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【定義】

正法眼蔵涅槃妙心の略で、悟りの心そのものとされる。
⇔弸兔〕夢派の大慧宗杲が記した著作の名前。紹興17年(1147)に撰述され、禅宗五家各派の祖師の語661則を集め、大慧の著語評唱を付した。『聯灯会要』と密接な関係にあるという。
日本曹洞宗開祖とされた道元禅師が記した著作の題名。漢字仮名交じり文で書かれており、道元禅師の宗教を知ることが出来る主著。仮字正法眼蔵とも呼ばれる。観音導利院(興聖寺)にて書かれた「摩訶般若波羅蜜」巻(95巻本などでは『弁道話』を数えるが、ここでは除く)から永平寺にて書かれた「八大人覚」巻に至るまで、その時々で撰述されている。32歳で書かれた『弁道話』から54歳で書かれた「八大人覚」巻まで数えると、生涯に綴られた著作だと思われやすいが、実際の主要撰述時期は40〜46歳までである。下掲「撰述略年表」要参照。
て韻犬道元禅師が記した著作の題名。こちらは全て漢文で書かれており、中国のさまざまな禅問答(=公案)を収集して300則を厳選した。『真字正法眼蔵』とも『正法眼蔵三百則』とも呼ばれる。
道元禅師の言葉を法嗣懐弉禅師が筆録した『正法眼蔵随聞記』のこと。

【編集形式について】

ここでは、定義に当たる和文の『正法眼蔵』について触れていくことにする。そこで、編集形式によって幾つかの種類がある。

・75巻本
現成公案」巻から始まって「出家」巻で終わるもの。編集時期などは分かっていないが、「現成公案」巻の奥書に「建長壬子拾勒」とあって、これが建長4年(1252)であることから、道元禅師在世時に編集されたと推定される根拠になっている。

・12巻本
出家功徳」巻から始まって「八大人覚」巻で終わる編集。

出家功徳、受戒、袈裟功徳、発菩提心、供養諸仏、帰依仏法僧宝、深信因果、三時業、四馬、四禅比丘、一百八法明門、八大人覚

一百八法明門」巻は、12巻本にのみ見られる。編集時期などは分かっていないが、「八大人覚」巻の奥書に懐弉禅師のものと思われる「右の本は、先師最後の御病中の御草なり。仰せには以前に所撰の仮名正法眼蔵等は皆な書き改め、并びに新草具に都廬一百巻、之を撰すべし云云。既に始草の御此の巻は、第十二に当たるなり。此の後、御病漸漸に重増す。仍って御草案等の事、即ち止むなり。所以に此の御草等は、先師最後の教敕なり。我等不幸にも一百巻の御草を拝見せざることは、尤も恨むる所なり。若し、先師を恋慕し奉らん人は、必ず此の十二の巻(一本には「此の巻」とある)を書して、之を護持すべし。此れは釈尊最後の教敕にして、且つ、先師最後の遺教也」とされていることから、晩年『正法眼蔵』の更新を図ろうとしていた道元禅師が、12巻でもって力尽きたことを示したとされている。従って、下書き段階のものが多く、懐弉禅師は書き直されるべきだとの見解を示している。また、永光寺にてこの12巻本が発見されたのは、昭和11年(1936)のことであった。

・60巻本
現成公案」巻から始まって「帰依仏法僧宝」巻で終わるもの。編集時期は分かっておらず、しかも道元禅師が編集したという説もあれば、永平寺5世義雲禅師によって編集されたという説もある。ただ、現在では道元禅師編集説が強く、義雲禅師は60巻本の各巻に対して、その内容を簡潔にまとめた頌と著語を『品目頌』として書いた功績があったにとどまるともされる。なお「三時業」「遍参」「洗面」巻は、75巻本や12巻本とは異なった下書き(草稿本)であるとされ、また「法華転法華」「菩提薩埵四摂法」巻は、この編集にまず見られる(後に、梵清禅師「84巻本」で75巻本に組み入れられた)など、何故これらの諸巻が混入しているのか不明であるなど、『正法眼蔵』編集史という観点からも興味深いものとなっている。

・28巻本
「秘本 仏向上事」巻から始まって「唯仏与仏」巻で終わるもの。『秘密正法眼蔵』とも呼ばれる。編集時期は分かっておらず、しかも収録されたものもこの編集にしかないような「生死」「唯仏与仏」巻などが収録され、また「後心不可得」「秘本 仏向上事」巻は明らかな下書き、もしくはメモ書きのような内容であることから、永平寺などの書庫にあった文書紙を三冊にまとめて書写したものではないかとされている。なお、上記の60巻本と重複しないという観点からも、様々な見解が出されていて、今なお『正法眼蔵』編集論論争の題材に採り上げられるものである。

