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【定義】

江戸時代、永平寺の50世として「古規復古運動」を推進し、道元禅師550回大遠忌を修行した。号は玄透、名は即中、賜号は洞宗宏振禅師(光格天皇より)。

生没年:享保14年(1729)〜文化4年(1807)
出身地:名古屋

【略歴】

出家した後、清涼寺の頑極官慶を本師として、嗣法するまでになった。その後、美濃の善応寺、武蔵の龍穏寺?関三刹の一)に住し、寛政7年(1795)には、50世として永平寺に晋住した。

この当時、日本曹洞宗では月舟宗胡を先達としながら、卍山道白、面山瑞方などによって、古規復古運動が展開されていた。中でも面山と玄透は、『永平大清規』への復古を強く訴え、当時輸入されていた明代の作法などを批判し、月舟や卍山が影響を受けた『黄檗清規』を批判した。また、特に玄透禅師は「木魚」について、大いに批判し、当時永平寺にあった木魚を全て打ち壊したともいわれる。

玄透禅師は自ら、永平寺僧堂を古規にならって建立し、伽藍規矩の復興に努め、永平寺の中興とまで称せられた。他にも、『正法眼蔵』を道元禅師の550回大遠忌に因んで開版したことが知られている。

文化4年(1807)4月28日に遷化世寿79歳。

【著作】

清規に関するもの
・『永平小清規
・『円通応用清規?
・『祖規復古雑稿
語録
・『空華庵録?
・『玄透禅師語録』

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