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【定義】

永平寺に改名する前の名前。面山瑞方は『訂補建撕記』で、大仏寺の名の由来について、「大仏寺は如是居士の号なり、(中略)如是の開基のゆへに、大仏寺と号せらる」とし、波多野義重の法号である「大仏寺殿如是源性大居士」に因んだものだと推定している。

永平広録』巻2は、その詳しい題名が「開闢越州吉祥山大仏寺語録」となっており、大仏寺での説法の記録となっている。その冒頭の記述などから、寛元2年(1244)7月18日に道元禅師やその会下の僧が吉峰寺などから大仏寺に移動し、翌年の4月15日に四方から修行僧が集まり初めて結夏し、寛元4年(1246)6月15日に永平寺に改名した。

【内容】

ここでは、「大仏寺旧趾(大仏寺旧跡)」について採り上げたいが、大仏寺は本来、現在の永平寺がある場所ではなくて、五十町歩ばかり奥に入った峻崖の上にあったという伝説が、特に江戸時代以降語られた。近代に入っても、大久保道舟博士の『道元禅師伝の研究』(筑摩書房)にて強調されるなど、一時期はもてはやされ、道元禅師の伝記的小説などの題材にもなった。

さらに、移転した時期にまで諸説が出され、道元禅師の時代の永平寺改称時、或いは後に義介禅師が伽藍整備を行った時、或いは義雲禅師の時に起きた火災の後などが示された。ただし、戦後に行われた東北大学工学部の横山秀哉博士の実地調査や、諸伝記資料の厳密な考証を経た諸研究などによって、現在ではその一切が否定され、永平寺移転はなかったものと考えられている(笛岡自照師『永平寺雑考』、大本山永平寺『永平寺史(上)』など)。さらにまた、この大仏寺旧趾には、「血脈池」という伝承まであるが、これもまた後代の偽作であるとされる(笛岡師同著参照)。

ところで、大仏寺から永平寺への移転説を批判した見解は、それが騒がれ始めた江戸時代に既にあって、面山瑞方師『傘松日記』には、当時の永平寺貫首(40世)・大虚喝玄禅師(?〜1736)から聞いた話として、「大仏寺旧址」には5つ怪しむべき理由があると教えられている。その1つは以下の通り。
古来、大仏寺旧跡というは、怪しむべし。山僧、曾てその旧跡に登るも、地、太だ狭隘にして、諸堂を建てるべきの平坦無し。これを旧跡というは、怪しむべきの一なり。 『傘松日記』原漢文

更に、大虚禅師は、「行状記」に見える「大仏寺」の記録と、「大仏寺旧址」との比較を行い、4つの点で異なるとしながら、合計5つの理由を以て「大仏寺旧址」を否定した。
これに因って、今考うるに大仏寺、亦、今の伽藍なり。後人、高祖、昔、寺号を改めるを認めて、誤って境致を改めると為すを以て、この妄称有るなり。 『傘松日記』原漢文

そして、現在の伽藍配置や周辺の山の形などを、「行状記」と比較しながら「永平寺移転説」そのものを完全に否定した。

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