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【定義】

,泙辰垢阿帽圓こと。
◆峭堊機廚箸發いΑ四威儀の内、曹洞宗修行の中心は「坐禅」であるが、他の所作でも当然に禅定に入るのであり、行きながら(歩きながら)の禅が行禅としての経行である。ただし、最近では坐禅に特化された修行体系によって、本意が転ぜられ、坐禅の時、睡眠や坐屈を防ぐために、一定時間に行われる緩歩を指すのみである。

【内容】

日本曹洞宗の経行法は、道元禅師が如浄禅師より聞いた方法を示した、『宝慶記』の方法が基本となる。
堂頭和尚示して云く。坐禅従り起ちて、経行せんと欲はば、遶歩することを得ざれ。直に須く直歩すべし。若し二三十許歩いて、廻らんと欲せば、必ず右に廻れ。左に廻ること莫れ。歩を移さんと欲はば、先ず右足を移すべし。左足は乃ち次ぐ。 『宝慶記』第40問答

同じ、『宝慶記』には、「一息半趺(一息半歩)」の教授も示されている。
坐禅より起って歩む時は、須く一息半趺の法を行ずべし。いわゆる、歩を移すときは、半趺の量を過ぎざれ。足を移すは、必ず一息を経るの間なり。 第24問答

また、現代まで伝わり行われているのは、『宝慶記』を受けた面山瑞方師の『経行軌』或いは同『経行軌聞解』であろう。
夫れ経行の法は、まさに揖手して両袖を合裏すべし。両袖を左右の脚辺に垂らすこと莫れ。直に、面前に一尋許の地を観て、正に運歩の時は、息を以て限と為す。一息半歩、歩量は跌に斉しく、足を先に身を後とすることを得ざれ。当に、身足同じく運ぶべし。左右顧眄すべからず。上下俯仰すべからず。肩胸を振らず、鞋履を響かすこと莫れ。猶、住立の如く、運歩せざるに似たり。緩緩にして歩き、閑静を妙と為すを、名づけて緩歩と曰う。其の意は茲に在り。若し其の高足大歩、急走馳騁するは、則ち非法なり。 『曹洞宗全書』「注解四」623頁

面山師は『聞解』にて、経行法について、仏陀波璃の『修禅要訣』からもその引用をしておられるが、同著では以下のような説明がある。
行とは即ち経行なり。宜しく平坦の地に依り、二十步より以来、四十五步以上、中に経行すべし。経行時には、左手を覆し、大指をもって屈して掌中に著け、余の四指をもって大指を把り拳を作るに然り。右手を覆し、左手の腕を把る。即ち端坐少かな時、摂心して住せしむ。謂く鼻端等に住するなり。乃ち行くには、行は太だ急、太だ緩なること勿れ。行は只、心を接す。行は界畔に至りて、即ち日を逐うて身を回らし、向来の処に還る。住立少かな時は、前の如く復た行く。行く時、即ち目を開く。住すれば即ち輒閉す。是の如く久しく行きて、稍、倦めば、即ち経行を休す。唯だ昼にのみ在りて、夜は行かざるなり。

これは、四威儀の「行」として示されている。手の形を含め、現在の形に極めて近いが、歩く速度などに若干の相違がある。現在は、非常にゆったりと歩くが、『修禅要訣』では、普通の速度ということになろう。なお、歩く速度については、面山と同時代に古規復古運動を展開した永平寺50世玄透即中禅師にも「経行弁」(『祖規復古雑稿』所収)があり、同書では臨済宗の見性重視の宗風を真似る者を批判し、さらに経行も疾走するかのような弊習があったことを批判している。

なお、経行を行うタイミングとして、坐禅中に眠くなった場合に行うべきであると、瑩山禅師は説かれている。
坐中若し昏睡来たらば、常にまさに身を揺らし、或いは目を張るべし。また、心を頂上の髪際と眉の間に安んず。なお、未だ醒めざる時は、まさに手を引いて目を拭い、或いは身を摩すべし。なお、未だ醒めざる時は、座より起ちて経行すべし。まさに順行せんことを要す。順行、若し、百歩ばかりに及べば、昏睡必ず醒めん。 『坐禅用心記

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