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【定義】

日本曹洞宗高祖道元禅師の伝記のこと。近代には『承陽大師伝』と名付けられた同様の文献もあり、また単に『道元』と題された伝記文献もある。小説としては大谷哲夫『永平の風』(文芸社)、立松和平『道元禅師(上下)』(東京書籍)なども知られる。
江戸時代の享保15年(1730)に、京都神応寺の23世であった、古渓秀蓮(?〜1761)が執筆した道元禅師の伝記。詳しくは『日本洞宗始祖道元禅師伝』という。全1巻。単体での刊行はされず、享保16年に古渓が刊行した『永平道元禅師語録(永平略録)』の附録として書かれたものである。現在は、『続曹洞宗全書』「史伝」巻で見ることが出来る。
J神23年(2011)に曹洞宗宗務庁から刊行された道元禅師の伝記。全1巻。同時期、『釈尊伝』『中国禅宗祖師伝』『瑩山禅師伝』と並んで刊行された「祖師伝シリーズ」の一冊。主な特徴としては、瑩山禅師伝光録』第51章を底本として編まれ、『永平広録』からの引用が多く、永平寺での晩年の修行の様子が詳しく伝えられる。

【内容】

内容は次の通りである。本文に章立てはないが、記事作成者が内容から補って紹介している。

・家系と誕生
・母の死と出家
・習学―比叡山から建仁寺へ
明全和尚と入宋
身心脱落
弾虎の図と帰国
・建仁寺から興聖寺開創へ
大仏寺開創と永平寺改名
・後嵯峨天皇からの紫衣と鎌倉行化
・晩年―発病・遷化・葬儀
・著作
・作者古渓の道元禅師賛

撰述年代や内容などを鑑み、永平寺31世・大了愚門禅師撰『永平紀年録』(延宝6年[1678]跋刊)や面山瑞方師『永平実録』(宝永7年[1710])を参照したものか。

【道元禅師の伝記資料について】

道元禅師の伝記(行状記)は、永平寺三祖・徹通義介禅師や、太祖・瑩山紹瑾禅師の時代から繰り返し作製され、また他宗派の僧が編んだ相伝などに載った。全てを網羅することは難しいが、知られている文献を以下に列挙する。

●中世から近世まで

(1)『永平寺三祖行業記』「初祖道元禅師」章
(2)『元祖孤雲徹通三大尊行状記』「越州吉祥山永平開闢道元和尚大禅師行状記」章
作者及び成立年代は不明。ただし、この章は義介禅師作とも、この『行業記』全体が瑩山禅師という説もある。(2)については、(1)とほぼ内容が同じであり、異本扱い。「門人集記」の記述もあるので、弟子達が書いたものか。

(3)『伝光録』第五十一祖章
提唱は瑩山紹瑾禅師。1300年正月12日から大乗寺で提唱された。時期の推定できる道元禅師伝としては最古。

(4)『洞谷記』「洞谷伝灯院五老悟則并行業略記」
著者は瑩山紹瑾禅師。自叙伝的。同書中にある「洞谷伝灯院五老悟則并行業略記」にて、「五老」の一として、道元禅師伝を記載。

(5)『報恩録』「上巻・11則 永平身心脱落」
一説には、提唱者は瑩山禅師とも峨山禅師ともされているが、実際は不明。成立は、江戸時代初期(『常済大師全集』解題)とも、やや遡るとの説もある。

(6)『元亨釈書』巻六「道元禅師行状」
臨済宗聖一派の虎関師錬が、元亨2年(1322)に撰述した、日本に於ける本格的な僧伝の嚆矢である。なお、同書で採り上げられる曹洞宗僧侶は道元禅師のみであり、また、この項目自体、天台宗の覚阿上人との合記である。

(7)『碧山日録』所載「永平道元禅師行実」
『碧山日録』は、東福寺の大極蔵主の撰述で、時期は長禄3年〜応仁2年(1459〜1468)であり、特に道元禅師伝は長禄3・4年に編まれた。

(8)『永平開山道元和尚行状建撕記
編者は永平寺14世・建撕禅師。(2)の資料や、道元禅師撰述の諸本を総合して書かれたもの。なお、成立は文明4年(1472)と見られていて、江戸時代に面山瑞方師が『訂補建撕記』を刊行している。

(9)『永平開山道元和尚行録
撰者は不明であり、撰述年代も、寛文13年(1673)以前としか分からない。同年中に刊行。『建撕記』(1472年)成立から、面山『永平実録』(1710年)に到る230年余りの間に編まれた、唯一の伝記。