・95巻本
弁道話」巻から始まって「八大人覚」巻で終わるもの。永平寺50世玄透即中禅師によって開版されたため「本山版」とも呼ばれる。なお、かつて岩波文庫から出ていた衛藤即応博士校注の3冊本は、この本山版を定本にしている。また、本山版編集に当たっては、玄透禅師以前の大容梵清禅師の功績があり、梵清本(84巻本=75巻本に加え、同編集に見えない60巻本系統の9巻を加えた)を編集した。そして、この84巻本を拡大したのが大乗寺の卍山道白師(89巻本)であり、更に、永平寺35世の版橈晃全禅師も拡大した。この晃全本(96巻・「陞座」巻が当初入っていたが、偽撰として退けられた)の後で、更に編集されたのが玄透本(95巻本)ということになる。本来は75+12=87巻だったのが100巻近くになったのは、「八大人覚」巻の奥書「新草ともにすべて一百巻を撰すべし」という道元禅師の遺言にも似た言葉が大きな影響を与えているという。

なお、玄透禅師の「本山版」であるが、道元禅師550回大遠忌の記念事業として開版を発願し、文化13年(1816)に、20冊95巻として完成した。道元禅師の撰述、または懐弉禅師による謄写の期日に順い編集されているのが特徴で、更に、当初の本山版は、主として「室内」に関わると思われる5巻(「仏祖」「嗣書」「受戒」「伝衣」「自証三昧」)については白紙のまま刊行され、それは別途、購入者が本山に拝登するなどして書写すべきものとされた。明治18年(1885)には「本山版」が活版印刷によって縮刷にされ、その時にこの5巻も印刷、挿入された。そして、元の木版本にも、明治39年にこの5巻が印刷、挿入され現在に到っている。

【撰述意図】

弁道話』という道元禅師の最初期の著作に、以下のようにある。この文章の解釈には諸説あるが、原文と訳文を示す。
【原文】しかあれども、このくに、坐禅辨道におきて、いまだその宗旨つたはれず。しらんとこころざさんもの、かなしむべし。このゆゑに、いささか異域の見聞をあつめ、明師の真訣をしるしとどめて、参学のねがはんにきこえんとす。このほか、叢林の規範および寺院の格式、いましめすにいとまあらず、又草草にすべからず。
【訳文】そうであれば、この日本は、坐禅し、修行することについて、未だその真実の意旨が伝わっていない。知ろうと志すものは、悲しむべきである。だからこそ、日本と異なった地域(=インドや中国、朝鮮など)の見聞を集めて、仏法を明らかにした祖師の真実のありようを記し留めて、修行者の願いに応えることにしたい。このほかには、叢林の規範や寺院の格式を今示したいが、暇がない。また急いでするべきでもない。

九十五巻本の筆頭に収録されてはいるが、厳密な意味で『弁道話』は『正法眼蔵』ではない(=古い編集に入っていない)。そうであっても、この一文からは、道元禅師が中国で見聞してきた仏法が日本に正しく伝わっていないことを嘆かれ、文章を著し正しい道を志すものの指標にしようとした意志が見られる。さらに叢林の規範や寺院の格式は、後に示そうとする意図を明らかにしておられる。後者の部分は後に『永平大清規』になり、前者の「いささか異域の見聞をあつめ、明師の真訣をしるしとどめて云々」は、後に『正法眼蔵』になったとされる。

したがって、道元禅師にはこの『弁道話』を撰述された頃から既に、何らかの著述活動を行う意図があったのは確実である。もっとも、これが仮字『正法眼蔵』を指すのかは、未だ確証はない。確かに近世まではそうだと思われていた。しかし、現在は『真字正法眼蔵』が発見されている。「あつめた」という表現に近いのは真字であるため、まだ調査を要する。

【内容など】

『正法眼蔵』は内容が豊富であり、特定の方向を指し示すことすら難しいが、まず、道元禅師が御自身の修行に基付き、その体験の内容を過去の経典や中国で編集された語録を用いながら記述したものと了解するのがよいだろう。

内容は各巻ごとに異なっているが、題名を見れば大体は分かる。例えば純粋な仏教学的命題として扱われることが多い「仏性」「海印三昧」「諸悪莫作」「深信因果」「三時業」「八大人覚」に関する提唱もあれば、中国の祖師たちが用いた一転語(=悟りの言葉)についての提唱「即心是仏」「一顆明珠」「栢樹子」「龍吟」等もある。さらに日常の行持進退の解説を扱い「清規」という叢林の規則を補完する「洗面」「洗浄」「看経」「坐禅儀」「安居」「出家」等もある。

