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【定義】

「新到列位問題」とは、入宋した道元禅師が天童山に入った際に、外国人の僧侶であるという理由から、僧堂での坐位新到新戒)位に置かれたことに端を発する問題である。道元禅師は、それに抗議して、『梵網経』第三十八軽戒に基づき、受戒した時期でもって坐位を定めるよう、当時の天童山の役局や、皇帝にまで直訴したという。なお、この問題が実際に起きたかどうかを含めて、広範な議論がある。

【内容】

道元禅師の古伝を確認してみると、『三祖行業記』『洞谷記』などの、瑩山禅師が編集に関われたとされる文献に既にこの一件が見え、更に寂円派の『建撕記』にも見える。以下にはそれらの古伝から、この一件がどのように記録されたかを、『三祖行業記』から確認したい。
始めて天童に掛錫す。時に、二十四歳なり。戒次に依らず、新戒の位に列せんと欲す。師、表書して曰く、「此の娑婆世界内、釈迦遺法の流布の国、戒法已に弘通す。仏法位次は、尊卑老少を論ぜず、先に受戒する者は、先に在りて坐す。後に受戒する者は、後ろに在りて坐す。蓋し是れ七仏諸仏の通戒なり。何ぞ、日本・大宋に至りて、別異有るべけんや」。

まず、道元禅師はこのように問題提起した。ここで、「先に受戒する者は……」が、『梵網経』第三十八軽戒からの引用である。なお、この提起を受けた側は、次のように議論した。
天童の一山、住持両班前資勤旧、先例を以て、尚お新戒に定む。其の故は、先に入唐の諸僧、伝教・弘法の如きも、汝の師翁・用祥上人に至っても、尽く新戒に著く。蓋し是れ国の礼なり。大国・小国の別異なり。

結局、天童山の役局は、先例であることを以て、道元禅師からの提案を拒絶したといえる。そこで、道元禅師は再度、次のように抗議した。
師、又、重ねての表書に、「諸仏の教法、国に依りて豈に異なるべきや。一家の兄弟、一仏の戒脈、都て差異有るべからず。先は先に坐し、後は後に坐すの支干、分明なり。年月、争か乱らん」。

道元禅師は繰り返し坐位についての問題を指摘した。この結果、天童山の役局では結論が出せなかった。
一寺にて断ずること能わず、五山、詳議するも、尚お旧規を用う。

よって、天童山は、当時の中国禅林の最高権威であった五山にまでこの問題を上げた。しかし、そこでも先例によって道元禅師の訴えは退けられた。
三たび表書して曰く、「仏法、沙界に遍く、戒光、十方を照らす。況んや経に曰く、『今、この三界は、皆、これ我が有にして、その中の衆生は、悉く是れ吾が子なり』と。就中、此の娑婆世界は、釈迦牟尼仏の仏主なり。国已に仏国なり、人、皆、仏子なり、兄弟、次位を混乱すべからずば、法爾として仏法・世法を具し、皆正理に任せん。天神地祇、理非を昧まさず。此の理、もし達せずば、恐らくは是れ乱世なり。賢者は乱世に居せず、真人は誑者に雑わらず。仏家の臘次、已に正からざれば、正法正理、豈に明察すべけんや。幸いに中和の聖徳を仰ぎ、泣して倭僧の鄙懐を宣ぶ。天裁若し私無くば、伏して乞う、戒次を正さんことを〈意を取る〉」。

道元禅師は、ここまで文と意を尽くして、皇帝に直接日本僧の待遇改善、坐位の変更を訴えた。その結果、以下のような結論に達したという。
嘉定の聖主、勅宣を下して云く、「倭僧の申す所、其の謂い有り。須く臘次に依るべし」と。爾して自り、師の名、叢林に隠れず。倭国僧の臘、之に依りて定め了れり。遂に、天童に掛錫す。

そして、結果として、道元禅師の訴えは認められた。つまり、日本と中国の僧とで、差別が無くなったのである。

【問題点の指摘】

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