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【定義】

‖世間を出て、剃髪得度して沙門となること。
⊇于伴圓里海函七衆を総合すれば、比丘比丘尼沙弥沙弥尼式叉摩那を出家の五衆といい、優婆塞優婆夷在家の二衆という。
道元禅師の『正法眼蔵』の巻名の一。95巻本では83巻、75巻本では75巻。寛元4年(1246)9月15日、永平寺にて学人に示された。

【内容】

―于箸垢襪燭瓩砲蓮必要な条件や作法があるが、インドの部派仏教では釈尊が定めた方法に従っていた。沙弥戒を受けて沙弥となり、その後比丘となるための戒を受けた。しかし、中国以東は先の部派仏教当時の方法として、沙弥になるための沙弥十戒を受け、その後比丘になるためには二五〇戒(比丘尼は三四八戒)という声聞戒を受けて、その後、梵網戒や瑜伽戒等の菩薩戒受戒を経て、大乗菩薩僧となった。

中国の禅宗も、この教宗と同じ方法で出家を行い、その方法は『禅苑清規』などの「清規」などに示されている。

しかし、現在の日本曹洞宗では、声聞戒受戒はせずに、菩薩戒、それも三帰戒三聚浄戒十重禁戒十六条戒をもって大僧となす。そして、その具体的な内容は『曹洞宗宗制』「曹洞宗僧侶教師分限規程」によって規定され、またその出家得度の式については『曹洞宗行持軌範』の「得度式」にて定める。
第4条 得度は、本宗の教義を信奉する者に対して行う。

なお、得度式を行った場合には定められた書類を提出しなければならず、その提出がない場合には認められない。
第9条 師僧が得度を行ったときは、3か月以内に僧籍登録証交付申請書(様式教学第1号)に得度を受けた者の住民票又はこれに準ずるもの並びに得度式における証拠を添えて、教学部長に提出しなければならない。

この「証拠」として現在一般的なのは、剃髪を証明する写真や、得度式の風景の写真とされる。また、満20歳に満たない場合には、親権者または後見人が証明しなければならない。現今「師僧」は「和尚」の法階を持つ者であれば良く、必ずしも住職でなくても良いが、僧籍の登録上、一般的には住職を師僧とする場合が多い。

【出家の際の心構え】

曹洞宗で出家をしたい場合だが、とにかく曹洞宗の教師資格を持つ僧侶を捜して、弟子入りしなくてはならない。稀に、通信教育で取れるといったような宣伝を見るが、それは正規の方法ではない。また、そもそも現在の曹洞宗では「在家出家(在宅出家)」といったような制度は存在していない。よく、「私は道元禅師を学び、出家してみたいのですが、在宅で過ごしたいです」などという者がいる。その者は『正法眼蔵』「出家功徳」巻を読むべきであろう。そこでは、「在家出家」は完全否定されている。ただ、出家した後の基本的な生活法については、就いた師匠が定めるので、詳しくは出家の際に師に問うこと。以下は、一般的な見解である。

・出家をして、宗務庁に登録された以上、僧侶としての責任が発生することを忘れてはならない。在家信者の時のような好き勝手で気ままな発言や行動などが許されるわけではない。
・たとえ世間で出世をして栄達を極めようと、出家すれば人生は再スタートである(ただし、出家前の金銭的負債などが消えることはないし、本来負債を抱える者の出家は許されていない。遮難を参照)。60歳定年まで大会社の社長を務めたり、高級官僚として生き抜いたとしても、出家すれば初心者である。初心者として、下積みからのスタートであり、出家が遅速、修行道場での先輩・後輩、といった基準で、僧侶同士には年功序列が存在する。なお、これは、最近からの話ではなくて、伝統的な仏教教団自体が持つ秩序そのものである。
宗務庁、就いた師匠、入った寺院などは、新たに出家した者の金銭的収入を一切保証しない。自分で僧侶としての仕事を見付け、そして実力でもって生きて行かなくてはならない。

【『正法眼蔵』「出家」巻解題】

道元禅師は、『禅苑清規』を引用しながら、諸仏諸祖の成道はまさに出家受戒のみであることを示し、また、出家受戒すれば無上菩提が満足するとされる。
あきらかにしるべし、諸仏諸祖の成道、ただこれ出家受戒のみなり、諸仏諸祖の命脈、たたこれ出家受戒のみなり。いまだかつて出家せざるものは、ならびに仏祖にあらざるなり。仏をみ、祖をみるとは、出家受戒するなり。

そして、出家とは剃髪し、袈裟をまとうことであるという具体的な作法に昇華されるのである。そして、出家受戒することは、成仏への機縁なのである。
しるべし、仏化すでに身心にかうぶらしむるとき、頭髪自落し、袈裟覆体するなり。もし諸仏いまだ聴許しましまさざるには、鬚髪剃除せられず、袈裟覆体せられず、仏戒受得せられざるなり。しかあればすなはち、出家受戒は、諸仏如来の親受記なり。

なお、この「出家」巻は、28巻本にも収録されているが、それには以下の識語がある。
古出家の後、御龍草本(=下書き)有り、之(=下書き)を以て、之(=「出家」巻)を書き改めるべし。仍って之(=「出家」巻)は破らるべし。

そこで、この「下書き」が12巻本の「出家功徳」巻になっているのではないかと推定されている。

【瑩山禅師の出家観】

瑩山禅師は、主著である『伝光録』「第四章 優婆毱多章」にて、「身出家」「心出家」という2種類を規定している。
夫れ仏家もとより身心の二出家あり。

これは、インドの優婆毱多尊者が、師となる商那和修尊者に対して、3年お仕えしていたところ、出家を許されたのだが、その時に「汝、身の出家なるや、心の出家なるや」と聞かれたことに由来する。優婆毱多尊者は「身の出家」と答えたのだが、和修尊者は仏法は身心に拘わらないと示し、優婆毱多尊者は大悟されたのである。
謂ゆる身出家すといふは、恩愛を捨て家郷を離れて、髪を剃り衣を染め、奴婢を蓄はへず、比丘となり、比丘尼となり、十二時中弁道し来る。故に時として虚く過ることなふして、外か所願なし。故に生をも喜ばず、死をも懼れず。心は秋月の皎潔たるが如く、眼は明鏡の翳なきが如し。心を求めず、性を望まず、聖諦なお作さず、況や世執をや。是の如くし来りて、凡夫地にも住まらず賢聖位にも拘はらず、転た無心道人たり。是れ即ち身出家人なり。

このように、自らの姿を持って出家をなすことを、身出家という。
謂ゆる心出家といふは、髪を剃らず衣を染めず、設ひ在家に住み、塵労に在りと雖も、蓮の泥に染まず、玉の塵を受けざるが如し。設ひ因縁ありて、妻子ありとも、芥の如く塵の如く覚して、一念も愛心なく、一切貪著することなく、月の空裡に掛るが如く、玉の盤上に走るに似て、閙市中にして閑者を見、三界の中にして劫外を明らめ、煩悩を断除するも病なりと知り、真如に趣向するも邪なりと明らむ。涅槃生死是れ空華なり、菩提煩悩ともに管せず、是れ則ち心出家人なり。

こちらは、姿は在家であっても心に、一切への執着が無ければ出家だというのである。

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