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【定義】

辞書的な定義は曖昧で、学術用語としても確定はしていないと思われる[2018年7月31日現在]。

ただし、明治時代以降の日本では、宗派仏教脱却を目指す中で、特定の宗派のみの教理や実践にとらわれずに学び、活動する人達のあり方を「通仏教」と表現する場合があった。

【内容】

通仏教の定義の一例として、曹洞宗布教教化に関わった大内青巒居士が、以下のように評されていたことから考えてみたい。
大内青巒、露堂と号す。仙台の人。仏教徒中の博識を以て称せらる。然れども真宗、真言宗、禅宗と謂ふが如くに何れの宗派にも属せずして、寧ろ通仏教者なり。 怪庵『文士政客風聞録』大学館・明治33年、22頁

ここから、先に挙げたような意味で「通仏教」が用いられていることが分かるだろう。なお、類似した言葉に「通俗仏教?」があるけれども、厳密に言えば「通仏教」ではない。
予の主張する通仏教とは宗派に拘せず宗派を排せず一切諸仏の本懐を汎く各人に疏通するの義にして、通俗仏教の意には非ざるなり。 井上政共『通仏教―最新研究』有朋館・明治38年、70頁

また、釈迦牟尼仏の教え(原始仏教・初期仏教)をもって通仏教とする人もいるが、明治期に使われた意味からすると、それも誤っていて、格義的に「通」の字面から受ける印象を語っているに過ぎない。明治期の「通仏教」の使い方からすると、ほぼ固有の宗派と化した原始仏教・初期仏教に依ることも、通仏教的では無いといえる。

なお、高田道見?は「通仏教」「通俗仏教」をともに多用した人であるが、高田がいう「通仏教」は「時制の必要と人心の希望とに応じて之を主張する」(『通仏教安心』仏教館・明治37年、1頁)ものだと述べ、特に人心の希望に応じてこの世に出現した釈迦牟尼仏の教えを重視するとはしているが、それは現代的な方法で定められたところの原始仏教・初期仏教的な教理ではなく、ただ、無上菩提をもって人を導いたという、大雑把な括りがされるのみである。

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