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【定義】

過去七仏のこと。釈尊以前の六仏に加えて、釈尊も入れて七仏という。

毘婆尸仏?大和尚 此云広説。
尸棄仏?大和尚 此云火。
毘舎浮仏?大和尚 此云一切慈。
拘留孫仏?大和尚 此云金仙人。
拘那含牟尼仏?大和尚 此云金色仙。
迦葉仏大和尚 此云飲光。
〈七仏〉釈迦牟尼仏大和尚 此云能忍寂黙。
    正法眼蔵』「仏祖」巻

【内容】

なお、教宗的な捉え方をすると、本来この七仏については前三仏を過去荘厳劫にあるとし、さらに後四仏を現在賢劫にあるとし、それぞれの相承などは無いと考えるべきであるが、道元禅師は、そのような見解について本師の如浄禅師から、以下のようにして否定された。
ときに道元まうす、迦葉仏入涅槃ののち、釈迦牟尼仏は始めて出世成道せり。いはんやまた賢劫の諸仏、いかにしてか荘厳劫?の諸仏に嗣法せん、この道理いかん。 先師いはく、なんぢがいふところは、聴教?の解なり、十聖三賢等の道なり、仏祖嫡嫡の道にあらず。わが仏仏相伝の道は、しかあらず。釈迦牟尼仏、まさしく迦葉仏に嗣法せり、とならひきたるなり。釈迦仏の、嗣法してのちに、迦葉仏は入涅槃すと参学するなり。釈迦仏、もし迦葉仏に嗣法せざらんには、天然外道とおなじかるべし、誰か釈迦仏を信ずるあらん。かくのごとく仏仏相嗣して、いまにおよびきたれるによりて、箇箇仏ともに正嗣なり。 『正法眼蔵』「嗣書」巻

そこで、これ以降、いわゆる75巻本『正法眼蔵』などでは、仏祖一体論を下に世界観を構築され、過去七仏から当時に至るまでは、一定の連続性を持って捉えられていた。ところが、何が原因かは不明だが、晩年にいたり、再度この教えは否定され、過去七仏の不連続性、及び仏と祖師との断絶などが主張されるようになる。
上堂。仏と謂い祖と謂う、混雑することを得ざるなり。仏と謂うは七仏なり。七仏とは、荘厳劫の中に三仏あり。謂く、毘婆尸仏・尸棄仏・毘舎浮仏なり。賢劫の中に四仏あり。謂く、拘楼孫仏・拘那含牟尼仏・迦葉仏・釈迦牟尼仏なり。此の外、更に仏と称する無きなり。然る所以は、毘婆尸仏に附法蔵の遺弟多く有りと雖も、倶に祖師と称し、或いは菩薩と称して、未だ曾て乱りに仏世尊と称すること有らず。必定、尸棄仏の出世に至って仏と称す。行満劫満の所以なり。 『永平広録』巻6-446上堂

これからすれば、前仏に於いて授記されて、後仏が出世成道するという世界観になっていることが明らかで、それは先に挙げたような、「嗣法」の概念について、若干の変更がされている可能性もある。ただ、嗣法=授記としてとらえれば、一応「嗣書」巻の記述と、後の上堂とで完全に相反するということもない。嗣法することで成仏はするのだろうが、成仏が嗣法された瞬間かどうかという議論に於いては、その否定は余儀なくされるであろう。

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