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【定義】

鎌倉時代初期に活躍した武士であり、越前志比庄地頭であったことから、道元禅師大仏寺(後の永平寺)を寄進した。出雲守、波多野五郎と称した。妻は六波羅探題北方の北条重時の娘。

生没年:?〜正嘉2年(1258)2月23日
父 親:波多野忠経

【略歴】

多くの記録が残っているわけではないので、詳細は不明であるが、承久3年(1221)、承久の乱に於ける木曽川周辺の合戦では、右目に矢を受けながらも敵に射返すなど、戦場で活躍した様子が伝わっている。宝治元年(1247)11月に行われた鶴岡の放生会の際には、随兵序列について三浦盛時と争うなどしている。

それ以外には、やはり道元禅師に帰依をして、越前の地に大仏寺を建立したことが、功績として光る。また、建立しただけではなく、その後も何かと道元禅師僧団には援助をしていたようで、大仏寺殿如是源性大居士という戒名を授かったという。

また、実際の交流で記録に残ることとしては、道元禅師自身は、波多野義重から『大蔵経』を寄進されたことを殊の外喜んでいる。
雲州太守、応に大蔵経を書写して当山に安置すべしの書到る上堂に、挙す。僧、投子に問う「一大蔵経に、還、奇特の事有りや、也、無しや」と。投子云く「演出、大蔵経」と。投子古仏、既に恁麼に道う。山門多幸。因みに一偈有り、雲水の為に道わん。乃ち云く、演出、大蔵経、須く知るべし、大丈夫・天人・賢聖類、幸いに護身符を得たり。正当恁麼の時、如何。良久して云く、世間、必ず阿羅漢有り、善悪、豈、因果の途無からんや、と。 『永平広録』巻5−361上堂

雲州太守というのは、出雲守のことである。さらに、義重からの書状は重ねて永平寺に届いたらしく、道元禅師はそれに対してもお礼として上堂を行っている。
大蔵経、応に当山に書写すべしの由、太守の悦びの書、重ねて到る上堂。毘盧蔵界、古今、伝わる。三たび法輪を大千に転ず。千嶽万峰、黄葉の色、衆生得道、一時に円なり。 『永平広録』巻5−362上堂

また、春秋社『道元禅師全集』巻7には、面山師の『訂補建撕記』にのみ確認できる『波多野義重宛書状』が収められている。そこにも、布薩説戒を行い、その功徳を北条政子や源実朝に回向する様子が示されるなど、鎌倉武士団との関係を、波多野義重が取り持っていた可能性などもある。また、『建撕記』にはその病没する様子も記録する。
正嘉二年二月廿三日円寂。開山御入滅之後、六年目也。如是は右手に腫物を出して死去し給。開山も腫物にて御涅槃あり。誠に師檀不二の契約深きしるし也。

如是」というのは、義重の戒名であり、道元禅師が亡くなって6年目に亡くなられたと伝える。なお、如是は右手に腫れ物を出して死んだというのだが、これは皮膚ガンの一種であろうか。また、道元禅師も同じ病気にて亡くなったという。

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