ある意味でこれらが雑多に混在しているのが『正法眼蔵』であり、この性格が道元禅師の宗教(=これを「宗乗」という)を複雑なものにし、古来からの仏教教理学でも、禅宗に関する禅学でも、哲学でも、思想でもない独自のあり方を示すことになる。

【註釈書で主なもの】

・『正法眼蔵御聴書』
道元禅師の法嗣ともされる、詮慧禅師の手になる最古の註釈書である。更に『御聴書』を本に詮慧法嗣である経豪が註釈したものを『正法眼蔵抄(通称『御抄』)』という。
・『正法眼蔵弁註
天桂伝尊の手になる。江戸時代最初の『正法眼蔵』註釈書。内容は大変に独創的、かつ相当に批判的であり、60巻本系統に対する註釈となっている。
・『正法眼蔵那一宝
天桂伝尊の『弁註』を祖述しながら、『御抄』も参照にして、天桂四世の法孫・父幼老卵が撰述したもの。『弁註』の激烈な批判的態度が和らいでいる。
・『正法眼蔵聞解
面山瑞方の作とも伝えられたが大半は弟子の斧山玄鈯になる。
・『正法眼蔵却退一字参』
瞎道本光による『正法眼蔵』の註釈書。通称『参註』。同著は、まず真字仮字交じり文である『正法眼蔵』を漢文に改め、そして諸本を対校して註解を付した。
・『正法眼蔵傍註及び私記
雑華蔵海によって記された『正法眼蔵』の註釈書。指月及び瞎道に参学していた蔵海は、『御抄』と『参註』を用いつつ、自らの参究成果を著した。なお、『傍註』はまず本文に対して一語を加える形で註を付し、『私記』は『傍註』を元にしながら解釈をしている。
・『正法眼蔵渉典録』及び『渉典続貂』
両著ともに、『正法眼蔵』本文中に見える語句の出典研究であり、現在でも曹洞宗総合研究センター宗学研究部門で行われている出典研究の端緒となる成果である。なお、『渉典録』は面山瑞方によって示された。『続貂』は黄泉無著による撰述である。
・『校閲正法眼蔵序
洞明良瓉が延享2年(1745)に記したもの。95巻に対し、その撰述形式から6種に分類した著作。

【解説書・提唱録】

・『正法眼蔵註解全書』
神保如天、安藤文英師共編。上記の註釈書を収める。
・『正法眼蔵啓迪』
西有穆山禅師御提唱、富山祖英師述・榑林皓堂編で、六十巻本を定本に行われた西有禅師の提唱録。ただ、惜しいことに現在では半分の三十巻分しか現存しないらしい。
・『正法眼蔵全講』
岸沢惟安老師御提唱。九十五巻全巻に対する提唱。
・勉強会のお知らせ
ご案内】である。

【テキスト】

・『道元禅師全集
筑摩書房版、春秋社版とある。なお、大久保道舟博士には筑摩書房版に収録された『正法眼蔵』だけを抜き出した全1巻の『正法眼蔵』という本もあるが入手は困難。
・水野弥穂子校注『正法眼蔵』(岩波文庫・4巻本)
筑摩書房版『道元禅師全集』に収録された『正法眼蔵』の見解にしたがって、編集されたもの。現在最も容易に入手可能。
・衛藤即応校注『正法眼蔵』(岩波文庫[絶版]、後に国書刊行会・3巻本)
本山版95巻本にしたがって編集されたもの。他に拾遺を収めている。第3巻の末尾には「字彙」を収録しており、良い。
・本山版縮刷『正法眼蔵』(鴻盟社・全1巻)
玄透即中が刊行した本山版95巻本を、縮刷したもの。全1巻であるため使い勝手が良い。

撰述略年表

寛喜三年(一二三一)

八月十五日  『弁道話』書

天福元年(一二三三)

夏安居日   「摩訶般若波羅蜜観音導利院示衆
八月     「現成公案」鎮西の俗弟子楊光秀に与える

嘉禎二年(一二三六)

  十月十五日 興聖寺において集衆説法

暦仁元年(一二三八)

四月十八日  「一顆明珠興聖寺示衆

延応元年(一二三九)

四月二十五日 「重雲堂式興聖寺にて示す
五月二十五日 「即心是仏興聖寺示衆
十月二十三日 「洗浄興聖寺示衆、「洗面興聖寺示衆

延応二年(一二四〇)

三月七日   75巻本系統「礼拝得髄興聖寺
四月二十日  「渓声山色興聖寺示衆

仁治元年(7・16〜)

八月十五日  「諸悪莫作興聖寺示衆
十月一日   「有時興聖寺書「伝衣興聖寺書「袈裟功徳興聖寺示衆
十月十八日  「山水経興聖寺示衆
十月三十日前日  28巻本系統「礼拝得髄(草稿本)」興聖寺