(10)『日域洞宗初祖永平元和尚道行碑銘』
選者は黄檗宗の高泉性潡(慧門如沛の法嗣)。後に中国で編まれた『継灯録』に収録された。同じ高泉は(12)も編んでいる。

(11)『継灯録』巻一「道元禅師伝」
中国明代の曹洞宗僧侶である永覚元賢が編んだ灯史である。1651年刊行。なお、『五灯会元』に収録されなかった禅者を集めている。その中に、(10)を編み込んで、道元禅師の伝記を収録した。

(12)『扶桑禅林僧宝伝』巻一「道元禅師伝」
黄檗宗の高泉性潡が編んだ灯史で、中国の禅僧による、日本禅宗僧伝である。延宝7年(1679)刊行。

(13)『日域曹洞列祖行業記』
宇治興聖寺中興開山である万安英種の法嗣である懶禅舜融が撰述し、寛文13年(1673)に刊行された。道元・懐弉義介・寒巌義尹の四師に関する行業記。

(14)『永平仏法道元禅師紀年録』
通称は『永平紀年録』。永平寺31世・大了愚門の撰述。延宝6年(1678)に跋。永平寺に収蔵されていた古冊より、『年譜』が見つかり、愚門はそれを使って、編集し、補填などをして、『紀年録』をまとめた。

(15)『延宝伝灯録』巻一「道元禅師伝」
臨済宗妙心寺派の卍元師蛮が延宝6年(1676)に撰述した灯史。禅僧や、それに帰依をした在家信者などの伝記を集めている。内容に問題が多く、面山師が卍元の著述態度を批判したことがある(『面山広録』巻24「雲良参瑩山辯」)。

(16)『日域洞上諸祖伝』巻一「道元禅師伝」
湛元自澄(長崎皓台寺6世)が撰述し、元禄7年(1694)に刊行された僧伝。曹洞宗の僧侶が独自に編んだ僧伝としては嚆矢。後にこの成果を受け継いで『続洞上諸祖伝』『重続洞上初祖伝』『日本洞上聯灯録』などができた。

(17)『本朝高僧伝』巻十九「道元禅師伝」
作者は、(15)と同じ卍元師蛮。(15)の後に、高僧の伝記1430人と、更に254人の伝記を収録したもの。日本の僧伝中最大の規模を誇る。

(18)『永平実録
面山瑞方が宝永7年(1710)に撰述した道元禅師伝。従来の道元禅師伝の誤りを改めるために作られた。また、面山は後に欧鯤圓犧櫃法∨椽颪慮解を自ら訂正するなどしている。

(19)『日本洞宗始祖道元禅師伝』
古渓秀蓮(京都神応寺の23世)が享保15年(1730)に執筆した道元禅師伝。単体での刊行はされず、享保16年に古渓が刊行した『永平道元禅師語録(永平略録)』の附録に収録。内容から、(14)や(18)の影響を受けていると思われる。

(20)『訂補建撕記
面山瑞方が宝暦3年(1753)に跋を書き、翌年刊行した道元禅師伝。(8)の写本を入手した面山は、その不備を歎き、自ら(18)にて道元禅師伝の骨子をまとめていたこともあり、それらの成果を活かして、改めて道元禅師伝を示した。後に『建撕記』として認識されていたのは同書ではあるが、面山による改変箇所も多く、現在では道元禅師の伝記研究には用いられない。ここから派生して、(21)もできる。

(21)『訂補建撕記図絵』
道元禅師550回遠忌に因んで、大坂法華寺の瑞岡珍牛や、仙台輪王寺大賢などの意向により、絵図で示された道元禅師伝の代表的なもの。文化3年(1806)に刊行された。

※また、(20)及び(21)の影響を受けた道元禅師伝は数多く編まれ、刊行されてもいるので、ここでは一々を挙げない。ただ、面白いものとして、江戸時代の学僧・万仭道坦が撰述した『高祖禅師和讃』がある。成立は、明和6年(1769)であり、万仭の雑稿集である『句双紙』に収録。道元禅師和讃の嚆矢であり、後の梅花流詠讃歌にも繋がる。

●近代

近代には、布教教化の拡大などを目指して、数多くの道元禅師伝が編まれた。以下には、その刊行時期のみを指摘する。なお、典拠は川口高風先生「明治期曹洞宗における出版書の研究」(『愛知学院大学禅研究所紀要』16、1988年)を参照し、機械的に抽出しているため、内容には触れない。また、従来刊行された書籍の重刊もあると思われるので、注意されたい。

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