戦式に使う公案集があるが、いわばこれらは、かつて行われた禅問答(=公案)に、後の祖師方が宗義の顕彰を目的に「偈頌」(=五言、または七言の漢詩)を付したもの(=これを「頌古」という)である。道元禅師は、90の公案を集め、それに頌古を付した。なお、江戸時代に卍山によって出版された『永平広録』を用いて、廓堂祖宗(?〜1832)が第九巻だけ独立して江戸時代に『永平元和尚頌古』と題して出版した。他の公案集『碧巌録』『従容録』などにならったものであろう。

・道元和尚広録第十 玄和尚真賛自賛偈頌 侍者 詮慧等編
第十巻は道元禅師が作頌された偈頌等を集めたものである。
真賛とは過去の祖師方の姿絵を描き、顕彰するために偈頌を付したもので、五首収められている。自賛とは、自分を褒め讃える偈頌を作ることである。20首収められている。余談であるが、自分で絵を描き、自分でそれを讃えるために偈頌を付すことが転じて、自分で自分を褒めることを「自画自賛」という。偈頌は漢詩である。道元禅師が中国でおりおりに詠まれたものから、日本に帰国されてから詠まれたものまで、合計125首収められている。

【註釈書・解説書等】

江戸時代に、それまで宗門内に『永平略録』ばかりが流布している事を嘆いた卍山道白師が、『永平広録』を開版する際に自ら付した序にはこのようなことが書いてある。「後代、これを旧青氈(註・家宝のこと)に当つ。帙散じ、簡断えて、微言将に滅せんとす。(訳文・後の代には、これ(=『永平広録』のこと)を古い家宝に当ててしまった。収める帙は散じてしまい、文字が書かれた簡はたえてしまい、素晴らしい言葉はまさに滅しようとしている)」。この卍山師の言葉からは、『広録』が当時の曹洞宗門においても、ほとんど目にすることができない貴重な書であった事を示している。よって、近世以前には流布したことを確認することもできない。一部の祖師語録や、抄物に引用例がないわけではないが、ほとんど見られない。また、卍山師の開版以降となる江戸時代の諸師の語録には、多くの引用例が見られる。

なお、江戸期の曹洞宗が輩出した最大の学僧である面山瑞方師は、道元禅師が遷化されてから長い期間が経ち、宗風が滅却してしまった当時の状況を嘆いて、卍山本『永平広録』から、学人修行に適切と思われた章句を抜粋して『永平家訓』を著した。また、同じく面山師は偈頌だけを抽出して『永平祖偈句中玄』を著している。

したがって、以上のような状況にあっては、『永平広録』に関する古い時代の註解書等は存在しないと見て良い。一応、江戸時代に『卍山本』に対する註解を面山瑞方師(『永平広録事考』ただし、面山師ではないとの説もある)や、その弟子斧山玄鈯師(『永平広録聞解』)、さらには瞎道本光師(『永平広録点茶湯』)等によって記されている程度である。現在の主流となっている『祖山本』と『卍山本』との違いも多いため、全てを依存することはできないが、読み込む際にある程度の参考にはなる。なお、これらの江戸時代の註解書に関しては伊藤俊光師によって『永平広録註解全書』(本文三巻、索引一巻)として刊行されているが、現在は古書によってしか入手できない。

現在新刊で入手できるもので、『永平広録』に関する解説書等になると、鏡島元隆先生(元駒澤大学総長・故人)の手によって『道元禅師全集』(春秋社)の現代語訳がされている。他に提唱は澤木興道老師『永平広録を読む』(大法輪閣・2010年)があり、また、西嶋和夫師の『永平広録提唱』(金沢文庫・1994〜1997年)が、全巻に対する提唱だが十一巻もある(『永平広録』巻一は分量が多く、西嶋師は上下巻として出版したため十一巻になっている)。

手頃な解説書になると、大谷哲夫先生(元駒澤大学総長)の『道元「永平広録・上堂」選』(講談社学術文庫・2005年)は、道元禅師の上堂から特に季節感が表れているものや、道元禅師の心情が見えるものを抽出し、訓読・語義・訳文を付し、更に解説を行ったものである。初心者の取っ掛かりにも良いだろう。また、先の続編に当たる『道元「小参・法語・普勧坐禅儀」』(講談社学術文庫・2006年)は、これまで伝統的な読みにしたがってきた『普勧坐禅儀』を、敢えて「祖山本」の古い読みにしたがって、さらにその訳を施している。また、季節毎の小参や、おりおりの法語などには、道元禅師自身の心情を伺えるため、当時の僧団の状況を知る参考となるだろう。同じく『道元「永平広録・頌古」』(講談社学術文庫・2007年)もあるため、参照されたい。

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