仁治二年(一二四一)

正月三日   「仏祖興聖寺示衆
三月二十七日 「嗣書興聖寺
夏安居日   「法華転法華」書いて慧達禅人に授ける
夏安居中   「心不可得」「後心不可得興聖寺示衆
九月九日   「古鏡興聖寺示衆
九月十五日  「看経興聖寺示衆
十月十四日  「仏性興聖寺示衆
十月中旬   「行仏威儀興聖寺
十一月十四日 「仏教興聖寺示衆
十一月十六日 「神通興聖寺示衆

仁治三年(一二四二)

正月二十八日 「大悟興聖寺示衆
三月十八日  「坐禅箴興聖寺
三月二十日  「恁麼興聖寺示衆
三月二十三日 「仏向上事興聖寺示衆
四月五日   「行持(下)」興聖寺
四月二十日  「海印三昧興聖寺
四月二十五日 「授記興聖寺
四月二十六日 「観音」示
五月十五日  「阿羅漢興聖寺示衆
五月二十一日 「栢樹子」観音導利院示衆
六月二日   「光明興聖寺示衆
九月九日   「身心学道興聖寺示衆
九月二十一日 「夢中説夢興聖寺示衆
十月五日   「道得興聖寺
十一月五日  「画餅興聖寺示衆
十二月十七日 「全機」六波羅蜜寺側雲州刺史幕下示衆

仁治四年(一二四三)

正月六日   「都機興聖寺
正月十八日  「行持(上)」書写終わり

寛元元年(2・26〜)

三月十日   「空華興聖寺示衆
四月二十九日 「古仏心」六波羅蜜寺示衆
五月五日   「菩提薩埵四摂法」記録
七月七日   「葛藤興聖寺示衆

  七月十六日 越前へ向かう

閏七月一日  「三界唯心吉峰寺(75巻本系統は「禅師峰」とする)示衆
九月十六日  「仏道吉峰寺示衆
九月二十日  「密語吉峰寺示衆
九月     「諸法実相吉峰寺示衆、「仏経吉峰寺示衆
十月二日   「無情説法吉峰寺示衆
十月二十日  「面授吉峰寺示衆、「洗面吉峰寺再示
十月     「法性吉峰寺示衆
十一月六日  「梅華吉嶺寺
十一月十三日 「十方吉峰寺示衆
十一月    「坐禅儀吉峰寺示衆
同年中    「説心説性吉峰寺示衆、「陀羅尼吉峰寺示衆
十一月十九日 「見仏禅師峰示衆
十一月二十七日「遍参禅師峰下茅庵示衆
十二月十七日 「眼睛禅師峰下示衆、「家常禅師峰下示衆
十二月二十五日「龍吟禅師峰下示衆

寛元二年(一二四四)

正月二十七日 「大悟吉峰寺にて書いて再示
二月四日   「祖師西来意」越前国の深山にて示衆
二月十二日  「優曇華吉峰寺示衆
二月十四日  「発菩提心(「発無上心」と通称)」吉峰寺示衆
二月十五日  「如来全身吉峰寺示衆、「三昧王三昧吉峰寺示衆
二月二十四日 「三十七品菩提分法吉峰寺示衆
二月二十七日 「転法輪吉峰寺示衆
二月二十九日 「自証三昧吉峰寺示衆
三月九日   「大修行吉峰寺示衆
同年中    「春秋」越前国の山奥にて再示

  七月十八日 道元禅師大仏寺に移動

寛元三年(一二四五)

三月六日   「虚空大仏寺示衆
三月十二日  「鉢盂大仏寺示衆

  四月 大仏寺結制開始

六月十三日  「安居大仏寺示衆
七月四日   「他心通大仏寺示衆
十月二十二日 「王索仙陀婆大仏寺示衆

寛元四年(一二四六)

  六月十五日 大仏寺永平寺に改称

八月六日   「永平寺示庫院文永平寺示衆
九月十五日  「出家永平寺示衆

宝治元年(一二四七、2・28〜)

  八月三日 鎌倉へ下向する

宝治二年(一二四八)

  三月十三日 永平寺へ帰山、翌日帰山上堂

建長二年(一二五〇)

正月十一日  「洗面永平寺重示

建長五年(一二五三)

正月六日   「八大人覚永平寺
三月九日以降 「三時業」補筆(「60巻本」系の関連から推測)

年月不記

出家功徳」「受戒」「供養諸仏」「帰依仏法僧宝」「深信因果」「四馬」「四禅比丘」「一百八法明門」(以上、12巻本所収)
「秘本仏向上事」「唯仏与仏」「生死」「仏道道心)」(以上、28巻本所収)

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